「一度、休憩しますか」
「そうだな…」
男の言葉に老人は呟いた後、すー…と目を閉じた。
「あーじいちゃん、また寝ちゃったー」
「最近すぐ寝んだよなー」
周りに群がっていた子供たちが声を上げる。
寝たんじゃねえぞ。おれはここにいるぞ。
キジの意識は、子供たちの上を浮遊しながら声をかけたが、誰も気が付いてくれなかった。
日当たりのいい部屋の一室で、老人が揺椅子に座り目をつぶっている。その周りに数人の子供たちが取り囲んでいて、一人、男が座っていた。変わった髪形をしていた。天辺は無毛で両側に生えている銀髪を伸ばして無理やり中央に集めて括っている。丸い愛嬌のある体つきで、手には紙と羽ペンを持って何か書いている。
「ごめんな、スガタさん。うちのじいちゃん、一回寝るとなかなか起きねんだ」
「いやいや、キジさんに無理を言って話してもらっているのは、ぼくだしね」
そうだ。おれはこの男に、昔の話をしているところだった。遠い遠い昔の話。
老人になっている自分を改めて観察する。
まー。こんなハゲ散らかして、皺だらけになっちゃって。だけど、いい顔しているな。おれ。いい人生を送って、満足しきった顔だ。
階下から、おやつよー、と声がしてチビたちが歓声をあげて移動する。丸い男も手を引かれて降りて行った。キジの意識もついてゆく。
「あら、じいちゃんは?」
「寝ちゃったんだよ。気持ちよくしゃべっていたのに」
子供たちはプイプイと文句を上げながら、白くて丸い物体を匙で掬って食べている。
「すいませんね。話の途中だったんでしょう」
「とんでもない。有難いお話でした。ティエンランと、亡き女王リウヒにまつわる話を集めているんですが、これは公にはされていなかったので。聞かせてもらって本当に良かった」
ぼくの両親も話してくれなかったから、と男は笑った。居間で数人の大人たちが、茶をすすりながら声をかける。
「よかったら、おれらが親父から聞いた話もしようか」
「怒涛の人生だったしな。ネタはつきねえよ」
ぜひお願いします。男は喜々とした声を上げた。
「じいちゃんはさー。リウヒが好きだったのかな」
少年が匙を舐めながら言うと、少女たちが鼻で笑った。
「当たり前じゃない、ベタボレだったわよ」
キジの意識はクツクツ笑う。
そうだよ。まったくその通りだ。
惚れていたんだ。滅茶苦茶に惚れていた。あの藍色の髪の少女に。
なあ、リウヒ。お前は知らないだろう。
あの宮廷の庭で、おれが内心どれだけ葛藤していたかを。
本当は、おれと一緒に来てくれと言いたかった。おれだけのものになってくれと言いたかった。お前を愛していると叫びたかった。
でも、言えなかった。お前を困らすことが分かっていたから。無理だと分かっていたから。
あの細い体を、あの柔らかな唇を、あの小さな白い手を、離すことしかできなかったんだ。
今ではそれで良かったと思っている。
お前はお前の人生を生きたし、おれはおれの人生を生きた。
それでもあの時、浚ってしまえばよかったと何度も後悔したもんだ。
おれが初めて本気で愛した女は、国王陛下だった。巨大な大義を背負った、自由のない女だった。そしておれは海でしか生きられない男だった。
チビどもがきゃいきゃいとはしゃいで走りまわっている。
それを諌めながら、大人たちはのんびり語り出す。太った老婆がニコニコと聞いている。
思わず笑みが漏れた。
現実だって中々悪くはない。昔の美しい思い出はそのままに、長年連れ添って来てくれた妻や子供、孫たちはリウヒ同等、愛おしい存在だ。
おれの大切な家族たち。百年も二百年も栄えよなんて言わない。ただ、いつまでも健やかで幸せであってくれ。
じゃあな。
意識は天に導かれるまま、西へ西へと走ってゆく。
潮の香りがした。風が駆け抜ける、波の音が踊るように歌う。
ああ。
キジは思わず歓喜の声を上げた。
遥かに広がる大海原。果てしなく遠い地平線。どこまでも跳ねる波間の輝き。
その先に光が見える。意識は更に加速した。
光の中に、みながいた。頭領やハルさんや、かつての仲間たちがこちらを向いて笑っている。みんなあの頃のままだ。
なんだよ、リウヒもいるじゃねえか。そんな可愛い顔して笑うなよ。
後ろからの気配を感じ、振り返るとクロエがいた。
おう、お前も来たのかよ。会ったら文句ゆってやろうと思っていたんだ。左将軍になって、さんざおれらを追い回しやがって。
まあまあ、その話は向こうでしようぜ。
クロエは笑って彼方を見る。
キジ、クロエ、早く。
リウヒが笑いながら、手を振っている。
横の馬鹿は、相変わらず恋する男の顔だ。おれもそうなんだろうな、きっと。
いこうか。いこう。
そして二人は走り出す。海原の彼方へと。
窓の外では、海面が光をうけてキラキラと輝いている。うららかな冬の日差しが差し込み、揺椅子に座る老人を照らした。
口元に笑みを浮かべているその顔は、まるで寝ているようであった。
-了-
あとがき
稚拙な文をここまで読んでくださって、ありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。
2部を書いたきっかけは「お姫様はドラゴンに浚われてしまいました。王子様が助けてめでたしめでたし」。典型的ファンタジーの話を「ドラゴンは王子が助けに来るまで何をしとったんじゃ!どんだけ紳士やねん!」の思いから生まれたものです(おい)。
元々出来上がっていたストーリーを、1日2回ペースで投稿していましたが、そんな自分でさえお腹一杯になってしまいました(苦笑)。
リウヒも「誰かに頼らないと不安になる」ような弱い子でファンタジーの主人公にはありえない性格ですが、20代後半からとっても強くなります(どれだけ先だ!?)。
3部は2部の反動もあって、あっかるいノリになってしまいました。しかもファンタジーというより歴史もの?タイムスリップとかありなの??ってな感じです。
その内、再開いたしますので、またお付き合いいただければ嬉しく存じます。
本当にありがとうございました。
まめご
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
おれが初めて本気で愛した女は、国王陛下だった。
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