腹に異物が差し込まれたとき、時が止まったようだった。
涙目のまま微笑んでいた桃香はその大きな目をめいっぱい見開いて驚愕し、
人影はにやりと笑ったままぬかるみに身を沈めて行ったのが見えた。
傾いでいく体の動きさえ遅くなったように感じる。
痛みがすべての思考を支配していく中で、
祭さんの声だけがはっきりと耳に届いていた。
「一刀――――――――――――――――!」
夢を見ていた。
今はもう懐かしい魏の城内で、みんなでお茶会をしている夢。
流琉がお手製のクッキーを作ってくれて、季衣がこっそりつまみ食いをして怒られている。
霞はそれを笑いながら見ていて、片手で酒をぐいと呷っている。
その横で天和が、地和が、人和が笑いながら次のコンサートの振り付けを考えている。
その後ろでは稟が済ました顔で桂花に何か言っていて、桂花はそれに噛み付くように反論している。
風はそんなふたりの分のクッキーまでをも袖にしまいこみながら、今にも寝そうな表情をしていて。
凪は律儀に立ち上がって、真桜はカラクリをいじりながら、沙和はファッション紙を読みながら、俺に挨拶してくれる。
春蘭はクッキーを頬張りながらぼろぼろと食べかすをこぼし、秋蘭が嬉しそうに世話を焼いている。
そして、俺の立っている場所から、いちばん遠い場所。
みんなが騒いでいるところよりほんの少し離れた所に、華琳は立っていた。
俺を見ていた。
ただまっすぐに、俺だけを見ていてくれた。
「帰ってきなさいよ」
華琳は言った。
「約束したでしょう」
俺は頷いてみせた。
ああ、そうとも。
必ず君の下へ帰るよ。
すると華琳は怒ったように笑う。
「じゃあいつまでも寝てるんじゃないわよ、ばか」
寝てる?
――ああ、これは夢だったっけ。
あんまりにもあたたかいものだから、ここが俺の居場所かと思っていたよ。
俺の欲しいものが全部そろってる。
「本当に?」
今度はからかうような笑みで。
本当だとも。これが俺が求めたものさ。ずっと続けばいいと思っていた。
・・・あれ?
頭になにか、かするものがあった。
何か足りないような・・・?
そう思った途端、頭が割れるように痛んだ。
次いで、たくさんの記憶があふれ出してくる。
それは、すべて、あのひととの思い出で。
俺は忘れてはならない、大事なひとがいることをようやく思い出す。
自然と口が動いていた。
そう、それは――。
「祭さん・・・」
目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。
起き上がると激しい痛みが腹部を走る。
「・・・いってぇ」
痛みをこらえながら部屋を見渡すと、どうやら宿ではないということだけわかった。
なんというか、立派だったのだ。
寝かされていたベッドは天蓋がついていたし、部屋に備え付けられている机や調度品は高価そうだった。
だけど、どうして俺はこんなところで寝かされているのだろう。
そう考えて、腹部の痛みと共に、刺されたときのことを思い出した。
「あれはないだろ・・・」
泥のぬかるみから人が出てくるとか、どんな手品だ?
しかも刺してくるとか、有り得ないだろうよ。
「ここ・・・どこだろう」
腹を押さえながら立ち上がろうとすると、がちゃり、と戸が開いた。
「・・・北、郷?」
秋蘭だった。
手には水桶を持っている。おそらくは俺のための。
「秋蘭、俺――」
「北郷っ!」
勢いよく抱きつかれて、俺はあわてて受け止める。がしゃんと音を立てて水桶が落ちる。
・・・腹が痛かったのは内緒だ。
「大丈夫なのか?具合はどうだ?まだ痛むか?」
抱きついたと思ったら、すぐに離れて体の検分にかかる秋蘭。
腹を撫で、肩に触れ、最後に俺の頬へと手を伸ばした。
「・・・生きて、いるのだよな。ちゃんと息をしているな・・・?」
その目にたまったものを見て、俺は激しい自責の念に襲われた。
あんなにも大言を吐いたというのに、自分がまた秋蘭に心配をかけてしまったことに気づいたからだ。
「ごめん、秋蘭。心配かけたね」
「・・・まったくだ。これだからお前の言うことは信用できん」
「ごめん」
しゅん、となる俺を見て、秋蘭はため息をつく。
「もういい。・・・北郷、お前、状況の把握はできているか?自分が何をされたかは?」
パッと思考を切り替えたらしい秋蘭がくれた質問に、俺は飛びついた。
「いや、わかってない。変な奴に刺されたところまでしか覚えてないから。・・・そこまではあってるよな?」
まさかそこから違うのだったら、本当にお手上げなんだけど。
しかし秋蘭は微かに頷いて肯定してくれる。
「ああ、その通りだ。私はそのあたりは、祭殿と桃香殿から教えていただいたのだがな。お前は怪しげな輩に腹部を刺され、三日ほど眠っていたのだ」
「・・・へ?」
俺にとっては少しの間夢を見ていただけのつもりが、実際にはかなりの時間を俺は眠っていたらしかった。
道理で体がだるいわけだ。
・・・って。
ちょっと待ってくれよ。
「三日?三日だって?じゃあ、桃香はどうなったんだ!?」
星が報告に行った後、桃香は城へ赴く予定だったはずだ。
俺が刺されたのが星が報告に行った日だから、そこから三日経ってしまったということは、既に桃香は・・・?
「そのことだが・・・まずは一刀、ここがどこかわかるか」
そう質問されて、俺は訝しげな顔をしてしまったと思う。それが重要な問題であるという気がどうしてもしなかったからだ。しかし秋蘭が質問に答えろとばかりに見つめてくるものだから、俺はしかたなしに首を振った。
「わからない。宿でないってことはわかるけどね・・・調度品とかすごく豪華だし・・・」
と、そこまで考えて思い至る。
「・・・まさか、ここは」
「そう、成都が本拠地。桃香の城さ」
愕然とした。
つまり、桃香の申し開きはもう終わってしまったということか。
俺は秋蘭につかみかからんばかりに問うていた。
「桃香は!桃香はどうなったんだ・・・!」
「北郷」
強い声で諌められる。
その手は俺の肩を強く強く押している。
「北郷、落ち着け。桃香は無事だから。わかるか?桃香は、大丈夫、なのだ」
念を押すためにか、ひとつひとつ言葉を切ってはっきりと言ってくれた秋蘭のおかげで、しっかりと頭に入ってきた。
「桃香は・・・まだ無事なんだな・・・」
ほう、と息が漏れる。
蓮華と成そうと約束したことが、まさか寝ている間に破れてしまったのでは俺は桃香にも蓮華にもなんと言っていいかわからない。
「・・・だけど、俺がここにいるってことは・・・桃香は申し開きを行ったんだよな?違うのか?」
「いいや、違わない。北郷、私が順序だてて説明してやるから、落ち着け。ちゃんと寝台に戻れ」
促されるまま、浮いていた腰を寝台に戻した。
「まずはお前が刺された後だが――」
秋蘭の口から、俺が眠っていた間の出来事が語られ始める。
俺は一言も聞き漏らさないよう、じっと耳を傾けるのだった。
Tweet |
|
|
80
|
7
|
追加するフォルダを選択
まだ3日じゃないけど猛烈に眠いのでフライング。
いかがでしたか、連日投稿は?
私の遅筆じゃこれぐらいが限界なわけですが、試みとしてはがんばったほうなんじゃないかと自画自賛してみる^^
次回はおそらく三人称にチャレンジしてみることになりそうですが、まあ予定は未定。
今のところ一刀くんと秋蘭の会話で話が進んでいますが、はてさて祭さんは?桃香は?
続きを表示