No.115565

淡雪

けいおん!
唯と梓の百合話

2009-12-31 21:27:44 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:695   閲覧ユーザー数:636

 
 

 

 冷たい風が吹き荒ぶ季節。太陽が完全に水平線に沈み込み、闇が辺りを包む時間。誰もが早く家に帰って温まりたいと思う様な頃合いに、公園のベンチに二人の少女が座っていた。

 一人はツインテールをふるふると震わせながら必死でポケットに両手を突っ込んでいる、小柄だが目が少しつり上がっていて如何にも気が強そうな少女。

 もう一人はのんびりとした顔で、多少は生命の危機を感じてよい程度の気温の中暢気にメモ帳にシャープペンシルを走らせている少女。

 

「さ、寒い。もういい加減、限界です」

「もうちょっと待ってよ、あずにゃん。もう少しで浮かびそうなんだよ。天下無敵のフレーズが」

 

 少女は「うむぅ」とペンを口に唸る。こと暢気な面構えをしているこの少女は平沢唯という。この少女が通っている高校では中々名の知れた人物であった。

 その隣で寒気により徐々に生命を脅かされつつある少女の名前は中野梓といった。こちらも中々名の知れた人物である。

 また少し経つとカッツンと小気味よい音が鳴り時計が七時を差した。幾ら明日が土曜とは言え人気のない公園で消極的な自殺紛いな事をしていたくはないと言うのが梓の本心なのだが、何せ隣にいる先達の意識はブレーキが完全にスッとんでいる不良品にも関わらず、えいやと全速力で突っ走ろうとする阿呆である。梓がついていなければ何をしでかすかわからない。

 

「この間、ケーキを食べに言った時の事を覚えていますか」

「覚えてるよ」

 

 唯は顔を上げて「何で?」と首を傾げた。この間の事とは、一定料金を払えば一時間ケーキ食べ放題という女の子にとっては垂涎のビッグイベントに乗り込んだ時の話である。大雑把に定評があるドラマーの部長ですらカロリーに気を使い、少しずつフォークを動かしていたのに、目の前の無邪気そうな顔の主はケーキに何の怨みがあるのかと疑問に思うくらいガツガツと喰らいついていた。何皿か、大皿を丸ごと潰してパティシエのお兄さんが唖然として突っ立っていたのを覚えている。

 梓は「他の人もケーキを楽しみにしていたのに」とか「ちょっとは周りを考えて」とか「澪先輩が悔しさのあまり泣いていましたよ」とか「何で私の口にちょっとだけ付いていた生クリームを舐め取ってくれなかったんですか」とか上げればキリがないほど言いたいことがあったのだが、何を言っても多分聞いちゃくれないと思いだして溜息ながらに「何でもないです」と突っ返した。

 

「いつまでここにいる気ですか? 遭難したらどうするんですか」

 

 駅前の公園で遭難するなんて珍事件は話題になるだろうな、何て事を考えながら梓はマフラーを直した。

 唯はメモ帳に再び目を落とし、シャーペンを走らせ始めた。真剣な瞳に宿る光。暗い公園のベンチの上、街灯の光を頼っての作業。

 まぁ、ロマンを感じないわけでもない。

 

「よし、ここは『テメェらの♪ 腐った穴をぶち抜いてやる! フゥゥゥゥファックユー!』でバッチグーだ」

「先輩、あの先生の影響を受けないでください」

 

 元々ブレーキがない分方向転換が難しいと言うのに、何処ぞの教師が間違った方向に唯を引っ張りたがるから敵わない。梓の心配の種の一つである。

 

「むぅ、いいと思ったのに」

「今日は諦めて帰りましょう。約束は月曜までなんですから」

 

 元を言えば、唯が「私も歌詞書きたい」何て言わなければ済んだ話なのだが。

 

「じゃあ『テメェら馬鹿は俺らの歌聞いて帰ってクソして寝てやがれ♪ オッセイィ!』」

「何処に行こうとしているのですか」

 

 こんな歌詞、敬愛する澪先輩が卒倒しかねん。

 唯は「だめかぁ」と無念そうに呟いてメモ帳を閉じた。丁度雪がちらつき出した頃だった。

 

「さ、帰りますか」

「こういう場所でなら何かをキャッチできると思ったんだけど」

「安直過ぎますよ。今のご時世そんな奇特なことを考える人なんて唯先輩くらいです」

 

 梓が気だるそうに立ちあがった。そのころ温かな自室で澪が「ぶぁっくしゅん」と女らしさのかけらもないくしゃみをしていたのだが関係のない話である。

 唯も「よっこらせ」と立ちあがって伸び上がり、外していた手袋を嵌め込んだ。

 

「寒い中、一時間も付き合わせた挙句にまともな歌詞も書けず……本当にごめんね」

「いえ、別にいいですよ」

 

 唯の「何でそこまでしてくれるんだろう」的な視線を感じた梓だが「惚れた弱みですよ」とも「あなたと二人きりなら北極だろうがゴビ砂漠だろうがドンと来やがれです」とも言うことができず、つい「あーほんと寒い」という怨みったらしい呟きで場の空気を濁してしまう。客観的に見れば自分でも「素直になればいいのに」とか思うだろうが、発言と行動の難易度の差は段違いである。

 

「ご、ごめんね。何か御馳走するからさ、許してよあずにゃん」

 

 両手を合わせる唯に、梓は流し眼を向けた。素直でないのは梓自身承知済みの上矯正は不可能だと思いきっているが、舞い降りたチャンスを片っ端から破棄するほどの朴念仁でもない。

 

「……手」

「え?」

「右の手袋を取ってください」

 

 唯は困惑したが、大人しく手袋を取った。長い時間外気に晒されていた右手は真っ白になっていた。

 

「先輩って寒いの得意でしたっけ」

「全力で避けたいほど苦手だよ」

「だったら……あぁもう。寒いなら無理しないでちゃんと自制してください」

「大丈夫だよ。今は寒くないし」

「……頭、何処かにぶつけましたか?」

 

 寒いのが得意だとか不得意だとか、そういうレベルの話ではない。時折吹きつける強烈な寒風も合わさって、道路の向こうに見える電子標識の『ただいま二度』という文字すら疑わしい。正直マイナスと言われても驚かないほどだ。全裸なら一時間で凍死出来る。

 梓の怪訝な眼差しを受けて、唯は薄く微笑んだ。

 

「隣にあずにゃんがいるもん。だからちょっと寒くても平気だよ」

 

 唯はとんでもない事を平気で言うから困りものである。徐々に赤面していく梓に、唯は更に幸せオーラを送る。

 少しの間を置いてから、梓は大げさに溜息をついた。

 

「……唯先輩が間の抜けた人だとは知っていましたが、ここまで重症だとは知りませんでした」

「えぇッヒドい!」

 

 多少はダメージを受けてくれたのか、唯は珍しくショックと悲しさを混ぜ合わせた様な顔をした。しかし梓にしてみれば、こんなものでは報復にならない。好き放題人の心を引っ掻き回す堕天使にはもっと厳しいお仕置きが必要である。

 梓は自分の左手の手袋をポケットの中で外した。素肌に刺さる様な、痛みによく似た感覚を覚える。梓は思わず眉を顰めてから、唯の右手に左手を伸ばした。肌と肌が触れ合うが、そんな甘い感触はない。冷たさが感覚を麻痺させている。十分冷えているはずの左手だったが、唯の右手に触れた瞬間に更に体温を引き下げられる思いがした。それほどまでに唯の右手は冷たかった。

 

「……もう」

 

 そのまま唯の右手を握って、自分のポケットに押し込む。梓は「行きますよ」と言うと歩き出した。

 唯は呆けて引っ張られるまま歩き出したが、やがて「クスッ」と笑いポケットに収まっている手を梓の手に絡めた。

 

「ッ冷た! 何するんですか!」

「お仕置きだよ。あずにゃんは悪い子だから」

「はぁ?」

 

 とんでもない話である。むしろお仕置きしたいのは梓の方なのだ。梓は唯を睨んで文句の一つでも言ってやろうとすると、ふわりとした感触を顎に感じた。

 それが唯の毛糸の手袋であると認識する前に、唇にも柔らかい感触を感じた。毛糸の手袋よりも暖かくて柔らかいものだった。

 梓は、唯の顔が離れてから「あーイチゴの味がする」と少しズレた感想を抱いた。

 

「あずにゃん柔らかー」

 

 体をくねらせてそう呟く唯に、梓はワンテンポ遅れて「うおわー」と叫ぶと唯の胸に頭をぶつけた。

 

「な、何て事するんですか! 私初めてだったんですよ!?」

「それはどうかな!」

「いや何で真実は別にあるみたいな言い方をしてるんですか! 私の初めては――」

「そうあずにゃんの初めては、あずにゃんが入部して少し経った頃――居眠りをしているところをこっそり頂いてしまっていたのさ!」

「えぇ!? 何て事をしてるんですか! 余計に怒りますよ!」

 

 空いている右手で唯を叩く。叩く。まあ力なんて込もっているはずもなく、込める意味もなく。

 十回程度手首をぶつけ終わったところで、梓は弛緩して唯の胸に顔を埋めた。甘ったるい匂いがした。

 

「あずにゃんは可愛いね。おぉ、よしよし」

「頭を撫でないでください」

「お、そう言えば飴があるよ。食べる?」

「イチゴはもうお腹いっぱいです」

「じゃ、もう一回する?」

「……え、待っ」

 

 まったく、人の話を聞かないと言うのはヒドい悪癖だと梓は思う。イエス、ノーの返答前に口を塞がれれば被害者側はどうしようもないではないか。

 また顎を引き上げられ、同時に柔らかい物が唇に押し当てられる感触がした。

 二回目もやはりイチゴ味だった。

 梓から顔を放した唯は満足気に微笑んだ。梓は真っ赤な顔でパクパクと口を数度動かして――もう一度唯の胸に顔を埋めた。

 

「よしよし」

「……唯先輩がこんなにずるい人だとは知りませんでした」

「嫌いになっちゃった?」

 

 梓は恨めしそうに唯を見上げて、また視線を落とした。

 

「……それに加えて、性格悪いです」

「えへへ、ごめんね」

 

 空を踊る白の濃さが増し、髪の上にも薄っすら雪が積もりだす。

 抱き合っていた時間は一分にも満たなかったろうが、何よりも幸福な一分間だった事は間違いなかった。

 唯のくしゃみで梓は我に返ると「すみません、帰りましょう」と唯の胸から顔を放した。

 

「ねぇあずにゃん」

「何ですか」

「あんまり寒くないでしょ」

 

 能天気な笑顔を見つめてから、たまたま視界に入った電子標識に視線を移す。『ただいま零下一度です』との事だった。

 梓はいつの間にか気温が零下まで下がっていたことに驚き――ポケットの中、絡んだ唯の指に温もりを感じながら「あぁ、確かに」と静かに頷いた。

 

 
 

 
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