No.116789

乙女と正義

浅倉卓司さん

笠原郁の任務中に出会った絶対に許せない出来事とは!?
……みたいなお話です。

昨今の表現規制についてちょっと思う事もあったりなかったり。

2010-01-05 23:51:08 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:38700   閲覧ユーザー数:38656

 

 

 柴崎が寮の自室でテレビを見ながらくつろいでいると、郁が乱暴にドアを開けて入ってきた。この様子からすると、今日の任務でまたひと悶着あったらしい。郁はぶつぶつと何かを呟きながら部屋着に着替えている。ふむふむ、今日は堂上教官かな、と予測を立てる。

「ちょっと柴崎」

 相手にせずにテレビを見ていると郁が呼びかけてきたので「なあに」と軽く答える。

「ルームメイトがなんに怒ってるのか、気にならないわけ?」

「どうせいつもと一緒でしょ。今日は堂上教官? それとも手塚? ……小牧教官は考えにくいけど」

「みんなよ、みんな」

 それは珍しい。これはいつもとはちょっと違うのかもしれない。好奇心が疼いたのでテレビを消すと、「それで?」と郁に先を促した。

 

    ×    ×    ×

 

 図書特殊部隊堂上班の今日の任務は後方支援部の蔵書購入にまつわる護衛だった。すべての蔵書購入に護衛がつくわけではないが、検閲の可能性が高いと判断される場合にはこのように特殊部隊が護衛につくこともある。

 今回はどうやら良化隊の検閲はなさそうだったため、郁はいつものように搬出の手伝いをかって出ることにした。万が一このあと検閲があったとしても、搬出が早いほうが対応もしやすい。

「箱詰め手伝います」

 バックヤードで図書館向けの書籍を箱詰めしてると、違和感のあるものが視界に入った。……漫画? いや、ただの漫画なら違和感を覚えることはない。それがメインになることはないとはいえ、漫画も図書館にはそれなりに入る。気になってその漫画に近づくと、同時に郁を呼ぶ声が聞こえた。

「笠原、そっちはお前がやらなくていいから」

 特に重そうな書籍があるわけでもなさそうだし、もし仮にあってもその辺の女子に比べれば力もあるから気にしなくてもいいのに。さっさと片付けようと思って先ほどの漫画に手をかけた。

 その漫画の表紙には、可愛い女の子が裸に近い格好でポーズをとっていた。そのポーズもファッションモデルのようなものではなく、胸や局部を強調するようなものだ。もしやと思い中をパラパラとめくると――

 

    ×    ×    ×

 

「エロ本だよ、エロ本。そこに積んであった漫画全部。信じられる?」

「なるほど。乙女な笠原にエロ漫画を触らせた堂上教官が許せない。そういうこと? でも教官たちはそうならないために笠原に声をかけたんじゃないの?」

「そうかもしれないけど。いやべつに私乙女じゃないから、エロ本に触ったことは別にどうでもいいんだけどさ。それからなんかコソコソしちゃって。感じ悪いったらありゃしない」

 その状況ならエロ漫画を見て機嫌を損ねている女子とはちょっと距離をとりたいと思うのが普通かな。教官たちも手塚もかわいそうに。

「それで、男どもが仲良くエロ本を読んでいるところを想像して機嫌が悪い、と」

 郁はムッと口を尖らせた。

「そういうわけじゃないんだけど……。そもそもなんで図書館がエロ本なんて買ってるわけ。それが公共の福祉に必要なの?」

 なるほど。正義の味方としては、自分の所属する組織がエロ本なんか買ってるのが許せない、ということか。

「あのね、笠原。積極的に公表はしていないけど、図書館はかなり沢山ああいう本を蔵書としてもっているのよ」

「えっ、なんで? 予算も限られてるのに?」

 驚く郁を見て、大げさに肩をすくめる。

「どうせあんたは座学をまともに聞いていないんでしょうけれど。そもそもメディア良化法ができるきっかけの一つが漫画の性的表現への規制だったのよ。最初は青少年育成への悪影響の懸念ということだったので、出版社側は年齢制限を表記する自主規制をしていたんだけど――」

 柴崎は当時の状況をかいつまんで説明しはじめた。年齢制限がついてより表現が過激になったり、あるいは一般の人には理解しにくい性的嗜好にまつわる表現が増えたりしたこと。

 それとは別に、児童ポルノに関する表現の規制として「一八歳未満にみえる」登場人物の性的表現を規制しようという意見が出てきたこと。

「それと図書館がエロ本を買うのとどう関係があるのよ」

「まあ話は最後まで聞いて。――そういった性的表現にまつわる表現を規制しようという動きがいろいろあったんだけど、郁みたいに『エロ本なんか』って考える人が多かったし、あるいはマイノリティに対する規制だと考えられていたために反対はほとんどなかったの。それらの法案は『青少年育成への悪影響に関する表現の規制』とか『児童ポルノに準じる表現の規制』だったので、表だって反論しにくい雰囲気もあったしね。ろくな議論もなされずにあっさりと可決されたわ。そしてそれが楔になった。良し悪しの境界なんて曖昧なもんだし、徐々に規制の範囲が広がっていった。……その後のことは知ってるわよね?」

 話を聞いていた郁は小さくうなずいた。

「その反省もあって、成年向けの漫画を含む『エロ本』はわりと積極的に購入しているみたい。ま、図書隊の中にも笠原みたいに反対している人もいるみたいだし、気にすることはないわよ」

「私は……」

 うなだれた郁はそれ以上言葉を続けることができないようだった。

「個人的な意見はいろいろあるでしょうけれど、図書館側では表現によって購入する書籍の選別はしない。ただそれだけよ。どんな理由であれ選別してしまってはメディア良化委員会と同じになってしまうから」

 郁はうつむいたままだ。夢みる乙女にこの現実ちょっと厳しかったかもしれない。

「ま、予算に限りがあるのは確かだから、需要がない本までは買ってないはずよ。その点に関しては安心して。どうやって需要を調べているのかは不思議だけど、ひょっとして図書隊員からアンケートでもとってるのかしら。あの真面目な手塚がなんて答えてるのか、気にならない?」

 小さく笑いを漏らした郁がようやく顔をあげた。

「そういえば男の人ってあまり女性にエッチな本を見られたくないんだよね。兄貴たちが私に内緒でこそこそしてるのってそういう時だったし」

 教官たちの態度も同じだね、と二人で笑う。

「それにしても不思議よね。ああいう本はたいてい禁帯出になっているから、閲覧室の中でしか読めないわけでしょ。とても『実用的』じゃないと思うんだけど……」

 郁が真顔で「実用的?」と小首をかしげた。

「ああいう本って単に読んで終わり、ってわけじゃないでしょ」

 それを聞いた郁は何かをいろいろ想像したらしく、顔が見る間に真っ赤になっていく。まったく、乙女なんだから。兄が三人もいるのにこの反応というのは、本当に母親が厳しかったのか、それとも念入りに箱に入れられて育てられたのか。

「男の人には必要なものらしいから、そこを責めるのはやめてあげてね」

 郁はこくこくと頷いた。

        ○

 

 翌日、特殊部隊事務室の中はまだ昨日の空気が残っているようだった。

 郁は思い切って堂上の前に行くと、頭を下げた。

「昨日はお騒がせしてすみませんでした」

「いや、お前が女性であることを忘れていた俺が悪かった。今後は注意する」

 微妙に失礼なことを言われた気もするが、ここは聞かなかったことにする。それよりも。

「ところで教官、昨日柴崎に言われて気になってるんですが、ああいう本を図書館で読んで、それからどうしてんですか。閲覧室の中じゃ使えませんよね?」

 堂上が盛大にむせる。と同時に、小牧の押さえた笑い声が聞こえてくる。

「それとも閲覧室の中で――」

「いや、笠原、お前は何か勘違いしている。閲覧室の中では読む以外には何もしない。な、手塚?」

 名前を呼ばれた手塚のほうを見ると、心底嫌そうな顔をしている。

「お前だって漫画くらい読むだろ。それと同じだ」

「でも、ああいう本って読むだけじゃないって聞いた事があるんですけど。違うんですか?」

 手塚は顔を背けた。仕方がないので他の人を見ると、みんな目をそらしている。周りが静まりかえっている中、堂上のわざとらしい咳払いがひとつ。

「もしかしたら読む以外に何かするかもしれないが、閲覧室の中では読むだけだ。少なくとも蔵書が汚損した等のクレームもないみたいだしな。それ以上は個人のプライベートに属することなので詮索するな」

「分かりました。……ところで、堂上教官もそういった本は読まれるんですよね」

 ぎょっとした顔のまま堂上が固まる。何か言いたそうに口を小さく動かしているが、言葉にはならない。

「教官が好きなのを教えてください」

「それを聞いてどうする」

「私も一度読んでみようかな、と」

 今までずっと口元を押さえていた小牧が、堪りかねて声を出して笑い始めた。どうやらツボに入ったらしい。

「俺に聞くな。そうだ、手塚が教えてやれ」

 話を振られた手塚は顔をしかめる。

「嫌ですよ。それに堂上教官のお薦めを聞きたいのであって、俺が好きなのを聞いてもしょうがないんじゃないですか」

「ううん、そんなことないよ。ってことは手塚も好きなのあるんだよね。それ、教えてよ」

 それからしばらくは郁の質問攻めに、特殊部隊事務室からは阿鼻叫喚が聞こえたという。

 

        ○

 

 その話を聞いた柴崎は腹をかかえてかなり長い時間笑い続けていた。ようやく少し落ち着いてきたので、ウーロン茶で喉を潤す。

「それで、みんなのお薦め本は、読んでみたの?」

「うんまあ、いちおうね。せっかく聞いたんだし」

 なんでも郁は口を割るまで質問していたらしい。特殊部隊の方々には大変悪いことをしてしまった。特に堂上教官はさぞかし参ったことだろう。

「面白かった?」

 郁は「うーん」というと、口を尖らせた。

「想像していたよりは普通、っていうのかな。ただ、女の子がああいうことされて喜ぶんだって思われてるとしたらちょっと嫌かも」

 本の表題や内容を聞いてみると、郁に合わせて無難な作品を「お薦め」されたようだ。さすがは図書特殊部隊、「レファレンスは完璧」といったところか。

「さすがにそれはないと思うけど。でも、『王子様』に漫画みたいに迫られたらどうする?」

「えっ、いや、それは……困る、けど……」

 顔が微妙ににやけている郁はまんざらでもなさそうだ。

 はたしてこのことを王子様に教えてあげるべきか。柴崎としてもちょっと悩むところであった。

 

 

fin.

 

 

 
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