「はぁ眠い。仕事辞めたい午後三時」
今日も今日とて、暇な文房具売り場。
「年末年始が嘘のようですねぇ」
隣で大橋嬢も深く頷く。
年末年始。
販売業においては一番の掻き入れ時の時期。
大勢の人が街に繰り出し、離れ小島であるはずのここにも大量に押し寄せてきた。
「カウンターお願いしまーす!!」
「手帳のお問い合わせお願いしまーす!!」
「お次お待ちのお客様どうぞーっ!!」
売り場はさながらバトルフィールド。
「上野!電話出る前に前に出ろ!」
「手帳カタログ誰かどこかに持って行きました!?」
「次長課長はどこ行った!?」
「カウンターお願いします!」
「遠野さん!このカードの在庫どこですか!?てか50枚ってあります!?」
「次長は行方不明です!」
「レジが動くな!案内なら俺が行く!!」
「課長はB2(トイレ)行ったまま帰ってきません!」
「あんの俳諧老人どもがああああ!!」
一月も末になり、ようやく売り場も落ち着いた頃、本日は楽しい新年会である。
といっても内輪だけの集まりだ。
「二月入ってから新年会ってどんなけ遅れてんだよ。しかもいつもの居酒屋だし」
「いーじゃん別に。安くて美味くて早いんだもの」
のっそり横にやってきたのは村田君。遠野さんの二カ月先輩である。
まだ入りたての頃、色々教えてくれた恩人でもある。
この人がいなかったら、三日でやめていたかもしれない、と遠野さんは思っている。おかげで今では上司に「いやプー」と口答えするほど立派に育ってしまった。
「さーて、今日は飲むぞー。それまで体力温存だ!というわけでストック行ってきまーす」
踊るような足取りでカウンターを出る遠野さんを見て、村田君はため息をついた。
「いいか、あいつに日本酒を呑ませるなよ。えらいことになるからな」
はあ、と大橋嬢は首をかしげる。
「そういえば、遠野さんっていつもビールと焼酎ですよね。日本酒のんだらどうなるんですかぁ?」
「一回目は俺の膝の上に乗ってきた。二回目は上野をグーで殴った」
「…酒乱ですね」
「酒乱だよ」
これから起こる悲劇を、村田君はまだ知らない。
「お疲れさまでしたあぁぁぁー!!」
勢い余ってガーンとぶつかるジョッキが10個。
居酒屋「満天」でかなり遅い新年会がスタートした。
全員、そこそこいける口である。競り合うようにビールを流し込んでいるうちに、あっという間に酔っぱらいの集団が出来上がった。
どこをどう経過したのか、彼氏彼女の話になった。まではよかった。
「はーい、議長!僕はここにバカップル選手権を開催したいと思います!一位は支払いナシってゆうのはどうでしょうか!?」
お調子者の上野が手を挙げると、間髪いれず大橋嬢も手を挙げた。
「はいはいはいはい!一番手、大橋行きますぅ!」
付き合ってまだ一カ月経っていない彼と彼女は、たまに駅構内で追いかけっこを繰り広げるらしい。しかも「どろぼー!」と叫びながら。
「迷惑だ!なんてはた迷惑な人種なんだ!!」
「えー。結構楽しいですよぅ。みんなびっくりしてこっちを見るんですぅ」
そりゃ見るだろうよ!よい子のみんなはまねしちゃ駄目だよ?
「二番手、行きます」
隅っこに陣取っていた遠野さんがグラスを挙げた。すでに焼酎ロックへと移行しているらしい。
彼氏と同棲している遠野さん、一緒にお風呂に入っている時だった。
身体を洗っている彼氏の腹の肉をつまんでみると、
「お、おやめくださいませ、遠野殿」
と恥じらうではないですか。
「よいではないかー。よいではないかー」
そのうち二人で
「殿中でござるー。殿中でござるー」
と仲良く叫んでいたそうな。
「馬鹿だねー。呆れるくらい、馬鹿だねー」
「バカップル度は大橋嬢の方が上だな」
「ちっ」
「わたしは和泉(いずみ)君を立候補します」
落ち着いた声で、社員の北さんが挙手をする。
「僕ですか?何かありましたっけ?」
和泉君は男前である。
いつも落ち着いて貴公子然としているその姿は、韓流ブームの火付け役になった、かの俳優に似ており「離れ小島のペ」と呼ばれている。本人は不服であるらしいが。
「雨の話」
「雨…?ああ、あれですね」
小さな劇団に所属している和泉君、ある雨の日のことだった。
「雨だね」
「雨ね」
隣の同劇団員の彼女も微笑んで答えた。
そのまま、降りしきる雨の中、傘を片手に二人でクルクル踊っていたらしい。
「…バカップル!バカップルがここにいるよ!?」
「バカップルとは心外な。いかに内面を表現するのが役者の…」
「和泉君の劇、見に行きましたけど、インにこもっていて意味が分りませんでした。なんか、独りよがりでオナニーって感じ」
ああ、北さん、酔っ払ってますね?
「芸術なんてものは、所詮、オナニーなんですよ」
「違いますー。演劇に関してはいかにエンターテイメントまで昇降させるかなんですー」
「そこ、そこ!高尚かつ下品な話をしない!」
「村田君は?彼女いるんでしょう?何もないの?」
「俺は…」
「あーるーよーねー」
沼の底から這い上がる魔女のような声が聞こえて、村田君は寒気がした。
遠野さんだった。その片手に握られているものは…。
「誰だ、奴にポン酒を与えたのはっ!?」
「自分で注文してましたよ」
「村田君ねーえ。音大で声楽やっている彼女が、ロミオとジュリエットやっていて、ジュリエットにシンクロしすぎちゃって、振られたんだよねー」
ああああ。
空気が凍った。
「あっちゃんはロミオぢゃない!!」
それが彼女の最後の言葉だった。
ロミオじゃないよ、俺。どうしろっての!?
白タイツにかぼちゃパンツをはいたらいいの!?
あまりのショックに、遠野に愚痴った俺が馬鹿だったよ。ああ、馬鹿だったさ。
素面の遠野は半年間、沈黙を守っていたが、酒の力で解禁されてしまったらしい。
「…まあ、飲みましょう!」
「そうですよぅ。ジュリエットなんてこの世に星の数ほどいるんですから!」
「いるのか!?いるものなのか!?」
その後、村田君はやけ酒しつつ、遠野さんにデコピン三連発で報復したそうだ。
優勝者に決定したものの、全然、嬉しくなかった。
翌日。
遠野さんは、鏡に映った自分のデコを見て、久々にやってもうたと後悔した。
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大型書店内の離れ小島、文具売り場で働くアルバイトの遠野さん。
この話はフィクションです。実在の会社、人物、他諸々とは一切関係ありません。ないんだってば。
あと、一部下品な表現がありますがお許しください。