二人一緒に過ごしては、肩を並べて飲んでは語らい、
詰らない冗談で笑っては、共にこの道を歩いてきた。
楽しい日々は放たれた矢のように過ぎ去り、
その先には二人の間を隔てるように道が続く。
――別れたくない
その言葉だけが頭を過る。
北郷が占める位置は旅を続ける間に大きくなり、
身体は彼の温もりを求め、心は彼の暖かさを求め、
儚い夢に溺れ、未練という名の逃避行。
――思い出せ
この子龍の槍で、悲しみにくれる時代に終止符を打つことを。
か弱き民の光となりて、導く者を探し出さんと。
そして、この子龍のすべてを捧げようと。
腹を空かせた者達から搾取し続け、私腹を肥やす下郎。
群がった蝗の様に押し寄せては、すべてを奪い尽くす輩。
悪と無情が蔓延るこの世を、この趙子龍、黙って見過ごすことなど決してできぬ。
そう。北郷と共にいることが、己の存在の否定に他ならないのならば。
――決別の時、来たれり。
真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、人(ジン)~ 第七章 豫州袂別、不条理の先に
(一)
俺達は激しい風と雷雨の中を歩いていた。
「さっきまで良い天気だったのに!」
立ち止まって雨宿りできる場所はどこにも無く、冷たい雨が徐々に体温を奪って行く。
豫州汝南郡に入り、次の街は未だ見えず。舗装された道の周りにはずっと草原が広がっていた。
「急ぐぞ!天雷に打たれでもしたら洒落にならん!」
俺達は無言で先を急ぐ。全身びしょ濡れになりながらも、なんとか宿へと辿り着くことができた。
「この時期はどこも一杯でしょう?運良く部屋に空きがございますよ」
「ふむ。ではそれで」
部屋に案内してもらうと、互いに背中合わせになって、濡れた衣服を脱ぎ棄てては布で身体を拭き始める。
慣れとは恐ろしいもので、今では路銀節約のために同じ部屋で一緒に過すことが多い。
俺がいると言うのに、躊躇することなく着替え出す彼女。さすがにじっと見るのは失礼だと、当然俺は背中を向ける。彼女がこちらに話しを振れば、それはだいたい着替えが終わったという合図。だから彼女が声を掛けてくれるまで、俺は振り向かないようにしている。
二人で旅をしてきた、ちょっとした決まりだ。
初めの頃は、背後で趙雲が帯を緩めては、少しずつ帯が解けて落ちて行く姿に心奪われ、慌てて後ろを振り向けば、今度はやけにその音が大きく聞こえて疾しい想像を掻き立てる。
慣れたかと思えば、今度は何故か真後ろで服を脱ぎ出したこともあったりと色々あったが、今では合図があった後なら、彼女の顔を見ることができるまでに至った。
冷たい雨に濡れ、突然暖かい部屋に入ったからか、趙雲の頬は朱に染まっている。
「……どうした?こちらをじっと見て」
「えっ!いや、良い女だなって思ってね」
「ふふっ、何を今更。本音を言っても何も出んぞ?……んんっ?」
衣服の裾の割れ目から伸びる足を、下から上に撫でては俺をからかい、ちらりとこちらの様子を窺う。
「くっ。無反応とは……とうとう飽きられてしまったか」
「ずっとに一緒に居るからだよ。それに……しても」
それに……なるべく顔に出さないようにしているだけ、本音は――と口走ってしまえば、それこそ趙雲のペースに持って行かれる。
話を変えようと俺は立ち上がって窓に近付く。闇の中から大きく響く雨音に耳を傾け、早くなった鼓動を落ち着かせる。
「何時まで振り続けるんだろうな。こんなにも降り続いたら川が氾濫するんじゃな……!?」
後ろが何やら気になって振り返ってみると、息が届きそうなくらい近くに趙雲が立っていた。悪戯な笑みを入り混ぜた表情で、嬉々と。
――やばい!
俺の第六感が警笛を鳴らす。後ろには窓。これ以上下がることはできず、逃げるように彼女の横を通り抜けた瞬間、パシっと背後から腕を掴まれる。
「何故逃げようとする、ん? 話の続きをしようではないか。それに何だ?」
「いや、何でも無いよ!」
軽く腕を振ってみても放してくれず、強く振っても取れそうにもない。
「いやいや、この子龍、何も無いでは困るのだ。それではまるで私に魅力が無くなってしまったと、同じ事ではなかろうか?なぁ、北郷殿!」
俺の名前を呼んだ途端、彼女の両手が俺の脇腹で動き始める!
「ちょっ!そこはっ!」
脇を揉まれてはその擽ったさに耐えられず、振り解こうと本能のままに身体が動く。彼女の両手を掴み、引き離そうととしてもびくともせず、体勢を崩しても上手く背後に貼り付かれて逃れることができない。
後ろからされるが儘。もがき苦しみながら趙雲の手を何回も叩く。何十回目かの合図でその手の動きを止めてくれた。
「ちょ、趙雲……落ち付けっ。近所迷惑……だからさっ」
部屋に響き渡る趙雲の笑い声と俺の悲鳴、そして二人が暴れて響く騒音。泊まっている他の客が迷惑に違いない。
「な?」
趙雲に肩を貸してもらうような恰好で、息を切らしながら俺達は見詰め合う。乱れた髪を頬にくっつけては、悪戯する子供のような生き生きとしてた瞳の中に俺が映る。
息を弾ませた趙雲の笑みがさらに零れる。
「ふふ、ふふふっ!……雨音で聞こえんさっ!」
ふわりと身体が浮いたと思えば寝台へと投げられ、逃げる暇もなく瞬時に馬乗りにされると、床が軋んで二人して宙に舞う。
くそっ、本気になった武人から逃げられない!そんな事を考えたも一瞬。嬉々と表情を浮かべた趙雲に擽られ続けられる。
「待っ!ちょー!」
再び始まった拷問に俺は為すすべもなく……
「わ、分かった!趙雲はとても魅力的だよ!」
「ほぉ。私がとても魅力的だと申すか?はて、”とても”とはいかほどの魅力なのやら?」
いかほどって!?
「ほらほら!」
結局、そのまま擽られ続けて酸欠に陥り、身体もぐったりとして動けず、床の上でしばらく息を整えていた。手を止めた趙雲はひと仕事終えたと、満足げな表情で俺を見降ろしていた。
「はぁ……何で、そんなに……満足げ何だよ!」
「ふふっ、参ったか?」
「はぁっ……参りました」
「ならば、良し!」
そう言って趙雲は俺の横に転がる。
「楽しい上に冷めた身体も温まる。たまにはこういうのも……良いではないか?」
趙雲はそう言って目を閉じる。楽しいのは趙雲だけで、身体が温まったのは確かだけど普段以上に疲れた気がする。それよりも、
「ここで寝るなよ?」
彼女の唇が再び釣り上がっては笑みが零れると、俺の手を握ぎり、ばさりと掛け布団が宙に舞う。蝋燭の日が吹き消された瞬間、それは俺達の上に落ちて来る。
「疲れて動く気がせん。寝るぞ」
そう言って彼女は俺に背を向け凄い力で俺の手を引き寄せては、手の甲の上から指絡めて逃げられないように腕を挟む。
片腕で彼女を抱きしめる体勢になり、彼女の香りが、彼女に触れた柔らかな身体が俺の理性を脅かす。
「……趙雲」
彼女の丸くなった背中が俺に擦り寄り、お互いの鼓動が物凄い速度で跳ねる。心を落ち着かせようと大きく深呼吸したが最後。自然と力は抜け、疲れと彼女の心地よさに身を委ねては、何も考えられずに意識が遠退いて行く。
「……おやすみ」
(二)
はっ!っと目が覚め、一瞬にして意識が覚醒する。床には俺一人が寝ており、趙雲の姿はすでに無かった。
……どんな顔をして趙雲と会えば良いのやら。取り敢えず顔を洗ってこようと、一階に下りる途中に趙雲はそこに突っ立っていた。
その視線の先にあるもの、それは入って来た時とは違い、家具や置物が無造作に横倒しにされ、ゴミがそこら辺に散らかっていた。宿屋の主人がうんざりした顔で片付けをしていた。
「あぁ、おはようございます。川が氾濫して浸水したようで。……はぁ」
そう言って、主人は再び手を動かし始める。
「天子の不徳が在りし時、天帝は天災を起こし警告を促す」
俺に背を向けた趙雲が冷たく呟く。
「きっとこのままでは終わらん。すでに疫病の気があり、相変わらず役人共は民から搾取しては私腹を肥やし贅を凝らしている。北郷がこの国の行く末を描いたように、天変地異は続くだろう」
趙雲は決意に満ちた表情でこちらに顔を向ける。
「必ず人々は腹を空かせ、暴徒と化す」
そう、例えここがどんな世界だとしても漢王朝であり、霊帝の時代ならば、人々は苦しみ倒れて行くはずだ。
そして彼女の旅の目的は、この状況を打開しようと立ち上がる者を探すこと……
「次は罪の無い飢えた人々が、罪の無い人々を襲い始める。この負の連鎖、断ち切らねばならん。……もう時間が」
そして俺はその者には程遠く、ただ一人の旅人にすぎないということ。
「……あぁ」
それがこの旅で知りえた現実。
「私は我が道を行くことに決めた。だから……そのっ」
珍しく口籠る趙雲。俺の目を反らしてはまた見上げ、そしてまた背ける。何度も言葉を紡ごうと口を開けては閉じての、その繰り返し。
離れ離れになる悲しみよりも、俺はその気持ちの方が嬉しかった。本音は離れたくない。ずっと彼女の傍に居たい。でもそれは俺の我儘だ。趙雲でなければ、趙雲だからこそ、この乱世でできることがある。
俺は彼女の手を取る。
俺には趙雲の様な武も無ければ、単福のように献策できる知謀もない。彼女と共に歩むことができない俺が今できる事。それは彼女を応援してやることだけ。
「俺なら一人でも大丈夫。趙雲は俺とは違って大義がある。為すべきことがある。……俺がその足枷になるわけにはいかない」
趙雲が俺の手を取り直し、胸へと押し当てて頷く。
「別れ話……ですか?」
「昨日の夜はあんなに激しかったのにですかー?冷めやすいものなのですねー」
突然聞こえた声の方に振り返ると、二人の少女が飛び跳ねる。
「こ、これっ!風!失礼した。我々はこの宿に泊まる旅の者。気になさらずに……続けてください」
口を塞がれて苦しそうにもがく少女が、ぺしぺしと眼鏡をかけた女の子の手を叩く。
「えぇっと……迷惑かけてすいません」
俺は趙雲の横に並び、頭を無理やり押えて二人に詫びを入れる。
「最後の夜に、二人してじゃれ合っていただけではないか」
「さ、最後の夜!?」
眼鏡をかけた女の子が趙雲の一言に上擦った声で驚くと、ごくりと唾を飲み込んで天井を見上げる。
「趙雲。誤解される言い方するなって!」
少し頬を膨らませた趙雲が、ふと何かに気付いたのか小声で耳打ちしてくる。
「……北郷、北郷。あの娘の頭の上、何やら乗っかっているぞ?」
眼鏡の女の子に口を塞がれ続け、振りほどこうと暴れる少女の頭の上にそれはあった。何やら少し赤くなって苦しそうな……あれ?……いや、気のせいか。人形が勝手に動くはず無いよな。……寝不足なのかな。
水色の服から覗く白いフリルが一際大きく揺れると、塞がれていた手から抜け出して大きく息を吸い込む。
「ぷはっ!り、稟ちゃん、風を殺す気ですかぁ~!?」
「はっ!すまん、風」
「太陽の塔?いや、形が似てるけど違うな」
目つきが少し悪く決して可愛いとは言えない。でも何故だか憎めない愛嬌のある人形が、彼女の頭の上に乗せられていた。驚くことにその人形は手らしきもので飴を持っている。
俺と趙雲の視線に気付いたのか、少女がその飴を食わえると……少女の辺りから、何処からともなく声が聞こえる。
「おうおうおめーら、人の顔をじろじろ見やがって!金払えってんだっ!」
趙雲は面喰って固まってしまった。
「へぇ~腹話術か」
「はて? 腹話術とはいったい何ですか?」
聞いた事のない言葉だったのか、眼鏡をかけた子が俺に説明を求める。
「この子が今やったように、唇を動かさずに声を出すことを腹話術って言うんだよ」
「なんだー女たらしの兄ちゃんよっ!振られた腹いせに俺とやろうってのかぁ!?」
咥えていた飴を再び人形に持たせると、彼女は頭の上に居る人形に話しかける。
「これっ!いけません宝譿。所詮は人形。人間様に勝てるわけないでしょう。勝てぬ戦を吹っ掛ける馬鹿がどこに居りましょう?」
……あれって、彼女の本音か?
すると趙雲はその人形に近付いてそっと手に取ると、優しく撫でながら呟く。
「振ったわけではない。私の我儘で、彼とは別れなければならぬのだ。共に、歩めぬのだ……」
その言葉を聞いた少女は、姿勢を正し俺達に真っ直ぐ向き合う。
「これは~、失礼しました。程立と申しますー。そいでもって、頭の上に乗っかっていたそれは宝譿と申しますー」
「戯志才と今は名乗っております。風、少しふざけ過ぎですよ?」
「いや、気にすることは無い。湿っぽい雰囲気は苦手でな。このように少し賑やかな方がありがたい。なぁ、北郷?」
「あぁ、そうだね」
「我が名は趙雲、字は子龍。そこの北郷と冀州からずっと旅を続けて来た」
趙雲がその少女に宝譿を返すと、それを頭の天辺に器用に乗せる。
「姓は北郷で、名前が一刀、よろしく」
俺は手を差し出す。と二人ともその手を掴んでくれる。
「よろしく、宝譿」
俺は人形の手を摘まんで軽く振る。
「おぉ、ちゃんと挨拶できるじゃねーか。見直したぜ兄ちゃん!」
「あはは、それにしても人形が飴を持ったりできるとか凄いな!どうなってるんだ?」
「あっ、それは秘密なのですよー」
俺はじっとその人形を見詰める。たまにその表情が違うような気がするんだけど、気のせいか?……やっぱり疲れてるのかな?
「なかなか面白い御人の様ですね」
「ふふっ、戯志才殿は人を見る目がお有りの様だ」
「いえ、風の雰囲気は独特ですからね。常人では彼女の会話にはついていけません」
「おいおい、それじゃぁ、まるで俺が変な人みたいな言い方じゃないか」
「少なくとも、北郷は常人の類では無い」
腕を組んで、うんうんと首を縦に振る趙雲。
「ということは、変態さんだったんですね。この変態野郎ー」
「近付くんじゃねぇょ。ぺっ」
「何、その手の平返した様な扱い!」
「まさかっ!――気が良さそうな顔をしながら私達に近付き、人気のない場所に無理やり連れ込もうと!?」
戯志才さんが、ぶつぶつと何やら呟き始める。
「……わ、私の腕を縛って動きを封じ、汚らしい手で私の尻を貪る様に動き――閉じる太股の隙間から強引に!……あっ!やめなさいっ!私が暴れても所詮男と女……私の抵抗は空しく――」
自分自身の身体を強く抱きしめて、甘い吐息が漏れ始める。
「……止めなくても良いのかな?」
「面白いから、このまま見ていたい気もするが?」
様子を見ていると、とうとう艶めいた声を出し始めた。
「!?」
「だめですよー。稟ちゃんどんどん妄想拡げて、天国までいっちゃいますからー」
天国って、まさか妄想で!?
「ふん!」
隣でくるりと回った趙雲から繰り出された拳が俺の腹に突き刺さり、腹の空気が絞り出されると後頭部に衝撃が走る。息が出来ず世界が徐々に闇に包まれていく。
――嘘……だろ?
俺は意識を手放した。
(三)
「……馬鹿者」
まったく北郷ときたら、離れ離れになる私に期待するなら話は分かるが、出会ったばかりの頂へと昇り詰める娘に期待するとは見損なったぞ!
……と言っても、私も彼女に期待したのは北郷には内緒だ。
金色の腰まで伸びた髪の少女が驚いた表情で手をパチパチと叩き、あちらの世界に迷い込んだ戯志才殿も、この騒ぎに気付いたのか戻って来たようだ。ズレた眼鏡を人差し指で直しつつ、顔を真っ赤に染めている。
「お見事ですねー」
「お見苦しい姿をお見せしました。無様な姿を殿方にお見せするのは、少々恥しいと思っておりましたので助かりました」
「そうですよー。いっちゃった後なんて大変なんですから、稟ちゃん自重してくださいねー」
「い、いったとか言うな!」
「…………くー……」
突然、頭がかくんと落ちて寝たふりをする程立殿に、寝るな!っと叫びながら、軽く手刀を落として戯志才殿が彼女を起こす。
「ふむ。そろそろ朝食の時間か。先に食べて来ては如何ですかな?」
「そうですねーって、お兄さん本当に大丈夫ですかー?」
担いだ北郷の顔を心配そうに見つめる。
「ふむ……手加減はしたつもりだが、まぁ大丈夫だろう」
「では、お言葉に甘えて。風、行きましょう」
「はいはーい」
二人と別れた後、私は北郷を担いで部屋に戻り、床の上に寝かしてやる。
気を失った北郷を眺めつつ、私は貂蝉たちの教えを思い出していた。
別れを利用して相手の心に種を深く植え付け、会えぬ苦しさを糧にそれはいつか花を咲かせる……もう一緒にいることはできないというのに……私は彼の心に種を植えたいと思っている。だがそれは北郷を苦しめるだけではないだろうか?
それともそれはただの驕りで、私みたいな女はすぐに忘れて他の女に走ってしまうのだろうか。私より良い女などそうそう転がってはいないだろうが、何処かには一人や二人は必ずいる。でも……
北郷のような男はきっと何処にもいない。旅を続けて出会った他の娘たちも北郷のことを。誰もがその心に淡い何かを残しているに違いない。……曹操は若干違う意味で、北郷を強く欲しているようだが。
「私はお前を他の娘に渡したくはない」
彼の胸に頭を乗せ、身体を重ねて温もりを求める。服を掴んでは隙間をすべて埋め尽くさんと身を寄せる。
らしくないな。この趙子龍とあろう者が恋に溺れるとは……
(四)
「んっ、ここは……」
息苦しく、何やら重い上半身を起こすと、もれなく趙雲がくっついて来た。
「んっ……北郷?」
そう言って、大きく欠伸をする趙雲。すると突然、部屋の扉が開かれる。
「はいはーい、失れ……」
「風!急に立ち止まらないでください! ん?どうしたのですか、風?」
「……おや、如何されましたかな?程立殿、戯志才殿?」
この状況を二人に見せ付けるかのように、趙雲の腕が俺の首元に伸びる。
「ちょ、趙雲!ひ、人前は!?」
身を滑らせながら横に移動し俺を抱きしめる恰好になると、耳に生温かい何かを感じ、軽く引っ張られる。
「――ぷはっ!」
「……おぉ!……あ。稟ちゃーん」
鼻血が盛大に撒き散らかされ、彼女の足下が赤く濡れる。気を失って崩れるように後ろへと倒れてしまう。
「ちょ、趙雲っ!!」
「なっ!わ、私が悪いと言うのか!?」
「いっちゃいましたね~。あ、心配しなくても大丈夫ですよー。稟ちゃんはかなりの妄想癖がありましてー、ほら、しっかりー」
「ほれみろ!」
私の所為では無いと、むすっと頬を膨らませる。
「あ、でも今のは趙雲さんが稟ちゃんを挑発してしまったのがいけないのですー。次からは稟ちゃんの前では御法度ということで~」
「頼むぜ、ねーちゃん」
「……」
程立さんが倒れた彼女の頬を数回軽く叩くも、意識は戻らないようだ。
「そのままじゃ、鼻血が逆流して窒息しかねないから座らせたほうがいいかも」
「へ?そうなんですかー?」
俺が立ちあがろうとすると、何故か趙雲が邪魔するので床の上から指示を出すことにする。
「そう。あと鼻に包帯か何かを詰めて止血して、自然に止まるのを待つしかないね……」
しばらくすると彼女の意識が徐々に戻り始める。大丈夫のようだけど、まだ少し朦朧としているようだ。そりゃ、床一面が血溜まりになるくらいの血量を失えば朦朧とするよな。
「戯志才殿、その……大丈夫か?」
趙雲が彼女に恐る恐る問う。
「ふがふが……見苦しい所を、お見せして……失礼しました。もう、大丈夫です。風もありがとう」
「いえいえー。いつものことですし気にしないでくださーい。それよりも~」
二人が俺達を見る。
「熱々ですねー。風は羨ましいのですよー」
「……お二人とも!昼間からそのような破廉恥な行動は控えて頂きたい!」
「おうおう、いつでもどこでも桃色の妄想を口走る姉ちゃんが、よくその台詞を言えたもんだな」
「だ、黙りなさい!風!そ、それでは失礼します!」
そう言って二人は出て行ってしまった。
「……あれ?あの二人、何か用があったんじゃ?」
「さぁ?それよりも北郷。あれ」
趙雲が血溜まりを指差すと、次に俺を指差す。それを何回も繰り返す。
「え、もしかして俺に後始末しろって?」
「無論だ」
「何でだよ。悪いのは趙雲じゃないか」
「いや……私をそうさせてしまう北郷が、悪い!」
そう言うや否や、趙雲は物凄い速さで部屋から出て行ってしまう。部屋に残された俺は、一人溜息を吐く。
少し濡れた耳が気になりつつも、重い腰を上げ、雑巾を借りるために部屋を後にした。
(五)
少し遅くなった朝食を一人で取る。思えば皆の姿が見えないことに気付き、宿屋の主人に尋ねると、路銀稼ぎに仕官してくると皆出て行ってしまったそうだ。
また一人残された俺はぶらぶらと街を歩くことに決めた。
「趙雲みたいに武官は無理だけど、下級文官ぐらいなら務まらないかな~」
皆が暗い顔をして後片付けをしている。この街でのんびりしているのは俺くらいで、何だか申し訳ない気がしてくる。俺に手伝えることって何かあるだろうか。
そんな事を考えながら歩いていると、前からやって来た猫耳フードを被った少女と擦れ違う。少女は弛んだ地面に足を取られて転んでしまった。
「だ、大丈夫か?」
何やら振るえる少女に近付いて声をかけると、突然少女の感情が爆発した。
「だから堤防が決壊するってあれほど言ったのに!……もう最低だわっ!口を揃えて、袁家、袁家って。……ふふふっ、見てなさいこうなったら憂さ晴らしに、袁紹の所に出向いて、奴等に目に物を見せてやるんだから!」
少女は誰もいない方角に向かって叫び終わると、今度は俺の方へ振り向く。
「……そこの暇そうな男。付き合いなさい」
「うぇっ!?……俺!?」
「ほーーーんと、何も考えてないのね。これだから男ってのは……飽きれてものも言えないわ」
突然の出来事にどう反応すれば良いのか分からずにいると、少女は頭の近くで人差し指を立て、くるくるとそれを回し始める。
「教えてあげる。この状況を見なさい。この忙しい中、ボケっと暇そうにしている男なんてあんただけよ? こんな簡単なことも分からないなんて……もっと頭使いなさいよね、まったく」
「はぁ……」
「暇なんでしょ!さっさとこっちに来て手伝いなさいよ!」
その大声が街中に響き渡ると、皆が一斉にこちらを振り向いては、俺に非難の目を向ける。その空気に耐えられず、さらには見ず知らずの少女の勢いにも負けて、後に付いて行くことを余儀なくされる。
そして彼女が行き着いた場所には、
「え、馬車?」
「いちいち煩いわね。見れば分かるでしょ?行くわよ」
少女が慣れた足取りで馬車に乗り込んだので、俺もその後に続こうとすると勢い良く扉が閉められる。律儀に鍵まで閉められると、備え付けられた窓から少女が顔を出す。
「何やってんのよ。後ろに足掛けと取っ手があるから、振り落とされない様にしっかり持ちなさいな。この前の使用人なんて落っこちて全治3カ月よ?ほんと良い迷惑だわ。命綱の管理ぐらいちゃんとやっておきなさいよね」
言うことだけ言って、ピシャリと窓を閉めてしまった。……その使用人、心配されずに迷惑がられてるとか可哀想なんですけど。
「ほら、早くしないか!お嬢様を待たせるんじゃない!」
立ち尽くしていた俺に周りの付き人達が急かす。
「なぁ、説明の一つぐらいしてくれよ!一体何処に行くんだよ!?」
もう諦めろ、そんな視線が容赦なく俺に向けられる。
「ま、待ってくれ、知り合いに何も言わずに出て来た、って何してんの!?」
俺の腹に手早く縄が括りつけられると男が手を上げる。馬車が動き出すとそれは弧を描き、真っ直ぐに引っ張られていく。
「ちょっ!やばいやばいやばい!」
馬車が本格的に加速する前に、急いでその指定された場所へと飛び移ると、横から声を掛けられる。
「余分な長さは支柱に撒きつけるんだ!」
馬に乗りながら器用に両手を放して、くるくると手を回す。言われた通りに縄を巻き付ければ、なるほど。これが命綱になるわけだ。……って、何で馬車に乗せてくれないんだよっ!
「落ちるなよ!」
そう言って、その人は速度を上げて先頭へと走って行ってしまった。
「すぐ戻ってこれるんだろうな!?」
その問いかけに誰も答えてはくれず、否定するかの様に馬車は速度を上げる。大きな街があっと言う間に小さくなり、とうとう見えなくなってしまった。
はっ!もしかして新手の誘拐か!?……その割には皆良い服着てるし、ちょっと違う気がするな。
どこまで走り続けるのかと思えば途中に関所を通る。どうやら隣の郡に移動したようで、そこからさらに馬車に揺られて、気付けば空は茜色に輝いていた。
「これはもう……あの街には戻れそうにないな。変な別れ方になってしまったけど、すまない――趙雲」
(六)
「――北郷!」
「どうかしたんですかー?」
「いや、北郷に呼ばれた気がして……」
荷物をそのままに姿を晦ませてはや三日。これはもう誘拐されたに違いない。
「まあまぁ、あまり気を落とさずにー。……お兄さんのことですから、しばらくしたらひょこりと出て来ますよー」
「……だと良いのだが」
もう二度と……いやいや、何を考えている!北郷ならきっと無事な筈だ!生きているなら、また再び相見えることもできる!
「ただ今戻りました」
「どうでしたかー?」
「趙雲殿は?」
「幻聴が聞こえ始めたようなのです。あんまり大丈夫じゃないですねー」
「幻聴って……まぁいいわ。かなり有力な情報が入ったわ。趙雲殿!」
「おぉ!戯志才殿。何か情報が!?」
肌寒い中、外から帰って来た戯志才殿が上着を折り畳みながら、私に笑顔を向けてくれる。吉報だと良いのだが……
「えぇ。北郷殿らしき人物が暇そうに歩いていた所を、荀家の誰かに半場無理やりに連れて行かれたそうよ」
「!? やはり誘拐されたのかっ……北郷っ!」
彼を助けなければ!私は愛槍を手に取り、その荀家とやらの本拠地へ出向く準備を始める。
「誰もが大掃除で忙しい中、暇そうにしているのはお兄さんだけでしょうし、間違いなさそうですねー。趙雲さん、良かったですねー。お兄さん生きてますよー」
「何を悠長なことを!あぁ、北郷、無事で居てくれ!」
「趙雲殿。落ち着いて下さい。彼らは北郷殿の命を脅かすような賊ではありません。一族の多くが清流派名士に名を連ねる方々。安心してください」
戯志才殿のその言葉を聞いて、全身から力が抜けてしまい、椅子の上にちょこんと腰を下ろす。
……なんと呆気ない別れであろうか。だが彼は生きていてくれた。今はそれだけで十分。
「どうしますか?知り合いに頼んで、北郷殿と連絡を」
手を上げ、それ以上は無用と彼女の言葉を遮る。
「いや、安否が確認できただけで結構。ふふっ、出会いが突然なら別れも突然か。私と違って北郷らしい。……二人には世話を掛けたな」
私達のために走り回ってくれた彼女達に頭を下げる。
「いえいーえ。困ったときは何とやらというやつですよー」
「そういうことです。さて、問題も解決した所で趙雲殿。もしよければ私たちの旅に同行して頂きたいのですが。……どうですか?」
「目的も似たようなもんですしねー」
「これから治安も悪くなる一方。私達二人では少々心許ない。武の心得がある貴女が一緒ならとても心強い」
まるで最初から私の答えが分かっているような素振りで。ふふっ、全くもって油断できぬ方々のようだ。ならば主探しに彼女達の知恵を借りるのも良い手かもしれんな。
「良いでしょう。この趙子龍、恩人の頼みを無下にするほど、落ちぶれてはおりませぬからな。道中の安全はこの子龍が一手に引き受けましょう」
「話が分かるじゃねぇか。姉ちゃん」
「ありがたいっ!ふむ。共に旅をするならば偽名では失礼か。では改めて、私の名前は郭嘉と申します。期待しておりますよ。趙雲殿」
「ですねー。趙雲さん、よろしくお願いしますねー」
(七)
大きな屋敷に到着して、何やら質問が書かれた紙を渡される。それに回答してほしいとのことで俺は小さな部屋に閉じ込められていた。
その質問事項は、貴方の長所を教えてください、何に力を入れて来ましたか、最近感動したことはありますか、など、面接の前に書く内容である。
それを提出してからしばらくして、別の部屋に通される。先程書かされた紙と睨みっこした女性が顔を上げる。
「来たか。連絡は受けているわ。ふーむ……剣道とは何かの武道か?違う意味で分からないわね。君、名前は?」
「北郷一刀です」
青紫の羽織を肩にかけ、明るい茶色の髪を肩まで伸ばした女性。その眉が一瞬ぴくりと動くと、品定めするかのように顎を撫でる。
「それで?娘とはどう知り合ったの?」
「いや、暇そうにしてた所を無理やりに」
「へぇ~あの子が道端に歩いている男に声をかけるなんて!」
しみじみと物思いに耽けたあと、先程書かされた紙を眺めている。
「兵法を少々って書いてあるけど、どういった兵法かしら?」
「えっと、友達が要点を絞ってくれていたのを読んでいたので、よく分からないんです」
「……じゃぁ、百戦百勝は善の善なる者に非ず。これいかに」
「あ、それ兵法要項に書いてました。えっと、確か戦いだけが最善の策では無い。無理せずできるやつに任せろ」
「最後、変じゃない?」
「え?でもだいたい最後は”できるやつに任せろ”でしたよ?」
長い沈黙の後、目の前の女性が口を開く。
「ま、まぁいいわ。きっと孫子ね。なら、位なきを患えず、立つ所以を患えよ。これいかに?」
それは要項の中には書いてなかったけど……
「えっと、位をうれう?地位かな。地位を患えず?、立つ所以を患えよ?」
「……分からない?うーん、まぁ環境は整ってるし何とかなるでしょう」
「え、何がですか?」
「自分の実力を知るということは大切よ。驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば、即ちまたこれに及ぶ。貴方にこの言葉を授けましょう。あの子にもっと認められる男になる様に精進なさい」
「いや、だから……」
ここの人達は誰も俺の話し聞いてくれないな……
女性が俺の目を見て咳払いする。
「あ、ありがとうございます」
「よろしい」
そう言って出て行ってしまった。一人部屋に残されていると、突然別の人達がやってくる。
「えっと、おめでとうございます。……えっと、旦那様。こちらに部屋をご用意しておりますので」
「へっ?、だん――」
言いきる前に慌ただしく背中を押され、部屋へと放り込まれた。
(八)
俺はずっと部屋に缶詰にされ、孟子よりも荀子ですと言われて勉強させられていた。
「何で勉強しているんだ?しかも突然旦那様って?」
流石に耐えきれなくなって、部屋から抜け出してしまった。外に出ると、何やら俺はいろいろな人達から注目を浴びていた。別に制服を着ているわけでは無いのに。
廊下の向こう側から、洗濯物を山盛りに積んだ竹籠が、ふらふらとこちらに近付いて来る。
「つぅ~、ととととと~、あ、お、ああっ!」
どっさりと、汚れた衣服が俺に降りかかって来る。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あはは、大丈夫。重そうだね。運ぶの手伝うよ」
俺はそこらじゅうに散らばった衣服を、竹かごの中に入れてそれを持ち上げる。
給仕が素っ頓狂な声を上げる。
「い、いけません!お手を煩わせるわけには!」
「大丈夫!それで、どこまで運ぶの?」
彼女は俺の顔をじっと見詰めてくる。そんなに見詰められると、少し恥しいんですけど……
「……あっ!ではこちらにお願いします」
廊下を少し歩いた所で、面接した女性がいたので、俺は声をかける。
「どうも」
「おや?部屋を抜け出して、何をしてるんだい?」
「こ、これはご主人様!?」
この屋敷の主人だったようだ。
「んー、状況を把握しようと外に出てみたんだけど、彼女が俺の前を通りかかってね。これ、重そうだったから」
俺は竹籠を、上下に振る。
「給仕の仕事を分捕る主人が、一体何処にいるんだい?」
「え?」
「貴方が今、どういう立場なのか分かっているのかしら?」
「……さっぱり。さっきから言ってるんだけど、猫耳フード、じゃなかった。猫耳の被り物をした女の子が暇なら手伝えって、連れてこられたんですけど」
「あぁ、あの子の性格はあれだから。それが愛の言葉なのよ。分からないかしら~?これだから男ってのは……」
「へ?いやいや、袁家に出向くから手伝えって言われたんですけど?」
「んんっ?」
給仕の人に助けを求めても、何だか期待された目で俺を見詰めていた。
「……あれ?」
「やっと見つけた!あんた、どこほっつき歩いてたのよ!」
俺の後ろ、怒鳴り声がした方へと振り向くと、バタバタと音を立てて少女が大股でやって来る。
「あら、桂花。丁度良かったわ。どういう事なの?」
「どういう事とは? 何がでしょうか、お母様?」
「貴方の連れてきた、北郷って子よ」
「北郷~?……誰ですか、それ?」
「俺の名前」
猫耳フードの少女が俺を見詰める。
「この子を婿にするために、拾って来たんじゃないの?」
「婿?……俺が?」
「……寝言は寝てから言ってください。お母様」
その一言に、彼女と俺以外の人達が驚いて飛び跳ねる。
「桂花、照れなくてもいいの。正直に話しなさい。男嫌いの貴女が、若い男を連れて来たということは婿を連れてきたことと同義ではないのかしら?」
「なっ!どうして私が連れてきた男が婿になるんですか!勝手に決めないでください!」
「と、いうことは北郷様は、お嬢様と?」
「まーーーったく関係ないわ!私に近付いてきて、鼻を鳴らすものだから拾って来ただけよ。犬、さっさと準備なさい!」
「犬?」
「ちっ、言葉も理解できないんじゃ、あんた犬以下ね!」
「お、お嬢様ぁ……」
「もう、ツンツンしちゃって、桂花可愛い!」
「や、やめてください!お母様!み、見てないで、助けなさいよっ!」
仲の良い少し変わった親子を眺めていると、先程の給仕の人が話しかけて来る。
「北郷様、お嬢様も男嫌いだなんて口走ってますけど、本当はとても優しい方なんですよ」
「へぇ~そうなんだ」
給仕の人がそう言うなら、きっと優しいんだろうな。でも女性限定だろうな。
「どさくさにまぎれて何言ってるのよ!男なんてこの世から消えてしまえっ!」
(九)
準備と言っても、胡蝶ノ舞と出掛ける際に持ちだした幾ばくかの路銀だけ。一瞬で身支度を終える。
少女がそれを見なさいと、机の上に置かれた紙を指差す。それには袁家の文官募集要項と書かれてあった。
「袁紹が豫州に顔を出すらしいのよ」
「え、袁紹さんが!?」
これはひと騒動ありそうな予感がするな……
「ふーん、意外ね。袁紹と顔見知りなの?」
「あぁ、以前にちょっとね。でも俺の顔なんて忘れてるんじゃないかな」
「はぁ……使えないわね。まぁ良いわ。今から行くけど、私から最低十歩以上は離れて歩いて来なさいよ」
この流れは移動か?馬車の外はひどく疲れるから嫌なんだけどな。
「おーい、馬を借りて良いか?」
すっごく嫌そうな顔をされた後、何か思いついた様だ。彼女がひとつ咳払いして冷静を装う。
「……そうね。乗れたならくれてやっても良いわ。その代わり乗れなかったら私の奴隷として一生コキ使ってあげる」
「何だよそれ!」
「駿馬をタダでくれてやるってのよ?旨い話しがタダで転がってるわけが無いでしょ」
「駿馬って、名馬のことか?」
「そうよ。その速さ、影も留めぬと噂されているわ」
まさか!? 曹操の愛馬の絶影か!?
「そんな馬が……なぁ、一度見てみたいんだけど良いかな?」
「掛った!欲に目が眩んだわね。これだから男って」
「単純か?……思ったこと口走るなよ。丸聞こえだぞ」
「!? う、うるさいわね!今に見てなさい!泣き面掻かせてあげるんだから!」
その馬は他の馬よりもひと回り大きな馬体をしており、遠くからでもすぐに判断ができた。
猫耳フードの少女、そう言えば、名前聞いてなかったな……
「そういえば、君の名前って?」
「男に名前で呼ばれるなんて反吐が出るわ。給仕みたいにお嬢様と呼びなさい」
そう言って、目の前に居た馬の横を逃げるよう避けて歩いていく。
「もしかして雄なのか?動物も駄目なのか?」
「う、煩いわねっ!」
目的の馬に近付き、ペシペシと馬の背を叩く。
「これよっ!」
そう言った途端、馬が彼女に軽く体当たりして、その小さな身体が吹っ飛ぶ。
「危ない!」
俺が少女を受け止めると、
「きゃーーー!!!」
近くに居た馬が驚いて逃げ出してしまうくらい悲鳴を上げた後、俺の頬が思いっきり平手打ちされる。
「触らないで!近寄らないで!息をしないで!――に、妊娠しちゃう!」
「ちょっ!触っただけで妊娠なんてするかよっ!」
「煩い!あぁっ、男に体中触れられるなんて!」
うぅ、助けただけで、この仕打ちとは……
「やだっ!?なんだか手がベトベトしてるっ!~~っ最低よっ!この世の終わりよっ!」
興奮状態の少女を落ち着かせるすべは無く、俺はただ茫然とそれを眺める。
がっくりしていた所に馬が近付いてきて、首を俺に擦りつけてくる。
「慰めてくれるのか?良い奴だなぁ~お前は」
彼女の首を撫でると、気持ち良さそうに目を細める。
思えばほとんどの馬がお嬢様の悲鳴に驚いて逃げてしまったけど、この馬だけは逃げずに残っていた。それだけでもこの馬は名馬と言えないだろうか?
「お前の背に乗せてくれないかな?」
「げっ……」
お嬢様が俺との距離をさらに拡げる。
「おいおい、馬鹿にしないでくれよ?前に涼州に立ち寄ったことがあって、そこでちゃんと馬の乗り方を教わったんだぞ? 傍から見れば可笑しな光景かもしれないけど、馬はちゃんと理解してて賢いんだぞ」
その馬は何だかしばらく迷った挙句に、仕方ないなーという感じで首を数回縦に振ってくれる。
「ありがとう、恩に着るよ。よっと!」
乗れなかったら奴隷生活。だが俺の気持ちがきちんと馬に伝わったのか、俺を振り落とすことなく辺りを軽く走り始める。
「嘘でしょ?……信じられないわ。乗った者をすべて振り落としてきた暴れ馬が容易く、しかもこんな変態男を乗せるなんて!」
それであの強気発言だった訳か。
「えっと」
「やっ、約束は約束よ!持って行きなさい」
「いや、少し借りるだけで良いよ」
「こ、この私に情けを掛けようって言うの!?……良い度胸ね、今に見てなさいよ!」
大きな舌打ちをして彼女が踵を返す。軽く馬を走らせてからその横に並んで歩けば、
「勝負に勝ったからって上から目線!? 調子に乗ってんじゃないわよ。あんたなんて、馬に振り落とされて頭打って死んじゃえば良いのよ!そうよ、今すぐ死になさい」
お嬢様のご機嫌を損ねてしまったようだ。この空気に耐えかねて俺は馬の首筋を軽く撫でることにした。首を上下して、少し嬉しそうにリズムを刻む。
「そんな男のどこが良いのよ!ふんっ!」
(十)
袁家祭開催中。そんな垂れ幕が街の其処ら中に目に付き、お祝いムード一色に染まる。ここは趙雲と離れ離れになった街。宿屋に顔を出してみたが、残念ながら趙雲はあの二人と共に旅立った後だった。
「それにしても、ついこの前に浸水被害があった場所とは思えないな」
驚くべき復興ぶりに俺が驚いていると、
「あんた……此処を何処だと思ってるのよ。それだけ袁家の資金力が半端じゃないってことよ」
「?」
さっぱり意味が分からない俺に、大きな溜息を一つ付いたお嬢様が親切に教えてくれる。
「汝南袁氏って言葉知らない?ここは汝南郡汝陽。四世三公を輩出した名門、袁家の故郷よ」
彼女の説明を聞いてる途中、路地裏の向こうでガラガラと物が倒れる音が聞こえる。
「ちょっと、話の途中で何処行くのよ!」
俺はその場所をそっと覗き見ると、物騒な男達に女性が二人囲まれていた。
口元に人差し指を立てて、覗いてみろと促す。お嬢様がそっと覗いては腕を組むんで考え出す。
「……まずいわね。あんた何とかしなさいよ」
「数が多すぎて俺の手に負えない。警備兵を呼びに行かなきゃ」
「……そう。じゃぁ、それは私に任せて」
再び覗きこんだ俺の背中が突然押され、その空間へと一歩踏み出してしまう。
「時間稼ぎでもしてなさい」
砂に足を取られ、その音がやけに大きく響くと、そこにいる全員が一斉にこちらを振り向く。
――無理!
お嬢様は不敵な笑みを浮かべ、振り返って嬉しそうにスキップしながら逃げて行く。
「何だ、ぁあ!?兄ちゃん……俺達の邪魔して、生きて帰れると思うなよ?」
「あー……、いや、別に邪魔しよう……って!」
男達に囲まれてた女性の一人に、見たことのある顔が紛れ込んでいた。
「あっ!君は……袁紹さんの!」
そう。洛陽で世話になった袁紹さんの部下。袁家の二枚看板の一人である。
俺の顔をしばらく眺めて、はっと表情を浮かべる。
「あーっ!ほ、北郷さんじゃないですか!?」
肩ほどの髪が跳ね、何故貴方が此処にと言わんばかりの表情を浮かべる。
「え、袁紹さんだとぉ!?」
袁紹の名前を聞いた男たちが突然恐れ戦く。
「左様。我々は袁紹様にお仕えする者。貴方達の行為は袁家を敵に回すに等しいと思いなされ」
「す、すいませんでしたーっ!」
男達はペコペコしながら俺の横をすり抜けて行く。袁家の名の凄さが否応無く実感できる。
「これに懲りたら、二度と悪さはしないでくださいね~」
顔良さんは軽く手を振りながら、もう一人の眼鏡をかけたショートカットの女性は厳しい目を男とたちに向けていた。
最後の一人が俺の横を通過した時……
「なーんちゃって……兄ちゃん、もう逃げられねぇぜ?」
男達全員が振り返り一斉に剣を引き抜く。
「やはりただのチンピラではありませんでしたか」
「まぁ、そう言うこった。袁紹様は敵が多いようですな。しかも相手が悪い」
逃げ道が塞がれ、簡単に追い詰められた俺は、急いで彼女達の元へ駆け寄る。
「やぁ、久しぶり。とんだ再会になったもんだね」
「そうですねって、北郷さん!麗羽様を救って頂いて、ありがとうございました!」
「いや、助けたのは昇り竜の常連の方々で、俺は何もしてないよ?」
「そんなことは!」
俺達の世間話に痺れを切らしたのか、先頭の男が二人の会話に割り込んでくる。
「この状況で余裕じゃないか?良い度胸してるじゃねーか、兄ちゃん、あぁん!」
これまでかっ!――俺は手元にある胡蝶ノ舞に手を掛ける。
「ごめん!俺、そんなに強くないんだ。君たちを守れる自信が無い」
「い、いえ!お気持ちだけで嬉しいです! 北郷さんのそれ、少し貸してもらえませんか? 私、剣の扱いに少し自信があるんです!」
「へ? そうなんだ」
きっと袁家の二枚看板って呼ばれるぐらいだし、もの凄く強い人なんだろうな。
俺は鞘ごと抜き取って手渡すと、彼女はその鞘に施された装飾に息を呑む。
「あっ、ありがとうございます!武器さえあれば貴方達に、この袁紹が家臣、顔良!ぜーったいに負けません。覚悟してって、ええっ!?」
引き抜いた瞬間、その頼りない細さに悲鳴を上げる。
「ははっ、そんな細くて折れそうな剣で何ができるってんだよっ!」
「そ、そんな!……で、でも!」
嘲笑う男たちに、彼女がえーぃ!っと叫びながら、勢い良く刀が振り下ろされる。男の一人がそれを真正面で受け止めた瞬間、剣諸共に一閃され、血飛沫を空に飛び散らせて後ろへと倒れる。
「なっ!?」
どれだけ日本刀の切れ味が凄くても、武器まで切り捨てるなんて!……どんだけ力強いんだよ!?
深紅に染まったその空間は一瞬にして別世界への入口へと変化する。踏み入れば最後。武器諸共一閃されて息耐えるであろう。
誰もが一歩も踏み出せずに、ただ刻々と時間が過ぎ……
「袁紹様!こちらです!こちらに女二人を襲う治安を乱す連中がっ!」
遠くから助けを呼びに向かった、お嬢様の声が聞こえて来る。
「ちっ、散れ!」
男たちは散り散りになって逃げて行き、残された俺たちは生き延びれたことに安堵する。
目の前からお嬢様だけがゆっくりと姿を現すと、逃げる男たちを興味無さそうに眺めていた。
「あれ?……警備兵は?」
「麗羽様、来てくれたんですか!?」
「二人とも……、そんな都合の良い話があると思うか?警備兵も麗羽様も来るわけ無かろう」
顔良さんの隣に居た女性が、何に期待しているんだと溜息を吐く。
「そう。袁紹も警備兵も誰も来ないわ。お祭り騒ぎで忙しくって、それ所では無いそうよ?予想した通り、話にならなかったわ」
やれやれといった感じに、お嬢様がこちらを振り向く。
「ってことは、運が良かったということか?」
「違うわ」
その言葉にお嬢様はゆっくりと自らの頭を指差してから、俺達を指差す。
「私の知謀で助けてあげたの。感謝なさい」
(十一)
眼鏡をかけた袁紹さんの部下と、お嬢様が何やら真剣な表情で話し始める。
俺は昇り竜のお客の一人だった顔良さんとの再会を果たす。
「ありがとうございます。それにしてもびっくりするくらい軽い剣ですね」
「えっ!かなり重いんだけど……」
「この程度で重いなんて言ってたら、普通の剣なんて振り回せませんよ~?」
男の人なのに情けないなぁ~っと、そんな眼差しで俺の顔を覗きこんでくる。
「うぅっ……そ、それよりも。怪我は無い?」
「はい!お陰様で!」
俺達のたわいない話に、緊迫した声が掛けられる。
「悪いが斗詩殿。世間話はそれほどにして、急いで袁紹様の元へ戻りましょう」
「あ、そうでした。北郷さんも、そちらの方もぜひご一緒に」
「えぇ、そのつもりよ」
俺達は袁紹さんの元へと向かう。彼女が一体何をしていたのかと言うと……
「十常侍なんて大したことありませんわ!おーほっほっほ!」
「さすが我らが袁紹様!この乱れた世を変えることができるのは、もう袁紹様しかおりますまい!」
「そうでしょう、そうでしょう!おーほっほっほ!」
袁紹さんが上座に座り、その両脇を袁家に縁のある者たちが並ぶ。豪勢な料理と酒が彼らの目の前に置かれ、まさに宴会の二文字に他ならない。
「それで袁紹様、この災害で少々税が少しばかり……民も苦しんでおり、増税などできるはずもなく困っておりまして。このような宴席の場では大変申し上げ難いのですが~」
「あらあら、それは大変ですわねぇ。やはり汝南の民あっての袁家。微力ながら私もお手伝い致しますわ。おーほっほっほ!」
「さすが袁紹様!」
袁紹のその一言に皆が胸を撫で下ろし、再び歌えや踊れやの縁が始まる。
「うわっ……何、この接待無双。さすが袁紹さん。変わらず元気そうだね」
顔良さんが、頭を掻きながら少し恥しそうに小声で呟く。
「あはは、姫はそれだけが取り柄ですから。それにああ見えても袁家当主。影響力が強いものですから、こういうのは日常なんですよ」
何も考えない言動に困惑しつつも、暖かい目で袁紹を見守る彼女に、酔った誰かが勢い良く抱きつく。
「と、斗詩~戻って来るの遅いって。……今日の姫、手に負えない……がくっ」
「ぶ、文ちゃん!大丈夫!?」
袁家の二枚看板のもう一人である。顔良の相方で、文ちゃんと呼ばれた女の子……やはり文醜かな。近くにあった水瓶から水を分けて貰いそれを彼女に飲ませてやる。
「大丈夫か?」
慌ただしい俺達に気付いたのか、袁紹さんがこちらに声を掛けてくる。
「あら、斗詩さん。戻ってきたなら戻ってきたとおっしゃいなさいな……で、その品の無い、貪らしい庶民はいったいどこから連れて来たんですの?」
「れ、麗羽様っ!?」
「ぷは~、生き返るっ!……そうだぞー斗詩!まさかあたいという女が居ながら、ちょっと気が利くからって男を連れて帰ってきて……ま、まさか!あたいを捨てて、この男と!?」
文醜さんは顔良さんにぶら下がりながら、捨てちゃ嫌だと叫び出す。彼女を抱えながら俺と袁紹を見比べ、俺にペコペコと頭を下げ始める。
「すいません!すいません!」
「いや、気にしなくて構わないよ。お久しぶりです、袁紹様。洛陽では大変お世話になりました」
俺が頭を下げると、皆が袁紹さんに注目する。
「えぇっと……あれ?……んーっと?……あぁ、思い出しましたわ!あの時の鍛冶屋ですわね!もう少し品のある恰好をしなさいな。誰だか分からなくてよ?」
「んー?お前、鍛冶屋か!鍛冶屋に斗詩はやれねぇな!」
「へぇ~、あんた鍛冶屋だったの?」
「違うよ。元居酒屋かな?」
俺の周りだけに聞こえるように小さな声で話す。
「あの子が青い顔して謝るから何かと思えば……暇なの?何ならうちの料理人たちの包丁でも砥ぐ?」
「いや、人の話し聞けよ!」
「あんたのことなんてどうでもいいわ。それより少し黙ってなさい」
無茶苦茶だー!
しばらくして、先程の眼鏡をかけた知的な女性が袁紹さんに耳打ちすると、袁紹さんが手を胸元まで上げる。するとその場が一瞬にして静まり返る。
「そう、貴女があの……その知謀。この私の為に存分に使うことを許しますわっ。まぁ、活躍次第では貴女の真名を呼んで差し上げても宜しくてよ?おーほっほっほ!」
「か、活躍を期待しておりますぞ」
「あ、有り難き幸せ……」
眉をピクピクと動かしながら無理やりに笑顔を作り、怒りに震えながら拳を握りしめる。
全くが付くほど幸せそうには見えないが、袁紹さんはそんなことよりも宴の続きだと彼女に酒を勧める。お嬢様はその席へと移動すると、再び場が賑やかになる。
「本当に申し訳ありません!」
一生懸命俺に謝罪をしてくれる顔良さん。構わないと言っても、中々その顔を上げてくれないでいた。
「何だよ、何だよ~。何でこの兄ちゃんに謝るんだ?……まぁ、いいや。兄ちゃんは麗羽様と一緒の席には座れねーからな、これも何かの縁ってやつ。ほら、こっち来て一緒に飲もうぜっ」
ふらふらと立ち上がっては、袁紹さんとは別の離れた席に座って俺を手招きする。
「あたいが許す!そこの酒持って来い!」
「あははっ。……では、こちらでよろしいですか?」
俺は背筋を伸ばして、その酒を手に取ると彼女に見せてから盃にお酒を注ぐ。何だか昇り竜の頃を思い出して懐かしい気分になる。
「へぇ~北郷さんのあの雰囲気って作ってたんですね~」
「あれ、どこかで……って、げっ、店主!?」
椅子から音を立てながら立ち上がり、文醜さんが俺を指差す。
「猪々子さん!さっきからギーギーガーガー煩いですわよ!もう少し静かにできませんの!?」
「す、すいません!」
袁紹さんに怒られて、頭をペコペコ下げた後、
「斗詩~、どうしてもっと早く言ってくれないんだよ~!」
「状況的に言えないんだよ~!」
袁紹さんの席では、どうやら袁術さんの話題へと移ったようだ。
「そういえば、袁術様が南陽の太守になられたとか!」
「らしいですわね。後釜のいない所にすっぽりと収まって、まったく意地の悪いこと」
「いえいえ袁紹様。何やら臨時に太守を務めていた北郷と名乗る男から、半分無理やりに奪い取ったそうですよ?その男、何でも無官の身分で太守を勤め上げたとか」
顔良さんが俺と胡蝶ノ舞をちらりと見て、ピタリと体の動きを止める。
「おーほっほっほ!笑わせないで下さる?無官で太守だなんて。きっと南陽の民たちも、この名門中の名門である袁家に仕えることができるのですから、さぞかし大喜びだったことでしょう?」
「いや、それがですね」
「みなまで言わなくても結構ですわ。その北郷ってのも折角の太守の座を見す見す美羽さんに奪われて、さ・ぞ・か・し、悔しがっていることでしょうね。おーほっほっほ!」
次は文醜さんが、この国では珍しい北郷という名にピンと来たのか、恐る恐る俺を見て固まる。
袁紹さんの席から次の話題が飛ぶ。
「おぉ、そう言えば、袁紹殿を助けたと噂される者も確か北郷ではありませんでしたか?」
「……そうでしたかしら? 私、気付かぬ所で命を狙われていることが多々ありまして……正直、助けて頂いた方の名前をよく覚えておりませんの」
袁家の二枚看板が青い顔を白くして、俺に振り返ってペコペコと謝りだした。その状況を不審に思ったのか、眼鏡の女性が俺に近付いて来る。
「斗詩殿、その御人のことを北郷と呼んでおったが……まさか?」
顔良さんが頷くとすべてを悟ったのか、その人は頭を押さえて倒れてしまう。
「あっ、田さんが限界超えたわっ……あたい知-らねっ!」
「ちょ、ちょっと文ちゃん!」
文醜さんは立ち上がって速足で逃げて行き、田さんと言われた女性を抱きかかる顔良さんの瞳が少し潤み始める。
「なんて言えば良いのかな。その……大変そうだね」
「……くすん。他人事みたいに言わないで下さいよ~!」
(十二)
次の日、
「大丈夫だって!袁家の鎧着けてたらバレないって!」
「も~文ちゃん!あとで怒られても知らないんだからね! でも北郷さんと一緒に仕事できるなら嬉しいかも。もう他人事のように言わせませんからね?」
そう言って俺に笑顔を見せると、文醜さんが頬を膨らませる。
「むっ。何だよ斗詩~。あたいのことなんてどうでも良いってのかよ~」
「べ、別にそんなんじゃないよ!」
「ほんとか~?なら正直な斗詩の身体に聞いてみようかなっと!」
「や、やめてよ!文ちゃん!北郷さんの、前っ!なんだからぁっ!」
朝から百合な展開が俺の前に広がる。仲が宜しい様で……その姿を見ていると、趙雲のことをふと思い出す。もう以前の様にふざけ合ったりできないのが残念で堪らない。
「あんっ……北郷さん、見ないでぇ、くださぁぃ……もうっ!文ちゃん!」
絡みつく腕から抜け出して、それを掴んでは文醜さんを投げ飛ばす。
「がーん、斗詩が相手してくれない!」
「もう!……でも、北郷さんはその格好じゃまずいかなぁ」
「おぉ、キタ!名案がズバット閃いた! 斗詩、斗詩!ごにょごにょ、でだな、ごにょごにょ」
耳打ちすると、その表情が驚きの表情へと変化していく。
「えぇ!北郷さんに女装させて、潜り込ませるの?」
「女装!?」
「ほら、昨日の今日だしさ、顔覚えてる奴がいるかもしれないじゃん?それにバレると後が面倒だし。変装して鎧着ればさ、立派な袁家の家臣だって。それらしく見せるのが一番だって!」
「んー、そうだねぇ~」
文醜さんは、なっ良い考えだろ?っと俺に同意を求め、顔料さんは手を顎に乗せて深く考え込む。
「いや、別に袁家の家臣になろうってわけじゃないんだけど?」
その一言に、二人は小悪魔のような笑みを浮かべて俺に近付く。
「私たちを他人事のように思う北郷さんには、それが一番かな」
「そうそう、それが一番! ここまで来て知らん顔させねーっつの!」
じわりじわりと、二人が俺に迫る。
「大人しく……しててくださいね、北郷さん♪」
二人に玩具にされ続けて半刻ほど……
「それにしてもすげー」
「だねぇ……」
「へ、変じゃないか?てか、この時代につけ毛なんてあるんだ……」
長い黒髪に、彼女達に似た青い服を着せられ、白く短いスカートを穿かされる。風が股下を通り抜けて妙に寒い。
「素敵ですよ、北郷さん!」
「声出さなきゃ完璧だわ」
「文ちゃんもちゃんと化粧すれば、北郷さんに負けないくらい綺麗なのに……」
「えーっ。面倒だしなぁ……別に普通で良いと思うんだけどなぁ」
そう言って頭を掻くと、彼女の髪の毛がぼさぼさと乱れる。
「もう……」
鏡が無いのでどんな恰好をしているのか分からないのだが、どうやら変装は成功のようだ。袁家の二枚看板に連れられて、俺は何食わぬ顔で玉座の間に潜り込む。それにしても見慣れない人物がいると言うのに、誰も気付かないとは、この組織は大丈夫なのか?
「……さすがに飲みすぎましたわ。頭が痛いので今日の軍議、さっさと終わらせてくださいな」
俺は小声で、顔良さんに耳打ちする。
「意外に少ないんだね」
「え~と、お恥ずかしい話でして、二日酔いで多くの者が欠席してます」
「では。十常侍から放たれた手の者が袁紹様を始め、多くの清流派の方々が襲われているとのことです。我が軍でも、田豊様、顔良様が襲われ――」
「なっ!何ですって!それで、二人は……って元気そうですわね」
「はい。文若殿のお陰で、事なきを得ました」
「そうでしたの?まぁ、宦官如きの追手に後れを取る様な者は、この袁家にはいない筈ですけど?一応皆さんも気を付けて下さいまし」
胸を張っていた文若と呼ばれる猫耳フードの少女が軽くこける。そういえば、お嬢様が居ることをすっかり忘れていた。念には念を入れておいて正解だったわけか。
「次」
こんな感じで淡々と軍議が続き、その一つ一つに耳を傾けていると……
「次」
「はっ、斥侯が持ち帰った情報に、袁紹様のご友人である曹操様が捕ったとの報告が」
「……なっ」
「北郷さん、身を弁えてください!」
俺が発言しようとすると、顔良さんに咎められる。
「華琳さん捕まってしまったんですの?何をやっているのかしら、あのくるっくるは……それで?」
「はっ、何やら要人殺害の容疑で投獄されているとのこと」
「十常侍の手が回ったのでは?彼女は十常侍に疎まれておりますからな」
「……そう。次」
それで終わりなのか!?
「お、お待ちください!袁紹様!」
「ほ、北郷さん!」
「うぅ、頭が痛いですわ。大きな声を出さないでくださいまし。それで、貴女は……誰でしたっけ?」
「このままご友人をお見捨てになると言うのですか!?」
俺の一言に気分を害したのか、俺を蔑んだ瞳で見詰める。
「では、貴女は私にどうしろと言うんですの?」
「きっと何かの間違いです!今すぐにでも彼女の元へ駆けつけて原因を探り、助けるべきです」
「どうして袁家当主であるこの私が、くるっくるの元へ駆けつけて助けねばなりませんの?」
「なっ!……袁本初、見損なったぞ!」
「姫の御前で何たる無礼!文醜、顔良!その者を捕えなさい!」
「えっ!?で、でも!」
緊張感の欠片などこれっぽちも持ち合わせてはいないと、興味無さそうに欠伸を一つして、あっちへ行けと手をひらひらと振る。
「構いませんわ。そこまで助けに行きたいのなら好きにしなさいな。ですけど……」
真っ直ぐに見降ろされた宝石のような瞳が輝く。
「貴女が背負う袁家の名をすべて置いてからになさい。袁家の名を傷つけることは絶対に許しませんわ」
「勿論そのつもりだよ。君達に迷惑をかけるつもりは無い。一目で袁家だって分かるのは、この鎧ぐらいかな?」
俺はその豪華な金色の鎧を外すし、青い服の姿になる。
「なっ!……躊躇なく脱ぎ棄てるなんて!……あら?でもあんな良い娘がいたら、私放っておかないんですけど……貴女、名は?」
「華琳が捕まっている場所は?」
俺は先程の男に問う。
「え?……あっ、兗(エン)州東郡の頓丘(トンキュウ)でございますが?」
「ありがとっ!」
「ま、待ちなさい!貴女、曹操さんとどういう関係ですの!? どうして彼女の真名を!」
俺はその問いには答えず、二人の肩を叩いて御礼を告げて出口へと走り出す。
あ、そうだ。
「文若殿でしたっけ?しばらく馬をお借り致しますよ!」
そう告げて俺は急いで、絶影の元へと向かった。
「……へ?」
突然の出来事に誰もが言葉を失う中、金色の鎧を脱ぎ、男の様な太い声の女性に名指しされた荀文若は、何故声を掛けられたのか、そもそも何故彼女に馬を貸さねばならぬのかと、状況を理解できずにいた。
この場にいる者全ての視線が彼女に集まる。
「……文若さん。あの女性と知り合いですの?」
「いいえ……今ここで初めてお会い致しましたが?」
「では、文醜さんと顔良さんは?」
肩を叩かれた二人なら彼女のことを何か知っているかと、袁紹は思ったが……
「知りません!」
「わ、私も知りませーん!」
文醜は指の先まで真っ直ぐ立ち大声で即否定し、彼女を横目で見た顔良もそれに同意する。
「そうですの……誰だったかしら?」
腕を組んだ彼女の指だけが、トントンと頻りに動いていた。
あとがき
第七章、大変お待たせしました!ネタが中々浮かばず、仕事の忙しさも重なり、さらには鼻風邪を引いて更新に一カ月ほど掛りました。
っと、言い訳はほどほどにしておきまして、第七章、豫州袂別、不条理の先に。如何でしたか? この七章では恋姫の設定を補完することに重点を置きました。
魏√の最初で旅をしていた三人組みや、荀彧が袁紹に仕えるまでを少々。彼女達がどこで出会ったかは分かりませんが、豫州は昇龍伝の設定ということで、ここは一つ。
荀彧のツンツンも、郭嘉の官能妄想も、程立の緩み具合も。書いていて思いましたが難しいですね。……生かしきれずに終わりました。力不足、勉強不足、無念です。最後は時間が無く、力尽きた感もありました。お許しください;
あと、呉には行きませんでした。孫策さんにお持ち帰りされそうなので……
さてさて題名からして案の定、次から趙雲との絡みが無くなります。えっ?それって昇龍伝なの?とか言わないでください。昇龍伝なのです。昇龍伝、人。もう少し続きます。お付き合い頂ければ幸いです。沢山のコメント、応援メッセージ、ありがとうございます!これを励みにして、次も頑張りたいと思います!
ではこの辺で。次のページはコメント返しです。
第六章コメント返し
トーヤ様 > 本当の応援はきっとここからですぞ!
とらいえっじ様 > 単福の解説ありがとうございます。今回は恋姫の補完に当ててみました。そして昇龍伝初めての続き物。
st205gt4様 > いえいえ、まだ彼は立ち止まりませんよ。友を助けにひた走ります。
サイト様 > 暴れ馬を落としました!種馬スキルは伊達じゃない!
motomaru様 > 単福可愛いと言って頂けて何よりです!力不足を悔やんで猛勉強中です。彼女が報われる日は来るのか!?
田仁志様 > 素直になれない星だからこそです。どうやら気持ちの整理ができた様です。
きゅうり様 > 作品では偽名にしてみました。読みはそう深く考えていませんでしたので、混乱させてしまったようです。すいません。
自由人様 > お待たせしました!やっぱりフラグは立てておかないと!と、言いますか自然と立ってしまいます。恐ろしい!
ジョン五郎様 > 六章は景勝地もあり、風景にも力を入れてみました。読みやすかったとのことで一安心です。
munimuni様 > 大変お待たせしました!七章は続きものですし、余り遅くならない様に頑張ります。
相駿様 > おぉ~、なかなか良い読みですね。曹操の本拠地、兗州へと向かいますよ。
クォーツ様 > 孫策さんの本格的にフラグを立てるべきか悩んだのですが……虎に麒麟ですからねぇ(違
hall > 桃香はあの村に行けば会えますが、翠は今は旅をしているかな?(謎
ジョージ様 > お待たせいたしました!今後の展開、苦しい感じですけど頑張りますね!
kayui様 > 星も一刀を拾って、まさか苦しむことになるとは思っても見なかったでしょう。
キラ・リョウ様 > 七章は恋姫の補完を。星は誰に付くのでしょう?公孫瓉でしょうか?一刀の動きも気になる所です。
rikuto様 > あまり期待せずにお待ちくださいな~。プレッシャーに弱いのでw 続きも頑張ります!
夜の荒鷲様 > ファスナーはこの時代にはありませんもんねw 注目せざるを得ないw
jackry様 > 話の舞台が荊州ですので、因縁深い孫堅さん登場。この親子、喧嘩ばかり=反抗期ではなく同族嫌悪という私的認識。片方が駄目だと片方はしっかり者。これは基本ですよねw
雪蓮の虜様 > うぅ、その二人は難しい所です;雪蓮さんを登場させるなら孫堅さんが亡くなる前に、気になるアイツ→ストーカー孫策へのフラグを立てねば……それもさすがにまずい;(孫家の人間は思い込みが激しいというのが作者の認識、孫権然り尚香然り、孫策も独占欲強いそうですし)
ブックマン様 > さすがの趙雲もフラグを阻止しておりますよ。
スギサキ様 > 可愛く思って頂けると、頑張って妄想を膨らませた甲斐がありました!
第四章コメント返し
havokku様 > 仲の良い二人も、時代に引き離されてしまいました。星無しでネタが続くのか不安です;
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この作品は、真・恋姫無双のSSです。
豫州へと向かった二人、運命の歯車が動き始めます。
作者の勉強不足と作品の都合で、いろいろとおかしなところがありますが、楽しんで頂ければ幸いです。