しんしんと、しんしんと、雪が静かに降り積もる。昨日も、今日も、きっと明日も。
森の木々は雪をかぶり、動物達は眠りにつく。
しんしんと、しんしんと、雪は静かに降り積もる。延々と降り積もる。
いつからだろう。
この国の冬は、明けることを知らず、終えることを知らず、冬ばかりが続いていく。
森の入り口の小さなレンガ造りの一軒家。
女性が一人住んでいた。
年のころ二十の半ばか、冬の国にふさわしい、雪のような白い肌と、深淵のような黒髪に黒い瞳の、若い女性が住んでいた。
温かい紅茶を片手に、ロッキングチェアに座って毛糸を編む。長い長い黒髪が、ランプの明かりに紅く染まった。
薪ストーブの上では、コトコトコトと、薬缶が湯気を上げている。
その時だった。
ばさばさと、外から雪の落ちる音。
角度のついた屋根から落ちたか、森の木々が、被った帽子を嫌がったのか、ばさばさと、雪の落ちる音。
いつもどおりの情景に、聞こえた気がしたのは小さな小さな人の声。
辺りに人家はなく、彼女の家に訪ねる人はほとんどない。
小さな異変に彼女は腰を上げ、外に出てみることにした。気のせいならばいいけれど、もしも人が雪に飲まれていたなら、気付かなかったでは済まされない。
ギシギシと、静けさにきしむような音。
雪におよその音を吸い込まれたおかげで、小さな音さえも、冬の国では大きく響く。
出掛けにコートを羽織った女性は、真っ白な世界に足を踏み出し、サクサクと踏み進んだ。
白い白い銀世界。
森に続いた大きな道の、町のほうへと視線を送る。雪をかぶって道とわからず、ガス灯に区切られて辛うじてそれとわかる道の真ん中ほどに、消え入るように点々と足跡が。
足跡は輪郭を強くするほどに女性の家に近づいて、ちょうど家の軒先で消えていた。
そしてそこには、大きな雪のかたまりが……。
ぼさり
突然に、
「助けて……」
まるで大きな雪だるま。
そこから人の手が、ひょっこりと飛び出した。
毛布のかたまりが、薪ストーブのそばでカタカタと揺れている。マグカップを握り締める両手は青白くなってしまっている。
「どうしてそんな薄着でこんなところへ?」
クスクスと笑いながら、女性は毛布のかたまりに声をかけた。毛布のかたまりの中身は旅の人。冬の国に似つかわしくない軽装の、若い男だ。大人にも見えるけれど、子供にも見える、童顔の男だ。
「ちょ、ちょっと色々見て回ろうと思ってまして、東から・・・・・・」
「春の国からいらしたのですね。でも、きっともっと遠くから旅を始めたのでしょう?」
「わかりますか?」
震えながら紅茶を旅人は口にする。暖かい紅茶はお腹の中から冷え切った体を温める。
「四季の国に住む人は春の国からこっちにきても、コートを持たないなんてありえませんから」
女性は静かにポットを旅人に勧める。ポットの中は紅茶のお代わり。芯まで冷えた旅人は、あわてるように紅茶を飲んでいる。
彼女の住むところは冬の国、アティカ。近隣の三国は春の国、夏の国、秋の国で、遠来の地の人は、一まとめに四季の国と呼ぶ。それぞれに呼び名もあるのだけれど、正確に覚えてる人は、四季の国に住む人くらいしかいないのではないかというくらいだ。
春の国は春しかなく、冬の国には冬しかない。
「入国するときにコートを貸してもらえたはずなんですけどね」
たおやかに女性は笑う。クスクスと静かに。久々の来客に、女性は上機嫌だ。
「気付いたら国境をまたいでたみたいで、ちょっと管理所というか、わからなかったもので……」
「あらまぁ」
この旅人は、どうやらかなりのドジなようだ。春の国から冬の国へは、街道を通ればまず間違いなく管理所から管理所へと行き着くはずなのだ。どれだけ方向音痴でも、道に迷ってヘンテコな方向から国境をまたぐなど、ありえるのだろうか?何しろ街道は一本道なのだから。
「この辺りの冬はあけることがあるのですか?」
「いいえ、ここ数百年、ずぅっと冬のようですよ」
「それでは大変ですね。不便でしょう?」
「うーん、そうですね、でも、楽しいものですよ。雪かきや、保存食作りなどすることはたくさんありますし、時間がゆっくり流れている感じがして、のんびり出来ますから。雪のせいで自動車は使えませんけど、観光客の方などは馬車も楽しんでいらっしゃいますよ」
女性は穏やかに話をした。
冬の国の名産は塩漬け肉だ。長持ちして、ちょっと炙れば食べられるのでお土産にも大人気である。のんびりしている馬車は、観光客に喜ばれるだけではなく、冬の国の人たちののんびりした気質にもぴったりだ。
「はぁ、でも食べ物などが他の国よりも取れないと聞いていますし、苦労を強いられているのではないかと思ったりもするのですけど」
旅人は頭までかぶっていた毛布の、ちょうどフードのようになっている部分を肩まで下ろした。体の冷えは段々と取れてきている。
「その辺りは、輸出入で賄っています。それぞれの国に特有の名産がありますから。冬の国は雪だらけでしょう?意外にこれがありがたがられるんです。雪は冬の国にしかありませんから、輸出するだけでなく観光にいらっしゃる方も他の国よりも多いんですよ。ちょっとこの寒さはこたえるようですけど」
笑いながら、彼女は旅人に目配せをした。
「はぁ…」
済まなそうに、旅人は頭を下げる。
今まさによその国の人は、寒さにやられている。
「なんだか……いえ、春の国でも聞いたんですけど、季節が巡らないことをあまり苦にしてませんね。なんだか、とても幸せそうで…。でも冬は苦労の多い季節だから……と思っていたんですけど」
「それはどうでしょう。人は環境に順応するものですし、一度春の国に旅に行ったんですけど、一週間で銀世界が懐かしくなりましたから」
窓に寄り、女性は外を見る。
外は白しかない世界。
しんしんと静かで、このゆったりとした時間に順応した冬の国の人たちには、確かに忙しい秋の国や、突き刺すような陽射しの夏の国、どこか浮き浮きした空気のある春の国にはなじまないかもしれない。
旅人は女性に倣って窓を見た。
白い世界。
旅人には新鮮な、ただ白いだけの世界。
晴れる日もあるし、ずぅっと冬だけれど、冬の中にも草木が芽吹く季節だってある。
小さく季節は巡っているのだ。
冬の国の、小さな四季。
この季節は確かに冬の国特有のものであり、なくしてはならないものかもしれない。
「幸せや不幸せは、きっと環境のそれで決まるのではないんだと思います。私はすごくこの国が好きですから。森の中を歩いても安全ですしね。熊がずっと冬眠しているんです」
冗談めかして、女性は笑う。
「それは安心ですね」
旅人もつられて笑顔になった。
サクサクと、新雪を踏みしめて、旅人は森の中のガス灯の間を歩く。コートを羽織り、スパイクのついたブーツを履き、サクサクと雪を踏みしめる。借り受けたこれらの品々は、国境をまたぐときに管理所の職員に渡せばいいらしい。
まっすぐ行けば夏の国、アウスタ・アリアに行く道に続くそうだ。寒暖差が激しいそうなので、それが嫌ならば途中西に行く道にそれれば秋の国、ストリアに行けるそうだ。
ほぅ、と、旅人は夜空を見上げて息を吐いた。月明かりに、瞬く間に白くなった吐息が雪の結晶のように輝いた。
「この辺りの気象システムにはやはり、重大なエラーがあるようだなぁ。でも参ったな、どの国の人々も幸せそうだぞ」
旅人の傍を、轍を作りながら馬車が走っていった。
「あ!乗せてください!」
旅人はスパイクを雪の層に突き刺しながら駆ける。声が届いたのか、それとも人影に驚いたのか、馬車はゆっくりと停車する。
息を弾ませて、旅人は馬車に走り寄る。
「直すに直せないよ、これは。前任者も困ったわけだ」
愚痴愚痴と、だけどどこか嬉しそうに彼はつぶやき、馬車に乗り込んだ。
馬車はランプの明かりで街道を走る。
ガス灯の明かりと、どこまでも続く白と、白に溶け込む闇。景色の幻想さは美しく、確かに尊重すべき素晴らしいものだ。
馬車はどこに行くだろうか?このまま夏の国へと行くだろうか?そうならば、西に折れる道で馬車を降りよう。
秋の国は食べるものが美味しいと聞く。
困ったことは棚に上げて、旅人は純粋に旅を楽しむことに決めた。
折々の四季の国は、どの国も変わらず美しい。
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雪国生まれだけど南国育ちです。
積もった雪ってTVの中だけ。
本当はだいぶ辛いみたいですよ?降雪は。