それは、ある昼休みのこと。
「ん、なんだこれ?」
鈴は机の中から古ぼけたノートを見つけた。名前は書いていない。
「ここ、あたしの机……だよな?」
他の教科書やノートは全部鈴のものだった。このノートだけ、見覚えがない。
「理樹」
真人と談笑している理樹を呼んで、聞いてみた。
「これ、知らないか?」
「ノート? ううん、僕のじゃないけど」
「そうか……誰のだ?」
鈴は考えことをする時、いつも理樹をそばに呼ぶ。最近は、恭介より頼ることも多くなった。
「僕たちのじゃないみたいだし、他のみんなにも聞いてみよう」
こうして鈴は理樹と一緒になってクラス中に聞いてみたが、空振りだった。
「おい、オレには聞かないのかよ」
「お前がノートなんて取るか、ぼけ」
「うおおおおおおおお……何でそこまで全否定されるんだー!?」
泣きつかれたので一応見せてみても、真人のではなかった。
「「「うーん……」」」
三人のうなり声が教室にこだました。
***
「ここって移動教室で使われたりしたか?」
放課後になってしまい、真人がぼやく。
「いや、されてないはずなんだ。それが不思議なんだよ」
「謎は深まるばかりだな」
結局、誰のものかはおろか見覚えのある人すらいなかった。
「ごめんね、手伝わせちゃって」
「いいってことよ。オレは筋肉関係を探すから、お前も心当たりを探せよ」
そう言うと、真人は教室から出て行った。
「心当たりって言っても、名前も書いてないし。ね、鈴、そのノート開いてみない?」
すると、鈴は妙に苦い顔をして「ダメだ」と言った。
「見られたくないことが書いてあるかもしれないだろ。それはかわいそうだ」
ぶんぶん首を横に振る鈴。
「でもそれじゃ話が進まないよ。っていうか実際進んでないじゃないか」
押し問答を繰り返して、ようやく鈴は折れた。
「この人に悪いから、ちょっとだけだぞ」
この慌てっぷり、きっと鈴はノートに書いた落書きでも唯湖あたりに見られたトラウマがあるのだろう──と、理樹は思った。
「……くるがやのやつ、覚えてろよ」
真実だった!
ノートを開くと、何やら小説らしきものが書いてあった。
少年と少女の学校生活を描いた、ほのぼのとした物語。
「うん、これちょっといいな」
「鈴、あんまり読まないんじゃなかったの?」
「う、うるさい! 面白いんだからいいだろ!」
ページは途中からまっ白になった。どうやら書きかけらしい。
「この後、二人はどうなるんだろうな?」
「それは持ち主に聞いてみないと……あれ、何か書いてある」
白紙と思っていたノートの片隅に小さく書かれた文章。
それを読んで、理樹と鈴は顔を見合わせた。
『この先はあなたの手で書き上げて下さい』
「なんだこれ、作った奴は途中でやる気をなくしたのか?」
「いや、そうじゃないと思う。ひょっとして恭介の、かな?」
三年の教室に行って聞いてみても、恭介は首を横に振った。
「そういえば、神北はどうだ? あいつも物語、書いてただろ」
「いや、こまりちゃんは動物のしか書かないぞ」
三人は首をひねって頭を悩まると、鈴が固まった。
「もー誰のだか分からないから諦めよう。それよりこれ、作ってみないか?」
「えっ?」
突然の提案に面食らう理樹。
「誰が作ったかはともかく、面白いんだ。あたしたちで作ろう」
「タイトルは、『リトルバスターズだ』」
恭介と別れると、さっそく二人は教室に戻ってペンを取った。
「……こまりちゃんはすごいな。どーやって書いてるんだ?」
手に取ったペンは、動かないまま小一時間経ってしまった。
開いたままにまっ白なままのノートが、ちょっと哀しい。
「いきなり書くのはやっぱり無理があったね」
理樹も、何から書き始めればいいのかさっぱりだった。
「「うーん……」」
持ち主探しの時より長いため息が漏れる。
しばらくうんうんうなっていると、鈴が急に声を上げた。
「そうか、わかった! やればいいんだ!!」
何を、と理樹は機構としたが、その前に鈴は理樹の手を引いて立ち上がった。
「この小説と同じことをするんだ。そうすれば、きっと面白いのができる!」
鈴は、明るい顔で走り出した。
校門前に来た。
「まず、朝は二人で登校……って、もう放課後だぞ」
だが、のっけからつまづいてしまった。
「いや、これはもう時間はどうでもいいんじゃないかな。とにかく二人がやるのが重要だと思うんだけど」
「それもそうだな。んじゃそれでいこう」
本当に、鈴は恭介に似てきた。
振り回しているようで、実際誰もが楽しんでいる。
理樹は、鈴に付き合うのは嫌いではなかった。
「で、登校する時は何をすればいいんだ……?」
──二人ははにかみながら手を繋ぎ、校門を抜けて教室へ向かっていたのだった。
「な、なにぃ!?」
鈴は心から驚いて理樹を見上げた。
「あたし、理樹と手をつなぐのか?」
「そうみたいだね」
表情をあれこれと変えて、あたふたする鈴。
一方、理樹は鈴へと手を伸ばした。
「ほら。鈴、やるんでしょ?」
鈴はしばらく理樹の顔と手を交互に見た後、そっと理樹の手を握った。
「り、理樹の手、あったかいな」
「鈴のもね」
「あ、アレだな、改めて手をにぎるときんちょーするな」
「さっきは自分から僕の手を握ってただけどね」
「なにぃ!? そんなことしたか?」
忘れようにも、ついさっき元気いっぱいに走り出した鈴を忘れるわけがない。
「間違いなくやったよ」
理樹に言われてちょっと前のことを思い出すと、鈴はやっと分かったようだ。
「あれとこれは違うんだ」
「どんな言い訳だよ、それ」
鈴は顔を赤くして「うるさいうるさい!」と叫んだ。
「行くぞ、ほら!!」
「わ、ちょっと鈴」
ギュッと手に力をこめて、鈴は理樹を引っぱって校門をくぐっていった。
「さて、次は……授業か。これは無理だな」
教室に戻ってきた。
もう、誰もいない。
「昼休み、学食でおしゃべり。よし、行くぞ理樹」
今度は、鈴は手を繋がなかった。
その代り、ものすごい早足で理樹のずっと前の方を歩いていった。
「ちょ、待ってよ鈴」
「う、うるさい! 早く来い!!」
学食に着いたが、人はほとんどいなかった。
「まだ夕飯には早いし、おにぎりでも食べる?」
「……ああ、そうだな」
鈴はさっきから上の空だ。
「どうしたの、鈴?」
聞いても、猫のようにそっぽを向かれてしまった。
「???」
おにぎりは、理樹一人で食べた。
「次はグラウンドでサッカー。女の子はその応援、か」
グラウンドはソフト部が使用していてサッカーどころではない。
遠くには、佐々美がホームランをかっ飛ばしているのが見えた。
「これは二人で応援するしかなさそうだね」
応援といっても、やることといえば遠くから見てることだけだ。
別な誰かがバッターになって、二人はグラウンドを後にした。
「次は?」
「えーと……」
ノートを見つめて、鈴は何やらシャーペンでカリカリ書き始めた。
「掃除をやる。終ったら、男の部屋で遊ぶ」
掃除はもうやり終った。ということは……
「僕の部屋で遊ぶのか。真人がいるかもしれないけど、まぁいいよね?」
鈴はいきなり複雑な顔になった。
「ああ、うん……まぁ、そうだな。うんうん、別にいいぞ」
理樹の部屋に行ってはみたが、遊ぶことを思いつかず、そのまま出てきてしまった。
「ここから白紙だ」
物語は、『彼の部屋を出ると、二人は──』で途切れていた。
「どこに行こうか?」
「どこって言われても……」
鈴と理樹、ふたりぶんの足音が響く。
空を見上げれば、オレンジ色。
もう、夕焼けの時間だ。
「夕焼け、か……」
理樹がつぶやくと、鈴は弾かれたように走り出した。
「それだ!!」
校舎の方へ大急ぎで駆け出す鈴。
「理樹、早く! 遅れるぞ!!」
「え、なに?」
鈴はそれには答えず、はつらつとした勢いで走っていった。
理樹は見失わないようにするのがやっとだった。
「ここ?」
鈴が着いたのは、なんと学校の屋上。
いつもいるはずの少女は、とっくに帰っていた。
「そうだ、ここだ。どうだ、気持ちいいだろう?」
指を差した方には、まっ赤な太陽があった。
「男と女は、屋上かどこかで夕日を見るんだ」
シャーペンを取り出して、また書き始める。
「うん、分かってきたぞ。こまりちゃんはこうやって物語を書いてたのか……」
まったくすごい適応力だ。鈴は何かを考えてはカリカリ書いていく。
「んっ!」
理樹が手持ちぶさたに見ていると、鈴の筆が止まった。
「そうか……やらなきゃ、いけないか……」
鈴は理樹の方を向いた。
「理樹」
「なに?」
鈴の顔が真剣そのものになった。
「あ、あのな……その、えと、あの……つまりアレだ。理樹が良いんだったら、なんだが……」
「だから、なに? 取り敢えずいってみてよ」
いつも歯切れがいいはずの鈴が、もじもじしている。それはさっきもあったことだ。
理樹はそれが、ちょっと新鮮だった。
「つまりだ……その……」
鈴は息を大きく吸い込むと、一思いに言った。
「あっ……あたしと、き、キスしろ!」
「え……?」
理樹は固まった。
「キスって、その……え!?」
混乱して、何がなんだか分からない。
「じれったい奴だな、良いのか、ダメなのか、ハッキリしろ!」
言うだけ言って楽になったのか、鈴は顔はまっ赤でも口はまともになった。
「そ、それは鈴と……なら、いい、けど」
まんざらではない。でも、あまりにも急すぎる。
「それじゃ、いいんだな」
鈴の顔が迫ってきた。
よけようとも、なんとも、思わない。
鈴が目の前に来て、思わず理樹は目をつぶってしまった。
「お、雰囲気あるな」
鈴の言葉が聞こえた直後、理樹は唇にあたたかいものを感じた。
やわらかくて、少しだけ湿っている。
「……これで、あたしの小説はおしまいだ」
そう言って、ノートを差し出す。
鈴が書いたのは1ページにも満たなかったが、問題は量ではない。
「鈴、今の……」
鈴は答えなかった。
代りに、風が吹き抜けていった。
「次は、理樹が書け」
それが、鈴の言った最後の言葉だった。
***
「鈴、ノート僕に渡した、よね?」
「何言ってるんだ、ちゃんと受け取ってたじゃないか」
次の日、ノートはどうしてかなくなってしまった。
ちょっとだけ書いて、そのまま机の上に置いていたはずなのに。
「どこに行っちゃったんだろう……」
「知らん。自分で探せ」
どこからともなく現れて、どこへともなく消えていったノート。
謎と不思議に包まれていたが、鈴の方だけはうっすらと気づいていた。
「いや、やっぱり探さなくていい」
「?」
鈴は、理樹の手を握った。
「ノートに物語を書くより、理樹と……その、なんだ、物語をだな……」
うまく言葉がでない。
「と、とにかくあたしは理樹と一緒ならいいんだ」
「……そっか」
その一言で、理樹も分かった。
「それじゃ、今日の放課後どこかに出かけようか。鈴に似合う服、買いに行こうよ」
「なんだ、突然だな」
鈴は目を丸くしたが、次には微笑んだ。
「でも、それも悪くないな」
蚊帳の外では、真人が悔しそうに筋トレをしていた。
「しかし、来ヶ谷も凄いな。あんな演出をするとはニクいぜ」
「恭介氏もな。どうやってあのノートを鈴君の机に忍ばせたんだ?」
放送室で、首謀者が集まっていた。
「……ん? ノートを作ったのは来ヶ谷じゃないのか? 俺は今回ずっと観客に回ってたんだが」
「そちらこそ妙なことを言うものだな。私も鈴君と理樹君の色恋沙汰を見守っていただけだぞ」
──放送室で、二人の観客が集まっていた。
「一体誰が……?」
「少なくとも、リトルバスターズのメンバーではなさそうだが……?」
世界のどこかで。
一歩、幸せに近づいた二人がいた。
一歩、不眠症に近づいた二人がいた。
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ある日、鈴は一冊のノートを机から見つけた。でもそれはちょっと奇妙なノート。
理樹と一緒に、ノートに書かれた内容を一つ一つこなしていく。
最後に書かれていたのは──