運がよかった。
マイムは女官の制服をきて、すまして控えている。
御前試合なんて、王族かそれに関係するものか、その臣下達しか見られないのである。踊り子なんぞお呼びでない。
だが、どうしても見てみたかった。陰気な男、シラギとショウギの愛人、カグラの試合を。だから、知り合いの女官を買収して入れ替わってもらった。
マイムは会場の雰囲気を体全体で感じる。久しぶりに華やかな席だ。
緞帳のかかる上座に一段上がって王の椅子が鎮座し、その両側に重そうな、しかし高そうな椅子が並べてある。王座の前に広々と場所がとってあり、ここで二人は打ち合うのだろう。臣下たちはざわめきながら、ひらけた場所の前に立っていた。多い。百人は下らないのではないか。
まあ、王族の講師陣たちまでいるのね、と笑みが出た。
どれだけ物見高いのかしらと自分のことを棚に上げて思う。
丁度臣下らと王座が向き合い、その中で、二人の将軍が剣を打ち合う形だ。
ざわめきがやみ、みな一様に跪礼の形をとった。マイムもそれにならう。王族たちが入ってきたのだ。
「面を上げよ」
一面は、みな驚き再びざわめき出した。マイムももちろん驚いた。
王女がいたのである。公の場に初めて姿を現した王女。
端の席に大人しく座っていたが、その可愛らしさに目がいった。
とりたてての美人ではない。
が、賢そうな黒い眼はぱっちりと開いており、白い肌に映えていた。輝く藍の髪は緩くまとめられて華奢な簪が控えめに彩っている。いくつもの玉が箸からつらなっており、優美に揺れていた。衣は薄桃と萌黄の合わせ重ねで襟、袖は髪の色と同じ藍。少女らしい、愛らしい衣だった。帯はこげ茶の兵児帯で結び目を前にたらしている。ふと後ろにひっそりと控える少年に目が行った。濃紅の衣に黒の帯。簡易だが人目を引く。あら、トモキじゃない。マイムは一瞬手を振りそうになった。
快達で、人気者のアナンもこの時ばかりは霞んで見えた。
こっそりショウギを見ると、少女とは対比して醜悪だった。金銀の花刺繍を散らした薄紅の衣。刺繍が派手すぎて浮いている。簪は一体何本刺さっているのであろうか。試合がつまらなかったら数えてみよう、とマイムは思った。
本日の主役二人が登場し、王に膝を折って跪礼をとった。
シラギは見事に黒一色で統一されていた。黒髪はいつもの様に後ろの高い位置で括られており、長い髪束が一直線に垂れている。帯も黒。衣は漆黒、さらに黒糸で青浪の模様が見て取れた。下は動きやすいように袴を細くしたものに裾を黒布で絞って邪魔にならないようにしている。そして相変わらずの仏頂面。
対するカグラは白で統一。同じような恰好に瞳の色と同じ紫の帯だった。遠くからでも目立つ銀髪は、今日は後ろに一纏めに括られている。
双方、距離をとり構えた。緊張が会場を包む。
「勝負は五本」
審判が手を挙げる。
「始め」
一瞬、間があいた後、激しい金属音が鳴り響いた。
二度、三度、間。再度激しく打ち合う。離れたかと思えば近づき、打ち合ったかと思えば間合いのために距離を開ける。お互いの隙を計りながらゆっくりと移動した瞬間、剣の音が幾度も重なり合う。圧倒的な試合であった。余りにも早くて剣先が見えない。黒が攻めていると思ったら、離れ今度は白が反撃する。
しかし、シラギはともかくカグラである。あんなに剣ができるなんて以外も以外だった。
会場が息をのんだ。
シラギの剣をかわしたカグラがそのまま回転し、相手の頬に傷をつけたのである。
「左将軍に一本!」
声が響き渡った。どよめく会場。
当たり前だろう、国最高位の剣士が一本取られたのだ。マイムはふと、シラギの顔を見て戦慄した。
頬を拭いながら、その男は静かに笑っていた。餓えた野獣が獲物を見つけたときのような、禍々しくて狂気すら含んだ嬉しそうな笑みだった。
まるで色気すら漂うような…。
いやいやいやいや何を考えているのだあたしは。
「始め」
二本目。
瞬時に大きな音が響いたと思ったら、静寂が訪れた。カグラが信じられない、と言う顔をして己の右手を掴んでいる。その中にあるはずの剣は、回転しながら空を飛んでカグラの後ろに落ちた。
「右将軍に一本!」
審判が声を上げたが会場は静かなままだった。何が起こったか理解できなかったのである。
マイムも分からなかった。もっと近くで見たいのに、ここから動けないのがもどかしい。会場は異様な熱気に包まれ始めた。
「始め」
三本目。今度はカグラが地を蹴って仕掛けた。シラギはただ受けるだけである。押されているようにも見えるが、その顔は相変わらず笑ったままだった。それにしても、あんなに早く動いてよく疲れないものだ、とマイムは変な所で感心した。二人とも汗は流しているのに呼吸が乱れていない。その時、誰かが声をあげた。カグラの剣を受け流してシラギがそのまま突き出したのである。その先はぴたりと相手の喉元に定まった。しばらく誰も動かなかった。静寂。
「見事!」
国王の声が響いた瞬間、ドンと歓声が上がった。臣下たちは、御前と言う事も忘れて熱狂的な声援を送っていた。マイムの隣に控えている女官も自分の立場を忘れて騒いでいる。あそこで手を振り回しているのは大老の一人ではないか。あ、倒れて運ばれて行った。ショウギの簪なんて何本でもいい、この試合をずっと見ていたい。マイムは祈るような気持ちで剣を構える二人を凝視した。
「四本目、始め!」
審判の声も上ずっている。
お互い隙を窺っているのだろう。次は一歩も動かなかった。息が上がってきたカグラに対しシラギは余裕の表情で構えている。まるで小動物をなぶる獣のようだ。と、黒が動いた。いっそ無邪気にすたすたと白にむかって歩いてゆく。カグラは呆けたように立っていた。観客もぽかんとした。そのまま、子供の遊びのような剣振りでシラギは手を払った。高い金属音がして気が付けばカグラの手から剣が消えていた。
「右将軍に一本!」
間をおいた後、ほとんど絶叫と言っていいほどの声が響いた。会場が揺れるようだ。国王も王族も身を乗り出すようにして手を叩いている。その中で一人、ショウギだけが顔を顰めて扇を弄んでいた。これを企画したものは、ショウギのこの顔がみたかったのかもしれないとマイムは思った。でも今はどうでもいい、白と黒の剣技を見ていることが面白い。しかしもう最後だ。臣下…というより観客たちからは誰ともなく黒将軍、白将軍と声が上がってきた。
「五本目、始め!」
瞬時に剣がぶつかる音がする。
最後の試合は壮絶だった。双方死力をつくしてぶつかり合う。シラギの顔からも笑みは消えた。
黒が波となりうねると、白は大海となって呑み込む。白が虎となり剣を咆哮させる、黒が竜となり撥ねつける。黒が雷となり撃ち落とせば白は風となりかわす。白が鷲となって襲いかかると黒は鷹となって迎え撃つ。黒が風を巻き起こせば白は凪となって流す。
ああ。
マイムは思わず声をもらした。まるで舞を見ているようだ。激しく壮烈な舞。なんて美しい。
全員が息をひそめ瞬きをする間も惜しんで見守っていた。そして勝負はついた。
「右将軍に一本!」
****
「黒将軍に剣術を教えたのはジュズだって本当か?」
東宮の部屋にて。茶を飲みながら、王女が目の前の老女に聞いていた。
「まあ、誰がそのような事を」
苦笑を浮かべながら老女が茶器をおいた。
リウヒは御前試合がよっぽど気に入ったらしく、数日経った今でもその話を持ち出す。しかし、ジュズが剣師範をやっていたなんて初耳だ。後ろに控えていたトモキは、耳を澄ませて続きを待った。
「タイキに聞いた」
「あの方は意外とおしゃべりなのですね。ええ、稽古をつけてやりましたとも。幼い頃に」
へえ、と王女は目を輝かせた。
「小さい時のシラギなんて想像付かないな」
確かに。後ろでトモキも頷く。
「どんな子供だったんだ?」
興味津津で聞いてくる少女に、老女は目を細める。孫に微笑む祖母のようだった。
「そうですね、昔から陰…落ち着いていて、頭も良かったのですがやはり剣の筋は教え子の中でも一番でした」
懐かしむように遠くを見る。
「あれだけ腕が立ったのは、あの子ともう一人…」
はっとしたようにジュズは口を閉じた。
「もう一人?誰だそれは。ジュズの子か」
好奇心丸出しで聞くリウヒ。こうなったら誰にも止められないのを講師達は知っている。
「いいえ、わたくしに子はおりません。その昔預かった子供ですの」
シラギと同格ぐらい上手かったという。
「その子は今でも元気なのか」
「元気そうですわ。剣の腕は落ちたようですが」
そういって、なぜか淋しそうに笑った。
「さて、殿下」
ジュズの背筋が伸びる。顔つきまで変わった。リウヒはつられて背筋を伸ばした後、顔色を変えた。その目がちらりと扉に走る。トモキは急いで扉の前に立った。ち、と小さな舌打ちが聞こえた。
「御前試合はたしかに見事でしたね。でもわたくしは殿下の態度をみて涙が出そうでしたわ。なんですか、あの座り方は。普段わたくしたちと一緒にいるときは大目にみましょう。あまりにも改まり過ぎても殿下が大変ですものね。しかし、大勢の前に出る時ぐらいはしゃんとなさりませ。よいですか、…」
小言は続く。
リウヒは猫のように小さくなって聞いており、トモキは笑いをこらえながらそれを見ていた。
****
女官たちが、こちらを見ながら笑っている。振り向くと慌てたように駆けて行った。
シラギは眉を顰めた。試合から半年も経つのに、未だに人の噂に上るのは何となく居心地が悪い。
王はあれから上機嫌で、寝台にしばしばシラギを呼びつける。試合の話を何度も繰り返しするのだ。横についているショウギは凄まじい顔で睨んできて、訳のわからない嫌味をネチネチ言う。剣技を見せてくれ、と上司たちはせがむ。果物でも切ったら満足するのだろうか。副将軍たちまでキャッキャとうるさい。まあ、それはいつものことだが。
宮廷のど真ん中でもう勘弁してくれと叫びたいほど、シラギは疲れ果てていた。
自分に付けられた異名もそうだ。いつの間にやらシラギは黒将軍、カグラは白将軍と呼ばれるようになった。王女まで面白がってそう呼ぶ。この間、リウヒの部屋に入った瞬間
「いよっ、黒将軍」
王女の口から掛声がかかった。反応に戸惑い、うっかり
「ありがとうございます」
と言ってしまった。トモキと女官三人が、隅の方で苦しそうに震えていた。
誰だ、王女につまらぬ事を吹き込んだのは。大方、カガミ辺りにちがいない。
しかし、あの試合は本当に面白かった。
カグラが意外に強くて、久しぶりに楽しんで剣を振るえた。途中から意識が飛んだほど熱中した。途中笑っていたと色々な人から言われ、顔から火が出そうになった。全く自覚していなかったのである。
だが、あの剣の型は自分と同じではなかったか。幼いころの稽古を思い出した。毎日痣だらけになって帰った日々。
まさかな。
政務室に入り、椅子に腰を下ろす。目の前には仕事が山積みだ。
シラギは気持を切り換えて、書類を繰る手に集中した。どれほど時が経っただろうか。
扉が叩かれる音がした。トモキだった。
礼をしたもののしばらく話しにくそうに、目を泳がせている。シラギはかける言葉が見つからない。目の前の少年が、口を開くのを待った。
沈黙が流れた。
「わたしは、あなたがリウヒにした仕打ちは多分一生忘れないと思います」
静寂を破ったのはトモキだった。無表情で淡々という。
シラギは頷いた。
「でも、やっぱりあなたを嫌いになれない。憎みきれないんです」
再び沈黙が流れる。
老人の戯れは少女を闇に落とした。しかし、少女は自らの力で暗い闇から脱出した。獣が穴倉からおずおずと安全を確認しながら顔を出すように。そこまで導いてくれたのは、この少年なのだ。
自分は何もしなかった。ただ傍観していただけだった。
「本当にすまなかった」
苦しくて苦い痛みが心の中を広がっていく。
失礼します、とトモキは再び礼をして出て行った。
シラギはしばらく少年が出て行った扉を凝視していた。そして息を吐くと、再び書類に目を落とした。
****
東宮の庭でトモキは深いため息をついた。
言いたいことは言った。シラギの苦しそうな顔がちらつく。
もう一度ため息をついた時、柔らかい声が聞こえた。
「どうしたの」
マイムだった。遠くを色とりどりの衣装を纏った踊り子たちが通りずぎてゆく。
わざわざ声をかけてきてくれたんだ。
そう思うと胸の中がじんわり熱くなった。なんだろうこの気持ち。
「いえ、ちよっと喧嘩して」
少し違うような気がしたが、どう説明して良いのか分からなくて、かいつまんだつもりがかいつまみ過ぎた。
「へえ、あなたでも喧嘩することってあるの」
「マイムさんはしないんですか」
この人の事をもっと知りたかった。職業は踊り子。集団の中にいても一人でいるような、そんな感じの人。
「あたしは群れないから」
多分、人との距離の取り方が下手なのね。そう言って笑った。
「喧嘩するほど仲がいいっていうじゃない。仲直りなんて、一緒にお酒を飲めば一発よ」
適当な助言だなあと思いつつも、今度またシラギを部屋に呼んでみようと考えた。
「マイムさんはお仕事あがりですか」
「ええ、アナンさまのところに行ってきたところ」
相変わらず微笑みながら、遠くを見るマイムの顔がなんだか嬉しそうに見えて、少しだけ不快になった。
「今人気の第一王子ですね」
「人望があるのも頷けるわ。とても良い方だもの」
ますます面白くない。話を転換させるため、リウヒの事を持ち出した。少しでも長く二人でいたかった。マイムはクスクス笑いながら聞いてくれた。そして
「じゃあね、少年。王女さまによろしく」
といって、あっさり去って行ってしまった。
「最近トモキくんさあ、きれいな女の人と密会しているって本当?」
カガミの声に、トモキは含んでいた酒を盛大に吹いた。そのままむせる。
シラギが背中をさすってくれた。
「な、な、なん…ええええ?」
涙をためてうろたえまくるトモキに、オヤジはうれしそうに目を細める。
「君は本当に正直ものだよね」
マイムの適当な助言通り、久しぶりにシラギを呼んで部屋でひっそりと三人で飲んでいる。最初はぎごちなかった空気も、だんだんと緩やかになってきた。オヤジはもう酔っぱらっている。
「いいねえ、恋かあ。ぼくの恋人は歴史だからさあ。散々翻弄されているんだよね」
「そんなんじゃないんです。ただそのあの」
「うんうん。おじさんに何でも話してごらん」
やばい、このままでは肴にされっぱなしだ。
「し、シラギさまは、恋人とかいらっしゃらないんですか」
この人なら、よりどりみどりだろう。一人や二人や三人いてもおかしくはない。
「いらん」
「いらんって…」
「女はな、狐だ。狸だ。妖怪だ。魑魅魍魎だ」
トモキはまじまじと目の前の男を見た。昔、何かあったのかな。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
まるで舞を見ているようだ。激しく壮烈な舞。
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