「桃香、無事か!」
「え・・・れ、蓮華、ちゃん・・・?」
目の前に立つ、その姿に。
私は安堵よりも驚きを感じていた。
なぜここにいるの?
ここでなにをしているの?
――なんで、助けてくれるの?
「明命ッ」
「は、はいっ!失礼します!」
「へ?」
わたわたしていた明命ちゃんが、何かを吹っ切ったような顔で私を抱えた。
それを確認した蓮華ちゃんが、止めていた青年の短剣を大きく弾き飛ばした。
「撤退するぞ!桃香を頼む」
「承知!」
「逃がすか!」
後ろにいた少年が踏み込んでくる。
だが、それは天上から降ってきた矢によって押しとどめられた。
「なに!?」
「まったく・・・何者じゃ、おぬしら?奇妙なことこの上ない」
そこにいたのは、黄蓋さんだった。
驚きを味わう前に、明命ちゃんは私を抱えたまま走り出していた。蓮華ちゃんがそれに続く。
祭さんはもう一度、一回で二本の矢を射てから、それを追う。
――青年と少年は、追ってはこなかった。
星が買出しに行ってくれるというので、それに甘えて俺達は部屋で待っていることにした。
荷物持ちくらいしようかと言ったのだが、やんわりと断られてしまった。
出て行く直前に「どうか鈴々をお願いします」と言われてしまっては、無理について行くわけにもいかない。
鈴々とじゃれながら、秋蘭にからかわれていると、音を立てて扉が開く。
「あ、おかえり・・・!?」
孫権さんの姿を確認してそう声をかけ、そして彼女が支えている人物を見て驚愕する。
鈴々も大きく体を震わせて驚いていた。
「お姉ちゃんッ!」
「・・・鈴々、ちゃん」
憔悴しきったような顔で現れたのは三国の間で現在最重要人物として名高い――劉備玄徳、その人であった。
椅子を持ってきてやり、ふたりを座らせる。
「孫権さん、なにがあった?」
「・・・桃香が襲われる寸前のところに出くわしたのだ。そのまま保護してきた」
ひどく疲れたような顔でそう告げる孫権さんに、俺たちは驚きを隠せない。
「それは・・・」
秋蘭は何事かを険しい顔で考えている。なにが起こっているのかを把握しようとしているのだろう。
再び扉が開く。今度は音はならなかった。
「蓮華さま、追っ手はおりませんでした。おそらくこの場所も掴まれていないものと思います」
そんな中、明命と祭さんが戻ってきた。どうやらその襲ってきた輩がついてきていないかを確認していたみたいだ。
「そう・・・ふたりとも、ご苦労様」
ほっとしたような顔で労う孫権さん。
やがて彼女は少しだけ逡巡して、俺にその鋭い相貌を向けた。
「ん?」
「・・・北郷、お前に話がある」
その言葉は、縋るような響きを携えているように思えた。
「なにかな」
「できればお前だけに話したい。場所を移しても?」
いいよ、と言おうとして、視線を感じて首を回す。案の定、秋蘭が怪訝そうな顔でこちらを眺めていた。
あえて秋蘭を呼ばず、俺を呼ぼうとする孫権さんに危険を感じ取ったのかもしれない。
だけどここで否を唱えても先に進まないのもまた事実。
「・・・ああ、かまわない」
「北郷!」
その視線を無視して孫権さんに答えると、秋蘭はそれを咎めた。
「大丈夫だよ、秋蘭。大事無い」
「どうしてお前にそんなことがわかる?お前はいつもいつも――大事無いと言っては、なにかを隠していたではないか!」
俺や孫権さんだけでなく、椅子に深く腰掛けていた劉備さんや鈴々達もその悲壮な声に驚かずにはいられない。
それは胸を痛まずにはいられないような――まるで泣いているような声だった。
はっとしたようにわれに返った秋蘭が立ち上がる。
「・・・すまない、少し頭を冷やしてくる」
そういって出て行く秋蘭。
俺は思わず孫権さんを見ていた。
「ごめん、孫権さん!話は後で必ず聴くし、できるだけ早く戻ってくるから・・・」
そこまで言うと、孫権さんは俺の言葉を手で制した。
「いや、私も配慮が足らなかった。許してほしい。
・・・早く秋蘭殿を追いかけてやってくれ」
「ああ、ありがとう!」
俺は秋蘭の後を追った。
秋蘭は宿の前、人通りの少ない路地でひとり佇んでいた。
俺の姿を認めると、少し気まずそうな顔をして、だけど逃げたりはしなかった。
「・・・北郷。悪いが、今は放っておいてくれないか」
「秋蘭、悪いけどそれはできない。俺は君に謝らなくちゃいけない」
「謝る?」
「心配をかけた。たくさん悲しませた。俺はまだ、それをちゃんと謝っていなかった」
それをきくと、秋蘭は苦笑いを漏らす。
「・・・北郷、お前はばかだな」
「ひどいな」
「何がひどいものか。ひどいのはお前だ。謝られたって許せるものか」
「秋蘭」
「どうして黙っていた。体調が優れないことも、それがやがて身を滅ぼすことも、わかっていたのだろう?」
「・・・ああ」
「全部・・・全部わかっていて、何故私を助けようなんて思った」
「・・・」
「そんなふうに助けられて・・・私が喜ぶと、私がなんとも思わないと、本気で思っていたのか?」
・・・ああ、やっぱり俺はばかだ。彼女の悲しみを、万分の一も理解できていなかったらしい。
俺が消えて、泣くこともできず、呆然として――感情の捌け口さえもてなかったのは、もしかすると秋蘭自身のことなのか。
定軍山の戦い。秋蘭が死ぬのを黙ってみていられなくて、結果的に俺が消えざるをえなくなった要因のひとつ。
聡明な秋蘭のことだ。
それに気づかなかったことがあるだろうか?それで自分を責めなかったことが?
きっと彼女は己を責め続けていた。
俺が消えたことも、周りの愛しい仲間達が嘆き悲しんでいるのも、すべては己のせいなのではないかと。
その自責は、彼女に涙を流すことさえ許してはくれなかったのかもしれない。
秋蘭は俺のもとに俯きながら歩き寄り、そして強く俺を抱きしめた。
「・・・一刀、もうどこにも行ってくれるな。もう二度と、私たちを置いていくな」
閨の中でしかきけない、その呼称。今聞くと、その響きはひどく胸に痛い。
なだめるように抱きしめ返す。
「行かないよ、秋蘭。俺はもうどこにも行かないんだ」
「・・・嘘」
「え?」
その言葉に、なにか雰囲気が変わったような気がした。
「・・・黄蓋殿はどうするのだ」
その言葉は、俺の首を絞めるような鋭さを持っていた。
「まさかあのような雰囲気をしておいて、情を交わしていないとでも?」
「いや・・・それは、その」
だらだらと汗が落ちる。
背中にまわっていたはずの秋蘭の手が、なにやら背中の肉をつねっているような・・・。
「・・・まったく」
さっと手がほどけ、秋蘭との間に距離が空く。
そのまま秋蘭はすたすたと歩き出してしまった。
「え、ちょ、秋蘭・・・?」
少し歩いて、俺との距離が開いたところで、足を止める。
秋蘭は振り向かないまま、俺に聞こえる程度の絶妙な声量で言った。
「・・・馬鹿者。男なら、情を交わした女を悲しませるな。全員幸せにしてみせろ」
それは・・・。
「誰かひとりでも悲しい思いをさせてみろ。今度はけして許さないぞ。
・・・総出で、去勢してやる」
「ヒィッ!?」
「わかったか?」
秋蘭が首だけをこちらに向ける。
俺はこくこくと首を何度も縦に振って頷いた。
よろしい、とでも言うように秋蘭は一度大きく頷き返してくれる。
「秋蘭」
「ん?」
また歩き出しかけた秋蘭を呼び止める。
「幸せにするから」
これだけは、言っておかないといけない。風に言ったように、秋蘭にも誓おう。
ちゃんと魏に帰ったなら、全員に俺は誓うつもりだった。
秋蘭はあっけにとられたような顔をして、次に少しだけ顔を赤くして、そのまま歩き出してしまった。
その背中は、幾分哀しみが薄れているような気がして――
俺は少しだけ、安堵するのだった。
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記念すべき第二十回!おめでとう自分!
・・・や、尊敬すべき作者様方と比べられると、その程度で喜ぶなよ的な意見もあると思いますが勘弁してください。
今回はもう少し展開を進ませる予定だったのですが、秋蘭が思いのほか長引いてしまいましたかね。
でも3、4ページがやりたくての秋蘭チョイスなので後悔はしていない。
二十回記念ということで、いつもはできないけど、今回はコメントくれた人全員にレスしてみるw