「春の歌」
これは遠い遠い国で本当にあったおはなし。
むかしむかし、とある国に大きなお屋敷があり、そこに一人の女の子が住んでいました。
その女の子はお人形のようにかわいらしいと町でも評判の美人さんでした。
そんな女の子が何かあぶない目にあっては困ると、女の子のお父さんとお母さんは
女の子に「お屋敷の外に出てはいけないよ」ときつく言っていました。
そのせいで女の子には同じくらいの友達がだれもいませんでした。
なので退屈なときは、本を読んだり絵を描いたりしていましたが、
女の子が一番夢中になったのは、歌を歌うことでした。
朝起きてから夜寝るまで、ずっと歌いつづけることもあったそうで、
それを知ったお父さんは、世界中から楽譜を集めては女の子へプレゼントするようになりました。
いつしか女の子の部屋は楽譜でいっぱいになりました。
女の子は飽きることなく歌を覚えて、毎日きれいな声を響かせます。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬になってたくさん雪が積もっても、
女の子はほとんど休まずに歌を歌いつづけていました。
女の子の歌は、とんでいる小鳥が思わず眠ってしまうほど優しい音色です。
その歌はお屋敷のすぐそばにある町の方にまでよく聞こえていて、
「今日は何の歌を歌うんだろう」と、色んな人が女の子の歌を心待ちにするようになっていました。
そんなある日。
その町に住んでいる子供達が集まって、こんな話をしています。
「なあ、あのお屋敷の歌い姫様に会いに行ってみないか?」
「なるほど。それはいい考えだ」
「そうと決まれば、すぐ出発だ」
「でも、どうやって中に入ろうか。あそこの門はいつも開いてないんだ」
うーん、としばらく考えた彼らでしたが、すぐに誰かが叫びました。
「はしごを持っていって、へいをのぼっていこう」
「なるほど。それはいい考えだ」
「そうと決まれば、すぐ出発だ」
「そうしよう。そうしよう」
彼らは大きなはしごを四人で協力して運んでいくことにしました。
はしごはとても重くて、一人ではどう頑張っても動かせません。
でもみんなで力を合わせればへっちゃらです。
――きょうのてんきはおひさまびより ぼくらもげんきにずんずんいくよ
楽しい気分になってきた彼らは、誰ともなしに歌を歌い始めます。
――はしごのおもさもきにならない
――うたいひめさまにあいにいこう
――うたいひめさまにあいにいこう
元気いっぱいに歌いながら、彼らはてくてくと歩いていきます。
歌を三回も歌うころには、お屋敷についていました。
さっそくへいにはしごを立てかけて、よいしょよいしょとへいをのぼっていきます。
へいをのぼりきった四人は、そこから見える景色があまりにきれいなことに気付いて、少しだけぼんやりとしていました。
空は雲ひとつないぐんじょう色、大きな庭は緑色の芝生で一面おおわれていて、その向こうにお屋敷が見えます。
「おおきいねー……」
「そうだねー……」
そこは彼らが普段遊んでいる広場と同じくらいか、それより大きいくらいの広さがありました。
彼らはへいからぴょんと飛び下りると、また元気のいい声をはりあげます。
「さあ、歌い姫様に会いに行くぞー!」
そのかけ声を合図に、四人はお屋敷に向かって走り出しました。
一番にお屋敷についた子から順々に大きな木の扉からお屋敷の中へ入っていきます。
「ところで、歌い姫様はどこにいるんだろう?」
そういえば、誰も女の子がどの部屋にいるのかまでは知りません。
お屋敷の入り口で、四人は腕を組んでうーんうーんと悩んでいました。
すると、突然お屋敷の奥の方からこんな声が聞こえてきます。
「こら! 勝手に入ってくるんじゃない!」
それはこのお屋敷のめしつかいでした。
彼らは飛びあがるほど驚いて叫びます。
「うわっ、見つかった!」
「にげろにげろ!」
ここまでやってきたら、女の子に会うまでは帰るわけにはいきません。
四人は大慌てで逃げました。
でも、大人の足にはやっぱりかないません。
一人、また一人と捕まってしまって、お屋敷を追い出されてしまいます。
追い出された彼らは門の前で腕を組んで溜息をつきます。
「あーあ残念。結局歌い姫様には会えなかったな」
「まあ、仕方ないさ。もう暗くなるから今日は帰ろう」
そう言って帰ろうとしたときです。
あることに気付いて、一人が言いました。
「ちょっと待て。一人足りないぞ」
「あれ? ほんとうだ、一人足りない」
ようやく彼らは、一緒にお屋敷に来た友達が一人いないことに気が付きました。
お屋敷では逃げるのに夢中で、誰も気がつかなかったのです。
でも、まさかまたお屋敷に入るわけにはいきません。
また勝手に入ったりしたら、今度はどんなおしおきをされるかわからないからです。
「まあ、大人に見つかったら俺たちと同じようにつまみだされるさ」
「それもそうだな。それじゃ少し大変だけど、三人ではしごは片付けておいてやろう」
「そうしよう。そうしよう」
彼らは四人で運んできたはしごを三人でかかえて、来た時と同じように歌いながら帰っていきます。
――おひさまもそろそろおやすみみたい
――ぼくらもきょうはみせじまいさ
――あしたもげんきにずんずんいくよ
ぼーん、ぼーん、という大きな音で、男の子は目を覚ましました。
ぼうっとしたまま立ち上がろうとすると、頭が何かにぶつかってきて、思わずまたしゃがみ込みます。
「いたたた」
がしゃりと男の子は柱時計の中から出ました。
はしごを持ってお屋敷へやってきた子供たちの一人です。
彼は逃げている最中に、大きな柱時計を見つけて、その中に隠れたのです。
外が静かになるまで大人しくしているつもりが、規則正しい時計の音につい眠気をさそわれて、
今の今まで眠ってしまっていたのでした。
部屋の窓から見える景色は、もう真っ暗です。
あんなに眩しかったおひさまは山の向こうでしょうか。
今はまんまるいおつきさまだけが青く光っているのが見えます。
「しまったなあ。早く帰らないとお父さんやお母さんにすごく怒られるぞ」
男の子は立ち上がって、うーんとからだを伸ばしてから、とりあえず歩き出します。
でも、お屋敷の中は真っ暗で、どう歩けば出られるのか全然わかりません。
しかも自分の息の音しか聞こえないくらい静かで、普段は元気いっぱいの男の子も少しだけ怖くなってきました。
そんな時です。
ふと男の子の耳に何か聞こえてきました。
――とうとうとふりつもるよ
――こうこうとふりそそぐよ
――それは ちいさなこおりつぶ
――それは おつきさまのあかり
それが女の子の歌だということにはすぐ気付きました。
毎日のように耳にしている女の子の歌を聴き間違えるはずがありません。
その歌声を頼りに、男の子は真っ暗闇の中を歩いていきます。
やがて男の子は大きな扉の前までやってきました。
どうやら歌はその中から聞こえてくるようです。
男の子がそっと扉に手をかけると、ほとんど抵抗なく扉は開きました。
最初に目に入ってきたのは、窓の向こうの大きな青いおつきさま。
そしてその窓際で、おつきさまのあかりを浴びながら、女の子は歌を歌っていました。
ふと歌が止まったのは、女の子が男の子に気付いたからです。
男の子は、つい見とれてしまって、しばらく息をすることすら忘れてしまいました。
女の子の可愛らしさを耳にはしていましたが、その話に負けるどころか、実際に目にしてみると、
それ以上に女の子は愛らしく、もう目を離したくないくらいでした。
ウェーブのかかった長い金髪はもちろん、男の子を見つめる青い目も、小さな鼻も唇も、
世界で一番腕のいい人形作りの名人が作ったのではと思うほどきれいな形です。
「あなた、だあれ?」
その唇が小さく動きます。
話し掛けられているのが自分だと気付くのに、男の子はしばらく時間がかかりました。
「ぼ、ぼくは、その。そうだ、きみに会いにきたんだ」
「あたしに?」
女の子は、大きな目をもっと大きくさせて男の子をまじまじと見つめます。
その視線がくすぐったくて、男の子はきょろきょろと辺りを見回して言いました。
「すごい数の楽譜だね。これ、ぜんぶ歌なのかい?」
「おとうさまがいろんな国のいろんな歌の楽譜を送ってくれるの」
「さっきまで歌ってた歌もそうなの?」
「うん」
女の子はうなづいてから、ドレスの裾を上げてぺこりと頭を下げます。
そうしてから、すうと大きく息を吸って目を閉じました。
その唇から、また静かに旋律が流れていきます。
――ことりさんにたずねます あなたはどこまでいくのかと
――ことりさんはこたえます いけるところまでいくのだと
やはり遠くから聞こえてくるのと、こうして目の前で歌ってもらうのでは違います。
その声はとても透き通っていて、心に形があるのなら、その中にどこまでも入り込んできそうな感じがしました。
歌が終わると、男の子は興奮した様子でぱちぱちと手を叩きました。
「すごい。やっぱり上手いなあ」
「ありがとう。あなたは、歌は好き?」
「もちろん。なんなら今ここで歌ってみせようか」
とりあえず歌う前には頭を下げるのだろうかと思い、歌いだそうとする前におじぎをします。
女の子が目に入ると緊張してしまうので、目を閉じてから普段と同じ調子で歌いだします。
――めしつかいからにげまどい にげろにげろでとけいのなかへ
――やみをさまよいあるいてきてみれば
――うたごえたよりにここへつく
――こんばんは おひめさま たのしいよるはこれからさ
歌の余韻がなくなってから、女の子は小さく手を叩いてくれました。
「ぼく、下手じゃなかったかな」
「わからない。あたし、他の人の歌を聞いたのははじめてだから。でも楽しそうだった」
そう言ってもらって、男の子はすごくうれしくなります。
普段と同じように歌ったおかげで、いつの間にか緊張もどこかへ飛んでいってしまったみたいです。
そんな男の子に、女の子はふとこんなことを言いました。
「あなたもたくさん歌を知ってるのね。どこの国の歌なの?」
「いいや、どこの国の歌でもないよ」
「でも、楽譜はあるでしょう?」
「楽譜もないよ。ぼくの家はお金がないから、楽譜なんて買えないんだ」
それを聞いて、女の子は不思議そうな顔をします。
「それなら、どうしてそんなにたくさん歌を知っているの?」
「うれしかったり楽しかったりしたら、それをぜんぶ歌にして歌っちゃえばいいのさ」
こんなふうにね、と言ってまた男の子はおなかに力を込めて声を出します。
――じゃがいも にんじん たまねぎ ブロッコリー
――たっぷりクリームのなかでおどらせれば
――おいしいシチューになるでしょう
――できたらぼくがたべるでしょう
歌い終わると、女の子は口元を押さえて言いました。
真っ白だったほっぺたがほんのりとピンクになっています。
「なあに、それ。おかしい」
「おかしくなんかないよ。ぼく、お母さんのつくるシチュー大好物なんだから」
「そんな歌、はじめて聴いたわ」
女の子は鈴の鳴るようなきれいな声で言いました。
女の子が笑うだけで、夜なのにそのまわりだけが明るく見えてくる気がします。
男の子はなんだか幸せな気持ちになって、こう言います。
「笑ったほうがずっとかわいいよ。歌うときも笑ったらいいのに」
「歌うときも? わからないわ」
「歌を歌うのが楽しくないの?」
「そういうわけじゃないの。でも、あたしはあなたのようには歌えないわ。あたしは楽譜がないと歌えないもの」
「そんなことないよ。楽譜にかいてある歌だけが歌じゃない。ぼくといっしょに歌おうよ」
「いっしょに?」
女の子はとまどったような声で言いました。
男の子はにっこり笑って、はっきりと言います。
「うん。いっしょにさ!」
差し出された手を、女の子はじっと見つめました。
気がつくと、窓の外で空があかるくなってきます。
夜が終わって、朝がやってきたのです。
また新しい一日が始まろうとしています。
「……うんっ」
山の向こうからおひさまが顔を出したのと、女の子が男の子の手を取ったのは同時でした。
二人はにっこり笑い合って、でたらめなリズムででたらめな歌詞の歌を歌い始めます。
――くらいくらいよるがあけたよ
――さむいさむいふゆがおわるよ
――うまいもへたもかんけいない
――たのしめるならもんだいない
――あけましておめでとう
――あけましておめでとう
――てをとったら やることはひとつだけ
――さあ いっしょにうたいだそう
それから、町に聴こえてくる歌には、おかしなリズムがたびたびまじるようになりました。
でも、その歌声は前よりもずっと明るいものになっていました。
それを耳にした人は必ず楽しい気分になってしまって、ふと気が付くと、自分でもその歌を口ずさんでしまいます。
そうして人づてに、その歌はどんどん広まっていきました。
その国だけでは留まらず、旅人を通じて隣の国、そのまた隣の国の人もその歌を歌うようになっていきます。
そして男の子と女の子が初めて一緒に歌ったその歌は、やがて遠い遠い国にまで伝わっていきました。
その遠い遠い国で、春が来るたびにその歌を口にするようになったのは、つい最近のことだということです。
おしまい
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遠い遠い国でほんとうにあったおはなし。
元気いっぱいの男の子と歌の好きな女の子の物語。
一言で言うと、
「あけましておめでとう」の由来、その妄想のお話。
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