間章
リリの誕生日、一週間前。
今、俺はある場所に向かっていた。
そこは、前に寄った錬金術師がいる店だ。
確か、店名は〝アトリエ・アデラード〟だったかな。人通りが多い道から少し離れたこの店は、周りとは浮く、木造で作られている。
俺は目的地に着くと、すぐに店の中に入った。扉を開けるとすぐに、エプロン姿の男性が商品を並べていた。
その男性は、入ってきた俺にすぐに反応した。
「いらっしゃいませ……あれ? 君は確か、前に来てくれた男の子の方だね」
男性は俺に向かって、微笑みかけてきた。俺は、あまりこういう店が苦手だがら、すぐに本題に入る。
「今日はあんたに、頼みがあって来たんだ」
「頼み? いったいなんだい?」
「実は、作ってもらいたいものがあるんだ」
「僕にできることなら構わないよ。いったい何を作ればいいんだい?」
男性は笑みを崩さない。
「―――グだ」
俺は商品を注文するとき、少し恥ずかしくなった。
「それはプレゼントかい?」
「あぁ」
内心、そんなこと訊くな、と言いたかったが、我慢して返事を返した。
すると、目の前の男性は、楽しそうに笑いだした。
俺はそれを半目で睨みつける。
「何が面白いんだ?」
「いや、つい最近、同じようなことがあってね。つい、思い出しただけだよ」
「同じこと?」
「気にしないで、こちらの話だから」
男性はそれ以上言わす、俺はますます意味が判らなくなった。
「さて、それじゃあ、デザインは、どんなのにするんだい?」
「デザイン?」
俺は思ってもいない単語が出てきたので、首を傾げてしまった。
男性は苦笑いを浮かべる。
「さすがに、デザインがないと作れないよ」
俺は、それもそうか、と納得すると、どんなのにするか考え込んだ。
しばらく考えていると、いきなり、あるものが頭に閃いた。
「なあ、何か書くもん貸してくれねぇか?」
第四章 最低の海
青い空
白い砂浜
そして、青い海
俺は今、西地区の端に位置する海に来ていた。もちろん、遊びで来たわけではない。
訳は昨日まで戻る。
期限はすぐそこまで来ていた。
リリの誕生日、三日前。
俺は今までの給料をもらう為に、局長室に向かった。ドアの前まで来たとき、いきなり中から怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら声の主は、マリアさんのようだ。ドアを開けると思ったとおり、マリアさんがテレビ電話の相手に怒鳴っていた。
「―――だから、何でうちがあなたの所の尻拭いをしなくちゃならないのよ! あなたのところで何とかしなさい!」
『それができたら頼まねぇよ。うちだって人選、不足してんだ。そっちから廻せ!』
俺は壁に掛かっているモニターを見た。電話の相手は、確か、西地区の局長だったかな。
俺は黙ってやり取りを聞くことにした。
『大体、良い奴はほとんど本局に取られて、こっちはもう、使える奴がいねぇんだよ!』
「それはこっちだって同じよ! それなら、あなたが行きなさいよ!」
『俺だって他の仕事があるんだ! 椅子に座って茶すすってんじゃねぇんだよ!』
二人のやり取りは、どんどんヒートアップしていく。マリアさんの横のルナ姉は、苦笑いを浮かべている。
まあ、仕方ないだろうな
『じゃあ、そういうことだから頼むな!』
「ちょっ! 待ちなさい!」
すると、西地区の局長は一方的に通信を切った。それを、マリアさんは身を乗り出して叫ぶが、相手の声はもう帰ってくることはなかった。
通信が終わると、マリアさんは、椅子にも垂れかかった。そして、俺に気づき、視線を向けた。
「あら? リョウ。来てたの?」
「ずいぶん熱く話してたなぁ。外まで響いてた、ぜ」
「でしょね。まったく……」
さっきのことがまだ悔しいのか、マリアさんは溜息をついた。だが、俺には関係ないので、すぐに、本題に入ることにした。しかし、マリアさんのほうが早く口を開いた。
「っで、今日はどうしたの? もう、仕事はいいわよ」
「給料もらいに来たんだ。あんた『明日取りに来い』って言ってたろ?」
俺は呆れながら突っ込んだ。
「そうだったわね……そうだ! リョウ、あなたに行ってほしいところがあるのよ」
すると、マリアさんは急に表情が明るくなった。
「嫌だ。約束が違うぜ。仕事は昨日で終わりのはずだ」
俺はマリアさんを半目で睨みつける。
だが、マリアさんはそんなことお構いなしのようだ。
「いいじゃない。もう一回ぐらい」
「だめだ」
「じゃあ、しょうがないわね」
マリアさんは不敵な笑いを浮かべて、引き出しを開けだした。すると、分厚い封筒が出てきた。そして、それをデスクの上に置いた。
「ここにあなたの給料があるわ」
「……見れば判る」
嫌な予感がする。
「でも、あなた提げているその刀の代金を引いたら、この封筒を貰わないといけないわ」
「なぁ!」
俺はその言葉に驚き、声をあがった。マリアさんの顔には、妖艶な笑みが浮かぶ。
「あなたから預かった代金じゃあ、足りなかったのよね。そうよね、ルナ」
マリアさんは、不意に、横にいるルナ姉に話を振った。ルナ姉は、いきなりのことに驚いていた表情を浮かべた。
「は、はい」
だが、ルナ姉からは、正直な答えが返ってきた。
その瞬間、俺の額には汗が浮ぶ。すると、マリアさんは、机の上で両手を組んだ。
「で、どうする?」
そして、最後の詰めを言い放つ。
俺はもう、従うしかなかった。
ということで今、俺は砂浜に立てたパラソルの下で、海を眺めていた。
俺たちが来ている西地区は、ミズガルズの観光地となっている地区だ。だから、この時期は、いろんな世界の人達が訪れているから、何所もとても込んでいる。宿を取るのも一苦労なのだが、今回、俺たちは、マリアさんの知り合いが営んでいる宿屋に頼み込んで部屋を空けてもらった。
宿屋は、立地が高い位置にあり、景色が良く、そこから少し離れたところに海があるという、とてもいい条件の場所に立っている。
ちなみに、俺がさっきから《たち》を使っている理由は、
「リョウく~ん! こっちおいでよ! 水が気持ちいいよ!」
海で遊んでいる一人が、俺に向かって手を振ってきた。
声の主は、もちろんリリだ。他にも、リニア、サブ、ジーク。そして、保護者のルナ姉が一緒に来ている。
「気にせず遊べ。俺はいいから」
俺はダルそうに手を上げて応えると、シートに寝転がった。
ちなみに、なぜアイツ等が居るのかというと、ルナ姉が呼んだからからだ。
マリアさんは、今回の任務のパートナーに、ルナ姉を俺に付けた。
その理由は、
『少しは休みなさい。あなた、最近働きっぱなしよ』
とのことで、無理やり有給を取らせたのだ。
っで、なんならみんなで行こう、とのことになり、ルナ姉がみんなを集めてしまった。もちろん、俺は意見を言う暇なく、トントン拍子で決まってしまったのだ。
「みんなと遊びに行かないんですか?」
俺はパラソルを眺めていると、いきなり、ルナ姉が覗き込んできた。そして、置いてあったパーカーを羽織ると、俺の横で腰を下ろした。
「俺はパス。疲れるから」
「なにお年寄りみたいなことを、言っているんですか」
ルナ姉の顔を見ていないが、声色で呆れているのが判った。
今、この一帯はシーズンなのに、プライベートビーチのように無人状態だった。
それは、今回の任務が関係している。
今回の俺の任務は、この海に現れる《クラーケン》を倒すことだ。海の魔物と云われているクラーケンに、観光者が襲われたことから、今回の事件が起きた。報告では、クラーケンは夜にしか出ないのだが、観光者が気味悪がり、昼間も無人状態である。そこで魔連西支部が動き退治に動いたのだが、局員が返り討ちに遭ったらしく、任務が南支部に回ってきたのだった。
というより、俺が巻き込まれることになった。
「大体、何でこのくそ暑い日に、海なんかに来ないといけないんだ」
「暑いのなら海に入ればいいじゃないですか? 水が冷たくて気持ちいいですよ」
「いや、いい」
俺が洩らした愚痴に、ルナ姉は律儀に答えてきた。だが、俺はその答えを丁重に断らせてもらう。
「もしかして……」
「ん?」
「リョウさん、水が苦手ですか?」
「っ!」
いきなりのルナ姉の言葉に、俺は動揺を隠すことができなかった。体中から汗が浮かびあがる。
「……泳げない?」
「っ! いや、ソンナコトナイ」
「……目が泳いでいますよ」
もう誤魔化すことができず、俺はルナ姉から視線を逸らした。後頭部に視線を感じる。
沈黙
「そうだよ! 泳ぎ方が判らないんだよ!」
しばらくの間、そうしていたが、俺は視線に耐え切れず、なかば半切れ、もう半分は恥ずかしさが混じって怒鳴りつけた。
だが、ルナ姉は驚くことなく、笑みを浮かべている。俺は予想と違う表情に、逆に驚いてしまった。
「……笑わないのか?」
「なぜですか? いいじゃないですか。逆に、リョウさんのことが一つ知ることができて良かったです」
ルナ姉は微笑みかけてくると、いきなり立ち上がった。そして、俺の方へ手を差しだした。
「少し歩きましょう」
俺は意味が判らず、一瞬その手を見つめてしまった。だが、俺は断る気が起きず、その手
をとった。
俺とルナ姉はみんなから少し離れ、浜辺を二人で歩く。
俺はルナ姉に付いて少し歩くと、岩が無造作に積み上げられている場所に付いた。高さはあまりないが、ルナ姉が隠れるぐらいの高さはあった。すると、ルナ姉は急に立ち止まり、羽織っていたパーカーを脱いだ。そして、そのまま海の方へ入っていった。俺はその姿をぼ~っと見ていると、
「そんなところにいないで早く来てください」
「……なぜ?」
「もちろん、泳ぎの練習です」
ジト目で見ていた俺に、ルナ姉は微笑みかけてきた。
「リョウさんならすぐに泳げるようになりますよ」
ルナ姉は、なにを根拠に言ってるのか、自信満々だ。
俺はそんなルナ姉を訝しげに見る。
「大丈夫ですよ。ここならみんなには見えませんですから」
どうやら、俺のためにここに連れてきたようだ。
そうだ、この人は何時も人のために動く。それが自分を犠牲にすることでも……。
そんな気持ちをむげにするのも気が引けたので、俺は素直に従うことにした。
俺は着ていたパーカーを脱ぐ。そのとき、背中に視線を感じた。
「どうかしたか?」
「え? い、いえなにも」
後ろを振り返ると、ルナ姉が一瞬、悲しい表情を浮かべていたが、すぐにいつもの表情に戻った。
あぁ、またか。俺の封印の刺青を見たのか。
俺は気付かない振りをして、ルナ姉の待つ海に向かった。
温泉がとてもしみる。
「っ~~~! しみる~~」
「日焼け止め塗ったんだけどなぁ。やっぱり、少しは焼けちまったなぁ」
昼間、炎天下の中、少しはしゃぎすぎたせいか、お湯がとても沁みる。
夕ご飯を食べ終えたわたしたちは、今、旅館の露天風呂に入っていた。露天風呂はこの旅館の売りにするだけのことはあり、さっきまでの遊んでいた海と、空に輝く一面の星がマッチして、すばらしい眺めだ。一緒に来ている二人も、同じことを考えているのか、お姉ちゃんもリニアも、静かにその景色を眺めている。
「……そういえば、お姉ちゃんたち、急にいなくなったけど、なにしてたの?」
わたしは夕方、帰り支度をしようと荷物の置いてある場所に戻ると、リョウ君とお姉ちゃんの姿がなかった。しばらくして二人一緒に帰ってきたのだが、少し気になっていた。
すると、お姉ちゃんはすぐには答えず、考える仕草をすると、
「内緒」
と微笑みかけた。わたしはその答えの意味が判らず困っていると、横にいたリニアが、不敵な笑みを浮かべた。
「リリ。そういうこと訊くのは野暮だぜぇ」
「どうして?」
「オメエ。ルナさんがどっから出てきたか、思い出してみろよぉ」
「? たしか、岩場の方から―――」
「そんな所に居たってことは、人に見られたくねぇことをしてたってことだろ」
「見られたくないこと、て?」
「男と女が物陰に隠れてやることっていったらあれしかねぇだろ?」
すると、リニアは口の端がつり上がった。
岩場……物陰……男女……っ!
わたしはリニアの言っている意味に気付くと、顔が沸騰するほど熱くなった。そして、視線をリニアからお姉ちゃんにズラした。
それに気付いたお姉ちゃんは、わたしに微笑みかけてきた。
「リョウさん、一生懸命頑張りました、よ」
「いったい、何を頑張ったの!」
「だから野暮だって」
リニアは声を出して笑い出した。
わたしは二人のせいで、のぼせてきたので、お湯から立ち上がった。
だけど、あることを思い出して、すぐにお湯に浸かり直した。
「どうかしたか?」
リニアは怪訝な顔をした。
「だって、前みたいなことがあったら……」
わたしは周りを見渡した。誰もいないような気もするが……
「まえ……あぁ、大丈夫だ。今回はいねぇよ」
「何で判るの?」
「部屋に行けば判る」
リニアは言い残すと、お湯から出て、脱衣所に歩いていった。
温泉から出た後、わたしはリョウ君に会いに部屋を訪れた。
部屋の戸を開けると、すぐにジーク君が、読書をしているのが目に入った。だけど、リョウ君の姿がなかった。わたしはジーク君に声を掛けようとした一歩踏み出したとき、足元に人が居ることに気付き、驚いた。
「サブ君、どうしたの?」
サブ君が簀巻きにされて、床に転がされていた。すると、ジーク君は本からわたしの方へ視線を向けた。
「リニアさんが、温泉に入る前にいきなりここに来て、やったんだよ」
ジーク君は苦笑いを浮かべた。それを聞いて、リニアがさっき言っていた意味が判った。
わたしはそんなことを思い出しつつ苦笑いを浮ぶと、ジーク君にリョウ君の事を訊いた。すると、どうやらギターを持って海に出かけたそうだ。それを聞いたわたしは、一旦、自分の部屋に戻り、風呂敷を持つと、リョウ君の居る浜辺に向かった。
浜辺に着き、少し周りを見渡すと、すぐに見つかった。
リョウ君は岩場の上で、ギターを弾いていた。わたしは近くまで寄ったが、すぐに声をかけず、ギターの音に耳を傾けることにした。メロディーは途切れ途切れだったけど、とても一生懸命さが判る、演奏だった。
「……ずっとそこに居られると、気になるんだけど」
リョウ君は急に演奏をやめると、バツの悪そうな表情を浮かべてこちらに振り返ってきた。
「あっ……ご、ごめん。邪魔しちゃった?」
「別にいい。そろそろ戻るつもりだったから」
リョウ君は、わたしの問いを答えると傍らに置いていた刀を拾い上げて、帰り支度を始めてしまった。
「待って! 少し話を―――」
私は急いで制止をかけた。すると、リョウ君は訝しげな表情を浮かべた。
「別に旅館に帰ってでいいだろ? それとも急ぎの用なのか?」
なぜ、空気を詠んでくれない。わたしは、二人きりのときになりたいから言っているのに。
「えーと。その……」
だけど、わたしはいい案が浮かばず、ついには黙ってしまった。
沈黙。
俺はいきなり訪れた沈黙が、いやに重く感じた。
だが、耐え切れなくなり、持っていたギターを岩の上に置いた。
岩の下に居たリリに、手を差し出した。
「とりあえず上るか?」
「え?」
リリは、驚いた表情を浮かべたが、遠慮がちに、俺の手を掴んだ。
俺はそのままリリを引き上げた。
岩の上に上がったリリは、海の方を眺めると、さっきまでの暗い顔が明るい表情に変わった。俺はそれを見て、一安心と胸の中でほっとする。そして、俺も同じように海を眺めることにした。
また沈黙したが、さっきとは違って心地いい沈黙が流れた。
しばらくそうしていると、リリがぽつりと口を開いた。
「……こうして二人きりになるのも久しぶりだね」
「そういやー、バイトやバンドの練習やらで、忙しかったからなー。こうして会うのも久しぶりになる、か」
「そういえば、急になんでバイト始めたの?」
その瞬間、俺の体が固まってしまった。背中に嫌な汗が、浮かびあがるのが判る。そして、頭の中で必死に言い訳を考え出した。
「そりゃあ……そう、あれだ。刀の借金で―――」
「この前、貯金でなんとかなった、って言ってなかった?」
何でそんなどうでもいいことまで覚えてんだ、とは言えず、俺は黙り込んだ。
すると、リリは明らかに腑に落ちない顔で俺を見てくる。このままだとボロが出そうなので、話を無理やり変えることにした。
「で、話ってなんだ?」
「え? あー、はなし、話ね」
すると、リリは急に口ごもり始め、困った表情を浮かべて、もじもじしだした。少し頬も赤くなっている。俺はそれを見て、あることに気付いた。
「……トイレか?」
「ちがうよ!」
……一瞬された。
すると、リリは深呼吸をして、持っていた風呂敷を俺の前に突き出してきた。
「これ!」
俺はいきなりのリリの行動に、訳が判らず固まってしまった。数秒たって、これが受け取れという意味だと気付き、手に持っていた刀を岩の上に置き、両手で風呂敷を受け取った。風呂敷を開いてみると、そこから黒い布が表れた。
その布を海を背に開くと、月明かりに照らした。
ジャケット? いや、それよりは丈が長い、多分コートか?
「リリ、これは?」
リリの方へ視線を向けると、リリは下を向いて、そわそわしていた。
「その……この前、助けてくれたお礼と……遅くなったけど、誕生日……プレゼント」
「誕生日?」
そういえば、七月の終わりだったなぁ。
よく覚えていたなぁ、と感心していると、急にリリが慌てだした。
「えっと、材料費が結構掛かって、お金が足りなくて、リニアに相談したらバイト教えてくれて、あと、色々調べて錬金術とか使うから製作時間が掛かって、それで―――」
なんだが要領得ないが、どうやらあのバイトは、リニアの紹介でやっていたかぁ。それと、あの錬金術師が言っていた意味がここで判った。
でも、何でこいつ、こんなにテンパってんだ?
とりあえず、
「リリ、着ていいか?」
「え? う、うん」
リリの返事を聞くと、俺はコートに袖を通した。丈が思ったより長く、膝の位置まである。
「どう……リリ、どうした?」
意見を訊こうとしたら、なぜか、リリは驚いた表情を浮かべて、海の方を向いていた。
俺は訳が判らず、リリの視線を追った。
……イカ?
海の上では、デカイイカが俺たちを睨みつけていた。気付くのが遅れ、もう足がこちらに迫ってきていた。俺はとっさにリリを浜の方へ突き飛ばした。その瞬間、イカの足は俺に巻きつき、凄い力で海に引きずりこまれた。
夜の海は光が届かず暗闇だった。
俺は唯一自由に動く右腕で足を引き剥がそうとした。だが、万力のように巻きついた足はビクともせず、まったく剥がれない。そして、水の抵抗のせいもあり爪で切り刻むことも水の中なので火も使えない。
刀もない。
やばい!
わたしは岩に這い上がり海を覗き込んだ。
昼間は澄んだ海も夜の闇で何も見えない。ダイオウイカも海の中に逃げてしまい、手が出ない。
このままだとリョウ君が……
嫌だ! そんなの
わたしは諦めかけた心を必死に繋ぎ止めた。
わたしはすぐに立ち上がり、海に飛び込もうと、
『待ちなさい』
すると、いきなり誰かに呼び止められた。
「だ、だれ?」
『足元』
「え? …ギター?」
『あなた、こんなときにボケなくてもいいわよ』
……刀?
わたしは、足元にあった刀をゆっくり拾い上げた。刀は思った以上に軽く持ち上がった。
そして、わたしはマジマジと見つめた。
『人じゃないけど、あまりじろじろ見るのは、失礼よ』
「え、は、はい。すみません」
すると、鍔についている赤い石が光、話しかけてきた。
『私の名前は〝ニア〟。この刀のAIよ』
「AI? そんな―――」
ありえない、普通のAIはもっと機械的にしか告げないのに、こんなに意思を持って話せるわけない。わたしは誰かがこれを使って通信しているのかと思うと、
『ありえない? そうね、わたしは特殊なの。今は時間がないからこれだけしか言えないわ。いいわね?』
「は、はい」
『ありがとう。早速だけど、貴女、あのコートに《契約のルーン》は刻んでいるの?』
「はい。でも、何でそれを?」
〝契約のルーン〟わたしの家系に伝われている秘術である。家紋とも云われるこのルーンを刻むことで、特殊な能力を持つ魔道具を作ることができる。
「でも、まだ起動が……」
『そうでしょう、ね。もし起動していたら、今頃リョウは脱出しているわ』
表情は判らないけど声色が明らかに呆れているのが判る。
弁明の余地がない。
『大丈夫よ。今ならまだ間に合うわ』
「は、はい」
わたしは焦る気持ちを深呼吸で落ち着かせ、集中力を高めた。そして、足元に魔法陣を展開させる。
『……ありがとう』
「はい?」
『契約のルーンを使うほど大切に想ってくれているなんて、あの子も幸せね』
「あ、あの、その……」
『これからもあの子のこと、お願い』
「は、はい!」
とても優しい声色で告げるのを、わたしは慌てて答えた。耳が熱くなるのを感じるけど、今は呪文を詠唱することに集中。
ヤバい、息が……
俺の意識が、切れかかった電球のように点滅しだした。
……もう駄目か?
そう想った次の瞬間、頬に懐かしいものを触れた。
……かぜ?
すると、水を吸って重かったコートが淡い光を放ちだした。そして、急に軽くなった。
その瞬間、俺の意識を誰かに、闇から釣り挙げられる感覚がした。俺は残っている力を振り絞り、腕を振り上げ、巻きついている足に向かって、おもいっきり振り下ろした。すると、さっきまであった水の抵抗がほとんど掛からず、巻きついていた足を切り裂くことができた。
俺は自由になると急いで外に出た。
海から顔を出すと、空気が一気に肺に入ってきた。いきなりのことに咽たが、なんとか岩にしがみつくと、息を整えた。
ルナ姉に泳ぎの基本教わっといてよかったぁ
「リョウ君!」
上を見上げるとそこには、心配そうな表情を浮かべたリリが覗いていた。俺は空いている重い左手を上げて答えた。
「よう。大丈夫か?」
「大丈夫かじゃないよ! 心配したんだよ!」
顔を見れば判る、とは口には出さず呼吸を整えることに集中した。
すると、俺を追ってきたのか、イカの化け物が海から顔を出した。
俺はすぐさまリリに向かって、
「リリ! 刀をよこせ!」
と叫んだ。
リリは、俺の呼びかけに応えると、刀を俺に向かって落とした。俺はそれを掴む。
「ニア。一気にいくぞ!」
『了解』
刀から力のこもった返事を聞くなり、海に潜った。
ある程度の深さまで潜ると、俺は刀を水平にねかせ、体に隠れる位置まで引いた。そして、刃に魔力を溜め始める。
刃は銀色の光を放ち、その光は少しずつ大きくなっていく。だが、敵は待ってはくれず、俺に向かって、足が勢い良く迫ってきた。
しかし、足はすぐに引っ込んだ。
少し上から、大きな爆音が聴こえてきたからだ。どうやらリリが魔法で牽制してくれているらしい。その攻撃が凄いのか、化け物はたまらず足を引っ込めたのだ。
(ナイス!)
俺は胸の中で褒めると、足元に魔法陣を展開させた。
そして、刀に魔力を溜めるのに集中する。
銀色の光はどんどん大きくなり、暗闇の海を明るく照らす。刃は鉄板の上で焼く肉のような音を鳴らす。
「これでも喰らえ! 化け物!」
俺は掛け声と共に、刃に溜まった魔力を一気に、イカの化け物に放った。
〝プロミネンス〟
刀から放たれた高熱のレーザー砲は、狙った獲物に命中した。すると、化け物は高熱で溶け始め、ついには海に消えてしまった。
勝利を確信したが最後、今度こそ意識が闇へと、引き込まれた。
わたしは海を覗き込んで、リョウ君が上がってくるのを待った。
だけど、リョウ君は一向に上がってくる気配がない。
わたしは、危険だと判断し、すぐに海に飛びこんだ。
海の中は思ったよりも暗く、下が底なしのように感じられる。わたしは周りを見渡して必死にリョウ君を探した。すると、暗闇の中で赤い小さな光を見つけた。
すぐにその光に近づく。そこには、リョウ君が沈んでいく中だった。
意識がない。
わたしは急いで近くまで行き、リョウ君の体をしっかりと抱えた。抱えた体からは力が感じられない。わたしは急いで外を目指した。
海から顔を出すと、深呼吸をして空気を吸い込んだ。そして、リョウ君を抱えて、飛行魔法〝飛行(フライ)〟で岸まで移動した。岸に着地するとリョウ君の重みで倒れこんでしまった。
だけど、そんなこと今関係ない。すぐにリョウ君の体を覗き込む。
外傷はない、けど、息してない。
どうしよう、こういうときは……
『落ち着きなさい! 水を飲んでる、わ。すぐに人工呼吸が必要よ』
焦りで頭が混乱し、パニックを起こしそうになったわたしに、リョウ君が握っていた刀、ニアさんが力強く発した。
「ニアさん、お願いします!」
すると、ニアさんは一瞬黙り込むと、貴女ねぇ、と明らかに呆れた声が返ってきた。
『何言ってるの? 私が出来るわけないでしょ。私はただのAIよ。あなたがするのよ
リリ』
「え! わ、わたしですか?」
『当たり前でしょ。他に誰が居るのよ』
「で、でも……」
『困っている場合? 命が掛かってるのよ! 急ぎなさい!』
エピローグ
気付くと白い天井があった。
体を起こすと、まだ覚醒しない頭で周りを見渡すと、どうやら何時もの病室に運ばれたのだとすぐに気付くことが出来た。すると、いきなり扉が開いた。
「あ、気付きましたか? リョウさん」そこから現れたのは、花瓶を持ったルナ姉だった。
「あれからどうなったんだ?」
ルナ姉は持っていた花瓶を棚の上に置き、ベッドの横の椅子に座った。それから、ルナ姉は、俺が寝ている間の経過を話してくれた。
すべて話し終えると、心配そうな表情を浮かべた。
「体の調子はどうですか?」
腕や足を少し動かして確認する。うん、違和感がなく動いた。
「平気みたいだ」
すると、ルナ姉は安心した表情を浮かべたが、すぐにその顔に曇りが表れた。
「すみませんでした。私が居たのにこんなことになるなんて、本当にすみませんでした」
「別にルナ姉のせいじゃねぇよ。自分(てめえ)の不注意でなった結果だ。だから、謝られる覚えなんかないぜ」
「ですが―――」
どこまでこの人はお人よしなんだ、と口には出さなかったが呆れた。
「それより、ルナ姉。ありがと、な」
「え?」
意味が判ってないのか、ルナ姉は困惑した表情を浮かべた。
「泳ぎを教えてくれて。もし、あのとき知らなかったら、今頃、海の底だったよ」
と補足すると、なんだか恥ずかしくなってきたので顔をそらした。
「ありがとう御座います」
ルナ姉は優しい声色で告げると立ち上がった。
「私はもう行きますが、その前にこれを……」
すると、ルナ姉の差し出した右手が淡い光を放つと、そこから免許書ぐらいの大きさのカードが表れた。
「これは?」
「IDカードです。私はまだ気が進みませんが」
ルナ姉は苦笑いを浮かべた。俺はそれを受け取る。
「この前の会議でマリアさんが無理に意見を通したんです。まったく、あの人は、時々理解の苦しい行動を取るので困ります」と珍しく、ほんとに困った顔で愚痴をこぼした。
そんな姿に、俺は苦笑いで応えるとカードに目を通した。
書かれている内容は、氏名と局員番号、階級……
「三等士」
「といいましても、まだ学生なので、局からそんなに呼ばれることはないと思います。確か、リョウさんの学年ですと……リョウさんが三人目だと思います」
「へぇ~」
他の二人って誰だ、と訊こうと思ったが、まあ、おいおい判るだろう、と思いやめた。
「それでは、今回の事件の報告がありますので、局に行ってきますね」
「マリアさんによろしく」
俺は片手を上げて送り出した。ルナ姉は微笑み浮かべて応えると、ドアの方を向いた。だが、すぐにこちらに向き直した。
「忘れていました。先ほど見知らぬ男性の方に、これをリョウさんに渡すよう頼まれたのですが」
○
ルナ姉が帰ったあと、数分も経たず間にリリが来た。両手には刀が抱えられている。俺は手を上げて「よっ」と挨拶する。
「リ、リョウ君? もう起きて大丈夫なの?」
だが、リリは俺を見るなり驚いた表情を浮かべる。そして、すぐに顔を反らすと、そのまま立ち止まる。
どうしたんだ、コイツ?
「とりあえず座れよ。そんな所に居ても気になるし」
「う、うん」なぜか歯切れの悪い返事が返ってくる。すると、リリは軽く深呼吸をしてからベッドの方へ近づいてきた。もって来た刀をベッドの傍らに立て掛けると、椅子に座った。その行動の中一度も俺の顔を見ようとせず、下を向いている。
沈黙
「なあ、どうしたんだ。コイツ?」
この沈黙に耐え切れず、立て掛けられている刀、もといニアに訊いてみた。
『まあ、微妙な乙女心よ』
ますます判らん。
疲れた溜息が漏れたが、とりあえず、リリの問題は置いとくことにした。
「とりあえずありがと、な。ルナ姉に聞いたけど、応急処置してくれたんだって?」
「う……うん」
消えそうな声で答えてくれたけど、なぜか、ますます小さくなったような気がした。傍らのニアからは、ばか、となぜか突っ込まれた。なぜか判らないけど、この話はしない方が
いいと思うと、早々に本題に入ることにした。俺は隠していた小さな箱をリリの前に突き出した。
「リリ。誕生日おめでとう」
「……へ?」
リリは顔を上げると、驚いた表情を浮かべた。
「今日だろ? この前のテストのときにお礼も兼ねて……まあ、とりあえず受け取ってくれ」
ヤバい、改めて言うと恥ずかしくなってきた。早いとこを終わらせようと、箱を持った手で急かした。リリはそれを受け取ると、まじまじと見ている。そのときの表情も名に感じられないもの見るような顔をしている。もっと喜ぶかと思ったけど、俺、何かミスったか?
「とりあえず開けてみろよ」
「え? う、うん」
リリは丁寧にラッピングを取り始めた。こういうこと初めてだから、なんか変な緊張感があるなあ、と感じながら俺は静かに眺めた。
ラッピングから取ると、そこからはケースが表れた。リリはゆっくりとケースを開ける。
すると、そこには、イヤリングが二本入っていた。その瞬間、リリの表情が花が咲いたかのように、パッと明るくなった。
「すごーい! リョウ君、これどうしたの?」
「……作ったんだよ。お前、あの錬金術師の店でイヤリングコーナーを見てた、ろ? それで……」
「ありがと」
リリはさっきまでと一変して、満面の笑みを浮かべた。
わたしはケースからイヤリングを一本取り出した。
そして、目の高さまで上げて眺めた。一本の細い鎖の端に三日月があるデザインであった。
しかし、
「でも、これってお店になかったような……」
「……オリジナルだ。俺のセンスだから勘弁してくれ」
「え? これって、リョウ君がデザインしたの!」
驚いた、着る服も、なんでもいい、とか、どれ着ても同じだ、というリョウ君にこんなセンスが有ったなんて……。
俺は早くここから逃げたくなってきた。
リリはイヤリングを掲げて(わざと俺に見えるようしてるのか?)まじまじと眺めている。この沈黙がとても居心地が悪い。
「そういえば、誕生日、覚えてくれてたんだ。もう忘れてると思ってたのに」
「あ、ああ。覚えてたぞ」
顔を合わせられない、まさか、マリアさんに教えてもらうまで覚えてなかったなんて……。背中に冷たいものを感じる。
リリはまだ飽きずに眺めている。恥ずかしいから早くしまってほしいが、まあ、いいか喜んでるし……。
窓の外はとても晴れ上がった、いい天気だった。この夏休み、いろいろ忙しかったが、まあ、悪くなかったかな。
「そういえば……」
そんな想いに耽けていると、リリが急に話しかけてきた。
「夏休みの宿題、終わった?」
「……」
まだ、夏は終わってくれないようだった……。
To be continued
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これが四巻最後です。
書き方を変えて、これが結構しっくりきてます。
次は、いつ更新するか判りませんが、また読んでください。
では、次のときまで。