北郷一刀。天の御遣いとして人心をつかみ、
「ほんっっごぉぉおお!どこにいるぅぅうう!華琳さまを……華琳さまをぉぉおおおお!」
天の知識を用い、華琳さまの覇道を助け、
「兄ちゃぁぁん、ちゃんと勉強するから、でてきてよぉぉ」
その人柄によって、魏の重臣たちの心を掴み、
「いやぁ、華琳さまも人が悪いなぁ。たいちょがうちらほぉっておいてどっか逝くわけあらへんて」
呉蜀との戦が終わり、華琳さまの元から去っていった。
「皆のものいい加減にしなさい!それでも曹孟徳が家臣か!北郷一刀は天命を全うし、天の国へと帰って逝った。それは紛れもない事実であり変えられないことよ、受け入れなさい」
その言葉に季衣と流琉は抱き合いながら、呆然とする凪を中心に真桜と沙和が身を寄せ合い、風と稟は天を仰ぎ見ながら、柱花はブツクサと悪態をつきつつ、姉者はその場に伏しそれぞれが悲しみの涙を流している。
華琳さまも目を赤く腫らし、頬には流した涙の痕が見て取れる。
「今日は皆休みなさい。私の天幕に誰も来ないこと、いいわね」
華琳さまはそう言うと私たちに背を向け、あくまでも覇王曹孟徳として私たちの前では振舞っていたが一人きりになればきっと北郷を思い涙するのだろう。
北郷がいなくなったこの時、私、夏候妙才ただ一人涙を流せなかった……。
月日は流れ、皆の中で北郷のいなくなった傷跡が表面上見えなくなった頃になっても私は未だ泣けていなかった。胸にはまだ北郷がいなくなったときに感じたしこりが残り、その大きさは日に日に大きくなっているように感じる。
私はそのしこりを強く感じたとき、城外にある竹林へと足を向けてしまう。いつも共にいた姉者がいない北郷と私だけの思い出のある竹林。
「こんなところに竹林なんてあったんだ」
「知らなかったのか?軍備の一環として竹をここには植えているんだが」
城へと帰る道すがら脇にある竹林が珍しかったのか、それを見つめる北郷に声をかける。
「軍備の一環かぁ……あぁ、でもそろそろ筍の時期だよなぁ、刺身に筑前煮に……取っちゃだめなのかな?」
急に天の国の言葉なのか言い始めた北郷についていけず、私はまじまじと涎を垂らさんばかりに竹林を見ている北郷の顔を見てしまう。
「ん?あぁ、刺身も筑前煮も料理の名前だよ。刺身は生のまま酢味噌でって酢味噌が作れないかぁ……筑前煮も醤油がないから作れないしなぁ」
私が見ていることに気がついた北郷は天の言葉の説明を始めるが、言った傍から別の天の言葉を使い、腕を組んで悩み始めてしまった。“刺身”の生のままでという部分だけは判ったので考え込んで動こうとしない北郷を動かすためだけに聞いてみる。
「ん?えぇと生の筍がえぐいって?それは大きくなった筍だからだよ。まだ芽の出たてで採ってすぐの筍なら生で食べてもおいしいんだけどな」
北郷は“ものはためしってことで”などと言いながら竹林へと足を踏み入れてしまった。
「おいっ北郷!ここは軍の管轄だと言っただろう、待て!」
竹林の奥へと入っていった北郷を追いかけて私も竹林へ足を踏み入れる。笹の葉で肌を切らぬよう気を付けつつ、軍需物資でもある笹の茎を折らぬようそっと分け入って北郷の残した足跡を追った。
意外にも竹林での行動は私が笹を傷つけぬよう慎重に行動していたこともあり、なかなか北郷に追いつくことはできなかった。体感で四半刻かかったように思う。北郷があそこまでくっきり跡を残してくれなければ、見失っていたところだ。
「北郷!いい加減にしないか!ここは華琳さまの覇道を成し遂げるために必要な場所なのだぞ」
ようやく見つけた北郷は何もない地面に落ちる腐り始めた葉をそっと手で除けていた。あらかたの腐葉土がなくなると湿った土が見えてくる。よくよく見れば北郷が腐葉土を除けた中心がやや盛り上がっているように思えるが、筍の頭さえ見えない何もない場所だ。
「北郷、そんな何もない場所を探したところで筍は見つからないし、ここは軍の管轄しているところだ、勝手なことが許されると思うな」
「秋蘭、ちゃんと筍はあるよ。このくらいの大きさじゃないと灰汁が強くなって生だとおいしくないからね」
北郷は私の言葉を半ば無視して懐から出した懐剣でやや盛り上がっていた中心の周りを丁寧に掘り進めていく。しばらくザクザクと北郷が土を掘る音が静かな竹林に響き、注意していたはずの私も北郷が掘っている土の中を覗き込んでしまっていた。
北郷が額の汗を袖で拭いながら掘り進めた土がちょっとした大きさの土山を作ったところで小さな筍がようやく見えてきたことに私は驚いた。よくも見つけられたものだと思う。
「祖父さんによく連れてきてもらったからな。竹刀……俺の国で剣の稽古に使う竹でできた刀なんだけど、自分で作るような人だったからさ。竹をよく取っていたし、筍もまたよく取っていたから見つけるのは得意なんだよ」
丁寧に筍の周りの土を掘りながら北郷は私の疑問に答えてくれた。時々こいつは驚くほどに私達の心を読んで言葉を発する。今の言葉も視線は筍に向けたまま、私を見ずに私が思ったことに答えを出してくれた。
北郷は掘り出した筍を根元から懐剣を使って切り取った。なにやら“鍬みたいなやつのほうがやりやすいな”とか言っていたが、綺麗に取れていたと私は思う。腰に提げていた竹を使った水筒から水を流し、土で汚れた手を洗った北郷は、手馴れた手つきで筍の皮を剥いていく。私も剥いたことがあるが筍の皮は量が多い。大きな筍だと思って皮を剥いてみると半分くらいにまで小さくなってしまうなんていうことがままあるくらいだ。普通はそれを水煮にしたりメンマにしたりして食すはずなのだが、北郷は生のままで食べるというが信じられたものではない。
「秋蘭。筍ってさ、採ってから時間が経てば経つほど固くなってえぐみが増えていくんだよ。1時間……半刻くらいまでに食べるなり下拵えするなりしないといけないんだ。……っと、秋蘭。秋蘭の懐剣貸してくれる?俺の土掘るのに使って汚れてるからさ」
剥き終わり綺麗な乳白色をした筍を左手に持ち笑顔で右手を出す北郷に、私はため息をついて懐から懐剣を取り出し鞘から引き抜き渡してやる。
「知ってる?筍って7割くらいが土から顔を出してからすぐに枯れて腐っちゃうんだ。だから適度に採らないともったいないよな」
軍需物資であり軍の管轄地にある筍を勝手に取った言い訳をするように言葉を発しながら北郷は、私が渡した懐剣を使い筍の土のまだ付いている根元を落とした。
「それは言い訳か?北郷。勝手に竹林に入りあまつさえ筍を採るなど……」
「それは秋蘭が内緒にしてくれれば大丈夫ということで……」
北郷は私の言葉にいい加減に答えつつ、筍を半分に切り分け片方を自分の口に放り込み味わうように咀嚼する。
「ちょっと早いかと思ったけど、やっぱりうまいなぁ。酢味噌が欲しくなるけどしかたないよな。……はい、秋蘭、あ~ん」
そしてあろうことか北郷は残り半分を手に私の口元に突きつけてくる。何故だか頬が火照ってくるが気のせいだと思いたい。
「ちょ……ちょっと待て、北郷。私は……」
「いいから、いいから。秋蘭も食べてみなよ。あ~ん」
「だから話を聞け、北郷!そもそも筍というものは、むぐっ」
「これで秋蘭も共犯者だね。採りたてなら生の筍もおいしいでしょ?」
悪戯が成功した子供のような笑顔を向けられて私の頬が先ほどよりも火照るのがわかる。北郷のこの行動を本来なら怒らねばならないというのに、共通の秘密を持てたこと、北郷のこの笑顔を見れたことをうれしく思う自分が私の体を縛り付ける。
「華琳に話して皆で筍狩りもいいな。これだけ広い竹林だから春蘭や季衣がたくさん食べても大丈夫そうだしな。あ、そうだ流琉に酢味噌みたいなのが作れないか聞いてみよっと……秋蘭?」
だから目の前で楽しそうにこのことを他の皆に話そうとする北郷が憎らしく、その話を止めるためについ北郷の手を取ってしまった。そしてそのまま動かない私を不審に思ったのか、北郷が俯いた私の顔を覗き込んでくる。
私は赤く火照った顔を北郷に見られないように勢い良く振り向き、北郷の腕を取って早足で歩き出していた。
「ちょ、ちょっと秋蘭さん?しゅうら~ん……お、俺の懐剣、忘れてるっとっとと。あ、あれ無くなると華琳にどやされるって……」
あの時、私は北郷がなにを言っても手を離さず、城まで脇目も振らず帰ったがたまたま警邏で出ていた真桜に見られたのは痛恨の極みだった。あと華琳さまからなにやらお叱りを北郷が受けていたようだが私は何も知らない。
思い出されるこの場所だけではない北郷とのさまざまなやり取り。浮かんでは消え、浮かんでは消えていく淡い雪のような想い出を私はこの場所で心に描いていく。
私は何度思い出せばいいのだろうか……私は何度ここに足を向ければいいのだろうか……。
日が傾き世界が赤く染まるころ、私は想い出を繰り返すことをやめる。
今日も泣くことはなかった。いや、泣けなかった。
華琳さまを支え、その歩みを共にするために私はあのときから泣くわけにはいかなかった。しかし北郷を失った心は悲しみの行き先を求めて私をここへと連れてくるのだろう。私は今日も心に固く蓋をしてその場を去る。
「―――――」
竹林から懐かしい何者かに呼ばれたような気がして振り返るが、そこには誰かの気配も何もなかった。
「気のせいか……」
「―――――」
再び聞こえる甘く懐かしい呼び声。今度こそ私は聴いた。あの時固く心の奥にしまった想いがあふれ出してくる。私はもう止められなかった。呼び声の主を探して私は踏み込むことが出来なくなっていた竹林へと足を踏み入れる。
「どこだ、北郷!どこにいる!出てきてくれ、北郷!」
時折聞こえる北郷の呼び声を手がかりに私は笹を掻き分け竹林の奥へと進む。声は聞こえるのに北郷の影さえ見えない。
「北郷!出てきてくれ、お願いだ……出てきてくれ……かずとぉ」
北郷を探して竹林を彷徨う。北郷なら私が感じているしこりを取り除いてくれるはず。
「一刀……どこにいる?いるんだったら返事をしてくれ、一刀ぉぉ!」
いったい何刻ぐらい竹林を彷徨ったのだろうか?竹林を紅く染めていた夕日はすでに落ち、星明りだけが辺りを照らすだけになっていた。そして私の体も笹で切ったのだろういたるところに切り傷ができ血が滲んでいる。疲労から膝ががくがくと震え、力が抜けそうになるがそれでも私は北郷を探すことをやめなかった。
「―――――」
再び北郷の呼び声が聞こえたとき、私は視線の先に光点を見つけた。
すがる思いでその光点を目指してもつれる足を必死に動かし、新たな傷が出来るのも構わず笹を掻き分け泳ぐように走る。
「一刀……お願い、そこにいて……」
祈りの言葉を口にして常より重い体を叱咤する。ゆっくりと流れる時間の中で私は必死に足を動かした。必死に追って追って追って、光がすぐそこにあると思った瞬間、光点は初めから何もなかったかのごとく消えうせてしまった。そこで酷使し続けた体は糸が切れたように力が抜け、地面から飛び出ていた竹の地下茎に足を引っ掛け転んでしまう。
「消え……消えて……しまっ……た。も……う、いないのか?……一刀……」
間に合わなかった……掴めなかった……悲しいのに、悔しいのに、何故か私は涙を流せなかった。涙を流してしまったら北郷を諦めることになってしまうようで、私は必死に瞳にたまろうとする涙を振り払う。立ち上がる力はなくとも這い進むことは出来る。私は光点が消えたと思う場所を目指し、少しずつでも這い進む。腐葉土をつかみ、笹をつかみ、竹をつかむ。傷だらけ泥だらけの身体をただ前に進めるために地面をつかみ引き寄せる。
今の私には“一刀がそこにいる”ということが支えだった。それが私の妄想だとしてもそう想わなければ私はもう指一本動かすことは出来なかっただろう。
「一刀……待っていろ……待っていてくれ……」
その想いだけで私は光点が消えた場所にたどり着いた。
私は見上げる。
星明りに輝く白い服を着た男性を。
柔らかく包み込むような微笑を浮かべる男性の顔を。
「やっぱりそこにいたのか、一刀」
精一杯北郷に、愛しい男に触れようと手を伸ばす。
何故だろう?そこに立つ北郷は私を見つめ微笑むだけで動こうとはしない。
後少し……指先が北郷に触れたと思ったとき、
星明りに照らされ、白く輝く服を着た、
やさしく包み込む微笑をたたえた北郷一刀は、
煙が消えるように、
霞が晴れるように、
私の目の前から……消えて……しまっ……た……。
「あ……ぅあ……あああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁ」
何も考えられなかった。いや、考えたくなかった。
折角たどり着いた。折角見つけ出した。折角捕まえたと思ったにもかかわらず、その欲したものは指の先からヒラリと抜け落ち、私の目の前から消えてしまった。抑えていた、せき止めていた涙が絶望とともにあふれ出てくる。壊れてしまったかのように叫び、腕を振り上げ地を叩く。私にはもう耐えられなかった。北郷がいないことに、華琳さまの寂しさに耐える姿に、姉者の呆けた姿に……なにより私自身の悲しみに。
私は結局その場に夜が明け、空に藍色と朱色の境界である紫色が広がるまで泣き叫び疲れて寝てしまったようだ。この時期、夜具もなしに外で一晩明かすのは危険であるはずだが、大事に至ってはいないようだ。それどころか私は心のしこりが取れたように晴れ晴れとした気持ちでいた。
「やっと北郷がいなくなったことで、泣けたからか……」
昨日、北郷の幻影が消えたときに私はやっと本当に北郷が消えたことを納得できたのだろう。あの時に止まってしまった時間がやっと動き出したのだ、これからは今まで以上に華琳さまに御遣えしていこう。きっと逝ってしまった北郷もそれを私に望むことだろう。
縮こまった身体を解そうと伸びをして気がついた。私がなにやら土に汚れた懐剣を握り締めていることに。
「北郷よ、心配をかけたようだが私はもう大丈夫だ。これからもしっかりと生きていける。……一刀が切り開いてくれた命だものな」
手に持った懐剣を懐に仕舞い、城へと帰った。
朝もやの中、私を見送る白く輝く服を着た男性の姿を振り返ることなく……。
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初めて書いた作品で、拙いものですが読んでくださった方ありがとうございます。
数ある魏ルートアフター物で何番煎じかわかりませんが、秋蘭を主役にしてみました。知的で冷静な彼女ですけど、それが裏目に出ることもあるだろうし、春蘭がいないと彼女より先にあわてる人間がいないので冷静に対処できなくなるようなイメージが私にはありますので、私の世界観では秋蘭はこんな人です。