No.117001

「テラス・コード」 第十話

早村友裕さん

 ――生きなさい――

 それは、少女に残された唯一の言葉だった。
 太陽を忘れた街で一人生きる少女が、自らに刻まれたコードを知る。

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2010-01-06 23:47:29 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:597   閲覧ユーザー数:588

第十話 ヒノヤギ

 

 

 

 いったいあたしはどうしたらいいんだろう。

 何度も繰り返した問いを、もう一度繰り返す。

 このままでは、あたしはナミを説得できないままだ。作戦通りにいけば、あたしはナミを力ずくでも拘束しなくちゃいけない。

 それなのに、あたしの両腕はぴくりとも動かなかった。

 

「順にコードを植え付けていこう、全部で100名ほどだから、完全に定着させるのに半年はかからないだろう。同時進行で内壁に透光性のドームを構築、その後防御壁を取り去る――それで、選別完了だ。すべてが完了するまでちょうど半年を見込んでいる」

 

 淡々としたナミの言葉と裏腹に、背後ですさまじいエネルギーが膨れ上がっているのが分かる。ミコトとヒノヤギが開放系第3段階を発動しようとしているのだ。

 でも、あたしはまだ動けない。

 

「テラス、このままでは危険。始祖イザナミ共々、ただではすまない」

 

 ヒルメの声が響く。

 あたしは、まだ答えられない。ヒルメを必死で握りしめ、落とさないようにするのが精いっぱいだ。

 

「この場所から逃げることも隠れることも不可能。二人ともが生き残る術は一つだけ」

 

 背筋がぞくぞくするほどの威圧が背後から迫ってくる。

 

「レベル2の解除。テラス、開放系第3段階を使用して。『飛瀑(ひばく)』なら、すべてを遮断する事が」

 

「――ナミ」

 

 ヒルメの言葉を分断し、あたしはようやく腹から声を出した。

 

「このままじゃ、あたしもあなたも、巻き込まれて死ぬわ」

 

「ああ、そうだね」

 

「……怖くは、ないの?」

 

 そう問うと、ナミは微笑んだ。

 

「なぜ? 私は、『生きたい』などと願った事はないよ?」

 

「!」

 

「テラス、急いで」

 

 ヒルメがせかす。

 全身が震えだすくらいの圧力を受けて、あたしは――

 唇をかみしめた。

 戦慄に震える全身を叱咤し、ヒルメを翳(かざ)す。

 

「マスターネーム・アマテラス、ヒルメ、緊急事態によりレベル2解除」

 

「レベル2解除、開放系第3段階までを許可」

 

 手にしたヒルメが熱くなる。

 初めてのレベル2解除、感じたことのないエネルギー量に、恐怖はすべて吹き飛び、全身に加護が行き渡る。

 ヒルメが潜在的に持っていた力が外在する。

 

「テラス、天を射て」

 

 あたしは、ヒルメに言われるがまま天を仰ぐ。

 

「開放系第3段階、飛瀑(ひばく)……『闇淤加美神(くらおかみのかみ)』!」

 

 天に打ち出した矢は数百以上の光に分裂し、あたしとナミを取り囲むようにして天から降り注いだ。

 目の前が、真っ青な光に包まれ、あたしは固く目を閉じた。

 

 

 

 

 

 すべての光とすべての音が消え去って静寂と暗闇が戻ってくるまでそれほどの時は必要としなかったと思う。

 でも、あたしには永遠にも感じられる時間だった。

 反動、なんていう言葉じゃ片づけられないような攻撃的なエネルギーがあたしの中を暴れ狂った。目に見える攻撃じゃない、内側を焼くような痛みにヒルメを取り落としそうになる。

 それは辛うじて耐えたものの、全身の体力と気力を吸い取られてがくんと膝をついた。

 つい先ほどタカミの最後の攻撃をくらったと時と同じだ。耐えられないほどに強いエネルギーにさらされた体が悲鳴を上げている。

 

「……っくぅ……」

 

「君はおかしな事をする。そうまでして、いったい何を守りたい?」

 

 膝をついたあたしに、ナミは冷酷に問いただす。

 がくがくと震える拳を握りしめ、あたしはきっとその顔を睨みつける。

 育て親のナギと同じ顔を。

 

「知らないっ!」

 

 もう、あたしにだってどうしていいか分からない。

 でも――

 ツヌミに連れられてタカマハラ内部を見せて貰った時の、人々の笑顔を思い出す。彼らは、ツヌミを信頼し心から頼りにしていた。

 カグヤの人たちから受けた突き刺さる視線を思い出す。でも、最後に拍手に包まれたドームを思い出す。

 全員で、生き残ろう。

 そう誓った時、あたしは今までよりずっと強い力を手に入れた。

 一人よりも二人、二人よりも三人。

 

「誰かのために頑張ろうと思うことはおかしなこと?」

 

 このコードを生み出したナギがそうだったはずだ。

 気がつけば周囲の人々が大切になっていて、失いたくないと思うようになっていた。

 

「守りたいと思うことに、理由なんてないわ」

 

 エネルギーを大量に消耗してしまったヒルメを収納し、あたしは再び立ち上がった。

 ヒルメはMAXエネルギー値が低いから反動は最小限だと言っていたけれど……それでも、しばらくはうまく動けないだろう。

 

「そうやって、誰かを守ろうとして得たものは、あなた一人の成果じゃないはずよ。守ろうとした人とあなたが共に手に入れたもののはず」

 

 生きる権利がない人間なんていない。ましてや、それを奪う権利は人間にない。

 

「皆を見捨てようとしてるのは、自然じゃなくてナミ、あなたよ! それは、進化でも選別でも何でもないっ……」

 

 もうほとんど叫んでいるようなものだった。

 体を支える両腕ががくがくと震えている。

 見上げた視界の中で、ナミが笑ったのが見えた。

 

「どうしてそれだけの力を持っているのに使おうとしてくれないの……?」

 

 崩れ落ちそうになる足を奮い立たせる。

 

「……きっと君には分からないだろう」

 

 静かな声で返すナミ。

 

「分からないわよ! 分からない! あなたが何を考えてるのかなんてわからないっ!」

 

 とうとうヒステリックに叫んでしまったあたしは、真正面からナミを睨みつけた。両手を固く拳に握りしめ、ともすれば力が抜けそうになる全身を気力で支え、立ち上がる。

 

「あたしはもう誰にも死んでほしくないのに、どうしてっ……」

 

 どうして分かってくれないの、と叫びかけて、あたしは口を噤んだ。

 分かってくれないのなんて、こんな我儘な言い分はない。

 何しろあたしは、つい今しがたナミに向かって『分からない』と叫んだばかりなのだ、相手の事を突き放しておいて、どうしてあたしの気持ちを分かってくれないの、なんてふざけるにもほどがある。

 力を抜いたら倒れてしまいそうな体を支え、ゆっくりと息を吐いた。

 

「あたしは誰も死なせたくない」

 

 これだって、とんでもなく我儘な言葉。これまで情け容赦なく異形(オズ)を葬ってきたあたしに赦された言葉じゃないのもよくわかっている。

 

「お願いよ、ナミ。お願いだからみんなを見捨てるだなんて言わないでっ!」

 

 でも、過去の罪を悔やんでこの先の命を見捨てる事だけはしちゃいけない。

 そうだ。あたしはまた過ちを犯すところだった。過去の罪に囚われて、大切なものを失ってしまうなんて最悪だ。

 勝手な思い込みで、大切な人たちの想いを無にするところだったように。

 ただ、微笑み佇むだけのナミを見ていると、それすらも空しく思えてくる。

 

 

――選別と進化を至上とし盲進するナミを説得する事が出来る?

 

 

 おそらく、答えは否だ。何も知らないあたしがこのタカマハラを作ったナミの事を説得できるなんてみじんも思っていない。

 ナミが何を思っているか分からないのに、ナミが絶対に説得に応じない事だけは分かっている。

 なんて残酷な選択肢。

 心が、折れそう。

 どうせならナミが完膚なきまでに反論して、罵倒してくれればいいのに。そうじゃなければ、あたしの考えの矛盾を羅列して理論でもってあたしの言葉なんて打ち砕いてくれればいいのに。

 相手から反応がないって、こんなにも悲しい事だったんだ。

 

「ナミ……」

 

 敵――味方。好き――嫌い。

 そんな言葉に意味はないって言ったのはあたしだったけど、これほど言外に、明確な拒絶を向けられたのは初めてで、もしかしてこれがホンモノの敵意というものなのだろうかと微かに思ってしまうほど。

 どんな言葉なら、ただ微笑む彼に届く?

 

「あなたにしか出来ないのに……!」

 

 もう……無理なのかな。

 体が限界に近い。

 ああ、開放系第3段階の反動って、こんなにも辛かったんだ。ミコトもナミもこんな状態でカグヤに突入していたんだ。

 二人とも、すごいな。

 あたしなんて、何も出来やしないのに。

 

「どうしてあたしには何も出来ないの……!」

 

 悔しい。悔しくて仕方がない。

 どうしてあたしに出来る事が何もないんだろう。カノやツヌミみたいに、沢山の知識があれば、ミコトやヨミみたいに、強かったら。

 せめてあたしに、ナミを説得するだけの言葉があれば。

 もう、無理……?

 

 

 

 

 

 

 挫けそうなあたしを助けてくれるのは、いつだって黄金の煌きだった。

 目の前に立ち塞がったのは黒いコート。

 

「……ミコト」

 

「テラス……作戦通りナミを、拘束する」

 

 ヒノヤギは?

 と、朱金の髪の青年が、ナミの前に立ちはだかった。

 その姿はぼろぼろで、その手にはすでに剣もなかった。左腕に深い傷を負い、真紅の血を滴らせていた。

 その姿にはっとし、ミコトを見ると――

 

「大丈夫だ、テラス」

 

 足元に、ぽたりと赤い雫が落ちた。

 

「大したことない。お前が気にする事じゃない。俺は平気だ。ただ、この先の事だけを考えろ」

 

「でも」

 

 コートの向こうは分からない。ミコトの怪我がどれほどのものなのか、ヒノヤギとの闘いがどれほどのものであったのか。

 それでも、淡々としたミコトの声が震えているのは分かる。

 先ほどまで気づけなかった強がりが見える。

 

「させぬ、スサノオ」

 

 相対するヒノヤギも、肩で息をしながらナミを庇うように手を広げた。

 朱金の瞳に宿る光は強く、闘志は失われていない。

 

「やめろヒノヤギ。これ以上はもう……」

 

「それは貴様にも言える事だ。そのような形で、何が出来る」

 

 二人とももうぼろぼろなのに。

 全力で戦い続けた上、開放系第3段階を使い、今や立っている事だってやっとのはずだ。

 それなのにこれ以上何をしようというの?

 

「近縁種は反発し合う。自分と似たモノに憎悪を抱くものなのだよ」

 

 くすくすと笑うナミ。

 同じ母を持つというミコトとヒノヤギ――なぜ彼らは争わなくてはいけなかったのだろうか。

 

「やめて」

 

 ゆっくりと、あたしはミコトとヒノヤギの間に割って入った。

 鋭い朱金の輝きがあたしを捕える。

 

「……アマテラス」

 

 そこにあるのは、純粋な――怨念。

 ぞくりとした。

 無関心なナミとは明らかに違う、向けられた明らかな悪意に、あたしは思わず息をとめた。

 

「一目、会いたいと思っていた」

 

 同じナギの遺伝子を継いだというヒノヤギ。朱金の髪と瞳を持つ青年は、あたしの事を鋭く睨みつけていた。

 どう贔屓目に見ても好意的な視線ではない。

 初めて会ったはずの彼に、どうしてこんな感情を向けられているのだろう?

 

「我を捨てたナギに見出された命」

 

 捨てた……?

 ナギが、ヒノヤギを捨てた?

 止まらない血をそのままにあたしを睨むヒノヤギの瞳に灯った凄まじい怨讐から逃れられない。

 

「ナギがあなたを捨てたって……どういう事?」

 

 あたしの問いに答えたのはナミだった。

 

「ヒノヤギはテラス、君より2年早く生まれた始祖の直子だよ。しかしながら、ナギは彼にコードを埋め込む事をしなかった。ヒノヤギを見限っていたのだよ」

 

 ヒノヤギは何も言わなかった。

 ナミは笑う。さっきからずっと、同じ表情で。

 鮮やかな赤がヒノヤギの衣を染めていく。

 

「我が妹アマテラス、そして我が弟スサノオ――太陽を取り戻すためのコードを刻んだ命」

 

 血に染まった衣を辛うじて動く右手で剥ぎ取ると、手に付いた血を舐めとった。

 妖艶なその仕草にぞくりとする。

 

「……ヒノヤギ」

 

「言っただろう? 近縁種は惹かれ合うのだよ。その先に待つのが遺伝的弱体化だと分かっていても」

 

 あたしとミコトは、父も母も違う。

 それでも、ナミとナギという同じ遺伝子を持つ父を持ち、同じコードを刻んだあたしたちは、兄弟と呼ばれてもおかしくない。

 隣に進み出たミコトのコートの裾をそっと掴み、気持ちを落ち着ける。

 近縁種は、惹かれ合う。

 遺伝的に近いと分かっていて、それでも共にいたいと願ってしまうのは必然なんだろうか。あたしがこの黄金の瞳に強烈に惹かれるのは、あたしの中に刻まれた遺伝子のせい?

 

「お前達が憎い――殺したいほどに」

 

 熱い朱金の瞳は、冷たく澄みきっていた。

 

「総長の命によりアマテラスは殺さずに捕獲する。だがスサノオ、貴様は」

 

 ヒノヤギは右手を天に翳した。

 徐々に光が収束する。

 その光は、再び大剣として形作った。

 

「ここで殺す」

 

「こんの……分からずや!」

 

 それに触発されてミコトもトツカを召喚する。

 

「あーもう、疲れてるっつーのに、そろそろくたばりやがれっ。邪魔すんじゃねぇーよっ!」

 

「言うな、トツカ。あと少しでいい、俺に手を貸せ」

 

「ミコト、やめて!」

 

 あたしの叫びは届かない。

 二つの剣が交差した。

 

「先に言うけどーな、もうエネルギー切れだぜぃ?」

 

「分かってる!」

 

 トツカの言葉も切り捨て、ミコトは最後の力で打ち込んでいく。

 二人とももうぼろぼろだというのに、あたしはその迫力に近寄る事も出来ない。

 

「ヒノヤギっ……お前はなぜそれほどまでにナミに固執する……っ?」

 

「貴様の知ったことではない」

 

「ナミの選民思想を知ってツヌミも離反した……なぜお前はそれでも」

 

「ヤタガラスと……一緒にするな!」

 

 ヒノヤギが大きく振りかぶった。

 大きく構えたミコトがそれを迎撃する。

 ここまでくると、もう技術などない。気力と意地で撃ち合いを続ける二人を、ただ見つめるしかなかった。

 

「今頃、ツヌミ達がタカマハラと街全体に通達を出しているはずだ。すでにお前達の味方はいない……降伏しろ、ヒノヤギ!」

 

「降伏など……ありえん!」

 

 トツカを弾き返したヒノヤギは左腕を庇いながら再び剣を構えた。

 説得不可能と判断したミコトは、背後のナミに向かって叫ぶ。

 

「ナミ! ヒノヤギをとめろ!」

 

 しかし、その叫びにもナミは答えない。ただ、微笑んでその様子を見守るのみだ。

 

「くそっ……!」

 

 もしかすると――もしかすると、左腕を負傷した時点でヒノヤギの負けは決定していたのかもしれない。

 両手でトツカを握るミコトに、ヒノヤギは徐々に押されていっている。

 

「ちっくしょぉーっ!」

 

 ミコトの咆哮と共に、大きく凪いだトツカは、ヒノヤギの持つ大剣を、中央部から叩き折っていた。

 

 

 

 

 

 

 刃が宙に舞う。

 

「……っ!」

 

 甲高い音を立てて、折れたヤツカが床に転がった。

 荒い息を整えたミコトはトツカを床に突き刺し、両の拳を握った。

 

「ヒノヤギぃーっ」

 

 ばきっ、と鈍い音。

 ヒノヤギの体は後ろ向きに吹っ飛んだ。

 剣の柄もヒノヤギの手を離れ、遠くに飛んでいった。

 

「……少し、寝てろ」

 

「言うねぇ」

 

「うるさい、トツカ」

 

 仰向けに転がったヒノヤギはぴくりとも動かなかった。

 ミコトはもう一度ナミを睨みつけた。

 

「拘束する」

 

 ナミはヒノヤギを一瞥し、笑顔を崩さずにミコトを見た。

 

「とうとう、私も追い詰められてしまったね」

 

「タカマハラは、始祖の支配を離れた。タカミは消滅した。ムスヒもヨミが……ミナカヌシも、すぐに俺達が押さえる」

 

 ミコトはコートを脱いで床にばさりと落とした。

 剥き出しになった肩に、胸元に、そして両腕に多くの傷跡が見える。中にはつい今しがた受けたのだろう、血が滴る傷も多い。致命傷となるような傷は見あたらなかったが、深い傷がいくつも見受けられた。

 その姿に、胸がぎゅっと掴まれる。

 どうして……こんなにまでして……

 

「話は全部後だ……ミナカヌシの処へ案内しろ、ナミ」

 

 ミコトの言葉で、ナミは初めて笑顔を崩した。

 ミナカヌシ、という名がそうさせていた。

 

「テラスちゃん、そんな顔しないでーよっ、かーわいぃ顔がもったいないぜぃっ」

 

 床に突き刺されたままのトツカが言う。

 

「トツカ」

 

「泣かないでくれーよ。そーんな顔してっと、ミコトもかーなしぃんだぜ?」

 

 本当に、この電子頭脳は規格外だ。

 あたしは、トツカの柄にこつり、と額を当てた。

 

「……ありがとう、トツカ」

 

「へへっ、照れるねぃ」

 

 以前、どうやったらトツカがこんな風に育ったのか、と不思議に思った事がある。

 が、今、あたしは確かに、この剣はミコトが育てた剣である事を実感した。

 

「テラスちゃん、すっごく辛くて悲しいと思うんだけどーさ、もうちょっとだけ頑張ってくれたりしないかな?」

 

「うん、だいじょうぶよ、トツカ」

 

 滲んだ涙を腕で拭い、くすりと笑った。

 トツカは、いつもの軽口をおさめ、ゆっくりと言った。

 

「辛いかもしんねーし、泣きたいかもしんねーけど、それでも、ミコトがついてるからーさ」

 

 ああ、そうだね。そうなんだよね――

 

「生きてくれーよ」

 

 あたしはその言葉ではっとした。

 最初にトツカの声を聞いてから、これまでずっと引っかかっていた事だった。

 いつも軽口ばかりだから、全然気づけなかった。

 

「やっと分かったわ、トツカ……あなたの声、ずっとどこかで聞いたことがあると思ってたの」

 

 そう言うと、トツカは一瞬の沈黙の後、それでも軽い口調で返した。

 

「なーんだ、気づいちまったーの?」

 

「ふふ、あなたも知ってたのね、トツカ」

 

「ヒルメもハクマユミもそうだからーな」

 

「え?」

 

「ゼロから電子頭脳は作らねぇーよ。一応のモデルがいるんだーな、これが。神剣トツカは始祖イザナギモデルってーわけさ」

 

「そうだったの……」

 

 じゃあ、あたしの持つ梓弓ヒルメにも、ヨミの聖槍ハクマユミにもモデルが?

 

「しっかし、こーんな口きくようになったのはそのせいなんだぜぃ? テラスちゃんが気づいて惚れちまったら困るだろー? ミコトが強制したってーわけ」

 

「惚れたら困るって……ナギはあたしの育て親よ?」

 

「それだけ警戒してたってことさーね。テラスちゃんの気が他に向くのが嫌でしょうがないんだーぜ、あいつ」

 

 けっけっけ、と笑うトツカがナギと同じ声というのがひどく不思議だった。

 一度気付いてしまうと、もうその感覚は拭えなかった。

 

「ねえ、トツカ。一つだけ、お願いしていい?」

 

「んー? 何かーな?」

 

「あのね」

 

 あたしがひっそりとお願いすると、トツカは、同じようにこっそりと返答してくれた。

 

「ひひひ、ファザコンっていうんだーぜ、それ」

 

「いいじゃない」

 

「仕方ないねえ、ミコトが警戒するわけだーな」

 

 あたしが膨れると、トツカはもう一度笑い、そして、落ち着いた声で呟いた。

 

「生きなさい、アマテラス」

 

 懐かしい、ナギの声で。

 

「未来のため、生きなさい――」

 

 大丈夫、あたしはまだ、頑張れる。

 ナギの言葉がある限り、戦える。

 もう一度心にその言葉を刻みつけ、あたしは立ち上がる。

 

「ありがとう、トツカ」

 

 だいじょうぶ、あたしはまだ、戦える――

 

 

 

 

 コツリ、コツリと靴音を響かせながら、ナミはゆっくりと階段を下りていく。あたしは、傷だらけのミコトの後ろからついて行った。

 ナミはもう、何も言わなかった。表情を殺し、ただ足を進めている。

 誰も、一言も云わずにただ歩を進める。

 

「ここへ入ったらもう戻れないが、後悔はないね、二人とも」

 

 ナミは、扉の前で一度だけ確認した。

 

「ない」

 

「ないわ」

 

 ミコトとあたしは、間髪入れず同時に即答した。

 こんな緊迫した時だというのに、思わず顔を見合わせてしまう。思いがけず目が合ってしまい、一瞬照れたようなミコトの顔を見てあたしも困惑する。

 金色の瞳に見た事のない光を見て、動揺した。

 ああ、頬が火照っていくのが分かる。

 金色から目が離せない。

 

「近縁種は惹かれ合う、と言っただろう?」

 

 ナミの声ではっとした。

 ぱっと視線を外したけれど、まだ火照りは取れない。

 近縁種は惹かれ合う――?

 

「私にはもう、関係がない事だがね」

 

 扉は、開かれた。

 足が竦みそうになる。

 

「行くぞ、テラス」

 

 ミコトが手を差し出す。掌は血で汚れていて、いくつか切傷も見受けられた。

 あたしは、おそるおそるその手を取る。

 こちらを見ようとしないミコトの頬が赤いのは、気のせいかもしれないけれど。

 握り返してくれた手の温かさだけは最初から変わらなかったから。

 

「うん」

 

 差し出された手を握り返して、あたしは一歩、踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 そこは、ひどく静かな部屋だった。

 うるさいくらいの静寂が耳につく。淡い光が周囲を取り巻いていたけれど、ほとんど何も見えなかった。ツヌミがタカミとたたかった部屋と同じだ、部屋の広がりも分からない、何があるのかも分からない。

 しかし、そこには確かに何かが存在する。

 警戒を緩めず、あたしは周囲を見渡した。

 

「待ってくれるかな? 僕も入れてもらえる?」

 

 静寂に割り込んだ、声。

 振り向けば、そこにはもう一人のあたしの弟が立っていた。

 

「ヨミ!」

 

「遅くなってごめんね、テラス。ちょっと手間取っちゃってさ」

 

 そう言ったヨミの服もぼろぼろだった。もちろん、体の方も無事でない事はすぐに分かる。きっと、始祖のムスヒと激しく争ったんだろう

 笑ってはいたけれど、なぜだか少し悲しそうに見えるヨミに、いったい何があったのか知る術はないけれど。

 

「ヒノヤギ、倒したみたいだね、ミコト」

 

「ああ」

 

「ここが最後ってわけだね」

 

「……ああ」

 

「ついでに言うと……」

 

 ヨミの視線の先を見て、あたしは硬直する。

 しっかりとミコトの手を握りしめたままだったのだ。

 気が動転して忘れてたけど、こんな所でヨミとミコトが喧嘩を始めたらとんでもない事になってしまう気がする。

 

「とりあえず放してね、テラス」

 

 ヨミの笑顔につられ、あたしはぱっとミコトの手を振りほどいた。

 その瞬間に、ちょっとばかり悲しそうな顔をしたミコトがかわいいなと思ってしまったのは、気のせい、うん、きっと気のせい。

 ヨミはミコトの肩に手を置き、にやにやと覗き込むように言った。

 

「テラスが怖がってるのをいい事に、何? これ以上近づいたら許さないよ?」

 

「……」

 

「そんなにへとへとになっちゃって、いいざまだね」

 

「……お前ももうふらふらだろうが」

 

「何、死にたいの?」

 

 いつものように仲良くじゃれ合う二人を見て、何故だかほっとした。

 予想以上にあたしは緊張していたらしい。

 さらに、そこに割り込む声。

 

「やめなさい、ヨミ、ミコト。そんな場合ではないでしょう」

 

「テラス、無事ですか?」

 

 ああ、彼も無事だったんだ。

 

「何を喧嘩しているんですか、そんな場合じゃないでしょう?」

 

「何しに来たのさ、このストーカー」

 

 ヨミがばっさりと切り捨てる。

 

「とりあえず3人とも落ち着きなさい。ツヌミも、まだ万全ではないのですから」

 

 カノが眼鏡の奥の温和な瞳を細めながら諌めた。

 ああ、あたしにはまだ仲間がいた。

 ミコトとヨミはカノの言葉にしぶしぶ引きさがり、ツヌミも一つため息をついただけで矛を収めた。

 ミコトとヨミ、それにカノとツヌミ。

 あたしには頼もしい仲間がたくさんいるのだ。恐れる事なんて何もない。

 

「ありがとう、みんな」

 

 小さく呟いてあたしは自分の両手をぎゅっと握りしめた。

 

「ナミ」

 

 長い金の髪を靡かせている始祖の名を呼ぶ。

 彼は、ずっと表情を変えない。先ほどまで張り付けていた笑みはどこへ消えたのか、整った顔立ちに何の表情も見られない。

 

「ミナカヌシはどこ?」

 

 でも、退かない。

 どれだけ反応がなくたって、どれだけ叫んでも声が届かなくたって、あたしは負けない。絶対に折れたりしないから。

 この仲間がいる限り。

 

「あたしは始祖イザナギの娘アマテラスよ。イザナミ、ミナカヌシと話をさせて」

 

 真っ直ぐにナミを見据えてそう宣言しても、彼の表情は変わらなかった。

 ただ、ゆっくりと右手を頭上に掲げた。

 

「イ……ザ……ナミ……」

 

 唐突に何処からか漏れた声に、あたしは思わず両手を握りしめた。

 聞き覚えのない声。

 おそらく――ミナカヌシ。

 あたしを守る様に、左側にヨミが立ち、右側にミコトが立つ。よく出来た弟たちだ、と言ったのは確かナミだったろう。

 無意識に二人の手を握った。握り返してくれた二人の手の温かさが嬉しかった。

 

「……ヨウ……ヤク……」

 

 電子音に近いその声は、上とも下ともつかない、あらゆる方向から響いてきた。

 

「イザナギの娘アマテラス、そして私、イザナミが息子ツクヨミとスサノオ――」

 

 ナミは静かな声で告げた。

 

「いずれもイザナギの創りだしたコードを刻んでいる」

 

「マッテ……イタ」

 

 全身に響く声。

 あたしは、両手を、二人の手を握りしめた。

 

「アマテラス……ツクヨミ……スサノオ……」

 

 最初は途切れ途切れだった声が、少しずつ明瞭になっていく。

 

「イザナギ……イザナミ……ああ……そうデシたか」

 

 まるで覚醒するかのように、意志を持った声へと変化していった。

 

「長イ間……眠ってイタらしいデスね」

 

「やっと目が覚めたようだね、ミナカヌシ」

 

「イザナミ、遅かったデスね」

 

「それはイザナギに言って欲しいね。まさか開発に100年以上もかかるとは思わなかったのだから」

 

 ナミは淡々と会話する。その、何処からともなく聞こえる声と。

 

「それで、結論はでタのデスか」

 

「……出さざるを得なかったよ、ミナカヌシ。現状を早く把握した方がいい」

 

「アア……全体ガ混乱シテいるようデスけれど」

 

 ちかちか、と漆黒の闇の中で何かが瞬いている。

 カノがすっと進み出た。

 

「すでに、タカマハラ全体に通達を出しました。ウズメは今頃街の方に知らせています。現在の支配体勢はすぐに崩れるでしょう」

 

「――君もそうだったね、カノ……オモイカネ。君は始祖の直子だ。素晴らしい事だ、ミナカヌシ。これほどまでに揃うと壮観だろう?」

 

「結論を出さザルを得なかッタ理由、それは彼らデスね」

 

「ああ……そうだよ、私が出る幕もなかった。呆気ないものだよ」

 

 何……? いったい、何の話?

 

「イザナギを犠牲にしてまで阻止したというのに、全く無意味だった……これこそが、『進化』だとでも言うのだろうね」

 

「そうデスか……」

 

 しばらくの、沈黙。

 タカマハラを創った始祖のミナカヌシがいったいどういう結論を出すのか分からない。

 あたしはただ、待った。

 

「では仕方ないデスね」

 

 ミナカヌシの声が無情に響いた。

 何が来る?

 ミコトとヨミがそれぞれの武器を召喚する。

 あたしも二人の手を解いてヒルメを手にした。

 もう、余力などどこにも残っていない。しかし、何らかの攻撃を受けるかもしれない今、武器を手にする事に躊躇はなかった。

 緊迫した空気が辺りを包み込む。

 ところが――

 

「ワタシを破壊するのデス」

 

 

 

 ミナカヌシから帰ってきたのは、思いもしない言葉だった。

 

 


 
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