No.118286

真・恋姫†無双~三国統一☆ハーレム√演義~ #20-1 洛陽の日常|華蝶仮面vs呉勇士/前編

四方多撲さん

第20話を投稿です。
まずは投稿が遅れましたことをお詫び申し上げます。
その代わりと言っては何ですが、前・中・後編と怒涛の3作同時投稿! 普段の3倍強の容量でお送りします!
という訳で前編です。前回第19話のコメントにありました「寄付」についてのフォローも入れております。
仮面に隠した正義の心、悪党たちをぶっとばせ! 蜀END分岐アフター、ただいま出動(応!)華蝶仮面!

2010-01-13 00:05:51 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:38918   閲覧ユーザー数:27060

 

『和』王朝建立より一ヶ月強が過ぎた。

 

現在洛陽は大量の人口流入による諸問題が発生していた。

その治安対策の為に『洛陽警備隊』を結成。また、帝都・洛陽の拡張計画が発令されたのであった。

 

≪桃園の三義姉妹、再結義 ≫

 

 

「はぁ~、平和だねぇ、ご主人様」

「ああ、そうだなぁ……」

 

九月中旬、ある日の昼下がり。

皇帝である北郷一刀と、その正室の一人である桃香は、後宮の庭園の木陰でのんびりと休憩していた。

 

「“計画”通り洛陽の街が大きくなって。みんながお仕事見つけられれば……きっと笑顔の溢れる、すっごい良い街が出来るだろうね~」

 

その様子を幻視しているのか、桃香が陶然としながら言った。

 

「……そうだな。洛陽警備隊も結成出来たし、治安対策は何とかなるだろう。早く工事計画進めて、たくさん人を雇って、拡張計画が軌道に乗るといいなぁ」

 

一刀自身は皇帝としての給金の大半(約85%)を暫くその計画の予算に回す予定だ。下手に后たちへ奢り続けると、蜀時代のように来月の小遣い前借りという憂き目に遭うことになる。

というか、きっと遭うに違いない。

実を言えば、桃香は一刀以上に俸禄を計画に寄付していた(約95%)。普段から殆ど金を使わない彼女らしい話だが。

その他の正室たちも、俸禄を貰っている者たちは大概が半分程度を寄付している。

また、皇帝や正室(と本来なら側室)の“家としての財産”である帝室財産も、それを司る『九卿』である『少府』に命じて一部を計画へと寄付していた。

 

また、全ての官庁に出仕する官吏ら(文官・武官)たちにも寄付を求めたが、多くの者は皇帝や正室の寄付――つまり“施し”――を聞き、我先にと俸禄の一部を寄付してくれている。

仮にも王朝の中枢に関与する官吏らは、相応に給与を貰っている。庶人と比べればそれこそ五倍、十倍という給与を安定して貰っているのだ。

無論、嫌がった者も多数いただろうが、この時代の道徳観念である儒教の影響(財を溜め込むことを良しとせず、より貧しい者に施すことを美徳とする)もあり、大きな反発は見られなかった。

まして、寄付は家名・額ともに秘することとした為、売名行為も出来ない。完全に個人或いはその家の事情に合わせて寄付出来るようになっていた。売名行為を封じたのは、競争行為や付き合いなどの柵(しがらみ)によって、無理に寄付して破産するようなことがないように、との配慮であった。

 

かくして計画に必要な予算を確保した『和』王朝中枢は、『洛陽拡張計画』を本格起動。いよいよ、設計や整地などが始まっていた。

 

 

「一日も早く……みんなにも“日常”を取り戻して貰わなきゃな」

「……うん。やっと……やっと戦乱が終わったんだもんね」

 

桃香は、寄り掛かっていた木を見上げる。

 

「あ……ねえ、ご主人様」

「どうしたの?」

「今気付いたんだけど、この木……桃、だよ」

「…………桃、か……」

 

二人の脳裏に去来するのは、もう遠い昔のようにすら感じる、薄桃色の風景。

 

「桃香たちとの『桃園の誓い』から……もう二年半くらいになるのか……。なんだか、あっという間だったような、凄く長かったような……不思議な感じだ」

「そうだね……でも、最初はたった四人だったけど。今は私達の“理想”を理解してくれる『仲間』がこんなにいっぱいいてくれて……私、幸せだよ……♪」

「そうだな。正直言って、俺が皇帝になることになるとは思ってなかったけど……」

 

やや苦笑いの一刀。堅苦しいことを嫌う性質は、そうそう直りはしないらしい。

 

「でも、そのお陰で……みんなと一緒に“理想”を目指せるんだよ。それに……」

「それに?」

「……えへへ♪(ちゅっ)」

「うわっ」

 

突然のキスに一刀が怯んだ隙に、桃香はその腕を取り、胸に抱いた。

 

「……こうやって、みんなと一緒にご主人様と過ごせるんだよ……」

「……うん。だからこそ、俺は劉協から“国”を、“皇帝”を継いだんだ。漢王朝が四百年続いたように、この国がそれ以上の平和を続けられるように。何より……みんなと共に生きていく為に」

 

一刀と桃香の顔が近付いて――

 

「ごほんっ!#」

「「ひゃあ!?」」

 

いつの間にやら、二人を見下ろすように愛紗が立っていた。その隣には鈴々もいる。

 

「……真っ昼間から、羨ま……ごほん! 何をなさっておいでなのですか!?」

「あ、あはは……ごめんなさい」

「もう~、いいところだったのに~」

「桃香様っ!」

「愛紗、嫉妬は醜いのだ。素直に自分もお兄ちゃんとイチャイチャしたいと言うのだ」

「鈴々~! 余計なことを言うな!」

 

「ぷっ、あははは! ねえ、愛紗。鈴々。この木……桃なんだってさ」

「桃……ですか……」

「……実がなってないのだ」

「はははっ、鈴々はやっぱ食い気か。あの時と全然変わらないな」

「そう言えば、あの時も『酒~』とか言ってたっけ?」

「(ぽんっ)おおー、桃園での誓いなのだ!」

「やっと気付いたのか、全く……。なにやら、懐かしさを感じますね……」

「うん。桃香ともそう言ってたんだ……」

「そうだ! ねえねえ、今ここで『桃園の誓い』を再現してみない?」

 

名案とばかりに桃香が喜色満面の笑顔でそう提案する。

 

「そう、ですね。ようやく戦乱は終わりましたが……」

「ああ。安定しているのはまだ都市部だけだ。国の隅々まで泰平を成すには、まだまだ時間がかかる」

「平和を乱す奴は、鈴々が成敗してやるのだ!」

「外敵は勿論だけど、国の内にすら“敵”は数限りない。――よぉし、決意を新たに、改めて『結盟』といくか!」

「今回は、お酒は無いけどね。ふふっ」

 

一刀も立ち上がり、全員で手を重ね合う。

 

「我ら四人っ!」

「姓は違えども姉妹の契りを結びしからは!」

「心を同じくして助け合い、みんなで力無き人々を救うのだ!」

「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも!」

「願わくは同年、同月、同日に死せん事を!」

「……これからも、一緒に生きていこう。“理想”を目指して!」

「うん♪」

「はい!」

「応、なのだ!」

 

≪華蝶仮面vs呉勇士 ≫

 

 

「伯符。私の言いたいことは分かっているな?」

「あ、あら。何のことかしら?」

 

怒りも露わに問う冥琳に、頬に汗を垂らしながら、無駄と知りつつ惚けてみせる雪蓮。

 

時は少々遡り、詠の『あの日』の次の日である。

 

ここは軍部を取り纏める文官の執務室でも、最上位である『大司馬』専用の個室である。

本来、軍事担当の三公たる『太尉』である冥琳は、他の軍部管轄の文官たちとの執務室で仕事をしているのだが。

昨日の『不運伝染日物忌み計画』での雪蓮の行動を聞いた冥琳は、説教の為に大司馬の執務室を訪れていた。

 

「昨日は、私が不覚にも穏にしてやられ、『大将軍』である愛紗まで倒れていたというのに! お前という奴は、丸一日怠業していたそうだな!?」

「え、えへへ~……ちょっと詠の“不運”って奴がどれ程のものか確かめたくなっちゃって♪」

「『なっちゃって♪』ではない! 愛紗も私もいない軍部を抑えるのに、上公たるお前が仕切らんで、誰が仕切るというのだ! 幸い、紫苑と桔梗が無事だったからなんとかなったものの……最近のお前の怠慢は目に余る!」

「最低限のことはしてるでしょう? 最近は暴れる機会がないから、鬱憤が溜まってるのよ~」

「最低限のことしかしないのでは上公の意味がないだろうが!」

 

『和』王朝の軍の統括者は、大別して二つ。まずは全ての武官を統率する『大将軍』とその配下の諸将軍。もうひとつが文官として軍部を管理・監督する『大司馬』及び、その副官的立場である『太尉』配下の文官たちである。

つまり、武官としての『大将軍』と文官としての『大司馬』が、それぞれの立場から主義主張を遣り取りし、運営する形式になっている。

 

ところが困ったことに、軍部管轄の最高文官である雪蓮は、とかくサボりがちであった。というか、半分くらいしか出仕していない。それでも最低限の仕事をこなしているあたりは流石であったが、それも冥琳というサポーターがいてこそ。

 

「とにかく! 今日という今日は、纏まった仕事をして貰うぞ! 此処に在る書類全てに目を通し、是非しろ! 是ならば判を押し、非ならば此方の箱に入れろ! いいな!?」

「ぶぅー……分かりましたぁ~……」

「念の為言っておくが、今日は見張りを用意しているからな! 逃げられると思わぬことだ!」

 

冥琳はそう言い捨てて部屋を出て行った。

 

「ふーん、見張り……ねぇ」

 

確かに、室内に一人。扉の前に更に二人。廊下にも数人配置していたようだし、恐らくは窓側の庭にも兵を配置していることだろう。

密偵の達人である明命ならばともかく、武人である雪蓮が“こっそりと”外出するのは不可能だろう。……全員を叩き伏せて出て行くことは容易かろうが。

 

しかし、雪蓮はにやりと笑って見せた。

 

「ふっふっふ……。甘いわよ、冥琳……」

 

 

……

 

…………

 

 

数時間後。

太尉以下の軍事担当文官が勤める執務室に、兵が飛び込んで来た。

 

「しっ、失礼します! 太尉様!」

「……どうした?」

「大司馬様が逃亡されました!」

「なっ、なんだと!?」

 

冥琳が大慌てで大司馬の執務室に赴き、室内を確かめると、確かに其処に雪蓮の姿はなく。

大量の書類は、何故か三分割されていた。

ひとつは認可の判が押された山。ひとつは否認用の箱の中。そして、机の上に残る大量の山。

そして机の上に置かれた書類の山の隣には、文鎮に押えられた紙が一枚。

 

『ざっとは見たわよ~。机の上の分は、どうでもいいのばっかりだから冥琳にお・ま・か・せ♪』

 

「――しぇ・れ・ん~~~~~~っ!!#」

 

冥琳は叫びながら思わずその雪蓮からの伝言が書かれた紙をびりびりと破り捨てていた。

 

「見張りはどうしていたのだ!?」

 

冥琳の詰問に、室内の見張り役だった兵は恐る恐る答えた。

 

「そ、それが。筆を落としたと仰ったので、拾おうと一瞬目を離した瞬間、既に大司馬様の姿は無く……」

「そ、そんな馬鹿な!?」

「代わりに、いつの間にか窓際に呉将軍がいらしていて。彼女は窓から逃亡したと。それで慌てて報告に……」

「……呉、将軍? 聞いたことがないな。所属はどこだ?」

「はっ! 孫尚香様の親衛隊の将軍であられる方です。前回の天下一品武道会で予選突破したことで、孫尚香様のお目にとまったとか」

「……そうか、伯符め……! あの“帯”を没収しなかったのは失策だったか……!」

「?」

 

そう。雪蓮は見張りの目を逸らした瞬間、身につけた者の正体を隠蔽する神秘の術具である“帯”を装着したのだ。その霊妙な力によって、見張りの兵士には雪蓮は別人にしか見えず、しかもその姿を“孫尚香の親衛隊の将軍”として、こっそり登録してあったのだった。

 

 

 

さて、見事『呉勇士』として洛陽城を抜け出した雪蓮はと言えば。

いきなり酒屋で真っ昼間から酒を呑んでいた。なお、あの帯は怪しすぎるので外している。

 

(うーん……平和ねぇ……。昨日はちょっと負けちゃった感じで悔しかったけど、それなりに楽しめたし。おまけに今晩は伽の当番だし、楽しみだわ~♪)

 

のんびりと呑んでいた雪蓮だったが、突如周囲がざわつき始めた。

どうも食いっ逸れた軍人崩れらしいチンピラ数人――相応の武装から判断した――が何かの露店に対してイチャモンをつけているようだ。

 

(――全く、どこにでも屑はいるものね――)

 

雪蓮は思考が戦闘モードに移行し始めていたが、そこへ響いたのは凛とした女性の声。

 

「可憐な花に誘われて、美々しき蝶が今、舞い降りる! 我が名は華蝶仮面! 混乱の都に美と愛をもたらす、正義の化身なり!」

 

途端に周囲の民達からも声援らしき言葉が掛かる。

 

「出たぞー! 華蝶仮面だ!」

「いいぞー! あんな奴等、ぶっとばしてくれ!」

「きゃー! 華蝶仮面様~~♪」

 

(あー……そう言えば報告書に、成都の怪人『華蝶仮面』が現れたってあったわねぇ。へぇ~、初めて見る……)

 

二股の矛先を持つ槍を構えた美少女。一分の隙さえないその立ち姿は、宝剣の如き美しさを放っていた。

 

が。

 

(…………。あれって、どう見ても星じゃないの……)

 

流石、普段は子供っぽくとも、芯は大人の雪蓮。星との友好が深まったことで正体隠蔽の効力が薄れたこともあり、しっかりとその正体を見抜いていた。

 

「なんだ、テメエはぁ! ヘンテコな仮面なんざしやがって!」

「ふん、この美しさが分からぬとは、なんと無粋な輩か。弱者をいたぶって悦に入ろうなど、外道の行いよ。今すぐ悔い改めるならば良し。さもなくば、我が槍が正義の一撃を見舞ってくれよう!」

「うるせえ! やっちまうぞ、てめえら!」

「「「「おう!」」」」

 

チンピラ五人は一斉に得物を抜き、華蝶仮面へと襲い掛かる。

 

「――はあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

しかし、華蝶仮面の神速の連撃によって、一瞬で全員の得物が破壊されており、しかも同時に当て身も加えていたらしく、チンピラ五人は同時に崩れ落ちた。

 

「正義は勝つ! 済まぬが、店主。警備隊にこやつらを突き出しておいてくれ。……では、これにて御免っ!」

「ありがとうごぜえますだ、華蝶仮面様!」

 

周囲の男衆に後始末を頼み、華蝶仮面は凄まじい跳躍力で建物の屋根へと飛び上がり去っていった。

 

「……鬼ごっこ、という歳でもありますまい。何か拙者に御用かな?」

 

屋根から屋根へと飛び移り、既に現場からは相当に離れていたが、華蝶仮面は裏路地へと舞い降り、自身を追いかけていた、背後の人物へと話し掛けた。

 

「……私をご存知かしら? 『華蝶仮面』殿」

 

返答したのは、『呉勇士』に変身した雪蓮。華蝶仮面は振り向き、一瞬驚いたようだった。

 

「これはこれは。先日の天下一品武道会の予選を勝ち抜いたという、『呉勇士』殿とお見受けする」

 

「え?」

「は?」

 

(あ、あれ? こっちは正体に気付いたから、あっちからも正体分かるのかと思ったのに……バレてない?)

 

一刀の正室として、また呑み仲間として。三国同盟時代よりもずっと友好を深めた二人。故に雪蓮は、天下一品武道会の時とは違い、此方の正体も見抜かれるだろうと考えていたのだ。

雪蓮は星をリアリストであると思っていたが、意外にも“純真”な人物なのか。“純真さ”を持つ者には、正体隠蔽の力が強く働く為、華蝶仮面――星には雪蓮の正体が分からなかったらしい。

 

「え、えっと。さっきは見事な連撃だったわね」

「これはお褒め頂き恐悦。しかし……用件はそれだけではなさそうですな」

「ふふ……」

 

互いに不敵な笑みを浮かべ合う二人。

……傍から見ると変人二人が見詰め合っているという状況であることは、この際忘れておいて欲しい。

 

「あなたの力……是非、私にも確かめさせて欲しいわ……。さっきから身体が疼いて仕方ないの♪」

「はっはっは! 同じ武人として、そのお気持ちはよく分かり申すが……しかし、華蝶仮面は正義の為にしか戦いませぬ」

「あら、意外ね」

「我と我が主の名に懸けて――我が槍は正義の為だけに」

 

(ふふふっ、やっぱり星も一刀に“めろめろ”な訳ね♪ でも、こっちはもう収まりがつかないわ……!)

 

「ならば……無理にでも死合って貰おうか!」

 

雪蓮……いや、呉勇士は抜刀し、一瞬で間合いを詰め、そのまま突きを見舞う。

 

「問答無用、という訳か!」

 

星――華蝶仮面はその一撃をひらりと躱してみせる。

 

「まだまだ!」

 

後退しつつ初撃を躱した華蝶仮面を追い、猛烈な連撃を繰り出す呉勇士。

並みの――いや、歴戦の将軍でさえ、この連続攻撃を凌ぐのは難しいだろう。だが。

 

「はっはっは! その程度ですかな、呉勇士殿!」

 

華蝶仮面は、その連続攻撃を全て紙一重で回避してみせた。槍で受け止めることさえしなかった。

 

(ば、馬鹿な!? 今のを完全に見切られた!?)

 

雪蓮の本気の連続攻撃は、呉内で言えば祭や思春ですら受け止めるのがやっとだろう。完全に見切った上で回避しきることが出来る者など……少なくとも旧呉勢には存在しない。

 

「正義の力、一瞬だけお見せしよう!」

 

動揺し、刹那動きを止めた呉勇士へ華蝶仮面が迫る。

 

「――必殺! 華蝶! 風! 月! 斬っ!」

「くぅっ!」

 

呉勇士は、迫る槍の連撃を受け、いなした。

防御しきった、と呉勇士が判断したその瞬間、石突による一撃が鳩尾に突き刺さっていた。

 

「ぐはっ! ごほっ、ごほっ……」

 

痛烈な一撃に、呉勇士は膝をつき咳き込む。

防御したと思った複数の攻撃は、最後の石突による攻撃への布石だったのだ。

 

「――更に精進召されい。では、さらばっ!」

 

残されたのは、膝を突いたままの呉勇士――雪蓮のみ。

完全な敗北であった。

 

「……くそっ! くそぉ! ……うああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

その夜、帰って来た雪蓮を叱ろうとした冥琳だったが、余りの豹変振りにそれどころではなかった。

彼女はまるで戦国時代に戻ったような覇気と殺気を隠しもせず、他のものには目もくれず鍛錬用の広場へ向かった。

そして広場の端で胡坐を掻き、精神を集中させる。

 

(完全に敗けた。此方の攻撃は完全に見切られ、星の攻撃を読み切れなかった)

 

雪蓮は頭の中で、何度も何度も先刻の戦闘をシミュレートする。しかし、何度やっても全く勝機が見えてこなかった。

 

(まさか、星……趙子龍があれ程の使い手だったとは……。私の目は節穴だったのか?)

 

雪蓮は、自分と星の間にあれ程の実力の開きがあるとは思っていなかった。一瞬の攻防ではあったが、星の力量は『万夫不当』と謳われし呂布――恋と同等のレベルにあると判断した。

 

「……伯符。街で何があった?」

 

シミュレートを止め、星・華蝶仮面の実力を判断し、幾分か覇気を収めた雪蓮へ、冥琳が話し掛けた。

冥琳は、雪蓮が街で彼女の“武”に関わる何かがあったことまでは理解していたが、流石にその詳細までは分からない。故に、雪蓮が落ち着くのを待っていたのだ。

 

「……『華蝶仮面』と、戦り合ってきた」

「ほう。その様子からして……完敗したという訳か」

「ええ。まさかこれ程、力量に差があるとは思ってなかったわ……。“熱狂”する間もなく、打ち倒された……」

 

雪蓮の答えに、内心相当な衝撃を受けていた冥琳であったが、その心の内を漏らすことはなかった。

 

「冥琳。あなたから見て……戦乱の時代に比して、私は腑抜けたかしら?」

「……いいえ。先刻の覇気を見ても、あなたが弱くなったとは思えないわ」

「星と私に、どれ程の力量差があると思う?」

「……個人の武勇ならば。十のうち、三ないし四はあなたが勝つ。私はそう見ていたわ」

「……ほぼ、私と同じ意見ね。でも、今日私は完全に敗けた。百にひとつも勝てない。それだけの差を感じたわ」

「……で。あなたはどうしたいのかしら?」

「…………」

 

冥琳の問いに、雪蓮は沈黙した。結論は出ているようなものだ。だが、彼女は今や武官ではなく、文官としての最高位のひとつ、大司馬という要職に在る者である。

 

「……強く在りたいって思うのは、武人としては当然だけど。華蝶仮面については深く考えない方がいいよ?」

 

そんな二人へと話し掛けて来たのは、北郷一刀だった。

雪蓮はバッと立ち上がり、一刀へ向けて叫んだ。

 

「――武人が、自身が敗北したことを忘れるなど出来ようものかッ!」

 

烈風さえ巻き起こしそうな覇気。並みの人間なら気を失ってもおかしくない程の気迫と重圧。

だが、一刀は微動だにせず……というか、困ったように苦笑いを返した。

 

「ゴメン。言い方が悪かったね。星……いや、『華蝶仮面』の強さには秘密があるんだよ」

「……どういうこと?」

「雪蓮も、正体を隠す『仮面』を持ってるね?」

「……ええ」

「そしてその『仮面』は、完璧には正体を隠せない……特に親交が深い相手には。それも知ってるね?」

「ええ」

「そこまでは『華蝶仮面』も同じだ。でも、『華蝶仮面』にあって、『呉勇士』にないものがある、と俺は思ってる。――『華蝶仮面』はね、“変身”している間、“武力”が増強されるんだよ」

「ちょっ! ええーー!? そんなの反則っていうか、ずるい!!」

 

肩を竦めて、そう説明する一刀に、当然の反応を返す雪蓮。冥琳は無言であったが寧ろ感心しているようだった。

 

「精神の高揚がそのまま強さになるっぽい感じかなぁ。『華蝶仮面』の時の星って、すっごい芝居がかってたでしょ? あの“ノリ”が反映されるというか。彼女の“正義の味方は、こうあるべき”って想像力が強さに繋がるんじゃないかと思ってるんだけど」

「そ、そんなのアリ? なんで私のはそういう力がないのぉ~?」

「ん~、鑑定出来ない以上、雪蓮の『仮面』には元々そういう“力”がない可能性もあるけど。多分、雪蓮が“大人”だからだと思うよ」

「どういうこと?」

「ふむ。私にも分からなくなってきたな。仮説で良いから、是非とも北郷の意見を伺いたいな」

「あー、なんて言うか。『仮面』の正体を見抜ける人って、精神的に大人な人が多いんだよ。悪い言い方をすると“夢がない”んだ」

「「夢が、ない?」」

「そ。二人に聞くけど、お芝居でよく見る“勧善懲悪”って現実にあると思う?」

「……“公平”と一緒で、飽く迄観念的なものだわ。それは道徳であって、現実には在り得ない」

「……そうだな」

「星も、表面的にはそう言うだろう。でも彼女は心の奥底で固く思ってる。誓ってると言ってもいい。“ならばせめて自分自身が勧善懲悪を為す”ってね」

「「…………」」

 

笑って、誇らしげにそう星を語る一刀に、雪蓮と冥琳は沈黙を返すしかなかった。

 

「良く言えば“純真”、悪く言えば“夢見がち”。『仮面』の力を引き出したり、影響されたりするかどうかは、そこが重要なんじゃないか。というのが俺の意見かな」

「……そう言えば、星は私の正体に気付かなかったわね……」

「ぷっ! そうなの!? あはははははは!!」

 

その件を聞いた一刀は大笑い。暫く腹を抱えて、地面を笑い転げた。

 

「はー、はー、はー……。あー、ウケたウケた。そうか、やっぱ星自身も見抜けなかったかぁ。くくくっ……。 ま、まぁそういう訳だから、あんまり気にしない方がいいよ。『華蝶仮面』は愛紗と鈴々の二人掛かりでも相手にならなかったくらい強いけど、その強さは“正義の味方”としてのものであって、“武人”としての強さじゃない。悔しいのは分かるけど……ね?」

「……うん、なんかそっちはどうでもよくなってきたんだけど。ねえ、冥琳?#」

「……ふむ。雪蓮に全く同意だ#」

 

目で会話し、怒りのオーラを放ち出した『断金の交わり』二人。

一刀には何のことか全く分からない。

 

「え? あ、あれ? 二人して、なんでそんなに怒ってるの……?」

「……全く。本当に女の機微に疎い奴め……#」

「ねえ、一刀」

 

冥琳は嘆息しながらも怒気を隠さず。雪蓮は瞳に妖しい光を宿らせて話し掛けてきた。

 

「ナ、ナンデショウカ……」

 

蛇に睨まれた蛙のように、身を縮こませながら、そう答える一刀。

 

「あなたって、随分……星のこと、深く理解してるわね?」

「え? そ、そりゃ付き合いも長いしね?」

「その割に、私達のことを分かってくれないのね?」

「そ、そんなことは……」

「ふふふふ……。今日は、私も冥琳も“当番”の日よね?」

「ああ、そうだったな。――今晩は覚悟しておけ、“一刀”」

「私達を理解してくれるまで……たっぷりお相手戴くわ♪」

「……ハイ」

 

二人が放つ、先程の覇気とは全く別の迫力に、一刀はそう返すしかなかった。

……ついでに言えば、その夜。当番の最後に回った二人に枯れる程に“搾られた”一刀でありました。

 

≪漢と和の義兄弟 ≫

 

 

董白が出産されてから半月が過ぎた九月中旬、残暑も幾分和らいだ頃。

そんなある日、洛陽は王城の後宮、その中庭で二人の男が語らっていた。

 

「わざわざ山陽郡から祝いに来てくれるなんて、ありがとう。伯和」

「そのようなこと。皇帝陛下に皇太子がお生まれになったのです。祝辞に参上仕るのは当然のことにございます」

 

一人は『大和帝国』皇帝、北郷一刀。

もう一人は、その一刀へ禅譲し王権を譲った元『漢』皇帝――現在は山陽公に封じられている――劉協である。

 

 

 

そして、実は。

それを草陰に隠れて見つめる二つの影があった。

 

(はわわわ! こ、これは正に八百一の状況!?)

(あわ、あわわわ……いいのかな、いいのかな!?)

 

朱里と雛里である。

 

 

 

一刀はそんな軍師二人には気付かず、劉協と話している。

 

「ん? なんだよ、伯和。妙に畏まった口調だな?」

「……陛下。貴方様は既に天子――皇帝なのです。そろそろ周囲の者からの敬語にも慣れるべきにございます」

「畏まった場では我慢してるって。私的な時間くらい、いいじゃないか。ほれほれ、口調を普段通りに戻してよ」

 

苦笑しながらも、いつもの調子の一刀。

それに対し、呆れ顔の劉協だったが。ふと思い直したように……不安げに一刀を見つめた。

 

「如何に陛下のお言葉とて、かつてのような偉ぶった口調は無理にございます。が……もし、陛下がお許し下さるならば、ひとつ願いがございます」

 

 

 

(な、なに!? なにを“お願い”しちゃうのですか!?)

(あわわわ……劉協様、真剣な瞳ですぅ~……)

 

 

 

「背中が痒くなる言い方だなぁ……。遠慮なく言ってよ」

「は。そ、それでは……。も、もし許されるならば、陛下と“義兄弟の契り”を結びたく存じます!」

 

一瞬躊躇った劉協だが、身を乗り出して力説した。

 

「うぉ!? ぎ、義兄弟? んー、桃香たちみたいな?」

「は、はい。陛下は、朕に――“僕”に異母兄がいたことをご存知ですか?」

 

 

 

(やだぁ、お二人のお顔が近いよぉ♪ ――というか“僕”!? 『朕』の自称を許されておられるのに……もしかして、ご主人様の御前だから!?)

(失礼ですけど、劉協様は背丈も小さめでらっしゃるから、ご主人様と並ぶと凄く似合っちゃうかも……!?)

 

 

 

「(“僕”?) あ、ああ。少帝弁のことだね?」

「はい。弁兄上は……周囲には暗愚などと言われていましたが。実際には、とても素直で優しい方でした……」

「……そっか。きっと、政治なんて世界とは無縁であるべき人だったんだな……」

「ええ、正に仰る通りです。弁兄上は、政敵であった僕にも、とても優しくして下さいました。宦官たちの謀略によって政敵となった僕のことを心配して、手紙を送って下さったこともありました。……十常侍によって閲覧済みだったようですが」

「……結局、権力に溺れた宦官の陰謀で、か……」

「はい。死の間際まで、弁兄上は僕の身を案じて下さっていた、と。生き延びた側近から聞きました。僕がこの世に生を受けて以来、本当に心を開くことが出来たのは、権力に取り憑かれた母ではなく……弁兄上の前でだけだったのです」

 

懐かしさと共に。劉協は、親しき兄を救うことの出来なかった後悔に、涙を浮かべていた。

一刀はそれを聞き、先帝としてでも、貴族としてでもない、小さな少年の頭を撫でていた。

 

「……劉弁が亡くなってから、ずっとずっと……お前は独りだったんだな……」

「……はい……」

「分かった。――今日から俺はお前の義兄(あに)だ。何を憚る事もない。俺の前では……先帝でも、公でもない、ただの協であっていい――」

「ありがとう……ござい、ます。……義兄上(あにうえ)」

 

いつ以来なのか、想像するしか出来ないが。

きっと久方ぶりに素直な涙を流すことの出来た新たな義弟を、一刀はそっと抱き締めたのだった。

 

 

 

((きゃーーーーーーーーー!!////))

 

 

……

 

…………

 

 

「……落ち着いたかい?」

「は、はい。なんだか、すっきりしました」

「なんか、俺も納得したよ。以前、伯和の屋敷で敬語口調を止めて貰ったとき。自然になったと思った反面、なんか違和感もあったんだ」

「本当に義兄上はそういうところには目敏いですね。……年端もゆかぬ皇帝としては、口調くらいはそれっぽくしておかないと威厳もなくて。特に僕は背も低いから」

「実際、年齢は俺より下だよな?」

「勿論。因みに『伏龍』と名高い諸葛孔明と同い年ですよ?」

「へぇ~、そうなんだ。なら、これから背も伸びるだろ」

「ならいいんですけど……」

 

 

 

(あわわ! そ、そうだったんだぁ……)

(なんだか、歳が同じかと思うと、余計に想像を掻き立てられちゃうぅ……はわわわ////)

 

 

 

今ひとつ不満げな、そして歳相応の表情を見せた劉協に、一刀は満足していた。

だが、一刀にはひとつだけ懸念が残っていたのだ。

 

「……なあ、伯和」

「なんですか、義兄上?」

「劉弁は宦官の暴走で殺された。だが、宦官の暴走の原因を考えると、ある意味黒幕だった袁紹と袁術もお前の異母兄の仇ということになる。お前は……宦官達を含めて、どう思ってるんだ?」

「……。……恨みは、あります。しかし……真の原因は、そこではないと考えています」

「真の原因?」

「はい。僕や弁兄上は……帝の血脈でありながら、部下を御することが出来なかった。確かに僕達は幼帝で、権力は宦官や将軍に握られていましたが。全ては、皇帝として自らの不徳の致すところである。そう考えています」

「そう、か。お前は……“怨嗟”を呑み込んだんだな」

「――はい。それだけが、かつて帝として、この国に何の貢献も出来なかった、『朕』の最後の仕事だと、思うのです。ですから、袁紹と袁術には……『唯々、天下泰平を求めよ』、とお伝え下さい」

「……俺は、お前が。お前達が漢の皇帝であって良かったと。今、心の底から思ったよ。……戦乱の世に、“怨嗟”を食い止めることの難しさを、ずっと目の前で見てきたから……」

 

一刀は、義弟の自己犠牲とも呼べる覚悟に、尊敬の念を抱いていた。

そんな一刀に、劉協は寧ろ緊張を強めて話しかけた。

 

「義兄上……僕は、弁兄上から帝位を奪うこととなったあの時。胸にある予感を感じていました……」

「予感?」

「はい。きっと漢王朝は、僕の代で終わるのだと。そして玄徳が禅譲について上奏してきた時、“ああ、とうとうこの時が来たのだ”と、そう思いました」

「漢王朝が終わる予感、か……」

 

劉協は大将軍・何進と宦官・十常侍との権力争いの末に帝位に即(つ)いた。

しかし、その権力は宦官・十常侍に握られ、武力は董卓・月の元涼州軍頼り。

その十常侍も袁家の策謀による反董卓連合により失墜し。

最終的には、漢王朝は曹操・華琳に劉協が擁されることでどうにか王朝の体(てい)を成していた状態だったのだ。

 

「僕は他人に極力真名を許さずに生きてきました。弁兄上が皇帝となられたときも、僕は……自身が皇帝に即(つ)かなかったことに、ほっとしていたくらいです」

「……真名?」

「そうです。真名とはその者の本質を表す神聖な名。僕は……“滅亡”を暗示する花の名を名付けられたのです。そして、それを知る者は宮中では母と弁兄上のみでした」

「…………」

「それでも……僕の真名を、預かってくれますか……?」

「ふん!」

 

答えの代わりに、一刀は劉協の髪をぐしゃぐしゃに撫で付けた。

 

「うわっ!?」

「余計な前置きはいいんだよ。俺は、もうお前の兄貴分なんだ。どーんと胸を張って言え!」

「――はい!」

 

 

 

((……ご主人様……))

 

 

 

「……姓は劉、名は協、字は伯和。そして、真名は――『睡蓮』です!」

「――分かった。確かに預かったぜ、睡蓮!」

「ありがとうございます、義兄上――」

 

 

暫くの間、二人の義兄弟は中庭の芝生に腰を下ろし歓談していた。

 

「しかし、花言葉か……」

「はい。正直、帝の血筋に連なる者に付ける名ではない気がしますよ」

「でも花言葉って普通、ひとつの花に幾つもあるじゃないか。“滅亡”以外にもあるんじゃないのか?」

「え? ええ、まあ。“純潔”とか“清浄”、“清純な心”とか謂われますね」

 

睡蓮のその言葉に、一刀は思わず笑い出していた。

 

「あ、義兄上?」

「はははは! 何だよ。お前にぴったりじゃないか!」

「は、はぁ……。そうかなぁ」

「どうにも女性的なのは否めないけどな?」

「う゛……。そ、そこもこっそり気にしてるんですよ~……」

 

胸の前で両手の指を弄び、溜息を共にそう言う睡蓮に、一刀は尚更笑ったのだった。

 

「真名が本当に大事なこの世界で、その暗示する言葉が重いことは分かる。でも、それに押し潰されるな。逆にそれを目標にしちまえ。――“清浄”なんて、本当にお前に相応しい言葉だよ」

「あ――ありがとうございます!」

 

 

 

(……ご主人様のタラシ能力って、男性にも有効なのかなぁ……はわぁ~////)

(……ぽぉーーーー……////)

 

 

 

「は、ははっ! 義兄上にそう言われると、本当にその気になっちゃうんだなぁ……。なんだか玄徳の言っていたことが、ようやく心底理解出来た気がする……」

「……桃香が何か言ってたの? 上奏の件って、俺に何の相談もなく進められたからな……#」

「あー、そうみたいでしたね。と言っても悪口ではないですよ。玄徳は『どうして皆がこんなにも惹かれるのか』、『義兄上の“チカラ”は畏まった場では感じることが出来ない』と申していたんです」

「……今までの会話のどこで、それを心底理解したというのかね、睡蓮くん?#」

「いやぁ、こう、なんというか。まるで民話や物語のような口説き文句をさらりと口にするあたりが……」

「なかなか言うじゃないか、義弟(おとうと)よ!?#」

「い、痛い! 痛いです、義兄上!!」

 

 

 

((やぁぁぁぁぁぁぁぁん♪))

 

じゃれ合う新たな義兄弟に、思わず身悶える朱里と雛里。

しかし、身体を動かした為に、草むらが揺れていることに気付かなかった。

 

「ん? 誰かいるのか?」

「「!?」」

「いたた……え? 曲者ですか!? ならば禁兵(後宮・朝廷の衛兵)を……!」

 

「はわわ! お待ち下さい! 私達ですぅ!!」

「あわわわわ……ばれちゃったよぅ……」

 

大声を上げようとした睡蓮を遮り、朱里と雛里は草陰から飛び出した。

どちらかというと、飛び出した朱里に、雛里がくっついて来た感じだが。

 

「なんでそんなところに隠れて…………はっ!?」

「はわ! な、何でもありましぇんよ!?」

「そ、そうでしゅ!」

「………………………………八百一(ぼそり)」

「はわ!?」「あわ!?」

「???」

 

一刀がぼそりと言った単語に、明らかに狼狽した朱里・雛里と、何のことやら理解出来ない睡蓮。

 

「やっぱりそうか……。こっそり覗いてた訳だ……(ゆらり)」

「はわわわ! ご、ごめんなさーーーい!」

「しゅ、朱里ちゃぁぁぁん! 置いて行かないでぇぇぇ!?」

「おーーしーーおーーきーーだーーべ~~~~!!」

 

逃げる朱里と、それに追随する雛里。そして、それを鬼の形相で追う一刀。

 

「……ヤオイチって、何?……」

 

そして。訳の分からないまま取り残された睡蓮であった。

 

 

蛇足。

 

この日、夜伽は休みの日であったのだが。その夜、朱里と雛里は一刀から気絶するまで“オシオキ”されたそうな。

 

≪洛陽警備隊の日常? ≫

 

 

「これは陛……じゃなかった、隊長さん。よろしければ、饅頭でもいかがです?」

「おう、おねーさん。美味そうだね。ほんじゃ三つ頂戴」

「もう、相変わらず上手いこと言いなさるわ。今日は楽進将軍と……あら、今日はお連れの方が違いなさるのね?」

「あ、お、う……」

「あらあら、可愛らしい方♪ ……とうとう男性にまで?」

「おねーさぁぁぁぁん!? 違うから! こいつは俺の弟分なの! 俺が好きなのは女の子だけだからね!? 変な噂を流さないでくれよ!? ホント頼むよ!!」

「義弟の伯和と申す……。というか義兄上、女好きを自称するものどうかと……」

「“男好き”とか噂されるよりはよっぽどいいだろ!?」

「おほほ。隊長さんの絶倫っぷりは洛陽でも有名ですからね♪ はい、三つどうぞ」

「……ありがと。ほんとーに噂流さないでよ? はい、これで丁度」

「そんな、御代なんて……」

「またそんなこと言って。商売人はちゃんと金稼いでくれよ~。みんなから税金貰わなきゃ、俺達だって“おまんま”の食い上げなんだから」

「……はい。丁度戴きます。また、ご贔屓に」

 

少し困ったような、微笑ましげなような。そんな笑みと共に、饅頭の露店売りである年嵩の女性が一刀から料金を受け取った。

 

「じゃあ商売、頑張ってな~♪ ……はい、睡蓮。饅頭」

「……本当に義兄上は、市井の者とも打ち解けるのがお上手ですね……」

「俺は元の世界じゃ、普通の学生……庶人だったんだ。だから普通のことなの。おーい、凪。饅頭……」

 

一刀が今日の警邏兼護衛役の凪にも饅頭を渡そうとしたのだが。

 

「…………」

 

凪は、じっと一刀と睡蓮を疑わしげに見ている……。

 

「凪、まさか……さっきのおばちゃんの言葉を真に受けてるんじゃないだろうな!?」

「…………本当ですね?(じぃぃぃぃ……)」

「だぁぁぁぁ!! どいつもこいつも! そんなにホモが好きなのか!? そんなに俺をホモに仕立て上げたいのか!?」

「「ほも?」」

「男性の同性愛者のことだよコンチクショー!!」

「あー、凪。そのような事実はない。心配するな」

「……睡蓮様がそう仰るならば」

「隊長……というか、夫の言葉よりその弟分の言葉の方が信頼度あるってどうなの?」

「……説明が必要ですか、隊長」

「…………もういいよ……。はい、饅頭」

「あ、ありがとうございます。しかし、今は警邏中で……」

「休憩、休憩」

 

という訳で、三人して道端で立ち食い。今日は劉協こと睡蓮も連れ立って、街の警邏(という名目の散策)をしている一刀である。

 

一刀と睡蓮が義兄弟の契りを結んだ日の夜。一刀は、自身の后たち全員に義弟となった劉協を紹介し、真名を預かった旨を伝えた。そして、睡蓮は一刀の后たちとも真名を交換し合い、今まで以上に打ち解けたのだった。

こうして睡蓮は一刀の『仲間』として本格的に迎えられたのだ。

 

なお、劉協こと睡蓮は今月一杯、洛陽に滞在する予定であり、一刀に付き合って警邏に参加しているのだった。

 

饅頭を食う一同だが、凪は油断なく周囲を警戒しているし、一刀は街そのものや人々の生活の様子を窺っている。

そのうち、通りを見ていた睡蓮がふと漏らした。

 

「……人が、多いですね」

「ああ。……多すぎるんだよ。まだ洛陽の拡張計画は始まったばかりで、“計画を練り準備している”段階だ。まだ暫くは街の人には苦労をかけることになる」

 

さっきまでのツッコミだらけのおちゃらけた雰囲気など微塵も無い。そこには街を、国を治めることに使命を見出した“皇帝”の顔を見せる一刀がいた。

 

「そして……この雑多な状態は、非常に宜しくない。混沌は、そのまま人の心も乱す。邪念を抱く者を助長し、隠蔽しちまう。警備隊を含めて、武官達も頑張ってくれてるけど、治安は悪化し続けている……」

「そういえば……子供達の姿を余り見ませんね……」

「……よくお気付きになられましたね、睡蓮様。私達警備隊の者すら、最初に気付いたのは隊長でしたのに……」

「そ、そうなのか? 以前、義兄上から『地を治める諸侯を自認するなら、自分達が守る民を直に見て、感じるべき』と言われてな。それ以来、山陽では街の様子を見るようにしていたからかも知れぬ」

「……そうかそうか♪」

「うわっ!? あ、義兄上!?」

 

睡蓮の言葉に、一刀は嬉しさの余り、思わず彼の頭を乱暴に撫でていた。

 

「……ありがとう、睡蓮。きっと山陽郡も、いい土地になるよ」

「そ、そんな……////」

 

だが、一刀は表情を改める。

 

「悪党がのさばる前に、なんとしても混乱を収め治安を取り戻す。その為の警備隊と市街拡張計画だ。……その分、みんなにはすっごい苦労かけちゃってるけどね……」

「義兄上。その者等は、その苦労を苦労などとは考えませぬ。全ては民の安寧の為――。貴方様の“理想”を解するならば」

「睡蓮様の仰る通りです。我等、警備隊の志気の高さはご存知でしょう?」

 

睡蓮と凪は、そう言って一刀を励ました。

 

「……そっか。ありがとう、二人とも。それじゃ、もう一回りすっか!」

「「はい!」」

 

ところが。十分と進まぬうちに三人が見たものは。

 

「やぁ~ん、新作の社練(しゃねる)の手提げ、超可愛いの~♪ 真桜ちゃんもおそろで買わない?」

「ウチ、今月は夏侯惇将軍の為にお金おいとかなあかんからなぁ。止めとくわ」

「真桜ちゃん、そろそろその言い方、直した方がいいと思うの。ちゃんと頭に“絡繰り”付けないと……」

「んー(かちゃかちゃと『絡繰り夏侯惇将軍』を弄っている)」

「あ、そうそう。真桜ちゃん、この軽知恵(かるちえ)の首飾り、どう? 玉付きなの~♪」

「おー、めっちゃ高級品やん! ま、まさか隊長からの贈りモンか!?」

「ちゃんと自分で買ったの! 大奮発なの~♪」

 

露台(テラス)の茶店で楽しげに飲茶としゃれ込む、明らかに怠業中の三番隊と十番隊の組長二人だった。

 

「……お前ら~~~! 仕事もしないで何してんだ!? 食事時じゃないだろう!」

「あ、たいちょ~。お疲れ様なの~♪」

「おつー」

「『おつー』じゃねえ! 仕事しろ、仕事!」

「ええ~、ちょっと休憩くらいいいでしょー?」

「ま、まぁそれは確かに。……一応聞くけど、いつからこの店で飲茶してんだ?」

「う~ん、一刻(二時間)前くらいから?」

「長いわッ!」

 

一刀がバンッと音を立てて、二人のいる卓を叩いた。

 

「だぁぁ! 机揺らすな、アホッ! ネジが飛んでったらどないしてくれんねん!?」

「あ、ごめん」

「次やったらコロスでホンマ……#」

「……いや、なんで俺が謝ってるんだ……」

 

一刀がいつの間にか謝る立場になったことに疑念を持ったそのとき。

背後から、静かだが重い、凄まじいプレッシャーを感じた。

 

「……沙和。真桜。これはどういうことだ……」

「凪ちゃん。あ、睡蓮様も一緒なの~。一緒に飲茶しましょ~♪」

 

沙和は付き合いの長さ故にその重圧に慣れているのか。真桜に至っては、『絡繰り夏侯惇将軍』を弄るのに夢中で全く気付いていない。

 

「あ、あの、凪、さん?」

「……隊長は黙っていて下さい」

「……はい」

 

これはシャレにならんと凪を宥めようとした一刀だったが、一瞥と一言で黙らされた。

 

「……義兄上。幾ら何でも引き下がるのが早過ぎです……」

「だって凪が怖いんだもん!?」

「…………はぁ」

 

凪はゆっくりと沙和、真桜へと近付いていく。

 

「隊長が、一刀様が……街の治安の悪化にこれ程胸を痛めているというのに……」

「……凪ちゃん、もしかして、怒ってる……?」

「んー(かちゃかちゃ)」

「……もう、我慢の、限界だッ!」

 

凪は右手で沙和の首飾りの玉を。左手で真桜の『絡繰り夏侯惇将軍』を掴む。

 

「「あっ!?」」

「――制裁ッ!!#」

 

パキィン! メキッ、バキンッ!

 

「「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」」

 

どちらも凪の『氣』を伴った掌に、粉々に握り潰された。

 

「ああああああああああ。う、ウチの夏侯惇将軍がぁ……ようやく新しいのを入手したっちゅうのに……」

「きゃあぁぁぁぁぁん!? さ、沙和だって、この玉の首飾り、すっごい高価(たか)かったのぉ~~!」

「仕事も真っ当に出来ない奴等が何を言っても無駄だ! 次は――」

 

凪は、そう言うと今度は二人の頭を掴んだ。

 

「――この中身の軽い頭を、同じようにしてやろうか!?#」

「ひぃぃぃぃぃぃん!? ごめんなさいなの~~~~!」

「あ、あははは……じょ、冗談、やろ?」

「……ふんっ」

 

みしみしみしみし。

 

「割れる割れる割れる割れちゃうのぉ~~~!?」

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅ~~~~!?」

 

一刀と睡蓮にまで二人の頭蓋骨が軋む音が聞こえてきた……気がした。

 

「分かったら、さっさと仕事へ行けッ!」

「うえぇぇぇぇぇん! 分かったのぉ~~!」

「行けばええんやろ、行けばぁ~~! ウチの、ウチの夏侯惇将軍……ぐすっ」

 

沙和と真桜の二人は半泣き……というより、マジ泣きしながら仕事へと戻って行った。

 

「……お見苦しいところを。申し訳ございません。隊長、睡蓮様」

「う、うん。でも、なんか高価そうなもの壊しちゃって、ちょっと可哀想だったかな?」

「隊長はあの二人の肩を持つのですか?#」

「いえいえいえ! そんなことはありません! 見事な脅迫……じゃない、制裁でした!」

「何故、義兄上まで腰が引けているのですか……」

 

内心、今後とも凪を怒らせるようなことはすまいと誓う一刀であった。と同時に。

 

(仕方ない。二人も反省したろうし、来月の小遣いで半分くらい出してやるか……凪には内緒で)

 

結局、女に甘いのだ、この男は。あの二人の方が(一刀の小遣い額に比して)余程高額の給与を貰っているというのに。

 

「じゃ、じゃあ続きと行こうか――」

 

そう一刀が先を促そうとした、その目の前を。

 

「来るな! 付いて来るなって言ってるだろうがぁ! あーーーーーーーーーーっ!」

「わんわんっ♪」「あおーん♪」「ばうわう♪」

 

犬の大群を引き連れた焔耶――二番隊組長――が走り抜けて行った。

 

「「「…………」」」

 

「魏延組長~! 待って下さい~~!」

 

そしてその後から追ってくる、二番隊の隊員たち。

 

「……何をやっているんだ、焔耶まで……#」

 

先程の怒りが未だ冷め切っていないからか、凪がこめかみを痙攣させながら額に手を当てた。

 

「あ~……怒らないでやってくれ、凪。あれはある意味、仕方ないんだ」

「どういうことです、義兄上?」

「うん。恋の話だと、焔耶の身体から犬が好む匂いが出てるらしい。だから、ああやってじゃれつかれちゃうんだ」

「……あれはじゃれつかれているのですか?」

「そう。で、子供の頃から散々追っかけ回された焔耶は、すっかり犬嫌いになっちゃったって訳。一応、ある程度は克服したんだけど。あれだけの大群に追われ始めちゃうとなぁ」

 

困った顔の一刀。

 

「…………ご主人様、困ってる?」

「うわっ!? れ、恋か。いつの間に……」

 

そこへ現れたのは零番隊組長の恋。そして……

 

「ま、待って下され~……恋殿~……」

 

息も絶え絶えに追いついてきた、恋の軍師である音々音だった。

 

「二人も警邏中か。お疲れ様」

「…………(こくり)」

「ん? ふふっ、口の周りに食べかすがついてるぞ、恋」

 

一刀は恋の口の周りに付いていた、恐らくは肉饅の欠片をとってやり、ぱくりと食べた。

 

「……あ……ぅ////」

「「「!!」」」

 

(本当にこの方は、自然とそういうことをなさるのだから……#)

(流石は義兄上。なんと自然な……)

「ぜぇぜぇ、お、おのれ! 恋殿に、無断で、触れるとは! 喰らえ、ちん、きゅー、きぃぃぃぃっ、くぅ……」

 

既に体力が尽きていた音々音は、跳び上がることも出来ず、結局一刀の足をつま先で蹴っただけだった。もう腿すら上がらないらしい。

 

「……大丈夫か、ねね?」

「き、貴様に、心配される、謂われは、ないの、です! ぜぇ、はぁ……」

 

強情な娘である。

 

「恋が付いて来ているってことは、あの大群の中にセキトもいるってことか?」

「…………そう。止めたけど、行っちゃった」

「うーん、どうやって止めるかな……」

「…………セキトを説得する。そうすれば、みんな解散する」

「そうなの?」

「(こくり)……セキト、この街で一番偉い」

「…………この二ヶ月で、洛陽の犬を丸ごと舎弟にしたのか!?」

「…………(こくり)」

 

(さ、流石はこの世界での『赤兎馬』……小型犬のウェルシュコーギーの癖に、犬としては洛陽のボスかよ……)

 

僅かに戦慄した一刀であるが、今の問題はそこではない。

 

「となると、焔耶を呼び寄せて、恋にセキトを説得して貰うしかないな……」

「ぜぇぜぇ……へぼ皇帝! お前は『総隊長』として、各部隊ごとの呼集用の発煙筒を持っている筈なのです!」

「あ、そういや、そんなのがあったな。流石は軍師。ありがとう、ねね」

「ふんっ! 当然なのです!」

 

一刀は早速懐から“弐”と書かれた発煙筒を取り出し、火打石で着火。

途端に筒からはもうもうと黒い煙が噴き出し、空へと昇っていく。

 

暫くすると、またドドドド……という大群が地を走る音が近付いてきた。

 

「焔耶ーーーー! こっちだ! こっちへ来い!」

「お、お館!? た、助けろ~(泣)」

「(おー、素直に助けを求めるとは、可愛くなったなぁ)よしよし、よく頑張った。――セキトっ!」

「わぅ?」

 

逃げてきた焔耶を背に庇い、セキトへ強く言葉を掛ける。

頭の良いセキトは自身が呼ばれたことに気付き、その相手が一刀と判断すると、大人しく止まった。

セキトにとって恋の上位者である一刀もまた、自身の上位者なのだ。

 

「後は頼む、恋」

「(こくり)……セキト。焔耶、困らせたら、駄目」

「くぅん……」

「…………他のコも、駄目。伝えて」

「……わおぉ~~~ん!」

 

セキトがひと吠えすると、あれだけ集まっていた犬たちは銘銘の方向へと去って行った。……多少、名残惜しそうにしながら。

 

「た、助かった……。すまん、恋」

「(ふるふる)……セキト、ちょっとイタズラしたがった。ごめんなさい」

「くぅ~ん……」

「うっ、うむ。セ、セキト一匹なら、なんとでもなるのだが……」

「……“なんとか”なるの間違いだろ? はははっ、全く焔耶も素直じゃないなぁ」

「う、うるさい! ……お館も、その。あ、ありが、とう////」

「ああ。匂い消しか香水か、犬が寄り付かないようにするものを真桜に作って貰わないとな」

「そ、それは是非、頼む……」

 

ようやく騒ぎが一段落したかと思いきや。

 

「…………ご主人様。恋、セキト止めた」

「……そうだ、ね」

「…………(じぃぃぃぃ……)」

「……ご褒美が欲しいんだな?」

「(こくこくこく)」

「はいはい、分かったよ……もー、この店で好きなだけ食え!」

「…………ありがとう、ご主人様。……とりあえず、ここからここまで、全部」

「いきなり全メニュー注文ですかッ!?」

「……隊長。これでは警邏になりませんよ……」

「そ、そう言うなって。“こう”だからこそ、恋は“遊撃単騎”の零番隊なんだから……」

 

一刀が財布の中身を確認しつつ、凪の嘆きにそう返したが。

 

「あー! 沙和たちに働けって言っておいて、恋ちゃんたちとお食事してるのーー!#」

「どういうこっちゃ! 場合によっちゃ、出るトコ出たるで!#」

 

そこへ戻ってきたのは沙和と真桜の隊だった。

 

「焔耶の隊の呼び出しなんて、何事かと思うて来てみれば! どないなっとんねん!」

「そうなの、そうなの!」

「あーもー! 分かった! 分かったよ! お前ら全員、一時休憩! 好きなだけこの店で食っていけ!」

 

一般隊員含めて、全員に奢る気らしい。人、これを自棄(やけ)と言う。

 

「……義兄上、相変わらず“小遣い制”なのでしょう? 大丈夫なのですか……?」

「事情を説明すれば、愛紗も多少融通してくれる……と信じたい……」

 

がっくりと項垂(うなだ)れる一刀。

 

「……凪」

「……何でしょうか、隊長」

「これから、筆頭組長として大変だろうけど。頑張ってくれ……」

「……この四半刻(三十分)で、その自信が全く無くなりました……」

「「…………はぁ」」

 

どんちゃん騒ぎと化した露台の茶店で、一刀と凪は揃って溜息を吐いたのだった。

 

≪華佗と共に南蛮民の謎を追え!? ≫

 

 

「みゃーー! 嫌ったら嫌にゃーーーー!」

「「「にゃーにゃーにゃーにゃー(泣)」」」

「そ、そう言うな! これは重要なことなんだ!」

「みぃはお前の鍼は大っ嫌いだじょーーーー!」

 

「な、なんだ、ありゃ?」

 

一刀が目撃したのは、美以と南蛮兵三人を追いかける華佗の姿だった。

……大の男が幼女四人を追いかけるという、ちょっとヤバイ光景に見えなくもない。

 

「ぜぇ、はぁ……。くそっ、また逃がしたか……」

「華佗先生。一体どうしたんです? 美以たちが何かしましたか?」

「これは陛下。お見苦しいところを」

「へ、陛下は止めましょう。堅苦しくて……どうも慣れないもんで。畏まった場でなければ、姓か名で呼んで下さい」

「そ、それこそ無茶だ……です。それを言ったら、俺も“先生”を止めて欲しいんだが……です」

 

どうも華佗は敬語で話すのが苦手らしい。基本、相手が誰であろうと、病人には公平に接して来たのが災いしているようだ。しかし、一刀としては寧ろ敬語を使わないでいてくれた方がありがたい訳で。

 

「「…………」」

 

「交換条件にしません?」

「そ、そうだな。では、北郷殿、でいいかい?」

「おっけー……えっと、了解です。こっちはどうしましょう? 年上だし……華佗さん?」

「身分は上なのだから、呼び捨てで良いと思うが」

「はぁ。じゃあ華佗で」

「ああ。……これでむず痒い思いをしないで済むよ」

「折角医者の地位を上げたのに、これじゃ意味が無いような……」

「此方が敬語を用いないだけでも、周囲には随分奇異に映っていると思うぞ、北郷殿」

「そんなもんですか。俺が元いた世界じゃ、医者は“先生”と呼ぶのが普通でしたから」

「天界というのは、やはり常識が違うのだな……。その進んだ医術も学んでみたいが」

「俺が知ってる程度の知識じゃ話になりませんよ。……で、なんで美以たちを追っかけてたんです?」

「ああ、そうだった。実は……」

 

先日、美以が探検ゴッコの際にちょっとした怪我をした。ただ、毒性のある葉に触れてしまっていた為、解毒の薬を塗った上で、いつも通り鍼治療を施した。

ところが……

 

『ぎにゃーーーーーーーー!?』

 

鍼を刺した途端、美以はそう叫んで逃げてしまったのだそうだ。彼女と仲の良い愛紗に訊いて貰ったところ。

 

『すっっっっっっごい痛かったにゃ! 二度と華佗には会わないじょ!』

 

と言われてしまったらしい。

『神医』とてミスはするだろう。華佗は頼み込み、今度は配下の一人、ミケを診察させてもらった。そして、無痛点を確認する為、鍼を刺したところ……

 

『ぎにゃーーーーーーーー!?』

 

とまあ、全く同じ反応をされてしまった。

これ以後、美以と南蛮兵は華佗から逃げるようになってしまったのだそうだ。

 

「しかし、二度連続で失敗したことなど、これまで一度も無い。それに、はっきり言って難度の低いツボだったんだ。正直、俺の治療誤りではないと思う。つまり……」

「南蛮の人間は、普通の人間とツボの位置が違う、と?」

「そう! その通りなんだ! だから彼女たちが健康なうちにしっかりと調べておきたい。万一があったとき、このままではまともに診療出来ない可能性があるんだ」

 

南蛮民と言えば、発情期があるような人間(?)である。ツボの違いくらいあってもおかしくはないのかも知れない。

だが、病気や怪我をした時、治療出来ないのは非常に由々しき問題だ。

 

「……分かりました。俺から美以たちを説得してみます」

「助かる! 頼むよ、北郷殿!」

 

 

 

「という訳で、華佗に協力して……」

「嫌にゃーーーー!」

 

ドぷにょんッ!

 

「ごふぁ!?」

 

美以の独鈷杵『虎王独鈷』の肉球部分で横殴りされた一刀は、痛いやら気持ちいいやらで吹き飛ばされた。少なくとも地面に叩きつけられた分は痛い。

 

「いだだだ……ちょっと気持ちいいのが、尚更嫌な感じだな、ソレ……」

「いくら兄(にぃ)の頼みでも、あの鍼はもうイヤにゃ! すっごい痛かったんだじょ!」

「で、でも。このままじゃ、怪我したり病気になったりしたとき困るだろう?」

「南蛮には南蛮の方法があるにゃ! 大体舐めれば治るにゃ!」

「いや、そんな原始的な……困ったなぁ」

 

そう言いつつ、美以の顎を撫でてやる一刀。

 

「ごろにゃぁん♪ ……はっ! だ、騙されにゃいのにゃ!」

「いや、今はいい手段がないか、考えてるだけだよ。う~~~ん……(さわさわ)」

「ごろにゃぁぁぁぁん♪」

「うー! だいおーばっかずるい!」

「そうにゃそうにゃ!」

「シャムもにい様に撫でて欲しいにゃん……」

「じゃ、周りにおいで。一人ずつ撫でてあげる」

「「「わーい♪」」」

 

髪、耳、首元、顎先、額、お腹……彼女らの身体を撫でたり、くりくりしたり。

 

「「「「ごろにゃぁ~~~ん♪」」」」

 

「んん? よく見たら、美以と三人って微妙に身体の特徴が違うんだね?」

「ごろごろごろ……みぃは大王だから『獣』の血が濃いんだじょ~……」

「そっか。だから耳や尻尾があるのは美以だけなのか……ハッ!?」

 

つまり。南蛮の民は少なからず『獣』――猫か虎かはともかく――の特性を持つと言うことだ。

 

(ということは……ツボとかも“猫科”のものを参考にすればいいんじゃないか!?)

 

 

「と予想するんですけど、どうでしょう?」

「成る程……それは十分有り得るな。一応、獣医の経験もあるし、猫科なら何とかなりそうだ。しかし……」

「しかし?」

「問題は、俺が彼女らにすっかり嫌われてしまっているということだ……」

「あ~……もう名前出しただけで逃げそうな勢いですよ」

「困った……時間が経てばマシになるだろうが……」

 

溜息を吐く二人。その診療所の一室に入って来た者が一人。

 

「――華佗せんせー!」

「あれ、璃々。どうしたの?」

「あ、ごしゅ……じゃなかった。お、お父さん……えへへぇ~♪」

(ああ~、ぼかぁ幸せだなぁ~……)

 

紫苑が正室となったことで、璃々は正式に一刀の義理の娘となったのだ。

以来、一刀は璃々を“ちゃん付け”で呼ぶことを止め、璃々もまた一刀を“お父さん”と呼ぶようになったのだった。

 

「北郷殿?」

「はっ!? お、思わず天国に……。そ、それでどうしたんだい、璃々?」

「あ、うん! あのね、みぃちゃんたちがおかしいの!」

(ぎくっ! まさか、発情期か!?)

「ふむ。璃々ちゃん、どんな感じなんだい?」

(発情期じゃありませんように!)

「お顔が赤くて~」

「顔が赤いっ!?」

「うんうん唸ってて~」

「唸ってて!?」

「熱があって~」

「熱っぽい!?」

「咳が止まらないの!」

「咳っ!? …………風邪?」

「どうして北郷殿が過剰反応するのかは分からないが……聞く限りでは風邪だな。すぐに診てやりたいが……」

「まあ風邪なら、華佗じゃなくて、弟子の誰かでもいいんじゃ?」

「しかし相手は南蛮民。万一ということもある」

「ああ、そうか……となると、なんとか大人しくて貰うしかないぁ。よし、俺も一緒に行きます」

「そうして貰えると助かる。なんだかんだ言って、彼女達は君に懐いているからな」

 

 

 

「華佗にゃーーーー!」

「「「逃げるにゃ~~~~!」」」

 

「「「…………」」」

 

美以たちは開けた扉の先に華佗の姿を確認するなり、窓から逃亡してしまった。説得する猶予は欠片もなかった。

 

「……お父さぁ~ん、みぃちゃんたち、大丈夫なの? 風邪は馬鹿にしちゃいけないってお母さんが言ってたよ!」

 

涙目で訴える璃々。こうなっては一刀に取れる手段は唯ひとつ。

 

「――お父さんと華佗先生に任せておけ! ちゃんと治療してくるからな!」

「そうだな。病人を放っておくことなど、五斗米道の医者としてあるまじき行いだ! 往くぞ、北郷殿!」

「おう!」

 

かくして美以たち南蛮民と、一刀・華佗の鬼ごっこが始まった。

 

 

 

「華佗! 屋根の上だ!」

「何ぃ!?」

「見つかったじょ!?」

 

身軽に屋根を飛び移る彼女らを追跡し。

 

 

「くそっ、こんな藪やら森やらじゃ……」

「任せろ! 五斗米道の医者の眼力に不可能はない! はぁぁぁぁぁ……! ――そこだ!」

「「「「にゃっ!?」」」」

 

森の藪に潜んだ彼女達を発見し。

 

 

「奴等を追い返すにゃ、兵どもーーー!」

「「「「「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!」」」」」

「「「「「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!」」」」」

「「「「「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!」」」」」

「「「「「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!」」」」」

「「どわぁぁぁぁぁぁ!?」」

 

元気な南蛮兵(量産型)に押し流されたり。

 

 

しかし、二人は追跡を諦めることはなかった。

華佗は勿論医者として。一刀は、正室として迎えてこそいないが、身体さえ重ねた、愛する女性の一人である美以と、その配下の娘達を心配するが故。加えて、彼女らは義理の娘である璃々の友人なのだ。

 

とうとう後宮の奥庭の端へと追い込んだのだった。

しかし……

あと一歩で、袋小路へと追い込んだ美以たちを治療出来るという場所で。

 

「――美以らに手を出すこと。この夏侯元譲が許さん!」

「たとえ一刀様でも、お猫様に手を上げることは許しませんよ!」

 

魏武の大剣と謂われた春蘭と、隠密戦闘のプロである明命が立ち塞がったのだ。

 

「い、いや、落ち着いて二人とも! 俺も華佗も、美以たちを苛めようとしてる訳じゃ!?」

「そ、そうだ! これは治療……」

 

「「問答無用(です)!」」

 

「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?」」

 

 

 

散々ボコボコにされた後、ようやっと二人は聞く耳を持ってくれ、深く謝罪してくれた。

美以たちも、『鍼は使わない』という条件で、なんとか治療を受けてくれた。

特に華佗は美以から南蛮で行われている対処法を聞き出し、南蛮民用の処方箋を作り出すことに成功した。

また、身体機能を高める為の気功治療のマッサージは、思いのほか南蛮民に好評で、華佗も過剰に嫌われていた状況から脱することが出来たのだった。……相変わらず、鍼を見ると逃げ出してしまうが。

 

「北郷殿。君の愛は凄いなぁ」

「は、はぁ……?」

「君はどれ程彼女達に逃げられても諦めなかった。医者である俺に任せるという選択もあったのに」

「……まあ、彼女達は大事な娘たちですから」

「まして、立ち塞がる勇名馳せる武人二人からすら逃げなかった。真正面から説得しようとした」

「……あの二人は、猫に関わると人が変わるので……そもそも、俺の“妻”ですしね」

「いやいや。あの時の二人の殺気は本物だった。武官ですらない君の、その勇気は。本当に素晴らしいと思う」

 

華佗は一刀へと向き直り、片手を差し出した。

 

「……中々言う機会に恵まれなかったんだが。俺に“後世へ医術を伝えること”の大切さを説いてくれたこと。俺にその使命を与えてくれたこと。本当に感謝している。だから、皇帝としてだけでなく、一人の“男”として。君に俺の真名を預けたいんだ」

「……ありがとうございます。俺も、あなたが。華佗がいてくれて本当に良かったと思ってます。あなたに救われた命は、今まででさえ冥琳を初め……本当に、本当にたくさんあったと思うから!」

 

一刀は差し出された華佗の手を握り握手した。

 

「此方こそ、ありがとう。……姓は華、名は佗、字は元化。真名は……『獅凱(しがい)』という」

「……しがい?」

「……預けておいて何なんだが。これからも出来れば“華佗”と呼んで欲しい。どうも、俺の真名は……その、医者に向かないというか……」

 

そう言って目線を外しつつ頬を掻く華佗こと獅凱。

なお、アクセントは頭にあり、『“し”がい』である。とは言え……やはり音からすると“死骸”をイメージしがちだろう。

 

「あ、あはは……そうっすね。じゃあ代わりに俺のことも名で呼んで下さい。――これからも、宜しくお願いします。華佗」

「おう、一刀殿!」

 

こうして一刀は『神医』華佗の真名を預かり、華佗もまた一刀の『仲間』へと加わったのだった。

 

≪炸裂!? 超ちんきゅーきっく! ≫

 

 

「ねねぇぇぇぇぇぇぇ~~~~!」

「うひょわぁ!?」

 

本日が休日であった音々音は、朝餉を済ませ後宮の私室で読書に耽っていたのだが、自身の名を叫ぶ声と突如乱暴に開かれた扉に悲鳴を上げた。

 

「……お、お桂(けい)ではないですか……。吃驚させないで欲しいのです……」

「落ち着いてる場合じゃないのよ!」

 

叫びながら音々音の私室の扉を開けたのは桂花であった。

この二人、いつの間にか“一刀の悪口を言い合うこと”で意気投合し、すっかり仲良くなっていたのだ。

“お桂”というのは、音々音が桂花を呼ぶ際の渾名である。

 

なお超絶的余談だが、蜀時代には猪々子、詠、焔耶、音々音の四人が『愛しのあの娘とどうやったらあーんなことやこーんなことが出来るか考えようの会』なる怪しげな会合をもっていたのだが、全員が一刀の正室となったことで目的を果たし、既に解散している。もしまだ残っていたなら、桂花も参加していたことだろう。

 

さておき。

 

「私、私……あの男に汚されちゃったのよぉ~~~~!!」

「なっ、なんですとーーーー!?」

 

 

 

昨晩のことである。

桂花は、華琳から呼び出され夜伽の相手を務めていた。それ自体はいつものことである。

しかし。

 

こんこん、と華琳の私室の扉をノックする音。

 

「華琳。来たよ」

 

「お入りなさい」

「ええっ!? か、華琳様!?」

「お邪魔します……ん?」

 

華琳の言葉に入室した一刀は、室内の状況――寝台に束縛された半裸の桂花と、薄絹を纏っただけの華琳――を見るや。

 

「……。失礼しました」

 

踵を返して退室しようとした。

 

「この部屋の主である私が“入れ”と言ったのに、どうして帰るのかしら?」

「だ、だって。なぁ?」

「“なぁ?”じゃないわよ! さっさと帰れ、汚濁白濁混濁男!!」

「……桂花。私が“入れ”と言ったのよ?」

「は、はぅぅ~、華琳様ぁ~~(泣)」

「今日は“当番”だからてっきり……。と、とにかく用件だけ聞いて、さっさと退散するよ。桂花が可哀想だし」

「あんたに同情されるなんて最悪だわ!」

「……俺に、どうして欲しいんだ、桂花……。で、華琳。用件は?」

「ふふっ……せっかちね……」

 

寝台で桂花と絡み合っていた華琳は、彼女から離れて寝台から降り、椅子に座って足を組んだ。

 

「一刀。この娘を抱きなさい」

「「ええええっ!?」」

 

突然の華琳の暴言に、被害側である桂花のみならず、加害側の一刀までが叫んだ。

 

「そ、それだけはお許し下さい華琳様ぁ!」

「そ、そうだそうだ! これは二人の睦み事だろう! なんで俺が必要なんだよ!?」

「だって~。私が“する”と桂花は何でも喜んじゃうでしょ? 最近、新鮮味がないのよね~」

「(こ、この真性のドSめ……!)」

「何か言ったかしら?」

「いいや、何も」

「さ。という訳だから。私はここで嫌がる桂花をゆっくり楽しませて貰うわ。勿論、その後私の相手もして貰うわよ。今日は私の“当番”ですからね?」

「な、なんて悪趣味な……」

「ついでに言うと、今日の桂花は安全日だから」

「なんて悪趣味なッ!」

「同じことを繰り返すなんて芸がないわね」

「大事なことだから二度言ったんだ!」

「華琳様! 何でも致します! ですから、それだけはご勘弁下さい!」

 

所謂“マジ泣き”で華琳に懇願する桂花だったが、完全に逆効果だった。

 

「うふふ……♪ そうそう、その顔が見たかったのよ……♪」

「本当に悪趣味だなッ!? とにかく、そのお願いは却下する! 拒否する女の子に手を出すのは、俺の信条に反する!」

「お願い? ――これは命令よ、一刀」

 

華琳が覇気のような迫力を以って言い直す。いや、命令する。だが。

 

「たとえお前が“命令”と言おうと、当事者である桂花が嫌がっている以上、俺は手を出さない」

 

一刀は微動だにせず、態度を翻しもしなかった。

 

「ふぅ……仕方ないわね」

 

実は、華琳はこっそり椅子の後ろで大鎌『絶』を取り出す準備をしていたのだが。一刀のこの台詞を聞いて、『絶』から手を離した。

もし一刀が、自分の言う通りに嫌がる桂花に手を出そうとしたなら、柄で思い切り叩き伏せてやる心積もりだったのである。

 

(普段はあれだけ誘惑に弱い癖に自分の信条を曲げない。それでこそ、私が“伴侶”として選んだ男だわ。ふふふ……♪)

 

要は旦那を試したということだ。華琳という女性は本当に素直でないらしい。

しかし、彼女の目的はそれを確認した上で、更にその先にあったのだ。

 

「……ならば、桂花。分かっているわね?」

「うっ……」

「??」

 

一刀が完全拒否したことを確認し、こっそり満足した上で、華琳は桂花へと確認の言葉を掛けた。一方の一刀には何のことか分からない。

 

「……っ。……。……北郷、一刀。わ、私を……抱きなさい!」

「はぁっ!? け、桂花! お前、自分が何言ってるのか、分かってんのか!?」

「分かってるわよ! さあ! さっさとしなさいよ! 華琳様が命令してるでしょう!?」

「(そ、そういうことか! か、華琳め、なんちゅー搦め手を!) い、嫌だ! お前、明らかに嫌がってんじゃねーか! 華琳の命令だからってそれはないだろ!?」

「私にとっては華琳様の命令こそが最優先事項なのよ! あんたがどうこう言う問題じゃないの!」

 

「くすくす……」

 

ぎゃいぎゃいと言い合う二人の混沌とした状況を楽しんでいる華琳である。

 

「……桂花。その言葉遣いは、とても“陛下”へお願いするものじゃないわねぇ……(くすくす)」

「……は、はい……。ほ、北郷、一刀様。どうか、お願い致します。……私めに、お慈悲を……」

「う゛っ!?」

 

普段、散々上からなじってくる桂花の、懇願の台詞と弱気な態度……そのギャップに思わずクラッと来てしまった一刀である。なにせ桂花も“口を開かなければ可憐な美少女”というタイプなのだ。

 

追い打ちとばかりに、動揺した一刀の背後へ回り込み、その背に身体を預けるようにして抱く華琳。

 

「……一刀。これは桂花の“愛の形”なのよ。だから……」

「……抱いて……下さいませ……」

「(ぷちーん) 分かった! 分かったよ! やりゃあいいんだろう!?」

 

結局、華琳の掌の上からは逃げられなかった一刀であった。

 

 

 

「……という訳なのよぉ~~~(泣)」

「は、はぁ。ねねは、自分の主人が恋殿で良かったと、心底思ったのです……」

「華琳様のどこが恋に劣るって言う気!?」

「……そうではなく。ねねには、とてもお桂のように華琳を主人には出来ない、という意味なのです……(夜伽の当番が華琳と同じ日にならないよう、シャオに言っておかねば……)」

「とにかく! この恨み晴らさでおくべきか……! 北郷一刀に人誅を! 今こそ例の計画を発動するときよ!」

「な、なんと! とうとうやるのですか!?」

「既に“墓穴”は用意済みよ……! 今回の件で、奴は私に負い目があるわ。呼び出す口実としては十分」

「成る程……丁度良いのです。この間は奴め、ねねを放っておいて、恋殿と街を回ったとか。二度とそのようなことをしないよう、人誅を下すのです!」

 

音々音は、寝台の下から木材と鉄材から出来た道具――相当大きい板が組み合わさったもの――を引き摺り出した。そして、口笛を吹く。

 

「わおぉ~~~ん♪」

 

すると、大型犬の張々が部屋へと飛び込んで来た。

音々音は、桂花にも手伝って貰い、“道具”を張々に背負わせる。

 

「往くわよ!」「往くのです!」

 

かくして、軍師二人の逆恨み計画は発動した。……らしい。

 

「桂花の奴、何だろうな……って、昨夜のことに決まってるか……。はぁ……」

 

一刀は、その日の昼、後宮の奥庭である庭園に手紙で呼び出されていた。差出人は桂花。

 

『本日の正午。庭園の池の東屋、その手前の広場で待つべし。荀文若』

 

呼び出しの用件については書かれていなかったが、容易に察することが出来た。

昨晩は結局、華琳の計略に嵌ってしまい、桂花を抱くことになってしまった。しかも複数回。

せめてもの反撃と、一刀との閨事においては軽いMっ気を見せる華琳を苛めて見せたのだが。よくよく考えてみれば、桂花は“華琳に苛められたいドMっ娘”な訳で、却って怒らせる結果になってしまった。

さぞキツイ言葉でなじられるだろうと覚悟しつつも、やはり溜息は出る。

一刀としても、信条を曲げてしまったようで、少々気落ち気味だった。

 

そんな暗い雰囲気を撒き散らしつつも、約束の場所へ向かう一刀。見れば、桂花は先に到着しているようだった。

 

「……桂花」

「――そこで止まれ!」

 

桂花の言葉に従い、一刀は足を止めた。

 

 

さて、桂花は池の側に立っている訳だが。その場所のすぐ手前(池の反対側)こそ、先日の詠の『不運伝染日』で彼女自身が落ちて気絶していた落とし穴が掘られているのだ。一応の偽装も施されている。因みに穴の底には蛇やら蛙やらの桂花自身が苦手なモノが大量に放り込まれている。

 

そしてそこから池の反対側にある茂みの中に、音々音と張々が隠れていた。

 

(よしよし、これでへぼ皇帝は落とし穴の目の前……後は“これ”を使って……)

 

「(ねね。何しとんねん?)」

「(ひゃう!? お、脅かすななのです、真桜。……よし、奴には気付かれていないようです。ふぅ)」

「(んー? おお、いつだか作った『跳躍台』やん。ははぁ、いよいよっちゅう訳やな?)」

「(その通りなのです。今、奴は落とし穴の目の前に立っているのです。奴の注意はお桂が逸らしてくれるので、会話が始まったら、すぐさま台を設置。『超ちんきゅーきっく』で落とし穴に叩き落してやるのです!)」

「(くっくっく、こらええとこで来たわ。ウチも手伝おうたる♪ ねねには重いやろ、これ)」

「(おお、助かるのです。……むっ、会話が始まるのです!)」

「(よっしゃ!)」

 

 

「北郷一刀。私の言いたいことが分かるかしら?」

「……ああ。でも、桂花が謝罪の言葉だけで許してくれるとは思っていない。だから、具体的に何を求めてるのかが分からない」

「そこまで理解しているなら話は早いわ。結局私が求めるのが謝罪であることに変わりはないわ。ただ、あんたの土下座は見飽きたし。別の方法にしたいの」

「……好きにしてくれていい。それだけの権利が桂花にはあると思うから」

「――なら、望み通り! 無様な姿を晒して貰うわ!!」

 

桂花が悪い笑みを顔に貼り付け、そう言った時。

既に一刀の後方で音々音と真桜が『超ちんきゅーきっく』の準備を整えていた。

 

「人誅ッ! 喰らえ、『超、ちんきゅーーーーっ、きぃぃぃぃぃぃぃぃっく!!』」

「わおぉん!」

 

音々音は愛犬張々と同時に跳躍台に乗ることによって更なる重量を得て、その重量を受けた真桜特製跳躍台の撥条(ばね)の力でもって空高く舞う。

 

「え? あ!?」

 

張々は高く跳ばず、すぐ着地。音々音は空中から一刀目掛けて跳び蹴りを見舞おうとするが。

 

「あ、あれっ!?」

 

勿論、努力家である音々音は何度も練習していた。だが、練習では恋に受け止めて貰っていたのだ。しかし、今回はどんな状況でも助けてくれる恋はいない。その精神的重圧が音々音の身体の動きを縛った。

空中でバランスを崩した音々音は、狙いの一刀から外れた位置へと落下していく。

 

(し、ぬ!?)

 

過(よぎ)る死の予感が、音々音の思考を塗り潰す。地面はもうすぐそこまで迫っている。

音々音は恐怖に目を瞑った。もう、自分ではどうにも出来ない。

 

(――た、す、け、て――)

 

だが、彼女を待っていたのは固い地面ではなく。

 

「っのぉ!!」

 

技名を叫んだことで、背後の音々音に気付いた一刀の身体だった。

一刀は、落ちてくる音々音の身体を確と受け止めた。しかし、その衝撃は大きく、一刀は音々音を抱えたまま後方へと押し倒される。

 

その先は――桂花お手製の落とし穴だった。

 

 

「ったたた……ねねっ! 大丈夫か!?」

「あ、あう……」

「どこか痛いとこはないか!?」

「あ、あ、あ……うあぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

一刀に抱き竦められた体勢だった音々音は、その柔らかさと温もり、恐怖への反動。様々なものが入り混じり、大声で泣き始めた。

 

「わあぁぁぁぁぁぁん!!」

「……それだけ泣けりゃ、大丈夫かな……?」

「た、隊長! ねね! 大丈夫なん!?」

「ねね!」

 

落とし穴へと落ちた二人へ、真桜と桂花が声を掛ける。

 

「ああ、大丈夫だ。俺は平気だし、この分ならねねも怪我はしてないだろう」

「そ、そう……良かった」

「あー、確実に寿命縮んだわ……」

「にしても、随分深く掘ったもんだ。真桜、登る為の綱を持ってきてくれ」

「お、おう!」

 

落とし穴の底で爬虫類やら両生類に囲まれつつ、一刀は音々音が泣き止むまで抱き締めていた。

 

「……落ち着いたか?」

「はい、なのです……」

「ったく、この馬鹿!」

 

一刀の叱責にびくりとして身を竦める音々音。

 

「怪我なんかしたら、どうするんだ!? まして……あの高さは死んだっておかしくなかったぞ……!?」

「あ……」

 

だが、一刀は言葉こそ強くても。包み込むように優しく音々音を抱き続けた。

 

「心配、させるなよ。ねね……」

「ぐずっ……ごめん、なさい、なのです……」

 

 

 

音々音が落ち着いたことで、二人は真桜が持ってきた綱で落とし穴から這い上がった。

 

「さて。まずはねねへの罰だ」

 

ぺちんっ!

 

「いたっ!」

「……今後、あの台は使用禁止。俺に言いたいことがあるなら、直接言いに来い。蹴っ飛ばしてもいいから。俺や、恋や、みんなに心配掛けるようなことはしないでくれ。お前も、俺にとって大切な娘なんだから」

「……はい、なのです……。ご主人様(ぼそり)////」

 

一刀の言葉に、音々音は帽子で赤面した顔を隠すようにして、か細く、だが確かにそう返答した。最後の一言は、一刀の耳には届かなかったが。

 

「次は桂花」

「うっ……」

「――これでチャラだ。いいな?」

「…………(こくり)」

 

桂花からすれば、一応狙い通り一刀が落とし穴に落ちたのだが。一刀は蛇も蛙も平気だった上、音々音も一緒だったこともあり、綱でさっさと穴から上がってしまった。

正直不満だらけだったが、音々音の危機の一因となったのも確かであり、頷くしかなかった。

 

「最後に真桜」

「うえっ、ウチもかいな!?」

「……あの台を作ったのはお前だろう?」

「……そやね……」

「いいか。仮にも“発明家”を名乗るなら、使用者に合わせた安全設計をしろ。それが出来ないようなら、お前は“発明家”失格だ」

「…………うん」

「今、此処で。皇帝としての俺の前で誓え。誓えないと言うなら、今後あらゆる開発を禁止する」

「……はい! 我、李曼成。陛下の御前に誓います! このような失態は二度と犯しません!」

 

真桜は一刀の前に跪き、その目を逸らさずに誓いの言葉を口にした。

彼女の発明家としての矜持もあったろうし、なにより自身の発明によって、友人を喪うかもしれない事態を招いたことは、彼女の心に確かな何かをもたらしていた。

 

「よし。罰として……今月は、もうお前には何も奢らん。食事も発明も、自費で賄うこと」

「そ、そんな殺生な~~!?」

 

一刀は、真桜が内心相当のショックを受けていることを分かった上で、そんな罰を申し付けた。せめてその責任という負担が減るように。

真桜の哀れげな声に、一同の雰囲気が緩んだ。

 

「あら。これは一体何事?」

 

そこへ現れたのは華琳。

土だらけの一刀、帽子で顔を隠したままの音々音、不満げな桂花、跪く真桜。

状況が全く分からない。

 

「そうだな。今回の一因は、華琳にもあるしな……」

「……どういうことかしら?」

 

一刀は華琳に全ての経緯を話した。

 

「そう……。ほぼ自業自得だけれど、確かに私に一因があるとも言えるわね……。――桂花」

「は、はっ!」

「ごめんなさい」

「はっ!? ええっ!? ど、どうして華琳様が謝られるのです! 悪いのは……」

「一刀にあなたを無理に抱かせたのは私よ。そうでしょう?」

「そ、それは……」

「……私はね、桂花。一刀と同じく、配下や愛人に序列をつけることをしないわ。春蘭やあなたが、わたしの“第一の配下であり愛人”と名乗ることを、肯定も否定もしない」

「は、はい……」

「でもね。私は……春蘭や秋蘭と一緒に一刀に抱かれたことで、あの子たちとより近づけた気がしたの」

「そ、そんな!?」

「だから……私の愛しい桂花。あなたとも、同じように感じたかった。ただ、あなたは私以上の男嫌いだし、一刀を毛嫌いもしていたから。だから、あんなに強引な手段を取ったの」

「…………」

「そして実際、昨晩の“事”を経て。私はあなたとより近しくなったと感じていたわ。……でも、強引過ぎたのね。あなたはまだ――頭で納得していない」

「華琳様? な、何のことですか?」

「ふふ……。今は分からなくていいの。ただ、性急に事を運んだことで、あなたに負担を掛けてしまったのは事実よ。……ごめんなさい、桂花」

「そんな! 勿体無いお言葉です……!」

 

謝罪を口にした華琳は、恐縮する桂花を優しく抱き締め、ゆっくりと髪を梳いてやったのだった。

 

 

 

(中編に続く)


 
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