No.116749

Beginning of the story 第九章ー現代

まめごさん

ティエンランシリーズ第三巻。
現代っ子三人が古代にタイムスリップ!
輪廻転生、二人のリウヒの物語。

「嘘でしょう…?」

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2010-01-05 21:28:05 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:512   閲覧ユーザー数:501

黒が、自分の言をもう一度宰相に言い直している。

リウヒはため息をついて、額に手を当てた。

卓を囲む臣下たちは、不思議なものを見るような目で自分を見ている。

何で言葉が通じないのだろう、わたしは別にジン語を話している訳ではないのに。

いやいや、宰相もジン語ぐらい分かるだろう。ではなぜ通じないのか。

不思議だ。

「なりません!」

ようやっと理解してくれた、白髪の老人が声を強めた。

「大学は伝統ある学問の最高機関です。それをなくせとはどういうおつもりですか」

「そうは言っていないだろう。シラギ、どういう伝え方をしたのだ」

もう一度ため息が出る。

「学問にかかる金の見直しをしたらどうかといったのだ。民の中にも、優秀な人物は一杯いるはずだ、その者たちにも可能性を見出してやりたい」

「金がかかって当たり前のことなのです、勉学とは。それよりもですな、陛下。税を元に戻されたものの、未だに本殿の奥は工事が進められております。予算が…」

「足りないと?」

「左様でございます」

ならば、国王以下重鎮全員で、賃金稼ぎをしてはどうか。中々に楽しいぞ。

口元から出かかった言葉をリウヒは慌てて呑み込んだ。さすがに言える雰囲気ではなかったのである。

「目利きの女官を集めてくれ。別に男でもいい、飾り物や衣に詳しいものを」

「何をなさるおつもりで?」

「先王とショウギの衣と飾り物を売っ払ってしまおう。国宝級の物は手元に残す」

宰相は、ぱっかり口を開けた。シラギや臣下たちも、同じく口を開いた。

いっそすっきりして良いではないか。というリウヒの声は、静寂の中にぽつんと響いた。

それを打ち破ったのは、カグラの笑いだった。

「先王はともかく、ショウギのものは高値で売れるでしょう。衣も簪もふんだんにありますし、陛下のお好みには合わない」

ショウギの元愛人は、クツクツとまだ笑っている。

援軍を得て、リウヒは得意げに顎を上げた。

「それでよいな」

白髪の老人は、まだ呆けたまま頷いた。物を売るという発想がないらしい。

正午の鐘が鳴って、臣下たちは一斉に頭を垂れる。トモキに椅子を引かれて、リウヒは飛び降りた。

「本日の昼餉は本殿で召されてください。政務の前に、スザクの長との面会がございます」

飯ぐらいゆっくり食わせてくれ。

「分かった。トモキは食堂へゆくのだろう」

「はい。では御前失礼します」

丁寧に礼をすると、トモキは急ぎ足で北寮に向かった。リウヒは首をかしげる。

何故、あの兄は最近ちょくちょく北寮の食堂へいくのか。

「ひどい男ですね。主を置いて」

「トモキらしくないな。どうしたのだろう」

後ろからカグラとシラギの声がした。

「何かうまい定食でもあるのだろうか」

陛下はまだまだ、色気より食気のお年頃なのですね、とカグラが苦笑した。

 

一日の終わり、夕餉の前にリウヒは東宮の小庭園で城下を見下ろす癖がついた。

日没と共に空は様々に色を変えて、大地を彩る。

後ろにはトモキが控えている。

「なあ、トモキ。わたしは王というものは、何でも命令できると思っていたよ」

鶴の一声で、宮廷は動くものだと思っていた。ところがそんなに生易しいものではなかった。今までの慣習がある。長年積み重なった慣例もある。宮は宮なりの規則が存在し、全てはそれに則って動くようである。

流されて、巻かれてしまえば、その方が楽なような気がした。

「もしかしたら先王は国務に疲れ果てて、ショウギに逃げたのかもしれないな」

王なんて、ただ存在していればいい。国を動かすのは別に王でなくてもよいのだ。

逃げた方が楽じゃないか。遊び暮らしても、国は宮がある限り機能する。

それでも、わたしは民に誇られる王でありたいと思う。民が暮らしやすい国作りをするのが、わたしの義務であると思う。

「もし陛下が逃げたりしたら、必ずぼくが追いかけて捕まえますから。ぼくだけじゃない。シラギさまやカグラさま、マイムさん、キャラ、カガミさんも治してもらって一緒に」

あの愉快な仲間と一緒に。

リウヒは声を上げて笑った。

「ならば兄さまもいることだし、海を渡って逃げてやろう。みんなが追いかけてきてくれるなんて、楽しそうじゃないか」

「陛下」

「冗談だよ」

リウヒは振り返り、クスクス笑った。

「ここがわたしの居場所だ」

みんなのいるこの場所。

そしてトモキに近づき、その手を取って歩き始めた。トモキは素直に付いてくる。

「にいちゃん」

やっと言えた。ずっと言いたかった。

案の定、トモキは驚いた顔して固まっている。

その顔に、リウヒはしてやったり、とクスクス笑いを継続した。トモキもつられたように笑った。

「早く帰ろう。腹が減った」

「そうですね」

「今日の夕餉はなんだろう。菜飯じゃないといいけれど」

笑いあう二人は手を繋いで東宮へと向かう。

まるで仲のよい兄妹のように。

太陽はトモキとリウヒの影を濃く地に落として、西に沈みかけていた。

****

 

足が闇に沈みこむ。意識も引っ張られるように薄れてゆく。

ああ、そうか。

わたしたちはまた、現代に帰るんだ。

 

ぼんやりとした意識が戻り、リウヒは朦朧とした頭に手を当てた。

かすかな光が遠くに見えて呑気な鳥の鳴き声がうっすら聞こえる。

「動くなよ」

下からくぐもったシギの声が聞こえた。

「しばらくこのままでいい」

「馬鹿」

丁度胸のあたりにあった、オレンジ頭を抱え込む。

「帰って来たんだね…」

「うん」

「本当に帰って来ちゃったんだ…」

「どうでもいいからさ」

押し潰されたようなしかし苛立ったような声が、さらに下から聞こえた。

「頼むからさっさとどいてくれないかな…。君たちは殺人級のバカップルだよ」

 

古代で過ごしていた二年強と、現代も同じ時間の流れだった。

宮廷跡の森から抜け出した三人は、近くの交番に保護を求め、それからあれよあれよという間に警察に連れて行かされたり、病院に閉じ込められたり、泣き叫んでやってきた両親と再会したりした。

半乱狂で泣き縋る両親に、申し訳なさが募った。

「こめんね、お父さん、お母さん。心配かけて」

「一体、リウヒたちはどこへ行っていたの?」

「覚えていないんだ」

そう言う事にしておこうと、三人で話し合ったのだ。

「なんかすごくややこしくなりそうじゃねえか」

「もしかしたら、またタイムスリップする人が出るかもしれない」

「全て知らぬ存ぜぬで突っ切ろう」

しかし、身に付けていたのは、一千年前の古代の衣だ。それは取り上げられて、どこかの研究機関へと持っていかれたらしい。

ハヅキの簪だけは死守した。だって、おばあちゃんになっても持っていると約束したもの。

神隠しに会っていた大学生三人が、古代の衣装を着てひょっこり帰ってきたことを、メディアは大々的に取り上げた。

特にリウヒは、その名もあってか執拗に追いかけられた。外を出ることもままならない。ひっきりなしに訳の分からない電話はかかってくる。身を寄せている実家の周りには常に報道記者が待ち構えて、出勤する父や買い物に出る母に襲いかかった。

テレビをつければ、マイクを持ったレポーターがなぜか恐ろしげに実況しながら実家を映している。閉口してすぐに切った。

「みないほうがいいよ。すっごく面白いけどね」

電話の向こうでカスガが笑った。

「なんでか知らないけど、小学校の時の文集で書いた将来の夢とか暴露されていたよ。リウヒ、鳥になりたいって書いていたんだね」

「ぎゃー!過去の汚点!」

「一回しか会ったことのない親戚のおじさんがさ、すごく偉そうにぼくのことを語っていたんだ。もう父さんと母さんと大爆笑でさあ」

「カスガ、すごいね。わたし、そんな笑い飛ばすなんてできない…」

リウヒの精神はすっかり参ってしまっている。

父と母に守られているものの、世間の関心が自分に集中している事が恐ろしくてならない。

「大丈夫だよ。じっとしていれば、その内過ぎ去っていくからさ」

「うん…ありがとう」

カスガの電話を切って、すぐにシギにかけた。シギも母親の元にいる。

声が聞きたくなる。声を聞くと会いたくなる。痛切に。

「おれもお前に会いたいよ」

受話器の向こうから、シギの痛々しい声がした。

「あのまま古代で暮らしていた方が良かったのかもな」

「でも、それだったら、わたしの両親に、シギを紹介できないじゃん」

わざと明るい声をだして、リウヒが笑った。

本当は泣きたかった。こんな大騒ぎ、もう嫌だ。シギに会いたい、カスガに会いたい。三人で呑気に笑いながら、旅をしたい。濃く青い空の下を。

カスガが聞いたら、またバカップルと連呼されそうな甘い会話をした後、パソコンを立ち上げた。

避けて通っていたハヅキのことを調べようと思ったのである。

シギもカスガも何か隠しているみたいだった。だけど、ハヅキが何をした人物であったのか知りたい。それがどんなことであろうとも。

その名前は簡単にヒットした。

パソコンの画面を追っていたリウヒの顔が、だんだんと驚愕に変わってゆく。涙がキーボードを濡らしていることすら気が付かなかった。

「嘘でしょう…?」

****

 

「嘘だろう?」

「嘘じゃねえよ」

「なんで?どうして?あんなにうっとおしいほど、ベタベタしていたバカップルだったのに…」

「リウヒがハヅキを知ったんだよ」

ケータイの向こうのうろたえた声は、ああ…と納得したように変化した。

シギは煙草に火を付けた。

古代であんなに軽く感じた体調は、ニコチンのせいで、また重くだるく沈んでゆく。

「ごめん、別れたい」

つっかえながら、嗚咽とともにかかってきた電話にシギは仰天した。

会って話したいと言うと、会いたくないと言う。

いても経ってもいられずに、玄関前で張っていたマスコミを蹴散らして、リウヒの実家に走ると、ここにも大量の報道陣が詰めかけていた。

「リウヒ!」

呼び鈴を押しても、玄関の戸を叩いても無駄だった。ただ、沈静化していたマスコミを、突いて騒ぎを大きくしただけだった。

メールをしても、電話をしても、うんともすんとも言わない。

理由を説明してくれとのメールに、

「わたしがハヅキに会わなければ、あの子はあんなんにならなかったよね」

とだけ返答が来た。

「それにしたって、一千年前のことじゃないか」

「おれもそう思うよ。だけどきっとリウヒにとっては二年前のことなんだ」

ぼくもちょっと電話をしてみる、と言ってカスガは電話を切った。

あんの馬鹿。本当に自分のことしか考えていない。

壁に凭れて、煙を吐く。

ハヅキは義理の妹と実の兄、なにより祖国を売った大悪人だった。

ジンに渡り、ヤン・チャオをそそのかして、ティエンランに攻めるように仕向けた。溺愛していた愛姫スズを殺されて、傷心のあまり冷血になってしまった新王は、ハヅキの言にのり大軍を率いて小国に攻め入ってくる。

そしてティエンランで最も有名な女王リウヒは、愛する夫シラギを失ったのだ。

ハヅキはその名前よりも、宰相トモキの弟として有名だった。だから、シギも分からなかった。酒場で愛おしそうにリウヒの髪を梳き、自分を燃えるような目で睨みつけてきた、あの少年が、まさか第一の侵略の原因を作った男だとは。

きっと、退学したハヅキは、惚れていたリウヒを探しにジンに行ったのだろう。そこで何があってヤン・チャオと縁を結んだのかは諸説あり、はっきりとは分からない。

だが、リウヒがハヅキに出会わなければ、ジンからの旅人とは言わなければ、もしかしたら侵略はなかったのかもしれない。

全ては一千年前に終わってしまった。

それをあんの馬鹿。

煙草を灰皿に押しつぶして、シギはため息をついた。

別れるつもりなんてサラサラない。

「好きにするがいいさ」

自分の声は、藍色のぼんやりした闇間にぽつりと漂った。

「どうせお前は、おれの元に帰ってくる」

****

 

以前の蜂の巣をつついたような大報道は、二か月もするとあっさり消えてしまった。

事件や事故は日々起こる。ニュースもワイドショーも世間も、それになぞらって動いてゆく。

現代人はせわしないねぇ。

カスガはのんびりと鼻歌を歌いながら、父親の車を運転している。横の助手席にはリウヒがいた。

目の隈が濃く、顔色も悪い。随分とやつれたようだ。ショックは未だに抜けてないらしい。

「どこに行きたい?今日はリウヒの行きたい所に連れてってあげるよ」

「古代にいきたい」

ハキのない、ぼんやりした声だった。

「一千年前に行きたい」

「行ってどうするの?」

「ハヅキに…」

そのまま黙ってしまった。

「リウヒ、一人で宮廷跡のあの洞窟を捜しに行っていただろう」

リウヒは黙ったままだ。

「ぼくも何度か行ったんだよね。でもあの小道を辿ってもあっさり駐車場に出るだけだったし、洞窟なんか見つからなかった」

「うん…」

「海にでも行こうか」

ウインカーを点滅させ、ハンドルを切りながらカスガが言った。

秋の海は、曇り空のせいかどんより沈んで見えた。人影も全くない。

「結局さ、蔵を漁っても、家系図を調べても思わしいものは出てこなかった」

「そう」

「シギがまた下宿したって聞いた?」

「うん。メールが来た」

ぽつぽつ話しながら、砂浜に腰を下ろす。

「ぼくは大学に戻ることにしたよ。教授も歓迎してくれたしさ」

「そう」

「リウヒはどうするの?」

何も考えていないと首を振った。

会話はそこで止まった。心なしか淋しげな波の音だけが響く。

「リウヒさ」

横を向くと、膝に埋もれるようにして、海を眺めている幼馴染を見た。

「君だって分かっているだろう。歴史が全て真実とは限らないってこと。ハヅキは、もしかしたらジンの王に利用されていたのかもしれない。案外、幸せだったのかもしれない」

「ヤン・チャオに殺されたことが?」

カスガは口をつぐんだ。

「すごく優しい子だったんだ」

近くにあった貝殻を拾って、いじりながらリウヒが言った。

「小さな頃から疎外感を感じていて、寂しかったんだよ。もっと話をきいてあげればよかった」

ぽろぽろと泣き出した。

「わたしが旅にでなければ、あの商家にバイトにいかなければ、あの子に会わなければ、あんなことにはならなかったのに…。ハヅキを知らない人たちから、あんな糞味噌に書かれることもなかったのに」

「大丈夫だよ。きっと転生して、どこかで元気に暮らしているだろう」

藍色の頭を引き寄せて、慰めるように撫でる。

「会いたいな」

わたしを覚えてくれているかな。

しばらく海を眺めて静かに泣いていたリウヒが、顔を上げた。

「ありがとう、カスガ。少し楽になった」

照れたように泣き笑いの顔になった。

「良かった。スザクでご飯でも食べて帰ろうか」

「うん」

ポケットから車のキーを取り出す。それを見た瞬間、リウヒが大声を上げた。

「ああっ!」

「えっ!何っ?どうしたの?」

真っ青になって、キーを凝視している。

まさか、運転したいとか言い出すんじゃないだろうな。発進したとたんに死ぬぞ、きっと。

「カスガ、カスガ。この、これ、これって…!」

「車のカギだけど」

「じゃなくて、このキーホルダーって…」

「ああ、うちの親父って昔から、なんかこういうデザインが好きらしくって。ケータイにもこんな、シャラシャラしたのが付いているんだ」

銀色で三連の大小の輪が連なっており、細長い棒状の飾りと小さな鈴がついている。なんの変哲もない、ただのアクセサリーだ。不満を言えば、シャラシャラしすぎて邪魔で仕方がない。

「えっ?でもいやいや、ええ?」

「どうしたの、リウヒ。さっきからおかしいよ」

リウヒは小さく震えながら、カスガの腕につかまってキーを見ている。

「あのさ…。前世で持っていた物も受け継がれるのかな…」

「それはさすがにないんじゃないか。でも、思い入れの深い物なら、生まれ変わっても執着するかもね」

「カスガぁ…。わたし、駄目だ…」

今度は、子供のようにしゃっくりをあげて泣き出した。薄い肩が激しく震える。

「ああ、もう泣きやんだと思ったら、またおお泣きしだして…。顔が腫れるよ」

雨でも降り出しそうな空の下、カスガは困りきって、藍色の髪をワシワシといつまでも撫でていた。

****

 

リウヒはアパートの扉の前で、ため息をついて髪をかきあげた。

この扉の向こうには、シギがいる。でも怖くて呼び鈴が押せない。

別れを告げたのは自分なのだ。半年も前に。エロ河童のことだもの、新しい彼女と一緒に仲良く過ごしているの違いない。

わたしはなんでここに来たのかな。謝りにきたんでしょう。例え許してもらえなくても。

外に面している廊下はひんやりと寒かった。コートの襟を掻き合わせ、数歩下がって手すりに凭れた。

ハヅキは、カスガの父に生まれ変わっていた。幸せに年をとって、柔和な顔をしたおじさんは、瞳の色も、髪の毛もハヅキと一緒だった。が、記憶までは引き継がれていなかった。それでいいと思う。カスガの父は、祖国を売った悪人の前世だったと知ったら、ショックを受けるに違いない。だから何も言わなかった。

「リウヒちゃんが、うちに遊びに来るなんて久しぶりだな」

呑気に茶を啜りながら笑った。

「ゆっくりしていきなさいね」

菓子をだしながらおばさんも笑った。

わたしは一千年後に帰ってきたのだ。今更、ハヅキの運命を変えることはできない。でも、ハヅキはハヅキなりの葛藤や考えがあったはずだ。それを知りたいと考えて、カスガと共に、大学のゴリラそっくりの教授の下についている。

古代語を読める能力を重宝されて、忙しい日々を送っていた。

父と母には、全てを話した。

「一千年前のティエンランに行っていたの」

都で暮らしたこと、三人で旅をしたこと、セイリュウヶ原の戦。民の歓声、静かに頭を下げた王女、濃く青かった空。

「初めて、あの王女をすごいと思った。ありがとう、お父さん、お母さん。わたしにリウヒの名前をつけてくれて」

父と母は信じてくれた。そして泣いた。

扉の向こうから物音が聞こえた。体が硬直する。とりあえず隠れようとした瞬間に、扉が開いた。

「あ…」

銜え煙草をしたシギが、目を見開いてこちらを凝視している。戸っ手に手をかけたまま、動かない。リウヒも動けなかった。

「お前…」

逃げようとしたリウヒの手を、シギが掴んで乱暴に引き寄せた。

「何で逃げんだよ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!ちょっと心の準備ができてなくて、シギが女の人と一緒にいたら嫌だし、許してもらえないのも分かっていたし、でもわたしが悪いんだし…!」

パニックになって喚いていたリウヒの口は、シギの唇で塞がれた。

「ああ、そうだ。お前が悪い」

噛み付くようなキスは、煙草の苦い味がした。

「おれがどんな気持ちだったか、全然考えてなかっただろう」

リウヒを離さずに扉を閉める。

「どれだけ待ったと思っているんだ」

唇を離して、上を向けられた。シギの目は強く真っ直ぐにリウヒを射抜いている。

「いいか、次は無いからな。二度と離さねえぞ」

「ごめん…」

息をするのも苦しいほど抱きしめられた。その胸の中でリウヒは涙を流した。申し訳なさと、嬉しさがこみあげて心が捩れる。

「本当にごめんね」

二人の足元で、吸いかけの煙草が不貞腐れたように紫煙をくゆらせていた。

****

 

あれから二年が経った。

シギは大学に戻らずに、つてを頼って貿易関係の会社に就職した。

リウヒはカスガと一緒に、大学院でティエンランの研究をしている。

三人の関係は相変わらずだ。所構わずリウヒといちゃつき、カスガにバカップルと連呼された。そしてセイリュウヶ原や、海へと連れまわされたが、あの悲しい声はもう聞こえなかった。

そのカスガに彼女が出来た。教授の娘でいつの間にかくっついていたとリウヒが言った。

「ゴリラの娘はやっぱりゴリラなのか」

「全然。赤毛の可愛い子でさ。なんと高校生」

「は、犯罪者…」

「昔はカスガに大切な人ができるなんて耐えられなかったけど、不思議なもんだね。すごく嬉しいんだ。大人になったのかな」

「お前のここは全く成長しないけどな」

ぺラリと胸元を覗くとエロ河童と殴られた。

 

小雨が降る中、シギは小さなビルの階段を上って、ふと窓ガラスに映る自分を見た。違和感なくなじんでいるスーツ姿に苦笑する。この体に古代の服を着ていた時もあった、と感慨深く思いながら、黒い扉を開けた。

こじんまりとしたバーの奥でリウヒが手を振っている。カスガもいる。

お仕事お疲れ。カスガ久しぶりだな。賑やかに挨拶をして席に着いたときに、リウヒが喜々としながら鞄を探った。

「ね、知ってる?愛姫スズの墓が発見されたの」

「ニュースで見たぞ。骨を元にCGで復元してるんだろう?」

「すでに入手済みであります!公開は明後日になると思うけどねー。じゃーん」

ぺらっと差し出された写真を何気なく見たシギは、飲んでいたビールを盛大に吹いた。

「ちょっと!なにするの、汚いな!」

「あまりにも美人で、びっくりしたんじゃないの」

前の席に座っているカスガが笑う。

「こ、こ、こ。これ…!」

「だから、愛姫スズだって。年の頃は二十歳前後で、身長百五十センチくらい。ちっちゃい子だったんだね」

「ヤン・チャオが百八十くらいあったから、大小カップルだったんだね」

「んなことは、どうでもいい!これ、ワカじゃねえか!」

リウヒとカスガは、きょとんと顔を見合わせていたが、誰それ?と同時に首を傾げた。

「おれが最後にバイトしていた所にいた女の子だよ…」

見間違いなんかじゃない、数か月間、毎日顔を合わしていた。ほとんど呆然として写真を見ながら、シギは話し始めた。雇い主の下で働くものだと言っていた、可愛らしい不思議な少女。リウヒを見つけ出してくれた少女。あの子…殺されたんだ…。

「闇者って呼ばれる集団がいたんだ。金次第でどんな依頼もこなす連中だったらしい」

カスガが何故か声を低める。目は血走って、心なしか鼻が広がっていた。

「ジュズも金持ちそうだったな」

「ヤン・チャオは、愛姫スズを失って、自棄になってハヅキの提案に乗ったんだよな。だけど、その愛姫が闇者だったら…目的はなんだったんだ…」

こうしちゃおれないと、カスガは腰を上げた。

「大学に戻る!お金は立て替えといて!お休み!」

慌しく出て行ってしまった。

「お前は行かなくていいのかよ」

「そんなひどい顔しているのに、放っておけないよ」

そうか。そんな顔をしているのか、おれは。

「案外、幸せだったかもだよ。この子」

写真を見ながらリウヒが言った。

「ヤン・チャオに笑っちゃうくらい愛されていてさ。滅茶苦茶に仲が良かったみたい。しってる?ジンでは溺愛している彼女とか奥さんのことを、愛姫っていうんだよ。ヤン・チャオと愛姫スズからきた言葉なんだ」

「…好きな人がいるっていっていたんだ」

その写真は、精巧に出来ているものの、やはり本人の方が数倍可愛い。

「怖くて優しい人だと言っていた。その人とはどうなったんだろう…」

もしかしたら、ワカは仕事で近づいたターゲットを、本気で好きになってしまったのかもしれない。それとも、全て演技だったのかもしれない。シギには分からない。が、前者であればいいと願う。

つかの間でも幸せならば。

「この子が闇者で、愛姫の死が仕組まれたものだったら、黒幕はなにが狙いだったんだろう。もし、ティエンラン侵略なら、ハヅキだけが原因じゃない…」

しばらく考えるように、一点を見つめていたリウヒは息を吐いて、気分を切り替えたらしい。甘えたように身を寄せた。その肩に手を回す。

「わたしね」

「うん」

「歴史ってあそこに行くまでは、ただ年表を覚えればいいものだと思っていた。でも、違うんだね。色んな人たちのドラマが積み重なってできるものなんだね。調べれば調べるほど面白い。本当は、直接その時代に行ってこの目でみたり、本人にインタビューしたいんだけど。今更になって、あの時のカスガの気持ちがすごく良く分かる」

「お前の口からそんな言葉がでるとは、思ってもいなかったよ」

クスクスと二人は笑った。

「明日さ、どっか行きたいところあるか」

絡まる指を優しく愛撫しながら聞いた。久しぶりに二人で過ごす休日だ。渡すものもある。

「カスガ曰くの、バカップルコースがいいな」

「了解」

薄暗い店の片隅で、蕩けるようなキスを交わす。うっすらとかかるジャズや、グラスの音や、人々の会話を遠くに聞きながら。

 


 
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