口元に笑みを浮かべているその顔は、まるで寝ているようであった。
カガミの遺体に、紫色の布が被せられる。健康そうだった赤ら顔は白く、愛嬌のあった丸い体はすっかり痩せ細って、まるで別人みたいだ。
生きていてほしかったのに。
リウヒは涙を拭いもせずに、かつての歴史教師を見下ろしていた。滴り落ちる水滴は頬を伝い、ハタハタと音をたてて、衣へ吸い込まれてゆく。
もっと色々、教えてほしかったのに。
自分の後ろには、トモキ、シラギ、カグラ、マイム、キャラのかつて旅をした面々がいる。
みな、沈痛な面持ちで、リウヒと同じく死者を悼む紫の衣を纏ってカガミを見ていた。
キャラの嗚咽が聞こえた。トモキの押し殺すような声もする。
わたしに、外の世界をみせてくれた。それは、掛け替えのない仲間と大切なものを気づかせてくれた。
「陛下」
トモキの声が聞こえた。
数歩引くとカガミの亡骸は棺へと納められ、男たちに担がれた。
もう、あの顔が見られない。
棺はゆっくりと進み出す。その後ろにリウヒたちが続く。静かな殿中を、数人の足音だけが響き渡る。
これから、あの男は地中へと埋められる。そして魂は西の果てへと飛んでゆく。
全てが悪い冗談のように思えた。実はあの遺体は幻で、棺の中から昔の丸々としたカガミが起き上がって
「えへへ、生き返っちゃった」
とか頭をかきながら出てくるような気がする。
そう思って目の前をゆく紫の棺を凝視したが、勿論そんな奇蹟は起こらなかった。
正門下まで来ると、外は雨がふっていた。遠くでかすかに、雷の低い唸り声がする。
これ以上の同行は無理だ。
宮廷の外へと去ってゆくカガミの姿を正門下から見送る。
さようなら。
小さくなってゆく棺にリウヒは心の中で別れを告げた。
さようなら、愛すべきタヌキオヤジ。
シラギの部屋に集ったみなは、黙って酒を飲み始めた。酒瓶が回される。
死者を悼む時も、酒かとリウヒは呆れたが、我々を酒飲みに育て上げたのはあのタヌキだ、きっと喜んでいるに違いないと丸めこまれて納得した。
リウヒの前には、とてつもなく薄く割った果実酒が置かれている。
もう、十七になったのに、成人したのに子供扱いか。キャラでさえみんなと同じ酒を飲んでいるのに、と文句を言ったら、リウヒは酒にめっぽう弱いんだから、と諌められた。
「あんた祝宴の時、酔っぱらって寝ていたでしょう。祝祷の舞も見ずに。あたしの努力を無駄にして…」
マイムが怒りの顔で睨んでくる。何度聞かされたか分からない文句に慌てて耳を塞いだ。
「リウヒさま、酷い顔をしてますよ」
せめて鼻水ぐらいは拭ってください、とトモキから小布を渡される。
酷い顔とはなんだ、失敬な。思いっきり鼻をかんでやった。
「結局、真実を語りませんでしたね」
依然、ジュズとタイキの行方は知れない。カガミも口をつぐんだまま、去って行ってしまった。
「きっと、またぼくらの前に姿を現してくれますよ」
カガミの魂は西の果てにゆき、また東から生まれてくる。
ティエンランは天、すなわち太陽を神としていた。死んだ人間の魂は、太陽と共に西の果てへと沈み、前世と同じ姿形をして、東の果てから新しく生まれてくると信じられていた。
輪廻転生を当たり前に考えていたのである。
「だれかの子供として生まれ変わったりしてね」
「小さい時からあの頭だったりして」
リウヒの言葉にみな小さく笑った。
「愛すべきタヌキに」
追悼と再会の願いを込めて。
それぞれが酒を掲げる。リウヒも西国渡りのグラスを持ち上げた。
外は相変わらず小雨が降っている。
絶え間なく、しかし柔らかに降り注ぐ雨は静かに草木を濡らしていた。
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
さようなら、愛すべきタヌキオヤジ。
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