No.128003

真・恋姫†無双 〜白馬将軍 龐徳伝〜 プロローグ

フィオロさん

色々小説読むうちに自分でも書いてみようかなーと思い至り、こうして投稿してみました。
タイトルの通り、主人公は龐徳です。良くある憑依系です。

2010-03-04 02:54:55 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:5889   閲覧ユーザー数:5058

 

初めまして。フゴーと申す者です。

 

こうして小説を書くのは初めてです。色々な小説を読んでいて、自分も書いてみよーかなーと思い至り、こうして投稿してみました。

 

何分初めての経験で、文才等欠片程もありませんが、生暖かい目で見守って下されば幸いです。

 

 

 

タイトルの通り、主人公は龐徳。三国志では始めは馬超の配下として登場し、紆余曲折を経て曹操に使え、最後は関羽の水計に破れ、降伏を拒んで処刑された人物です。

そして何かと于禁と対比される人物でもあります。

 

また、白馬に乗って騎射に優れていたと言う事から白馬将軍とも異名されていたそうです。陳寿の三国志に置いては、関羽の額宛に矢を命中させると言う離れ業をやってのけています。

 

こうした事から後世に置ける龐徳の評価は概ね高く、光栄三國志に置いても統率、武力に優れた将軍として重宝する等、三国志屈指の勇将として知られている龐徳。

 

そのためか、本作では完全にチートキャラになります。また、龐徳の出自に関してもありえないだろ常識的に考えて、と言いたくなる設定にしています。

それに恋姫では出て来ない武将や文官もオリジナルキャラとして出すつもりです。

 

もしかしたらそう言うのを嫌う方もいらっしゃるかとは思いますが、そうした方は見ない事を御奨めします。龐徳が好きな自分としてはどうしても好意的に描くつもりです。

 

もし、感想を頂けたら泣いて喜びます。

 

 

 

小高い丘上から見つめる視線の先には、果てしない地平線がどこまでも広がって居る。緑色に染まった平原が、どこまでも広がっている。

その平原に旗が揺らめく程度の風が吹いている今、俺の眼下には異質な者共が織り成す光景が広がっている。

 

 

軍・・・兵が集まり、一つの形を成すその集団があるのだ。

兜を被り、鎧を纏い、手には槍を握り、腰には剣を佩いている。

中には弓や弩を持つ者も居れば、馬に乗った兵士、所謂騎兵も居る。

そんな兵共が集まり、軍の形を成している。

 

 

無論、それがあり得ないとは言い切れぬこの地では、それほど特別何とも思わぬだろう。

 

 

その軍兵数が、25万と聞かなかったら・・・。

 

 

 

 

此処は後漢王朝の広大な領土の中でも特に厳しい環境として知られる、西北の果て涼州の地である。

 

その涼州でもさらに北の草原の地。今そこに、涼州の総力が結集していた。歩兵10万、騎兵15万の、文句無しに大軍と呼べる数字である。

 

特に騎兵15万と言うのは、涼州の特徴とも言える。騎馬民族と密接に関わるこの地に置いて、騎馬民族に対抗するにはやはり騎兵を充実させて対抗するのが有効であるからだ。

 

勢いのついた騎兵の突撃は凄まじく、歩兵では多少数を揃えただけでは対抗出来ない。自分よりも遥かに大きな体格の動物である馬が、人間の全力疾走を凌ぐスピードで突っ込んで来るのだ。

 

それが何百、何千、何万と言う数の騎兵が押し寄せて来たら?

威圧、迫力は筆舌に尽くしがたいだろう。

 

 

 

そして同じ騎兵を揃えた所で、騎馬民族に対抗出来るかと言うと、そうとは言えないだろう。

騎兵の突撃の凄まじさ以外にも、機動性の高さと騎乗したまま矢を射る、所謂騎射が出来る兵ばかりで構成された騎馬民族はとにかく強いのだ。

 

そうした精強極まる騎馬民族対策は、中華の王朝に取って永遠の課題と言えよう。

 

 

 

 

涼州よりさらに北、草原の地は涼州よりもさらに厳しい大地である。厳しい涼州をも凌ぐ程厳しい地である。

 

北は寒い。

 

そして寒い地域はそれに特化した進化を遂げた生物しか生きる事は出来ない。当然人間にとっても生息するには厳しい土地だ。

 

 

 

だがそれでも、そうした地域にも人は進出する。正確には、進出せざるを得なかった、と言うべきか。

 

そこで生き残るための生活システムを模索追求した結果、遊牧民族=騎馬民族が生まれ、家畜とともに草を追い、一カ所には留まらずに各地を転々とする事で命を繫いで来たのである。

 

しかし、一カ所に留まらずに草を追い続ければ、どうしても北方は厳し過ぎるため、南へと目を向けざるを得ない。

 

南は騎馬民族が生活するにはより易しい土地である。草原の地に比べて暖かく、食を得やすいのだ。

 

だが当然、その南の地には農耕を主体とする国家、すなわち中華の王朝が存在する。となるとどうしても、農耕民族である中華の王朝と、騎馬民族との間で摩擦が生じてしまうのだ。

 

 

 

 

涼州と言う地は、作物を育てるには好ましい環境とは言えない。この中華でも北方に位置するため、気候が中原や江南に比べると涼しい。

それでも、草原に生きる騎馬民族にすれば豊かに草が生い茂る、まさに豊穣の地。

 

草原の地では大規模、小規模問わず農地を作るには水資源の確保が難しく、そもそも騎馬民族には農耕をすると言う発想そのものが無いのである。

 

その上、匈奴を中心とした騎馬民族が毎年秋に南下して来ては、涼州を含めた北方の地を荒そうとするからである。

 

そして、騎馬民族は強い。

 

高い機動性と騎乗したまま射撃出来る騎馬民族の戦闘能力の高さは凄まじい。歩兵10に対し、騎兵1と表現される様に、騎兵はそれだけで強い。しかも騎馬民族の騎兵となると練度が桁違いなのである。

戦場を縦横無尽に駆け巡り、矢の雨を浴びせかけられたら、歩兵では抵抗のしようがない。騎兵でもただ闇雲に数を揃えただけではコレまた無意味である。

それほどまでに「馬上に生まれ、馬上に育ち、馬上に死ぬ」騎馬民族は戦闘技術に優れている。

 

しかも、騎馬民族達からすれば、南下して食を得る事が出来なかったら餓死の危険性があると言う、まさに死活問題なのである。

死に物狂いで食料を手に入れなければ、自らや家族を養う事は出来ず、飢え死にしてしまうと言う恐怖は、騎馬民族の兵士達を勇猛果敢にする理由としては十分過ぎる。

 

 

 

毎年の秋、中華の地の実りの季節。騎馬民族は生きるために食料を手に入れるべく徒党を組んで南下して来る。

 

これはまさに永遠の課題であり、後漢王朝に限らず幾多の中華の王朝を悩ませて来た存在なのである。

 

 

 

 

それだけに騎馬民族の侵略に抗い、業績を残した人物は、殆ど例外無く中華の歴史に栄光と共にその名を残すのである。

 

 

 

後漢王朝が成立してからは班超が僅か36名で匈奴の一団に奇襲を仕掛け、その後も幾度と無く匈奴を打ち破って後漢王朝の西域経営に大きな貢献をしている。

 

班超の死後、西域は匈奴の侵略を受け、西域経営は出来なくなり、撤退したと言う事から班超の存在感の大きさが良く解る史実である。

 

 

まだ新に滅ぼされる前の漢王朝では、元祖飛将軍李広が匈奴との戦で武勲を立て、霍去病や衛青が匈奴をその天才的な騎馬戦術で度々打ち破ったと言う。

 

当時の前漢は武帝により、高祖劉邦が匈奴に破れた汚名を雪がんと匈奴との戦争が始まった時期であり、彼の将軍達の活躍に武帝も満足した事だろう。

 

 

そのさらに前、秦王朝が誕生した頃、秦が中華の統一に大きな貢献をした名将・蒙驁の孫でこれまた秦の統一に大きな貢献をした名将・蒙恬が30万の大軍を率いて匈奴を撃破し、オルドス地方から匈奴を追い出した。

 

さらに匈奴の反攻に備えて万里の長城を築いたと言うのも良く知られた歴史である。

 

 

 

蒙恬が匈奴を討ったそのさらに約30年前、まだ秦が戦国七雄の一つの国に過ぎなかった時、その秦の猛攻によって滅亡の危機に陥った、同じく戦国七雄である趙の国にもまた、匈奴を撃破した武将が居る。

 

秦国六大将軍筆頭の白起によって長平の戦いに破れた趙は兵卒45万を失い、大幅に軍事力が減退した。そんな凋落し始めた趙の国情の最中で、匈奴軍10万以上を討つと言う途轍も無い戦果を挙げた武将が居る。

 

その武将の名は李牧。後には度重なる秦の猛攻をその都度撃破し、秦軍を震え上がらせ、直接戦っては打ち破れぬと判断した秦の謀略によって命を落とすまで斜陽の趙国を支えた、中華の歴史に名を残す名将である。

 

 

 

 

「若殿、来ましたぞ。」

 

 

目を閉じ、物思いに耽っていた俺の意識を呼び戻したのは、俺の配下の騎兵である。俺の祖父の代から俺の家に使えている、経験豊富な老兵であり、俺がじいと呼んで慕う人である。

兜に隠れた髪の毛は既に白髪が多く、蓄えられた髭もまた白い。

それでありながら眼光は鋭く、槍を握る指は太く節くれ立っており、甲冑の下に着込んだ軍服でも隠しきれぬ程鍛えられた体格は、未だに一線で戦う勇者である。

 

幼少時代から今に至るまで俺に武芸を教え込んだ、一言で言えば師であるが、俺がじいに抱く想いは師弟関係に留まるものではない。

そしてじいにとっても俺はただの弟子ではない。先々代から俺の家に使え、時の当主と共に戦場を駆け抜け、領地経営の補助に当たって来たじいにとって、俺は孫と言える存在であろう。

 

じいより放たれる言葉は、年老いた響きを感じさせつつも力強さに満ちており、その声が続く。

 

 

「匈奴軍、40万でござる。」

 

 

その言葉通り、砂煙を巻き上げて疾走して来るのは騎馬民族の大軍である。これほどの規模で軍を動かせるのは、五胡と総称される騎馬民族の中でも匈奴だけである。

 

 

 

 

 

凄まじい勢いで迫って来る匈奴軍にも関わらず、それを迎え撃たんとする涼州軍の兵士達には怯えの色は無い。それ所か一人一人の兵から立ち上るその意気は天を突かんばかりである。

 

 

「若殿のお言葉に、一兵一兵に至るまで、皆がこの戦いの意味を思い返し、そして決意したのです。無論、儂もですぞ。

年甲斐も無く、全身が燃え上がる様ですわい!」

 

 

言葉と共に槍を強く握り、呵々大笑するじいにも、じいの言葉に触発された周囲の兵達からも、立ち上る強い意気を感じる。思わず俺は苦笑した。

 

俺がこの世界に生まれて22年。その全てを俺はこの戦のために注ぎ込んで来た。

俺は少し前、城を出る前に、揃った兵士達の前での演説を思い返していた。

 

 

 

 

最後まで御読みいただき、誠にありがとうございます。

 

とりあえず、最初は匈奴との戦争を書こうと考えています。

 

三国志には匈奴との大きな戦は描かれてはいませんが、他の騎馬民族との絡みはそれなりにあり、三国時代に置いても騎馬民族の影響を無くす事は出来なかった様です。

 

演義に置いても諸葛亮が北伐した時には魏が羌族の王に働きかけ、25万の大軍を動かして戦ったと言う話が出て来ます。

 

恋姫においては特に真・恋姫†無双の蜀√に置いて最終決戦で100万(実際には1少ない)の五胡軍と戦うとなっています。

 

 

 

 

ちなみに申し遅れましたが、執筆はかなりの亀の歩みです。なるべく急ぎますが、速さにおいては期待しないで下さい。

 

それでは次回でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 
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