一刀が手足の首に重りをつけての鍛錬を続け、既に一年と数ヶ月が過ぎていた。
洛陽の外周を、毎日歩き続ける一刀。
だが始めた当初と比べて、身に着けている重りはその厚さを増していて、僅かに重量が増えている事が伺えた。
一刀は少しずつ重さを増やし、一刻だけ歩くようにしていた。
決して走らず、無理をしないように心がけていた。
そんな一刀の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「若様! 若様、お待ちください!」
「うん? 今日って、何かあったっけ?」
必死に自分を呼ぶ人影が家の兵士だと気付き、今日何かあったか思い出そうとするが、何も浮かんでこなかった。
一刀が考えている間に、兵士はようやく追いつき、膝を着き用件を伝える。
「若様、旦那様が至急戻ってくるようにとの事です。……それと若様。本日が何の日かお覚えではないのですか?」
「今日ってなんか、特別な日だっけ?」
「若様……。今日はご自身のお誕生日ではありませんか。先日も、旦那様は今日は鍛錬を休み、家にいるようにと言っていたと思いますが……。
それに、お一人で行かないで下さい。私が旦那様に怒られてしまいましたよ」
「ああ、そうだっけ。ごめんね、峰さん」
この兵士の名は峰。一刀付の兵士である。北家の兵士の中でも剛の者で、最近増えてきた野党等を心配した両親が付けたのだ。
「いえいえ。お気になさらないで下さい。私は若様付の兵になれて喜んでおりますので。それに、私の家族も喜んでおりますよ。若様を護る大役を任されている事を」
「そう言って貰えると、嬉しいね。で、父上が呼んでるんだっけ? じゃあ、戻ろうか」
「ええ、警護はお任せ下さい。若様にもしもの事があったら、家族に殺されてしまいますしね」
峰を連れて洛陽に戻ると、道行く人々や店の人が一刀に笑顔で声を掛け始める。
「若様、今日も元気ですね! どうですか、奥様にこの桃を持っていてあげては?」
「ごめんなさい、今は手持ちがないので。後でまた来ますね」
「分かりました! 待ってますね!」
「若様、お誕生日おめでとうございます! どうぞ、饅頭を持ってってくださいな!」
「そんな、商売品をもらえませんよ」
「何を仰いますか! 今日は若様の誕生日なのですよ? これは贈り物と思って、受け取って下さい!」
「そうですか? では、頂きます。ありがとうございます」
「若様ぁ~! 遊んで、遊んで!」
「ごめん、今日は無理なんだ。明日なら大丈夫だと思うから、明日皆で遊ぼう」
「うん!」
店の人も、洛陽の住人も、子供達も、全員が一刀に声を掛けていく。
普通、高い地位の親を持つ者は傲慢な性格になり、住人を家畜同然の目で見るのだが、一刀はそんな目をした事は一度もない。
だからこそ、一刀は洛陽に住む殆どの人に好かれていた。
一刀を嫌うのは傲慢な子供達と、その親や親戚類だけだった。
しかし、峰としては堪った物ではなかった。いつ何時、一刀を狙った刺客が来るか分からないのだ。
声を掛けて来る全ての人に、笑顔で対応するのは仁徳だから仕方ないのだが、胃が痛くなる思いをしながら、警護を続ける峰。
(はぁ……若様にも困った物だ。だが、これが若様だから仕方ないな)
苦笑を浮かべながら、峰は周りを警戒しながら後を着いて行くのだった。
「父上、ごめんなさい。すっかり忘れてました」
「自分の誕生日を忘れていたのか……。良くは無いが、まあ、いい。さて、今日で一刀も九歳になる。
そんなお前に、私からの贈り物がある」
「贈り物は嬉しいけど、父上……。僕は贈り物をもらうなら、皆にお返しをしたいんだけど」
「分かっている。お前なら、そう言うだろうとな。だが、これは金で買った物ではない。だから、お前は気にする必要はない」
「ん~、分かった。そういう事なら、もらうよ。それで、僕に何をくれるの?」
一刀が問いかけると、北狼は立ち上がって棚から布に包まれた物を持って来た。
机の上に置いて布を取り払う。そこから出てきたのは、やや肉厚で無骨な二振りの曲刀だった。
一本は黒ずんで亀甲模様があり、もう一本は薄く曇ったように見える白い刀だった。
「ち、父上、これは一体……」
「これは干将莫耶。周王朝の時代、呉の王が干将と莫耶という夫婦の刀剣鍛冶師に頼み、打たせた刀。
だが、どうしてもうまく鉄等が溶け合わず打てない夫のために、莫耶はその身を炉の中に入れ、夫のために神への貢物になった。
そして出来たのが、この二振りの名刀とのことだ。干将は黒い方。莫耶は白い方だ」
「どうしてそんな名刀がここに……」
「ん? ああ。皇宮で埃に塗れていたので、今まで断ってきた褒美の代わりに、皇帝から賜ってきた」
父の言葉に、一刀は驚きを隠せないでいた。皇宮にあったという事は、皇帝の宝である。
それを賜るなんて、そうそう出来る物ではない。父は、大丈夫なのかと考えていた。
一刀が考えている事に気付いたのか、北狼は笑みを浮かべて口を開いた。
「お前が心配するような事は、何もないぞ。むしろ、喜んでいたな。
今まで、何度も贈り物をしたいと言われていたのだが、私は断っていた。だが、そんな私が今回は贈り物を貰いたいと言ったからな。
うるさく騒いでいた者もいたが、皇帝が一括して黙らせていたし、問題ない」
高官とはいえ、王朝の宝を賜るなんて。と騒ぐ者は当然いただのが、皇帝はそんな者達を本当に黙らせていた。
今まで褒美を断っていたのが功を奏し、しっかりと皇帝は北狼を覚えていた。干将莫耶以外にも渡そうとしたのが、北狼はこれだけで十分ですと断っていた。
そんな北狼に、皇帝は嬉しそうな笑い声を出しながら、下がる事を許可した。
しかしこれが後に、悲しい出来事を呼び込むなど、皇帝も北狼も予想していなかった。
「そっか。だけど、こんなに肉厚じゃ、重いんじゃないの?」
「と思うだろ? だが、持ってみればいい。驚くぞ」
一刀は促されて、干将を手にとってみる。そして、顔を驚愕に染めた。
軽いのだ。
これは本当に、鉄で出来ているのかと思う程に。
手にも、よく馴染んでいた。まるで、そこにあるのが当然と言うかのように。
「ふむ。どうやら、認めてもらえたようだな」
「武器に認めてもらう?」
「そうだ。刀剣鍛冶師が魂を込めて打った刀剣には、魂が宿る。干将莫耶も名刀の一つ。干将の魂が宿っている。
そして干将莫耶には、莫耶の魂も当然宿っている。その魂に認められなければ重く感じ、木の葉すら斬る事は出来ないだろう」
「僕を認めてくれてありがとう、干将莫耶。これからよろしくね」
父の言葉を聞き、一刀は笑顔で干将莫耶を撫でる。それを喜ぶかのように、二振りは日の光を照り返していた――。
一刀が父から干将莫耶を贈られてから少ししてから、とある州で三人の少女が語りあっていた。
「華琳様。実は昨夜、不思議な夢を見たのです」
「あら、秋蘭もなの? 実は私もそうなのよ。その顔を見ると、春蘭もそうみたいね」
「はい、そうなんです! どこかの城で、沢山の人が泣いていたんです!」
「ふむ。姉者と私が見た夢は、どうやら同じの様だな。……華琳様、どうされました?」
「……何でもないわ。気にしないで」
二人が見た夢は、沢山の人が泣いていたという言葉に、華琳は疑問を感じていた。
(二人が見た夢は同じ。でも、私が見た夢は川の辺で泣いている――私だった。
これはどういう事かしら?)
「華琳様ぁ~」
「ああ、ごめんなさいね、春蘭。それで何かしら?」
「姉者は、今度の洛陽での話をしているんですよ」
「北家の嫡男のお披露目の事ね……。今更、どうしてかしら? 九歳になるまで、公の場に出してこなかったのに」
「それは北家の当主が、過保護だからではないですか? 有名な話ですからね」
秋蘭の言葉に、華琳は「そうね」と答えて、嫌そうな顔を浮かべた。
過保護に育った高官の息子が、どう育つか知っていたからだった。
傲慢で、バカ。親の権力を、自分の権力と思う。自分よりも下の物を、家畜の様に見る。
今まで、散々そういう者達を見てきた華琳は、今回もそんな息子だろうと思っていた。
「うぅ~……しゅうら~ん。華琳様が、また黙ってしまったぞぉ~。私の話を聞いてくれないぞぉ~」
「拗ねる姉者もかわいいなぁ。……んん! 華琳様、どうしますか? 何か理由をつけて、おじ様に行かないと伝えますか?」
「はいはい、拗ねないの春蘭。聞いてない訳じゃないわよ。……そういう訳にもいかないでしょ。お父様に来た正式な召集。
私が行かないと、お父様が陰で何を言われるか分かるもの」
「今までの様な男でしたら、私が華琳様に近づけません!」
「ふふふ、期待してるわよ春蘭。もちろん、秋蘭も手伝ってくれるのでしょ?」
「はい、もちろんです。ご安心下さい」
二人の答えに華琳は微笑みを浮かべて、出立の準備を始めるのだった。
場所は変わり、長江の建業でも時を同じくして、二人の少女が真剣な顔をして話していた。
「ねぇ、冥琳。私、おかしな夢を見たのよ」
「ほう、雪蓮もか。実は私もなんだ」
「そうなの? 不思議な事もあるものねぇ。やっぱり、愛し合ってるからかしら?」
「はぁ……何をバカな事を。そもそも、同じ夢を見たかも分からんのだぞ?」
「それもそうね。で、冥琳はどんな夢を見たの? 私はねぇ、冥琳の腕の中で男の人に看取って貰う夢だったわ。
でも、不思議なのよね。所々、聞き取れないのよ。その男の人の名前の部分だと思うんだけど……」
「何? ……雪蓮。その男とは、白い服を着ていなかったか?」
「え、どうして冥琳が知ってるの? そうなのよねぇ。見た事もない服で、何だか光ってたわね」
「……実は私も、その男に看取って貰う夢だったんだ。それに、私もその男の名前を聞き取る事が出来なかった。……どういう事だ?」
冥琳はお互いに見た夢について、思考をめぐらす。夢の内容は違う物だが、登場している者は同じ。
そして、二人が見た夢も、自分達が天に召される瞬間。これだけの類似点がありながら、お互いに名前を聞き取る事が出来なかった。
いかに冥琳の頭脳を持ってしても、答えは出てこなかった。
「本当に不思議な事もあるものね。もしかしたら、私達の前世の記憶だったりしてね」
「前世での記憶か……。しかし、それにしては姿も名前も同じだったぞ?」
「もう、真面目に取らないでよ。もしかしたらって話なんだから」
「前世か……。もしそうだとしたら、私達は同じ男を愛したという事だな」
そう言う冥琳の顔には、悪戯が成功した時のような笑みを浮かべていた。
「ちょ、ちょっと、どうしてそうなるのよ!」
「ん? どうしても何も、雪蓮気付いていないのか? 夢の事を語る時の自分の表情に。
恋焦がれる乙女の様な顔をしていたぞ」
冥琳の言葉に、思わず自分の顔に手を当てて慌てる雪蓮だったが、ふと気付く。どうして、冥琳がそんな表情を知っているのかと。
その答えに気付いた雪蓮は、猫の様な顔に変わった。
「あれれ? どうして、冥琳がそんな事を知ってるのぉ~? 私、恋焦がれる顔なんて知らないんだけどなぁ~」
「あ……。う、うるさい! そんな事はどうでもいいんだ! この話はこれでお終い! 洛陽に行く準備を進めるぞ!
準備が終わらなければ、孫堅様に怒られてしまうぞ!」
「あっ! 自分だけ逃げるなんてずるいわよ! もう、冥琳。どうしてそんな顔を、知ってるのよ!
ちょっと、教えなさいよ!」
自分の失敗に気付き、逃げる様に部屋を出て行く冥琳を追って、雪蓮も部屋を出て行く。
冥琳の前に出て、顔を見ていれば気付く事が出来ただろう。その頬が、真っ赤に染まっている事に。
舞台に必要な役者は、洛陽で揃う。
自らの夢を実現させ、愛する男と永久の別れを経験した乙女達。
自らの死をもって、愛する男と永久の別れを経験した乙女達。
彼女達の想いは世界を超えて、心の残照として見せる。
しかし、まだ役者は出揃っていない。そして、自分達が見た夢の答えも知らない。
彼女達が、夢の答えに辿りつく事は出来るのだろうか……。
外史の歯車は、静かに回る。想いを巡らせて――。
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そこそこのペースで書けているかなと思います。
昔よりも遅い執筆速度なので、ちょっと自分に不満が募っている今日この頃。
量的には、これくらいで問題ありませんかね? それとも、もう少し増やした方がいいでしょうか? 意見を頂けると幸いです。
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