墓石の前に家族一同に付き添って
みやびの家族の者が言う。どうしてこの娘はこんなにも早くに
人々が一人、また一人と墓前で手を合わせ、線香を上げる。彼は最後だった。熱い床石に正座して、線香に火を付けて……。彼は涙を見せずに、静かな祈りをしばらくずっと投げかけていた。人々はその長い沈黙をただ待った。彼はやがて立ち上がった。全てが終わった人々は各々別れを告げて帰路に着いた。彼もまた人々に別れを告げて家路についた。
家に帰り付き、親と話をし、それが済むと彼は自室へと戻って来た。締め切られた窓によって熱が籠っており熱い。夕方の泥の様な空気でもまだ涼しいのだ。宏人は窓を開けて熱気を解放した。窓の先には何も変わらない住宅地の街並みがあった。西日に照らされて影が濃い。彼は暫くそうしてその影を、日向を追っていた。
―――影送りをしようよ。
呟きが彼の内に響いた。その言葉の主を彼は思い起こす。幼い日の彼女、幼い日のみやび。夕の日差しに照らされた近所の駐車場で、少年が少女と共に遊んでいた。いつまでも、いつまでも。病弱な割には外遊びを好む女の子だった。辺りがすっかり暗くなった頃彼は母親の呼ぶ声を聴いて、窓辺を離れた。記憶の内に在るみやびが手を振る姿を見た。ばいばい、とあどけない声が彼に届いた。
朝を迎えた。その日差しを認めた宏人は、昨日の出来事がまるで遠い昔のものと錯覚しそうになった。彼は着替え、学校へと自転車を走らせる。国道の騒音、並木道、河川敷、それらの全ては彼の見知った姿のままに彼を迎えた。それをずっと、ゆっくりとした速さで彼は走り、眺めていた。
昼休みに中庭へと宏人は出た。校舎に囲まれた植木や使われていない兎小屋が佇み、夏の日差しを受けて輝いている。宏人は木陰に座り込んだ。ここなら、与太者が妙な気遣いをしてくることも無いだろう。彼はそう思って弁当の包みを開いた。
部活をやっていない彼は放課後常に登下校に際して通り過ぎる公園に立ち寄って、鉄棒等を使って体を鍛えていた。彼にとって、そうするのは病弱なみやびを見ていて恐れを抱いたからかもしれなかった。この日も欠かすことは無かった。陽光が黄ばみを増す頃、彼はそれを止めた。遊具には毎日のように子供たちが無邪気に遊んでいた。自分にもついこの間までその姿があった。みやびにも、その姿が。宏人は思った。何故、自分の目には影が差さないのだろう、と。彼はひどくそれを歯がゆく思い、ここで聞いたみやびの声を思い出そうとした。
―――こっちだよ。
―――待ってよ、待ってよ。
―――あーん、ああーん。ああーーん。
そこにみやびが居た。それは彼の内側に残るものでしかなかった。彼は思うのだ、これがあるがために、自分はこうもみやびの死を受け入れているのではなかろうかと。彼は傍らのベンチに座って、遊具で遊ぶ少年少女たちにみやびの姿を重ねた。彼は時計を見た。夜の帳が降りる頃には、帰り付けるだろうか? 彼は自転車に
人々が人の死を忘れた頃、彼はみやびの両親を訪ねた。彼は二人の写真を見たいと思ったのである。両親は彼のことを快く思った。そして同時に、娘に
綴じられた写真の数々は古く、しかし
宏人がみやびの言葉を聞かなくなったのはそれからだった。彼はずっと、彼女の姿を見ることも無くその声を内に聞くことも無くなっていた。自らの内側に住まっていたみやびが失われつつある、そう彼は考えた。その事実にさえも彼は涙を感じなかった。彼は静かに、淡々と日々を重ねた。
新しい夏が来た。彼には卒業が迫っていた。目指す進学先が都会なので引っ越さねばならなくなるだろう。
家に帰った彼は、部屋に籠った熱を吐き出すために窓を開けた。まだ西日が厳しい。彼は早々に窓際から引っ込もうとして、子供の声に気取られた。見下ろす駐車場に、少年少女が戯れている。
「影送りをしようよ」
少女が言った。それを聞いて宏人は半ば無意識の内に夕空を見上げた。
―――お花見に行こうよ。
宏人は家を飛び出す様に出て、霊園にほど近い公園を目指した。そこは花見の名所として地元で知られた公園だった。訪れた夏の日には舞い散る
彼はどうして、今更みやびの言葉が聞こえたのか、どうしてそれに従ったのか分からなかった。彼は分からぬままに公園を歩いた。夜が近い公園には他に誰もいなかった。ただ太陽が景色を朱く照らしていた。影が、一際色濃かった。
―――私ね、毎年こうしてここに来るの、好きだよ。
桜の樹を前にしてみやびが呟いたのを彼はあの頃に聞いた。その樹はその時から一年を待たずに
―――宏人君が、こうして一緒に居てくれるだけで、私は幸せ。
あの時、俺は何と答えたのだろう? 彼は思い出せなかった。この言葉の後、みやびは微笑んで街を一望できる山林の切れ目に自分を導いた。彼はそれを辿る様に歩いた。彼は手すりにもたれかかって、そこから街の明かりが数え切れないほど灯っているのを見渡した。
―――ねぇ、宏人君。
みやびはそう言ってそこで、座っていたベンチから立ち上がったのだ。彼はその続きの言葉を自分の口で続けた。
「私が居なくなっても、泣かないでね」
忘れ果てていたものが、不意に心を満たした。彼はみやびの幻に向けてこう呟いた。ありがとう、と。宏人は真っ暗になった公園を降り、自転車で街を走った。街の眩しい明かりが、彼の内に在る心の昂ぶりを鎮めてゆくのを感じた。眩いばかりの景色が、彼の眼の前を次々と、次々と通り過ぎてゆく。疾る彼。車の騒音が彼の耳を塞いだ。それで、彼の内に在るものは
夏休みのただ中、宏人は海辺に居た。人気の少ない小さな白い砂浜。すぐそこに道路があって、そこに車が走る音が時折辺りに響く。海風が吹いていた。太陽が今なお熱く日差しを地上に落としていた。
宏人はそこでただ、歩いている。かつて一度だけ、みやびと一緒に歩いたこの海岸線をもう一度歩きたいと思ったのだ。
―――ひろと君。ね、すてきだよね、ずっと一緒に歩き続けられたらって。ね?
麦わら帽子を被った白いワンピースの少女が波打ち際を歩く。寄せては返す波にその足跡は消されてゆく。足跡を追う記憶が宏人の脳裏によぎった。それは直ぐに、現実の光景に掻き消された。
「みやびは、逝ってしまったんだな」
宏人は呟いた。海鳥の鳴き声が聞こえ、消えていった。その中に混じって、さようなら、という
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約三八〇〇字。二〇一五年七月一日完成、最終更新二〇二三年十月十五日