猫耳フードの女性の事を思い出した華琳だったが、今はそれよりも一刀の事を見守る事を優先していた。
それは、春蘭と秋蘭も同じだった。
普段の華琳と秋蘭からすれば、袁紹の紹介という話を聞いているのだから、確認の書状を送っているはず。
春蘭にしても、兵の調練をしなければいけない時間だというのに、一向に部屋から出て行こうとしていない。
三人に共通している想いは、今自分達が目を離したら、一刀が消えてしまうのではないか。
自分達が今見ている一刀は幻で、本当はここにはいないのではないか。そんな不安を抱いていた。
だが、こうして一刀の寝顔を見ていると、そんな不安は微塵も感じないでいられる。
それが、三人がこの部屋から一歩も出ない理由だった。
一刀が目覚める事なく、夜になっていた。
その間、一刀は一度も目を覚ましていなかった。
「……少しやりすぎたかしら?」
「かもしれません……。あの女性の話が本当なら、一刀は歩いてここまで向かっていた様ですから。その疲れも出ているやも」
「ふっ……四年の間に、随分と軟弱になったものだ」
「あら、春蘭。それは違うわよ?」
「え? ど、どういう事ですか?」
春蘭が鼻で笑いながら、一刀の衰えを指摘した。だが、華琳の言葉で否定されてしまい、驚きで目を見開きながら華琳に視線を向ける。
「いい? 一刀がどこから歩いてきたのかは、分からない。でも、一刀の靴を見てみなさい。磨り減っているでしょ?
という事は、それだけの距離を歩いてきたという事よ。そして、勘違いだったとは言え、あなたの全力を一度も喰らう事なく避けきった。
旅の疲れ。そして、春蘭の本気の斬撃。それが合わさったのよ。……あの時の、私達のお仕置きもあるしね」
「は、はぁ……?」
華琳が掻い摘んで春蘭に教えたのだが、今一つ分かっていない春蘭は、首を傾げながら理解しようとしていた。
その様子を見て、華琳はため息を一つ吐き、秋蘭は笑顔で春蘭を見ていた。
それからも少しの間、一刀が起きたら何を話そうかと考えていた。
これまでの四年間、どれだけ探しても見つける事が出来なかった。
犯人は十常侍だと分かってはいても、証拠がない。巧みに、情報操作や文章の改ざんが行われていたのだ。
野に隠れたとはいえ、これまでの事を思うと大変だっただろう。そう秋蘭は思っていた。
春蘭も、難しい事は分からないが、一刀が苦労してきた事は、少しだけ理解していた。
だが、華琳だけは違った。
「……どうしてなのかしらね」
「華琳様?」
秋蘭が水桶の水が温くなってしまい、換えに言ってる間。色々考えていた華琳が、思わず出してしまった呟きに、春蘭が気付き問いかける。
「私の家は、おじい様の代から王朝に仕えているわよね。北おじ様の事は、私もお父様も悲しんだわ。
でも、一刀は助かったと聞いて、きっと私達か孫策の所に向かっていると思ったの。
だけど、一刀はどちらにも向かってなかった。それが、どうしてなのかと思ったのよ」
華琳の疑問に、春蘭は自分の考えを口にする。
「これは私見ですが、きっと一刀だからでしょうか?」
「一刀だから?」
「こいつは私と戦えるだけの武を持ちながら、私にはない知もあります。それだけなら、同じ者達が大陸を探せばいるでしょう。
ですが、こいつはどこまでも甘い。そして、優しすぎるのです。だから、こう思ったのではないでしょうか?
『自分が皆の所に転がり込めば、迷惑をかけてしまう』と。……華琳様? どうしたんですか?」
春蘭の話を聞き、華琳は呆然とその顔を見ていた。それから数瞬して、優しい笑顔を浮かべて春蘭を見た。
「いえ、何でもないわ。そうね、春蘭の言う通りだわ。一刀ならそう思うでしょう。それにしても、春蘭」
「はい」
「あなた、一刀の事をよく見てるのね?」
「え? ……い、いえ! 今のはですね! か、一刀ならそう思うのではないかと!」
「あら、同じだけ一刀と過ごした私が、考えなかった事なのよ? それは、あなたがよく見て、一刀を理解しているって事じゃないの?」
「で、ですから……それは、その……」
「ふふふ……可愛いわよ、春蘭。……そうね。大事な事を気付かせてくれたあなたには、この後ご褒美をあげるわ」
「か、華琳様ぁ! それは本当ですか!?」
「ええ」
「姉者? どうしたんだ?」
本当に華琳は春蘭に感謝しているのだろう。美しい笑顔を浮かべながら、春蘭の頬を優しい手つきで撫でているのだから。
戻ってきた秋蘭が初めに見たのは、桃色な雰囲気を出す二人の姿だった。
自分のいない間に何があったのか知らない秋蘭は、疑問符を浮かべていた。
「何でもないわ。ねぇ、春蘭?」
「はい、華琳様!」
後に華琳からこの時の事を聞き、その時の春蘭を見れなかった事を、心底悲しんでいる秋蘭の姿が見れたとか。
そろそろ寝る為に部屋を出ようか、一刀の傍で寝るか考えていた三人。
だが、寝ていた一刀が不意に魘され出した事で、慌てて一刀の傍に駆け寄った。
「一刀! どうしたの!?」
「――さい……」
「一刀?」
「ごめんなさい……。助けられなくて……ごめんなさい……」
まだ華琳達が知らない事だが、盗賊を斬り殺した後から、一刀は魘される日がある様になった。
自分が斬った人が、どうして自分を斬った。どうして他の者は助けたのだと、夢に現れて言ってくるのだ。
それを知らない華琳達は、北狼達の事だろうと思い、沈痛な面持ちで一刀の手を握っていた。
強ち、間違っている考えでもないが。
魘され続ける一刀を見て、華琳が寝台に上がって一刀を膝枕し、春蘭が一刀の右手を握り、秋蘭が一刀の左手を握った。
すると、ずっと魘されていた一刀が、安らかなものに変わった。
そんな一刀の様子に、華琳達は安堵の息をついた。
「自分だけ助かった事が、まだ一刀の心に傷を残しているのね……」
その言葉に、春蘭と秋蘭は無言で頷いて答える。
「仕方ないわね。今夜はこうしていましょう。私だけじゃなくて、あなた達も心配で眠れないでしょ?
春蘭、あの話は今度でいいわね?」
「はい」
確かに、春蘭は残念な気持ちがあった。華琳と閨を共に出来るのだ。
だがそれよりも、一刀が心配な気持ちの方が強かった。
四年間会えなかった事も、関係しているのだろう。
そして、華琳達はその体勢で眠りにつく。
四年ぶりに、四人が揃った事を喜びながら――。
翌朝、一刀は不思議と気持ちのいい目覚めを体感していた。
(何だ? なんか、すごく安心する。それに気持ちいいな……。特に後頭部と両腕が)
そう思って、目を開ける。そこには、逆に移った華琳の寝顔があった。
「……は? え、何これ。どういう事?」
一刀は状況が理解出来なかった。
昨日の記憶の最後を思い出せば、華琳達によって気絶させられた事を思い出した。
「あの時に気絶して、連れて来られたと。って事は、ここは陳留の華琳の城か。
……華琳が目を覚ます前に、ここから去らなきゃ。にしても、気持ちよさそうに寝ちゃって」
考えている間、ずっと華琳の寝顔を見ていた一刀は、思わず感想を口にしていた。
それを聞き、華琳の頬が僅かに赤らんだ事に気付かなかった。
そして体を起こそうとした一刀なのだが、思うように体が起き上がらなかった。
まるで、体の両方を押さえ込まれている様に。
そう思い少しだけ頭を上げると、そこには自分の腕を枕にしている姉妹の姿があった。
「……どうして、春蘭と秋蘭もここに?」
「あなたが心配だったからに決まってるじゃない」
華琳だけでなく、春蘭と秋蘭もいる事に疑問の声を出すと、華琳が答えてくれた。
「あー……まずは、おはよう華琳」
「ええ、おはよう。それで、気になったのだけど。私達が目を覚ます前に去るとは、どういう事?」
その問いかけに、一刀は答える事が出来なかった。
言えば、二度と華琳達と会う事が出来なくなる。それは一刀にとって、到底耐える事が出来ない事だった。
しかし春蘭に教えられた華琳にとって、一刀が考えている事は予想の範疇だった。
「どうせあなたの事だから、私に迷惑を掛けるから。そう思っているのでしょ?」
「それもあるけど……」
「それも? 他にも、何かあるの?」
「それは……」
「ちょっと待ちなさい。――春蘭、秋蘭。いい加減、寝た振りはやめなさい」
「え?」
三人の寝顔と華琳の問いかけに、気が動転していた一刀は、二人が寝た振りをしている事に気付かなかった。
華琳に言われ、申し訳ありませんと言いながら二人は身を起こす。
「さて。それでは、話してもらいましょうか。私達の傍にいられないと言った、もう一つの理由を」
話すまで逃がさない。そう言わんばかりに、華琳は膝枕をしたまま肩を押さえ、春蘭と秋蘭は腕を掴んでいた。
実は三人共、一刀が目を覚ましてすぐに起きていたのだ。だが、この一時を終わらせたくない。そう思った為に、起きようとしなかったのだ。
そうしていると、一刀がここを去ると言い出した。その原因は、分かっている。それでも、直接一刀の口から聞きたいと思っていた。
華琳の問いかけに、一刀は一向に口を開かない。一刀の様子に三人は、黙って話すのを待っていた。
それから数分して、先に根負けしたのは――やはり、一刀だった。
自分の話を聞き、どう思われるか分からない。それでも、ずっと黙っている気になれなかったのだ。
「はぁ……分かったよ。話すし逃げないから、そろそろ起こさせてくれないかな?」
「……仕方ないわね」
一刀の提案に華琳が酷く残念そうに了承し、三人はゆっくりとした動きで一刀から離れる。
三人の顔には、不満の色がありありと浮かんでいたのだが、一刀が気付くはずがなかった。
寝台に腰掛けた一刀の前に、華琳達三人が立っていた。
目の前の三人に重い息を一つ吐き出し、一刀はゆっくりと語り始めた。
身を隠していた山から下りて、最初は華琳達や雪蓮達と会うつもりはなかった事。
それで最初に行った孫堅の墓で、自分の素直な気持ちに気付いた事。
それから、三ヶ月掛けて陳留の近くまで来た事。
ここまで話をして、一刀は黙ってしまった。ここからが、一刀が話したくない所になるためだった。
「……いいわよ、別に。あなたが話したくないなら、無理に聞こうと思わない。
その三ヶ月の間に、私達の所にいられないという、もう一つの理由があるのでしょ?」
「いや、話すよ。あの人達の事を、俺が無かった事にしちゃいけないんだ」
一刀が『あの人達』と言った所で、華琳と秋蘭はその知によって気付く。一刀の両手が、血に濡れているのだと。
春蘭も同じ武人として、その事に気付く事が出来た。自分が始めて人を斬り、その重さに押し潰されそうになっていた。あの頃の自分に似ていると思い。
一刀は続きを話す。
三ヶ月、ここに向かっている間に数え切れない人を斬った事。
盗賊に身を落とし、他の人を不幸にしていたとは言え、最初は違っていただろう人を。
なりたくて盗賊になる人などいない。今がそういう時代なのは分かっている。それでも、何の理想もなく、ただ人を斬っただけ。
そんな自分が、華琳達の傍にいる訳にはいかない。
自分が殺した人を背負い、自分は一人で生きていく事を決めたと話した。
ここまで一気に話し、一刀は勢いよく息を吐き出した。
「そう。それがあなたの言う、私達の傍にいられない理由なのね?」
「ああ。だから俺は今すぐにでも、ここを――」
去るよ。そう言おうとした一刀を、華琳は叩いて黙らせた。
最初は秋蘭も、華琳と一緒に叩こうと思った。しかし、隣で握り拳を振り上げている姉の姿に、それを必死になって止める仕事をこなしていた。
「自惚れるな、北郷! 貴様の両の手は、確かに血に濡れている! しかし、それは私達も同じだ!
何の理想もなく、だと? ならば、貴様に助けられた者達は、笑顔を浮かべていなかったと言うのか!?
命が助かった事を、感謝していなかったのか! 貴様に諭された者達は、今も賊という卑しい行いを続けていると言うのか!
貴様は、その者達を助けたかった。その為に、自らの手を血で赤く染めた。それがどれだけ尊いものだと、何故分からない!?」
一刀の話を聞き、華琳は怒りを抑える事が出来なかった。
傍から見れば、確かに何の理想もないと思えるかもしれない。しかしそう思っても、誰かを助ける為にその手を汚せる者が、今の時代にどれだけいる事か。
皆で手を取り合おう。それは確かに、誰もが思う理想だ。しかし行動をしなければ、それは理想にすらならない。しかし、一刀はそれをしたのだ。
それを分かって欲しいが為に、華琳はキツイ言葉を一刀に投げかけていた。
「……いい一刀。あなたが、夜にその者達で、魘されているのは知っているわ。最初は、おじ様やおば様達の事だと思った。
だけど今の話を聞いて、あなたが斬った者達だという事を知ったわ。それでもあえて言うわね。
あなたの手は、その者達の血で赤くなった。だけど、その手によって救われた者達も、同じ数だけいるのよ。
バカになりなさいとは言わないわ。でも、あなたは頭が良すぎるのよ。それに、あなたには私達がいるわ。……少し癪だけど、孫策達や麗羽もね。
あなた一人が、その者達を背負う必要はないの。あなたが背負うモノを、私達も一緒に背負うわ。だから、もう無理しなくていいのよ……」
怒声から一転、優しい顔と声で語る華琳は、一刀の頬を優しく撫でる。
春蘭と秋蘭も静かに一刀に近付き、その手を優しく包み込んだ。
その暖かさに、一刀は静かに涙を流していた。
初めて人を斬った時、その命の重さに一刀は泣く事が出来なかった。
しかし今は三人に心を支えられ、溜まっていた苦しさが、静かな涙として流れ落ちていく。
声を挙げる事なく静かに涙を流す一刀を、三人は優しく抱きしめる。その苦しみと悲しさが、少しでも軽くなればいいと思いながら。
華琳は気づいていた。
一刀と再会した時、昔と同じ様に『行動しようとしている』一刀の姿に。
自然と出たのではなく、演じようとしていると華琳は感じていた。
華琳は本当に、初めは北狼達の事などだろうと思っていた。それにしても、演技をしようとするのはおかしいと思ったのだ。
だからこそ、華琳は一刀の口から語らせようとしたのだ。
心の苦しさは、自分一人で解決出来る物もある。しかし、それではいつか無理が出てしまうのだ。
誰かにぶつけるか話す事で、心の苦しさは軽減されるのだ。
自らの口から話し涙を流した事で、一刀からその雰囲気が薄れて行く事を華琳は感じ取っていた。
その事に華琳だけでなく、春蘭や秋蘭も笑みを浮かべていた。
起きてからの一刀は無理をしている。そう感じていたのは、春蘭と秋蘭の二人も同じだったのだから。
こうして四人は、本当の再会を果たす事が出来た。
その日、華琳は城の者に伝え、四人で静かに再会の宴を昼間から開いた。
政務に関しては特に急ぐ物が一つもなく、普段の真面目さが功を奏していた。春蘭に関しては、地獄の調練がなくなった事を兵士達がとても喜んだとか。
「しかし、一刀。お前は四年間も、どうして我々に会いに来なかったのだ?」
「あー……。実はさ、峰さんからっていうか、父上からの指示だったんだよね」
「北様のか?」
「うん、そう。旅に必要な物を入れてくれた袋の中にさ、手紙があったんだよ。今から数年は身を隠せってね。
それでも、秋蘭達に心配かけてごめんね」
「いや、いいさ。お前が無事だった。それが何よりだよ。さて、姉者がそろそろ猫から虎になりそうだな。姉者の相手もしてやれ」
「あ、ああ。そうするよ。あ、忘れてた」
「うん?」
「ただいま、秋蘭」
「お、おかえり、一刀。……その笑顔は、反則だぞ」
好いてる男から陰りが消え、本当の笑顔を向けられた秋蘭は、酒ではない赤みで頬を染めていた。
「かじゅと~。かえってきてくれて、本当にうれしいのら~」
「ありがとね、春蘭。俺もここにいれて、本当に嬉しいよ」
「もうかじゅとは、どこにもいかないのら?」
「うん。三人が許してくれる限り、ずっと傍にいるよ」
「ならいいのら~。もっとなでなでしる~」
華琳達の三人で酒を飲んでいる時は、この様な酔った状態になる事はあった。だが、他の者がいる時になった事がなかった。
その様子を見ていた華琳は嬉しそうに微笑み、秋蘭は春蘭のその姿を見て悶えていた。
心の底から、華琳は喜んでいた。
確かに三人でよく酒を飲み交わす事はあり、その時も楽しい事は間違いなかった。
それでも今この時に比べれば、雲泥の差があった。
だからこそ華琳は会話に参加しないでいても、始終華琳は笑顔で見守りながら、この場を楽しんでいた。
一刀は二人との会話を楽しんだ後、華琳の隣に移った。
「一刀、久しぶりに話した感想は?」
「本当に楽しいよ」
「そうでしょうね? 私の所に来る事なく、話を楽しんでいたものね?」
「いや、それはその~……」
「ふふっ、冗談よ。でも、あなたは、この一時も捨てようとしていたのよ?」
「そうだな。本当にバカな考えだったと思うよ」
笑顔で話し合う二人は、この一時を大いに楽しんでいた。
そして一刀と華琳は思う。
この一時を、大陸の全員が感じられる時代にしようと。
例えその為に、多くの人に恨まれる様になったとしても。
この日を境に、華琳の隣に立つ者が一人増えた。
黒と白を基調にした服を着る一人の男の姿が。
その男は、最初の頃は名前を知られていなかったが、字で呼ばれる様になった。
その字とは、『華翼(かよく)』。
華琳の許に訪れた元盗賊が、一刀を見て天翼と呼んだ事から、『天』の字は危険だとして、華琳が蒼天に飛び立つ翼として、三人が名付けた字だった。
閑話終劇
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今回は、二章の一話の続きとなります。
あわせて投稿してもよかったのですが、二話は少し話が飛ぶので、今回はこういう形での投稿になりました。
二話を楽しみにしてくださっていた皆様、申し訳ありません。
それでは、楽しんで頂けたら幸いです。