真・帝記・北郷:三~激烈!二張来々~
ピィンピィン
小気味よい音を立てて、極細の鉄糸を幾条も強靭に束ねた弦が鳴る。
その音色に馬上の美琉は小さく頷くと今度は命一杯弦を引き絞った。
夜闇を照らす松明の灯りの中で揺れる、ぎりぎりと音をたてんばかりにそりかえる鉄の弓の影。並の男…いや並以上の男でも引くことがやっとの剛弓をさして力を込めた風もなく引くことができる者がはたしてこの大陸に何人いるだろうか。
ましてやこれは美琉が自分用に作らせた特注の長弓。引くには平均よりも高い美琉並の長身と、腕の長さを要する。
「おお、なんや気合入っとるなぁ」
そう言いながら黒馬に跨り偃月刀を肩に担いでやってきたのは、言わずと知れた神速の張遼こと霞。
何時もと変わらぬ明るい笑顔を浮かべながら、ポンポンと偃月刀を揺らし美琉の隣に馬を並べる。
共に駿馬と名高き白馬と黒馬が並んだ光景は壮観でありながらそのコントラストがどことなしに笑いを誘う。
「ええまあ…ようやく出撃ですから」
「なんや、散々うちに落ちつけ落ちつけ言いながら美琉もうずうずしとったんやないか」
「それはまあ、私も武士の端くれですので」
そう言って鉄弓を鞍にかけながらクスリと笑う美琉。
昨日までの蝋人形の如き無表情ではない。心からの穏やかな笑顔。
それが今から呉軍に突撃し、呉兵の血潮に酔えるが故であると霞以外の誰が気付けるだろうか。
「まぁ…そやな……せや、凪っちと真桜は?」
「すでに手はず通りに…あとはこの城の首尾を沙和に任せて我々が出るのみです」
「了~解。しっかし、わざわざこんなびっみょうな時に夜襲て……まあ良く考えたもんやなぁ」
戦術の鬼才を相手にするならば、あえて戦術にのっとらぬ戦いを。それが今回の戦術戦略立案の一切を任された躑躅の言葉だった。
「頭のええ奴は頭のええ奴のことがよく解る……まったく、よお魏国時代にその才能を隠しとったもんやなぁ」
「まあ、当時は国境の守備軍は半ば中央から独立したようなものでしたから……軍の制度や装備も中央軍に無いものを取り入れていましたからね、医局や新型戦車、後は朝鮮から伝わってきた三丈矛に騎馬民族の良馬に良弓……」
「まあ、いずれにせぇうちは頭使うのは苦手やからな。躑躅みたいな奴が一人おるだけで随分楽やは」
「おやおや…」
にひひと笑う霞にクスクスと笑う美琉。これから戦場に行くとは思えないほど穏やかな空気が流れる。
「さて…頃合いやな。いこか」
「ええ、参りましょう」
二人の言葉を待っていたかのように、合肥城の跳ね橋が静かに降りて行った。
「ふぅ……」
小さな灯火の中で竹簡に眼を通していた冥琳は小さく息をはくと、すっかり温くなってしまった茶に口をつける。
夜はすでに更けており、見張りの兵と夜襲に備えた待機の兵以外は皆眠りについている時間だ。
「どうしたものか……」
思わずこぼした自分の言葉にはっとして、自嘲気味に口元を歪める冥琳。
彼女を悩ませているもの、それは言わずもがな一向に攻略の糸口の見えない合肥城である。
そもそも、新魏との和平が失敗したとはいえ孫呉は別にこうして合肥城を攻めるメリットは無い。いや確かに合肥は長江北岸の最重要所であり、ここを取ることは揚州北部の攻略及び中部以降の防衛において避けては通れない道だ。
しかし、蜀の協力も得られていないこの状況下であえてこちらの数倍の国力を持ち龍志を失ったとはいえ日の出の勢いを持つ新魏に攻め込むのは上策とはいえなかった。むしろ長江の天険を頼みに防御に徹した方が確実である。
だが、それはできない。そもそも孫呉とは孫家を頂点にした統一国家というよりも豪族の連合といった色合いが濃い。その盟主である孫家の主であり周囲もその実力を認めるところだった雪蓮は今、新魏にいる。
蓮華が仮の国主から正式な新たな君主に即位したのは雪蓮惨死の誤報が伝わってからなので、まだ半年もたっていない。故にまだ豪族の中には蓮華の実力に疑問視を持つ者も多い。
加えて雪蓮が生きていることも判明した今、豪族達は蓮華の治める孫呉よりも雪蓮の認めた新魏に心寄せる者も少なくないのだ。
だから蓮華は今示さねばならない。自分が雪蓮に並ぶ指導者であることを、呉の地をまとめ上げる為に。
合肥出兵にはそういう裏があった。
だが現在、一月近く城を囲んでいるが未だに進展はない。
「とはいえ、新魏もそうそうじっとし続けられるはずはない…」
褐色の美貌を彩る眼鏡を押し上げ、冥琳は卓上に置いた竹簡を睨みつける。
そこに書いてあるのは、漢の内部事情に関する密偵からの報告であった。
といってもさして詳しいものではない。民衆や商人などから聞き出した大まかな情報だ。
それによると、漢、そして新魏は現在派閥化が急速に進んでいるらしい。
一つは新魏王・北郷一刀を旗頭にした旧魏の人材の一派。もう一つは今は亡き龍志に古くから仕えていた維新軍古参の一派。
そも、漢の再興における功臣第一は維新軍のトップであった一刀ということになっている。しかし事の大本であった維新軍を作りあげたのは龍志であった。
龍志が一刀を立てていたうちは良い。しかし龍志が死んだ今、龍志派にとっては新参者の旧魏の臣と親しい一刀に疑問を持つ者も少なくない。
加えて、北郷一刀が当初孫呉と和平を結ぼうとしていたこともそれに拍車をかけていた。いかに平和のためとはいえ、龍志を殺した孫呉に一矢も報いることなく手を取り合うことのかと。
そう考えてみると、現在対孫呉戦線の実質的な頭脳である躑躅も階級では霞より上である美琉が合肥に配置されている事も、一刀派の苦肉の策であるように思える。
とはいえ少なくとも美琉は一刀の実力を認めており、龍志派を巧い具合に抑えている。
しかしそれにも限界はある。
冥琳の見立てでは、そろそろ孫呉と一戦交えることで龍志派の高まった気を宥めにかかるはずだ。
「その時が勝負…恐らくそれはこちらが荊州方面に本格的に意識を向ける頃合い……」
ジャーンジャーンジャーン
夜闇、そして孫呉一の思考を裂く銅鑼の響き。
「何事だ!?」
思わず叫んだその声に応えるかのように、一人の兵士が天幕へと飛び込んできた。
「も、申し上げます!!新魏軍の夜襲です!!」
「夜襲…だと……」
一瞬、兵士の言っていることの意味が解らずそうつぶやく冥琳。
だがどこからか聞こえる喧騒はそれが事実であることを如実に物語っていた。
(何故だ…何故今夜夜襲なのだ?)
撃って出るならば、誘いの隙を充分に用意しておいた。それを見抜いていたとしても、特にこちらに動きのない時期になぜ突然出てきたのだ。こちらが夜襲への備えをしていないとでも思っていたのか。
瞬時にその思考を巡らせ、その果てに冥琳は自分のこの思考こそが敵が今夜撃って出た理由だと思い当たる。
(機でないが故の好機……抜かった)
悔しげに美貌を歪め、それでも冥琳は指揮を執るべく天幕を出る。
陣門の方角から響く女将の叫びが彼女の耳朶を叩いた。
正面の陣門をいとも容易く切り裂き蹴破り、霞は偃月刀をふるいながら孫呉の陣へと突入する。
呉軍も夜襲への備えをしていなかったわけではない。銅鑼の音を聞き次から次へと待機していた兵が飛び出し霞率いる三千の騎馬隊の前に立ちふさがる。
だが、足りない。
彼女達を止めるには圧倒的に数が足りない。
「うりゃーーーーーーーーーー!!遼来々や!!死にとうないやつは道ぃ開けい!!」
繰り出される槍。それらが自らの体に届く前にそれを超える速度で相手をその得物ごと叩き斬る。
まさに神速。疾風の死神。繰り出される刃は荒々しくも合理的。一切の無駄なく、一切の迷いなくひたすらに前方の命を刈り取って行く。
目指すは小高い丘の上にあるひときわ大きな幕舎。恐らく呉主・孫権の本営。
「うちが…張遼やぁ!!!」
竜巻のように薙ぎ払い、猛禽のように突き抉る。
その様たるや、呉兵にかつての龍志の姿を彷彿させるには充分だった。
自然と道ができる。
彼女の行くところ、まるで初めからそこに道があったかのように。
「そこまでだ張遼!!蒋欽の刃を受けよ!!」
そう言いながら大刀を手に赤髪の少女が霞に躍りかかる。
ギイィィン!!
今宵初めて受け止める刃。その心地よい嬌声にニヤリと口元を歪める霞。
「ええなぁ…骨のある奴は好きやで。でもなぁ!!」
そう言いながら霞は愛馬の鼻面を朱音の馬の顔にぶち当てる。
体制を崩した朱音。しかし本能的によじったその身その顔、その鼻の先を霞の偃月刀が通過した。
「うちの相手するにはまだ足りん…今のうちを止めるんやったら関羽か呂布を呼んでこな……」
首を飛ばされ崩れ落ちる朱音の馬。その鞍を蹴り朱音は身をよじりながら大刀を必死に伸ばす。
しかしそれは霞に届くことなく宙を斬った。
もんどりうって倒れながらも、朱音はすぐさま身を起こし霞の行く先を見る。
彼女の主の幕営。そこから出てきた二人の人物の姿を、その双眸は確かにとらえた。
「蓮華様!!ここは危険です。一旦お引きください!!」
「落ち着きなさい思春」
声を荒げる思春とは対照的に、蓮華は剣を手に静かに眼下の光景を見据えた。
三千の騎兵を前に、万を超える軍勢が真綿を裂くように切り裂かれている。
「包囲は無理…か。ここにまだ何か手を打ってこられたらこの陣営を放棄する必要も出てくるわね……」
「蓮華様!!」
「落ち着きなさいといっているでしょう思春。あなたらしくない」
「……は」
あくまで穏やかな主君の姿に、幾分落ち着きを取り戻したのか思春が短く答える。
その姿に蓮華は小さく頷くと。
「このままだと間違いなく張遼はここまで来るわ。私とあなたの二人がかりならなんとかなるかもしれないけど、後続の兵がいた場合は体制を立て直す前にこちらが包囲される可能性がある……悔しいけど貴方の言うとおり引き時ね。ここからならどこに行くのが一番いいかしら?」
「は。ここからならば小師橋が一番近いかと」
「決まりね。思春。貴方は私の供をしなさい。それから冥琳に兵を立て直したらすぐさま後方に陣を敷くよう伝えなさい。そこを拠点に巻き返しを図るわ」
「はっ!!」
矢継ぎ早に指示を伝えると、蓮華は明命の連れてきた愛馬に跨り小師橋目指して駆けだした。
その後ろに、思春、そして明命の率いる親衛隊が続く。
「小師橋が落とされていなければいいけど……」
ぽつりとつぶやく蓮華。その行き先を表すかのように、夜はどこまでも暗い。
「孫権が動いたようです」
「了解…では、参りましょうか」
斥候からの報告に、呉陣からほど近い林の中に兵を潜めていた美琉は一振り槍をブンと鳴らした。
「いいか!!これは龍閣下の弔い合戦である!!その事を肝に銘じ、各々その責務を果たせ!!」
日頃の彼女からは想像もできない程の大きな声。しかし彼女に従う兵士達はもう慣れている。女李広(にょりこう)と呼ばれ彼らを導く弓の女神は、戦場においては一人の狩人なのだ。
「では…張郃隊、出るぞ!!」
ジャーンジャーンジャーン
銅鑼を打ち鳴らし、一斉に林から姿を現す一千の騎馬兵。
その進路には陣営を抜けだしてきたばかりの蓮華の親衛隊と警護の為に更に突き従った徐盛の部隊。およそ三千。
「少し数が多いですね…まあ、その方が張り合いがある!!」
北方の大地で龍志の監督の下鍛えられた彼女の騎馬隊の速度は、並の騎兵をゆうに超えている。またたく間に距離の縮まる二つの集団。
「ち…ここは私が!!」
「徐盛!!」
呉勢の中から徐盛率いる一軍が離れ、美琉の騎馬隊と正面からぶつかった。
騎兵というのは突破力に優れる一方で、小回りが効きにくいことから混戦には不向きだ。そして徐盛の部隊は大盾を装備し鉄壁で知られる部隊。
盾を前面に押し出し、その後ろで人の盾を作り騎馬隊の突撃を正面から受け止める。
そのまま混戦に持ち込めばこちらのもの。そう徐盛が思った時だった。
「!?避けろ!!」
嫌な気配にとっさに馬首を返し横に逸れる徐盛。その傍らを、一本の鉄矢が雷光のように駆け抜け彼の背後にいた兵士三人を貫いた。
ヒュン
さらに一矢。今度は正面で盾を構えていた兵士を大盾ごと貫きさらに後続の兵士を巻き込む。
一体何事か。考えるまでもない。これほどの剛弓を仕える者がはたして大陸にどれほどいようか。
精密な狙いや速射ならば蜀の黄忠、新魏の夏侯淵、黄蓋、呉の甘寧といった者たちがいる。
しかし純粋な威力だけならば、果たして彼女達でも張郃に及ぶであろうか。その細腕からは想像もできない膂力と馬上にありながら地にいるが如き精密は彼女を高速で移動する大弩と化する。
「く…怯むな!!」
兵達の中心が少しずつ開き始めてきたのを見て、徐盛が叫ぶ。
また二人、剛弓に貫かれ兵士が物言わぬ塊と化した。
僅かな隙間。しかし美琉にはそれで充分。
「費耀!!私は孫権を追います!!あなたはここの指揮を!!」
「了解しました!!御武運を!!」
副官の少年に告げ、美琉は再び槍を取ると敵陣の中央を駆け抜ける。
「張儁乂…推参!!」
弓もさることながら、槍を取っても美琉は夏侯姉妹や五虎将に劣らぬ使い手。そんな彼女を今この状況下で止められるものがいるだろうか。
「させるか!!」
いや、ただ一人。左に大盾右に短槍を手にした徐盛が馬を飛ばして張郃の行く手を阻む。
「しっ!!」
鋭く呼気を洩らして放たれる槍の連撃。それを大盾で受け止めながら徐盛は巧みに短槍を繰り出し美琉を通さない。
「やりますね……ならば!!」
不意に距離を離し、美琉は手にする槍を徐盛めがけて投げつけた。
「うおっ!?」
思いがけない攻撃を大盾で防ぐ徐盛、その盾の向こうで美琉は素早く鉄弓を取るやつがえた矢を射ち放った。
ガゴォン!!
「ぬぐ…」
鉄を幾層にも重ねた大盾を破り、鉄弓は徐盛の脇腹を抉ったところでようやく止まった。
激痛に一瞬だけ注意の逸れた徐盛。その傍らを美琉は孫権の消えた方向めがけて駆け抜ける。
強く、弓を握る手を強くしながら。
~続く~
後書き
え?こんなとこで切るのかよ!!なところで切ってみた二張来々。
どうも、タタリ大佐です。
以前は龍志が生きているという前提で書いた二張来々でしたが、今見直すとなかなかに強引でしたね。少なくとも龍志の再登場はもっと後半にすべきだったと書いてすぐに思い悩んだのもいい記憶……なのかなぁ
基本的に、孫呉の方々はオリキャラが多いんですよね。特に戦闘員の方は。前にも書きましたけど、真・恋姫において純粋な戦闘要員て呉はかなり少ないじゃないですか。事に長柄の武器を使う武将なんて皆無だし、親衛隊で隠密な思春と明命は最後の最後まで動かしづらいし、軍師の方々も難しい。頼みの綱の雪蓮と祭さんは新魏にいる。
そう言う背景を考えると、韓当さん、徐盛さん、曼珠の姐御に朱音といった面々は無下にできないなぁと感じる次第であります。
それからようやく軍師らしい活躍を始めた躑躅さん。当初予定では華琳様がそのポジションのはずだったんですが、やりたいことがあるので急遽変更しました。
まあ、北郷一刀第一の軍師はいずれ華琳様に成るのですが……(おっとネタバレかなこれは)
あと華雄の件もありますね、仮面の男の正体も……何はともあれ、伏線をばら撒きながら今日も真・帝記・北郷は程良くカオスな原作破壊です。
では、次作でお会いしましょう。
次回予告
被害者は誰か?
加害者は誰か?
回り続ける憎しみの風車。それは戦場に生きる者の業なのか。
あるいは人の宿瘂なのか。
銀髪を風に靡かせ、亡き人の形見を手に女は行く。
終わりなき煉獄を。
次回
真・帝記・北郷:四~銀髪の復讐鬼~
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真・帝記・北郷の続きです
今回まで一刀君はお休み。今回の中心は蓮華、霞、美琉の三人でです。
この作品にはオリキャラ及びそれらの活躍、原作キャラとの深い絡みがあります。それらが苦手な方はバックされてください。