No.121651

The way it is 第六章ーつながる想い

まめごさん

ティエンランシリーズ第四巻。
新米女王リウヒと黒将軍シラギが結婚するまでの物語。

「わたしを抱いていただきたい」

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2010-01-31 20:22:59 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:501   閲覧ユーザー数:493

 

深夜。シラギは一人自室の机に浅く腰かけ、窓の外に月を見ていた。ゆっくりとグラスに口をつける。

月明かりの下、藍色の髪の少女に想いを打ち明けてから、とんと音沙汰がない。

勿論朝議で毎日顔を合わす。

しかし、愛する国王陛下は、何事もなかったかのようにシラギに接した。

あの時掛っていた月は一巡りして、今宵も鋭い先端を夜空に突き刺している。

ため息をついて、再び酒に口を付けた時。扉が小さく叩かれた。心臓が跳ねて、グラスを落としそうになった。逸る心を押さえつけながら返事をする。

入ってきたのは副将軍のモクレンであった。

「どうした」

つい、不機嫌な声が出た。リウヒではなかった。待ち焦がれていた少女ではなかった。

「夜分に申し訳ございません。右将軍さまにお願いがございまして」

「なんだ」

「わたしを抱いていただきたい」

目を僅かに見開いてグラスを口に付けた。女の目にからかいはない。背を伸ばし、手を後ろに組み、睨みつけるようにこちらを見つめている。

「戯れはよせ」

「戯れではございません。女の身でありながら、恥を覚悟で来たのです。断われれば、わたしは更なる恥をかくことになる」

「脅迫か」

ゆっくり席を立つ男にモクレンは微かに身じろぎをした。

「お引き取り願おう。お前の遊戯に付き合っている暇はない」

「遊戯などでは…!」

「では言い方を変えよう。独りよがりの脅迫など、反吐がでるほどわたしは嫌いだ」

縋るように伸びる手を後ろで捻ると、扉の外へ女を放った。

「お休み。二度と来るな」

静かに扉を閉める直前、傷ついたようなモクレンの顔が垣間見えたが、なんの感傷も湧かなかった。

わたしが手にしたい女はただ一人。藍色の髪の少女だ。

と、またホトホトと扉が叩かれる。

モクレンの奴め。意外としつこい女だ。

顔をしかめてツカツカと扉を開けると、思わず大声を上げた。

「いい加減にしないか!二度と来るな…と…」

荒げた声は小さくなって消えた。

リウヒは扉を叩いた状態で、目を丸くして突っ立っていたが、そうか、と呟くとクルリと踵を返した。

慌てたのはシラギである。

急いでその小さな手を取って、腕の中に閉じ込めた。

「まさか親愛なる黒将軍に追い返されるとは思ってもいなかったからな。二度と来てはいけないのだろう」

「違うのです!わたしの勘違いで…!」

「出直した方がいいのかな?」

「これ以上待たされるのは耐えがたい苦痛です」

少女に必死に縋る男は、滑稽なほど切実だった。

「お返事を…」

「うん」

リウヒは小さく息を吐いて、次は大きく吸い込んだ。

「シラギ」

二人の黒い瞳がぶつかる。

「わたしの」

その顔が朱に染まる。

「伴侶となってくれぬか」

この腹の子は兄の子だが、お前の子だから。

耳元で囁かれる声にシラギはクラクラした。あまりの幸せに。

「この身に変えてもあなたをお守りする」

口を落とすとリウヒも応えた。どんどん深くなる口づけは、理性をゆっくり剥いでゆく。

「ちょっ…、駄目だ、シラギ。こんな所で…あっ」

この馬鹿者。息を弾ませてこちらを睨みつけている顔が愛おしくて堪らない。

「これをお召しください。東宮までお送りいたします」

「寝台の中まで付いてくる気だろう」

「勿論」

「今、そういうことはできないぞ」

「御意」

小さな国王を抱き上げた黒将軍は、何度も愛おしげに口づけする。

二人の姿が見えなくなった時、蔭で緋色の髪がズルズルとへたり込んだ。呆然としていた彼の女は、滴る涙をそのままに、いつまでも立ち上がらなかった。

****

 

 

政務室に入ったタカトオは、そこに座っていた女を見た途端、驚きの声を上げて書類を落とした。

「なんじゃ、その顔は!」

「元々こんな顔だ。なんじゃといわれても、なんとも答えようもない」

ぶっすりと返しながら、モクレンはため息をついた。

一晩中泣いていたら顔が腫れてしまった。

「老人を驚かすな。…あやうく天に昇るところだった」

「そんなに繊細だったのか、タカトオ殿は。とんと存じ上げなかった」

「黒将軍さまは?まだ来られていないのか」

「今日はこない」

心がしわっと痛む。

「今頃、東宮に引っ越す作業をされているだろう」

老人は、今度は椅子から転げ落ちた。

「なんじゃと!」

全てを理解したらしい。モクレンの泣き腫らした顔も納得したようだ。重いため息をつきながら、フラフラと出ていってしまった。

ああ、わたしの馬鹿。

一人になった途端、書類を放り出して机に額を打ち付ける。

ロッカの出現に焦ったモクレンは、当たって砕けろの勢いで宮に帰ってきたシラギの部屋に押し掛けた。

いくら世間知らずでも、女が男の部屋にゆくなどとんでもない行為だと知っている。しかし、昼間の時間帯はタカトオがいる。どれだけ真摯に想いを打ち明けても、結局は仲良く喧嘩してしまい、シラギに流されてしまう事は明白だった。

が、男の部屋で極度に緊張してしまったモクレンの口は、勝手に動いてとんでもない言葉を口走った挙句、部屋から追い出された。

あんなこと言うつもりじゃなかったのにー!

あの冷たい目、口調。反吐が出るほど嫌いだ。二度と来るな。

そして、小娘陛下がやってきた。思わず隠れたモクレンに気付くこともなく、シラギは小さな少女に縋り、愛おしそうに口付けし、仲良く去っていってしまった。

恋しくて愛しい男は、もう手の届かない人になってしまった。

それでも。

身を起して投げだした書類を手に取る。

わたしは副将軍である限り、あの男の横にいることができる。

 

扉が開いて、タカトオが戻ってきた。手に布を持っている。と、いきなり顔に何かが当たった。

「痛いではないか」

水に濡らした布だった。

「それで冷やせ。全く手のかかる小娘じゃの」

ブチブチと言いながら、自席へと腰掛ける。礼を言って頬に当てると、ひんやり心地良い。

 

「モクレン殿」

しばらくの沈黙の後、老人の声がした。顔を上げると、タカトオは書類から目を離さずに、しかし真剣な声で言った。

「お前さんの気持ちはよく分かる。だが、伴侶や孫婿にならずともシラギさまは、我々の大切なお人じゃ。いざというときに、その御身を守られるよう、共に戦えるよう、お互い精進しようではないか」

「もとよりそのつもりだ」

わたしの願いは、あの男の傍にいること。ならばこの地位は、絶対に誰にも渡さない。

愛する男と共に戦える女でありたいから。

****

 

ティエンランの民はめでたい報に老若男女、歓声の声を上げた。

愛する国王陛下に夫君が立った。しかもご懐妊されている。

それは国中を駆け廻り、人々は祝福の声を宮廷に向けた。

「どこの町も村もすごい騒ぎだそうです」

宰相と大老たちは足に地がついていないほど、ホクホクと嬉しそうだ。

そりゃ嬉しいだろう。あれだけ夫君の世継の言っていたのだから、とリウヒは苦笑した。

 

仲間たちは大喜びで祝宴を設けてくれた。

周囲は祝福してくれる。笑いながらもリウヒは全く現実感がなかった。

まるで夢の中の出来事のような、ポツリと浮いたような、奇妙な感覚だ。

自分の周りだけが、騒がしく賑やかに、そして恐るべき速さで流れてゆくような。

夜の寝台の上で、シラギは愛おしそうにリウヒを抱えこむ。

なぜ、この男がここにいるのだろう。どうしてわたしはこの男の腕の中にいるのだろうと、首をかしげて、ああ、そうか、シラギはわたしの夫だったと気づくことが度々あった。

幸せかと聞かれれば幸せなのだろう。

 

日々はそのままあっという間に、過ぎてゆくかのように思われた。

が、そうは問屋が下ろさなかった。

 

「婚礼の儀?」

 

人気のない政務室で、リウヒは素っ頓狂な声を出した。横のシラギも口を開けている。

左様、と宰相は重々しく頷いた。

「陛下も安定期に入られましたゆえ、年明けに儀を行いましょう」

「別にそんな大層なことをしなくても…」

面倒くさいではないかと口から出そうになって慌てた。

「よいですか、陛下は国王なのです」

黒い瞳に力を入れて、宰相は主を見た。

そんなん知ってらあ。つい不貞腐れた態度を取りそうになる。

「その王が伴侶を迎えられたという事は、国の一大事な訳です」

それからとうとうと語られたが、全て耳の間を通過していってしまった。シラギは真面目に聞いていたようである。だが、次に婚礼の儀とやらの内容を聞いて、リウヒ共々大声を上げた。

「嫌だ無理だ、そんな、こっぱずかしい!」

「出来るか!」

「しきたりでございます」

「大体だな、杯がどうのだとか剣がどうのだとか、なぜそんな事を言わなければならないんだ!言えるか、言えるわけなかろう、恥ずかしい!」

リウヒが顔を真っ赤にさせながら机を叩く。シラギもこれまた赤い顔で抗議する。

「それに、なぜわたしが赤道を歩かなければならぬ、普通女が歩くものだろうあれは!」

「そうだそうだ!シラギに赤道などしずしずと歩かれたら、わたしは吹き出してしまうぞ!婚礼の儀どころではないぞ!」

「お二人とも落ち着いてくだされ」

耳に栓をして、顔を顰めていた宰相が落ち着いた声で諭した。

「結婚とはすなわち、子孫繁栄の過程であります。何故恥ずかしがられるのか、不思議でなりません。それに、国の主が伴侶を迎えられるわけであるのですから、夫君となられる方が赤道を歩かれるのは、しごく当たり前のこと」

じゅんじゅんと説く老人に、呻きながら引き下がった二人だが、直もしぶとく食い下がった。

「た、民への顔見せは必要なかろう?お触れでもペラッと貼っとけば…」

「駄目ですっ!」

まるで菓子をねだる子供を叱るように、一喝された。

「陛下は民の人気を圧倒的に集めておられます。その愛すべき国王が結婚などという一大事に、なーんの挨拶もなければ、みな嘆き悲しむでしょうな」

「ううう…」

国王陛下と黒将軍は、頭を抱えて降参した。

隅に控えていたトモキは、笑いをこらえるため口の中を噛みながら、さすが宰相さまと感心していた。

****

 

 

キャラは部屋の中を見渡した。居心地の良い部屋で隅に巨大な本棚がある。

近寄って見ると、ほとんどが歴史に関するものだった。

「カガミさんの遺品なんだ」

「図書室みたいだね」

一度しか入ったことのない、本殿の奥に位置する図書室は、窓から燦々と光が零れてとても美しい場所だった。

「それで?試験はどうだった?」

トモキが茶を淹れながら微笑んでいった。

「実技は大丈夫だと思うんだけど…筆記が微妙…」

二日前に終わった試験の結果は、一月後に発表される。生殺しだ、早く結果が出てほしい。

「けど、脳みその全てを振り絞った」

「お疲れさま」

「疲れちゃったよ、本当にもう」

二人はクスクス笑うと、杯を合わせた。カチンと音がする。

同じ北寮に住んでいながら、キャラは初めてトモキの部屋に招かれた。十年近く住んでいるというこの部屋は、主と同じ匂いがして温かく優しい空間だった。

「元々はカガミさんが住んでいたんだ」

懐かしむようにトモキが言った。

「初めてここの扉を開けた瞬間、本が雪崩落ちてきてその直撃を受けた」

「嘘」

「本当」

思い出話を聞きながら、ふと意識が飛んだ。

シシの村でリウヒとカガミについて行かなければ、キャラはずっと村にいたまま、日々を過ごしていったに違いない。

トモキとも会えず。リウヒと友達になることもなく。あの仲間と知り合うこともなく。

 

「キャラ」

はっと現実に戻ると、間近にトモキの顔が会った。キャラが座っている椅子の前に跪いている。

「君に言いたいことがある」

すみません、途中から話を聞いていませんでした!

怒られるのだろうか、呆れられるのだろうか。ビクビクしているキャラの手を取って、トモキは微笑んだ。

「ぼくと結婚してほしい」

「ええっ!」

思ってもいなかったその言葉に、キャラの思考は遠く彼方へ吹っ飛んでしまった。

「目標に向かってひたすら頑張っている君が、好きなんだ。大好きなんだ。だから、ずっと傍にいてほしい…キャラ?キャラ?おーい」

目を見開いて、ただ硬直している少女の顔の前で、トモキが手を振った。

「トモキさんといたい…」

やっと出た声は掠れて、とても小さく聞こえる。

「あたし、ずっとトモキさんと一緒にいたいの…」

だんだんと涙に濡れてきたキャラの声は震えていた。

「一緒にいよう」

そのまま腕の中に閉じ込められた。

「しわしわの爺さん婆さんになっても、死んで西の果てにいっても、新しく生まれ変わっても、二人で一緒にいよう」

「うん…」

唇が優しく重なる。

ああ。キャラは涙を流しながら思った。この人を好きで、本当に良かった。

****

 

 

「婚礼の儀まであと何日か、本当に分かっているの?ねえ?」

腕を組んで踊り子を睨みつけるマイムの背後には、陰気で黒い闇が渦巻いている。

娘たちは身を縮めて上司の怒鳴り声に耐えた。そしてやっと解放されたのは、とっぷりと日が暮れた頃だった。

彼女たちにも分かっている。重大な宴で失敗などしたら、恥をかくのは自分たちなのだ。だけど、もうちょっと努力を認めてくれてもいいじゃないか、マイムさまは理想が高すぎる。

青白吐息の部下たちと楽師が稽古場を去った後、マイムは譜面を眺めながらため息をついた。

「ねえ、ミヨシノ」

弦の調節をしている男と目が合う。

「仮定の話よ。恋人がほかの男を見ているのに、何にも言わないのはどうしてだと思う」

「仮定の話か」

ミヨシノは再び月琴に目を落とし、微笑した。

その笑みが気に入らない。

「大抵のものは、黙っているだろうな」

チン、と鳴らす。

「女はとかく感情でできているが、男とは見栄で生きているようなものだから」

「そう」

「お疲れ、舞踏長殿。白将軍によろしく」

全てを見透かされているような顔に腹が立ったが、譜面をまとめ稽古場を出る。

 

マイムは愛など信じていない。いないはずだった。だけど分かっていた。

あたしはあの男に愛されていた。同類だと思っていたあの男に。だったら信じてみようじゃないか。

銀髪の恋人の扉を叩かずに開ける。女が男の部屋に招かれもせずに押し掛けるなど、非常識極まりないことだったが、マイムは全く気にしなかった。女を連れ込んでいたりして、など毎回思うものの、部屋の主はいつも一人で酒を飲んでいたり、本を読んだりしていた。

今日のカグラは、ぼんやりと窓の外を見ていた。

「どうしたの?お月見でもしているの?」

「お前を待っていた」

無言で横に立つと、静かに肩に手が回った。この場所が好きだと思う。とても安心する。

「ねえ、カグラ」

静寂をぽつんと漂う自分の声は、なんだか甘えたように柔らかく聞こえる。

「ずっと横にいてあげるわよ」

そのくせ位高げだった。

「あんたのお父さんのように、丸い体で不思議な髪形をするようになっても、ずっとあたしは横にいてあげるわ」

カグラの体が硬直するのが分かった。マイムはクスクスと笑う。

このあたしが気づいてないとでも思ったのかしら。

「知っていたのですか…?」

「知っていたわよ」

身体を巡らせて、銀髪の恋人を見上げた。爆笑してしまいそうになるほど、間抜けな顔をしていた。

「あんた、カガミさんを見る目が熱っぽかったもの。始めは恋でもしているのかなって思っていたんだけど、やっぱりお父さんだったのね」

「…父から譲られたのは、この銀髪だけだ」

「腹黒さもじゃないの」

それは否めない、と恋人は微笑んだ。

流れるような銀色の髪、随分と日に焼けた肌、宝珠のような紫色の瞳。そして何より自分だけを見ていてくれた。

 

あんたがどんな姿になっても、ずっと傍にいてあげる。

 

月明かりを浴びながら、銀と金の髪の毛を持つ男と女は、縺れあうように絡まった。

****

 

 

黒衣の男、シラギは目の前でひたすら食いまくる愛する妻を呆れたように見ていた。

「そんなに食ったら腹の子に悪いのではないか…」

「いや、むしろ良いに違いない。リン、おかわり」

「陛下、これで四杯目ですよ…」

東宮に居を移して五日が経った。まさか自分がここに住むようになるなど、昔は想像だにしていなかった、とシラギは苦笑する。

「そうだ。シシの村のかあさんが宮廷に入ることになった」

食後の茶を飲みながら、リウヒが思い出したように言った。

 

「旅に出ているハヅキにいちゃんを待っていたそうだが、子が出来たと手紙を書いたらすぐに宮へ行きたいと返事が来た」

夜、シラギの腕の中でリウヒは嬉しそうに微笑む。

「血は繋がっていないが、わたしの大切な母だ。やっと宮へ来てくれる」

家族など、自分もこの妻も無縁のものだった。自分の両親は早々に亡くなった。

片やリウヒは、幼子の頃に父に弄ばれ、心を失った母に殺されかけ、兄に孕まされた。

それでも、また新しい家族が生まれる。周りが呆れるくらいに愛情の溢れた家族になってやろう。

「不思議な感じだ。子が出来て、シラギがわたしの夫…そういえば、わたしはシラギのことをなにも知らない」

さあ、話せ、と見上げる黒い瞳に微笑んだ。

「父はわたしが十二の頃に亡くなった。母はわたしが生まれてすぐだ。兄弟はいない」

「そうか…」

父が死んでからは、伯父の宰相が面倒を見た。シラギはその下に付きながら小学、中学、大学へと歩を進めた。

「わたしは赤子のあなたを抱いて、トモキの家へ行ったことがある」

「ええっ!」

驚きに口を開けるリウヒを見て、感慨深くなった。こんなに大きくなってしまった。そして今、愛しい妻としてこの腕の中にいる。

「なんだか恥ずかしいな…。それから?」

宮廷に上がってからは、すぐに時の右将軍を倒しその位を頂いた。

「宮廷軍は、実力主義だからな」

「その剣技を教えたのはジュズなのだろう」

「よく知っているな」

物心ついたころからこてんぱんにやられまくった。ただ数多くいる弟子の中でシラギが一番という訳ではなかった。もう一人いた。

「それがカグラだった」

「ええっ!」

酒の席で覚えているかと聞かれた。勿論覚えていたが、それが目の前の友人とは信じられなかった。

「たまに修練場で手合わせをしている。あの男も中々に強い」

「わたしも見たい!あの御前試合は、見ていて興奮したぞ」

「リウヒが来たら、それこそ御前試合になってしまう」

海軍と兵軍で試合をする計画があることは、まだ黙っていよう。きっとリウヒは喜ぶだろう。

「じゃあ、こっそり」

二人で小さく笑った。

「シラギの話はとても興味深い。もっと話して」

ねだるようにリウヒが見上げる。

「なんの話をご所望ですか」

「小さい頃の話」

「御意」

流れるような男の声を、少女は楽しそうに聞いている。傍目には父が幼子に寝物語を聞かせているようであった。

****

 

 

講義部屋の中で、キャラは一生懸命に耳を大きくして、呼ばれてゆく名前を聞いていた。

心の臓が口から飛び出そうだ。ムゲンの落ち着いたゆっくりとした声の、速度を上げる何かがあればいいのに。ああ、イライラする、と爪を噛んだその瞬間。

名前を呼ばれた。確かに自分の名前だった。

同室の友人たちが、やったね、とこちらに目配せしてくれる。立て続けにその友人たちの名も呼ばれた。

五人とも受かっていたよ!

もうキャラは、そわそわして落ち着かない。机の上で踊りだしたいほど浮かれていた。

こんなにあたし、幸せでいいのかしら。トモキからは結婚を申し込まれた。大切な友達の婚礼の儀はもうすぐだ。そして受かりたかった試験は合格した。

いや。いやいや。まだ見習いを脱出したばかりではないか。ただの侍女になっただけだ。

国王付き女官への道は、まだまだ果てしなく続く。

 

しかし、その後の食堂で見習い脱出した娘たちは大騒ぎだった。他の女官や侍女たちは、自分たちも心当たりがあるらしく、微笑ましそうに遠巻きに見ている。同僚とキャーキャー騒いでいたキャラは、トモキの姿を発見して脇目もふらずに突進した。そして飛び付いた。

「トモキさん!あたし、合格した!」

その昔、同じ事をした時、ただ赤毛を撫でただけのトモキの手は、しっかりキャラを抱きしめた。

「良かったな。本当に良かった」

周りの見物人は突然の出来事に目を見開き、それから蜂の巣を突いたように、かしましい悲鳴を上げた。

 


 
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