エディは自身の幽星体(アストラル)に火をくべる。その怒りのままに、扱える数少ない魔法を叩き込もうというのだ。
(なんで。どうして! 敵だとかどうでもいい! 友達だと思ってたのに。友達だとっ!)
何が悔しいのか、エディ自身にも本当のことはわかっていなかった。自分の知っていたローズ・マリーフィッシュが、ローズ・マリーフィッシュではなかったという事実がエディの心を苛立たせる。
〈汝が前進を禁じる〉
冷酷な言葉が聞こえた。
動かない。駆けていたはずの両の足が鉛の様に重く、全く動かない。それどころか、今まで走っていた体の慣性さえ無視して、体はぴたりとその場に固まった。
「ローズ!」
エディが咆えても、少女は表情一つ変えなかった。
エディが止められた場所からでは、ローズには手が届かなかった。魔力を込めた拳も届かない。暴走する魔法に巻き込むにも少し遠い。エディには何も出来ない距離。それこそが二人の決定的隔絶だった。模擬戦でも、まず接近しなければ何も出来ないというエディの戦法を熟知した禁令。足を止められれば、エディは何も出来ない。
(こなくそっ! ……だったら、魔力の出力を上げて、あそこまで届かせる!)
〔馬鹿者! 出来んことをするでない。今以上出力をあげたら、腕が燃えるでは済まん。本当に自爆するぞ〕
意を固めたエディに、すかさずユーシーズの制止が入った。
(だって、ローズが!)
〔阿呆が、さっさと後ろに下がれ。主にとっては遠くても普通の魔法使いにとってその間合いは危ないわっ!〕
(下がる? だって私、足が動かな……あれ?)
拍子抜けなほど、簡単にエディは後退った。
(何これ? 前には全然進めなかったのに、後ろには行ける?)
〔奴の禁令を聞いておらなんだのか? 『前進を禁ずる』と言うておったじゃろ〕
「禁令? 禁止命令を無理矢理従わせるのが『禁呪』?」
ユーシーズの言葉から拾い集めた情報を、エディは噛み砕く。その思慮が自然と口をついた。
「ええ、そうです。恐らく彼女の魔法は『禁呪』。わたくしも初めて見ましたわ。こんなにも厄介なものだなんて……」
エディが零した言葉にジェルの同意。それが虚しく森に響いた。
「やっと気付いたか? ここまで見せてやらないと気付かないなんて鈍いのもいいところ……、いや、エディの割には物わかりがいいと言ってやろうかねぇ。禁呪使いの私に対して呪言(スペル)魔術なんて役に立たないのさ。ほんと、お前等二人とも、さっきから鈍くさいことばかりで見てらんない。優しい私が正解を教えてあげるわ。お前等逃げるべきだったのよ。お互い尻尾を巻いて、片割れを囮にするつもりで二人仲良く別々に。「禁呪使い」の私から逃げるタイミングなんて限られてるもの。お前等はその貴重な機会を不意にした。くふふふ」
ローズの嘲笑にエディは訝しむ。
(相手に命令を強制出来るなんて、そんな都合のいい魔法がこの世の中にあっていいの? そんなの反則じゃない)
〔くはははは。なんとぬるい考えじゃ、最近の魔法使いとは本当に平和ボケじゃのぅ。それともボケてるのはエディだけか?〕
背後から小馬鹿にした声が飛んできた。今は、幽体の魔女の尊大な態度など気にしていられない。
(ユーシーズ。知ってるなら教えて。『禁呪』って結局何なの? 私の知っている限り、魔法はあんなに都合のいいものじゃない。魔法の『代償』について教えてくれたのはユーシーズの方でしょ?)
〔ただで我が教えると思うか。と言いたいところじゃが、とってもお優しい我が、命の危機にさらされている落ちこぼれエディに特別に教えてやろう。あれは元々は東洋の術法じゃったか。発祥は魔除けの類らしいが、山に入る者が蛇を恐れて、蛇除けの呪術を始めた。「蛇禁」、すなわち蛇を禁じる。禁じられた蛇はその者に近付けなくなる魔除けの呪いじゃ。東洋の言霊(ことだま)を使った強制魔法の一種ではある。いわゆる西洋魔術的には『強制(ギアス)』と呼ばれているものに似ているじゃろう。ただ『強制(ギアス)』はまず相手の精神を術者の支配下に置かなければならん。『禁呪』にはその過程がないの。むしろケルトの『禁令(ゲッシュ)』に近いか。ブリテンの手の者ならその流れを汲んでいても不思議ではないの。あれは術者の実力があれば禁令だけで何でも禁じることが出来るそうじゃ。無論、主の言う魔法の『代償』と呼ばれるものはある。禁じられるものは限られているし、禁じるものの大きさによって『代償』は大きくなる。なのにじゃ、何の準備もなく言令だけで『禁呪』を使って見せたあの女。かなり厄介じゃな。エディ。あの女を真に敵に回せば、場合によっては生き延びることも危ういやもしれぬ。くはっはっはっは〕
エディは人生で初めてぐらいに、くしゃくしゃに顔を歪ませた。あの戦禍の魔女が、そこまで手放しに誉めるなんて、背筋がむずむずと気色が悪い。それ以上に、ローズが魔女に認められるぐらいの実力者であるとこうのが、エディの心を波立たせていた。
(ローズは学内序列、五十人にも入れない符術使いだったはずなのに。私と同じ落ちこぼれだったはずなのに。あれは全部嘘? 全部演技で、本当は高位魔法使いなのに、私なんかに合わせて、嘘を吐いていたの。それとも、この私の記憶も全部作られたものなの?)
「ローズ。本当に敵なの? 私たちに嘘を吐いていたの?」
まだ、真っ直ぐ友人だった少女の顔は見られない。しかし、先程までの狼狽えた雰囲気がエディから消えていた。それは最後の確認と意を決した問いかけだった。
「それは是でもあり否でもあるねぇ。私は元から『連盟』の敵さ。だがお前等の敵というのはどうだろうねぇ。お前等学徒程度が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の敵になる資格があるとは到底」
「なっ! ですって? あなたが『魔術師の弟子(マーリンサイド)』の一員とでもいうのですか! 世界に数ある魔法機関の中でも実力もその特秘性も群を抜いている『連盟』最大の敵と!」
ジェルの言葉は悲鳴そのものだった。世情に疎いエディもジェルの気持ちがよくわかる。
『魔術師の弟子(マーリンサイド)』といえば、大陸と敵対するブリテンの国事魔法機関だ。バストロ魔法学園と繋がりの深い『連盟』とは、国際関係上、不干渉協定を結んではいるとはいえ犬猿の仲。その実体は敵性組織で、宿敵と言ってもいい。そしてその筆頭弟子である占星術師クゥヴェ・チャルノスを始め、四名をブリテン最高機関である『円卓(ザ・ラウンド)』に輩出している組織だ。ブリテンが大陸諸国を相手に敵性を保っている主原因でもある。それは、大陸相手に喧嘩を売っても挫けぬ実力が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』にはあるということ。その構成員であるだけで、世界屈指の魔法使いという意味だ。ローズの言葉が真実ならば。そう考えるだけで身がすくむ。
「エディさん、わかってますね?」
ジェルに念押しされたが、エディは気圧されて応えられなかった。それが逆に事態を把握したことをジェルに知らせる。ただ、ジェルが言いたかった「あなたは早急に逃げなさい」という意図は伝わっていないかった。
「ほぅ。やっと二人ともいい顔になったね。死を覚悟した顔、……ってやつかい?」
「えぇ、厄介な魔法を扱うと思ってましたけど、まさか相手が『魔術師の弟子(マーリンサイド)』だなんて、わたくしたちも本当についてないですわ。『四重星(カルテット)』を高が呼ばわりするのも納得出来るというものです。まさか『連盟』の執行機関でも手を焼いている化け物が相手だなんて」
(『魔術師の弟子(マーリンサイド)』、授業で習うような相手が敵だなんて……、それがあのローズだなんて……)
「エディさん、わたくしが時間を稼ぎます。あなたは逃げて学園にこのことを知らせてください」
更なるジェルの念押し。エディはやっとのことで頷いてみせた。
〔くく。そう、上手く行くかのぅ。今は死なぬことを第一に考えた方が身のために思うがのぅ〕
(って、笑い事じゃないでしょ)
〔ふん。あの女を見て気付かぬか? 我が視えるのなら気付いてもおかしくはないはずじゃが。なかなか小気味いいことをしてくれる〕
唐突な指摘。ユーシーズの言葉を聞いて、エディは改めてローズを見た。幽体の魔女は、はぐらかすことはあっても嘘を吐いたことはない。彼女が言うからには何かある。しかしエディには、ローズの姿形は普段通りに見える。今まで通りの友人の姿に視えてしまう。この期に及んでまだ、そんな甘い願望が顔を覗かせる。
その願望を捨て去るために、エディは懸命に首を振った。
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第四章の8