No.114835

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~ 第八章 兗州冤罪、友との誓い

テスさん

この作品は、真・恋姫無双のSSです。
悪い知らせを聞いた一刀。大切な友を助けようと兗州へと向かいます。

作者の勉強不足、作品の都合でおかしな所もありますが、楽しんで頂ければ幸いです。
次回予告なんて作ってみました。皆さんの想像力が全てです。

2009-12-27 22:50:09 投稿 / 全22ページ    総閲覧数:25357   閲覧ユーザー数:19502

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~

 

第八章 兗州冤罪、友との誓い

 

(一)

 

華琳が捕まった事ことを汝南郡汝陽に来ていた袁紹さんの所で知った俺は、兗(エン)州東郡の頓丘へと馬を走らせていた。

 

――日が暮れるまでには辿り着くだろう。

 

だが予定とは狂うためにあると言わんばかりに、そうはいかんと後ろから砂煙を上げて、飢えた男達が追いかけて来る。

 

分かっているさ。女装している俺が悪いんだろ?

 

でも一刻も早く彼女の元へ駆けつけたいと思った俺は、そのままの姿で絶影に跨っていた。この馬こそ世に名高い曹孟徳の愛馬のはず。そうやすやすと、追い付かれることは無いだろうと高を括っていたのだが……。

 

「止まれや姉ちゃん!俺達と楽しい事しようぜよ!!」

 

男が俺の真横で大声を上げ、髭ずらの口元が嫌らしく釣り上がる。他の男達も横と後ろに馬を近付ける。

 

くそっ!絶影の実力を引き出せて無いのかっ!騎手が悪いと駿馬も奴馬になるってか?

 

「お前達に構っている暇なんて無いんだよ!」

 

「おぉ、怖い怖い。でも、そんな強気な発言しちゃって良いのかなぁ~?」

 

鞘から剣を引き抜いた男が馬を寄せたその時、絶影が体当たりしてその馬を弾き飛ばす。バランスを崩した男の馬が失速して後ろへと下がる。

 

「てめぇ、舐めんなよ!」

 

そんな決まり文句に返す言葉など、無い!

 

……なんて、これぽッちも思ってません!

 

「し、死んでしまうぅぅ!」

 

誤解を招きそうなので断っておくと、別に脅されて弱音を吐いている訳じゃないぞ!?

 

返事をしている余裕が無いと言った方が正しい。何故なら同時に俺も体勢を崩し、落ちない様に必死に絶影にしがみ付いているのだ。

 

だが絶影にとってはこの体勢の方が走りやすかったのか、力強く四本の足が土を蹴って躍動する。徐々に賊の馬を引き離して行く。

 

「なっ、なんて早さだ!追い付けねぇ」

 

「兄貴もう無理だよ!馬がへばっちまう!」

 

「くそっ!」

 

落ちれば最後という体勢で走っていると、今度は俺を助けようとしてくれる人達が現れる。だが絶影に追い付ける筈も無く……

 

「誰か止めてくれーっ!」

 

「大変だっ!暴れ馬だ!道を開けるんだ!」

 

関所をぶっちぎり、俺は何とか兗州東郡へと入る。

 

ずっと走り続けた絶影は喉が渇いたのか、途中川辺で喉を潤すために立ち止まった。

 

「……君は、凄いな」

 

ふらふらと大の字に倒れた俺の姿をちらりと見ては、興味なさそうにまた水を飲み始めた。

 

その表情は、まるでお前が大したこと無いんだと言いたげに、とてもあっさりしていた。

 

「はぁ……」

 

 

(二)

 

道沿いを歩いている人に道を尋ね、なんとか日が暮れる前に華琳のいる頓丘へと辿り着いた。

 

この時間帯は夕食の準備に追われる人々で賑わっている筈。なのに人影は疎らで、誰もが少し遠くに見える城壁へと忙しなく歩いて行く。

 

嫌な予感がする。俺は城壁へと続く中央通りを駆け抜ける。擦れ違う人達は肩を落として皆暗い顔で下を向いて歩く。

 

城壁に近付くに連れ驚くべき光景が広がる。一つの檻車の周りに、頓丘の民達が囲むように群がっているのだ。

 

――いた!

 

洛陽で出会った、王という孤独な存在となって民を導こうとする友が。

 

彼女の政策を肌で感じ取った民達がこれは何かの間違いだと、目の前の出来事に誰もが口を開いては呟く。

 

「……華琳、やっぱり君は凄いな」

 

彼女の下に民が集う姿を見て、嫉妬に似た憧れの念を抱く。

 

まだ肌寒いこの時期に、彼女は二枚の布を縫い合わせて穴を開けたような囚人服を着せられ、手首と足首に重石のついた枷が嵌められている。ただ厳かに椅子に腰を下ろしたまま。

 

皮肉にも不相応な囚人服が彼女が一角の人物だと証明し、その魅力を引き立てては異彩を放つ。

 

明らかに場違いだ。

 

その檻車の近くには、『罪名、太守殺し。死罪』と書かれた立て札が大きく掲げられており、街の人達は小さな声で曹操の事を呟く。

 

「新しい県令様が来た頃は、決まり事に煩く、守れ守れと息苦しくはあった。じゃが、それは皆儂らの為じゃ。今では守らぬ方がこの街の者に煙たがられる」

 

「新しくやって来た県令に贈答品が送られているそうだ。奴等、曹操様が赴任してきて痛い目をあったはずなのにな」

 

何も出来ず、無力だと民の一人が悔しがると、その想いが次々と周りに伝染する。そしてその想いが、目の前の彼女に不満という形で投げ掛けられる。

 

「もう無法地帯には住めんよ!……曹操様!」

 

「曹操様!儂らを見捨てんでくれ!」

 

いつの間にか民達が彼女の名を叫び始めると、見張りをしている兵士達が慌て始める。

 

そんな中、小さな男の子が檻の前までやって来ると、何が始まるのかと皆が静まり返る。

 

「曹操様にペコペコしてた癖に、捕まったら急に偉そうに威張りやがって!曹操様をここから出せ!何かの間違いに決まってるだろ!」

 

「なっ、ガキの分際で我々を侮辱する気か!」

 

兵士の一人が片手で少年の手を掴んで持ち上げると、もう片方の剣を引き抜く。

 

「やめなさいっ!」

 

氷柱の先を喉元に突き付けられるような覇気。その場に居る誰もが、まるで自分に言われたことの様に、背筋を凍らせて震えあがる。

 

「国の行く末を担う命を何だと思っているのっ!……民を守る者が小言を言われたぐらいで、賊の様に命を奪おうというのかっ!」

 

兵士は平静を装って、彼女に反論する。

 

「お、檻の中にいる小娘に一体何ができるというのだ!そこで、黙って見ておけ!」

 

「……この下郎っ」

 

「ははっ、な、何とでも言えっ。……役人の俺達に逆らえば、こうなるんだっ!」

 

その一言に彼女が立ち上がる。その冷め切った瞳の奥に青い炎が宿る。

 

「春蘭!秋蘭!」

 

短く二人の名を叫ぶと、兵士は悲鳴を上げながら、手に持った子供を放り投げて逃げ出す。

 

「いるのでしょう!? 即刻その男の首を跳ねなさい!」

 

だがその呼び掛けに答える者は何処にもおらず……華琳の表情が険しくなる。

 

「ははっ、いねーじゃねぇか。焦らすなっての、ったく。」

 

追いかけて来る者の姿が見当たらないと見るや、かなり離れた所から戻って来た兵士が、子供の腹を軽く蹴り飛ばす。

 

「春蘭!秋蘭!何をしているのっ!」

 

格子を握りしめながら叫んでは、この群衆の中から二人を探す。そこに彼女が告げた人物が居たのかは定かではない。だが彼女の表情に絶望の色が浮かぶ。

 

「なっ、何て事っ……」

 

「残念だなぁ~、いや、本当に残念!元、県令様は配下の者に見捨てられた様で!……官職を失うと虚しいですなぁ。喜べ小僧!見せしめにしてやるぞ!」

 

誰もその子供を助けようとはせず、皆が顔を背ける。

 

「い、嫌だ!助けて、曹操様!助けてっ!」

 

子供は恐怖に震え、後ろに手を付きながら地面を蹴って後ろへさがる。

 

華琳は男に止めなさいと格子を揺すりながら声を張り上げる。

 

「この曹孟徳!目の前の子供一人助けられないでっ――何がっ!」

 

――覇王か?

 

彼女の瞳が見開き、こちらへ向けられる。俺と華琳との間には集まった人々がいると言うのに、この場には二人だけしか居ないような錯覚が俺達を支配する。

 

――久しぶりだな、華琳!

 

再び呟くと、その距離から聞こえる筈の無い彼女に動揺が走り、小さな唇が微かに動く。

 

「絶影、彼女が君の主だ!挨拶でもしておいで!」

 

後ろ二本足で立ち上がった絶影が嘶きを上げると、皆がこちらを見て浮き足立つ。

 

絶影から落馬するように落ちると、絶影は人混みを掻き分けながら彼女の前を通り過ぎ、恐れをなして逃げる兵士に体当たりをかましては、首で持ち上げて放り投げてしまう。

 

軒先の立派な民家の壁を突き破り、男はそれっきり動かなくなってしまった。

 

鼻息を荒くした絶影が彼女前で蹄を鳴らして立ち止まると、ブルブルと鼻を鳴らして彼女の傍に寄る。

 

この状況に驚いたも一瞬、慈愛に満ちた表情で格子の隙間から声を掛ける。

 

「良い子ね、礼を言うわ」

 

この状況を危険と判断したのか、突然檻車が動き始めては城内へと戻って行く。彼女は視線をこちらに向けて俺を見詰める。一瞬悔しそうな表情をするも、先程のように堂々とした姿で運ばれて行ってしまった。

 

……彼女を助けるにも分からないことが多すぎる。情報を集めなきゃ。

 

その姿を見送り、俺はこの日の宿をどうするか考えていた所、背後から声を掛けられた。

 

 

(三)

 

「少し、宜しいか?」

 

その声のした方へ振り向いてみると、全身を覆った外衣に、顔だけをぽっかりと出した旅人姿の女性が二人が立っていた。

 

「あの子供を救って頂き、感謝致します」

 

「えっ?何もしてないよ?こいつが突然暴れてしまってね……あの男も災難だったね」

 

「何を惚けている。あの受け身の取り方は自分から落ちたに違いない!他の目は騙せても、この夏侯元譲の目は誤魔化せんぞ!」

 

夏侯元譲!?

 

曹操の右腕として活躍し、矢が刺さった自らの眼球を引き抜いて食べたという猛将、夏侯惇か!?

 

「と言うことは、君たちは華琳の関係者――!?」

 

目に鋭い光を宿した夏侯惇が、いつの間にか取りだした大きな剣で俺の首を捕える。

 

「貴様っ!華琳様の真名を汚す不届き者めっ!」

 

当たってる!刃が当たってるって!

 

声にならない悲鳴を上げて、俺は胸元で手を上げて弁明する。

 

「断じて汚してない!華琳の知り合いだ!お、落ち付いてくれ!」

 

その刃が俺の首から離れる。ほっとした束の間、その大剣が目の前で天高く振り上げられていた。

 

「問答無用ーー!」

 

ひぃぃーーっ!

 

「姉者、待て!」

 

真っ直ぐ振り下ろされた大剣が、空を斬って地面に突き刺さる。

 

「秋蘭!?何故止める!?」

 

動揺する夏侯惇が、秋蘭と呼んだ女性に抗議する。

 

「その名前、さっき華琳に呼ばれていた……」

 

その一言に夏侯惇がこちらを見ては、悔しそうに歯を食いしばって顔を反らす。

 

「姉者は後ろに下がって少し黙っていてくれ。失礼だが、貴女はもしや北郷殿か?」

 

「君は華琳から話は聞いてる?……ひっ」

 

夏侯惇からメラメラと黒い炎が燃え上がり、その手に持った大剣が音を立てて小刻みに震える。

 

「あぁ、洛陽で知り合った者に真名を授けたと。その者の名が確か北郷」

 

彼女は話を聞いてくれるようだ。良かったと安心したのも束の間、

 

「だ、だが、この者がその北郷とは限らんではないか!? そうだ!貴様がその北郷である証拠を見せてみろっ!」

 

なっ、なんて言い草だ。俺を俺だと証明しろだなんて!

 

「ふむ、それもそうか。今日の姉者は冴えているな」

 

何、納得してんだよっ!

 

夏侯惇から不敵な笑いが零れる。大剣を体の前で持ち上げ、その側面を何度も手の平に落としながら近付いてくる。

 

「さぁ、証明してみせろ!今すぐに、だっ!」

 

取り敢えず証明できそうな事を考える?

 

「えーと、夏侯惇さんに、夏侯淵さんで、合ってるよね?」

 

驚いた表情を浮かべるのが一人。そして……

 

「それが証明か? はんっ!話にならんぞ。秋蘭はともかく、私はさっき名乗ったばかりではないか!」

 

「……姉者」

 

少し困った顔をするも、それでこそ姉者だと呟いて笑みを浮かべる。参ったな……これが通じないとなると、何を言っても無駄な気がする。

 

「そうだ!華琳ならきっと証明してくれる!」

 

袁紹さんみたいに俺の顔を忘れているはずは……無いよな?

 

「では北郷殿も華琳様を助けねばならない理由が出来た所で……。姉者、一時休戦でどうだ?続きは華琳様を助け出してからにしよう」

 

「ふんっ、まぁ良い!女として生を受けたことに感謝しておけっ!男なら即刻、首を跳ねている所だ!……その命、その時まで預けてやる!」

 

そう言うと、彼女はこちらに背を向けて歩いて行ってしまう。

 

「……」

 

「どうかされたか?北郷殿」

 

「い、いえ、何でもないです」

 

俺の顔を眺めては首を傾けると、顔を覆った布の隙間から薄青の髪が揺れた。

 

 

(四)

 

俺は夏侯姉妹に案内され、宿の一室へと足を運ぶ。夏侯惇は外衣を床の上に脱ぎ捨てると、椅子へ座り込んで頭を抱えてしまった。丈の短いチャイナドレス風な赤い服が、漆黒の髪に覆われて見えなくなる。

 

「華琳様を救出するまでは北郷殿は我等の同志。姉者、聞いているか?」

 

几帳面に折り畳まれた外衣を机の上に置いて、姉の脱ぎ捨てられた外衣に手を伸ばす。

 

「聞いている。だが秋蘭!どうしてあそこで堪えねばならんかったのだ!」

 

机の上を強く叩いて、姉と色違いであろう青い服を着た妹を睨みつける。

 

短い髪の為に良く見える背中が、姉である夏侯惇に向けられる。

 

「我等姉妹、華琳様に忠誠を誓ったではないか!華琳様の命令を無視してまで、この夏侯元譲に生き恥をさらせというのか!?……華琳様に一体どの面を下げろと言うのだ!」

 

何も出来ぬ悔しさと、もう顔を合わせられない悲しさからか、彼女の瞳から涙が溢れて零れ落ちる。

 

大人びた夏侯淵の表情が一瞬苦痛に歪み、外衣を畳んでいた手に力が込められる。ゆっくりとその瞳が閉じられる。

 

その瞬間、しばらくこの部屋の時間が止まったかのような気がした。

 

何事もなかったかのように再び動き始め、外衣を折り畳んだ後も、彼女は立ち尽くしたまま目を細め、部屋の壁を射るように見詰めていた。姉である夏侯惇と視線を合わせようとはせずに。

 

「華琳様の命令は絶対だと分かっている。だがあの男の首を跳ねれば、一体誰が華琳様を助けると言うんだ?」

 

「そ、それは!?」

 

「華琳様の元を去らねばならんとしてもだ、姉者。我等姉妹がやるべきことは……何だ?」

 

彼女の肩が震え、鼻を啜る音が聞こえる。

 

「か、華琳様を助け出すことだ。……すまない、秋蘭」

 

二人が肩を落として俯いてしまうが、華琳を愛して止まない二人が落ち着くまで、そう長くは掛らなかった。夏侯惇が机の水滴を拭えば、夏侯淵が何事も無かったかのように、こちらに振り返る。

 

「見苦しい所を見せてしまったな。もう大丈夫だ」

 

赤い目をした二人を前に、俺は話を進めることにした。

 

「華琳は幸せ者ってことで、了解。それじゃ、色々と聞きたいんだけど良いかな?」

 

「あぁ。本題に入ろう、姉者」

 

 

 

 

夏侯淵が俺に座るように促しては、三人で席を囲む。

 

「華琳様が太守殺しの罪で幽閉されてしまったのだ」

 

「太守殺し?」

 

「どういう経緯で華琳様が捕まったのかは詳しくは分からん!」

 

「大方、華琳様が現場にいたために犯人扱いされているのだろう。県尉も中央の圧力でこの件に関しては、自由に動けんそうだ」

 

「ちょっと待った」

 

どうした?

 

「ええっと……県尉って、何?」

 

「はぁ?貴様、県尉も知らんのか!?」

 

俺を鼻で笑った後、立ち上がっては力強く叫ぶ。

 

県尉とは!――だが肝心なその先が出てこない。一頻唸っては……

 

「秋蘭!教えてやれ!」

 

とうとう匙を投げてしまった。俺と夏侯淵が言葉を失っていると、彼女は妹に早くしろと急かす。

 

「……県尉とは、賊を取り締まったりする者の事だ。これなら分かるだろう?姉者」

 

「何故私に言う!北郷に言え!北郷に!」

 

「だそうだ、北郷殿。そう言うわけだ。悪い事をすると県尉殿に連れて行かれるぞ?」

 

「ふん!県尉の奴めっ!華琳様の恩を仇で返し追って!」

 

「全くだ」

 

どうやら警察機構を担当しているのが県尉という職のようだ。

 

「分かっていることは、華琳様が誤って犯人に仕立て上げられたこと。華琳様が置かれている状況がかなりまずいこと。この二つだ」

 

「何も分からないことだらけじゃないか」

 

「あぁ、華琳様なら何か御存じなのだろうが、我々では牢に近づくとも儘ならない」

 

「あの見張りの男!華琳様に会いたいのならと――」

 

身の毛がよだつと、ぶるっと震えながら夏侯惇が自分自身を抱きしめる。

 

「姉者がその見張りから体を強要されてな……」

 

うわっ!最低だな、そいつ!

 

「ふん!二度と言えぬように制裁を加えてやったわっ!」

 

でも猛将である夏侯惇に、返り討ち覚悟で脅したのなら、ある意味――漢だ!

 

「今度は我々の顔を見ただけで門前払いだ!腹立たしいにも程があるぞっ!」

 

「そ、それは災難だったね……」

 

「北郷殿、どうすれば良い?」

 

彼女達が駄目なら、俺が出向くしかない。

 

「やっぱり華琳の話を聞かなきゃ。今日の夜にでも俺が行ってみるよ」

 

 

(五)

 

声を出すと男だとばれてしまう。そこで俺はいくつかの言葉を紙に書き、華琳のいる牢獄へと向かう。

 

囚人がいるって割には、誰もいないのか?……不用心だな。

 

そう思っていると、牢の入り口で大男が見張りをしていた。何やら大きな声でぼやいている。

 

「曹操の女に殴られた上に、体中痛いのに休ませてくれないなんて、痛っ!……ん?こんな夜中にどうしたんだ、お嬢ちゃん?」

 

心配する言葉とは裏腹に、嫌らしい顔を俺に向けて近付いて来る。

 

最低野郎に用意した紙を見せる。

 

(お仕事、お疲れ様です)

 

「あぁ?何だ、喋れねぇのか?……へへっ、全くだぜ?牢屋の見張りってのは、どこからか流れて来る風が冷えたくて冷たくて、寒くてありゃしねぇ……」

 

俺は持って来たお湯の入った水筒を手渡す。

 

「何だ?姉ちゃん。やけに気が利くじゃねぇか?どうしたんだって……まさかっ!」

 

(曹操様に会いたいんです。お願いします)

 

その紙を見せた時、男の表情が嫌なものを見るかのように歪む。

 

「まーた、曹操かっ!今日で八人目だ、全くよっ!……あー、駄目だ、駄目だ!とっとと帰れ!」

 

俺にあっちへ行けと手を振る男。だがここで引き下がる訳にはいかない!先程の紙を一生懸命男の前で振ると、男が一計を案じた策士の様にこちらへと振り向いては、汚らしい手が俺の尻に伸び、衣服の上から撫で始める。

 

……最悪だ!下手に出てりゃ良い気になりやがって!

 

「曹操も太守殺しでもうすぐ処刑だ。考えてやっても良いが……」

 

その不愉快極まりない撫で回しを我慢していると、男が力任せに俺の腕を引っ張って強引に引き寄せる!

 

「痛てぇ!この前の気の強い女に殴られた所が疼きやがるっ……気合で何とかなるもんじゃねぇな。こりゃしばらくはお預けか」

 

声を出せない女性が目の前に居るからって襲おうってのかっ!?……腐ってやがる!

 

「おうおう、そんな顔すんじゃねぇよ!俺もここを任されているからな。ただじゃ通さねぇ。そうだな。俺の女になって、その体で奉仕してくれるなら……通してやっても良いぞ?そう言うことだ。嫌ならとっとと帰れ」

 

普通ならここで引き返すだろう。だが俺は嫌だからと言って戻る訳にも行かない。俺は逃げるように男の前を通り抜けると、後ろから舌打ちした男が大声でぼやく。

 

「へへっ、肝の据わった良い女じゃねぇか。なんで曹操の奴ばっかり!って痛っ!」

 

 

(六)

 

――俺は、男だっ!

 

そんな心の声は大男には届く筈もなく。暗闇の中、蝋燭の火を灯して華琳の元へと急ぐ。

 

違う、ここも違うと、一人一人囚人達の顔を蝋燭で照らしながら華琳を探す。どうやら囚人達は俺を見張りと勘違いしているようで、誰も声を上げようとはしない。

 

見つけた!

 

彼女の髪が蝋燭の灯りに照らされ、ぼんやりと浮かび上がる。くるくるはまだ健在のようだな。こちらに背を向けて見向きもしない。

 

牢屋の鉄格子を軽く叩くと、ゆっくりと起き上がってはこちらに振り向く。その瞬間、驚愕の表情を浮かべる。

 

きっと夏侯姉妹を予想していたのだろう。慌てて近付いて来て鉄格子を握りしめる。

 

「貴女っ、あの立派な馬から振り落とされた子ね?」

 

俺だって気付いて無かったのかよ!……参ったな。気付いているとばかり思っていたのに。

 

「何しに来たのっ!今すぐ帰りなさいっ!」

 

俺は夏侯姉妹に頼まれた手紙を華琳に渡して、蝋燭の火を近付ける。

 

一通り目を通した彼女が紙を強く握り締めると、くしゃりと音立てて潰れてしまう。

 

「春蘭に手を出すなんて……、そいつ、絶対に後悔させてやるわっ!」

 

突っ込む所は其処じゃないと思うぞ!って、もしかして、書かれていた内容ってそれだけ!?

 

蝋燭の火で紙を燃やした華琳に、俺は水筒と預かった饅頭を手渡す。

 

それを口に頬張りっては、水筒に入ったお湯で流しこむ。

 

「ありがとう、感謝するわ。でもどうしてこんな無茶をっ!貴女の様な可愛い子が来る所じゃないわ。飢えた兵士に襲われでもしたら、この曹孟徳、悔やんでも悔やみきれない!……良い子だからすぐに帰りなさい。そして……二度と私の元へ来ては駄目よ?」

 

そう言う訳にはいかない。いろいろと聞かないといけない事があるんだ。俺は否定の動作を取ることにする。

 

「!? そこまでしてこの曹孟徳を助けようと言うの!?」

 

俺は頷く。そのために俺はやって来たのだから。

 

「そう。この私がそこまで貴女を魅了してしまったと言うの。たった一瞬の出会いだと言うのに。……そんな子を危険に晒らしてしまうなんて、私は――私は、なんて罪深い女なの!……私にはこの独房がきっとお似合いね」

 

そう言って、華琳は自嘲めいた笑いを浮かべる。

 

「もし私が生きて出られたら必ず迎えに行くわ。勿論、私の傍にいてくれるのよね?」

 

俺は全力で首を横に振る。

 

「そんなに照れてしまって……大丈夫よ。他の子達が心配なのね?愛する者が十人以上の女を抱えている。貴女が不安になるのも最もなこと。良く分かるわ」

 

――そんなにいるのか!?

 

でもまぁ、確かに英雄ってのは女好きなのが定番だしな。その英雄の一人でもある華琳は、肩手で頭を押さえ、とても苦しそうな表情を浮かべている。

 

「でも、貴女だけを愛することはできないわ!私は彼女達を愛しているのだから。でも!」

 

否定の言葉で顔を上げ、俺の心を鷲掴みにせんと彼女の蒼い瞳が俺を捕える。

 

「この孟徳、本気で心を奪われたのは貴女だけよ?この囚われの身で貴女と目が合った瞬間、もう貴女に逢えないことを悔やんだわ。……あれからずっと貴女のことを考えていた。恋、焦がれていたのっ!」

 

彼女は拳を握りしめて熱く語る。

 

「そして貴女はこうして私の目の前に現れた。なんて都合の良い夢なのかと。でも違う。あの一瞬で二人はこんなに強く惹かれ合ってしまっていたの。こんなに嬉しい事は無いわ!運命とはまさにこのこと!」

 

片手を天高く突き上げた後、胸を押させる。

 

「貴女を無理やりにでも!いぇ。いけないわっ。焦っては駄目。ゆっくり、そう、愛を育みましょう。あぁ、こんな昂りは久しぶりよ?この孟徳がこんなにも恋焦がれるなんてっ!」

 

駄目だこの人。早く何とかしないと……

 

それにしても正直まずいな。もし華琳が俺だと知ったら……殺されるかも。いや、知ってもらわなきゃ夏侯惇に殺される!

 

詰んだ?俺、終わったっぽい? と、とにかく!彼女をまず落ち着かせなければ。俺は手を胸の前で、抑えて抑えてと身ぶりで合図すると、その腕を掴まれる。

 

――!?

 

これだけの愛の言葉でもまだ足りないのかしらと、俺の顔を覗きこんでくる。俺はその顔を注視出来ず、その視線から逃げる。

 

「ふふっ、意地らしい子。とっても可愛いわ……。後でその愛しい顔をたっぷりと見せて頂戴」

 

ん!?……なんか変なスイッチ入ってないか!?てか、腕を振っても手を放してくれないし。

 

「貴女は私にどんな甘美な声を聞かせてくれるのかしら……」

 

いやいやいやいや、てか、おかしいだろ!

 

俺は全力で首を振る。百合か!?曹孟徳は百合だったのかっ!?そして、いつの間に俺は攻略されていたのかっ!?

 

突然彼女の手が放されて、俺はふらふらとバランスを崩しながら後ろへ下がる。そこに靴音を響かせながら入口に居た兵士が姿を現した。

 

「帰りが遅いと思って見に来てみりゃ!おいっ、曹操!俺の女に手を出すんじゃねぇよ……」

 

「なん、ですって?」

 

曹操がその兵士の男を睨みつける。

 

「この女はなぁ……お前と面会を許してやる条件に、俺の女になるってことで許してやってるんだよっ!……有り難いと思うんだな」

 

その言葉を聞いて、華琳は絶望的な表情で俺を見詰める。やばいぞ、肝心な話がまだできてない!

 

「なんてことっ!貴女って子は!」

 

華琳が膝を追り、四つん這いになる。

 

「自らの愚かさを嘆け、曹操!……ふはははっ!ふははははっ!」

 

大男に腕を掴まれ、無理やりに連れて行かれる。

 

はっ!っと華琳が顔を上げ、俺に手を伸すも空を切る。

 

――華琳!

 

声を出さずに彼女の名を呼ぶ。

 

結局、俺は外へと連れだされ、その日は見事に失敗した。

 

 

(七)

 

再び尻を触られて、重い足取りで宿へと戻った俺は二人に事情を説明する。

 

「華琳様を目の前にして、重要な話が出来なかっただと!?何をしているんだ。貴様はっ!」

 

夏侯淵は溜息を吐いて頭を抱え、夏侯惇は俺の首を両手で絞めながら力強く揺する。

 

こ、このままでは死んでしまう!必死になって彼女の腕を叩く。ぎりぎりの所で彼女の手から解放される。

 

「けほっ、けほっ……ごめん、予想以上に華琳が乱心してしまって……」

 

「っ!……それは」

 

何かに耐えるように、ぷるぷると震えだす夏侯惇。彼女から広がる黒いオーラが俺にまで伸び、体中に絡みつくような感覚に支配される。逃げなければ!でも足が動かない!

 

「――自慢かぁーっ!」

 

凄い力で肩を押され後ろへと下がると、足が床に引っかかり、床の上で盛大に跳ねる。ぼ、暴力反対!

 

「北郷殿?その……失礼だが、華琳様とはどういう関係なのだ?初めてなら、確かに華琳様の悪い癖が出てしまうのも無理は無いだろうが……」

 

この恰好がまずいなんて言えないよなー。男だってばれたら、俺の首が……取り会えず上手く話を誤魔化さないと……

 

「か、華琳、獄中で余裕そうにしてたんだ。きっと君達が何とかしてくれると思ってるんじゃないかな?」

 

その一言に、目をキラキラと輝かせながら夏侯惇が叫ぶ。

 

「そうか!華琳様は遊ばれているんだ!秋蘭、そうに決まっている!」

 

その一言に夏侯淵は拳を手の平に落とし、驚きと納得の表情を浮かべる。

 

「成程……ならば我等の責任は重大だな。姉者!」

 

「あぁ!そうと分かれば明日に備えて寝るぞ!北郷も寝ろ!」

 

そう言って、二人はご機嫌で部屋を出て行ってしまった。

 

これは――明日に賭けるしかない!暴走しないでくれよ、華琳!

 

 

(八)

 

再び夜が訪れる。俺は誰もいない夜道を歩き、昨日と同じように華琳がいる牢屋の前までやって来た。

 

どうやら昨日と同じ兵士のようだ。華琳の為とは言え、出入りに尻を触られるのは勘弁して貰いたいものだ。しかも同性である男から。だからと言って、女性なら良いという話でも……。

 

俺は懐に入れた紙を取り出して男の前に出る。

 

「また来たのか、嬢ちゃん」

 

(お願いします。どうか曹操様が処刑されてしまう前までは、どうか!)

 

「あぁ!駄目だ、駄目だ!夜道は危険だから、さっさと帰れ!」

 

(お願いします!)

 

舌打ちする男は、今日も何か思い付いたようだ。嫌な予感しかしねぇ!

 

「悪い事は言わねぇ。曹操なんて諦めて、俺の女になれって。あ、俺の女だったな!」

 

俺が首を横に振っても、昨日の約束どうのこうのとか言って、俺に覆いかぶさって来る!……が、俺に触れた男は痛そうにもがき苦しみだす。

 

「い、痛ぇ!畜生!畜生!畜生!曹操の所の赤鬼めぇっ!何時になったら痛みが引くって言うんだよっ!」

 

……た、助かった!ナイスすぎるぜ、夏侯惇!

 

これはもう最終手段を使うしかない!襲われる前に俺は一枚の紙を男に見せる。

 

(私はまだ曹操様を愛する女性。曹操様が生きている限り、私は曹操様のモノです)

 

その紙の続きを男が呟きながら読む。

 

「……曹操様がこの世を去った後、愛する者に会わせてくれた貴方を慕い、夫として生涯を尽くしましょう?」

 

俺は頷く。

 

「愛する者の最後だ。行ってやれ」

 

急に優しくなりやがったよ、コイツ!

 

しかも背中を押す感じで、ちゃっかり俺の尻を触りやがって!最低だっ!本気で最低だっ!

 

こりゃ、何としても華琳を助け出さなきゃ……、想像したくねぇ。

 

 

(九)

 

何人かの囚人はいつもと様子が違うことに気が付くも、誰も声を上げることは無かった。

 

俺は華琳がいる牢屋の前に立つ。蝋燭の灯りに照らし出された牢の中に、彼女の姿が浮かび上がる。

 

俺は息を飲む。洛陽の最後の夜、彼女を呼び出した時の様に彼女は俺を待っていたのだ。

 

「来ては駄目だと、あれほど言ったのだけれど……。迷惑をかけてしまうわね」

 

俺はその言葉に首を振り、鉄格子の近くに蝋燭を置き、昨日と同じ様に暖かい水筒と饅頭を手渡す。彼女がそれを飲み込む間に、俺は夏侯姉妹に預かった手紙を取り出す。その封を解いて読み始めた彼女の顔に笑みが浮かぶ。

 

「ふふっ、捨てられた子犬の様な二人の顔が目に浮かぶわ」

 

読み終わると華琳はそれを蝋燭の炎にそっと近付ける。それが徐々に燃えて消えてしまうまで、彼女は優しい眼差しでその手紙を見詰めていた。

 

そんな彼女に見惚れている場合じゃないことに気付き、俺は一枚の紙を取り出す。

 

俺の名を紙に書ければ一番手っ取り早いのだが、近くに十常侍が居るという噂を聞いては、尻尾を出す訳にもいかない。だが多少の危険を冒さねば華琳の暴走を止めることもできない。

 

(男)

 

その一文字だけ書かれた紙を彼女に手渡す。俺は男だと、紙と自分自身を交互に指差し、彼女に必死にアピールする。

 

その紙と俺を見比べて、何も無かったように蝋燭の火で燃やし、左手で俺の腕を掴んで引き寄せる。冷たい鉄格子に背中の体温が奪われ、彼女の右手が俺を抱きしめる様に回り、左の脇腹を撫でるように上下する。

 

「暗くてよく見えないわ。それで……、私のモノになる準備はしてきたのかしら?」

 

待てっ!見えないって何だよっ!?

 

「あら、後ろから攻めるのも悪くないわね」

 

そう言って、俺の服の中に冷たい左手が潜り込んでくる。

 

「暖かいわ……。こんな場所じゃなければ、私の腕の中で身を捩らせて、悶えるほどの快楽の境地へと導いて上げるのだけど……。残念だけど興が乗らないわ」

 

興が乗らないと言いつつも、服の中で自由気ままに彼女の手が動き回る。ここには変態しかいないのかっ!

 

「残念だわ。太守が相談したいことがあるから時間をくれないかって言われてね。私は太守の部屋に出向いたのよ」

 

力づくで押さえつけるも、まるで生き物の様に彼女の指が俺の胸の上で踊る様に跳ねる。

 

「……ふふっ、意外と初心なのね。ここをこんなに硬くして、そんなに嬉しいのかしら?」

 

嬉しくねぇ!冷たい手で触られたからに決まってるだろ!振り解こうと必死に暴れると、鉄格子が音を立ててる。

 

「扉の隙間からは蝋燭の灯りが漏れていたわ。入る前に呼び掛けたけど返事も無い。不思議に思ってその扉を開けると、天蓋が降りた床の上で、太守が短剣で胸を刺されて死んでいたわ」

 

攻め立てる胸に暴れるなと爪が立てられ、その痛さに声が出そうになるも歯を食いしばってそれを堪える。

 

「その後、彼の従者が来て悲鳴を上げた。結局、私は太守殺しの罪で拘束されてしまったわ。濡れ衣を着せられ、さらに太守の寝首を掻くという卑劣な手段を用いたという汚名まで。何処の誰かは分からないけど為て遣られたわ」

 

好き勝手してくれる!そう思っていると今度は右手が俺の尻を撫で始める。

 

「あら……、中々のものね」

 

君はあの男と同類か!?同類なのかっ!?

 

「ただ……入った瞬間に違和感を感じたわ。それが何なのかは分からないのだけれど……。まず、彼が寝ていたということは無いわ。私と会う約束をしていたのだから」

 

主導権をこのまま華琳に握られているのは危険だと判断した俺は、何でも良いから紙を彼女に渡そうと手を伸ばす。

 

(それにしても随分余裕だな)

 

それを右手に取ってちらりと見ると、少し屈みながら手を伸ばして蝋燭の火で燃やす。

 

「愛と言う深い絆で結ばれた二人よ?……信じてっ、いるわ♪」

 

乾いた唇を濡らすように舌を動かしては、ちゅくりと艶な音を奏でる。太股の裏側を撫でる彼女の手が、ゆっくりと焦らす様に表へと回り込んできた所を上から強く押さえつけると、彼女はそれから逃れようと小さな体を揺らす。

 

「勿論貴方もっ、信、じてっ……。この手を放しなさいっ!」

 

前は絶対に駄目!俺は首を横に振りながら全力で阻止する。

 

結局、昂った華琳が大声で叫んだために、見張りの兵士がやって来て事無きを得た。

 

「お、俺の嫁に何してやがるっ!」

 

服の乱れ具合が半端では無かったためか、その兵士が怒って華琳と口論になっている所を、俺はそそくさと逃げ出した。どっちも最低だっ!

 

 

(十)

 

蝋燭の炎を中心に、薄暗い部屋の壁に三つ影が大きく映し出される。

 

「誰も頑なに口を閉ざして話にならん!」

 

「全くだ。華琳様を追いかけてきた者達すべてを担当から外す徹底ぶり。だが最後はやはり華琳様のお人柄。ある兵士から重要な証言が得られた」

 

夏侯淵が竹間を一つ持ち上げる。

 

「秋蘭、何だそれは?」

 

「太守の遺物から、事件当日に面会する者が記された竹間を見つけた者がいてな。これはその名を控えた物だ」

 

「華琳も会う約束をしていたそうだけど、そこに?」

 

「あぁ、華琳様の名も書かれていたそうだ。その兵士が事情聴取に立ち会ったそうだ。被疑者は三人とも太守と面会して話をしたらしい」

 

「なら真っ先に疑われるのは、生きていたと証言した三人目と、死んでいたと証言する四人目の華琳だ」

 

俺はふと思う。殺された太守が温かいか冷たいかで、どちらが犯人か分かるのでは無いかと。

 

「なぁ、殺されてすぐの人間は暖かい筈だけど、そこの所はどうなんだ?体が冷たいのなら華琳の疑いが」

 

だが俺の言葉を遮って、夏侯淵が俺の思っていた事と真逆の事を言う。

 

「いや、調査資料には温かかったと書かれている」

 

「なっ!……そ、それでは華琳様が断定されても!」

 

「あぁ、だが北郷殿。華琳様は犯人では無いと仰せられたのだろう?」

 

「あぁ。濡れ衣だって」

 

三人が思案して沈黙を守る中、それを破らんと大声を上げた人物が一人。

 

「犯人が分かったぞ!」

 

くっ!……期待したいのに、期待できない!

 

「ど、どうしてそんな目で私を見る!」

 

「……いや、別に」

 

視線を逸らすように、夏侯淵へと向ける。

 

「期待はしていないが、聞かせてくれ、姉者」

 

「秋蘭まで……。ま、まぁ良い。華琳様が犯人でない!ならば、最後に会った人物が犯人だ!」

 

「証拠は?」

 

「それは……華琳様が犯人で無いなら、その捜査資料が間違っているんだ!つまり、冷たい。だから三人目だ!」

 

そう言って、凄いだろうと威張る夏侯惇に、

 

「それは分かった部類には入らないぞ、姉者」

 

俺の言いたいことを言ってくれる、かゆい所に手が届く。まさに孫の手のような存在の夏侯淵。

 

「だが姉者の意見も一理ある。そう考えるのが妥当で、死体も絶対に冷たかった筈だ」

 

「偽装されたってことか?」

 

夏侯淵が頷く。

 

「ふん!難しい事を考えても仕方あるまい!……要は華琳様の潔白を証明してみせろと言うことだっ」

 

「そうだな。俺達の目的は犯人を捕まえる事じゃない。華琳を助けることだからな。明日にでもその三人に話を聞こう」

 

 

(十一)

 

次の日、俺達はその三人に話を聞くために動き始めた。まずは太守に最初に面会した男の元へと出向く。

 

「一体何の話かね?手短に頼むよ。太守が亡くなられてから、仕事が忙しく悲しむ暇も無いのだ」

 

そう言った男は俺達を招いては、面談用の椅子に深々と座って俺達に座る様に促す。

 

男は太守を補佐する人物だそうで、この時代特有の四角い帽子を頭に乗せ、その雰囲気はこの時代の紳士と言った所だろうか。

 

広い室内に、大きめの窓から陽光が差し込む明るい部屋。窓の横にある彼の仕事机には、竹間が山の様に詰まれ、その量は床下にまで置かれている有様である。

 

男に視線を戻すと、俺を見ていたのか咄嗟に視線を逸らし、咳払いを一つして夏侯姉妹に要件を促す。

 

「それで?」

 

「事件当日に殺された太守に会ったと聞きましてね」

 

「それは、一体誰からかね?」

 

「それは言えません。その者の名を言えば、罰を受けますからな」

 

静かな戦いの後、その男がこれ以上は時間の無駄だと判断したのか、事件当日について話し始める。

 

「まぁ良い。太守様とは朝にお会いした。机の上に資料を並べて、今後の方針を相談しておりましたぞ」

 

俺は言う。

 

「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」

 

「貴様っ!この私を疑うと言うのか!」

 

男は俺が疑って掛ったことに対して、怒り心頭と言わんばかりに顔を真っ赤に染める。

 

「いや、そう言うわけじゃ!」

 

「太守様は風邪を引かれて、喉を拗らせておった!後に太守と会った者に聞けば分かる筈だ!それで十分私が犯人ではない事が証明される!」

 

俺から話すと怒られそうなので、夏侯淵が質問する。

 

「では太守が殺された時間、何処で何をしていたのか教えて頂きたいのだが?」

 

「一日、政務に追われていたわっ!」

 

結局、俺達は部屋を追い出されてしまった。夏侯惇が再び私は犯人を見つけたと言わんばかりの、清々しい笑みを浮かべる。

 

「嬉しそうに如何したんだ、姉者?」

 

「急に怒り出す所が怪しい。あ奴が犯人だ!」

 

俺と夏侯淵は振り向いて先を急ぐ。

 

「おい、聞いているのか?無視するんじゃない!」

 

 

(十二)

 

次に面会したのは、太守の部下で髭を蓄えた勇ましい武人であった。

 

「あぁ。確かに殿と会った。昼食を食べた後だ」

 

そう言って、男は興味なさそうに小指で耳を穿る。

 

「その時の事を教えて頂きたいのだが?」

 

男は小指の先に付いた耳垢を夏侯惇に向かって拭き飛ばすと、彼女が大剣を握り締めて振り上げる。

 

「死ねっ!」

 

男に向かって躊躇なく振り下ろす。

 

「い、行き成り斬りつけて来る馬鹿が何処に居るってんだ!」

 

咄嗟に剣を引き抜いて、それを受け止めた男の足が沈んでいる。思いっきり油断していたのに、夏侯惇のあの渾身の一撃を受け止めたことは素直に凄いと思う。

 

「だ、誰がちょっとしたことでキレやすい、うすらとんかちのひよっこだとぉ!?」

 

「断じて言ってない!」

 

「続きをよろしく頼む」

 

「えっ!?助けてくれないのか!?」

 

「姉者を馬鹿にしたのだから、な。それはそちらで対処してくれ」

 

夏侯惇の動、夏侯淵の静。二人の怒りがこの場を包む。……い、胃が痛くなってきた。華琳はこんな時どうするんだろうか。

 

「ふ、二人とも落ち着いて。この人の話を聞かないと、華琳が助けられなくなる」

 

「では、話せ!さっさと話せぇ!」

 

夏侯惇が唾を飛ばしながら吠える。俺に向かって……。

 

「あっ、あれだ!殿は床に寝て居られた!体調を崩していたそうだ!声の調子も何時もと違った!こ、これで良いか!? なっ!?」

 

男が話し終えると二人の怒りはどこかに消え、思案の表情をする。

 

「太守と会った理由は?」

 

「あぁ、俺っちの給金の問題だ。安すぎるって不満言ったら、速攻で俺の給金も上げてくれるように手配するってさ。あの男は本物だった!生涯に使えるに値する主だった!」

 

残念そうに言うが、表情は全く残念そうには見えない。

 

「おい、顔を見たのか?」

 

「え?……あ、主の顔を見間違える筈は、無いだろ?」

 

二人目の男と別れ、俺達は太守の友人の元へ向かう。その途中で夏侯惇がふと声を上げる。先程と比べると少し声が小さい。

 

「きっとあの男は犯人では無いぞ」

 

「姉者、どうしてだ?」

 

「主を殺そうとする理由が無い!」

 

「動機か?確かにあの人の話を聞く限り、太守を殺す理由は無かったけど」

 

「だから、あの男は犯人では無い!」

 

俺と意見が合ったのか、正しい意見を言えたことに満点の笑顔を浮かべる夏侯惇。

 

「いや、そうでもないぞ? あの男、給金問題で太守とそれは大層揉めていたという噂だ。連日、太守の部屋に押し掛けるぐらいにな」

 

「うわっ、そんなことされたら政務所じゃないぞ?逆に太守の方が動機あるんじゃないか?」

 

「殺そうとしたが逆に返り討ちに遭ったか?例えそうだとしても、カギを握るのはやはり三人目の証言か」

 

「だ、だが、太守が進言を聞き入れたと言うではないか。問題あるまい」

 

「まぁ、確かに」

 

夏侯惇にしては予想外なまともな意見だ。正直驚いたな。

 

「北郷!何か言ったか!?」

 

「――いや!?何にも!?」

 

 

(十三)

 

俺達は太守の友人の屋敷を訪ねる。門前払いされるかと思えばすんなりと客間に通され、その男の妻であろう人物がお茶を出してくれる。

 

「貴方……」

 

「何を心配している?すぐに済む」

 

擦れ違う時に夫に声を掛けるが、男は心配する妻を余所目に俺達の前に姿を現す。

 

俺達は立ち上がり、突然訪問したことを詫びる。

 

「孟徳様の配下の者と伺いました。孟徳様の為なら、捜査に協力致しましょう」

 

俺達が頭を下げると彼が座る様に促す。席に付いたこの家の主人が口を開く。

 

「太守とは幼い頃からの付き合いでしてな。それなりに仲は良かったのだが、アイツは少々酒癖が悪くてな」

 

そう言って、昔を懐かしんでは微笑む。

 

「少し前にこの家に招いて一緒に飲んだことがあったのだが、酔った勢いで俺の女房に手を出そうとしたんだよ。友の妻に手を出そうだなんて、酔った勢いとは言え何を考えているんだと、ここらで一つ忠告しようと思いましてな」

 

「それで、亡くなられた太守に面会されたのですね」

 

俺が相槌を打つように質問すると、男が頷く。

 

「だが体調を崩していたようだ。咳をして苦しそうにしていたよ。声もいつもと違った。俺が来る前に部下の武官の苦言に対応して、もう駄目だとさ。また今度にしてくれって、上手い事を言われて逃げられたよ」

 

笑いながらその男は言う。俺はその人物が本当に太守だったのか聞いてみる。

 

「んー、顔までは見えなかったが、あの特徴ある顎髭が見えたからな……」

 

「顎鬚?顎鬚だけか?」

 

夏侯惇が念を押す様に、顔は見ていないのかと質問する。

 

「あぁ。部屋も薄暗かったし寝屋の天蓋の薄い生地が降りていたからな。だが、あの立派な髭が隙間から見えたから、アイツで間違い無いと思う」

 

「後、気になることが一つあるんですが、部屋を出る時、しっかりと扉を閉めましたか?」

 

「勿論だ。アイツは体調を崩しているんだ。気に入らないからと扉を開けたまま出て行くほど、私は小さな人間ではないぞ?」

 

心外だと、怒られてしまった……

 

 

(十四)

 

部屋に戻る頃には空は紫色に染まり、宿に辿り着く頃には星が輝いていた。俺達は夕食を共にしながら、今回の話しを整理する。

 

「北郷殿が最後にした質問には、一体どのような意味がある?」

 

「華琳が言うには扉は開いていたそうなんだ。不思議に思った華琳が部屋の中に入ると、短剣で胸を刺されて殺されていた太守を発見したらしい」

 

俺の一言に、あり得ないと夏侯惇が声を上げる。

 

「はぁ?だがさっきの男は閉めたと断言したぞ?それでは何か、死んだ太守が見つけてくれと扉を開けたと言うのか?馬鹿にするなっ!」

 

誰も馬鹿になんてしていないんだけどな。

 

「姉者、案外そうかもしれぬぞ?」

 

顎に手を当てて、少し俯きながら思案していた夏侯淵が顔を上げる。

 

「秋蘭、どういうことだ?華琳様が犯人で無い以上、最後に部屋を出た者が犯人ではないのか?ならば、あの太守の友人が犯人ではないか」

 

「いや、もう一人部屋にいる」

 

そんなのいたっけ?そんな風に天井を見上げて、唸りながら考える。

 

「あの男が居ないとなると、部屋には殺された太守本人しか、――自殺か!?」

 

「そうだ。三人目を送り出した後、扉を開けて自殺する」

 

だが俺はその推理に待ったをかける。

 

「いや、その線は無いはずだ。華琳に相談したいことがあるって言っていた人間が、自殺なんてする筈がない」

 

「……ふむ。決め手にかけるな」

 

「そうだ、殺人現場だ。華琳が言うには部屋に入った瞬間、違和感を感じたって。その違和感が分かれば……」

 

「では、明日にでも行ってみるとしよう。さて、北郷殿。華琳様に差し入れをお願いしたい」

 

彼女の瞳は告げていた。否定は絶対に許さないと。

 

 

(十五)

 

次の日、俺達は城内の中にある太守の部屋に向かう。そこに待ち受けていたのは……

 

「ぬぅぅ!さっさと通せ!」

 

「う、上からの命令で、何人たりともこの部屋を通すなと仰せ付かって居ります!」

 

華琳が洛陽北部尉だった頃の部下である兵士だった。兎を前にして、今すぐにでも襲いかからんとする虎の様な気迫で迫る夏侯惇を前に、泣きそうになりながらも俺達の前に立ち塞がる。

 

すんなりと部屋に入れると思っていたのに、まさかの展開に俺達は焦り始める。

 

「この部屋に必ず犯人の痕跡が残っている筈なのだ!」

 

「で、できません!新しく任命された太守の許可を得て下さるまでは、お通しすることはできません!」

 

「では、曹孟徳を犯人だと?犯人に仕立て上げようと、そう考えているのかっ!?」

 

いつも穏やかな夏侯淵も今回ばかりは声を荒げる。

 

「いえ!洛陽から曹操様の元で働いておりました!曹操様が犯人など、断じてありえません!」

 

「ならば、捜査に協力せんかっ!」

 

「で、ですが、やはりできません!」

 

さすが華琳直属の部下だけのことはある。生半可なことでは彼を説得できそうにない。そう判断した俺はその兵士の前に出る。

 

「曹孟徳は役人を避難した子供を見捨てようとしたか!」

 

「いえっ!曹操様の忠臣であられるお二人の名を呼び、子供を助けようと致しました!」

 

「もしあの時に二人が動いていたなら彼女達は捕まり、助けようとする者はおらず彼女は処刑される!そんな事が分からない曹孟徳では無い筈だろう?」

 

「た、確かに……」

 

「君の慕う人が濡れ衣を着せられ、汚名を着せられようとしている!見落としている可能性があるのなら、徹底的に調べ上げるんだろう!? 洛陽北部尉の曹孟徳は、そうして無実の罪を着せられる人達を助けていたぞっ!」

 

「あ、貴女は一体……!?」

 

「それとも君の知る曹孟徳という人物は、圧力に屈して途中で投げ出すような、その程度の人物だというのか!?」

 

「いえっ!わ、私が間違えて居りました!貴女の言う通りだ。北部尉だった頃の曹操様の教え!今の今まで忘れておりました!」

 

兵士が目の前の扉を開き、俺の右側に移動する。

 

「お通りください!」

 

むずむずと兵士の視線が俺に突き刺さる。

 

分かっているじゃないか。そんな表情で夏侯惇は俺を横目に部屋に入って行く。夏侯淵については……質の悪い笑みをニヤニヤと浮かべながら俺の横を通り過ぎる。

 

後で絶対に弄られるな……これは。

 

そんな憂鬱な気分で、俺も太守の部屋に足を踏み入れる。

 

執務兼、太守自身の部屋を兼ね備えた、広い空間が目の前に広がる。等間隔に並ぶ窓から陽光が差し込み、部屋全体を鮮明に照らし出す。

 

本棚には政務に関するであろう沢山の本が几帳面に並べられ、綺麗に整理された太守の机の上には薄らと埃が被っていた。

 

寝床には豪華な天蓋が降りており、その隙間から深紅に染まる床と、凶器である短剣が落ちている。

 

「華琳の話によると、この部屋に入った時に違和感を感じたらしいんだけど……」

 

「違和感だと?華琳様がそう仰られたのか?……私には綺麗な部屋だとしか思えんぞ?」

 

「ふむ。遺品が整理されたから、では無いのか?」

 

「いえ!部屋は事件当日のままにしております!」

 

「ぬぅ。それにしては綺麗すぎではないか?」

 

「姉者と一緒にしては、なぁ?」

 

「無き太守に失礼――」

 

「わ、私の事など、どうでも良いんだっ!」

 

そう言えば、太守を見つけたときの事、華琳は何て言っていただろうか?

 

――天蓋が降りた床の上で、太守が短剣で胸を刺されて死んでいたわ。

 

天蓋の布には血痕一つ付いていない。

 

「なぁ?太守は床の上で胸を刺されて死んでいたそうなんだけど……この天蓋、綺麗すぎだよな?」

 

「ん?言われてみればそうだな。胸を刺されて殺されたのなら、どこかに血の後がある筈だぞ?」

 

「あぁ。姉者の言う通りだ。……北郷殿、他に華琳様は何と?」

 

「会う約束をしていたから、寝ていたということは無いだろうって……」

 

「ふむ。ならば別の場所で殺されたと考えるのが筋だろう」

 

と言ってもな、何処で太守は殺されたのだろうか……。

 

「何をしている?」

 

「血痕を探しているんだ。この部屋で殺されたのなら、どこかにあると思って……」

 

足下に広がる床一面を探してみても、壁にも、本棚にも、どこにも血の跡が無い。血の跡があるのはこの床の上と、短剣の付近だけ……

 

「血痕など綺麗に拭きとられているに決まっているだろう。そんなことも分からんのか?」

 

「だよなぁ。犯人がそのままにしているってことは……」

 

俺達の会話に、夏侯淵が凄い勢いで振り返る。彼女の視線の先にあるものは……

 

 

(十六)

 

「どうしたんだ?秋蘭」

 

「姉者、お手柄だぞ!」

 

「はぁ?」

 

「太守の机だ」

 

「ん?……何も無いぞ?」

 

「そうか!」

 

「北郷殿も分かったか。……後は姉者だけか」

 

「なっ!何だと言うのだ!」

 

そう。ここは太守の部屋なんだ。

 

「姉者、華琳様が政務をこなす机の上を思い出せ」

 

「ん?それなら任せろ!……物凄い数の竹間が山積みにされて、いつも華琳様が埋もれていらっしゃる……」

 

目を閉じて、華琳の事を思い出していたのだろうか。その表情が徐々に緩んでは頬を染める。

 

「でへへっ♪」

 

夏侯淵が溜息を一つ。だがその表情は呆れたと言うよりは、優しい笑みを浮かべ.少し嬉しそうにしている。

 

そう。太守の机の上がこんなに綺麗な筈は無い。竹間の山が一つや二つあることが当たり前なんだ!尽きることの無い椀子蕎麦のような存在。片付けても片付けても次々と運ばれる青い悪魔、その名は竹間。

 

竹間、竹間。竹間の山。そして……、山脈が出来上がる。

 

「北郷殿?」

 

「はっ!……あ、いやっ、大丈夫。きっと華琳の違和感もこれだったんだ」

 

「あぁ。違いない。……ならば、太守はこの机の辺りで殺されたのだろう」

 

「な、何故そんなことが分かる!」

 

「これは太守の机だ。竹間の山が一つや二つあることが当たり前なんだよ」

 

夏侯惇が反論する。

 

「むむっ。だが重要な案件をそのままという訳にもいかんだろう?誰かが持って行ったのではないのか?」

 

「いいえ。この部屋は太守様の御遺体以外はそのままにされております。四六時中兵士も見張りに付いております故、もしその案件を持ちだすことができるとしたら、それは――」

 

とうとう割れたぞ!

 

急ごう!あの男がいる部屋に!

 

 

(十七)

 

俺達は太守を補佐する男がいる執務室に向かう。北部尉の頃の華琳の部下達を引き連れて……

 

「何ようかな?」

 

扉の向こう側から声が聞こえる。

 

「……太守の竹間を持ちだしましたね?」

 

俺の質問に沈黙で答える。

 

「さっさと出て来い!華琳様に罪を擦り付け!汚名まで着せようなど笑止千万!この夏侯元譲が叩き斬ってくれる!!」

 

そう言って、扉を毛破ろうとしても扉は硬く閉ざされ、びくともしない。

 

「し、知らん!知らんぞ!私は何も知らん!誰か!誰かおらぬかっ!県尉を呼べ!」

 

だがその必要は無いと、俺達の騒ぎを聞きつけた県尉が兵士を連れて姿を現す。

 

「貴様等!こんな所で何をしている。さっさと持ち場に戻れっ!」

 

「その声はっ!県尉殿か。こ奴等が私を太守殺しの真犯人だと言って、突然押し掛けてきたのだ!」

 

「……安心されよ!後ろめたい事が無いのなら、ここを開けて出てこられよ」

 

その扉が開かれる。俺達に部屋の中を見せないように、立ち塞がりながら扉を閉める。

 

県尉の顔を見て心底ほっとした表情を浮かべた後、勝ち誇ったかの様な腹黒い笑みを浮かべる。

 

俺は男に揺さぶりを掛ける。

 

「太守の部屋から竹間を運び出した筈だな?竹間に付いた血を拭き取れば、炭で書かれた案件まで拭きとってしまうことになる。重要案件なら大変だ!書き写さない限り、重要案件を燃やすこともできない。そんな姿を見られるわけにはいかない!血の付いた竹間がこの部屋にある筈だ!」

 

「調べさせてもらっても?」

 

「確かに!皆に迷惑をかけてはいかんと、太守の竹間を運び出した。血の付いた竹間もこの部屋にある。だがそれがどうした?太守がおらん今、代わりに政務をこなす。それが補佐する私の役目だっ!」

 

恐れる物は何も無いと、この部屋に血の付いた竹間があることを高らかに叫ぶ。

 

「それに私は無実だ。私の後に面会した二人は、太守は生きていたと証言した。これをどう説明する!」

 

だが俺はその矛盾を男に突き付ける。

 

「何故貴方が太守と面会した人数を知っている!太守と面会した人間は口外されていない筈だぞ!」

 

「ぬっ!……そうだっ!聞いたのだ!だ、誰とは言わんぞ!?……どうだっ!説明できまい!」

 

「ふん!太守そっくりの顎鬚を付け、太守に成り済ましたのであろう!」

 

夏侯惇が叫ぶと、男は俺達に証拠を握られていないと見て、嫌らしく口の端を吊り上げる。

 

「笑止!ならば、その顎鬚は何処にある!答えられまい!」

 

そう。俺達は決め手になる証拠を持っていない。例えこの男の部屋に突入しても、決定的な証拠を得られる保証は無い。そんな証拠を何時までも手元に置いているほど、この男は馬鹿でも無い筈だ。きっとすでに処分しているだろう。

 

もし竹間が処分されていたらと思うとゾッとする。だが俺達は十分目的を成し遂げた。どうやら此処までの様だ。二人に向かって頷くと、夏侯淵が頷いて言葉を続ける。

 

「ならば我が主、曹孟徳は無実ということで宜しいかな?」

 

「なっ!何だとっ!」

 

「今し方、貴方が竹間には太守の血が付いていると言った。つまり太守が殺されたのは机の近く。太守の部屋で華琳様を見つけた従者の証言は、寝床の付近で見つけたと――」

 

「そ、それは!机の付近で殺して寝床に運んだのであろう!」

 

「太守を刺し殺した後、血を流す太守を天蓋に降りる布に一滴の血を付けること無く、さらには蝋燭の灯りの中で血痕を一つ残らず拭き取ることなど……不可能だ」

 

「ぐぬぬぬぬっ!」

 

「相い分かった。孟徳殿を釈放致そう。……ですが、これ以上の詮索は無用。これでは私どもの面目が丸潰れでございますからな」

 

そう言って、県尉は去り、男も俺達から逃げるように部屋に戻っていた。

 

 

(十八)

 

その日の夕方、二人が牢の中にいる華琳を迎えに行き、俺はその前で半刻ほど待たされていた。

 

どうでも良い話なのだが、全身打ち身の兵士が俺のすぐ隣にいる。俺の尻を触ることも無く、ただ黙々と見張りを続けていた。

 

……とても平和だ。

 

此処の所ずっと走り回っていたからな。こんなにゆっくりと過ごすなんて久しぶりだ。小鳥のさえずりと、温かな日差しが徐々に俺の意識を遠のかせて行く。

 

「待たせたわね」

 

声のした方に振り向くと、夏侯姉妹を従えて、華琳が何食わぬ顔でこちらに歩いて来る。

 

金色に輝く髪が髑髏の髪留めで左右に束ねられ、くるくると撒かれたその特徴ある髪が目を引く。肩を晒した明るめの紺の上服の裾が、彼女の腰辺りで緩やかに弧を描きながら、短めのスカートを隠す様に伸びる。彼女が歩くたびにスカートの裾の白い部分が揺れる。

 

立ち上がって手を差し出すと、その手が握られる。久しぶりの再会に俺達は喜ぶ。

 

「元気だったようね。まぁ、立ち話もなんだから行きましょう」

 

そう言って、さり気無く引き寄せては俺の腰に手を回す。

 

それを見た兵士が悔しそうな表情を浮かべ、華琳は追い討ちをかける様に俺の尻を撫でる。

 

……何やってんだよ。

 

俺がその手を払うと大きな瞳に俺を映し、不満げな表情を浮かべて抗議する。どうして拒むのよと言わんばかりに。

 

そして、何かを思い出したかのように、その瞳が羨ましげに見詰める兵士に向けられる。

 

「そういえば、ブ男の分際で私の可愛い春蘭に手を出そうとした事、後でたっぷりと後悔なさい」

 

男は顔を青ざめて崩れ落ちる。そう言えばすっかり忘れていた。彼女はここの県令だと言うことを。

 

「そんな事より、尻を触るなっ!」

 

「あら、別に良いじゃない。減るもんじゃないし。そんな事より、気の利いた言葉の一つも言えないのかしら?」

 

「……おかえり、華琳」

 

「ただいまの間違いではなくて?」

 

そう言ってクスクスと笑う華琳に、不満そうな夏侯姉妹が声を上げる。

 

「うぅ~、華琳様~」

 

「姉者……堪えるんだ」

 

「あら?春蘭と秋蘭も後でたっぷりと可愛がってあげる……でも、その前に」

 

その暖かな空気が一瞬で凍り付く。

 

「残念だけど、私の命令を無視した罰を先に与えなければいけないわ」

 

二人が立ち止まり、その表情が一瞬で引き締まる。

 

「我等姉妹、どのような罰でも」

 

二人は声を揃え、直立不動で華琳が口を開くのを待つ。

 

「華琳!彼女達は君を助けるために!」

 

俺の口が人差し指一つで塞がれる。一刀は黙っていなさいなと呟き、

 

「そうね。……二人を可愛がるのは明日にしましょう」

 

「そ、そんなぁ!」

 

「姉者、明日までの辛抱だ」

 

「うぅ……畏まりました」

 

残念そうに肩を落とす二人。

 

「あ、一刀を可愛がる所を貴女達が見ているというのも――」

 

「遠慮しておくよ」

 

華琳はどうやら二人を焦らしたいようだ。手慣れていらっしゃる。

 

そんな華琳は俺の隣で、そんな馬鹿な!っと言う表情をして固まっていた。――少し睨まれた後、

 

「……まぁ、それは今度にして」

 

「今度も無い!」

 

「久しぶりの再会なんだから、付き合いなさいよ?」

 

そう言って、手首をくぃっと口元で捻る。

 

――流すのかよっ!

 

「私の元を離れて一刀が何を見てきたのか。ふふっ、いろいろと聞かせて貰いましょうか」

 

彼女は軽く笑みを浮かべて歩き始める。

 

今まで旅をしてきた色々な話を華琳に聞かせてやろうと。夜が待ち遠しくてならない。

 

 

……だがその日の夜、俺達は酒を酌み交わすことは無かった。

 

何故なら、太守殺しの真犯人として、太守の友人が逮捕されたという報を受けたからだ。

 

 

第八章 兗州冤罪、友との誓い――完

 

 

次回予告――

 

――事件はまだ終わってはいなかった!真犯人は曹孟徳の為と、協力してくれたあの太守の友人だった。

   「罪を擦り付けたようね。犯人はあの男で間違い無いでしょうね」

   「あぁ。でも証拠はきっと処分されている」

 

――仕組まれた冤罪に立ち向かう曹操達。

   「曹操様、夫は無実です!どうかっ!どうか夫をお助け下さい!」

   「安心なさい。必ず助けだしてあげるわ――。御祖父様の名に掛けてっ!」

 

――新たな展開に、見え隠れする新たな影。

   「……殺される!俺っち殺されちまうよぉ!」

 

――そして舞台は思わぬ方向で、洛陽へと引き継がれる

   「おーほっほっほ!おーほっほっほ!」

 

――壮大な物語の片隅に埋もれた、曹孟徳の物語

   「この曹孟徳を出し抜こうなんて……千と八百年早いのではなくて?」

 

 

――次回、真・恋姫無双外史~昇龍伝、人~ 第九章 兗州虎口、曹孟徳の事件簿

   「っ!……かぁ~ずぅぅ、とぉぉぉっ!!!」

 

 

あとがき

 

お待たせしました!第八章 兗州冤罪、友との誓い、如何でしたか?

 

 今回、新しい事に挑戦しようと推理小説風を目指したつもりだったのですが……、一か月近く掛ってしまいました。年末は忙しくなかなか作品に割ける時間が……。遅くなりました事、お詫び申し上げます。

 

そういえば、勢いで次回予告を作ってみました。皆さんの妄想力だけが頼りです。今は後悔してませんが、後できっと後悔することでしょう。予告の台詞を使うかは今の所未定です。変更もされるかもしれません。ネタと思って頂ければ幸いです。

 

あと、お知らせです。忙しすぎて、創作活動に割ける時間が取れませぬ。再開は仕事が落ち着く頃。年を越して一月下旬頃でしょうか。この場をお借りして御報告。少しだけ、お休み頂きます。

 ……冬の創作祭とか参加したいのになぁ。少ない時間を切り盛りして何とかしたい所ではあります。でも難しそうです。

 

 毎回、沢山のコメント!応援メッセージ!本当にありがとうございます!今回の昇龍伝の反応、どうかなぁ……と、いつもドキドキしながら読ませて貰っています。

 今年も残り少なくなり、寒い日々が続きます。体調だけは崩さぬように。これからも昇龍伝、御期待に添える様、頑張りたいと思いますので、宜しくお願いします!

 

それでは!

 

 

以下、第七章のコメント返しになります。

 

相駿様 > 我が道を行く!後ろは振り返らない。それが袁紹クオリティー(違

trust様 > 袁紹を生かすも殺すも……。次回に御期待下さい;

munimuni様 > 趙雲と魏の軍師二人組は魏√で一緒に旅をしてたので。少し無理やりすぎましたかね;

rikuto様 > 穏みたいな性癖!危険だw でも作者としては嬉しいですw

田仁志様 > 有難うございます!楽しみに待って頂いている分、良い作品を目指さねばと思う次第です。がんばります!

ジョージ様 > 袁紹さんですからねぇ~(この一言ですべてが納得)

とらいえっじ様 > 華琳は一刀を引き込もうと狙ってますからね。太守の風評は袁家繋がりですね。二人の間では、良い報はすぐに伝わり、悪い報は伝わりにくいのですw

自由人様 > 趙雲の真名を一刀が呼べる日は来るのか。残念ながらまだまだ先の様です。八章は推理小説っぽく攻めてみました。推理小説なんて読んだことありませんし、どう考えれば良いやら;

MATSU様 > 期末テストお疲れ様でした!勉強の時間を割いてまで昇龍伝を……恐縮です。更新する頃は冬休みでしょうか?赤点で補習とか、そんなオチは駄目ですよ?w

トーヤ様 > 二人がまた出会える日が来ると良いのですが。八章、九章は華琳様登場です。

すずか様 > ありがとうございます!第八章は新たな挑戦ということで、反応がとても気になるところです。

moki68k様 > 離れて分かる事もあるかもしれません。再び出会った二人の反応、楽しみじゃありませんか!

刀様 > 想像するだけで大変そうです!上手く書けるか心配です……。

jackry様 > 漢女ではないと語尾を強くしつつ。勿論、経験豊かな華琳様も嗜まれております(違

鳳蝶様 > 展開早いと思いつつも、強行してしまいました。今度は永遠と話が進まないパターン地獄に……。いかん。これでは週一で事件がっ!

夜の荒鷲様 > 桂花ですが、曹操とまだ出会っていないと言うのがポイントでしょうか。まぁ、男嫌いで間違いないでしょうw

雪蓮の虜様 > 面白さ期待以上ですか!?頑張って頭使った甲斐があります。

kayui様 > タイトル、いつも苦しめられてます。この旅で乱世を生き抜く術を得て、生き抜かねばなりません。でないと、彼女に会えませんからね。

鳥羽莉様 > 有難うございます。ネタで次回予告なんて作ってみましたよ。でも皆さんの想像力が全てですw

キラ・リョウ様 > 華琳様に掛れば、振り向かない女性は皆無なのです。でも今回は……。

サイト様 > まさに男(女)としての我慢の回でした。彼を褒めてあげて下さいw

ブックマン様 > この件に関しては、第九章で少し動きがあるようですよ?

st205gt4様 > 話を広げ過ぎて、大変なことになりそうな予感が致します:

狂風様 > 師に恵まれればその可能性もあるでしょう。ただ一年や二年で通用するほど甘い世界ではないと考えています。ならば得意の内政面を伸ばしてやる方向で、話を進めようかなぁと考えています。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
156
24

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択