酷い吹雪だった。
大型の冬型高気圧が日本列島を覆い、登頂途中だった不動親子を山間に足止めしていた。
富士の山頂から初日の出――所謂、御来光を眺めるための登頂だったが、今は完全にそういう状態ではなくなっている。
吹雪が酷くなる前にテントを建てる判断を下した信也の父、大志のお陰でテントの中に吹雪を逃れることが出来た。
既に第七合目を超えており、周辺に木がないためにテントはダイレクトに吹雪に晒されている。
カーボンフレームの軋む音が耳に届き、不安を煽り立てる。轟々と唸る強風が更に恐怖を駆り立てた。
テントの外も一面銀世界と呼べるものではない。白と黒が渦巻状になったような、一メートル先も見えない世界に変わり果てている。
とてもではないが、救助が来そうな状況ではなかった。二次遭難になるのが落ちだろう。
もっとも大志は、救難信号を出した素振りがどこにもなかったが。
「父さん……どうするんだ?」
テントの外の様子を見るために指で少しばかり開けた入り口から顔を離し、父の顔を窺う。
ニット帽を目深に被っているためにその表情は窺い知れなかったが、焦燥した風には見えない。
むしろ、この状況においても落ち着いてすら見えた。これが経験と言うものだろうか。
信也の短い経験から言えば、この登頂は諦めて下山するべきだ。
幸いにも食糧は一週間分もある。明日も吹雪いていてもじっと堪えれば、少ない量で済ますことが出来る。
しかし、この登頂の判断を決めるのはリーダーである父、大志だ。
その大志が続行なのか中止なのか決断してくれないととてもではないが、経験の浅い信也では心配になる。
そんな信也の心配を余所に大志の声は至って落ち着きある声だった。
「大丈夫だ。明日の朝には収まる」
「収まるにしても登頂はもう無理じゃない?」
「信也」
「なに?」
外の強風にも負けない力強い呼び掛けに信也もテントの入り口から離れ、父と向き合う。
正面から見た父の顔は、登頂を始めた時と変わらず落ち着きのある顔だ。
幾度となく登ってきた証とも言える、日焼けした赤銅色になっている。
サングラスやゴーグルをかける部分が日本人らしい黄色の肌が見えた。
向かい合って数秒。大志の唇がゆっくりと動く。
「信也。俺はお前に大切なことを教えたな」
「男なら自分の中に揺ぎ無い答えを持て、だろ?」
「そうだ。それが、山を登る……いや、人生を生き抜く上で大切だ」
その揺ぎ無い答えとは何でもいい。自分の中で信じられるものを見つければいい。
不動家の男は代々その家訓の下で育ってきた。そして、不動信也という名前もその思いを込められてつけられた名だ。
もっともこの時、信也はまだ十二歳の少年だった。自身の名に恥じぬ信義をまだ見つけ出せていない。
そして、父の大志が持つ揺ぎ無い答えはこの登頂をどう見ているのだろうか。
「で、明日の朝はどうするんだよ。行くのか退くのか」
「言ったろう。朝には収まると」
「それってやっぱ登るの?」
「ははは。お前にはまだ見えんか」
「見えるって何だよ?」
信也は訝しげに父に問う。大志の顔はまだ笑みで崩れたままだった。
「父さんには富士の天辺から見る朝日が見えてるぞ」
「そりゃあ、父さんは何度か富士山から朝日を見てるから想像出来るだろ」
「違う違う。今回の登頂で見る朝日さ。揺ぎ無い答えを持て。そうすれば、お前にも『光り輝く世界』が見えてくる」
父はそう締め括ると寝袋に包まった。もう話すことはないのだろう。こうなれば、信也も寝るしかない。
吹雪が収まるまでは動くことも出来ない。体力を回復させて、明日に備えるべきだろう。
そして、信也も寝袋に包まって暗き世界へと飛び込んだ。
家が燃える。人が死んでいく。断末魔を上げて死する彼らは、この状況を理解出来てないだろう。
月の明かりすら雲に呑まれた常闇の世界で、赤く燃え盛る炎と黒煙だけがコントラストを描いていた。
斬られた脇腹の痛みに意識が一瞬飛んでいたかもしれない。
はっと気付いて目を擦り、信也は橙色と黒色の世界に浮かぶ影を見つける。
かつて父から言われた言葉を思い出していた。あれから既に五年は過ぎただろうか。
その五年の中で信也は自分の持つべき信義を見つけ出せたつもりだ。
だが、この異世界に飛ばされ、旅の先で己の信義が尚甘いことを思い知らされた。
平和の世の中で過ごして生まれた信義など、人間も激しい生存競争を繰り広げるこの世界では余りにも幼稚。
見え出してきた信義の輪郭を失ってしまい、あの時と変わらぬ少年に戻ってしまった。
しかし、皮肉にも信也が持った信義を否定したこの異世界が、信也により強固の信義を持たせる。
今まではおぼろげながらにしか見えなかった道の先が見えてくる。
父の言う『光り輝く世界』が広がっていく。違う──視界が広がっていくのだ。
思えば、孔明と士元が小さいながらも力強く軍略を示すことが出来るのは、偏に彼女らの中に揺ぎ無い答えを、信義を持っているからだろう。
その信義がどういった物か信也の知る由もないが、少なくとも誰にも汚されぬ崇高な物で違いない。
だからこそ彼女らはこの戦に身を投じた。賽を投げた。その先に勝利への道が続いているから。
そして、目の前の敵もまた己の信義を以って戦っているのだ。その先に彼の求む勝利への道があるから。
そうだ。そこにあるのだ。信義なき者に勝利の女神は微笑みかけない。
信義ある者だけに女神は道を拓く。誰にも邪魔されない、その者だけが歩む勝利への道!
「これが、親父の言っていた『光り輝く世界』か! 俺にも見えた! 勝利への道が! 今はっきりと! 見えてきたッ!」
血を流す脇腹を押さえるのも忘れ、信也は立ち上がる。足許はしっかりとしており、大地を踏み締める。
両眼は、傷を負った人間のものとは思えぬほど闘志が燃え上がっている。
そして、その眼は眼前の敵を捉えている。燃え盛る家宅を背景に馬上にいる敵を見据えている。
敵も信也の様子に気付いたのか、傍にいた部下に撤退の命を伝えると馬首を返して信也と向き合う。
「劉辟ぃぃぃぃぃ!」
「小童が。少しいい眼になった。だが、それでも儂には勝てん」
「それを決めるのはお前じゃねぇぇぇ!」
「ふんっ! ここまで来たら勝敗を決するのは天意よ! 来い、小童ぁぁぁ!」
真・恋姫無双 ~不動伝~ 第七話 太平道
どこかの村にある酒店で三人の男が酒を酌み合って飲んでいた。
ささやかながらも数少ない楽しみである酒宴に丁度話題が終えたのを見計らい、冷徹そうな瞳をした男が新たな話題を切り出す。
「ところでお前たちは、張三姉妹って知ってるか?」
「誰だそいつらは? 有名人かよ」
ひょろ長い体をした男が頭を振る。全く聞いたことのない名だった。
「今人気鰻上りの旅の歌い手だ。確か……『数え役萬☆姉妹』って名乗っていたな」
「おぅおぅ。それなら聞いたことあるぜぃ! 何でも今まで聴いたことない歌で虜にしてるとかな!」
『数え役萬☆姉妹』の名を聞き、惜しむことなく見せる屈強の筋肉が覆う上半身をした男は体を揺らし、豪快に酒を煽る。
旅の歌い手ということでようやく思い至った、ひょろ長い男も酒を煽る。
「そいつらがどうしたってんだよ。精々小娘に踊らされてる田舎の信者が煽り立ててるんだろ」
「それなら話題にもしまいよ」
「ほう、なんだなんだ。何かあるってのか?」
三人の男の中でもブレイン役でもある冷徹な男が引っ張り出す以上、何かしらの旨みがあることは確か。
酒を煽る手を止め、冷徹な男の次の言葉を求めるように身体を乗り出す。
「まずは、信者の数が日々増えているということだ。その数はもう三千も下らんらしい」
「おいおい三千って、小さな町並みの数じゃねぇか!」
『数え役萬☆姉妹』の名が出始めたのはつい最近のこと。恐らく、まだこの一帯にしか轟いていないだろう。
それなのに一地域に、短期間で三千もの人間の心を掴んだとなると驚異的なことになる。
「さらにだ。その信者の大半がこの国に不満を持った若い男共だ」
その言葉にこの冷徹な男が何を目論んでいるのか、二人の男も理解する。
「なぁるほど。そりゃあいい。で、その『数え役萬☆姉妹』ってのはどこにいるんだ?」
「ここより北に十里ほどの邑で公演するようだ」
「馬ならすぐ着くな。よっしゃあ、行くとするか!」
三人は勢い良く席を立ち、男たちの馬を預けている厩を目指す。
男たちの名は馬元義、波才、張曼成。後に黄巾党と呼ばれる集団を指揮する『渠帥』と言う幹部となる男たちだった。
時代が遂に動き出そうとする。
そう──雌伏して時を至るを待つ臥龍が天に放たれる時代を迎えようとしている。
『数え役萬☆姉妹』のデビューは、この漢帝国を生きる人々からしたらまさに鮮烈だった。
舞台の上に立つ三姉妹の手にするのは、竹筒の先に卵のような楕円形のガラス細工をつけたもの。
それなのにどこからか楽器が奏でる音が聞こえてくるのだから不思議としか言いようがない。
さらに流れる旋律も今までとは見聞きしてきた物とは違い、躍動感溢れる物だった。
儒教によってあるべき詩想も固定されてきた人々にとっては余りにも前衛的だった。
何よりも今の国の在り方に不満を抱く人々は、『数え役萬☆姉妹』の歌に乗せられるように感情を爆発させる。
現代で言えば、ロックンロールが誕生した瞬間に立ち会ったと言えるだろう。
勿論、歌だけではない。この『数え役萬☆姉妹』も張三姉妹の名を広めるためだ。
張性を持つ人間などこの四海には大勢いる。その中で張三姉妹だけが有名になるのは厳しい。
そこでユニット名という物を生み出した。旅芸人の張三姉妹という言葉ではなく、『数え役萬☆姉妹』という言葉の方がインパクトがある。
そして、三人とも美少女と呼べる美貌の持ち主だ。しかも、それぞれ違う特色を持っている。
長女の張角は、天然系巨乳キャラ。次女の張宝は、小悪魔系妹キャラ。三女の張梁は、クールビューティーキャラ。
それぞれの特色を出していくことで歌だけではなく、自分たちのことも知ってもらうことにした。
舞台の演出にも気を遣い、妖術を扱える張宝を中心に舞台演出――照明効果を編み出した。
歌うだけでなく、踊りを組み合わせることで耳と目から脳内に自分たちを焼き付かせる。
曲と曲の合間にファンとの掛け合いや会話を増やすことで距離感を縮め、親近感も湧かせる。
それらの全てが、偶然にも信者から渡された書物――『太平要術』に書かれていたことだった。
北郷や信也が見れば、現代のアイドルのライブコンサートと変わらないと評しただろう。
「あー、もうついてきてくれるのは嬉しいんだけどこれじゃあ動けようがないじゃない」
背中から転げ落ちそうなほど椅子を傾け、両腕を天へと伸ばす。
薄い空色の髪を横に結い、臍を見せる舞台衣装を身に包むのは張三姉妹の次女、張宝。
その愚痴に口を聞いたのは、三姉妹の一番下になる三女の張梁。
薄色のショートヘアーに眼鏡をかけ、張宝同様に肌を露出させた舞台衣装を着ている。
胸が姉の張宝よりも大きいというのは、信者の中では誰も口にしてはいけない暗黙の了承だ。
「仕方ないじゃない、ちぃ姉さん。ここまで信者の数が膨れ上がるとは思ってもいなかったもの」
今、張三姉妹がいるのは舞台裏に設けられた天幕の中だった。
公演が控えているのもあったが、実際は信者から遠ざかるためだった。
三人とも美少女であるために若い男を中心に熱狂的な人気を浴びている。
しかし、信者との距離を縮めるためのファンサービスが仇になった。
つまり、彼女に一目見ようと接触しようと群れ寄ってくる男たちが溢れ出したのだ。
彼女らも大陸一の歌い手になるために信者を無碍にすることも出来ずに途方に暮れていた。
幸いにも彼らの中には張三姉妹を女神として崇める者が護衛に買って出てくれているために実害はまだ出ていない。
いずれにしてもこのままでは内と外から挟まれて、自由に動き回ることが出来なくなる。
まだうら若い乙女にとって身動きが取れないというのはフラストレーションが溜まる一方だった。
「これじゃー、町に買い物にも行けないねー」
ぐったりと机に突っ伏すのは、長女の張角。
彼女のトレードマークである黄色のリボンも心なしか撓れているように見える。
桃色の髪がまだらに広がり、机に突っ伏させられた豊満の胸が押し潰された。
「天和姉さんも何か思いつかない?」
「お姉ちゃんが今まで考えて、いい試しになったことなんてないよー」
「それもそうね……はぁ」
三姉妹のブレインである張梁は頭を抱える。
旅に出た時から姉妹の財布を預かってきたからマネーマネジメント能力は確かなもの。
しかし、信者が出来たのはつい最近のために信者に対する扱いはまだまだだった。
そんな三姉妹の許に護衛を買って出ている信者が天幕の外から声を掛けてきた。
「あの、天和様。地和様。人和様。話があるという方がお見えになっております」
「申し訳ないけど、公演時間以外の触れ合いは受け合わせてないわ」
「いえ、それが『彼の者をどうにかしよう』と言っておりますが」
受付窓口も担当していた張梁がばっさりと断りを入れるが、次に出てきた言葉に一瞬肩が震えた。
『彼の者』とは膨れ上がった信者を指しているのだろうか。
そうならば、耳を傾けてみるのもいいだろう。例え、近づくための口実だとしても天幕の外に控える護衛を呼べばいいだけだ。
護衛役を受け持つだけにその体格は、頼もしいほど筋骨隆々だった。
「いいわ。その人を連れてきて」
張梁の許諾を受けた護衛は、天幕から離れていった。
「ちょっと。そんな簡単にここに入れてどうするつもりよ!」
少女特有の高い声で張宝が反発する。張角もプライベートの空間に男を入れ込むのにいい顔をしていない。
「私もここに男の人が入ってくるのは嫌だよぉ」
「我慢して。もし、これで信者をどうにか出来るのなら安いものよ」
この辺りは、金銭感覚が鋭い張梁が僅かの間に利益と損害を割り出している。
この天幕に男を入れることと信者をどうにかする策。現状の問題が解決するのならば、この天幕に男を入れるのは目を瞑るべきだろう。
「大丈夫よ。外の護衛も一緒についてもらえばいいんだから」
「ま、まあ、外にいる護衛は私たちに何かしようってことはないでしょうけど」
「護衛の人たちって私たちを神かなにかみたいに見てるからちょっと怖いけど」
そのお陰で信用するに値するのだから何があるのか分かったものでない。
二人が納得しかけたところで先程の護衛が戻ってくる。ここまで来るともう後には引けない。
「人和様。お連れしました」
「ありがとう。もし二人以上いるなら一人にして」
「問題ありません。お一人です」
「そう。なら、あなたもその人と一緒に入ってきて」
「はっ、はい!」
思わぬところで三姉妹の天幕に入れる喜びか。護衛の声は裏返っていた。
期待したところで所詮旅芸人で変わりない三姉妹の天幕など、それなりに飾り立てられているものの殺風景にしか見えなかった。
信者からの差し入れもあるが、今後の活動資金のために張梁が質屋で換金している。
「では、入らせて頂きます」
天幕の入り口の垂れ幕が持ち上げられ、二人の男が入ってくる。
一人はその屈強ぶりと見知った顔から護衛だと分かる。そして、もう一人の男が話を持ちかけた男となる。
中肉中背の体格に目を細め、ニコニコと愛想のよい笑みを顔に貼り付けている。
張梁は相手の腹を読むつもりだったが、その笑みのせいで却って読めない。
「まずは自己紹介してもらおうかしら」
「私は馬元義という者でございまして。『数え役萬☆姉妹』の信者の一人でございます」
馬元義は腰を九十度曲げて、慇懃深く頭を下げる。
「それはありがとう。さて、私たちに一体何の用かしら」
「へえ。実は、我々信者による組合を作りとうございます」
「組合?」
馬元義の言葉に張梁は微かに首を傾げる。張梁の疑問を答えるように場元義は説明に移る。
「はい。『数え役萬☆姉妹』の信者が増えることは、我々信者につきましても大変めでたいことです。
ですが、近頃は無秩序に貴女様方に近付こうとする不届き者が目に余る現状です。
そこで組合を設け、我々信者だけの法を敷くのです。『数え役萬☆姉妹』の信者たる相応しき言動を取れるように。
その法を破る者には貴女様方直々に除隊を命じられるとなれば、彼らも大人しく従いましょう」
「へぇ、なるほどー。ねえ、人和ちゃん。それはいい考えじゃない」
「そうよ! なんで私たちが信者の世話までしなくちゃならないのよ。私たちは崇められる立場なんでしょ!」
馬元義の説明を聞いた姉二人がこぞって賛同する。話の内容は、要するに信者同士お互いに目を光らせるということだ。
それならば、態々自分たちが面倒なことをしなくてもよい。彼らの管理は彼らに任せればいいのだから。
だが、張梁はまだ賛同しかねた。確かに組合を設ければ、彼らとの間に一線を引ける。
自分たちは歌に専念することも出来るし、自由になれる時間も作れる。
利益が損害を上回っているように見えるが、どうもきな臭い気がする。
女がてら旅を続けていない。賊に襲われるようなこともあったし、甘言に乗せられて危うく売られそうにもなった。
旅で鍛えられた張梁の直感が警戒信号を出すが、それがどういった物か結局は分からなかった。
「もう! 何を心配してるのか分からないけど、この男に任せちゃいなさいよ!」
「それは、はい。私に命じて頂ければ、貴女様方の満足行く組合を作って見せましょう」
「ほらほら。こう言ってるんだから人和も賛成しなさいよ」
「はあ。もうちぃ姉さんったら……まあいいわ。現状を打破するには今はそれしかなさそうね」
「えーっと、馬元義さんだっけ? 宜しく頼むねぇ」
「ははっ!」
張宝の強い押しに気圧され、張梁もようやく承諾する。
張角の命令を受け、馬元義は引き下がっていく。護衛も役目を終えたことで天幕を出て行く。
こうして張三姉妹の許可を受けた馬元義は、仲間と共に『数え役萬☆姉妹』の信者で構成される組合『太平道』を結成する。
馬元義、波才、張曼成を含む最初期の信者数人を『渠帥』という幹部に据え、張三姉妹を指導者とした。
『太平道』のシンボルマークとして、張角の黄色のリボンから倣って頭に黄色の頭巾を巻くことを決めた。
表向きは、『数え役萬☆姉妹』の活動を支援していく健全な組合だ。
しかし、その裏では賊や侠を取り込み、刻一刻と武闘集団へと移り変わっていく。
張三姉妹の手綱から外れ、馬元義らが離脱し暴走するにはそう時間がかからなかった。
陳留よりも北に数十里の位置にある小さな邑に信也たちは宿を取っていた。
孔明と士元の二人は曹操への仕官を見送り、信也と共に『天の御遣い』に会うためにここまでついてきた。
二人からすれば、曹操はこの世にまたとない傑物。しかし法家の鬼であり、時と場合によれば民にも出血を強いる人物だと評した。
確かに法は遵守しなければならないし、数々の政策を立てて善政を敷く曹操ならば天下を治めた暁には平和な世が来るだろう。
だが、その平和の中身が二人からしたらずれていた。そうなれば、頑固な二人だ。納得行く人物を求めるのが道理。
信也の方は、陳留でようやく『天の御遣い』の情報を聞きつけた。
洛陽にほど近く、治安が良く、経済が活発となっている陳留には東西南北から情報が飛び込んでくるのだから当然と言える。
北から来た馬商人から幽州涿郡太守、公孫賛の下で客将をしていると同時に『天の御遣い』の特徴も聞いた。
やはり信也の予想通りに『天の御遣い』が北郷一刀だと確信する。
陽の光を反射する、光り輝く白き服を着た黒髪の好青年。民にも平等に接する姿は、仁愛の君と呼べた。
そして、さらに予測していたこともあった。そのことも訊けば、見事に命中していた。
北郷と共に活動している人間がいて、それが劉備だということを。
現代人の信也だから予測出来たことだ。
この世界が『三国志』のパラレルワールドだと考えると後の魏、呉、蜀の中心人物の傍にいる可能性がある。
孫策、曹操の許に訪れて見当たらなかったのなら劉備の傍にいても可笑しくない。
劉備の学友である公孫賛の下にいると聞いた瞬間、信也の中でほぼ北郷は劉備と共に行動していると確信していた。
一方で孔明と士元も『天の御遣い』の噂だけでなく、劉備の噂も聞いていた。
仁愛の君に並ぶ人徳の器として公孫賛と肩を並べるほどの人望を得ているとのことだ。
そして、劉備の『大陸全ての民を笑顔で暮らせる国にしたい』という信念に惹かれた。
遍くことなく全て受け入れる巨大な器を持つ劉備に可能性を見出すのは必定か。
こうして、三人の進路は幽州涿郡へと決まった。
(旅を始めて二月近く……この世界に来て四月近く経つのか)
一晩明かすことにした邑の中を歩きながら、この世界での月日を頭の中で概算する。
この調子で行くのなら、元の世界に帰るのは後数月の時間がかかりそうだと愚痴る。
焦っても詮無きことだが、目に見える成果が欲しくなるのも人情だろう。
「不動さん! こんなところにいたんですね」
邑の中をぶらぶらと散歩していた信也の許に孔明と士元が駆け寄る。
薄っすらと汗をかき、肩で息をしているところから長い時間探させてしまったようだ。
「暇だったからぶらぶらしていたんだよ。それよりどうかしたか?」
「はい。そろそろ日も沈みますし、夕食にしようと思いまして」
確かに西の空を見れば、太陽はその巨体の半分以上を地平線の下へ隠してしまっている。
この世界に来てからは時間の感覚は、完全に太陽と月の位置関係に頼っている。
日が完全に沈めば、夕食を求めて腹の虫が鳴り出す。邑の入り口である東門、西門も閉ざされる。
小さな邑と言えども近年の治安状態を鑑みれば、夜間の開門はよろしくないのだろう。
信也が孔明たちの誘いに乗って、夕食に繰り出そうとした瞬間だ。
西門が俄かに慌しくなってきた。小さな邑だ。大通りの両端にある門は、中間地点にいてもなんとか視界に収まる。
「……何かあったのでしょうか?」
「あの騒ぎじゃあ、何かあったと見た方がいいだろうな」
士元の不安が混じった呟きに信也はしっかりと答える。村人が何人も集まって、何もないというのは楽観的過ぎる。
人の輪から抜け出て、信也たちがいる大通りを走り抜けようとする若者を止める。
「なあ! 何があったんだ! 教えてくれ!」
「とっ、盗賊が現れたんだよ! 数は千もいるんだとか!」
時代は、人の思いなど及ばないところで目まぐるしく進んでいく。
不動信也、この時を以って初めて戦に参加する時を迎えた――
第七話、完
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本作品はオリキャラが主人公のために、以下の条件の下で大丈夫な方のみお読みください。
・オリキャラが中心となる物語
・北郷一刀は存在
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