No.127818

東京行き

さん

結構前に書いていた長編?です。
書くときはとても楽しく描いてたんですが、後で読み返してみると…ぐはっ!(吐血)

読んでくださったらとてもうれしいです。

2010-03-03 10:48:11 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:882   閲覧ユーザー数:875

◆ プロローグ

 

さあ、壊してしまおう。

 

メールが届いた。

やけに短いメールだった。

件名、西尾昌吾様へ。

本文は、たったの二十六文字。

でも、

そのために、俺は東京駅へ行かなければいけなくなった。

 

 

◆ 高尾

 

俺は暇つぶしのために生きている。

 

北風が吹きつけてきているが、ここ、電車内は寒くない。とはいっても、ドアがまだ閉まってないから、時々風が吹きこんできて寒い。この前まで春一番と騒いでいたのに、またすぐに寒くなった。まったく。昼のこの時間でも寒いんだから、夜はうんと冷え込むな。

すると、情けない高尾駅の発車のベルが鳴った。

『三番線、中央特快東京行き、発車します。駆け込み乗車は、おやめください。』

ドアが閉まって、電車は発車する。

一両目に座っているので、どでかい天狗の顔が、見送ってくれる。正直あれはないと思う。何のために作ったんだろうか、製造者の意図を伺いたくなる。

まあいい。

このままのっていれば、行きたくなくても東京駅に着く。

俺の気持ちは予想に反して冷たく凍えきっている。

 

 

三年前のことだ。

大切な人がいた。

名前を『松木明日香』という。

彼女との思い出を語るなら、中央線を抜きにしては語れない。

なぜかというと、なぜだろう?

とてもお世話になった。大切な場所だから。

彼女と一緒に何度も乗った電車だから。

そして、

彼女を奪った場所だから。

 

◆ 西八王子

 

死にたくない。生きたくない。

 

ここの駅は、友人が多く住んでいるため、降りることが多い。でも今は下りない。降りても、何にもない。百円ラーメンがあったが、悪い方に変わってしまった。

電車内には、日曜日だけあって人が多い。それでも一両目なので多少は空いてはいるが、席はすでに全部埋まっている。

暇なので、人間観察をする。塾時代はいつもそうだった。昼間から酒を飲んで寝ている会社員や、せんべいをバリぼり食べるおばちゃんやら、見てて飽きるものはない。今、前の席に座っている高校生が、なにかぶつぶつ呟いている。ヘッドホンをしているのでおおかた、歌の歌詞だろう。

それにしても、俺は何で東京駅に行こうと思ったんだろう。

いや、すでに答えは出ている。

取り戻したいからだ。

 

 

三年前と言えば、まだ俺が中二病で中学三年生だったころだ。

奇妙な話だがそうあらわすしかあるまい。とにかく俺はバカだった。

世界が俺の手のひらの中にあるとでも思っていた。

俺は傲慢だった。

でもそれを、彼女はいつも笑って見ていてくれた。心からの笑顔で。

彼女は俺より一つ年上だった。

いつも「ショウ君。ショウ君。」と呼んでくれた。

彼女は俺にとって、なくてはならない人だった。

それは、今でも同じだ。

 

◆ 八王子

 

知ることが、いつも正しいとは限らない。

 

八王子に着くと、ぐっと混みだす。この街は、仲間内ではいつも行く場所だ。ゲームセンターがたくさんあるからだ。まず駅前に一つ。そして通りに入って行くと、左右に三つある。パチンコ屋じゃなくてちゃんとしたゲーセンだ。だからこの街は貴重なのだ。

話がそれたが、多くの人が八王子で乗り降りする。俺の住んでいる高尾とは全く違う。高尾はとても高低差が激しい。自転車で駅に行くのもとても大変だ。登ったり降りたり、正直、面倒くさい。

俺たちの中ではここは都会だ。

なかなかに電車が詰まる。

それでも俺は下りない。

人間観察も飽きてきたので、目を閉じて考え事をする。

これから起こること。起こすこと。

電車は東京に向かって進んでいく。

 

 

そういえば、俺の家に彼女が初めて来たとき、こんなことを言った。

「きれいな場所だね。…そっかーショウ君はこういう所に住んでいたから、心がきれいなんだね。」

と。俺は狼狽した。俺は心がきれいなんて言われたことがない。見ての通りの悪人顔で、やってることもバカばっかりだ。そんな俺が心がきれい?そう思った。

けれども、彼女の言ってることは正しいから、そうなんだろう。

確か俺はこう返した。

「きれいな場所じゃねーよ、町は汚いし、そもそも町なんてねぇ。あるのはやたらと多い坂だけだ。そもそも俺の心はきれいじゃない。」

すると彼女は言った。

「ショウ君はわかってないだけだよ。綺麗なものは案外近くにある。そんなもんだよ。」

確かにそうだ。その時、俺の目には、彼女がとてもきれいに見えたから。

そのあと、俺たちはなんでもない話をして家へ行った。そして、何もせずにただ話すだけ話して、そして彼女を家まで送った。

けれども、その言葉だけは俺の頭に残った。

その時だけはこの薄汚れた俺の町も、きれいに見えていた。

その綺麗なものたちを、失うことはないだろうと、ずっと思っていた。

 

◆ 豊田

 

記憶とは、えてして曖昧。

 

豊田には、あの有名な車会社のトヨタがある。そもそも、この街にトヨタの会社があったから、豊田という町名にしたのだそうだ。人づてだから間違っているかもしれないが。

電車内は空く見込みはない。

中央特快だから当たり前だとは思うが、昼時なのにもう完全に満席だ。立ってる人もいる。

ここで下車したことはあまりない。そもそも関係がないからだ。

会社員をするのはまだまだ先だ。

 

 

くだらないことだが、明日香に言われたことがある。

「大学生になったら、同居していっしょに住もうね。」

とだ。俺は答えを渋った。うんとだけ言っときゃあよかったんだ。だから彼女が怒った。

「まったくもう、ショウ君は、私と一緒に暮らしたくないのかな?」

「いや、そういうわけじゃないけど、明日香、料理できないだろ。」

前に弁当を作ってもらったとき、お世辞でもうまいとは言えない味だった。

「うっ、それを言わないでもらえるかな?へこむから…」

「それに掃除や洗濯もできないと見た。」

「ぐっ、本当に毒舌だね、ショウ君は。確かに私は掃除も洗濯もできませんよ~だ。でも、ショウ君と暮らしたいというのは本当なんだから。」

そういう彼女は可愛かった。

「まあいいよ。俺がお前の飯を作ってやるから。お前は何もしなくていい。」

「むっ、なにもしなくていいって?」

先回りして俺は言う。

「そばにいてくれるだけでいいってことだよ。」

その時の彼女の顔をもう覚えてはいない。

ただ、彼女も照れていたと思う。

ただそんな時がうれしかった。

 

◆ 日野

 

何もかもをぶち壊して笑う。

 

日野駅は、高い所にある。それはこれから川を越えるためでもあるし、山を越えてきたからでもある。

とにかく見晴らしが良い。

まるでカントリーロードに出てくる街みたいだね、と言ったら母親にすごい馬鹿にされた。あれは聖蹟桜ヶ丘って言う、すごいきれいな街が舞台なの。こんな薄汚いところと一緒にしたら怒られるわよ、と。

それはすごい日野を馬鹿にしていると子供心にそう思ったが、言い返さないでおいた。確か、中学受験のために初めて立川の塾に行った時だ。

それでも、この街の景観はきれいだと思った。

今はそんなに綺麗とは思わない。

 

 

きれいなものとは何なのだろう。

今になって思うが、彼女はそんなに綺麗ではなかったのかもしれない。

よく財布は落とすし、傘は置いてくるし、年上なのに全然しっかりしてなかった。料理もできないし、すぐに怒るし、泣く。ほとんどダメ人間と言ってもいい。

でも彼女は一度、俺が彼女の家に行った時ピアノを弾いてくれた。

すごく簡単なものだけど、と言って、『G線上のアリア』を。

狭い室内に、音だけが鳴り響く。

それはとても、気持ちがいいものだった。

音楽の分からなかった俺でも、素直にすごいと思った。

終わったあと俺が拍手をすると、恥ずかしそうに手をもじもじさせていたことを覚えている。そして彼女はこういった。

「あははは、なんでこの曲はピアノにするとこんなにダサくなっちゃうんだろうね?」

「ええっ?今のがダサいのか?」

俺は驚いた。

「全然、すごかったぞ。ピアノなんて聞かない俺でも、すごいと思った。」

俺は素直に言った。

「違う曲を弾けば、もっと凄いと思うよ、わたし。」

彼女はニコニコしていう。

「じゃあなんで他の曲にしなかったんだよ。」

俺が言うと、彼女は「うーん、なんでだろうねー」と言って悩み始める。

しばらく狭い室内に、無音が鳴る。そして俺の方を見る。

「私の、一番好きな曲だから…かな?」

彼女は、珍しく真剣な顔をして言った。しかしすぐに笑うと、

「本当はヴァイオリンとか、やっていれば良かったんだけどね。もともとピアノなんてなかった時代だから。チェンバロとかの。」

と、早口に言う。

「ふーん。そうか。」

俺は感心した。明日香はピアノに関しては真剣なんだと。確か二番目に一緒に行ったところは、彼女のピアノのコンクールだった。そこでも、やはり真剣な顔をして、しかし楽しそうにピアノを弾いていた。

「やっぱり、ピアノ、好きなんだな。」

俺はそう言ったが、彼女は首をぶんぶん振って否定する。

「いやいやいや、違うんだよ。そんな好きとかじゃあないよ。だから、ピアノはちょっと苦手なんだ。」

「苦手?」

「いや、好きかと言われたら、やっぱり好きなんだけどね。」

「じゃあなんでだ?」

俺は聞く。

「…これは、そうだな……意地のようなものだよ。」

「意地‥‥‥か?」

「ははは、うちのお母さん、ピアノのことばっかりで、家族ほっといて世界中飛び回っているからね。」

「‥‥‥。」

「それでお父さんはずっと会社でしょ?兄弟とかいないから、ね。」

「ね。って、おまえな。」

なんか暗い話になってきた。それを感じたのか、明日香は明るい声で言う。

「『おまえ』じゃないでしょ。まったく。年上には敬意を表して、明日香って呼ぶって決めたじゃない。ショウ君?」

「敬意を表してないと思うがな…」

「はい、よんでみよー。さんはいっ」

「…マジで?」

「マジでだよっ。さんはいっ」

「明日香。…」

「はい。良くできましたー。それではご褒美に、もう一曲弾いてあげるっ」

そう言ってまた彼女はピアノに座った。そしてまた曲が流れる。ショパンの『ワルツ第6番変ニ長調作品64-1』。小犬のワルツの通称で親しまれている。

 

◆ 立川

 

何となく死ぬ。そのことが許された時代に、僕らは生まれた。

 

電車が本格的に混みだした。

母親は、多摩川を越えたらもうそこは別世界と言っていたけど、そうでもない。俺は何回も、立川へ行ったことがあるからだ。俺が中学を受験したときにお世話になった塾がそこにある。何故そんな遠くの塾に行ったのかというと、なぜだかわからない。母親が全部決めてしまったのだ。だからと言って、別に恨んでいるとかはない。塾は割と楽しかったし、その塾に行っていたからこそ、俺は今の中高一貫校に入学することができた。

そしてそれなりに楽しい。

馬鹿話ばっかりする親友や、いつも俺に当ててくる教師。それらすべてが、楽しい。

しかし、それらはすべて幻じゃないかという思いが、いつも心の中にある。

それらは消え去ることはない。

日常はすぐに消えてなくなってしまうものだから。

 

 

「ねぇ、浦安方面のネズミの国に行かない?」

そう誘われたのは、付き合って一年がたった時だった。突然、明日香が言い出したのだ。本当に突然だった。二人の家の大体真ん中ということで、立川で映画を見て、ぶらぶらと歩いて、マックで昼飯を食ってた時だ。マックってところが、いま思うと恥ずかしい。

「えっ、なんで?」

俺は聞いた。あまりにも突然すぎだったからだ。みていた映画を、俳優の演技が下手と俺がけなし、えーここは良かったよ~と明日香が返し、それで映画の話からいきなり切り替わってネズミーランドだ。

「だってもうそろそろ、二人が出会ってから一年がたつじゃない。どこか遠くへ行こうと思わない?」

「思わないし、付き合ってからにしよう。なんか…恥ずかしいし。」

今見てきた映画の影響だ、きっと。すると彼女が意地悪そうな笑みを浮かべる。この笑顔の時は確実に俺が負ける。

「じゃあ、お願い。いこうよ。一緒にさ。」

両手を合わせて頭を下げてくる。本当にずるい。

「…まあ、いいよ。」

そういうと、ぱあっとうれしそうな笑顔に変わって、両手を握ってくる。包み込むようにやさしく。

「ありがとっ。じゃあいつがいいかなぁ?明日とか?」

そのあと俺たちは、明日は無理、とかじゅあ明後日とか、ぎゃあぎゃあと話し合った。

そんななんでもない日常が、二人の間に流れていく。

そして、ちゃんと『浦安方面のネズミの国』に行ったのだが、それは二人の秘密だ。船の上でキスしたが、それは言いたくない。羞恥心で死んでしまう。

二人でお土産を買い、話し合った。

そして彼女を家まで送り届けた。

それだけの、なんでもない日常だ。

思えば、その時が俺と彼女のピークだったのかもしれない。

 

◆ 国分寺

 

出会いはいつも、突然で、偶然で、必然。

 

俺は国分寺からが東京だと固く信じていた。国分寺から東が東京で、国分寺から西がそれ以外。言ってみれば多摩だ。これは多摩に住んでいる人なら分かると思うが、都心なんて、一年に一回行くか行かないかだ。それなのに東京に住んでいるなんて恐ろしくって言えない。その境界が俺にとっては国分寺なのだ。立川までなら行けるが、国分寺になると、めったに行けない。そんな境界線なのだ。だから、ここまでは東京ではない。

そういえば、浦安方面のあそこも東京を名乗っていたな~と思いだすが、取り消す。

国分寺も人が多く出入りする。中央線の特徴はこの、人が多く出入りすること、かもしれない。京王線などなら、一度乗ったら終点まで下りない人が多いが、中央線は違う。一つの駅で、多くの人が降りて、これまた多くの人がまた乗る。だから、疲れる。

また降りて乗ってくる。俺の前にいる小学生だか中学生だかの女の子もかわいそうだ。大きなリュックを背負っていて、そちらのバックの方に重心を持っていかれている。今にも倒れそうだ。席を替わってみようかとも思ったが、お年寄りじゃないので無視。

その子は窮屈な鞄を下ろそうとしているのか、一生懸命に肩のひもをはずそうとしている。みているこちらにも必死さが伝わってくる感じだ。そして、

「あっ、」

と彼女が小さく叫ぶと、片方のひもが外れた勢いで、鞄の中身が人と人の間へ落ちていってしまった。

こうなったら、もう次の駅まで拾えない。

その時俺は何を思ったのか、女の子のおとしたものを見てしまった。それはピアノの楽譜のようだった。『Chopin』と書いてあった。チョピンではなくショパンだ。

どう考えたのか、俺は拾うしかないと思ってしまった。彼女はとても必死に拾おうとしている。座っている俺の方が取りやすいだろう。

「ほらよ。次は落とすな。」

そう言って女の子の手に直接渡してやる。すると彼女は、

「あっ、ありがとうございますっ」

と返事をする。そしてとてもうれしそうに笑う。

「これからコンクールだったんです。これをなくしたり破ったりしたら、大変なことになるところでしたっ。本当にありがとうございますっ」

その声は、どこか懐かしい人を連想させた。

 

 

彼女の父親の会社がつぶれた。不況の波にもまれての倒産らしい。

当時それはセンセーショナルな話題で、IT産業の限界、という題でマスコミにも大きく取り上げられた。

ともかくそこの社長だった彼女の父は、多額の借金を負った。

そこを起点に、彼女と俺との関係は悪化していった。

まず、メールが途絶えた。一時期は月に百通は超えていたのに、いきなりゼロになった。電話もしなくなり、ついにはこちらから掛けてみても出ないようになった。本当は出れなくなっただけのだが、その時俺は何も知らなかった。

彼女はただ忙しいだけなんだと自分に言い聞かせつつも、心のどこかで彼女に捨てられたんじゃないかと思っている自分がいる。

そんな状態が一週間ほど続き、俺はついにあきらめ始めた。

普通一週間連絡が取れなかったら、振られたと思っても仕方がない。

でも、やはりあきらめ切れない。

そして、また一本の電話がかかる。

歯車は回る。一つの結末へと。

彼女にしてはひどく歯切れの悪い声だった。

「話があるから、吉祥寺のいつもの喫茶店まで来て。」

 

◆ 三鷹

 

生きているだけでいいじゃないか。それ以上何を望む?

 

中央特快は吉祥寺には止まらない。

だからアナウンスがしきりに言う。

「この列車は中野まで、吉祥寺、荻窪には止まりません。」

それにかぶせて、女の子が話す。

「あっ、そうですっ。吉祥寺には私の家があるんですよ。狭くって京王線に乗り換える人でごった返してますけど、とってもいい街なんです。」

中央線内で人に話しかけられるのは珍しい。というか皆無だ。話しかけたとしてもすぐに会話は途切れてしまう。それなのにこの少女は、べらべらと話しかけてくる。正直ウザい。

「あ、じゃあなんでここで降りないんですかって?いやはや、よくぞ聞いてくれました。知らざあ言って聞かせやしょう。」

「聞いてもないし、なんで白波五人男なんだよ。」

「今日はこれからコンクールがあるんですよ。」

「無視された上に、それさっき聞いた。」

全く勝手な女の子だ。すると少女は少し反省したのか、しゅんとする。

「あ、そうでしたか?めいわくでしたか?自分、いらない子ですか?」

はっきり言うと迷惑だったが、小さい女の子に現実をつきうける気は毛頭ない。

「いや、そこまでは言ってないけどね。」

そういったのが間違えだった。

「そうですかっ、よかったー。ならまだ話しかけてもいいですよねっ私これからコンクール受けに行くんですけど、何と新東京国際フォーラムで行われるんですよ。私言ったことないんでとても楽しみなんです。そこでですね、私がピアノを弾くと思ったらもう…」

まだ続くのかこの話は、やっともう眠くなってきたというのに。

 

 

物静かな喫茶店だった。

クラシック音楽だけが、古いレコードから流れてくる。

「別れようか。」

彼女がそう切り出すのに、時間がかかった。その間、俺は何も言わなかった。

いや、何も言えなかった。

彼女が無理をして笑っているのが見え見えだからだ。すぐ顔に出るんだから、笑わなければいいのにと思ってしまった。

「なんでなんだ?」

俺は当然聞いた。俺には別れる気なんてない。どうしてもだ。すると彼女が言った。

「面倒くさく、なったからだよ。」

彼女はやっぱり笑っていた。

「面倒くさいって…」

「そう。もう嫌になったの。だから別れようって。」

彼女はやっぱり笑っていた。

「家の、ことじゃないのか?俺に迷惑がかかるからって。そんなことじゃないのか?だっておかしいよ、今日の明日香は。嫌ってのは嘘だろ。」

「嘘じゃない。本気なの。だから別れるの。わかったね。」

彼女はやっぱり笑っていた。

「お金とかなら親にたのんでみてもいいし、家は私立通わせられるぐらいだから少しはお金があるかもしれない…」

「いやだって言ってるでしょ!!」

どんっ、と机をたたいた。周りの人がみんなこちらを見る。

そして彼女はそのまま出て行ってしまった。追いかけようにも、できなかった。

彼女の眼に涙がたまってるように見えたからだ。

明日香に聞きたかった。

もういやだって言っていたんなら、なんで泣いたの?

もうそこに彼女はいない。

その喫茶店には、彼女の好きな『G線上のアリア』が、彼女の去った後もずっと流れていた。ずっと。ずっと。

 

◆ 中野

 

すべてのことは、現在進行形だ。

 

「『G線上のアリア』はねー、もともとJ・Sバッハが作曲したんだけど、アウグスト・ウィルヘルミがニ長調からハ長調に移調させると、この曲がヴァイオリンのG線だけで演奏できるってことに気づいたんだ~。それでね、ヴァイオリンの独奏用に編曲をしたことが、もともとの愛称の由来なんだよ。」

またグダグダと言いやがって。こっちの考えに手を出さないでおくれよ。しかもいつの間にか、タメ口になってるし。敬語はどこ行ったんだよ。まあいいけどさ。

「しかしお前も飽きないよなー、俺さっきから何もしゃべってないぜ。一人でぺらぺらしゃべっていて何が楽しいんだっての。」

俺は意地悪に聞いてみる。また彼女がへこむと思ったからだ。けれど違った。

「へへへ―たのしいよー。君に話しかけてると。」

「は?」

「安心するって言ったほうが正しいかな。」

少女はニコニコ顔で言っている。俺は呆れた。

「だから何がだよ。おかしいだろ。」

「おかしくないよ。さっきまでなんか不安だったんだ。なのに、君に話しかけてたら不安がなくなったの。」

「それって、さっきのコンクールのせいで不安だったのか?」

「うん。そうだよ。」

「それじゃあ、誰でもよかったんじゃないか。」

「ううん。だめなの。ここに来る途中、ハトとかに話しかけても全然だめだった。池のコイも駄目だし、木も駄目だった。君だから、不安がなくなったんだよ。ありがとう。」

俺はあっけにとられてしまった。まったくこの人間?は何を考えて生きているんだろうか?不思議に思うよ。

「それでね、今日弾くのはショパンなんだけどね…ショパンさんはちょっと難しいんだよ。」

「はいはい。それで?」

俺はこいつの話を聞いてもいいと思えてきた。

そしてこの先の目的を忘れてしまっていた。

 

 

そのまま、明日香には連絡がつかなかった。

どこにいるんだろう。

何をしているんだろう。

考えてみても彼女は出てこない。

ネズミのマスコットも鞄から外した。

もう会うことはないと思った。

しかし、ぼんやりと二カ月がたってから、ようやく明日香に会うことができた。

次に明日香に会ったのは新宿でだった。

できれば出会いたくなかった。

 

◆ 新宿

 

時計の針を止めるには、時計を壊せばいい。とても簡単だ。

 

新宿は人の乗り降りが激しい。なにしろ都庁がある。今の新宿には何でもそろっているといっても過言ではない。だが、俺には全く縁のない街だ。

けれども、新宿が都会なおかげで電車内はかなり空く。彼女は俺の横にちょこんと腰かけた。

そしてむふふーと笑う。

「ちょっとドキッとしたでしょ?」

俺は言ってやる。

「何が?」

「えー、つまんないな~」

まあしていないと言えば嘘になるけどな。

「誰がお前になんかにドキッとするかよ。ロリコンじゃねえよ、俺は。」

「殴ってもいいですか?さっき君を見てると安心するって言ってたけど、怒りが増してきたよ。」

時がとまったかのように楽しかった。

 

 

時がとまった。

明日香が、知らないおっさんと肩を組んで歩いていたからだ。その人は見たことも聞いたこともなかった。

問答無用でそのおっさんを殴りつけた。そして強引に彼女の手を取ると、路地裏へと連れて行った。俺は何をしたいのか分からなかった。

ただ怒りにまかせて、激高した。その怒りは何に向けてだったのだろう。

「あんな奴と何やってたんだよ!!」

彼女は黙ったままだった。

「俺の考えていることで、あってるのか?」

彼女は黙ったままだった。

「なんで、なんでお前がこんなことしなくちゃなんねぇんだよ。そんなのおかしいだろ?わかってるだろ?俺はお前にこんなことして欲しくないんだよ!!」

俺は彼女に詰め寄る。

「俺はお前の事情を何も知らねぇ。でも少しぐらいは教えてもらっても構わないだろ?そういうこと、分かち合ってもいいだろ?わかるか?俺はお前の力になりたいんだ。お前が泣いてたら俺がそばで泣いてやる。お前がそういうこと売るっていうなら俺も体売るよ。いいだろ。一緒に住もうって言ってくれたじゃないか?そうしようぜ。」

彼女はうつむいていて、顔は見えない。けれどもいつもと同じで、少し違う声で言った。

「放っておいてよ。」

「だからそういうわけにはいかないんだよ!」

「放っておいてって言ってるでしょ!!」

彼女はスカートの端を握って叫んだ。

「ショウ君のこと、大っ嫌いって言った。」

大嫌いは大好きの反対。しかし同意義だ。

「傲慢なとことか、待ち合わせ時間にいつも遅れてくるところとか、勝手に手をつないでくるところとか、せっかく作ったお弁当ピーマンだけいつも残すところとか、ぜんぶ全部、大っ嫌い。一緒に住もうなんて、馬鹿じゃないの?本気にしてたの?笑えるわね。そういうこと全部迷惑なの。今だってお客さん殴っちゃって。…もうこれ以上私を惨めにしないで!!」

彼女は泣いていた。けれどもそのことには俺は気付かなかった。俺もどうでもよくなっていたのかもしれない。

とにかく、俺は誤った。

「わかったよ。もうお前には関わらない。勝手にしろ。…じゃあな。」

そうして俺は去った。

彼女の顔は見えなかった。

 

◆ 四谷

 

生まれたからには、生きてやる。

 

「どこに行こうとしてるのかな、君は。」

隣の彼女が聞いてきた。俺は答えに困った。

「そういえば、お前はコンクールにきたんだよな?どう弾くのか俺には分からないけど、がんばれよ。」

すると彼女は満面の笑みで笑った。

「うんっ。がんばる。」

本当にこいつは何なんだ?

「でも、ごまかしちゃだめでしょ。どこ行くのか教えてくれないと。」

ちっ、忘れてなかったのか。

「あー、うん。東京駅にだな。」

それは間違っていない。

ここを過ぎたら、東京駅まであと三駅だ。

 

 

彼女の両親が自殺した。

マスコミでは、一家心中と報道された。彼女は一家からはじき出された。

彼女以外はいなくなった。彼女は独りぼっちだ。

この時俺は、強烈に後悔した。

俺は自分を責めた。自分の選択を悔いた。

なぜ彼女のそばにいてあげなかったのだろう。

なぜ彼女のそばにいないんだろう

そばにいてあげられるのは俺だけなのに。

 

◆ お茶の水

 

愛(i)は虚数を表す。

 

東京へはあと少し。

「なんで東京駅に行こうとしたの?」

彼女がニコニコ顔で聞いてきた。

「いや、なんとなくだけど。」

俺は答えた。すると彼女は不満だったのか、口をとがらせる。とてもかわいい。

「なんとなくって、なによ。なにかあるでしょ、なにか。」

「あまり言いたくはないんだけどな。」

しぶしぶ俺はケータイの画面を見せる。

 

 

気づいたころには遅かった。

すべてはもう終わっていた。

俺が気を挟む余地なんてなくて、すべてが動き出して止まった。

そして一通の、二十六文字の短いメールが来た。

 

◆ 神田

 

良くも悪くも、歯車は回っていく。

 

『いま、東京タワーにいるよ~〓

すごい遠くまで見える↑↑』

これが親友から送られてきたメールだ。

だから何なんだ?と言われても仕方がない。

「これが、どうしたの?」

ほら言われた。

「あー、そうだな。親友が東京タワーにいるっていうから、突然、行きたくなったんだ。」

「それって、ただ単にうらやましかったから?」

「…そうとも言える。」

俺はそう言ってから後悔した。彼女が突然笑い出したからだ。

「…何笑ってんだよ、おい。」

「ははは、だって、きみにも子供っぽいところ、あるんだね、っておもって。」

「子供っぽい所って、なんだよ。」

「そういうところ。」

彼女は笑いながら言った。

 

 

『ショウ君

君は呆れるかもしれないけど

好きだよ

ごめんね。』

これが、彼女から送られてきた最後のメールだ。

彼女は死んだ。

電車のホームからの飛び込み自殺だ。

そう報道された。

マスコミには良い材料だった。

何しろ、会社が倒産して、一家が心中して、取り残された娘が飛び込み自殺だ。

わらえない。

深刻なような顔をしてアナウンサーがしゃべる番組があったが、週刊誌にはどこかお笑いごとのように書かれていた。

その時、俺はどう思ったのだろう。

不可解。理解できない。わからない。すべてを否定したのだろう。

だからその先一年間も生きることだできた。

 

◆ 東京

 

一寸先は、光。

 

ついた。ついてしまった。

ということは彼女と別れるということだ。俺はとても寂しく思った。

すると彼女が言った。

「一緒に行こうか。」

「えっ、どこに?」

はっきり言うと、俺はこのまま帰ろうと思っていた。一人で行っても仕方がない。それに、目的は達成してしまった。非日常を過ごす、何処か普段と違ったことをすることだ。彼女とすごせてとても楽しかった。それは事実だ。だから、気付かなかった。

「どっこって、東京タワーだよ。」

「えっ」

この時俺はどういう顔をしていたか知らないが、真っ赤になっていたと思う。

「いやなの?」

彼女は悲しそうに聞いてくる。

「って全然嫌じゃない。むしろうれしいよ。」

「そっか、…よかった。」

表情がパッと変って、とたんにうれしそうな顔をする。ここまで表情がくるくる変わると、呆れてしまう。

「幸せな奴だな、おまえ。」

「むっ、そういう言い方、ないと思うな。」

「まあいい、行くぞ。ついてこいよ。」

彼女と一緒に中央線を降りる。とても混んでいる。それでも二人は、そばにいる。

 

 

なんで彼女を守れなかったんだろう。

それは俺のせいですか?

それとも神のせいですか?

結局は誰のせいですか?

誰も答えてくれるものはない。

僕はもう生きてはいけない。

そう思った。

はっきりと。

身をもって。

だから死にます。

中央線、東京駅のホームはやけに狭く感じられた。

飛び降りるのは、簡単だ。

電車は俺の体を轢いた。

時計は静かに、2008年の3月14日午後3時27分を告げた。

 

◆ エピローグ

 

未来は誰にもわからない。当たり前のこと。

 

時計は2005年の3月14日午後1時32分を表している。

彼女が言っていたコンクールが始まるのは5時半だからまだまだ時間がある。

すると、突然にアナウンスが告げた。

『え~只今、当駅で人身事故が発生しました。中央線快速は上り下りとも、運転を見合わせております。誠にすいませんが、お急ぎの方は、京王線、および臨時バスの方にお乗りください。』

げっ、まじかよ。最近事故多いな。帰りの電車どうしようか。なんて考えていると、彼女がまた声をかけてきた。

「ねえねえ。」

「なんだよ?」

「きみって何歳なの?大学生?とても大人びているから。」

大学生か、そうだよなー

「まだ中三だよ。よく、老けてるって言われる。」

すると彼女はとても驚いた顔をする。

「ほんとに?まだ中学生なの?」

「ああ、そうだ。」

「じゃあ、私の方が一つ年上じゃん。」

今度は、俺の方が驚く。

「ええっ?マジで?その背の高さでか?詐欺ですか?」

彼女を見下ろす。彼女の背が俺の胸あたりまでしかない。最初見たとき、小学生かと思った。すると彼女はとても怒る。

「むきーそれ気にしてるんだから言わないでよっ。」

彼女は怒っている。そんな彼女をほっといて、ホームを探す。東京タワーに行くには、ここから丸ノ内線に乗り替えなくてはいけない。まあ、浜松町駅から歩いても行けるが。

「まあいい、いくぞっ…あれ?」

あれ、そういえば、なんて呼べばいいんだっけこいつ。

というかまだ名前も知らない。

だから話しかけた。

「そういえばお前の名前、まだ知らないんですけど。」

「それは私もだよ。」

ふふふと笑って、彼女にとっては珍しく、年上らしい意地悪な顔をして言った。

「あなたの名前、知りたいなぁ?」

不覚にも俺はドキッとしてしまった。あまりにも可愛かったから。そして、愛しいと思えたから。

「西尾昌吾だよ。周りからはショウって呼ばれてる。だから、お前もそう呼んで構わない。」

照れていたから、少々雑になっていたかもしれない。

「こらっ、一応年上ってわかったんだから、『おまえ』なんて呼んだらダメでしょ。ショウくん?」

と言われても、お前が年上になんか見えない。それに、

「まだ名前、教えてもらってなくね?」

「あっ、そうか。そうだったね。」

彼女は一息つくと、満面の笑みで言った。

「松木明日香だよ。よろしくねっ」

 

 

今までいろいろ書いてきたが、これはどうしようか?

三年前の俺に見せてやりたい。

三年前に戻ったら、俺は俺に、なんて言おう?

親友のメールなんか無視しろ。

東京駅に行くな。

彼女と会うな。

いや、そうじゃない。

あのとき。

彼女を、大切にしろ。

大切にして、いつまでも手放すな。

しつこくてもいい。

ずっとずっと一緒に。

そして、

ハッピーエンドになりますように。

心からそう願っている。


 
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