周りにいる人々の顔は、みな興奮でぎらついていた。
リウヒはなんとなく心もとなくなって、横にいるシギを見る。その視線に気が付いた恋人は、安心させるように笑うと優しく肩を叩いてくれた。反対側にいる幼馴染は、鼻を膨らまして若干目を血走らせている。
遠く前方には、王女とその取り巻きが威厳さえ漂わせる風に馬の手綱をとっていた。
一行はセイリュウヶ原に向かっている最中である。
戦というものは男の本能をくすぐるらしく、カスガとシギは参戦すると声を揃えた。リウヒも、仲間はずれは嫌だとばかりについてきたが、すでに後悔している。
今からわたしは殺し合いに行くんだ。
しかし現実感がない。よく晴れた空の下、まるでどこかの祭りにでもいくような、浮足立った雰囲気だ。
こんなんで人を殺せるのだろうか。武器は全てに行き渡らず、民の多くは鍬や鋤を抱えている。それすらもない民、そしてチームカスガが手にしているのは、木刀だった。
「木の棒と布の服じゃねえかよ。鍋の蓋はねえのか」
「レベル一の装備でラスボスに挑む気分…」
「大丈夫。ぼくらは勇者じゃない」
妙に呑気な会話をしている内に徒歩が早足になってきた。周囲も同じ速さで動いている。
「ねえ、なんかさ…。スピード上がってきてない?」
「上がってるな」
「上がってるね」
誰からともなく走り出した。釣られてみな走り出す。
「あの、これ、走っているよね?」
「走ってるな」
「走ってるね」
この走るという行為は。
ほとんど全速力で走りながらリウヒは思った。
なんだか気持ちが高ぶってくる。誰もいなくなった商家、人浚いをしていた門番、許しておくれと泣いて叫んだゲンさんの顔、亡くなったおかみさん。全ての原因は今から戦う宮廷にある。そうだ、悪いのはみな、あの宮廷なのだ。誰が企んだ道筋にせよ、その言うとおりになった悪い宮廷。わたしたちは、これから悪者を退治しにいくのだ。
快感が体を駆け巡った。
ああ、正義ってとても気持ちがいい。
****
みな気がせいているのだろうか。馬の足は、後ろの気迫に押されるように段々と早くなってくる。ついにリウヒは駈け出した。徒歩の者も全力で走りながら付いてくる。髪が後ろになびいた。
速度が上がってゆく、高揚感が体を包む。楽しくさえなってきた。今、ここで大笑いしたいくらいだ。
「なんか、楽しっすね」
横で声がした。本当に楽しそうな、これから祭りにでも参加しそうな声だった。
「ああ」
真っ直ぐに前を見つめながらリウヒも笑った。
「わたしもだ」
宮廷軍はまるで計ったように何列かに整列して王女たちを出迎えた。
馬を走らせつつ、その姿を確認するや否や、リウヒは声を上げた。同時にシラギとカグラが左右から馬を駆って猛烈な勢いで軍に突入する。
シラギの剣が日に煌めき、あっという間に三つの首が飛んだ。同時にカグラの剣が舞い、二人の男が地に倒れた。軍が動揺する間もなく、狂ったように海賊や民たちが押し寄せる。
爆発音が響き、人影が数個吹っ飛んだ。
****
意識が一瞬飛んだ。目の前の男の腹には、死体から拾った剣が刺さっている。刺しているのは自分だった。引き抜くと、男は崩れるように倒れた。そのまま動かない。大声がして後ろを振り向く。黒い鎧が襲いかかってくる。足が硬直した。
「シギ!」
鎧は叫び声をあげると体を反らせて崩れ落ちた。カスガが同じく拾ったのだろう、剣を振り下ろした格好で荒い息をしている。
「助かった」
「うん」
この、体の底からわき上がる凶暴な気持ちはなんなのだろうか。快感ですら、感じてしまう。狂っているんだろうか、おれは。剣を振り回して人を殺す。ここではそれが正しいことなのだ。殺さなければ自分が死ぬ。そうだ、やらなければ、やられてしまう。
横のカスガも目が逝っていた。とてつもなく残忍な顔をしていた。きっと、おれもそうなのだろう。シギは自分を励ますような掛声をかけると、再び黒い鎧に襲いかかった。
****
声を上げて、リウヒは逃げ惑った。なんなのだ、ここは。目の前で繰り広げられているのは、まさしく殺し合いだった。先程の興奮はどこへやら、ただただ、恐怖感しかない。
濃く漂う血の匂い、地面に横たわる数々の死体。ぞっとする。
空を見て、口を開けている死人。うつ伏せになって踏まれまくっている死人。
わたしはなんでここにいるのだ。なにをしているのだ。
ゲームの中では、復活の呪文でいともたやすく生き返るのに。怪我なんて回復魔法ですぐに癒えるのに。そんな世界じゃない、そんな親切な…。
ふと陰りがさして、振り返った。大男が自分を見下ろして、剣を振りかざしている。
…お父さん、お母さん!
思わず身をすくめて、体を縮こまらせた。わたし、死ぬ!
「リウヒ!」
大男がぐらりと傾いだ。その巨体を蹴りあげたシギがリウヒを睨みつける。
「こんな所でぼっとするな、馬鹿!」
「だって…だって…」
「だってもヘチマもねえ!おれから離れるな!」
シギの衣は血があちらこちらに付いていた。頬も切られたような線が一本入っていて、流血している。リウヒを庇うように手を回したシギは、黒鎧たちを切りつけていく。
足手まといになるのは嫌。リウヒは唾を飲み込んで、目を据えると襲ってきた男に奇声を上げて剣をなぎ払った。
****
目から涙が出てきたが、まったく気付かず、カスガは黒鎧の剣を受けた。嬲るように剣を払ってくる。
勿論、一般市民であるカスガたちがそれを職としているプロの兵に適う訳がない。
しかし気概は勝った。なにより戦場を駆け抜ける黒将軍にひるむように宮廷軍は戸惑っているようだ。
ぼく、ここで死ぬのかな…。でも伝説の戦いで命を落としたなんて、古代オタクとしては冥利に尽きるじゃないか…。
と、黒鎧が動きを止めて体を痙攣させた。その後ろで、シラギがひらりと馬を巡らせる。瞬間、黒鎧の首が離れて、血が噴水のようにほとばしった。
「うわああ!」
絶叫してカスガが飛びさすった。少しちびった。
血生臭さに咳きこむ。これが戦場なんだ。平和に育ってきたカスガには、その中にいても未だ現実感がない。テレビで報道される、遠い国の内乱。映画の中。もしくは歴史の中でしか存在しないものだった。じゃあ、今、ぼくはなにをやっているのだろう。どうして剣が血で滑って切りにくいなんて思っているのだろう。
意識が朦朧としてきた、その時。遠くで凛とした女の声がした。
「宮廷軍、副将軍モクレン及び部下五百名、これより王女側に付きまする!」
辺りから、狼狽とも感嘆ともとれないどよめきが上がる。
今度は反対側から老人の声がした。
「こしゃくな、小娘が!わしが言おうとした事を先に言いおって!宮廷軍、副将軍タカトオ以下同文!黒将軍さまに剣を向けるものはわしが倒す!」
釣られたように、我も我もとあちこちで上がり、宮廷軍は内輪もめを始めた。それも数分で収まった。次は周りからは王女を担ぐ声が聞こえ始める。
今の今まで、敵だった黒い鎧たちはいつの間にか王女に引き連れられて、民や海賊と共にぞろぞろと歩き始めた。
なに?なんなの、このあっけなさは…。終わったの…?
思わず呆然としているカスガの肩を、シギが叩く。
「リウヒ見なかったか?」
「えっ?はぐれたの?」
シギは舌打ちして辺りを見渡した。カスガも首を巡らせたが、見当たらない。
「あっ、こら、お前どこにいってたんだよ」
見るとリウヒが真っ青な顔をしてシギの腕を掴んでいる。
「し…シギとそっくりな人に、声かけられちゃった…」
勇ましいな、お嬢ちゃん。背中を叩かれて顔を上げたリウヒは、仰天した。シギと瓜二つのその男はきょとんとリウヒを見ていたが、歯の三本抜けた男と一緒に走って行った。
[今日は祝杯だぜ]
[おれは酒より女がいいなあ]
そう言いあって好色そうに笑ったという。
リウヒはギッとシギを睨んで、その首を締めにかかった。
「どんだけ昔から女好きだったの!ああん?このエロ男!」
「待て待て待て、一千年前の前世の責任まで、おれ、取れねえ…カスガー!助けてー!」
「いやー、久しぶりに見る光景だねー」
都が見えてきた。誰からともなく声があがり、それは段々と膨れ上がってきた。勝鬨の声に合わせて、拳や武器を上げる。その合間に海賊の掛け声らしきものが混じる。宮廷軍も笑いながら声を合わせる。カスガたちも大声で叫んだ。
遠くには、復興した宮廷の瓦が光を浴びて燦然と輝いていた。
****
宮廷と都が見えた時、リウヒは安堵の息を漏らした。道を間違えないで良かった…。
後ろでシラギとカグラが、小声でやり取りをし、カグラが列を離れて都へ駆け去った。
「なにをしにいくのだ」
「あちらに報告に行った」
後ろでは民や海賊たちの声が上がっている。ふと振り返ると通過した村や町から付いてきたのか、それとも、駆け付けたのか人数がとてつもない数に膨れ上がっていた。子供や老人までいる。
この人たちの生活を、わたしはこれから背負うのだ。
あの光り輝く本殿の中で。
その責任の重さに心が沈んでくる。
だけど、大丈夫。大好きなみんながいてくれるから、わたしは自分の大義を果たすことができる。
「リウヒ」
シラギが横に馬を進めた。
「上意の礼を知っているな」
「勿論だ」
ティエンランの王はその生涯に一度だけ礼をする。最上位の礼を、即位時に国民に向かって。
「これからやるのだ。あの正門下で」
「…父王は、ショウギは…」
「我々が付く頃には、すでに崩御遊ばれ、消えている」
思わずシラギの顔を覗きこんだ。シラギは真っ直ぐに自分を見返している。
「そうか。分かった」
リウヒは歯を食いしばると、再び視線を天の宮に向けた。
都の大通りは沢山の人たちが両側に並んで、歓喜の声を上げて出迎えた。
みなが声を上げれば上げるほど、笑顔を見せれば見せるほど、寄せられる期待に潰れそうになる。
いやいや。リウヒは顔を上げた。まだ王になっていないのに、弱音を吐くのか、わたしは。
大階段前で馬を下りると、長い長い階段を登りはじめた。
あの頂点が、わたしのいるべき所なのだ。後ろからは歓声が絶えやまない。
キャラが小声で愚痴をこぼし、トモキがその腕をとって励ましている。
シラギはほとんど担ぐようにカガミを支え、マイムは平然とした顔で上っていた。
トモキがいなければ。
上を見上げながらリウヒは登る。
トモキがいなければ、わたしはここにはいなかった。きっと、あの東宮で殻に閉じこもったまま暮らしており、謀反でショウギに殺されていただろう。
そのトモキを連れてきてくれたのは、シラギだった。
初めて友達だといってくれたのは、キャラだった。
姉のように、ただの少女として接してくれたマイム。
カグラは…よく分からないな。リウヒは小さく笑う。
そして、外の世界へ連れ出してくれたのは、カガミだった。駒として見られていたとしても、掛け替えのない世界を見せてくれた。
正門下に立ったリウヒは驚いた。宰相以下、大勢の臣下がこちらに向かって跪礼をしている。トモキ達も後ろに立って、それに倣った。リウヒは微笑むと民衆に向き直る。
わたしの大切な国民たち。
両手を胸の前で合わせた。
この身にかえても。
右足を後ろに回す。地が小さく鳴った。
我が国と我が民を守ることを誓う。
ゆっくりそのまま沈み右膝を付くと、静かに頭を下げた。
****
王女が頭を下げると、爆発音に近い歓声が沸いた。熱狂状態にあるといっていい。
胸の前で、手を合わせて、膝をついて頭を下げる。ただ、それだけの動作なのに、なぜこんなに感動するんだろう。
リウヒは涙をこぼしながら、国の頂点にたった娘を凝視していた。
ねえ、小さな王女。
わたしは、ずっとあなたが嫌いだった。
美人で勇気のある正義のお姫さま。
そんな典型的ヒロインのあなたが大嫌いだった。
同じ名前で、小さな頃から苛められた。
コンプレックスもあったし、親も恨んだ。
でも、実際のあなたは違った。
自分とそっくりな平凡な顔だったし、王に立つその行動は、色んな人の思惑が絡んでいた。
それでも、今は、あなたと同じ名前だということに誇りをもっている。
もしかしたら、あなたの生まれ変わりだということが素直に嬉しい。
こんなに民に祝福されているあなたを、すごいと思う。
感嘆するほど美しい礼をしたあなたを、とても尊敬する。
あなたはあなたの人生を立派に生き抜いたけど、わたしはこれからの人生を、わたしなりにがんばって生きてみせる。
わたしがなぜ、この時代に来たかは分からない。
だけど、あなたを見ることができて本当に良かった。
****
「あなたたちには、お世話になったわね」
最後の報告をしたワカに、ジュズが微笑んだ。
「ショウギの息子が気になるけど…。まあ所詮、虫ケラだわ、大丈夫でしょう」
それにしても、カグラは本当に変わったこと。目を細めてクスクス笑う。その顔は、柔らかく嬉しそうで、美しかった。
「小さな王女の上意の礼は、とても見たかったのだけど、残念ね」
「見事に堂々としていたそうデス」
あのイランが褒めたくらいだ。
「これが報酬の後金よ。また、お願いする事があれば、その時はよろしくね」
「ありがとうございマス。ジュズサマ、お元気デ」
老女が微笑んで手を伸ばした。そこにワカが入るとゆっくり抱きしめられた。
とても温かくて、いい匂いがする。
母親とはこういうものなのか、と少し泣きそうな気持ちでワカは思った。自分には両親の記憶も幼いころの思い出も何もない。何度も血を吐き気絶をした、苦しい修練の記憶しかない。
しばらくジュズは、母が娘を慈しむように頭を抱きかかえて背を叩いていたが、そっと少女の体を離した。
「あなたもお元気で。さようなら」
ワカはにっこり笑うと、丁寧にお辞儀をし、部屋を出た。
外の雑木林では、イランが木に凭れてワカを待っていた。
「お疲れ」
「お疲れさまデス。これヲ」
ジュズからもらった金を渡す。イランは重さを確かめるように二、三度掌で弾ませると、懐にしまった。
「以外と早く終わりましたね」
「あのチビが国王かー。小娘が権力持つと、ロクな事になんねんだよなー」
「はやく巣に戻りましょうよ。働き過ぎてもうクタクタ」
上から声がする。
「帰ろうか」
木枝が揺れた。仲間たちは早速帰ったらしい。
「いくぞ」
「先に行っててくだサイ。すぐに追いかけマス」
にっこり笑っていったが、イランは目を少し見開いてワカを見つめた。
「…めずらしいな。いつもはいの一番に駆けて部屋で爆睡するお前が」
「まア…。今回、あたしは楽だったのデ…」
「なにかあったのか」
ああ。ワカは目を閉じる。怖くて優しい人。あたしの大好きな人。
「なんでもありまセン。帰りましょうカ」
「ワカ」
両手で首を挟まれ、上を向けさせられた。
「よく聞け。お前は、心が弱すぎる。任務の度に余計な感情をはさむな。情を移すな。情けをかけるな。今回もそうだ。そして今までもそんな事が何度かあっただろう」
それで失敗したこともある。イランは激怒しワカを半殺しにした。その時の傷は今でも背中に残っている。
「そんな調子じゃ、いつかお前の心は壊れるぞ。おれは、それは…」
イランの目が一瞬揺らいだ。
「…頭として許せねえ」
「申し訳ありまセン…金輪際、二度とないよう気をつけますノデ…」
あたしを見捨てないでくだサイ。目に涙をためて、イランを見た。
「お前次第だ」
静かに引き寄せられて、頬を撫でられる。二人とも目線は逸らさない。
「お前次第だよ」
親指の腹がワカの唇をなぞった。
「あたし次第…」
死ぬ事も恐くない。
「そうだ。今後の仕事で証明しろ」
殺す事も恐くない。
「はイ…」
この男に見捨てられる事。それだけがワカの絶対的な恐怖だった。
「以後このような事があったら、容赦なく切り捨てるからな」
「はイ」
「よし」
ワカの髪をクシャリと撫でると、イランは凭れていた木から身を起こした。はずみでワカがよろめく。
「帰るぞ」
少女の襟首を掴むと、イランは振りかぶってその身を思いっきり、空に向かって投げた。ワカは悲鳴を上げ、曲線を描いて飛んでいったが、民家の屋根に猫の如く着地した。そして何事もなかったかのように跳ねて消えた。
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