翌日の土曜日。
琴葉は、とある家にやってきていた。
玄関先に一人の女の子……夏純が立っている。
琴葉は夏純に聞きたい事があった。
「テケテケに襲われた時、何か持ってなかったかって?」
「うん、教えてほしいの」
「ええっと……あの日は学校帰りに寄り道をしようと思って、本屋さんで本を見て、それからお腹も微妙に空いたなあって思って、コンビニに寄って」
夏純は、「あっ」と声を上げた。
「そう言えば、私あの時、『アイス』を食べてたよ」
夏純は時々、学校帰りに買い食いをする。
ついついお菓子を食べたくなるらしい。
「お母さんに、そんな事しちゃだめって言われてるんだけどね。もしかして、買い食いした事、先生に言う?」
先生にバレると怒られてしまう。
夏純は不安そうに琴葉を見た。
琴葉は何故か目をキラキラと輝かせていた。
「やっぱりそうだったんだ」
「琴葉ちゃん?」
「あ、ええっと、予想がばっちり当たってて」
「予想?」
夏純は、琴葉が何を言っているのかさっぱり分からず首を傾げた。
「とにかく夏純ちゃん、安心して。これでテケテケの件は解決するかも!」
「ええ? どういう事??」
「任せて」
「買い食いも先生には言わないから安心してね!」
琴葉とユズは、混乱する夏純を放って、そのまま走って行った。
交差点の近くの公園。
夏純と別れた琴葉とユズは、そこへやってきた。
「もう来てるかな?」
「探す」
琴葉とユズは園内を見渡す。
滑り台の近くに光一郎の姿があった。
「……聞き込み、終わった」
琴葉とユズは、光一郎の傍に駆け寄り、話しかける。
彼女は甘いものが大好きで、スーパーの前でクレープの移動販売の車を見かけたらしい。
そのクレープを買って、食べながら歩いている時、テケテケと遭遇したのだ。
「だけど、どうして彼らが甘いものを持っていたって分かったんだい?」
光一郎にはその理由が全く分からなかった。
すると、琴葉がニッコリと笑った。
「テケテケに襲われそうになったあのおじいさんが、ヒントをくれたの」
昨日、琴葉はおじさんと話をしていて、ある事が気になった。
それは、テケテケが、おじいさんの持っていた物を無理矢理奪おうとしてきた事だ。
「おじさんが持っていたのはね、『ケーキ』だったの」
「……ケーキは、確かに甘い」
おじいさんは、犬の散歩の途中で、ケーキ屋でケーキを買った。
おばあさんが大好きで、買って帰ろうと思ったのだ。
だが、買った直後、テケテケが現れ、驚いた拍子にケーキの入った箱を落としてしまったのだという。
「何故テケテケがケーキを奪おうとしたのか不思議に思ったの。そんな時、夏純ちゃんの事を思い出して」
夏純がテケテケに襲われそうになった直後、琴葉は彼女に会っていた。
夏純は真っ青な顔をしながら、アイスを持っていたのだ。
「それで、もしかして他の人も甘いものを持ってたのかもと思って」
琴葉の予想通り、中学生の男の子も女子大生も甘い食べ物を持っていた。
「つまり、テケテケは人間を食べたいんじゃなくて、甘いものを『食べたい』って言っていたんだよ」
「……多分、あいつが狙っていたのは、ホワイトチョコだったかも」
「なるほど、確かにそうかも」
光一郎は、琴葉の名推理に「う~ん」と唸った。
「……まさか、あの凶暴そうな怪が甘いものを狙っていたなんて」
とてもじゃないが信じられない。
だが、琴葉とユズは首を横に振った。
「……テケテケ、弱かった」
「えっ?」
「昨日テケテケとすれ違った時、顔を見たの。緑色の大きな顔で迫力はあったけど、目は涙ぐんでいたから」
「まさか」
「おじいさんが言ってたでしょ。タローが吠えたら逃げたって。テケテケはきっと怯えてたんだよ」
「……テケテケ、弱い。攻撃も体当たりくらい」
「怪が、怯える??」
光一郎は、その言葉に思わず困惑したように顔をしかめた。
その様子を見て琴葉は尋ねた。
「ねえ、光一郎君は、テケテケの事をどこまで知ってるの?」
「どこまでって、名前と姿形ぐらいだけど」
「それだけ?」
光一郎は何も反論できなくなってしまい、ガックリと肩を落とすと、大きな溜息を吐いた。
「……やっぱり、僕は一人前の怪帰師になんてなれないんだ」
「光一郎君……?」
「落ち込んだ」
戸惑う琴葉と淡々としたユズに、光一郎は力なく笑った。
「実は、今回が怪帰師として初めての仕事なんだ。ユズは護衛を何回かしてるけど」
「えっ」
光一郎の一族である「天草家」は代々怪帰師をしているという。
12歳になると、右手の甲に怪帰師の証である紋章が現れ、仕事ができるようになるらしい。
「この前言った通り、怪帰師は怪と交渉して、元の世界に帰すのが仕事なんだ。
そのためには、怪が帰る事に納得する『願い』や『条件』を聞き出して叶えてあげる必要がある。
だけど僕達怪帰師は肝心の怪の言葉が分からない。そこで、言葉を聞き取る事ができる『通役』が必要になるんだよ。護衛は必要ない時もあるけどね」
「……」
「つうやく??」
「怪帰師は、常に通役の力を持っている人間とコンビで仕事をするんだ」
「もしかして、私がその通役って事?」
琴葉の言葉に、光一郎は「ああ」と答えた。
「普通、通役とは小さな頃から交流して、幼馴染として仲良くなるんだ。だけど僕はある事情で、通役がいないままこの町に来た。
一人で何とかしようと思ったけど、父さんは、そんなのは絶対に無理だから帰ってこいって電話で言ってきて」
「それって」
琴葉は、昨日の昼休み、光一郎が渡り廊下で電話をしていた事を思い出した。
「あれは、お父さんとお話ししてたのね」
「父さんには、無理じゃないって言ったけど、正直どうすればいいのか分からなかった」
光一郎はそう言いながら、琴葉を見た。
「だから、君が通役の力を持っていると分かった時、ユズが守ってくれた時、これで怪帰師として一人前の仕事ができると思ったんだ。
だけど、ユズがいたのに結局、全然上手くいかなかった。
君がテケテケが甘いものが好きだと気づかなければ、僕は未だに追いかけ回していただけだったと思う」
光一郎は、また大きな溜息を吐いた。
ユズは、相変わらずの無表情である。
「……光一郎は必要以上に必死だから、わたしが守らなきゃ」
光一郎は勉強もでき、スポーツもできる。
転校初日にみんなの人気者になって、非の打ちどころがないように思える。
だが、琴葉と同じように気が弱く、不安でいっぱいだったのだ。
(私が何とかしなくちゃ……)
何故、自分に通役の力があるのかは分からない。
だが、怪の言葉が分かるのは、自分しかいない。
光一郎を放ってはおけない。
琴葉は勇気を振り絞って、一歩前に出た。
「みんなで一緒に、テケテケを元の世界に帰しましょ」
「遠野さん」
「琴葉でいいよ」
「……琴葉さん」
「……琴葉、凄くやる気ある」
光一郎は一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐに表情が曇った。
「だけど、どうやってテケテケを見つければ?」
「それはええっと」
瞬間、琴葉は夏純や襲われた人達の事を思い出して、ハッとした。
「そうだ。見つけなくても大丈夫かも」
「どういう事だい?」
「向こうから来てもらえばいいんだよ。……私に、いいアイデアがあるよ」
「……獲物をおびき寄せるのは、狩りの基本。琴葉、よくできてる」
「褒めてくれてありがとう」
ユズに褒められた琴葉は満面の笑みを見せた。
夕方、町は薄暗くなっていた。
商店街の外れにある遊歩道の茂みに、何かが隠れていた。
緑色の大きな顔に、手足がついている……テケテケだ。
テケテケは、人々に見つからないように身を縮めながら、遊歩道の向こうを眺めていた。
そこには、ケーキ屋がある。
ガラスごしに見える店内には、美味しそうなケーキが並べられていた。
テケテケはそのケーキをじっと見つめている。
不意に、テケテケは鼻をヒクヒクと動かし、遊歩道の方に顔を向けた。
「ウウウウ」
さらに鼻をヒクヒクさせる。
何かの匂いを嗅ぎ取ったようだ。
テケテケは茂みを出ると、導かれるかのように遊歩道を歩き始めた。
「ウウゥゥ、ウウウウ」
できるだけ身を縮め、人々に見つからないように、テケテケは歩き続ける。
歩きながらも、その鼻はヒクヒクと動いていた。
やがて前方に、一人の影が見えた。
テケテケはその人物を見る。
その人物は大きな皿を持っていて、そこにはパンケーキが載っていた。
ハチミツがたっぷりとかかり、クリームとイチゴが山のようにトッピングされている。
テケテケはそれを見て、目を大きく見開いた。
「ウウウウウ!!」
テケテケは大きな口を開けて、パンケーキのもとへと走り出した。
「ウウウウ! ウウウウウウウ!!」
テケテケはパンケーキを食べたい一心で走り続ける。
だが目の前まで迫った瞬間、パンケーキを持っていた人物が顔を向け、テケテケは立ち止まった。
それは、琴葉だ。
「ウウウウ!!」
テケテケは、先日追いかけてきた人物の仲間だと気づいたようで、慌てて身体を反転させると、来た道を戻ろうとした。
だが、その行方を阻むかのように、物陰から二人の人物が現れ、両手を広げた。
「落ち着くんだ!」
「逃がさない」
光一郎とユズである。
テケテケは、三人に挟まれ、逃げられなくなった。
光一郎、ユズ、琴葉はそんなテケテケを挟みながら、互いに見合い、小さく頷いた。
『とっておきスイーツおびき出し作戦』
それが、琴葉が考えたテケテケに出てきてもらうアイデアだった。
テケテケは甘いものを食べたがっている。
だから、琴葉達はこの町で一番甘くて美味しいと評判の、雨宮スイーツ店のスペシャルDXいちごパンケーキを用意した。
これを皿に載せて歩けば、甘くて美味しそうないい匂いが辺りに漂い、きっとテケテケが現れるだろうと思ったのだ。
「まさか、ほんとに成功するなんて」
「凄い……」
光一郎とユズは、琴葉のアイデアに感心しながら、テケテケの方を見る。
テケテケは逃げることができなくなり、身体を震わせて怯えていた。
「君に危害を加えるつもりはない。元の世界に帰ってほしいだけなんだ」
「ウウウウウ」
光一郎は優しく声をかけるが、テケテケは怯える。
「安心してくれ。僕は君の事を思って」
「ウウウウウ」
テケテケはますます怯える。
「どう説得すればいいんだ……」
「……戦意がない相手に痛みを与えるのは、暴力と同じ」
光一郎はテケテケを見て困り果て、ユズも戦意がない相手に暴力を振るいたくなかった。
すると、琴葉が口を開いた。
「怪を元の世界に帰すためには、怪が帰る事に納得する『願い』や『条件』を聞き出して、叶えてあげる必要があるんでしょ?
だったらテケテケにもそれをちゃんと聞いた方がいいかも」
「そう言われれば」
光一郎は、腕を組み、考え始めた。
「願いかあ。テケテケは食べタイって言ってた。それはつまり、甘いものを食べたくて、それで何度も甘いものを持ってた人を……あっ!」
光一郎はハッとして、琴葉の方を見た。
「テケテケは、甘いものを食べたら帰ってくれるかもしれない!」
それを聞き、琴葉は大きく頷いた。
「そう、それ! 私も同じ事、思ってたよ!」
「……だから持ってきたんだ」
琴葉は、持っていたパンケーキをテケテケに差し出した。
「さあ、召し上がれ。とっても甘くて美味しいパンケーキだよ!」
「ウウ! ウウウウウウウ!!」
テケテケは大きな声を上げると、琴葉が持っている皿を手に取った。
大きな口を開き、パンケーキを一気に食べる。
「ウウウウウウウ!!」
テケテケは食べながら、楽しげに大きな顔を揺らした。
それを見て、琴葉は笑顔になり、光一郎とユズも微笑んだ。
「……琴葉さん、僕にも今なら何となく分かるよ」
「えっ?」
「テケテケが何て言ってるかだよ。……『美味しい』だろ」
琴葉はその言葉に、「うん」と答えた。
「……こうやって解決する。戦い以外でも……」
三人は、嬉しそうにパンケーキを食べるテケテケを、いつまでも見守り続けた。
しばらくして、琴葉達は、人気のない近くの林の中にやってきた。
テケテケはすっかり三人に懐き、彼らの後を大人しくついてきている。
「よし、この辺りで大丈夫だ」
光一郎は、林の中の少し開けた場所で立ち止まると、琴葉とユズの方を見た。
「始めるよ」
光一郎はそう言うと、右手を強く握り締めた。
「鑰!」
次の瞬間、光一郎の右手の甲が光り輝く。
そして、鍵のような紋章が現れた。
光一郎は、そのまま開けた空間を見つめ、右手を突き出した。
「人は人の世に、怪は怪の世に。安住の地へ、今帰らん!」
―ゴオオオ……
瞬間、大きな音が響き、地面から光の扉が現れた。
「凄い!」
琴葉は思わず見入る。
光一郎は光の扉に近づくと、鍵の紋章が浮かび上がった右手で光の扉のノブを掴んだ。
「開!」
ドアがゆっくりと開き、その向こうに眩い光が広がった。
「さあ、自分の世界に帰るんだ」
光一郎はテケテケにそう言う。
「ウウゥゥ!」
「さよなら」
テケテケは、声を上げると、ゆっくりと扉へと向かった。
その足取りは軽やかで、表情は明るく、満足そうだった。
テケテケはドアを潜り、光がその全身を包み込む。
テケテケは、ユズのさよならの手と共に、光の中に消えて行った。
やがて、ドアがゆっくりと閉まる。
光の扉はまるで線香花火のように四方に光を散らすと、そのまま消滅した。
「う~ん、テケテケを帰せてよかったね」
夕方、琴葉は光一郎達と共に家へと帰っていた。
「それにしても、ほんとに怪がいるなんてねえ」
怪がいる事も驚きだが、そんな怪を帰す怪帰師という仕事があるのも驚きだ。
何より、自分に怪の言葉が分かる通役の力がある事が信じられなかった。
「だけど、その力のおかげで、無事テケテケを元の世界に帰せたんだよね」
最初は怖かったが、あの怯えていたテケテケを見たら、放っておけなくなった。
テケテケは甘いものを食べる事ができて、喜んでくれたようだ。
見た目はちょっと怖かったが、琴葉は嬉しそうにしていたテケテケを思い出し、何だか可愛く思えた。
その時、前を歩いていた光一郎が立ち止まり、琴葉の方を見た。
「君は、やっぱり運命の人だ」
「えっ??」
琴葉はまた運命の人と言われてドキッとしたものの、それが通役の力の事だと気づき、慌てて心を落ち着かせた。
「ええっと、ちょっとは力になれたかな?」
「ちょっとどころじゃないよ!」
光一郎は、真面目な表情で、グッと顔を近づけた。
「これからも、通役として僕の仕事を手伝ってくれないか?」
「これからも??」
「ああ、この町にはテケテケ以外にも何体も怪がいるんだ」
「……わたしも怪だから」
「えええ、そうなの??」
テケテケは凶暴な怪ではなかった。
だが、他の怪も同じなのかは分からない。
琴葉は危険な目に遭うかもしれないと思い怯む。
すると、そんな琴葉の気持ちに気づいたのか、光一郎がさらに顔をグッと近づけた。
「君は僕が必ず守る。だから、僕の力になってくれ!」
「わたしも光一郎を守る」
光一郎の顔が目の前に迫る。
ユズも無表情ながら必死で光一郎を守ろうとする。
「あ、あの、ちょっと」
そのあまりの近さに、琴葉はさらにドキドキする。
光一郎は、やはりカッコいい。
いつの間にか随分交流している。
(通役の力なんて、正直あっても困るだけだけど、それで光一郎君の力になれるなら、ありかも……)
琴葉は、ドキドキしながら、光一郎を見た。
「う、うん。私、どこまで頑張れるか分からないけど、怪帰師のお仕事、手伝ってもいいかも」
「ありがとう、琴葉さん!!」
「琴葉が力になるなら、わたしは嬉しい」
光一郎が満面の笑みを浮かべて、琴葉の手を握る。
琴葉も、思わず笑顔になった。
ユズは、二人を無表情で見守っていた。
怪帰師の仕事の手伝いをするのは、正直不安しかない。
しかし今は、光一郎と仲良くなれた喜びの方が大きい。
(不思議な声が聞こえるようになって、ちょっとだけよかったかも)
琴葉は、光一郎を見ながらそう思うのだった。
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テケテケ編の後編です。