「ここはもっと表現を豊かに。 具体的にはこのフォルテピアノ、もっと音を小さくして、もっと大きく持っていってください」
現在、八月二九日。 時刻、十四時半。 場所、K大学から徒歩で十分程度の至って普通のホール。
俺は指揮台の上に立って、自分が指揮を振る曲について皆に指示を出している。
創立祭のライヴの盛り上がり方が異常であり、あの盛り上がりを作り上げたのは間違いなく俺だ、という純さんの意見から、普通は一年が終わってから指揮者を選び出す方式を採っているところを、予定を繰り上げて八月の終わりにあるサマーコンサートから指揮者としてステージに立つことになった。
灯は現在もコンミスとなるための修行中。 実を言うと実力的には充分すぎるくらいなんだけど、メンタル面と責任感という点でまだ先輩からは許可が出ていないのだ。
「よし、じゃぁこの曲はこんな感じでいきましょう。 お疲れ様でした」
自分の振る曲に満足できたところで、指揮棒を置く。 結局この場所に帰ってくることになったな、と、なんだか感慨深いものがある。
Wind Ensemble Kは、その名の通りアンサンブルがメインの団体ではあるけど、近年部員の増加によって、全体として合奏もやっていこうという形を取るようになってきたらしい。
その結果、指揮者の選任というシステムが始まり、俺はその三代目ということになる。 三代目とはいっても一代目と二代目はまだ学校にいるため、その二人と俺の合計三人の指揮者がいるということになる。 一応学生の本分は勉強のため、一人で全てをまとめ上げるのは荷が重過ぎるということだろう。
「はーい、じゃぁリハはここでいったん休憩にしまーす」
純さんの鶴の一声で、ホールの中の空気が一気に弛緩する。 ホールの中は飲食禁止のため、皆してロビーのほうに行って飲み物を飲んだり、タバコを吸う人は外の喫煙所に行ったりしているようだ。 俺自身はタバコは吸わないが、別に良いと思う。
と、灯が近づいてきた。
「私たちも、ちょっと外出ない?」
「だな」
そんな短いやりとりだが、そんな関係に戻ってこれたことが、今でも嬉しい。
それほどまでに、お互いこの関係を渇望していたのだ。
後ろの方でニヤニヤと純さんがカメラを構えていることにも気付かずにいるくらい二人の世界に突入してしまっていたのが運の尽きなのである。 ちなみにそのとき撮られた写真は後日サークルのメーリングリストにバッチリ流された。
「うーん、暑いー」
と、半そでに短パンという格好でいかにも涼しげな灯が言う。
「その格好すっげぇ涼しそうなんだけど」
対する俺は半そでの白シャツにジーンズ。 暑い。 猛烈に暑い。
「暑がりだから仕方ない!」
そう言って、ホールの敷地内にある噴水の近くまで行く。 さすがに水が近くにあると少しは暑さもやわらいで、涼しい気がする。
気がするというだけで、実際には暑い。
「やっぱ暑いな」
「夏だからねー」
他愛もない会話。 すぐ途切れてしまう。
しばらく二人で噴水の中身を見ていると、灯が言う。
「ねぇ」
「ん?」
「あの曲さ」
「あぁ、あれか…あれは恥ずかしいなさすがに」
「そうじゃなくてさ」
「ん?」
「あれには、どういう意味が込められているんだっけ?」
「…いやいや、声に出していわなくてもわかるでしょう灯さん」
「残念ながらそこまで頭がよろしくなくてよー」
「…口調変わってんだけどお前」
「良いから良いから! ほら言ってみないと伝わらないよ!」
「仕方ないな…一回しか言わないからな?」
「うんうん」
(ちょっと良いところなんだから押さないでよー)
(だって私も見たいし)
(僕も一枚噛んでたんだから、見せてくれても良いだろ?)
(僕は単なる興味本位だけどね、にゃはは)
「……」
「……」
「……なぁ」
「……やっぱいいや」
灯が苦笑いしながら、そう言ってくれたので、
「とりあえず、あの人たちに文句言ってきたいんだけど」
と、現在の素直な気持ちをぶつけてみる。
「いいね、許可するよ」
「OK」
というわけで、結局うやむやになってしまったけど、そういう話題を向こうから振ってくるって言うことは、気付いてはいたらしい。 それが確認できるなら充分だ。
まだまだ、大学生活もサークル生活も、ずっと続いていくのだから。
Tweet |
|
|
1
|
1
|
追加するフォルダを選択
熱狂のライヴからしばらく経って、二人はどうなったのか。
大学入学からの5ヶ月を駆け抜けた第1章、グランドフィナーレ。