「無関心の災厄」 -- 第一章 シラネアオイ
第--話 サヨナラの日のプロローグ
サクラを見ると、思い出す光景がある。
それはまだ新しい去年の春の記憶。
「マモルちゃんっ」
感傷に浸りかけた瞬間、オレの腰を、後ろから衝撃が襲う。
全く……!
振り向いたオレの目に飛び込んだのは、両手に花束を抱え、にこにこと笑う愛らしい先輩の姿だった。
「……先輩、後ろから突然タックルするのはやめてください。そのうちオレの腰が折れますから」
怒鳴るつもりが笑顔で毒気を抜かれ、やんわりと、あくまでやんわりと先輩を押しとどめたオレはふう、とため息をつく。
頭のてっぺん近くに纏めた髪が跳ねていて、オレの目の前でふわふわと揺れた。
両手いっぱいの花束を見て思い出す――そう、今日は卒業式。今も窓から見える校庭では多くの卒業生たちが集団で写真を撮ったり別れを惜しんだりと忙《せわ》しく動き回っている。
部室の窓から綻び始めたサクラを見ていた在校生のオレに恨みでもあるのか、卒業生の集団に混じることもなく、全身全霊の突撃を決行したのは、文芸部の3年生、篠森スミレ。
本日めでたくこの桜崎高校を卒業する、文学部唯一の先輩だ。
「ご卒業おめでとうございます」
「ふふ、マモルちゃんでも神妙な顔するのですねっ。淋しいのですか? ありがとうですぅ。でも、残念ながらマモルちゃんには似合わないのですよ?」
「……ちょっと黙ってください、先輩」
ああもう、黙っていれば愛らしいこの容姿、もったいないとしか言いようがない。
珍しくちゃんとした制服に身を包んでいる彼女の中身が到底見た目通りでない事を、オレがよく知っているとしても。
ところが、大きな瞳でオレを見上げた篠森スミレ18歳女は、先ほどまでオレが見つめていたサクラの木を指差して首を傾げた。
校庭にぽつりと佇むそれは、何年も前の卒業生が遺した卒業記念樹らしい。
「マモルちゃん、あのサクラの下に誰かいるのです」
先輩の指さした先、オレは目を疑った。
満開とは言えない淡い桃色の花の下に、銀色の毛並みが揺れていた。
「……梨鈴《リリン》」
思わず口から零れた名は、春を運ぶ澄んだ風に紛れて消えていったが、オレの足は考えるより先に動いていた。
あの銀色は――
「ちょっと、マモルちゃん! どこ行くのですぅ?!」
叫ぶ先輩の声を背中で聞き流しながら、部室から飛び出して、靴を履き替えるのもそこそこに校庭を駆け抜ける。
銀色の毛並み、それは珪素生命体《シリカ》である証。
珪素生命体《シリカ》は、オレたち有機生命体《タンソ》とは生命体としてのレベルで一線を画す、珪素ベースに創られた新規生命体。その姿は総じて人間に近いが、耳や尾、目などの様々な箇所が獣を模している。
そんな珪素生命体の一人が、つい1年前までこの桜崎高校でオレたちと共に在った。
だからこそ、桜の木の下に銀色の毛並みを見たオレは走り出していたのだ。
しかし、卒業証書を手に友達と記念撮影をする卒業生たちの間を縫い、息を整えながらサクラの樹の下に到着したオレの目の前に、銀の毛並みを持つケモノの姿はなかった。
ただ、咲き始めのサクラがひらひらと花びらを落とすだけ。
いったいオレは銀色に何を期待したんだ。
「……まさかな」
姿かたちだけでなく生活も獣に近い珪素生命体は、本来ならいわゆる『人里離れた山奥』で自然と共にひっそりと暮らしているはずだ。郊外とは言え都内、私立桜崎高校の敷地内に現れるはずはない。天然記念物のイリオモテヤマネコが東京都のド真ん中で飼育されているくらいにあり得ない。
そんなイレギュラーは、一人のキツネ少女だけで十分だ。
オレは自分自身を嘲笑《ワラ》いながら、サクラの幹に手をあてて目を閉じた。
それは卒業式、まだもう少し肌寒い日の出来事だった。
サクラを見ると、思い出す光景がある。
それは、あの意地っ張りなキツネの最後の笑顔――
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オレにはちょっと変わった同級生がいる。
ソイツは、ちょっとぼーっとしている、一見無邪気な17歳男。
――きっとソイツはオレを非日常と災厄に導く張本人。
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