事の起こりはたった一枚の写真だった。アカウントの主が何気無く投稿した自撮りは、不慣れなのか自分自身より背景の方が広く写っていて、二枚目からは見かねた誰かが撮ってくれたらしく私服姿の全身像がしっかりと現れている。
【新しいスニーカー!買いましたっ!】
【服は別のお店で買った古着です、いつもより少しは大人っぽく見えてたら嬉しいです】
真新しいハイカットスニーカーとオーバーサイズのシャツをデニムと合わせて着こなす若者は、渋谷の街角の何処にでもいそうな風体をして無邪気に笑っている。めかし込んでこれから出掛けるのか、それとも買い物から戻って早々我慢できずにこれらを身に付け撮ったのだろうか、撮影場所は玄関先のようだ。殺風景なコンクリートの壁とタイル張りの床に、彼には到底似合いそうにない黒くて厳ついショートブーツと、何やらふわふわとした尻尾のようなものが見切れていた。
さて、SNSに投稿されたそれはネットを駆け巡り様々に物議を醸し出したのだが、それは写真だけが原因ではなかった。アカウントの主こと真吾は、チームマネージャーであるゆかりの前で正座をして、しょぼくれた様子で背を丸めては深々と頭を下げる。
「本当にすみません……」
「うん、今度から写り込むものとかに気を付けてね、道場ならどこでも構わないけど、それ以外の場所は背景を加工したりするといいかも」
見えない耳と尾っぽがしゅんと下を向いているような、とにかく自身の迂闊さを反省している様子の真吾を優しく諭したゆかりは、改めてくだんの真吾の投稿に寄せられたファンらしきユーザーのコメントに目を通す。
……――【いつもの写真の玄関と違いますね、誰のお部屋ですか?】
悪意無く、ただ疑問に思ったから書いただけかもしれない。しかしこうも目敏く真吾の『日常』の違和感を捉える人間が、確実に存在しているということだ。
このユーザーの言う通り、これまでの真吾の投稿を辿ると幾つか玄関先とおぼしき場所で撮られた写真が出てくるのだが、そのどれもがこの大門道場の玄関である。「家には妹がいるので」と自宅の写真は不用意に撮らないようにしていたらしいが、今回は『自宅』ではないから少々気が緩んだのだろう、もしくは浮かれていたか。
……真吾にしてみれば何のことはない、本当に何気無い日常の風景でも、人目に触れれば誰かが良からぬ想像を抱く可能性はある。ファン心理というのはそういうものだ。実際彼ら格闘家より何倍も知名度のある俳優やアイドルは、ちょっとした写真からでもプライベートを詮索される。チームの皆をそういった好奇の視線から守ることもマネージャーの仕事と思っているゆかりは、以後気を付けるように、と申し付けると、これに付随して起きた更なる問題を嗜めるために真吾の『保護者』たちの方へと向き直った。
「さて、京さん、紅丸さん。何故呼ばれたか、もうおわかりですね?」
「……おう」
「はい、それはもう」
バツの悪い顔をしてゆかりに相対していたのは、真吾のチームメンバーであり師匠の京と兄貴分の紅丸だ。今回の騒ぎにはこの二人にも一定の責がある、それを自覚しているからこそゆかりの呼び出しに素直に応えてやってきたわけだが、ふたりにしてみれば大元の原因である人物にもまず言いたいことが大いにあった。
「ごめんねマネージャーちゃん、でも、アイツがあんなこと書くもんだからつい……」
「知らねー奴相手にマウント取ってドヤってんだからキショいのはキショいだろ」
「言い過ぎだぜ京、そのキショい男と付き合ってるんだからな真吾は」
「な、なんかすいません……おれが八神さんに写真を頼まなければ……あとその、キショくはないです……」
「論点がズレてきてるので修正してもいいですか?」
憮然とした表情の京を切欠にして、彼らは口々に『原因』の人物について話し始めたので、ゆかりは身を乗り出して話を元に戻す。
確かに、彼らの言い分は正論を含んでいる。例のファンのコメントが投稿されてすぐに、別のユーザーからの返信コメントが付いた。それはファンではなく彼らも良く知る人物からであった。
……――【俺の家だが】
威風堂々、といった振る舞いだ、アイコンこそ設定されていないが何せユーザー名が彼の名前そのままだったし、当の真吾を含めた関係者たちは皆このアカウントが本人であることを解っていた。
その彼が、まるで真吾が此処にいるのは当然と言わんばかりに胸を張るが如く、正面切って此処は自分の家であると言ってのけた。それが一体どういう意味で、どんな印象を与えるのかなんて考えてなどいないだろう。浅慮な人間ではないが、こういったことにはとんと疎い奴だ。
そしてそのコメントを、この二人の『保護者』が見咎めた。他のユーザーやコメントをした者からもまだリアクションがないのを確認して、即座に彼の軽率な行いを諌める為のコメントを返すことにした。そして書かれた二人のコメントがこれだ。
【マウント取ってんじゃねーよキッショ】
【少しは誤魔化せバカ】
この二人から強い口調で言われたら、あの男だって何がマズいのかを理解して何かしらのフォローをするだろう。しかし、結果は逆効果だった。真吾を猫可愛りする二人から、しかも片方はスマートフォンを越えて叩きのめしてやりたいくらいの相手とくればむかっ腹も立ったのだろう。コメントを撤回するどころか追い討ちをかけるべく、彼は更にコメントを書いてきた。
【傍で見ていても不器用で仕方無いから、俺が写真を撮ってやったというのに】
【そもそも傍にいることを大々的に発表するんじゃない】
【マウント取り過ぎてもはや山だろコイツ】
……その後もマウントを取りたいこと山の如しの彼と二人のコメントの応酬は続き、気がつけばそのやり取りのスクショがファンのストーリーやTwitterなんかにも転載され始めて、真吾とゆかりが気付いたときには最早今さら投稿を消したとてどうにもならないくらいに世間に広まってしまっていた。
しかし、幸いにしてこの二人の『保護者』が騒ぎに騒いだお陰か、真吾の交遊関係への妙な勘繰りを避けた上で
【草薙京と八神庵、歴史的和解!?弟子が架け橋に】
とか
【二階堂紅丸に新恋人発覚か?チームメイトにSNSで『誤魔化せ』アリバイ工作指示】
とか全くの見当違いな内容でネットニュースになった。転載されたスクショも、幾つかインプレッションの多い投稿を調べてみれば概ね二人プラス一人のコメント欄のやりとりについてばかり言及されていて、肝心の『玄関先』については完全に忘れられているようだった。
「今回は懸念したような騒ぎにはなりませんでしたし、紅丸さんのことは事務所サイドからコメントを出してもらって収まりましたけど……」
「本当にすんません!おれ、もっと気を付けます!」
「おう、そうだぞ」
「いやお前もだよ……オレもだけどな、本当にごめんねマネージャーちゃん」
三人揃ってがくりと肩を落としているのを見れば、今後こういったことはないだろう。真吾のSNSについては、彼が成人するまではゆかりを含むチーム全員で共同で運用していくことに決めた。そしてゆかりは、この騒動の口火を切った男にも色々説明が必要だなと考えて座布団から立ち上がる。
「じゃあ、私ちょっと行ってきますね」
「え、どこに……買い物なら手伝いますけど」
「ううん大丈夫、八神さんのお家に行ってくるだけだから……お説教にね!」
「お、お説教……」
チームを預かるマネージャーの戦いは続く、例えそれが八神庵……矢吹真吾の愛しい恋人であっても、だ。
玄関先から恐ろしさすら感じる微笑みを浮かべて出ていくゆかりを見送った三人は、顔を見合わせ改めて深く反省するのだった。
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G庵真、某僕○バに触発されて書きました。インターネットには気を付けよう!