No.135013

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~ 第十一章 冀州陰謀、交錯する想い

テスさん

注意:
 作品の都合上、よろしくない表現が含まれています。

 今回、作者の表現不足、勉強不足で、怪しい点が多々あるかと思います。それでも、楽しんで頂ければ幸いです。

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2010-04-07 22:21:47 投稿 / 全29ページ    総閲覧数:23738   閲覧ユーザー数:17519

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~

 

第十一章 冀州陰謀、交錯する想い

 

(一)

 

 暗闇の中、火の粉が舞い散る松明を掲げ、味方の陣に戻る部隊が一つ。その部隊は賊の砦を攻め落とす事も無く、目の前に現れた賊将に罵声を浴びせ続けた。彼等の目的は賊の力量を測る事。腹の底から声を出し、満足げな表情を浮かべる兵士達とは逆に、部隊を率いる武将は苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。

 

「……っ!」

 

 その武将は大よその見当は付いていた。だから仕事はすべて部下に任せ、己は本陣にて待機していた。だが戦況を伝えに戻った兵士の一言で、その紫紺色の帯を締めた腰を上げる事になる。義を愚弄し、飛んで来る矢から逃げ隠れ、誇りすら持たぬ臆病者に一言物申さんと。

 

 か弱き者を守る為、天高く義の旗を掲げた義勇軍。悪事を為した賊を問答無用で討伐する事が当り前のこの時代に――目の前に立ち塞がったのは、彼等もまたか弱き者達であると助けを求める自称、陳留の刺史の使い。

 

「義姉さん、どうするんです? あいつ等、助けを求めていた様ですけど?」

 

 副官の一人が見上げて、その将に話しかける。

 

「あぁ。助けを求める者に刃を向ければ、我等の義は一瞬にして飾りとなろうな」

 

「じゃぁ、黙ってあの賊を見逃すんですかぃ?」

 

「いや、お前はあの”賊”の言葉に耳を貸すか?」

 

 その女性は思う。あ奴等は”賊”なのだと。賊の言葉に一体誰が耳を貸すのかと。

 

「……貸したくねぇ。賊事を繰り返して来て今更助かろうだなんて、余りにも身勝手だ。調子が良すぎるぜ!」

 

「どこの世間知らずかは知らんが、純粋に助けを求めたとしても所詮、賊で在る事には変わりあるまい。耳を貸す方がどうかしている」

 

 だがその言葉とは裏腹に、女は難しい顔をしたまま物思いに耽ける。

 

「義姉さん、また何か考えてるんで?」

 

「何、恥を顧みず私に助けを求めた者に、我が主に相応しい徳があるかと思ってな。……ふむ、試しに助けを求めていると、そう伝えてみようか」

 

「親分にですかい? 困らせるのもほどほどにしてやってくだせーよ?」

 

 男から視線を外し遠く見据える。先程までの悔しさは微塵も感じられず、その瞳は強い決意を帯びる。

 

「――少しでも良いから子供達に飯を、か」

 

 守るべきモノが本当にあそこにあるとしたら、官軍を翻弄する強さも頷ける。守るべきモノの為にその身を賊に落とした相手に、義の旗を立てて戦えるのだろうかと、自分の胸に何度も何度も問い掛けていた。

 

 * * *

 

「……逃げ延びた」

 

 賊の本隊を前にして、一目散に退却して来た私達の姿を見て、城門の兵士達が慌ただしく走り去って行く。しばらくすると私の真名を大声で連呼しながら、愛する春蘭が全力で走って来る。

 

 長い黒髪を乱した彼女が、震えながら私を強く抱きしめる。安心させようと、優しく彼女の背を撫でながら体を離すと、彼女の瞳には薄らと涙が浮かんでいた。

 

「私なら大丈夫よ。傷一つ負ってはいないわ。春蘭、軍の編成をお願いできるかしら?」

 

「は、はぃ!」

 

 目を擦り走り去ると、入れ違いに秋蘭が駆け寄って来る。

 

「華琳様、そのお姿は――、それに……」

 

 疲れ切った兵士達を見渡し、眉を曇らせる。察しの良い秋蘭は出陣の時より数が少ない事に気付いたか……

 

「運悪く賊と接触してしまったわ。一刀達や爺様達が私達を逃がす為に……」

 

 だから一刀達や爺様達は、もう戻ってこない。だが目の前の現実が私を突き動かす。

 

「悲しみに暮れている暇は無いわ。……だから、だから気持ちを切り替え無くてはっ」

 

 ――目と鼻の先に賊がいる。私から尊く、大切な人達を奪った賊が!

 

「華琳様……」

 

「必ず殲滅してみせよう。捉えた賊はですべて首を刎ねよ! ――大切な人をこれ以上、奪われぬために!」

 

 * * *

 

 義勇軍と言う第三者が現れ、計算が狂う。

 

 賊の首領が一斉に集まった場所は、蒸し風呂の様な熱気に包まれていた。新たな選択肢が増えた為に、その価値を見定めようと二手に分かれて論じ合いが続けられている。

 

 ――降るのならば……義勇軍か、官か。

 

 賊に攻められ、官にも見捨てられた人々が行き着く先はどこか……。

 

「俺は官軍に降るなんてごめんだ! どうせ殺されるに決まってる!――俺達はあの義勇軍に降る!」

 

 その一言に、俺は無言を貫く事にする。とやかく言える立場では無いからだ。ただ俺は自信を持っている。華琳はきっとこの人達を見捨てないと。

 

 結局、話し合いは平行線のまま、各々に任せることに決まり、集まった人々がその場を後にしていく。

 

 大半の人達は罪を償いたいと、俺を信じて華琳の元へと下る。それ以外の人達は義勇軍へと下る事が決まった。

 

 

 

 

 話合いの後、俺は枷を外されたものの、何も無い部屋に軟禁されていた……。

 

 ふと気付けば、隣で声が聞こえる。

 

「――さん。――起きてくれ、北郷さん」

 

 いつの間にか眠っていたようで、肩を揺すられ何事かと目を開ける。

 

 ……この非常時に睡魔に負けて、眠っていたのか。

 

 目の前に居る男が興奮気味に叫ぶ。

 

「あんたの所の、曹操様の使いが来てくれたんだ! 曹操様ってのは、一体何者なんだよ!」

 

「へっ? 何者って……陳留の刺史だけど?」

 

 男が頭を抱えて仰け反った後、何やら痺れを切らした様に周りの男達に合図すると、突然男達が俺の手を掴み、勢い良く腕を引っ張る。

 

「ちょっ!?」

 

「兎に角、曹操様の使いに会ってくれ! 話はそれからでも良いから!」

 

 立ち上がる暇すら与えてくれず、仰向けになった状態で俺は部屋を後にした。

 

 

(二)

 

薄暗い廊下を早足で歩きながら、軍議を開く部屋に向かう。

 

「秋蘭。将の招集、済ませているでしょうね?」

 

「はい、急ぎ参る様にと伝えて居ります」

 

 部屋の扉を押し開けた瞬間、暗い部屋から鈍い音が響く。振動しながら戻る扉を後ろに、部屋の蝋燭に火を灯し、影波打つ地図の上で幾つもの策を頭の中で展開させる。賊を殲滅させる上策を得る為に、最も有効な手段でその息の根を止める為に。

 

 秋蘭に声を掛けられて、私は辺りを見渡す。

 

 ――時間が惜しい。

 

 幾つかの空席があるまま、私は軍議を開く事にした。

 

「火急の事態である。幾つもの官軍を敗走させて来た賊が目の前にまで来ている! 大切な仲間を、友を、愛する者を奪う輩を、この曹孟徳! いつまでも野放しにしておく心算は無い!」

 

 私は机を叩き吼える。この一瞬の存在ですら口惜しいと。

 

「どんな手段でも構わない!――賊を完膚無きに叩き潰す策は誰か有るか!」

 

 すぐに策を示せと言っても、口に出来る者などいない。分かっているとしても私は檄を飛ばす。

 

「誰もいないのか! お前達は何だ! ――この曹孟徳の将であろう!? 民を守る為に働かずして、その存在が許されると思うな! ……そんな事では、この陳留も他の街の様に飲み込まれるでしょうよ! お前達は、民をどん底へと突き落とす気か!!!」

 

 辺りを見渡せば、将兵たちは一文字に口を結び肩を縮こまらせている。

 

 ……この程度で、多くの者が畏縮してしまうなんて。

 

 この曹孟徳の足下に置くには……、まだ若すぎる。本来ならば爺様達の元で、もっと経験を積ませてやるべきなのでしょう。――だけど爺様達はもういない。

 

 爺様達の存在は私にとって頭痛の種でもあったのだけれど、居なくなったら居なくなったで頭痛の種とは……。

 

 今回はそれが芽を出そうしているのか、内側からじわじわと圧迫し、酷い頭痛が私を襲う。

 

 そんな最中、兵士が勢い良くこの部屋の扉を開け放つ。

 

「伝令! 曹操様、大変でございます!」

 

「何事か!」

 

 その兵士は緊迫したこの状況下で、場違いにも甚だしい満面の笑顔を浮かべて叫ぶ。

 

「――御帰還! 死んだと思われていた将七名が北の城門に!――御帰還されました!」

 

 体は独りでに動いていた、その伝令を突き飛ばし、全力で城門へと向かう。

 

 ――あの状況で生きて帰って来たというの?……どうやって!?

 

 

(三)

 

 ぼんやりと道を照らしていた松明が、私の後ろで悲鳴を上げるように激しく揺れる。

 

 一体どれ程の灯りが私の横を流れて行った事か。永遠に続くかのような城壁を一目散に駆け抜けると、北に位置する城門に多くの兵士達が集まっていた。

 

 私に気付いた兵士達が畏まる中、見飽きた顔の前で靴を滑らせて止まるも、息が上がり、声が出ない!

 

「我等、姫の命令を守る為、帰還致しましてございまする」

 

 爺様達が勇ましく、ニカリと歯を見せる。

 

 息を整えるのも惜しいと、私は声を発する。

 

「よく無事で、戻って来てくれた!――心から礼を言う!」

 

 だがそこには一刀の姿は見当たらなかった。

 

「一刀は?……北郷一刀は、どうしたの!?」

 

「はっ! 北郷殿は我等を逃す策を思い付いたと仰り……」

 

「策?」

 

 

 

 

 爺様達の説明を受けた途端、徐々にイライラが募り始める。

 

「――賊を、助ける……ですって?」

 

 私は手に持っていた戦略用の石を思いっ切り地面に叩きつける。

 

 ――どういう考え方をすれば、そうなるのよ!

 

 確かに策が失敗しても、将七人は無事。数少ない将を失うのはまずいと考えた彼の判断なのでしょう。だがもし受け入れの態勢が整えられなかったら、どうする心算だったのか!――それは陳留の民を危険に晒す事に他ならない。

 

 受け入れずに攻める?――まさか!

 

 この曹孟徳を利用し、試す様な策を一刀が?……まさか一刀、嫌でも私が賊を受け入れる状況を作り出した訳じゃないでしょうね!?

 

 ……どうやらこれは、お仕置きという名のご褒美が必要のようね、一刀!

 

「この曹孟徳の器を量り、知らしめる気か!――面白い!」

 

 爺様達が言うには、目の前の賊は助けを求めるも受け入れを拒まれ、官に見捨てられた民だと言う。その身を賊に落さざるを得なかった。

 

 ――つまりそれは、腐敗したこの国の被害者。

 

 一刀の言う通り首を刎ねず、罪を償わせて生きる機会を与えてやっても良いでしょう。

 

 それに他の官軍が手古摺り、その幾つかは敗走までした賊だ。戦わずに賊を降らせる事が出来れば、我が名はこの兗州一帯に一気に広まる事になる!

 

 賊を配下にしたと、私の事を馬鹿にする者もいるでしょう。だが真の意味にまで辿りつける者がこの兗州にどれ程いるか!……その器を試す手間も省けるというもの。

 

 それだけでは無い。他で受け入れを断られ、賊とならざるを得なかった難民をこの曹孟徳が受け入れるのだ。――曹孟徳は今までの役人とは違うと、その目と肌で感じ取った民から多くの支持が得られる筈だ。これで政策にも勢いが増すというもの。

 

「――姫様、どうか会談の場に足をお運びくだされ!」

 

「必要無いわ」

 

「――姫様ぁぁぁ!!!」

 

 目の前の七人が一斉に大声を上げ、この私に説教を始める。

 

「し、静まりなさい!……勘違いしないで頂戴。会談など、そんなまどろっこしい事は不要だと言っているの」

 

「そ、それでは!?」

 

「難民の受け入れの準備を。その心と腹に曹孟徳の名、しっかりと刻み込んでやりなさい」

 

「――姫様ぁぁぁ!!!」

 

 今度は私を一気に褒め称える。爺様達も調子良いわね……。

 

「秋蘭、早馬を放ち彼らに伝えなさい。曹孟徳は貴方達を難民として受け入れる用意があると。念のため斥侯も放ち、軍の準備も進めておきなさい!」

 

 

(四)

 

 劉の旗が音を立てて靡く本陣に戻って来た女が、数人の兵士を連れて人混みの真ん中を突き進む。向かう場所は義勇軍の幹部達が集う天幕。

 

「失礼する!」

 

 天幕に入って来たその白い姿を確認すると、一番奥に座る若い男が微笑み、立ち上がって彼女を迎え入れる。

 

 周りに座る男達がした貪らしい鎧とは違い、傷一つない鎧を身に付けたその男は、首まで伸ばした黒い髪も不快にならない整った顔立ちをしていた。

 

 この義勇軍を率いる大将であり――名は劉備、字は玄徳と言う。

 

 劉備の前に立った女が第一声を放つと、誰もがその一言を理解できず、口を開けたまま目を丸くする。

 

 この男も例外では無かった。まるで時間が止まったかの様な静寂に包まれた後、野太い野次が一斉に飛び始める。

 

「何を馬鹿げた事を言っている! 賊を助けるなどと! そなたの仕事は奴等の力量を図る事ではなかったか!」

 

「ま、まさか……、あの官の犬に感化された訳ではあるまいな!」

 

 叫んだ男達は顔を真っ赤にして、己の主人の前に立つ女を睨みつける。女はその予想通りの反応にただ目を瞑り、劉備がどう判断を下すかと耳を傾けていた。

 

「まぁ待て。で、その力量とは如何程だった?」

 

 男はゆっくりと腰を下ろしてから女を見据える。女は目を開き答える。

 

「我等が圧倒的有利なのは目に見えて居りましょう? 戦わずして投降させること上策。無理に犠牲を払う必要もありますまい」

 

 討伐馬鹿では話にならんと周りを見渡し、挑発するように助言する。

 

「戦わずして、投降!? そんな事ができるのか!――凄いじゃないか!」

 

 男は己の膝を叩き、目の前に居る女性に熱い視線を送る。

 

「ですが劉のアニキ。俺達義勇軍の行動を愚弄する女が……」

 

「何! それは捨て置けないな……。何処のどいつだ?」

 

「確か陳留の刺史の配下だって言ってたぜ?」

 

「陳留っていやぁ、おっかねぇ刺史がやって来た所じゃねぇか」

 

 天幕でその話を聞いた男達が首を傾げる。何故役人の下っ端が、賊の先頭で自分達の事を馬鹿にしているのかと。

 

「其奴は何故賊と一緒に行動している?――罠と取るにも不可解だ」

 

「縁あってと、言っていたが……」

 

 突然、将の一人が自信有り気に答える。

 

「この辺り一帯に討伐命令が下りましたからな! 彼等も討伐を考えていたのでしょう。そして賊共と一緒に居ると言う事は!」

 

「――事は?」

 

「一騎打ちに敗れて、捕虜となったのでしょう!」

 

 それは傑作だと言わんばかりに笑いが溢れる。だが、唯一人真面目な顔を崩さない女は淡々と告げる。

 

「捕虜があれほど自由に動き回れる筈があるまい。……陳留の刺史はあれを自らの懐へと、囲い入れる心算なのでしょうな」

 

 信じられない話だが、もしそれが本当だとしたら?……しばらく沈黙が続いた後、誰かが叫ぶ。

 

「だとすれば、陳留の刺史の名は一気に上がる事に。それは非常にまずい! 民の心が俺達からそいつに流れちまう」

 

「あぁ。洒落にならんぞ。……それにあそこじゃ俺達の資金源になってくれている同志が、かなりやられている。このまま黙っている訳にもいかんのではないか、劉備?」

 

「うーん、確かに仇を取ってやらなきゃ、侠が廃るか」

 

 劉備が発したその一言に、女が目を見開く。

 

「あの者達は助けを求めている! 己の為にと討伐すると言うのか! 劉備殿、徳高き者を目指すと言ったあの言葉。まさか忘れた訳ではありますまい!?」

 

「うっ! できればそうしてやりたい。だが他との兼ね合いもあるんだ。すまんが今回はそう単純にはいかない」

 

 これは仕方が無いと、周りに居る男達全員が頷く。

 

「そういうことですぜ、義姉さん。相手の都合ってのがあれば、こっちの都合ってのもあるんですぜ。――それよりも、その陳留の刺史に借りを返すには良い機会じゃねぇですか!」

 

「そうだな。賊を討伐すれば我等の名も上がり、同胞の仇も討て、あの賊共を利用としている役人に一泡も二泡も吹かせてやれる。……賊を助けた時の事を考えれば、甘い事を考えていると馬鹿にされ、貴重な糧も分けてやらなきゃならねぇ。余り実がねぇなぁ」

 

「決まりだ、俺達は融資して貰った者達の恩に報いることにする!――彼らには申し訳ない。我等義勇軍は、これを乗り越え、賊にも官軍にも負けないくらい強くなろう。沢山の仲間を助けるために!」

 

 その一言に力強く頷いた者達を、その女性は厳しい表情で見詰めていた。

 

 

(五)

 

「北郷殿、健在で何よりでございます」

 

「御心配をおかけします。……もしかしてその声は、密書を運んでいた密偵さん?」

 

 首を縦に振った男は、笑みを浮かべながらやれやれと溜息を吐く。

 

「その一言は、この危機を乗り越えてから我等が主の前で言って下され。北郷殿、一刻を争いまする。すぐさま難民を引き連れて、陳留へと向かいましょう」

 

「こんな夜中に?……どうして?」

 

「劉の旗を掲げ、義勇軍と名乗っておる輩ですが……、陳留の役人を良く思わぬ商人達から資金の提供を受けていることが、我々の捜査で判明しております。あの劉の輩が我々の策に気付けば、それを阻止せんと必ずや攻めて来るでしょう」

 

「――まさか」

 

 俺はそれが信じられなかった。だが男は俺を急かす。

 

「私と入れ違いに数人が去ったそうです。知られるのも時間の問題でありましょう。義勇軍と名乗ってますが、どうせ下手な言い訳を考えて、攻めて来るに違いありませぬ……、さぁ早く!」

 

 

 

 

 皆が集まる中、急かされながら事情を説明する。

 

「攻め込まれれば半日ももたない。逃げるなら今しかない!」

 

 曹孟徳に魅せられた彼等にもはや迷いなど無く、水とほんの少しの食糧を持って陳留へと向かう。暗い夜道に長い行列ができる。子供達が眠い目を擦りながら、手を繋がれ急かされながら歩いて行く。年老いた人達も少しずつ、ゆっくりと杖をつきながら陳留を目指す。

 

 彼等と歩いていてふと思う。俺達が逃げた事を知って、ここまで追いかけて来たら……、守るすべは無く一瞬にして飲み込まれてしまう。

 

「……考えるだけでも恐ろしいな」

 

 それに、もしもだ。もしあの人がこの人達を助けようと動いてくれていたら?……この状況を説明する必要があるだろう。助けを求められ、いざ来てみたら無人だった。それではあまりにも失礼だ。

 

「北郷殿、如何なされました!?」

 

「さっきの拠点に戻って時間を稼ごうと思う! それに少し思う事があるんだ。心配せずにそのまま華琳の元に向かってくれ!」

 

 

(六)

 

 誰も居なくなった拠点の扉を開け放つ。

 

 ――通じるか?

 

 すべての扉が開かれ、異様な静まりをみせる拠点を前にして、相手は逃げたと判断するか。それとも何かの罠かと警戒するか。迷ってくれれば少しでも時間稼ぎになる筈だ。

 

 一息つこうと部屋の椅子に腰かける。身体を動かしている時は何とも無かったのに、座った途端、物凄い勢いで思考が溢れ、時間が経つに連れ不安が募っていく。

 

 とうとう耐えられなくなって、逃げるように外に出る。だが外に出ても不安は消えなかった。風が吹くと不気味に木々がざわめき、ぱちりと乾いた音がした瞬間に身構えてしまう。

 

 ――帰りてぇ!……夜がこんなにも怖いなんて、正直思わなかった!

 

「……ん?」

 

 外で何か動いた様な気がしたのだが……、錯覚かと思って目を擦る。再び目を開き、小さな穴を見るようにじっと暗闇の中を見続ける。

 

「はぁ……、気のせいか」

 

 力を抜き、椅子に腰を下ろそうとした瞬間、突然の銅鑼の音が鳴り響く。驚いた勢いで座り損ねて転んでしまう。

 

「――何だ!?」

 

 闇の中に炎が浮かび上がると、それを中心に次々と周りに飛び火して行く。気付けば圧倒的な数の炎が、ゆっくりとこの拠点を囲むように移動して来る。

 

「攻めて来たのか……。俺の馬鹿!」

 

 もしかしてという気持ちを抱いて戻った、なんて華琳に知れたら、絶対に怒られるだろう。

 

「こりゃ、いろんな意味でやばいかも」

 

 気持ちを切り替え、攻めて来た目の前の敵に集中する。此処に居た人達を、自分達の為に殺そうとやって来た奴等は、正真正銘の賊だ!

 

 身を屈めて、この絶対的不利な状況からどう逃げ延びようかと考えている最中、攻めろだの、危ないだの、様子を見ようだの、囁く様な声がハッキリと聞こえる。

 

 ――どうやら時間稼ぎにはなっている様だな。

 

 相手が攻めあぐねている中、とある声が俺の鼓膜を震わせた。

 

 

(七)

 

「おい、罠じゃないのか?」

 

「逃げたんだろ? 無人だって!」

 

「……おい、なんか動いたぞ。罠だ!」

 

 誰もが慎重になっている。賊を討伐する為にやって来たまでは良かったが……、この暗闇の中、扉という扉がすべて開かれている。

 

 私はこの状況に笑みを浮かべる。

 

 我等が助けに来ると信じ、扉を開放している? いやいや、こんな真夜中に助けてやると我等がやって来る筈が無かろう。我々が攻めて来ると読み、この拠点を捨てて逃げたのだ。つまり、あの拠点は蛻けの殻。

 

 冷静に考えれば分かる。攻められれば勝ち目は無い。ならば嘘を吐いて、その隙に尻尾を巻いて逃げようと。

 

 では何処に?……考えられるのは陳留。だがそんな事はどうでも良かった。助けを乞うたあの女が、尻尾を巻いて逃げたという事実に私は安堵していた。

 

 私は沈黙を守る。

 

「お前たち、言ってた事が違うじゃねぇか!」

 

「――そ、そんな筈は!?」

 

「まさか、罠じゃないだろうな!」

 

「お、俺達は官軍に恨みがある! だから義勇軍に来たんだ! ほ、本当だ! 信じてくれ!」

 

「仲間を見捨てる様な奴を、信じろと言うのか!……構わん、斬り捨てろ!」

 

「まぁ、待た――」

 

 だが、私はその台詞を途中で飲み込む。突如闇に響いたその声に、私は震えた。

 

 ――そ、そんな!?

 

 何故、如何して! 何の目的であの者が此処にいる! もはや無縁のこの者達を、何故お前は守ろうとする!?

 

 雲の切れ間から輝く月が顔を出す。その月光に照らされた姿が、声のした方から浮かび上がる。

 

 怖い……。

 

 ほれ見ろ。我々を信じ切れずに逃げたのだろう?――そう思いほっとした自分が、驕った自分が醜い。

 

 再びあの者に、私の存在を否定されるのではないかと。私にもう逃げ場は――。

 

 突然、私の肩に手が置かれる。

 

 ハッとして振り向かねばならぬほどに、動揺していたのか……この私が。

 

「我等には大事な使命がある! だが何も知らぬ小娘が、我々の誇りを踏みにじる。見てくれ、皆が辛そうにしている! 頼む。どうかあの者を黙らせて来ては貰えないだろうか?」

 

 落し前をつけてこいと、劉備殿はそう仰りたいようだ。

 

「……気が乗りませぬが、自分で蒔いた種、刈り取って参りましょう」

 

 私は赤い愛槍を強く握りしめ、賊の砦へと向かった。

 

 

(八)

 

「官が信じられないからと仲間と別れ、お前達に救いを求めたんだぞ!――それを裏切者扱いかよ!?」

 

 俺は怒りに任せて言葉を吐き捨てる。その義の旗の下に隠れているものは何かと。義の文字を巧妙に飾り付けた賊ではないかと。

 

 言いたい事は言った! もうこの場所に用は無い。急いで離れようとした瞬間、俺は逃げ遅れた事を知る。

 

「すまぬが、そろそろ黙って貰おうか?」

 

「この声は……昨日の!」

 

 振り返ると、闇の中にぼんやりと白い姿が浮かび上がる。

 

「私はお前達を助けてやると、一言でも言ったか?」

 

「なっ、あの状況で!……いや、御自慢の劉備殿は義の旗を掲げるが、己の利欲に動く獣だった様だな」

 

「――黙れ! 貴様に何が分かる!? 理想は尊い! だが犠牲無くして理想など語れぬ! それが現実だ!」

 

「間違えてはいない! でも――」

 

 輝く月が再び雲間から現れ、辺りをぼんやりと照らす。見覚えのある目の前の女性に色んな気持ちが込み上げてくる。

 

「――今回は誰かが犠牲になる必要なんて無いんだ! 趙雲!」

 

 しばらく沈黙が続いた後、彼女は話を変える。

 

「ほぅ、我が名を知っているのか……」

 

「――どうして君が!?」

 

 まさか趙雲がこんな所にいるなんて思いもしなかった! しかし彼女は劉備と行動を共にしている。俺の知っている歴史から大きく外れてしまっているのだろうか?

 

「私が何処に居ようと貴公には関係無かろう」

 

 だが彼女は俺の問いに答えてくれない上に、笑みを浮かべて槍を手にする。

 

「真面目に答えてくれ! 君は己の理想を追求し、高みを目指す誇り高き昇り竜! どうして――!」

 

「私を煽てて命だけはと……、下らぬ策でも思い付いたか?」

 

「――っ! 彼等は喜んで賊に身を落とした訳じゃない! 子供を、親を、愛する人を守ろうとする人達を、君は崖から突き落とそうとするのか!? 趙雲、答えてくれ!」

 

「ならば聞こう! その者達に愛する者を奪われた者達はどうする!?――仕方無かったと、済ませる心算か?……ふざけるな!」

 

「違う! 君は分かっている筈だ。この――」

 

「もう何も言うな……。問答は終わりだ。その魂、我が槍に宿し共に生きよ」

 

 愛槍を構え、深く腰を落とす。

 

「それが君の答えなのか……。なら君から預かる真名、返上させて貰う!」

 

「――!?」

 

 目を見開いて驚くのも一瞬、構えを解き、嘲笑めいた彼女の口元から言葉が紡がれる。

 

「っと、一瞬驚いて見せたが……くくっ、私が預けた真名を返上する? そのような戯言――」

 

 逃げようと動いた瞬間、驚くべき速度で間合いを詰めた彼女に後ろ髪を掴まれると、地毛を何本か引き千切りながら、今までどうやっても取れなかったつけ髪がするりと外れる。

 

 手元に残ったつけ髪を見て目を見開いた後、思い出した様に此方に振り向く。

 

「さよならだ、星!」

 

 その瞬間、彼女の赤い瞳が揺れた気がした。

 

「――ほ、北郷?」

 

 彼女が立ち止まっていたのも一瞬、慌てて俺を追いかけて来る。

 

「待て!――北郷!」

 

 その呼び止めを無視して一目散に走る。だがほんの数秒のハンデなど物ともせず、彼女に一瞬で追い付かれ腕を掴まれる。

 

「くそっ! は、放せ!」

 

 振りほどこうとしても離れず、しっかりと掴まれ動きを封じられてしまう。

 

 ……ここで時間を取られる訳にはいかない!

 

 腰にある胡蝶ノ舞に視線を落とすと、彼女がほんの一瞬表情を曇らせ、俺を地面に叩きつける。起き上がる前に素早く俺の上に跨り、襟首を掴むと唾を飛ばしながら叫ぶ。

 

「北郷、質問に答えろ! 何故賊と行動している!」

 

「知らないとは言わせない! あの賊を率いていたのが君だったなんて――、放せ!」

 

「落ち着け!――何を勘違いしている!」

 

「勘違い?――ならどうして俺の問いに答えてくれない! 何故話をはぐらかす! それはつまり……、もう俺の知っている君じゃ無いって事だ!」

 

「そ、それは、賊だと思ったからで! それに先頭にいる賊将が女子の様な姿をした北郷だとは! い、いろいろと事情が! 頼むから、私の話も聞いてくれ!」

 

 ふと気付けば、彼女の声が震えていた。

 

「……お願いだから、私の真名を、――私を、否定しないでくれ」

 

 

(九)

 

 ――泣かしてしまったのか?

 

 襟を掴んでいた力が緩み、震えた声で俺の名を呼ぶ。もしかして俺は彼女に、間違ってもしてはいけない事をしてしまったのでは……。

 

 何か声を掛けなければと、彼女の名を呼ぼうとした瞬間――

 

「――という訳で、落ち着いたか北郷?」

 

 先程の湿っぽく震えた声が嘘の様に、ケロっと乾いた口調で趙雲が話しかけて来た。

 

「――嘘泣きかよ! 最悪だ!」

 

「変わらぬな北郷。そして私の涙も捨てたものではない。嬉しい限りだ」

 

 ――女の涙に勝てる男なんているのかよっ!?

 

 彼女は本当に嬉しそうに微笑んでいる。逆にここまであっさりされると、呆れて物も言えない。力が抜け、大の字になった俺の上で彼女が語り始める。

 

「私は今、劉備と名乗る者に頼まれ、その者と共に行動している」

 

「劉備か……。関羽と張飛も傍にいるのか?」

 

「いや、その二人の名は聞いた事はないな。劉備殿は徳ある者を目指したいと、旅をしていた私に助けを求めて来たのだ」

 

 劉備の傍に関羽と張飛がいない? まだ出会っていないのか、それとも俺の知っている劉備とは違うのか。……同姓同名? そんな偶然が?

 

 謎が謎を呼び、頭がぐるぐると混乱し始める。

 

「その男を育て、徳ある主にするのも一つの手だと思ったのだが……、なかなか思い通りに行かぬ」

 

 ……この世界に来て、名を残す人物はそのほとんどが女性なのに、劉備は男なのか。って、話が違うよな?

 

「話が変わってないか? どうして俺の問いに答えてくれなかったんだ?」

 

「うっ、確かに。だが北郷、冷静に考えろ! 賊が助けを求めても、誰も聞く耳は持たぬ!――その言葉を信じて近付いてみろ。立ち所にその牙の餌食となろう?」

 

「そんな事は無い! 事実華琳は彼らを難民として受け入る!」

 

「そ、曹操殿だと……!? だ、だが今回は運が良かっただけだ! 曹操殿は何かしら考えがあるからこそ、賊を受け入れるのだ。この時代に苦しむ者すべてを受け入れられる筈もない!」

 

「でも今回は、助けられるんだ!……それだけで十分じゃないか」

 

「――!? ううっ……。い、今は……、曹操殿の元に?」

 

 彼女は気まずそうにした後、口籠りながら聞いてくる。

 

「あぁ、今は客将として彼女の元に身を置いている」

 

「客将……」

 

 何故かほっとした趙雲が思い付いたように質問する。

 

「そ、そうだ! 他の者は攻めて来ると気付いて、此処を捨て逃げたのだろう? どうして北郷は逃げずに此処に残っていたのだ?」

 

「それは……、俺が助けを求めたんだ。いざ来てみたら、誰もいなかったじゃ失礼だろ? この状況を説明する誰かが必要だと思ったんだ」

 

 苦しそうに小さな声で唸り始めた趙雲が、核心を突いてきた。

 

「……何故、女装している?」

 

「話せば長くなる。いろいろあったから……」

 

その一言に耳をぴくりと動かすと、彼女が目を閉じて大きく息を吸い込む。

 

「私にもいろいろあったのだ!――お前は私の事を理解せぬままに、真名を返上すると言うのか!?」

 

 趙雲が俺の刀を引き抜き、それを俺の首元に当てる。

 

「――ちょ!」

 

「――認めん!……それと私の真名を口走った事、訂正しろ! ――絶対に認めん! 返すと言うならば、その眼に確と、この子龍を映してから言え!」

 

 途中ぶつぶつと口籠りながら、負けじと必死に俺を睨み返すその瞳が、暗闇の中でも光を帯びて揺れている。

 

「時間がない。訂正するのだ!――北郷!」

 

「わ、わかった。――て、訂正する、訂正する!」

 

 趙雲が深く息を吐きながら肩の力を抜き、刀を鞘に戻した瞬間、この拠点に侵入してきた男達に囲まれる。

 

「義姉さん! 大丈夫ですかい!」

 

「……あぁ、この者を劉備殿に引き合わせたい」

 

 

(十)

 

 俺は趙雲に連れられて劉備の前にいた。

 

「……これは、どういう事ですかな? 趙雲殿」

 

「これは我が友で北郷と言う。……どうか命だけはこの子龍に免じて、助けてやっては貰えぬだろうか」

 

「趙雲殿、我等はその者に愚弄されたのだぞ! 許せる筈がなかろう!」

 

「……だが、この北郷が言った事も一理あるのではないか? 我ら義勇軍が利に動いたが為に、このような結果になったのだ。それにこの者は私が一目置いている男、必ず劉備殿のお役に立つ筈」

 

 突然男の一人が声を荒げる。

 

「此処に居る子龍殿は、我等に真名を預けぬ! その信用ならぬ者を、我々に信用せよと言うか!?」

 

 俺は我慢ならずに男に叫ぶ。

 

「ふざけるな!――真名を何だと思って――!」

 

 ふわりと宙に浮き、物凄い力で地面に引っ張られる。背中に衝撃を受けて目を開けると、星空が広がっていた。俺の身に何が起きたのか一瞬理解できなかった。

 

「ではこの馬鹿の命を助ける為に、真名を劉備殿に預けよと?……そう仰りたいか」

 

 俺はゆっくりと起き上がり、目の前の男を睨む。

 

「な、なんだ! 貴様、その目は!」

 

「お前達は、信用や信頼が一瞬で手に入るとでも思っているのか!」

 

「黙れ、北郷! 立場を弁えろ!……さて劉備殿、返答をいかに」

 

 趙雲は素っ気なく劉備に問いかける。

 

「――男、名を何と言う?」

 

「……北郷一刀。この国の生まれじゃ無いから、字や真名は無い」

 

 俺の名を聞いた男達が何やら顔を見合せている。

 

「珍しいな。……北郷か。良し良いだろう。お前もこの義勇軍の端に加えてやるとしよう。これで構わないか? 趙雲殿」

 

 その一言に趙雲は満足そうに首を縦に振る。

 

「己の非を認め、相手の非を許す。徳ある者を目指すと言うだけの事はある。本物の男でなければ中々出来ぬ事ですぞ、劉備殿」

 

 

(十一)

 

 こうして俺は趙雲の嘆願と劉備の計らいにより、この義勇軍の末端に加えられることになった。勿論、俺の風当たりは良い筈も無く、手荒い歓迎を受けることになる。

 

「おい、新入り! 俺達の荷物、さっさと運べよ!」

 

 義勇軍では飯に困る事は無かったが、仕事と言えば荷物持ちや、パシリなど……。つまりは便利屋だ。肉体的に辛いだけで、身体を動かすだけが仕事だ。

 

 華琳の事を思い浮かべ、一つ溜息を吐く。

 

 どれだけ彼女が俺の事をこき使っていたのか良く分かる。だがそれは責任が重く圧し掛かる仕事でもあり、また民の幸せに繋がると心の持ち様で頑張れた。

 

 だが此処では仕事の愚痴をこぼす事はできない。文句の一つでも吐けば、俺の手で趙雲の顔に泥を塗る事になるからだ。

 

 ――そしてその事を知っている男達の行動は、……容赦など無かった。

 

 突然鍛練だと言って、俺に向かって真剣を振り下ろす者もいた。多少武芸の嗜みが合っても、素人相手に無傷でいるにはさすがに難しかった。

 

 ……明らかに強そうな奴が出て来た時は、大怪我をする前に尻尾を巻いて逃げた。その姿を馬鹿にされ、大笑いされた事もある。

 

 趙雲はと言うと、あれから全く話をしていない。見かけて声を掛ければ、困った顔をして手を振って歩いて行く。近くで声を掛けても、忙しいと言って俺から逃げるように離れて行く。二人きりになる事を露骨に避けている様子だ。

 

 そんな彼女は率先して前線に出向き、多くの賊を蹴散らしていた。末端の人間にとっては、彼女は雲の上の様な存在だという事を、周りの反応を知って初めて気付かされる。

 

 ……彼女はこの義勇軍で劉備を御旗とし、賊退治に明け暮れる心算なのだろうか?

 

 彼女の真意も問えぬまま、季節は少し肌寒い春から、花開く季節へと移ろう。

 

 

(十二)

 

 手荒い歓迎も落ち着き、この生活にも慣れ始めた頃、義勇軍は兗州を離れ冀州へと入る。

 

 目的の村に到着した義勇軍は村の外に陣を構えることになり、俺達は天幕を張る作業を始めた。村の人達が劉備に深々と頭を下げているのが遠目に見えた。

 

 一夜明け、俺達には待機の命令が下っていた。その次の日も。そのまた次の日も……

 

「……平和だ」

 

 誰かがそう呟いた。

 

 此処に来て、誰かが欠伸をすると他の誰かが欠伸をするという、欠伸伝染症が義勇軍の中で流行していた。至って平和な日常が流れているのだ。

 

「……賊なんて本当にいるのか?」

 

「さぁ~なぁ~。お偉いさんの話じゃ俺達が来たから、鳴りを潜めてるんだろって話だぜ?」

 

 幹部連中は長期戦を覚悟したという噂だ。その日も待機の命令が下っていた。

 

 村でも見て回るかと、俺は数人の中に混じり、攻撃を受けた傷跡が残る村に足を踏み入れる。目の前にあった店の中に入って行った男が突然叫んだ。

 

「……うわっ、何だこの高い値段は!」

 

 その声に釣られ俺も店を覗く。商品の横に置かれた値札に目をやり、不覚にも同じ台詞を叫んでしまう。

 

「すいません。近頃は品薄で、物の値が上がっておりまして……」

 

 この義勇軍は自軍を養える兵糧を用意してはいるが……、勿論、現地で調達もする。村人の数に比べ、遥かに多い義勇軍が物を求めれば、物の値は上昇していく。

 

 義勇軍が転々とするなら、それほど心配する事では無いのだろうけど、長期に滞在するとなると話は別だ。

 

「なぁ、これってやばくないか?」

 

「大丈夫だろ? さっさと賊を見つけて討伐すれば良い話じゃねぇか。末端の俺達が考えるだけ無駄ってもんだぜ、新入り?」

 

 

 

 

 彼等と別れ一人村の中を歩くと、壊された家を直す村人や、怪我をした村人達を目にする。村の子供達にも元気は無い。たまたま俺と目が合った少女が話しかけて来る。

 

「義勇兵のお兄ちゃん、盗賊を追っ払ってくれるの?」

 

 目線を並べ、優しい口調で答える。

 

「そうだよ、この義勇軍は苦しんでる人達を助ける為に、悪い賊をやっつけに来たんだ」

 

「じゃぁ、もうすぐ賊がいなくなるの?」

 

「今、隠れている賊を頑張って探してるよ、もう少し待っててくれるかな?」

 

「うん!」

 

 少女の頭を撫でて立ち上がる。

 

 悔しいけどこの義勇軍は、多くの人を賊の手から救っているのだ。以前の事は許せない。でもこの時代に困っている人達を助けようとしている。それは評価しない訳にはいかない。

 

 何時までも引き摺っている訳にはいかない。俺はこの義勇軍で何が出来るだろうか?

 

 

(十三)

 

 斥侯を放った甲斐も無く、依然として賊の手掛かりが見つからない中、この村に官軍が到着した。

 

 義勇軍と比べて立派な鎧を身に付けた部隊が村の中へと進軍して行く。義勇軍の幹部達も慌ただしく其方へと向かったそうだ。

 

 彼等が来て、義勇軍にそれほど変わった事は無かったのだが……

 

 数日経った頃、夕食を取っていると、物影から村の子供達がこちらをじっと見ている事に気が付いた。

 

 ……何をしているんだろう?

 

 そう思っていると、子供達に気付いた兵士の一人が大声を上げて追い払ってしまう。

 

 そんな目くじらを立てて子供を追い返す奴が何処にいるかと、周囲から笑いが溢れる。

 

 だが次の日も、その次の日も。子供達が義勇軍を見ていた。その事に誰かが苦情を言ったようだ。その事に気付いた村の大人達が、細い腕を掴み強引に連れて行く。

 

「いい加減にしないか!」

 

 さすがにその光景を目の当たりにして、誰かが少し可哀想だと呟いた。

 

 その次の日の夕食時、俺は子供達の一人と目が合う。痩せた男の子だ。何度言っても分からん阿呆だなと、兵士達が子供達を眺めながら飯を食っていた。

 

 俺は前から疑問に思っていた事を聞こうと、その少年に近付いて腰を落とす。

 

「如何したんだ? 此処に居るとまた怒られるんじゃないのか?」

 

 俺の問い掛けに男の子はどう答えたら良いのか、しばらく言葉を探した後……

 

「お兄ちゃん、お腹減った……」

 

 その言葉は、少年の純粋な願いだった。

 

 

(十四)

 

 驚愕の事実を知った俺はしばらく動けなかった。

 

「ご飯食べて無いのか?」

 

「僕だけじゃ無いよ。皆――!?」

 

 詳しく話を聞こうとした時、大人達がやって来る。

 

「また迷惑かけやがって!」

 

 子供の頭を打とうとした大人を止める。

 

「待ってくれ! それより聞きたい事がある。もしかして子供達が義勇軍を覗いていた理由って……」

 

 その男は説明を渋ると、後からやって来た他の村人に助けを求める。近付いてきた男が声を潜めて言う。

 

「碌に飯を食わせてやれませんで、皆腹を空かせておるのです。飯の匂いに釣られて子供達が顔を出しているのです……」

 

「義勇軍がやって来た頃は、そんな事は無かっただろ?」

 

「はい」

 

「なら、どうしてこんな事に?」

 

「……申し訳ございませぬ、理由は言えませぬ」

 

 そう言って、彼等は去ろうとする。

 

「……少しだけ、待っていてくれないか?」

 

 俺は炊き出しの列に並び、配膳の男に理由を説明して何回も頭を下げる。

 

「しばらく夕食抜きで構いませんから!……今日だけでも子供たちに飯を分けてやって下さい! お願いします!」

 

 配膳の男が少し嫌そうな顔をしながらも、

 

「今回だけやぞ……」

 

「――ありがとうございます!」

 

 子供達の飯を装ってくれる。それを両手に持ち、

 

「おら、そっちの二つ持たんかい。飯冷めるやろが……」

 

「す、すいません!」

 

 子供達の元まで運ぶのを手伝ってくれた。口は悪いが根は良い人のようだ……

 

 男はそれを子供達に手渡すと、自分の仕事へと戻って行く。

 

「――ありがとうございました!」

 

俺は配膳の人に頭を下げて、子供達に向き合う。

 

「きっとこれも何かの縁だ。此処で食べていくと良いよ」

 

 子供達は傍に居る大人達を見上げる。その姿を見て大人達は良かったなと言って子供達の頭にそっと手を置く。

 

「いただきます。……温かくて、とっても美味しい!」

 

 決して美味しいとは言えない味付けなのに、それを美味しいと言って俺に笑顔を向けた男の子は、それを大人達に手渡そうとする。

 

「……ありがとうな。でもお前達が全部喰え」

 

「……いいの?」

 

 大人達が頷くと、その男の子は再び飯に口をつける。

 

 黙々と食べ続ける子供達から大人達に視線を向けると、彼等が俺に頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 そう言い残して村人達は去って行った。

 

 

(十五)

 

 次の朝、村の様子を知る為に適当な店に入り、食材の近くに置かれた値札を見て言葉を失う。

 

 ……もう貧しい人達が手を出せる金額じゃ無いぞ、これ。

 

「お、おっちゃん! この値札、間違い無いの!?」

 

「……へぇ。状況が状況なだけに、何処も同じような高値で取引されております」

 

「隣の町や村も、こんな状態なのか?」

 

「さぁ~、商隊が流れて来ないので何とも言えませんねぇ。官軍や義勇軍が集まっているというのに、一体どうしちまったんでしょうかねぇ」

 

 店主は首を傾げた後、店に入って来た官軍の兵士の方へと歩いて行く。

 

 店の外に出ると突然村人達に取り囲まれてしまう。しばらくすると白い髭を蓄えた御爺さんが、杖を突きながら前に出て来る。

 

「若い衆から聞きました。どうかこのまま付いてきてくだされ……」

 

 他と比べると少し大きな家に招かれ、促されるまま椅子に座る。

 

「昨夜は子供達に貴重な飯を分けて下さった事……、村の者を代表して御礼申し上げます」

 

何度も何度も俺に頭を下げるこの人は、どうやらこの村の村長さんの様だ。

 

「頭を上げて下さい。俺は朝飯を食っているから……。それよりも」

 

「はい、御説明致します。ですが内密にお願い致しますぞ?」

 

 その一言に俺は頷くと、村人達が話し始める。

 

「義勇軍に顔を出してる子供達は孤児なんです。村のもんで面倒を見ていたのですが、物の値が上がり十分な食糧が手に入れられんのです」

 

「それなら事情を話せば――」

 

 村長さんはゆっくりと首を横に振って答える。

 

「それはできんのです。賊が身を潜めてまだ見つからぬ事に、官軍や義勇軍の方々が嘘をついているのではないかと、我々を疑い始めて居る様なのです。彼等が離れてしまえば、我々は為すすべも無く賊に襲われてしまう」

 

「……じゃぁ、皆どうやって飯を食べて行く? こんな状況がずっと続けば皆飢えてしまう」

 

「そ、それは……」

 

 村の人達が言葉を濁す中、ある村人が悔しさを噛みしめる様に、低い声で答えた。

 

「勇気ある村の娘達が、……儂らの為にと、官軍に出仕しておるのです。儂ら農民が育てた食料は、その殆どが税として徴収され…… 儂らは娘を……」

 

 最後まで言わすまいと、他の村人達がその男の肩を抱えて慰める。

 

「……」

 

 子供達が義勇軍を覗いていた理由を知り、この酷い状況に俺は言葉を失う。

 

 誰かが自慢していた。俺達の事を憧れの眼差しで見ているんだと。

 

 誰かが呆れながら呟いた。叱られても、また懲りずに来たと。

 

 その純粋な瞳に……、何一つ答えてやれていなかったのだ。

 

 ――ただ賊から守るだけじゃ駄目なんだ。子供達の、村人達皆の笑顔も、守らなきゃいけない!

 

 俺は自然と趙雲の元へと向かう。

 

 少しでも村の人の笑顔を取り戻す為に……

 

 

(十六)

 

 俺はこの事を伝える為に、首脳陣がいる村一番の宿へと向かう。そこには官軍の中に混じって義勇軍の幹部達が入り口付近に座っていた。

 

 ――贅を凝らした豪華な宴会。

 

 腹を空かせている子供達がいると言うのに!

 

 微かに残る理性の糸を必死に掴み……、大きく息を吸い込んで吐き出す。

 

「なっ!」

 

 突然やって来た俺を見て、義勇軍の幹部達が一斉に浮足立つ。

 

「ほ、北郷!?」

 

 俺の近くに居た男が立ち上がると同時に、劉備が叫ぶ。

 

「場を弁えろ! 此処はお前の様な者の来る場所では無い!」

 

 ――帰れ!

 

「……っ」

 

 男に付き添われて、大人しく外に出ると趙雲が慌てて近付いて来る。

 

「この馬鹿者! 何をしている!」

 

 俺は彼女を睨みつける。

 

「それは此方の台詞だ……。豪勢に昼間から酒を飲んで宴会かよ。飯を食えない人達だっているのに……」

 

 趙雲が少したじろくと、俺と趙雲の間に男が割り込んでくる。

 

「いざとなったら、俺達は官軍と連携を取らねばならんのだぞ!……これはな、我等将と官軍とが、いざという時に円滑に動けるよう親睦を深めているのだ! 村人を守る為に――」

 

「何が――!」

 

「落ち着け、北郷!……何故ここに来た? 目的は何だ!?」

 

 彼女の言う通りだ。目的を違えてはいけない。目の前の事は一先ず置いておかなければ……

 

 悔しいが俺は二人に視線を向ける。

 

「……官軍が来てから、物価の上昇が起こっている」

 

「だろうな」

 

 趙雲はさも当り前の様に呟く。

 

「もう村人達が手を出せる金額じゃない」

 

「相分かった。だがこの村から我等が離れれば、それこそ賊に襲われて――」

 

「そんな事は分かっている! だから兵糧の一部を村の人達に分けてやれないだろうか?」

 

 俺の一言に、何を馬鹿げた事を言っているんだと男が叫ぶ。

 

「そんな事は出来ん!……賊は未だに身を潜めて隠れている。我等の兵糧が尽きれば軍は瓦解し、それで終わりなんだぞ!……貴重な兵糧を分け与えてやれるほど、我が軍に余裕は無い! 何も知らん癖に、偉そうな事を言うな!」

 

「毎日贅沢に酒飲んで宴会してる癖に、余裕が無いって言うのかよ!」

 

「き、貴様! 誰に向かって口を利いている! 趙雲殿の知り合いだからと言って、調子に乗るなよ!?――無礼者奴が!」

 

 男が剣を引き抜こうと柄に手を伸ばそうとしたとき、趙雲がその動きを止める。

 

「許してやってくれ。後で私からしっかりと言い聞かせておく。……北郷。此処には義勇軍、官軍もいるのだ。時期に商人達が物を売りに、この村までやって来る。安心しろ」

 

「趙雲、そんな保証なんて――」

 

 その時、外から大声が響く。

 

「商隊が来たぞ―!」

 

 その声に隣に居た男は、笑いを堪えながら俺の肩を叩く。

 

「来たそうだぞ? これで一安心じゃないかぁ、北郷君?」

 

 男が宴席へと戻って行くと、趙雲は呆れたと言わんばかりの溜息を吐く。

 

「北郷、余り恥をかかせないでくれ……」

 

「っ!……でも趙雲、急に物の値段が下がる訳じゃない。村の貧しい人達は――」

 

「趙雲殿、何をしている! 早よー来られよ!」

 

 宴会場から趙雲を呼ぶ声が聞こえる。迷った趙雲は何やら袖口から取り出す。

 

「北郷、すまんな。もう行かねばならん。何、心配する事は無い。後は我々に任せておけ。……今、余り持ち合わせは無いのだが、……好きに使え」

 

 取りだされた何かを受け取ると、ずしりと両手に重みを感じる。……その中には、村の人達がどれだけ働いても、得ることのできない大金が入っていた。

 

「――違う! 俺の言いたい事は!」

 

 話の途中にも関わらず、趙雲は俺に背を向けて宴会場へと戻って行く。

 

 趙雲、君は金で解決しようと言うのか!……これが君に取って、村人達が流した涙の代償なのか! 

 

 この大金を受け取れないとも言えず、俺は彼女に何も言い返す事が出来なかった。この御金で村人達の苦しみを少しでも和らげる事ができるのだから。

 

 結局、俺は趙雲を頼って迷惑を掛けてしまったのだ。

 

「……必ず返すよ」

 

 その一言に趙雲は何も答えず、俺の視界から消える。

 

 誰かに頼るだけしかできない自分が悔しかった。柱に拳を叩きつけた後、離れた部屋から賑やかな笑い声が聴こえて来る。

 

 ……お前には何もできないと、笑われている気がした。お前は無能で、無力で、無様だと。

 

 

(十七)

 

 趙雲から渡された大金を村長さんに手渡すと、深く深く頭を下げられる。

 

「そんなに頭を下げないでください。恥しい話なんですけど、これ俺の御金じゃないんです。義勇軍にいる趙子龍って言う……、白い服を着ている女性、知りませんか?」

 

「おぉ、あの白い御方が……! ですが、北郷様が趙子龍様に掛け合って頂けなければ、我々はどうなっていた事か……。この恩は決して忘れませぬ」

 

 商隊が来たことで物価も落ち着き、子供達に飯を食べさせてやれるだろうとの事だ。その話を聞いて胸を撫で下ろし、来た道を戻る。

 

 一体どれだけの金が入っていたのか。正確な数字は分からない。ならあれ以上の重さの御金を返せば良いだろう。問題はどうやって金を稼げば良いか……。

 

 気付けば辺りは暗くなり、賑やかな笑い声があちこちから聞こえて来る。まるで何かの祝い事があったかの様に、官軍の兵士達が酒を飲んでいた。

 

「いやー、酒が飲めるなんてなぁ。運が良いぜ!」

 

「この状況が続くのなら、正直悪く無いな。毎日が宴会の様なもんだ!」

 

 お祭の様な賑やかな中を通り過ぎると、何故か義勇軍でも同じ光景が広がっていた。

 

 ――おいおい、どうなってるんだ?

 

 安いからと言っても酒は高級品なのだ。贅を凝らす官軍なら末端の兵士達にも酒を振る舞うことができるかもしれない。

 

 だが貧乏な義勇軍は別だ。兵糧に余裕は無いと断言した彼等も、酒を片手に半分宴会の様に盛り上がっていた。

 

 ここで賊が攻めてきたらどうする心算なのか。そんな心配をよそに、仲間の一人が声を掛けてくる。

 

「おい、北郷! 今日来た商隊な、安い酒を大量に運んで来たぞ!」

 

 俺の姿を見て立ち上がり千鳥足で近付いて来る。

 

「飲みすぎじゃないのか?」

 

「がははっ! 俺達が買えるくらい安い値で~美味い酒だ! だから今日は宴会だ!――飲まなきゃ何時、酒にありつけるかぁ~、うぃ……、分からないぞぉー?」

 

 体重を預けて来る酒臭い男を引き剥がすと、それが気に入らなかったようで、俺にいちゃもんをつけて来る。

 

「おうおう! なら飲まずに、俺達を盛り上げる為に踊っとけぁ~!?」

 

 ――絡み酒かよ……勘弁してくれ。

 

 違う方向に視線を向けると、箸で椀を叩く男と、葉笛を吹く男が見えた。二人は単調な音色を奏でている。

 

 そこに酒を片手に集まった男達が笑っている光景を見て、俺はふと思いつく。

 

「……舞だ」

 

 俺の国の剣舞はきっと珍しい部類に入るだろう。試してみる価値はあるかもしれない。

 

「ほら北郷! お前もこっち来てさっさと飲め!」

 

「いや、踊ります!――準備してきます!」

 

 冗談で言った心算が……。予想外の一言に男達が顔を見合せる。北郷が踊るそうだ。どんな馬鹿踊りを見せてくれるかと、その場は大いに盛り上がるのであった。

 

 

(十八)

 

 天幕に戻って胡蝶ノ舞を手に取ると、その下に置いてあった荷物に違和感を覚える。

 

「……あれ? これって」

 

 顔を覗かせていたボールペンを手に取る。……やはり制服や携帯が入った俺の荷物だ。やはり趙雲が預かってくれていたようだ。

 

「ここまで足を運んでくれたのか……」

 

 どうせなら俺が居る時に来てくれればと、少し気分が滅入る。

 

「……」

 

 趙雲が持って来てくれた俺の荷物を見ていて、ふと思う。この義勇軍にいる限り、彼女と二人だけになる事はできないのかもしれないと。

 

 少し前まで俺はこの義勇軍にとって敵だった男だ。そんな信用ならない男と仲良く話をしていれば、良い印象を抱く筈も無く、逆に疑心暗鬼になるかもしれない。

 

 彼女が俺を避ける行動は、俺の命を救ってくれた劉備達義勇軍への、彼女なりのけじめなのかもしれない。

 

 「……遠い存在、か」

 

 ……考えるのを止めにして、酒飲みに文句を言われる前に戻ることにする。

 

 ボールペンを懐に仕舞い、胡蝶ノ舞を強く握りしめながら誰も居ない天幕を後にした。

 

 

(十九)

 

 普段は刀袋に入れている為、目に触れる事の無い胡蝶ノ舞を見て、皆の目が釘付けになる。これからは盗まれない様に注意しなくてはいけない。

 

 俺は音を鳴らす男達に近付き、目の前で一礼する。正座し、胡蝶ノ舞を目の前に置いて、集まった人達に頭を下げる。

 

 飛び入りで俺が踊るとは誰も思っていなかった様で、これは面白い事になったと歓声が上がる。演奏している二人にも歓迎されたのか、音が少しだけ大きくなった気がした。

 

 タイミングを見計らい、俺は刀を帯刀して抜刀する。

 

 そのまま単調に流れる音楽に乗り、体の軸を中心に円を描くと、ゆらゆらと闇夜を照らす炎が白刃に乗って輝く。

 

 武人達が見せる力強い戦いの舞とはまた違う、俺の世界の魅せる為の剣舞は、何か物足りない彼等の退屈を紛らわせるに十分な物だった様だった。

 

 最後にゆっくりと刀を大きく上段に構え、頼りない俺自身を切り捨てるように刀を振り下ろす。

 

 ……何の手ごたえも無い。ただ空を斬った音が、斬られた俺の悲鳴の様に思えた。

 

 ゆっくりと刀を鞘に納め再び正座をして頭を下げると、それが終わりと見た演奏者が締める。

 

 拍手が起こり反応は上々だった。誰かが箱を回してくれたようで、その中に銭が入れられていく。おひねりはどの時代でも同じ様で、この舞を評価してくれた目に見える証である。

 

 確かな手ごたえを感じた俺は、演奏してくれた人達に提案する。

 

 官軍のいる所でやってみないかと。

 

 

(二十)

 

 思惑は大成功に終わる。この調子でいけば近いうちに借りた御金を返す事が出来そうだ。

 

 碗と葉笛でやるよりも、もっとしっかりした音が出る楽器でやるべきだと言ってくれた二人と共に、楽器を借りる為に村へとやって来た。

 

 歩きながら打ち合わせをしていると、今日もまた商隊がやって来たようだ。

 

「安くて美味い酒だー! さぁどんどん買って、どんどん飲んでくれー!」

 

 その一言に、並んで歩いていた二人が顔を見合せて呟く。

 

「また酒か? ……今度は食糧も売りに来てくれたんだろうな?」

 

「まぁそう言うなって。上等な酒が破格値なんだぜ? それに官軍が酒を飲めば俺達は儲かる! もっと喜ぼうぜ」

 

 二人の会話に俺は慌てて口を挟む。

 

「ちょっと待ってくれ。また酒って、商隊は色々な物資を売りに来てるんだろ?」

 

「あぁ、普通はな。でも昨日の商隊はその物資の多くが酒で、食糧は余り積んでなかったんだ」

 

 そんな……、これじゃ村人達の生活は苦しいままじゃないか。それに積まれた荷のほとんどが酒というのも気になる。

 

 疑問に思った俺は、群がる兵士達を押しのけ、商隊の男に問う。

 

「なぁ、もしかしてこの荷のほとんどが酒なのか?」

 

「あぁ。此処は酒が良く売れると聞いてな! いやはや、本当に酒好きが多いな! 馬鹿売れで儲かってるよ!」

 

 ――こんな安い値段で売って儲かるのか?

 

 例えこの酒を安く仕入れたとしても、荷物を運ぶのは沢山の動物だ。その世話だってしなきゃいけない。経費を考えれば儲けが出るとは思えないし、この値段なら何処でも売れる筈だ。此処まで運んで来て売る意味が分からない。

 

「おい、北郷。何している! ……用は済んだ! さっさと戻って来い!」

 

 楽器を手にした二人の元に駆け寄り、疑問に思った事を質問する。

 

「なぁ、この近くに大きな街ってないのか? こんな安い値段で、わざわざ此処に売りに来る商隊って何か怪しくないか?」

 

 考えた素振りをするも……

 

「……知らね。無いから此処に売りに来てるんだろ?」

 

「だな。そんな事より大事な打ち合わせだ! 今日も稼ぐんだろ?」

 

「あ、あぁ……」

 

 何だろう、この不安感……。趙雲に相談できれば良いのだが、でもまた俺の勘違いだったら?

 

 趙雲の立場を考えると、下手に物を言う事ができない。……彼女は誇り高き武人。これ以上、彼女の顔に泥を塗る訳にもいかない。

 

 二人だけなら笑い話で済むのに……、身動きが取れない。

 

「おい、聞いてんのかっ!」

 

「す、すいません!」

 

 楽器を手にし、興奮した二人が血相を変える。まずはその打ち合わせに集中する事にした。

 

 

(二十一)

 

 次の日も商隊がやって来たものの、その荷のほとんどが酒である事に、皆が違和感を持ち始めていた。

 

 だが酒が売れると聞いたからと言われれば、そういうモノなのかと、それ以上気に留める事は無かった。

 

 もしかしてこれは何かの策なのでは。今すぐ手を打たなければまずい事になるかもしれない。

 

 でも別に俺が動かなくても……。趙雲も任せておけと言っていた。彼女を信じ、他の誰かが動いてくれるのを待つべきなのだろうか。

 

 ……だけど村長さんの悔しそうな顔が忘れられない。

 

 普段なら子供達を十分飢えから救ってやれる大金なのに、この狂った状況では飢えをしのぐ程度にしかならないと肩を落としていたのだ。

 

 正直、趙雲との関係が拗れるのは避けたかったけど、最悪な状況に陥った場合、俺達二人の問題では済まない。

 

 これが賊の策ならば皆を守る事に繋がり、もし勘違いだったなら……

 

 思考の天秤が左右に揺れた後、俺は重たい腰をゆっくりと持ち上げる。

 

 趙雲の顔に泥を塗る事になり、二人の関係が此処で終わったとしても、敵の掌の上と言う最悪の状況を避けるために。

 

 

 

 

 幹部の誰かに話を聞いて貰おうと、村の宿へと足を運ぶが皆忙しいという理由で面会を断られた。だから俺は劉備達を待ち伏せし、書簡を持って直訴に出る。

 

「劉備さん! いろいろと忙しい様だから書簡にしてきた。時間出来たら読んでくれ!」

 

 だが俺は劉備を護衛していた趙雲に阻まれ、力尽くで取り押さえられる。

 

「北郷、何を考えている!?」

 

「許してくれ。君の顔に泥を塗るかもしれないこの書簡。だがこの状況を黙っている訳にもいかない!」

 

 眉を吊り上げた趙雲が、震えながら言う。

 

「……泥を塗ること前提で、直訴だと?」

 

 趙雲は話にならんと、あきれ果てた口調で言う。

 

「北郷、ハッキリ言わせて貰う」

 

 ――邪魔だ

 

 その一言に、劉備達が嘲笑する。等々愛想を尽かされたと。

 

「まぁまぁ、良いではないか趙雲殿。北郷とやら、後でしかと読んでおくとする」

 

 その言葉に満足した趙雲が俺から手を離すと、手にしていた書簡を奪い取って劉備の元へと歩いて行く。

 

「……」

 

 その書簡を受け取り懐に入れた後、彼等は何処かへと歩きだす。……これで何とかなるだろうか?

 

 少しでもこの状況が変だと、後手に回る事の無い様にしっかりと対策を練ってくれると良いんだけど……。

 

 

(二十二)

 

 劉備達に直訴した次の日の夜、今日も官軍に出向き曲に合わせて舞う。俺の噂はどうやら官軍の偉い人にも届いた様で、その人達が集う宴席に呼ばれて舞いを披露する事になった。勿論その場所には劉備や趙雲達もいた。

 

「素晴らしい舞だったぞ。お前……名は!」

 

「北郷一刀と申します」

 

 俺の名を聞いた官軍の大将が何やら不敵に笑う。何やら思う事があったようで、隣に居る副官らしき人物に耳元で何か囁く。

 

「部下に聞いたぞ? 何やら金や食糧を求めているそうだな。困っているのなら官軍に来ないか? 君を紹介したい人がいるんだが?」

 

「いえ、御金の件に関してはもう大丈夫です。……俺を紹介したい人って、誰ですか?」

 

「それは言えないな……、とても偉い方でな。まぁ悪い様にはしない。考えておいてくれ」

 

 軽く頭を下げ、此処から出て行く前に、袋に入った御金を趙雲の前に置く。

 

 その事が気に入らなかったのか、彼女が不機嫌そうに声を上げる。

 

「……何の真似だ」

 

「借りた金は返せってね、……本当にありがとう」

 

 彼女から離れようとした瞬間、彼女が静かに、低く呟く。

 

「見損なったぞ、北郷」

 

 その一言が理解できずに俺は彼女に視線を戻す。趙雲は目を閉じて言葉を続ける。

 

「先日劉備殿に手渡した書簡。何かと思えば下らん艶文とは……、なんという馬鹿げた事を考えている……」

 

「艶文? 趙雲、一体何の――!?」

 

 何の話か分からず聞き直そうとした瞬間、彼女の表情が一変する。眉を吊り上げ今にも俺を貫いてしまいそうな視線を向けて、怒りを込めて叫ぶ。

 

「っ! 命の恩人でもある劉備殿に迷惑を掛け、その上此処に来て惚けるというのかっ、見苦しい! ……その顔を、見ているだけでも不愉快だ!」

 

 その信じられない一言に貫かれたような衝撃を受け、心が激しく揺さぶられ息が詰まる。

 

 趙雲は本当に悔しそうで、声を震わせながら言葉を紡いだ。

 

「――私がお前に預けた真名、返上して頂いて結構。いや、此方こそ願い下げだ!」

 

 その一言に、周囲に嘲笑めいた笑いが漏れる。俺を煽る様に落胆の声を上げる者や、これは仕方無いと俺を挑発する者……。

 

「もう二度と私の視界に足を踏み入れるな! その時はその命、無いものと覚悟しておけ!」

 

 言い終わると同時に彼女は背を向けてしまう。本当に怒っている様で、その背中がもう話しかけるなと語っていた。

 

 まさかと思い劉備の方へ振り向く。その男は唇の端を吊り上げ、肩を震わせながらくつくつと俺を見て笑っていた。

 

 ――彼女に、嘘を吐いたのか!

 

 俺は一瞬で理解した。この男は俺と趙雲を引き離す好機と見て、あの書簡を利用したのだ!

 

 趙雲、君はこの男の言った事を信じるのか……。劉備が俺達を引き離そうと嘘を吐いた事よりも、趙雲が何の疑いも無く、その言葉を信じた事がただ辛く苦しかった。

 

 ――今は誤解が解ける状況じゃない。

 

 彼女に囚われて冷静さを失う訳にはいかない。大切なのは、この状況を義勇軍が把握しているかどうかだ……。深呼吸した後、劉備に質問する。

 

「……劉備さん、内容はちゃんと読んでくれたんでしょうね?」

 

「大丈夫か? 動揺して声が震えているぞ?」

 

 その一言に、この場に居た者達から堪え切れず笑いが溢れる。挑発を流し、俺は質問の答えを促す。

 

「あぁ、読んだとも。もう少し丁寧に文字を選んだ方が良かったな。確かに男らしく力強いが……、恋文にはちと線が太すぎる。仮にも愛する人に想いを伝えるのだから、線はもっと細い方が良い」

 

 ……劉備は俺に刀を抜かせたいようだ。そうすれば喜んで俺を殺せと命令できるからな。

 

「そうですか。線の細さには誰にも負けない自信があったんですけどね。……この義勇軍にいると、何時趙雲と顔を合わせて殺されてしまうか、分かったもんじゃ無いな」

 

 ふと趙雲に目を向けると、背中を向けていた彼女がすぐに動ける体勢で此方を向いていた。俺の視線に気付いた彼女が慌てて背を向けるが、さすがに可笑しい事に気付いたのか、槍を持って再び振り返る。

 

「……劉備さん、俺はこの義勇軍にはもう入れない様だ」

 

 劉備はいかにも残念そうに答える。

 

「そうか、残念だ。ま、縁があればまた何処かで会う事もあるだろう」

 

「――では失礼します」

 

 俺は急ぎ足でこの場から離れる。

 

 趙雲の誤解が解けないのは悔しい。だが今はもっと大切な事がある。どうすれば賊の策かもしれない事を、彼らに伝えられるかどうか。

 

 ……俺からでなければ良いのだろうか?

 

 村長さんから心配事があると、劉備達に伝えて貰うと言うのはどうだろうか? 俺は泊めて貰うのも兼ねて、村長さんの所へと足を運ぶ事にした。

 

 

(二十三)

 

 村長さんに事情を説明した後、俺はふと疑問に思った事を質問してみる。

 

「村長さん達はこの村にいると危ないって分かっているのに、どうしてこの村から離れようとしないんですか?」

 

 そんな質問に、俺を気遣ってか優しく答えてくれる。

 

「今の時代はどこも苦しい故、難民は追い返されてしまうでしょうなぁ。例え受け入れて貰えたとしても、税を治める事もできませんし、食べる物にも困るでしょう。行き場が無いと言えばそれまででしょうが……」

 

「……」

 

「儂らは、この村で作物を育て、子を育ててきました。幸せと言う名の花を、この土地で咲かせて来たのです。先祖代々守って来て、儂らの代で潰す訳にもいきますまいて……。やはり誇りですかなぁ。簡単には捨てられぬ、厄介なモノなのですよ」

 

 そう言って、村長さんはカラカラと笑い始めた。

 

「すいません。変な事を聞いてしまって……」

 

「いやいや、若い時は大いに迷われれば良ろしい。それは必要な事であり、大切な事ですからな」

 

 誇りか……。

 

 俺はあの時、刀を抜くべきだったのだろうか……。

 

 そんな事を考えながら眼を閉じた途端、何も考えられなくなり一瞬にして眠りに落ちてしまった。

 

 

(二十四)

 

 次の日、このまま此処に居ても仕方が無いと判断した官軍が動き出した。村長さんの家にいた俺は、やって来た官軍の大将と村長さんの会話を耳にする事が出来た。

 

「賊など早期に討伐できると考えていたが、姿形も見えず、周辺に斥候を放っても音沙汰がない所を見ると、もうどこかへと逃げてしまったのだろう」

 

 突然官軍の大将が俺の方へと向いて挨拶をしてくる。油断していた俺は見事に面喰ってしまう。何故俺なんかに挨拶を――?

 

「これはこれは北郷殿ではありませんか。義勇軍を追い出され、村長の所に居候ですかな? 我々はこれから洛陽へと向かうのですが、どうですかな? 我々と一緒に来ては頂けないだろうか?」

 

 ――洛陽?

 

「くくくっ……。そう身構えなくても宜しいでしょうに。村長も安心されよ。用が済めばまたこの村へと戻って来る」

 

「用?」

 

 一体何の用かと問えば、俺には関係ないと一蹴されてしまった。

 

 居場所が無くなった訳だから、無下に断る理由も無いんだけど、洛陽か……。

 

「そうですね、考えておきます」

 

「ふむ! 貴方を此処に残して行くのは気が引けるが、まぁ義勇軍もおるから大丈夫だろう」

 

 大笑いするその男に、そうですかと村長さんが相槌を打つと、官軍の大将は俺をちらりと見て出て行ってしまった。

 

 ……官軍がこの村から出て行く。

 

 此処しばらくの補充は酒ぐらいだ。短期決戦で片付けようとしていたのなら、官軍は兵糧をそれほど多く持って来ていなかったと見て良いだろう。

 

 だから官軍は洛陽へと兵糧を補充しに、戻る? それなら洛陽なり隣町から食糧を運んで貰えば良い筈だ。何故軍を動かしてまで戻る必要がある?

 

 ……物資を運ぶように手配しても届かないとか?

 

 だとしたら、輸送している間に賊に襲われているのでは? 同じ理由で商隊もこの村に来ない事が説明できる。

 

 そうか……、賊は奪った酒を売りに来ていたんだ!

 

 だとしたら、賊は飢えによる軍の瓦解を狙っている。この状況を作り出し、官軍を分離させるのが狙いか!?

 

 ……違う。

 

 賊の本当の狙いは――

 

「官軍を村へと追い返し、義勇軍との共倒れが狙いなのか」

 

 だけど、そんな事をして賊に一体何の価値がある?

 

 相手の利を考えていると……

 

「――な、なんと恐ろしい事を考えておられるのです!」

 

 顔を青くした村長さんが俺に向かって叫んだ後、目を泳がせつつ反論する。

 

「我々を閉じ込めるとならば、賊は官軍を通さんと姿を現す事になりましょう。賊の背後には隣町があります故、もたもたしていると挟み撃ちにされてしまいます。きっと攻めて来る筈です」

 

「そうかもしれません。でも理由はどうあれ、最悪の結果に備えておくべきです」

 

 相手が攻めて来なかった時の事を考えると、飢えで苦しむ事になる。そこに賊に攻められれば、軍は一瞬で瓦解する。

 

 村長さんは最悪の結果という言葉に反応する。そうですなと呟いた後、俺を家に残して出て行ってしまった。

 

 誰も居なくなった部屋を見渡すと、一の字が書かれた紙が壁に飾られてある。

 

「――これって地図なのか?」

 

 村と村の間に、たった一本の横線が墨で引かれているだけの地図。地図としての役割を果たしているか疑問に思いつつも、俺の考えは確信に変わった。

 

 

(二十五)

 

 朝昼晩、毎日飲めや踊れやしていた官軍がこの村から出て行き、ひっそりとした静けさが村に漂う。義勇軍ではその解放感からか、普段より盛り上がっているのが遠くからでも分かった。

 

 向こう側から村長さんが歩いて来る。我慢できずに声を掛ける。

 

「どうでしたか?」

 

「北郷様、敵が攻めて来なかった時、我々はどうすれば宜しいのでしょうか?」

 

 俺の質問を無視し、浮かない顔をしながらまったく違う質問で返す村長さん。

 

「話を聞いてくれなかったんですか?」

 

「いえいえ。聞いては下さいましたが……」

 

 言葉を一旦溜め、溜息混じりに続ける。

 

「劉備殿が言っておりました。さすがに心配し過ぎだと。最後は私の事が信じられぬのかと、逆に尋ねられる始末」

 

 そう言われてしまっては、守って貰っている立場では何も言えない。苦笑いしながら村長さんと家に戻る。

 

 自分達で対策を練るべきだと結論に達し、空が暗くなるまで話し込んでいると、大声をあげながら若い男が村長さんの家に転がりこんで来た。

 

――官軍が戻って来た!

 

 目を合わせた俺達は無言のまま外に飛び出すと、村の入り口付近で官軍の兵士達が待機しているのが見えた。

 

「……」

 

 近付くに連れ、目を反らしたくなるような光景が広がって行く。

 

 兵士が鎧の隙間から刺さった矢を抜き取ると、血が勢い良く流れ出し苦痛の表情を浮かべる。その痛々しい姿から視線を逸らすと、頭部が切れ、血だらけになった兵士の真っ白な片目がギロリと動き、俺の視線とぶつかった。

 

 な、何が遭ったか……聞かないと。

 

 官軍から悲痛な声があちこちから聞こえる。恐怖で足が竦む中、兵士の一人に声を掛ける。

 

「……一体、何が遭ったんだ?」

 

 振り向いた兵士が悔しそうに答える。

 

「隣村のすぐ近くまで来た時、突然賊に襲われたんだ。進路を塞がれ矢が雨の様に上から……」

 

 他の兵士が俺に言う。

 

「武器を構える余裕なんて無かった。皆逃げる事に必死で、来た道しか退路が無くて――」

 

 仲間を踏みつけて戻って来たと。ぼそりと誰かが呟いた。

 

 一斉に皆が俯き、それっきり口を開く事は無かった。

 

 

(二十六)

 

 義勇軍は官軍の知らせを聞いて、緊急の軍議を開くと言う。急ぎ足でそちらへと向かう中、私の隣に並んだ将兵の一人が笑いながら言う。

 

「官軍、賊にも劣るか。もうこの国も駄目かもしれんな」

 

 ――劣る劣らない依然の問題である!

 

 っと、それどころではない。そして笑い事では無い。賊が地の利を生かし、官軍に武器も握らせず敗走させたのだ。やはり賊の中でも知恵の働く厄介な相手である。……此処で必ず息の根を止めねば、欲望を満たすために他の村へとその触手を伸ばすだろう。

 

 義勇軍の本陣には、官軍の撤退を知った者達がすでに集まっていた。私が席に着くと同時に劉備殿がやって来る。

 

「待たせたな」

 

 彼が到着した事で、緊急の軍議が始まる。

 

「姿を現した賊は、近いうちにこの村に攻め込んで来るだろう!」

 

 彼の言う事には確かに一理ある。姿を見せたからには隠れる必要は無く、逆に隣町から速やかに離れねば背後をとられ、そこに我等が動けば――。ならば官軍が部隊を立て直す前に、この村に一当てしに来る可能性が非常に高い。

 

 だが皆同じ意見では話にならん。私は逆の意見を上げる事にする。

 

「攻めて来ない可能性は?」

 

「そういや村長は攻めてこないような事を言っていたなぁ~。心配しすぎじゃないのか?」

 

 ――村長が?

 

 私の隣に居た武将が笑顔で話し掛けて来る。

 

「子龍殿、それは無かろう。官軍が襲われた場所は隣町の目と鼻の先だぞ。そんな場所に留まって居れば、討伐してくれと言っている様なものだ。そんな事も分からぬようでは、話になりませんぞ!」

 

「そうかそうか……、それは失敬」

 

 馬鹿にされるのは正直腹が立つが、今はそれどころではあるまい。しかし……、村長は攻めてこないと踏んでいるのか。……何故そう思ったのだろうか?

 

 私が理由を考えていると、官軍の大将が入って来る。

 

「急に攻められて、為すすべも無く退却する事になったが……、次はこうはいかん!今度は此方側の番だ!」

 

 救いようの無い馬鹿な男に誰もが顔を見合わせる。私は耐えかねて口を開く。

 

「向こうには地の利がある。攻めれば二の舞を踏む事になりましょう?」

 

「あれは油断していたからだ! 官軍の我等が賊に後れを取る筈が無かろう!」

 

準備が整い次第出発すると、次は目に物を見せてやると出て行ってしまった。

 

 

(二十七)

 

「おい、聞いたか? 明日の朝、またさっきの道を戻って攻めるんだってよ」

 

「……まじかよ。道は隣町に近付くに連れて細くなって、垂直に伸びる山の様な壁の上から矢が飛んで来る場所なんだぞ?……俺達、次は生きて帰れるのかな」

 

「木の板を持って、上からの矢に備えるらしい」

 

「……おいおい、それで本当に大丈夫なのかよ?」

 

 

 

 

――結論から言うと、大丈夫では無かった。

 

 村の周辺は周囲より大きく凹んだ珍しい土地で、隣町に抜けるたった一本の道の両側には、切り立った岩肌の壁が聳えている。またその出口は徐々に細くなっていく為に部隊の動きが鈍くなり、其処に一斉に矢が浴びせられる。

 

「通じぬ通じぬ!――どうだ! 所詮賊の考える事よ!……俺が本気を出せばこの程度、朝飯前だわ!」

 

 まさに馬鹿の一つ覚えだと官軍の大将が失笑した後、立ち上がり突撃の合図をした瞬間、賊は官軍に向かって、上から油を撒き火矢を放つ。

 

「熱い!――誰か火を消してくれ!」

 

「火っ! 服に、火がぁ!」

 

 燃え盛る炎の中、雨の様に降り注ぐ矢に為すすべも無く、官軍は炎の中で大混乱に陥り再び村へと逃げ帰る事になった。

 

 追い討ちをされていれば、かなりの損害を受けていた官軍だったが、

 

「助かった、被害は最小限で済んだ!」

 

 と喜んだ後、追い討ちしてこなかった賊を愚かだと馬鹿にした。

 

 この後の賊の動きで、我々の運命が決まるかもしれないと、村人達が官軍の大将の姿を目で追いながら息を飲む。

 

 楽観視している官軍の大将は、義勇軍の本陣で高らかにこう叫んだそうだ。

 

「――我等官軍が本気になれば討伐するのは意図も容易い。だがここは義勇軍の者達に手柄を譲ってやることにしよう!」

 

 義勇軍は来るべき戦いに、準備を進めていた。

 

「今日こそ賊は一当てしてくる筈だ! 準備を急げ!」

 

 ……だが何時まで経っても賊が攻めて来る事は無かった。肩透かしを食らった義勇軍は、未だ己の置かれた状況が理解できずにいた。

 

 

(二十八)

 

 むさ苦しく伸びた黒髪の大男が、崖の上で黒く焼けた地面を嬉しそうに眺めていた。

 

 運悪く矢が命中し息耐えた者や、混乱の最中、味方に踏まれて動けなくなってしまった者。――無能な指揮官の為に命を落とした兵士達が、油臭漂う戦場に散らばっていた。

 

 男は唇を吊り上げ、粘質な笑い声を上げる。

 

「死と言う恐怖に我を忘れ、味方を踏み殺して……くけけけけ」

 

 大きな十字の斧を肩に担ぎ、賊兵に向かって獣の様に雄叫びをあげる。

 

「良く賊は獣の様に例えられるが、違う! 人は生きる事にとても純粋な生き物なのだ。――欲望のままに、獣の様に生きてこそ、人本来の姿なのだ!」

 

――そうだろ!?

 

 男の遠吠えに呼応する様に、賊達が勝鬨を上げる。

 

「着飾っているその服を破り捨てろ! その理性の仮面を剥がしてやれ! 見栄や誇りに生きて何が楽しい? この快楽を享受しねぇで幸せを語るお愚か者どもを……、招待してやろうじゃないか? なぁ、兄弟達!」

 

 ――欲望に生きろ!

 

 先程の戦で昂った身体が冷めやらぬ盗賊達が吼える。愚かな官軍を完全にまで敗走させた事に興奮し、男達は歓喜しながら怯える裸の女を持ち上げてその上を転がして行く。

 

 「――生きてる奴を捕えろ!……仲間に踏まれちゃった可哀想な奴を慰めてやれ! 俺達の世界に招待してやろうぜ!」

 

「楽快様! 仲間になる事を拒む馬鹿がいます!」

 

「くけけけ……、調教してやれ。――絶対に落とせ!」

 

「はっ!」

 

 男が走り去ると、楽快と呼ばれた男は村の方角を眺める。

 

 ……くけけけけ。分かるぜぇ~ お前達の考えてる事なんざ手に取るようにな~

 

「何故、賊は攻めてこない。そう考えているんだろう? くけけけ……、待っていろ。もうすぐだぜ~?」

 

――皆、俺達の仲間だ!

 

 

あとがき

 

本文は全角51200文字以下(半角102400文字以下)で入力して下さい。

テスのあとがきのページが……

 

 大変お待たせしました。遅くなって申し訳ありません。

 今回、中々考えがまとまらず、忙しかったり、風邪でダウンしたりと、先に進めず遅くなってしまいました。

 

○趙雲再登場

 二人とは別れて、劉備(男)と行動しているようです。北郷を助けた趙雲は、律儀な性格から彼とは距離を取ります。そして劉備の策略。絶交を宣言してしまいました――。

 

 今回、テスが昇龍伝でやってみたかった事の一つ、「真名返上」

心を許した証、相手を信じて真名を預ける。それを突き返される辛さ、それを返せと迫る悔しさ、この二人を通してやってみたかったことです。

 

○華琳様

 突然出番が無くなりましたがw 彼女は陳留で着実に実績を積み上げて行いきます。またこの噂を聞いた猫耳娘は……。

 コメントに桂花のご指摘がありましたね。いつぞやの章の最後で、桂花を登場させるべきかどうか悩んだのですが……

 ――後の桂花は語る。

「あの時の華琳様は私の事をお知りにならなかったのだから、見向きもされないのは当然でしょ!」

 っと、曹操はまだ彼女の事を知らないので、登場させても中途半端になりそうなので諦めました。

 桂花視点では、ふーん、あれが曹操なの……。って感じです。曹孟徳のことがちょっぴり気になった感じだと思って頂ければ。

 

○劉備

 ……いつぞやの妥協案で登場させました。恋仇というか、話が面白くなるので登場させない手はありません。きっと趙雲を口説いてますな。

 

○賊将

 なんか出て来ましたね。賊が名前付きで! 智略の調教魔、楽快! ネーミングが適当すぎる? くけけけけ……

 物語に花を咲かせてくれるか、次回に御期待下さいw

 

○北郷一刀

 ……取れましたね。つけ毛w 危うく趙雲に殺される所でした。

 さんざんな目に合ってますが、彼の強さを感じて頂ければ幸いです。趙雲との絆を捨ててまで皆の為に動く姿。――そこに痺れる憧れる!

 

 昇龍伝、人。次回も気長にお待ちください!

 

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コメント返し

 いつも沢山のコメントありがとうございます! 参考にさせてもらっています。他人の意見を聴けるって、本当に有り難い。

 

○第十章のコメント返し

 

ジョージ 様 >

 そう言ってもらえて嬉しいです! 正直、不安でしたw 本作のような、鳥肌立つ舌を書けるように精進致します! おっと、薄い壁だと下手すると怒られますぞ? お気を付けて!

 

hall 様 >

 謎の人物は趙雲でした。黒髪サイドポニーさんの登場予定は……内緒です。

 

田仁志 様 >

 ニヤニヤだけじゃないのが恋姫の良い所だなと思う訳です。ニヤニヤで通すのも悪くありませんが、ネタが続きそうにありませんw

 

ミドリガメ 様 >

 きっとアニメなら声で一発なんでしょうけど……、関羽と予想しましたか。でも、もうお分かりですねw

 

ルーデル 様 >

 お待たせしました! 趙雲の再登場です! ですが二人の間に亀裂が!

 

とらいえっじ 様 >

 誤字の御指摘、ありがとうございます!沢山……;;; 女装しても一刀です。やっとこさ、つけ毛取れましたw 趙雲に感謝!

 

kazu 様 >

 御安心を。そんな事は致しません! 彼女は今、この国を憂う一人の少女です。

 

munimuni 様 >

 これからですよ! くけけけ……

 

moki68k 様 >

 情けを掛けた相手に感謝もされず、逆に復讐され命を奪われる時代、仇を取ることが美徳とされる時代。無理も無いかと。そういう意味では桃香は異端ですね; 啖呵、安心しました!

 

自由人 様 >

 誤字の御指摘ありがとうございます! 多いなぁ;;; 猪々子・斗詩は後に語ります、あれは洛陽の悲劇だとw 一刀の本当の戦いが始まります。今まで励んで来た彼の努力は無駄では無いと! 桂花、書かなくても大丈夫だと思ったのですが、鋭いですw あとがきに簡単に説明を。これで御理解下さいませ;

 

夜の荒鷲 様 >

 この時代の人は、気付く人と気付かない人の二通りに分かれるのですw ゴタゴタで、それどころでは無くなってしまいましたw

 

karasu 様 >

 ありがとうございます! なんとか更新してます。次回作ものんびりとお待ちいただけると助かります。

 

corn 様 >

 何気にお気づきかですか?……でも今の所予定通りです。てか、二人の仲が拗れました;

 

小烏丸 様 >

 お待たせして本当に申し訳ありません; 今回は難産でした。でもその分、この展開は見物だと思って頂けるように頑張りました! ぜひお楽しみください!

 

trust 様 >

 良い顔してますが、十常侍は敵だと思って頂いてよろしいかと。その近くにいる董卓は……、はたまた曹操は……、孫策は……、袁紹、袁術もいますし。火種沢山あるわ、皆一癖あるわで、まだまだ平和は遠い様ですw

 

鳳蝶 様 >

 まだまだ一刀の活躍は続くのです! √ですか~、趙雲と喧嘩しましたし、これは悲劇の愛する友との敵対√ とか? それもそれで面白そうですが……はてさてと、惚けておきますw 取り合えず次回お楽しみに!

 

jackry 様 >

 その通りでございますwww 趙雲すら思い込みで女として認識して、気付きませんでした。危うく……。思いこみって恐ろしい!

 

rikuto 様 >

 うぅ、その心算だったのですが、予定が狂いました。本当に申し訳ない;;; 予想以上に長くなってしまって……、終われませんでした。 話を二つに分けて、新たに題名つけ直します。もうちょっと続く。

 

リーゼア 様 >

 昇龍伝、人、終端のお知らせ。本当ならここで、エイプリルフールという詰らないネタを考えて居たのですが……。次章終わり次第、昇龍伝繋がりでいろいろやりたいなっと。

 

ブックマン 様 >

 いえいえ、女装は半分ネタなので、ずっと続けるつもりはありませんw

 

あと……、消えてしまったコメントの方へ; >

 御安心ください! ここで元に戻ります! 自分では取り外せない、呪いのアイテムだったようです。でも暗闇で相手の掴んだ髪がすっぽ抜けたら、まじ怖いですよねw

 

あとあと、コメントしたのに、テスが見落として、コメントしてない御方へ。も、申し訳ありません……;;; メールなどでご連絡頂けると嬉しいです。

 

○第三章、第五章のコメント返し

yotsukura 様 >

 麗羽はあの、袁紹。恋姫では迷脇役ですが……、昇龍伝では彼女を避けては通れません。どうせ登場させるなら、たまには綺麗な麗羽もありかなぁとw

 命に関わる病、しかもそれが疫病ならば……、それを避けたいと思うのが人情かと。力尽くでもと、一刀の必死さが伝われば、嬉しいです!


 
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