――最初はよかった。
私は何も知らなくて、ただ夢だけを見ていられた。
理不尽なものをみて憤慨し、やるせないものを見て涙していればよかった。
そしていつか、誰かがきっとこの世の中を正してくれるものと信じていた。
それじゃいけないのだと気づいたときから、私は道を間違えていたのかもしれない。
強い人に出会った。
天から授けられた才を遣って、理不尽を叩きのめせる人。
やるせないものを正す力を持った人。
憧れた。なんの因果か、その強い人は私に憧れた。
――貴方の中に理想を見た、とその人は言った。
それは私にとって、甘く、きれいな言葉だった。
単純な私は、おだれられるままにその人たちを従えて、理想を謳い始めた。
その夢は思った以上に難しくて、謳う私を露骨にいやな目で見る人もいっぱいいて。
それでも、それが私の使命なのだと思っていれば――我慢することができた。
仲間もいっぱいできた。私の理想に賛同してくれる人がたくさんいた。
それが、うれしくて。
涙が出るほどうれしくて。
みんなと一緒なら、大陸を笑顔にする、なんて荒唐無稽なことも――できる気がした。
「甘いわ。甘ったるくて、吐き気がしそうよ」
やめて。
「王のくせに!その背中にたくさんの人の命を背負っているくせに!」
やめて!
・・・頭の中で囁く声がする。
――ばかだね、桃香。あなたは何ももっていないのに、夢ばっかり見ていて。
違う、私には仲間がいる!私と理想を共にしてくれる、大事な仲間がいる!
――そうだね、大事な仲間だね。その人たちの命を背負っている自覚、あなたにあるの?
私は・・・!
――わかっている?今までの流れの中で、何かがズレていれば・・・その大事な仲間が、死んでいたって?
いや・・・
――あなたは目に見えるものしか見えていない。あなたと理想を共にしていたのは義妹たちだけじゃない。
・・・戦の最中で死んでいった兵士たちだって、あなたを信じて命を張っていたのに。
いや・・・!
――王になんて、ならなければよかったのに。畑を耕して、理不尽を嘆いていればよかったのにね。
「もう何も言わないで!自分でわかっているんだから!」
・・・囁く声は、私の声に似ていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
体を強く揺さぶられて、目が覚める。
見れば、鈴々ちゃんが心配そうな顔で私を見下ろしていた。
「・・・・・・」
申し訳ないが、構っている暇はなかった。
私は無言で立ち上がり、馬に乗る。
「え、も、もう行くの?」
慌てて後を追ってくる鈴々ちゃんに、無理やり笑顔をつくってみせた。
「うん・・・早くしないと、間に合わなくなっちゃうからね」
鈴々ちゃんはその言葉に、なにやら安心したような顔を見せる。
・・・ああ、そうか。
私が謝罪か・・・もしくは前言撤回の為に、襄陽を目指しているとでも思っているのかな。
それならそれで、別に誤解を正してやる必要もないだろう。
「じょーよー?って街まで、あと二日くらいなのだ。着いたらとりあえずごはんなのだ!」
ここ数日、鈴々ちゃんは殊更に明るく振舞っている。
もともと明るい子ではあったけれど・・・今のそれは、明らかに無理をしている。
私がそうさせていることくらい、わかっているけれど。
「天の御使いをご存知ですか?」
心に直接囁きかけてくるようなその声がきこえたのは、鈴々ちゃんと成都を出た直後だった。
・・・知っているもなにも。遠目でなら顔だって見たことがあるよ。
本当は少しだけ憧れてた・・・乱世を救うために天から舞い降りた、なんて。私好みのお話だもの。
でも、確か彼は・・・私が遠目に見たその日、天へ帰ってしまったと華琳さんが言っていた。
「彼が戻ってきたのですよ、この大陸に」
「・・・・」
「ちょうど今、こちらに向かっています・・・ああ、今頃は襄陽へと向かっているのでしたか」
「・・・それが、なんだっていうんですか?」
幻聴にまで敬語を使ってしまうのはなぜだろう・・・そんなくだらないことを考える。
「おや、あなたは天の御使いを憎んでいたかと思っていましたが」
クスクスと笑うその声が、頭に響いて、うっとうしかった。
天の御使い。
乱世を救うために天から舞い降りた人。
・・・どうして、彼は私のところへ来てくれなかったのか。
なにもかも持っている華琳さんのところへ行ったのはなぜなのか。
私にこそ、彼は必要だったのに・・・。
最初は憧れがあった。
次に興味がわいた。
最後には憎しみに変わっていた。
「憎いのでしょう?それに・・・奴は、曹操の情夫ですよ」
それきり、その声ははたと消えた。
・・・疑問に思うべきなのだろう、この、悪意に満ちた声のことを。
だけど私はそうしない・・・そうしたくないから。
もう何も考えたくない。考えたくないの。
「ぜんぶ・・・終わっちゃえば、いいんだよ・・・」
単騎で風のように地を駆ける将がいた。
彼女はできるかぎり身軽な格好で――しかし最低限の装備はして、馬を駆る。
「彼の者達は敵の目を欺くため、向かっている――あなたは顔が割れているから、より注意するように」
主にそう忠告されて被った外套が、風になびいて邪魔だった。
馬足は速く、走っているのは馬だとはいえ、そんな調子では彼女だって疲れてしまうだろうというほどだ。
しかし彼女は馬の歩を緩めない。
会える――また会えるのだ、彼に!
その思いだけが彼女を突き動かす。
突然いなくなった男。
死んだと思うとつらく、かといって自分らを置いて去ったのだと考えればよりつらかった。
・・・会ったら、まずどんな文句を言ってやろうか。
そんなことばかり考える。
本当は少しの逡巡もあった――誰より敬愛する主を置いて、その場にいってもいいものかと。
しかしその考えも長くは続かなかった。
華琳様の命であったし、彼の身を守るという重大な任務でもあったし・・・
なにより、他にもその任を引き受けたいと強く願っている者たちがいたから。
こんなことで迷っていては、その者たちに失礼だ。
洛陽から襄陽へ。
長い道のりではあるが、自分にこそ任されたその命、しかと引き受けた。
「三日で五百里、六日で千里―――この夏侯妙才、北郷が着くより前に襄陽へたどり着いてみせようぞ!」
華琳様、・・・姉者。
待っていてください。必ずや北郷を守り抜き、そして、連れ帰ってみせますから。
「三日じゃな」
祭さんのその言葉に、俺は渋面をつくりながら、それでもうなずいた。
襄陽で合流するのが誰かわからず、誰が来るのかわからなければ見つけようもない。
ひょっとしたらせめて合流場所とか書いてあるのじゃないかと思って竹簡を注意深く読み直してみたが、だめだった。
・・・まったく、どうしろっていうのだか。
しかたがないので、しばらく街に滞在して待とうかと祭さんに相談すると、
「長くは待てんぞ?・・・そうじゃな、期日を設ける。それまでに会えんかったら、出発じゃ」
ということになった。
目的地はあくまで蜀が都――成都。
今でさえ、いつ戦が始まってしまうのかと戦々恐々としているというのに、
そこに行き着くまでに戦が始まってしまっては元も子もない。
魏の誰かと再会するのが楽しみではあったが・・・三日滞在し、それでも会えなければ先を急ぐ。
襄陽へはあと一日もすれば着く。そこから三日・・・はたして俺は会えるのだろうか・・・?
眼差しを真っ直ぐ、行く先へと向ける。
来る誰かに語りかけるように、俺は強く心に思った。
(・・・三日待つ。
誰が来るかわからないけれど・・・君に逢うのを、楽しみにしているよ)
――それぞれの思いを胸に、彼らは一つ所へ集う。
・・・襄陽へ。
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うーん・・・なかなか話が進まない。なんでかな。
最終話だけはとっくの昔に書き終えているというのに、そこになかなか辿り着けないって言うのはすごくじれったいです。
前回、せっかくミスリードをいれてみたのに、さらっと正解してしまった人が数名wなんでみんなわかるんですかw
楽しんでいただけるかわかりませんが、そうしてもらえたならそれに勝る喜びはありません。ではでは。