ちいさな崖の下に三人は来ていた。
その崖の上は浦沢の言ったとおり視界を遮るものがなく、星がよく見えそうだ。そしてのぶくんは、やはりそこに居た。
月明かりを受けるのぶくんを、アオイは見上げる。
ちいさな女の子たちは「パパが居たころはパパともプラネタリウムに行った」と言った。
のぶくんの両親は、2年ほど前に離婚した。
家庭の事情というヤツで、踏み入れることの出来ない領域で、母親に引き取られたのぶくんは、仕事に追われる母親をいつも待ち焦がれていただろう。
暗い部屋に、一人残されることもあっただろう。
辛い時に、一人ですごさなければならなかったこともあっただろう。
「プラネタリウムはね、ママが迎えにきてくれるんだって」
「だからのぶくん、プラネタリウムが好きなんだって」
みっちゃんが言って、ちぃちゃんが後を継いだ。幼いなりにのぶくんの様子を見て、感じるものがあったのだろうか?その声は、ごくごく静かだ。
アオイはちいさな崖を上る。
子供には辛い崖も、大人で、なおかつ体力に自信のあるアオイには、それほど苦にならない。
からからと小さく小石の崩れる音に、のぶくんは見上げていた視線を落とし。
「帰ろっか、ね?」
努めて優しく、アオイは声をかけた。
のぶくんはぷいっと視線をそらし、また空に向ける。
高い高い星空。
「ママを待ってるの?」
アオイの問いかけに、のぶくんはどきりとした。
そう、のぶくんはママを待っている。
小さい時。
今よりもっと小さい時。
のぶくんは家族でプラネタリウムに行った。
プラネタリウムは、のぶくんの家族の定番だったのだ。
パパがいなくなったあの日。
あの日も、プラネタリウムに行っていた。
九十分の上映時間。
のぶくんを置いて、迎えに来るからと言って、パパとママはどこかに行ってしまった。プラネタリウムの上映開始と共に、別の場所に行ってしまった。
上映終了時、迎えに来たのはママだけだった。
それからは、パパは家に帰らない。
子供心に家族が壊れたのはなんとなく分かったし、パパが帰らないことには、もうなれた。
だけど、のぶくんは一人になるたび、プラネタリウムのことを思い出す。
迎えに来てくれるママのことを思い出す。
一人になってしまうのが怖いから、迎えに来てくれるのを思い出す。
夜空があるなら、プラネタリウムがあるなら、ママは迎えに来てくれる。
アオイはそっと手を差し伸べた。
「帰ろ。ママはね、待ってるんだよ、のぶくんを」
優しくアオイは語りかけた。
一人になった子供の心を、アオイはよく知っている。だから、優しくアオイは語りかけた。
アオイの一人娘、サエも、小さい時は一人で過ごす日々が多く、じっと耐えていた。父親は単身赴任で、アオイもまた仕事をしているから、サエは一人で過ごすことが多かった。
だからこそアオイには、のぶくんのことが、よくわかった。
「ね?」
優しい手が、すぐそこにある。
視線をおろせば仲のよい友達も居る。
「…ママ、待ってるの?」
のぶくんの頬は、涙の乾いたあとがあった。
きっと、ずっと待っていたのだ。
長い時間を待っていたのだ。
二時間か、三時間か。
時間にすればそのくらいだったはずだけれど、のぶくんにはもっともっと長く感じたはずだ。
「そう。ママ、待ってるの」
笑んで、アオイは頷いた。
「わかった」
のぶくんもまた頷き、そして立ち上がる。
その時……
疲弊した子供は崖上で足を滑らせ……
小さな体が崖下に落ちていく。
アオイはすばやく手を伸ばすが間に合わず……。
茂みの中から、何かが飛び出した。
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タイムトラベルSF小説
ノーテンキなママの第二話
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