No.112355

アリセミ 第八話

 女子剣道部内での抗争に決着がついて数日後。
 山県有栖(やまがた ありす)と武田正軒(たけだ せいけん)との熱愛の噂は学校中に広まり、冷やかしや好奇の視線の集中砲火に二人は ほとほと困り果てていた。
 はたして二人は、広まった誤解を解くことができるのか?
 それとも本当に付き合ってしまうのか?

2009-12-15 02:31:19 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:1166   閲覧ユーザー数:1069

 

 

 

 第八話 変わる日

 

 

有栖「…それでは、これより朝練を始める」

 

 いまだスズメたちが庭先で戯れているような早朝、そのとき既に修養館高校の剣道場には、女子部員たちが規則正しく整列していた。道着に着替え、竹刀を携えている。

 その整然たる一団に向かい合うようにして、指導者然と立つ部長・山県有栖。

 先日の部活内対抗戦において、新人最有力株の今川ゆーなを圧倒的な力量差で屠り去り、部長としての威厳を取り戻した人である。

 主将は部員たちに檄を飛ばす。

 

有栖「ここ最近ゴタゴタがあったが、それもようやく収まり、これから より一層 稽古に打ち込めるようになると思う。まず最初の目標はインターハイ予選だ、気を引き締めて稽古しろ!」

 

 それに答える一人の部員。

 

副部長「……有栖、それよりも大事なことがあると思うの」

 

有栖「そんなものは、ない」

 

副部長「いいえ、あるわ」

 

有栖「ない!」

 

 全力でシラを切り通すも、部員総勢の じっとりした視線は、有栖から外れることはない。

 その原因は わかりきっていることだった。

 先日の今川ゆーなとの決戦、その中で颯爽と現れ、有栖の危機を救った男・武田正軒。その正軒と有栖との間に、恋人疑惑が浮かび上がっているのだった!

 

部員1「主将ズルイです!恋愛禁止とか言いながら、自分だけ あんなカッコいい彼氏作ってたなんて!」

 

 カッコいい?カッコいいかアレ?(by有栖)

 

部員2「カッコいいじゃないですか!彼女のピンチを救いに来てくれるなんて!まるで白馬の王子様ですよ!」

 

 ピンチに追い込んだのは お前らなんだがな!(by有栖)

 

部員3「その上最後には あんなに熱い抱擁までし合って!もう完全に相思相愛ってカンジ!キャー!」

 

 ことほどさように女子部員たちは、ネズミの玩具を放り込まれたネコの群れのように興奮状態だ。

 コイバナというものは これほどに女子から理性を奪い去るものなのか?

 しかしこれでは大会に向けての稽古も何もあったものではない。仕方なく有栖は、先日にした説明をまたもや繰り返すハメになった。

 

有栖「…………いいか お前ら、正軒は、イヤ武田はな、ただ練習相手だ。稽古に付き合ってもらっただけで、お前たちの想像するようなことは一切ない」

 

部員4「一緒に稽古したんですね?」

 

部員5「そこから愛が芽生えたんですね?」

 

 ダメだコイツら。

 早く何とかしないと。

 

部員6「くーあー、いいな主将うーらーやーまーしぃーいぃー!ヒトには恋愛禁止とか言いながら、裏で上手いことやりやがってー!」

 

部員7「それで、結局のところ どうなんですかッ?彼とは何処まで行ったんですかッ?」

 

部員8「もうエッチしちゃったんですかッ?」

 

 えっちッ!?聞いた途端 有栖の頬が真紅に炎上する。

 

有栖「なななななな…、何を言ってるんだーッ!お前ら高校生の分際で……、ふしだらだぞ!まだ胸を触られる寸前までしか行ってないのに、そんなふしだらな行為に及んでいてたまるか!」

 

部員全員「「「「胸を触られる寸前まで行ったんですかッ!?」」」」

 

有栖「ぐはぁーッ!!」

 

 有栖、自爆。

 前言撤回である、試合に勝って部長の威厳を回復したと言ったが、そんなことはまったくなかった。

 執拗な追求に、有栖は失言するわボロを出すわでグダグダ状態だ。ボロも失言も同じ意味だけど。

 挙句 有栖は いじめられた子供のように真っ赤な顔を覆ってしゃがみこんでしまった。部長の威厳 地に堕ちる。

 そんな彼女の肩を、ポンと優しく叩く者がいた。副主将・山本千恵だった。No2として有栖を徹底サポートするのが役目の彼女は、口元に涼やかな笑みを浮かべて、言った。

副主将「有栖、やったらちゃんと報告するのよ」

 

有栖「サラリと何を要求しとるんだァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!?」

 

 サポート役は結局何のサポートもしてくれなった。

 

副主将「とにかく、問題は もっと別のところにあるわよね。ウチの部が男女交際禁止っていうのは、まさか知らないわけでもないでしょうよ?」

 

有栖「いや、だから……」

 

副主将「誰かさんが勝っちゃったおかげで まだ規則は廃止されてないわけだから。このままだと有栖は、部を辞めるか、彼氏と別れて罰ゲーム的な特別練習を受けないといけないわけよね?もしくは規則そのものを廃止にするとか?」

 

部員9「主将!是非とも廃止の方向で行きましょう!」

 

部員10「廃止して幸せになってください主将!そして幸せを私たちにも分けてくださいッ!」

 

有栖「お前ら…、まだそれに拘ってたのか?」

 

副部長「何を言ってるのッ?これはアナタのために言ってるのよ!規則があるままだとアナタと彼氏が引き裂かれちゃうじゃないの!そのために廃止、とにかく廃止!時代はそれを求めているのよ!」

 

 なんということだ。

 せっかく今川ゆーなに勝って規則を守り通したと思ったのに、部員たちには一向諦める気配がない。むしろ、唯一の反対派である有栖に熱愛疑惑が発覚したことをテコに、議会延長する与党並みの強引さで法案成立を狙うハラだ。

 

有栖「うう、なんでこんなことになった……」

 

 有栖は涙目で唸るのだった。

 試合に勝てば すべてが解決すると思われたのは、すべて虚構。事態は有栖の想像も超えて、あらぬ方へと動き出している。

 

 そして、そんな動きに翻弄されているのは、何も有栖一人だけではなかった。

 

 

           *

 

 

正軒「うう、なんでこんなことになった」

 

 と正軒が嘆いている。場所は、二年生の彼の教室。

 廊下には入れ代わり立ち代り、他クラスからの生徒が教室内を覗き込んでいる。コレすべて見物客だ、いまや学校中の話題をかっさらう武田正軒を一目見んとするための。

 さもありなん、修養館高校屈指の美少女にして最強の剣道部部長・山県有栖に初めてできた彼氏なのだから。

 野次馬どもは、休み時間のたびに入れ代わり立ち代りやってくる。その好奇の視線に当てられるだけで、正軒は体力を奪われグロッキー状態となるのである

 時刻は昼休みとなり、見物来場者は本日最高を記録しつつある。

 おかげで正軒は学食にパンを買いに行く気力もない。もうウザい、みんな粉々になればいいのに。

 

正軒「クソ、ヒトをレッサーパンダみたいに珍しがりやがって。こんな一般人を見物して何が楽しいんだ?」

 

グレート「何をおっしゃるウナギさん。タケちゃんは今、校内に燦然と輝く時の人ですぜ」

 

 前の席に座っている友人・小山田暮人こと小山田グレートが振り向く。

 

グレート「何せ女子剣道部部長・山県有栖さんは我が校が誇る五大美女の一人ですからにゃー」

 

正軒「何その五大美女って?」

 

グレート「クレオパトラ、楊貴妃、小野小町、有栖部長…」

 

正軒「スケールでけぇなオイ!」

 

 しかも4人しかいないし。

 

グレート「ともかく五大美女は冗談でも、校内指折りの美女で巨乳である上に、部活の規則のおかげで まったく男を寄せ付けなかった山県有栖さんに ついに恋人ができたっつーことで、校内は話題騒然なわけ」

 

正軒「だから恋人じゃねーっつーの」

 

グレート「今まで誰にも靡かなかった鉄の女が、ついに堕とされた。しかも相手は無名のフツー民。まさに伝説となるであろう この大金星を、男の名をとって こう呼ぶのだよ」

 

 正軒伝説。

 

正軒「もおいい畳み掛けるな」

 

グレート「3が最高傑作といわれています」

 

正軒「ないよ3なんか!出ねえからな続編なんて!」

 

 正軒はウンザリ最高潮だ。

 今となっては後悔している、有栖のためとはいえ、衆目の集まる試合場へ みずから飛び込んだことを。

 それのおかげで自分という存在が校内中に知れわたり、色々ややこしい状況になってしまい、その上いらん勘繰りまで受けている。

 今までの、存在の薄い影のような立ち居地が心地よかった正軒としては迷惑極まりない話だ。

 

正軒「あーあ、やっぱり助けなきゃよかったかな先輩なんて」

 

有栖「そうか、それは悪かったな」

 

正軒「いまさら謝られたって…、え?」

 

 ビックリ仰天、いつの間にやら正軒の すぐ横に、話題の人・クレオパトラと並び称される山県有栖が立っていた。

 

正軒「えええぇぇぇぇッ!!?」

 

 何故、有栖がこんなところに?

 三年生である彼女が二年生の教室に現れるなど偶然ではありえない。

 予想だにしなかった出来事に正軒は絶叫し、教室の外の野次馬もドヨドヨと色めき立つ。

 ただ中心人物である有栖だけが、冷ややかな落ち着きをはらって言うのだった。

 

有栖「知らぬ間にキサマに迷惑をかけていたようだな武田」

 

正軒「た、武田…?」

 

 先輩、昨日まで下の名前で呼んでくれなかったっけ?

 

有栖「だが私の方からも言わせてもらえば、キサマとの変な噂が立ってくれたおかげで規則の廃止が また盛り上がってな。先日私が試合で勝ったのも意味がなくなってしまった」

 

正軒「う……」

 

 そんなに正面からバッサリ言われると、正軒の方も言葉がない。

 けんもほろろな物言いに、周囲の野次馬たちまで戸惑いだした。…コイツら、ホントに付き合ってるの?と。

 

有栖「まあいい、武田、少し話がある、付き合え」

 

正軒「え?ああ、ちょっ………!」

 

 応か否かも答えるより前に、肩を掴まれた正軒はずるずる引っ張られていく。

 そんな二人の背中を見詰め、呆然とする野次馬たち。見物する対象がいなくなってなお、その場に立ち尽くすのだった。

 

 

              *

 

 

 有栖が正軒を伴ってやってきたのは、校舎の屋上だった。

 一応休み時間には解放されているものの、まだ春先で肌寒いためか人は少ない。その僅かな利用者も、有栖と正軒が現れた途端「ウマに蹴られて死にたくない」とばかりに そそくさと退散していった。皆いらん空気読みやがって。

 

正軒「…あの、先輩?」

 

 正軒がこわごわ尋ねるのを無視し、有栖は屋上の腰を下ろすのに適当そうな場所を探す。

 

正軒「せんぱ~い………」

 

 有栖は何も答えてくれない。

 一計を案じ、正軒は土下座することにした。

 

有栖「うおっ、なんだ?」

 

 正軒の最屈辱的な姿に気付いて、有栖はやっと驚きの声を上げる。

 

正軒「先輩、すみませんでした」

 

有栖「何が、謝られる理由がわからん」

 

正軒「イヤだって、俺が出てきたおかげで変な誤解を受けちゃったし、せっかく勝ったのに規則のこととかウヤムヤにされちゃったって………」

 

有栖「ああ、そのことか」

 

 有栖は存外なんでもないような顔で。

 

有栖「かまわんさ、まあたしかに納得いかんとごねるヤツは多少いるが、それは部の中の問題であり、部の中の問題を解決するのは主将としての当然の務めだ。正軒には何の責任もない」

 

正軒「あ、はあ……」

 

有栖「それにな、あの時正軒が割って入ってくれなかったら、私は負けていたかもしれん。そうなれば あの時点で規則の廃止は決定していたんだ。それを阻止してくれたこと一つとっても、私はお前に感謝しているぞ」

 

 じゃあなんで、さっきはあのように非難するような言い方を?

 

有栖「事実は事実として、きっちり明文化すれば ああなるというだけで、それと感謝の気持ちはまったく別問題だ。ホラ、いつまで土下座しているつもりだ、男が安々と頭を下げるんじゃない」

 

 アナタが そうするように仕向けたくせに。

 正軒はこれまで人に頭を下げるような人生は送ってこなかったが、有栖と知り合ってから何度も土下座しているような気がする。

 まあともかく、有栖は怒っているわけではないようで一安心の正軒だった。

 呼び方もなにやら『武田』から『正軒』に戻っているし。

 

正軒「…じゃあ先輩、俺をここに呼び出したのは何の用で?」

 

有栖「ふむ、これのためだ!」

 

 ずずずいっ、と有栖から正軒の前に差し出されたのは、やたら大きなアルミ製の弁当箱、いわゆるドカベンと呼ばれる それは開けてみると、多くの惣菜が詰め込まれていて実に色鮮やかだ。

 

正軒「おおっ、ナニコレッ?超美味そうッ!」

 

 正軒が弁当箱の中身に目を輝かせると、有栖はしてやったりと笑う。

 

有栖「覚えているか?お前がウチに来たとき、私のことを甘やかされた子供呼ばわりしてバカにしたろう」

 

正軒「あ…」

 

 そういえば、有栖の家でお風呂をいただいたときに、そんな会話をしたような…。

 

有栖「そうでないことの証明に、弁当を作ってきたのだ。料理ぐらい一通りできるという意味でな。ホラ、わかったら こっちに来て座れ!」

 

 有栖が、いつの間にか敷いていたレジャーシートの上を指し示す。正軒は促されるままに移動し、

 

正軒「あの、ホントにいただいちゃってもいいんでしょうかね?」

 

有栖「くどいヤツだな。……まあ、これまでの礼という意味合いもあるから遠慮なく食え?」

 

正軒「あー、まあそういうことなら…」

 

 こうして二人並んで弁当をいただくことになった正軒と有栖。

 正軒用に用意された弁当箱が、土方のアンちゃんがもってそうな無骨なアルミ製であるのに対し、有栖が自分用に取り出したのは小さくて丸っこいプラスチック製の弁当箱だった。デザートを入れているのか さらに小さなタッパが付属しているところが可愛らしい。

 

正軒「うぅ~~む……」

 

 正軒は弁当箱の中身を改めて細見する。

 なんともカラフルな弁当だった。肉の赤、野菜の緑、タマゴの黄色、米の白、しかもそれらが複雑な形で絡み合い、一つの絵となって、何かしらのキャラクターの形を成している。

 

正軒「デコ弁ッ?」

 

 コレが今流行の?

 なんか食材で、色んな花やら動物やらアニメのキャラクターやらを表現するという創作芸術めいたお弁当のことである。まさか有栖にそんなものを作り出すスキルがあったとは。

 チラリと横を窺うと、有栖が勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

正軒「……ちなみに、コレはなんというキャラクターのデコ弁なんですか?」

 

有栖「最近 健二兄ちゃんがやってるゲームのキャラクターで、ディアブロスというものだそうだ」

 

正軒「そんなデコ弁 読者さんが想像できねえッ!」

 

 なんだか食べてしまうのがもったいない気がするが、それだと話が進まないので、思い切って箸を取る。

 食べる、咀嚼。

 

 ………………。

 

 

 

正軒「うんまァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!」

 

 

 

 正軒といえば、実家を勘当されて以来 家庭の味というものに飢えまくりな人間だった。

 日頃 彼が口にするものといえば、箱売りの安いカップラーメンとか知り合いが分けてくれる賞味期限切れのコンビニ弁当とか、そういう何処か寂しいものばかり。

 それゆえに有栖の手料理は、彼の舌にクリティカルヒットしたのだった。

正軒「ウマイ!超ウマイ!こんな美味いモノを喰うのは生まれて初めてだ!ブラボーブラボー!キャプテンブラボー!トレビアーン、ハラショー!ディ・モールト(非常に)よいです!」

 

有栖「ば、バカモノ、大袈裟だ…」

 

 ここまで掛け値なしに激賞されると返って気恥ずかしくなる有栖。

 

有栖「落ち着いて食え、…ホラ頬にソースがついてる。まったく子供はどっちだ」

 

正軒「むうっ?」

 

 有栖は自分のすみれ色のハンカチで、正軒の頬を拭った。

 しばらくして正軒が落ち着いてから、ポロリと一言漏らす。

 

正軒「でも先輩、こんな美味いもの食べさせてもらって何だけど、ホントによかったの?」

 

有栖「?、何がだ?」

 

正軒「イヤだって、今 学校中の皆が俺たちのこと誤解してるわけじゃん。剣道部のためにも誤解は解いておかなきゃなんないだろうに、これじゃあ益々誤解していくっていうか……」

 

有栖「?」

 

 女性が男性のために心をこめて作るお弁当、これを世に愛妻弁当という。

 そしてそれを二人並んで仲睦まじく食べあう様子を傍から見れば、それはもう恋人同士……!

 

有栖「にゃうーーーーーーッ!」

 

 ここに来てやっと その考えに思い至ったのか有栖は頬を染めて奇声を発した。

 まったく考えてなかったのか、そういうことを。

 

有栖「どうしよう、どうしよう、ウチの部の連中は耳聡いのが多いから、きっとすぐに伝わる……!」

 

正軒「教室でたくさん人に見られたしなあ……」

 

 今となっては後の祭りだった。

 もはやできることといったら、事後に待ち受けるであろう盛大な冷やかしのことは今は忘れ、有栖の手料理を存分に堪能することしかない。

 

正軒「ああ うまい、まいうー、こんな美味しいご飯があれば、後のことなんて どーでもいい」

 

 そして正軒は心底 幸せそうだった。

 小難しいことで悩むのがバカらしくなってくるような。

 だからだろうか、有栖は彼を見て、

 

有栖「なあ、正軒は……」

 

 ずっと秘めていた疑問が、口から零れ出た。

 

 

 

有栖「また剣術をやるつもりはないのか?」

 

 

 

 ぴくり、と正軒の箸の動きが止まった。

 有栖は思わず、

 

有栖「ご、ごめん…!」

 

 と謝ってしまった、正軒の瞬時にして変わった視線の色が、あまりに鋭く、冷たくて。

 

有栖「でも、やっぱり勿体ないと思うんだ……!正軒はとてもスゴイ剣の才能をもっている。おじいちゃんやお父さんも正軒のことをスゴイって言ってた。…世の中には、どんなに がんばっても才能がないというだけで上にあがれない人がいる。才能があるのに それを活かさないのは、そういう人たちに対して失礼なことじゃないのか?」

 

正軒「……才に使われたくないんだよ」

 

 正軒は簡潔に答えた。

 

正軒「剣の才能がある、だから剣を極めなきゃならない、じゃあ俺の意志は何処にある?俺の人生を決めるのは俺か?俺の才能か?俺は自分の才能に使われるために生まれてきたのか?」

 

有栖「それは……」

 

正軒「なんてな」

 

 正軒は溜息をついた。

 

正軒「今でこそ そんなことが言えるけど、昔は俺だって剣術にのめりこんでいたよ。剣を振るのが楽しかった時期は たしかにあった。努力すればするだけ上達していくのは、そりゃ当然楽しいさ」

 

有栖「じゃあ…!」

 

正軒「でもな、あるとき気付いちまったんだ」

 

 

 

 

 自分が今生きているこの時代では、自分の才能を窮め尽くすことはできないのだと。

 

 

 

 

正軒「前にも言ったかと思うけど、剣術ってのは結局 人を殺すための技術なんだ。どれだけ綺麗事で飾っても、そこが大本なんだよ」

 

 人殺しの技術を極めるためには、人を殺さなければならない。極めた技術を役立てるためには、人を殺して殺して殺しつくさねばならない。

 かつての英雄英傑が、万骨を踏みしめて功を為したように。

 しかし正軒が生まれた今の時代は、それが許されない時代だった。

 人を殺すことは、法や道徳で禁じられている。

 人を殺すための技術は、存在すら許されない。

 そんな技術を学んだところで、その先には何もないことなど わかりきっている。

 

正軒「時代に合わないんだろうな、俺は」

 

有栖「でもっ、剣道は時代を経て進化した!剣道はただの人殺しの技でなく、自身の精神を鍛え、心を養う教科として………!」

 

正軒「それはおためごかしでしかないって、前に言ったろ?」

 

有栖「う…」

 

正軒「少なくとも俺にとっては そうだ」

 

 彼は、究極のものしか受け入れられない。

 どんなものでも究極のところまで突き詰めれば、その本質が見えてくる。そういう究極を受け入れ、それ以前の、突き詰められない中途半端なものを拒絶する、だからこそ正軒は天才なのかもしれなかった。

 妥協できるのが凡人、妥協できないのが天才。

 そんな法則が当てはまるのだとすれば。

 

 そして、剣というものを究極まで突き詰めれば、それは人殺しの技術ということになるのだろう。

 天才として妥協ができない正軒は、ブレーキをかけることなく そこまでたどり着くしかなかった。才気の命じるままに行き着くところまで行ってしまう。

 そして、剣の究極が孕む 厳然さと、今の平和な世の中とが折り重なることでできる矛盾を直視してしまった。

 

正軒「幸か不幸か、そんな才覚をもって太平の世に生まれた人間はどうすればいいのかね。スポーツの大会に出て優勝するか?チャンピオンやら金メダリストになって、まわりにチヤホヤされながら残りの余生を過ごすのか?俺はイヤだね」

 

 平和という法に守られた社会に生まれたならば、法に守られた範囲で己の才覚を発揮すればいい。それでも充分な結果は残せるだろう。皆が賞賛してくれ、名を轟かすことができるだろう。だが……、

 

正軒「そんな程度で満足できる才能なら、俺は捨てるよ」

 

 自分の持った才能を、究極に突き詰めることができない。

 それは英雄の気質をもって生まれてきた人間にとっては苦痛以外の何者でもなかった。

 適当なところで満足して、妥協するぐらいなら、最初から磨かない方がいいではないか。

 

有栖「じゃあ正軒は、自分が生まれもった才能に何の意味もないというのか?」

 

正軒「ないな」

 

有栖「でも……ッ!」

 

 有栖が、ひときわ切実な声を放った。

 自分がスゴイと思ったものが、実は何の価値もないと言われることが悲しいから。正軒ほどの実力をもってすれば、IHで全国優勝することもできるし、最高位の八段を取ることだってできるだろう。

 それだけの才覚が何の価値もないといわれるのが悲しかった。

 だからせめて、とただ思い、言った。

 

有栖「でも、私が正軒と知り合えたのは、正軒が卓抜した剣の技量をもっていたからだ。だから私たちは一緒に練習して、互いを理解しあうことができた」

 

 それだけでも、彼の才能には価値があったんじゃないか?

 言い訳めいた、苦し紛れの言葉だったかもしれない。

 

 ………………。

 

 だが正軒は、その言葉に虚を突かれたように、しばらく有栖を見詰めたまま考え込んでしまった。

 そして、一拍、二拍……。

正軒「ああ、たしかにそうかも」

 

 人生の命題を解き明かしたかのような、晴れやかな声だった。

 

正軒「もしかしたら俺の剣の才能は、先輩に出会うためにあったのかもしれない。俺が武術家の息子でなかったら、先輩の知り合いになれることも きっとなかった。先輩の稽古の相手もできなかったし、こうして一緒に弁当を食うこともなかった」

 

有栖「え?」

 

正軒「俺の剣は、先輩と出会うためにあったんだ」

 

 正軒はやけに自信たっぷりに言った。ほとんど それが、正解で確定だとばかりに。

 逆に有栖の方は、言われて大いに狼狽した。

 

有栖「ななななな…、何を言ってるんだッ!」

 

 顔を真っ赤にして抗弁する。

 何故なら正軒の才能は、とてつもないものだからだ。正軒の剣は世界に通じる剣なのだ、後の時代まで残る剣なのだ。

 それほど貴重で輝かしいものが、ただ自分と出会うためだけにあったという。

 なんという不可分で、なんと大それたことか。

 

有栖「お前は その気になればもっと大きなことができるんだ!それなのに、その才能は私のためだけにあるというのか」

 

正軒「ま、それでいいじゃないか」

 

 正軒が気安く言った。

 彼の浮かべる笑顔があまりに自然すぎて、その時、正軒に宿る神聖な何かが、自分の胎内に余さず注ぎ込まれたような錯覚を有栖は覚えた。

 運命に愛されているような気がした。

 運命に愛された男が、自分を愛してくれている。

 体が熱い、ドクンドクンと鼓動が高鳴る。

 

 

 気付けば有栖は、

 

 

 

 正軒と唇を重ねていた。

 

 

正軒「むふッ……?」

 

 度肝を抜かれたのは正軒だった。

 まったくの不意打ちで押し付けられた女性の唇は、想像を絶して柔らかい、甘い、あと若草の香りがする。

 そうこうしているうちに理性の硬さは唇の柔らかさに溶けていき、いつしか正軒の方からも有栖を抱きしめ返し、みずからの舌で女の唇を掻き分ける。

 

有栖「ん、……んふ」

 

 生まれて初めての、自分以外の唾液の味。

 口の中で交じり合い、二つの舌で掻き混ぜあって、今やどちらの唾液かわからなくなる。いや、いまやすべてがそうだった。重なり合った二つの体は限界を越えて張り付きあい、どこまでが自分の体なのかわからなくなる。

 互いの境界線が曖昧になる中で、男と女である正軒と有栖は、ただ自分の衝動のままに、お互いの分泌する液を啜り、貪りあうのだった。

 

有栖「…………好き」

 

正軒「ああ」

 

有栖「…好き、好きぃ」

 

正軒「ああ…!」

 

 こうして、生徒たちの間に流布した誤解は、もはや誤解でも何でもなくなったのだった。

 

                          to be continued


 
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