「まったくもう、仮にも《創造する者(デミウルゴス)》様に何て事するんですか!!?」
警察署から出て近くに人がいなくなると、菊一さん(《私》はこの時初めて彼の名前を知った)は多分に呆れを含んだ口調で《金魚》ちゃんを叱った。
「身内に前科でも付けば『小児性愛者』との『縁』が太くなると思ったんじゃがのう…」
「逮捕から起訴して、判決まで何週間かかると思ってんだ。バカかお前は」
非常識の極北のような《Ωniko》様も、ここぞとばかりに口さがない。
あやうく犯罪者にされかかった《私》はと言えば、疲れと不機嫌とで口を開く気にもなれなかった。
婦警さんに連行されそうになった直後、どこかで待機してきた菊一さんと《Ωniko》様が駆けつけて来た。
事が事だけに事情をそのまま説明するわけにもいかず、言い訳には四苦八苦した挙句、結局「とにかく署まで来なさい」という事になり、最終的には『注意』で済まされたものの私達全員 警察で たっぷりお説教を食らう羽目になった。
その待合時間、《Ωniko》様…以後は『レイコさん』と記す事にする…達によって、今回の件に至る経緯を教えられた。
殺人事件に絡む《くだん》の存在を調査する事にした彼女達だったが、いかんせん《くだん》の方からは手がかりや糸口というものが全く見出せなかった。レイコさんの感知能力の広さを知る《私》には信じられない話だったが、何にでも得手不得手というものはあるらしい。
そのため、今一度 アプローチの方向を《くだん》から《殺人事件》に切り替えて、事件との『縁』を繋ぐべく『身内に小児性愛者がいる』という状況を作り上げたかったらしい。金魚ちゃんは『小児性愛者なら誰でもよかった』と言っていたが、彼女達の上位次元に位置する世界の住人である《私》ならば より影響力の強い『縁』が出来るのだとレイコさんは言う。ぶっちゃけて言うと《私》が関わる事で『ご都合主義的展開』も発生し得るし、それを期待して《私》を『物語』に引き込んだ、という事だった。
《私》にとっては所詮『夢の中の出来事』なのだが、夢にしてはリアルすぎる。そのせいで警察で説教されている間の体感時間も、その内容も明瞭であり、正直、泣きたいくらい堪(こた)えた。目が覚めても気分は最悪以下だろう。
そんなわけで《私》は口もきかず不機嫌に一同と共に歩いていた。夏ならば まだまだ日暮れまでには時間がありそうだったが、夢の中だからだろうか、既に街には夕闇が迫っている。
ふと、《私》の目に朱色の看板が飛び込んできた。
「吉野家…」
「あん?」レイコさんが振り返った。
「いや…夢とはいえ せっかく東京に来たんだから、吉牛のひとつも食って帰りてぇな、と思って」
「おまえなぁ…」レイコさんは呆れとも苦笑ともつかない表情をした。「《くだん》が関わってるっつってんのに、よく牛丼 食べたいとか思えるよなw」
確かに、世間一般の感覚からすれば相当デリカシーに欠けていると、自分でも思う。
「俺にとっては…ちょっと思い入れがありましてね」
《私》が初めて吉野家の牛丼を食べたのは20代も終わろうかという時期である。それまでは、肉を紙のように薄く鋤(す)く調理法も、濃厚なタレではなく薄口の汁で肉を食する事も、まりきり想像の中にすら無かった。
「日本人として日本で生まれて、日本から一歩も外に出ずに生きてきたのに、そんな自分の知らない『日本の常識』が、いくらでもある。…それを体感的に感じたのは、もしかしたら あれがが最初だったのかも知れない」
「牛丼一杯で大袈裟な」苦笑いしながらも、レイコさんは言った。「つくづく、面倒な生き方してるよな、ヌシ殿は」
自分でもそう思う。
「お、八卦見じゃ」
《私》の話を聞いていたんだか いなかったんだか、唐突に金魚ちゃんが声を上げた。
「困った時の何とやら。菊一!見料を包め」
「はいはい」
菊一さんが慣れた手つきで千円札3枚を和紙に包むと、それを ひったくるようにして金魚ちゃんは路上の占い師の元へ駆けていった。
「…アリなんすか、神様が辻占いしてもらうのって…」
「人の世の中はゴチャゴチャしすぎてるからな」
《私》の つぶやきにレイコさんはニヤニヤ笑いながら答えた。
「神の目から見れば…例えて言えば『主題が分からなくなるくらい無駄と脱線が多い話』みたいなもんさ。見ようと思えば現世の全てを見通せたとして、80億人の中から たった一人のウォーリーを探すのは、神と言えども難儀ってもんだ。
そういう時は 蛇の道は蛇、人の世の事は人間に聞いた方が手っ取り早い事もある」
そういうものかな、と思った。同時に、人の姿形をとって人の世に紛れ込んでいるアンタ達が それでいいんか?とも思った。
「おーい」
金魚ちゃんが手を振りながら駆けてくる。
「吉牛行くぞーーー!!」
~~~◇~~~]
『探しものと縁のあるものを食べると吉』
そんな占いの結果に従い、ファストフードの牛丼屋で30分ばかりも無駄に居座った私達は、特にする事も無くなったため帰路(当然、横浜の日本鬼子神社にではあるが)についた。夢の中だったが、十数年ぶりの吉野家の味は懐かしかった。
「(にしても この夢、いつになったら覚めるんだろうか)」
そう思いながら、日の光の落ちた見知らぬ街を彼女達と一緒に歩いていた《私》だったが、
「おっと」
「どうなされました?」
思わず声を出した私に、後ろを歩いていた菊一さんが尋ねた。
「いや、うっかり道を曲がろうとしちゃって…」
土地勘が無いのでレイコさん・金魚ちゃんの後をついて歩いていたはずが、なぜか足が横の小道に向きかけたのだ。まあ、《私》に関しては別に珍しい事ではないのだが。
「何?」
だが それに、前を向いていたレイコさんが反応した。その眼光が鋭い。
「ヌシ殿、でかした!」
踵を返した彼女は そう言い放つと《私》が入りかけた小道に小走りで駆け込んでいく。何かを察した金魚ちゃんも それに続く。
「ヌシ様は僕の後ろに」
菊一さんも彼女達の後を追うようだ。わけもわからず不吉な確信すらあったが、《私》はそれに従うよりなかった。自力で目覚められるかどうか分からない夢の中に、一人置き去りにされるわけにもいかない。
路地の奥は、さほど大きくないビルの建設現場、さもなくば解体現場の裏で行き止まりになっていた。そこは少しばかりの空間になっており、セメント袋か鉄材か何かの資材が積み重ねて置いてある。
その資材の上に…一人の少女が腰かけていた。小学校の中学年くらいか。
その空間の中ほどでは、レイコさんと金魚ちゃんが その少女と対峙するかのように立っている。
《私》はその空間には足を踏み入れず、路地の終わりあたりで菊一さんの背に隠れるようにして その様子を伺っていたのだが、軽い違和感があった。
その空間は暗い。日は暮れていたし、街の灯りもビニールシートに覆われた建設現場に遮られて届かない。
その場所で、レイコさんと金魚ちゃん、そして《少女》の姿だけが鮮明に見える。いや、前者ふたりは良い。仮にも神様で強い霊的な存在であるのだから、実際に網膜に映っている像よりも『その存在が際立って感じている』のだと、頭では理解できる。
問題なのは《少女》だ。彼女もまた、霊的な存在なのだろうか?『元の世界』では幽霊の類に遭った経験のない《私》には計りかねる。
《少女》はシミーズのような、ワンピースのような白い着衣姿で、しかしその肩紐は肘のあたりまで下がっている。胸をはだけているのが分かる。そして両腕で何かを大事そうに抱えている。
「(猫、か?)」
大きさと、四足の細さ・長さから、最初《私》はそう思った。子猫や子犬ではない。足が長すぎる。
だが、猫とは抱きかかえられた姿勢が違うとも思った。猫なら、もっと足や体を丸めるんじゃないだろうか。
いや、それ以前に、
「(頭が大きすぎる)」
体に比べて頭の比率が、成猫のソレではなかった。かと言って小型犬にしては横顔が平坦すぎる。もしかして、パグやブルドッグ?いや…だとしても、あの、頭の縦の長さは…。
「(こんな動物いたか?)」
頭に思い浮かぶ『動物』の、どれとも当てはまらないような気がした。それでいて、《私》は その『頭』を、どこかで見たような気がしている。十代の頃に図書館で見たピカソの作品集のような、そんな感覚だ。『よく知っている何かだが、それが記憶や知識の中のものと紐付けできない』。
その『頭』は、目を閉じ、口元を少女の胸に押し当てている。いや、吸い付いているのか?
少女の、乳房の片鱗も感じられない胸から、乳を吸っているのか?
「ヌシ殿」
よく通るレイコさんの声に、《私》は我に返った。
「あまり見入ると『持っていかれる』ぞ」
《私》は慌てて少女『たち』から目を逸らした。知識では知っていたつもりなのに、《私》は『この世のものではない何か』に意識を集中しすぎてしまっていた。心霊体験が皆無とはいえ、迂闊といえば迂闊な話である。
「娘よ、そなたに聞きたい事がある」
レイコさんに劣らず よく通る凜とした声で、金魚ちゃんは少女に声をかけた。少女は、まるで今気付いたかのように顔を上げ、目線をゆっくりと胸元の『それ』から金魚ちゃん達に移す。
「そなたの抱いておるソレは《くだん》じゃな?いったい何処から連れ出した?」
「くだん…?」
少女は不思議そうに、ほんの少し首をかしげた。
「そんな名前じゃないわ。この子は《太郎ちゃん》よ。『おうち』から一緒に来たの」
「『おうち』?」
「うん、私たちの『おうち』。…あ、もう『おうち』じゃないや。もう あそこには帰らないから」
「なぜ?」
「パパが太郎ちゃんを殺そうとするから」
「ふむ…」
レイコさんが くぐもった声で相槌を打つ。
金魚ちゃんが更に問いかける。
「では…そなたは その《太郎ちゃん》を守るために、そやつを連れて家から逃げた、という事か?」
「そうよ。太郎ちゃんは『ママ"は"逃げて』って言ったけど、ひとりで逃げるなんてできないよね?
太郎ちゃんは私の赤ちゃんなんだもの。
私が太郎ちゃんの言う通りにしなかったのは、その一回だけよ」
「きみは」珍しく『きみ』という二人称を使って、柔らかい口調でレイコさんが問いかけた「その子のママなのね?」
「そうだよ」無邪気そうに少女は、しかし不気味な答えを返した。「私が産んだの」
■■■(五の段・上 終わり)■■■
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この物語はフィクションです。実在または歴史上・の人物、実在の団体や地名、事件等とは一切関係ありませんのでご了承下さい。
●作中に 小松左京・著「くだんのはは」のネタバレおよび独自の考察が含まれます。ご都合が合わない方の閲覧はご遠慮下さい。
●日本の歴史、主に太平洋戦争について、やや偏見に伴う批判的・侮辱的な描写がございます。苦手な方は閲覧を控えて下さい。
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