No.113208

ニンゲンとカミサマ

早村友裕さん

 静かな街に、空から舞い降りてくる、『彼ら』
――彼らは、死を届けるモノだった。
 ただ『在る』コト、『生きる』コト、ニンゲンが神に求めたものとは。

*****

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2009-12-20 00:41:27 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:798   閲覧ユーザー数:765

 

 

 舞い降りる。

 静かに澄んだ空気の中を、ふわり、ふわりと舞い降りる。

 

「ねぇ先輩」

 

「なんですぅ?」

 

 少年の声で赤茶の髪の少女が振り向いた。

 夜闇の中、淡い桃色のマフラーがふわりと風に靡く。

 街の灯りが足元から近づいてくる。ヒヤリとした空気の中で細々と灯る営みは、まるで天から降りてくる二人を導くかのように冷たく澄んでいた。

 頬に冷たい風を感じながら、高度を下げていく。

 憂い顔をした少年は、まるで拗ねたような調子で舞台の台詞めいた言葉を口にした。

 

「世の中のニンゲンは神に救いを求めるけどさ、『神』の名を与えられてしまったオレたちは、何処に救いを求めたらいいのかな?」

 

「何、訳分からないコトを言ってるんですかぁ? このところキミはヘンですよ?」

 

 肩に担いだ大きな鎌をくゆりと揺らし、『先輩』はふわりと地上に降り立った。

 年代を経た煉瓦(レンガ)造りの橋に音もなく着地した二人――黒服に身を包み、身の丈に合わぬ大鎌を構えた『先輩』と『後輩』。

 辺りに人の気配はなく、薄汚れた首輪をつけた犬が一匹、痩せ衰えた姿で降りてきた二人を見上げていた。

 天に輝くシリウスよりも蒼い瞳の色をした『後輩』は、誰に、ともなく問いかけた。

 

「……『より快楽を求める事』が『生きる事』と同義だと思ってたのは、もしかしてオレだけ?」

 

 くすくすと、『先輩』は笑う。

 無邪気に、愉しそうに。

 

「『生きる』だなんて……キミはたまにニンゲンみたいに難しいコト、言うんですねぇ」

 

 スミレ色の瞳の『先輩』は、欄干に腰かけた『後輩』に向かってにこり、と笑いかけた。

 その時、澄んだ大気を大きく震わせるようにして、街はずれの時計台が夜の始まりを告げる。薄くかかる雲から覗き込むように、三日月が夜空に張り付いている。

 『後輩』は、それを見上げ、白い息を吐いた。

 何処からか、犬の遠吠えが聞こえる。

 人の気配は、ない。

 

「……やっぱ、もういい」

 

「照れなくてもいいんですよぅ」

 

 くすくすと笑う『先輩』から顔をそむけ、『後輩』は座っていた欄干から飛び降りた。

 

「さ、そろそろ行くのです」

 

 そして、『先輩』はにこりと笑った。

 

 

 

 

 街の片隅、小さな煉瓦造りの家の2階の窓から覗き込んだ。

 先輩が窓に近づくだけで、触れていないはずの窓が風もないのにかたかたと啼(な)く――それは、死の予兆。

 

「どう?」

 

 後輩も肩越しに室内を覗き込んだ。

 光ない部屋の中、目を凝らしたが、部屋の様子は分からなかった。辛うじて、三日月の光が差し込む窓付近の床に、ぼろぼろになった絨毯の切れ端が見える。その奥は闇の中に溶けている。

 窓は固く閉ざされているが、室内に温かい空気はなさそうだ。

 

「入るです」

 

 先輩は、躊躇いもなく大鎌を振るい、目の前の窓を切り裂いた。

 その瞬間、ぐにゃりと目の前の景色が歪んで窓がまるで切り取ったハムのようにだらりと手前に垂れ下がった。

 部屋の中は月明かりに照らし出され、その闇の中で何かが身じろぎした。

 先輩に続いて後輩も部屋に足を踏み入れる。

 そして、シリウス色の瞳で部屋を見渡し、すぐにその中に微か動く影を見つけた。

 

「いたね、先輩」

 

 その背後でだらりと垂れさがっていた窓が生きているかのように蠢き、元の姿を取り戻した。

 

「そりゃあ、いますです。いなかったら困るです」

 

「……そうなんだけどさ」

 

 天井を脅かすほどに大きな鎌を片手で頭上に軽々と支え、後輩はふう、とため息を返す。

 二人の視線の先にいるのは、小さな、小さな『ニンゲン』。

 小さな体を横たえ、ぼさぼさになった髪を床に零し、光ない瞳がぼんやりと宙空を見つめていた。力なく横たえられた体はやせ細っており、さらにこの寒さだというのに手足の大部分は露出したままだった。

 命の灯が尽きそうなのは、一目瞭然だ。

 そしてその隣、数歩という距離に、さらに小さな赤ん坊とも呼べるモノが転がっている。

 床に力なく横たわる幼い少年と赤ん坊、二人は兄弟だった。

 

「もう2週間になるです。母親がこの子たちをこの部屋に閉じ込めてから」

 

 生活に貧窮した親が、実の息子たちを放置し、街を出た。

 鍵の掛けられたこの部屋から子供達が脱出する事も、助けを呼ぶ事も、ましてや食料を手に入れる事も出来なかった。

 帰る筈のない母を待ちながら、ひっそりと、この街の片隅で衰弱していった。

 

「マ……マ、遅い……よ……?」

 

 か細い声が幼い唇の隙間から洩れる。それはこの世における最後のつぶやきで、また、それを聞く者は黒衣の少年少女以外にいなかった。

 まだ赤ん坊である弟の方に目を移すと、無数の小さな蟲が蠢(うごめ)いていた。

 

「まだ若いおかーさんだったのです。二人を育てるのは無理だったのです」

 

 2週間前に『すぐ戻るからね』という母親から残された言葉を信じ、この寒い季節に小さな部屋の中に取り残され、食べ物も着る物もなく、幼い兄弟は苦しんだ。

 兄は、弟の遺体の横で幾らかの時を過ごした。

 それも、今、終わる。

 

「断ち切ります、です」

 

 

 

 

 

 

 以前にもこの部屋に来た事があった。

 ほんのつい先日、幼い少年の隣に転がる小さな『命』だったモノを断ち切るために。

 彼らはいつも、『断ち切る』ために現れる。その行為に意味はなく、命令もなく、はじまりもおわりもない。

 最後に鎌を一振りするためだけに現れるのだ。

 そして、そのためだけに存在し続けるのだ。

 

「ニンゲンって不思議だね」

 

「そうですかぁ?」

 

 先輩は、首を傾げた。

 彼らにとって当たり前。死を届けるという行為そのもの彼らの定義なのだから。

 

「もしおかーさんが帰ってくるんだったらば、ワタシたちは来ないのです」

 

 先輩は、淡々と告げた。スミレ色の瞳に、ニンゲンが感情と呼ぶモノは映っていない。

 大鎌を、一振り。

 少年は沈黙し、部屋に静寂が訪れた。

 

 

 

 

 舞い上がる。

 灯りの消えてしまった街の上空、冷たい空気を切るようにして。

 

「ねぇ、先輩」

 

「今度はなんですぅ?」

 

 淡い桃色のマフラーが斬るように冷たい風を巻き込んで、くるりと翻った。

 

「ニンゲンっていうのは神に救いを求めようとするヤツらけどさ、結局のところ、ヤツらに名付けられたオレたちはニンゲンの言うところの『神』なのかな」

 

 

――もし、母親が息子たちに与えようとした救いが『死』なのだとしたら

 

 

「また訳分からないコトを言うんですねぇ。相変わらずキミはヘンですよ?」

 

「……」

 

「でも、もし『ニンゲン』がワタシたちを『神』と名付けたのなら――」

 

 先輩はそこで一瞬だけ躊躇った。

 が、すぐにいつもの笑顔に戻ってくるりと後輩の方を向く。

 

「きっとそうなんですよぅ。ニンゲンたちはきっとワタシたちに――『死』に救いを求めたということなんです。だから、ワタシたちは『神』で、『ニンゲンを救うモノ』なんです。きっとワタシたちがニンゲンと同じ体の創りになっているのもそのためだと思うのですよぅ」

 

 それを聞いて、後輩はあまりにも予想しなかった、といった風体で蒼い眼を丸くした。

 が、それは一瞬で、すぐに口元に手を当て、くすりと笑う。

 

「何それ、先輩の方がよっぽど『ニンゲン』じゃん」

 

「うるさいのですぅ。ワタシはキミよりずっと長いのです。その分、いろいろ考えるコトだってあるのですよっ!」

 

 頬を膨らませ、照れ隠しに大鎌をぶんぶんと振り回す先輩は顔を赤く染めながらも、珍しく嬉しそうに笑う後輩の姿を見て手を緩めた。

 普段無愛想な後輩の珍しい姿を見てしまい、ふぅ、と大きく息を吐いて、鎌をおさめる。

 やれやれ、と肩を竦めた先輩は、いつもの笑顔を後輩に向けた。

 

「キミもいっぱい悩めばいいのです。ワタシたちにも、キミの言う『生きる権利』とやらがあるのなら、ですけど」

 

 生きるという言葉はひどく曖昧だ。

 それ故、確かに存在する彼らが果たして生きているのかと聞かれれば、答えは誰にも分からない。

 なぜなら、ただそこに在るのは、彼らが生死に関わるという事実だけだから。『ニンゲン』には決して知り得ない処で、彼らは生じ、在り、消滅する。

 その理由も原動力も、始まりも終わりさえも、誰も知らない。

 何しろそれは、彼ら本人にとっても例外ではないのだ。

 

「『生きる』ねえ……ねぇ、先輩、生きるって何かな?」

 

「キミはまたそうやって難しく考える……やめるですぅ、その癖。そうじゃなかったら自分一人で考えるです! ワタシは知らないのですぅ」

 

「はいはい、すいませんですぅ」

 

「まっ、真似しないで欲しいのですぅ!」

 

 『より快楽を求める事が生きる事と同義だ』と言った彼の言葉を信じるならば、存在意義を問う事はその第一歩なのかもしれない。

 しかし、彼らは『ニンゲン』の死に干渉できる。それゆえ、彼ら自身に『生きる』という言葉は似合わない。

 息子を放置した母親に対して感情を持つ事も、最近この行為を繰り返す頻度がひどく増加している事に対して何か意見する事もない――彼らは『そういうモノ』だから。

 

「オレのせいじゃないんですぅ、先輩が冷たいのが悪いんですぅ」

 

「もっ、もうやめるです!」

 

 

 

 三日月が見下ろす寂しい街。

 存在する『彼ら』。

 ただ『在る』コト。『生きる』コト。『考える』コト。そして『死ぬ』コト。

 

 

  何も知らない『ニンゲン』と

  何も知らない『彼ら』とが

  存在しているこの街で

  静かに眠る三日月は

  何も知らないと主張して

  群青の空に灯り落とした

 

  迷い続ける存在を見守るかのように

 

 

 

 

「いつかオレも先輩みたいにはっきり答えを出せるようになるかな……?」

 

「何か言いましたぁ?」

 

「何でもない」

 

 

 

―― 舞い上がる 灯りの消えてしまった街の上空、冷たい空気を切るようにして ――

 

 

 


 
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