彼女を満たしていた生体ポッドの中から、だんだんと薬液が抜き出されていく。私を満たしていた、何よりも心地の良い薬液はどんどんその量を減らし、脚元の排水溝から流れていく。
この液体はもう使われる事は無い。ただの廃液として下水に流されていくだけの存在。
実際、液体は使いきりのもので、もう、彼女達の肉体を治癒したり、アップロードに必要な電圧の調節をする事も出来ない。
細かい粒子は化学反応を終え、ばらばらの別の物質へと変わってしまった。
彼女を中に入れていたポッドの蓋が開き、彼女は目を開いた。
瞼を開けば金色の瞳が鋭い眼の中から現れ、金色の髪からは液体が流れ落ちていく。
そんな生体ポッドに近づいている、一人の女の姿があった。ポッドの中にいた女よりも幾分小柄で、眼鏡をかけている。
「終わりましたわ。ドゥーエお姉さま。もうポッドから出て来て大丈夫ですよ」
彼女は純白のケープを羽織っており、その下には戦闘スーツを身に着けていた。戦闘中でもないのに、それを身に着けているのは、彼女達が作られた目的を示していた。
ドゥーエと呼ばれた女が、生体ポッドの中から出てくると、彼女はゆっくりとその足で床を踏みしめ、眼鏡をかけた女からタオルを受け取った。
「博士から新しい情報は?」
ドゥーエはそのタオルで自分の体に残っている液体を拭きとりながら、横目で尋ねる。長い金色の髪も丁寧にタオルで液体を拭き取っていく。
「どうやら、ドゥーエお姉様にお任せしたい任務があるようですよ」
眼鏡をかけた女はそのように言って来た。
2番ドゥーエが稼働したのは、1番ウーノが稼働してから1年経っての事だった。ウーノが得たあらゆる情報や、戦闘に関する性能は、よりアップロードされた情報として、ドゥーエ以降の個体に継承される事となった。
2番ドゥーエが稼働してからというもの、博士は積極的に姉妹達を誕生させ、現在では、5番チンクまでが稼働していた。
これで姉妹達が打ち止めになった訳ではない。また、博士は姉妹達を生み出していく予定を組んでいる。
だが、しばらくの所は、5人の姉妹達で事足りるとの事だった。博士の研究の発展のため、そして現在ではあらゆる破壊活動に手を染め、その行動は5人で全て事足りていたのだ。
ドゥーエは先ほどからつき従ってくる眼鏡をかけた女、4番クアットロを伴いながら、博士の研究室の中へと足を踏み入れた。今ではドゥーエも戦闘スーツを身に着けており、その姿は戦場に赴く破壊工作員というよりも、むしろ面妖な雰囲気を醸し出している。
ドゥーエは長身で、その肉体的にも異性に対しての魅力を放っていた。作られた存在である彼女達にとっても性別は存在する。それが、非常に大きな意味を持っていると言う事は、彼女達も良く知っていた。
「お呼びでしょうか?」
ドゥーエとクアットロが博士の研究室に入った時、彼は散髪中だった。いつも散髪はウーノがしてあげている。
姉妹達の中で長女であるウーノは、妹達の方をちらりとも見ることなく、黙々と博士の散髪を続けていた。
「ああ、よく来てくれたね。どうだねドゥーエ。アップロードをした調子は?」
博士は髪を切られながら、その好奇と知性に溢れた目をドゥーエ達の方に向けてきた。
「良好ですわ。トーレとチンクが持ち帰って来た情報も、しかと記憶の中に入れさせて頂きました」
ドゥーエは自信に満ちた表情を博士へと見せ、そのように答えた。
「そうか。それは良かった。さて、アップロードしたばかりで悪いのだが、早速新しい任務を君に与えよう」
と言うなり、博士は指でドゥーエ達の前のテーブルに置かれたものを指し示した。
そこにはデジタルパネルが載っており、作戦の詳細が記載されている。デジタルパネルは、一般書類ほどのサイズの光学画面となっており、今の文明ではこのタイプの書類がありとあらゆる場所で使われていた。
それは、姉妹達が幾度となく博士から与えられた任務で使われて来たものだ。
その書類が与えられるたび、姉妹達は任務に赴かなければならない。しかしながら、姉妹達はそれを嫌とは言わなかったし、思わなかった。
何しろ彼女達は誰一人、例外無く、博士に尽くす事を快感にさえ思っている。博士から任務を与えられる事自体が、彼女達にとって大きな生きがいなのだ。
ドゥーエはそのデジタルパネルを手に取った。
「スカイライン社?」
彼女はその書類に記されている会社名を読み取って言った。
「君のデータの中に残っているはずだが…」
博士は、椅子から身を起こしながらそう言った。散髪が終わり、ウーノが彼にかけていたシーツを取った。博士の黒い髪は定期的に散髪されているから、それほど髪は床に散らばらなかった。
「スカイライン社と言えば、確か、ウーノお姉様が大分前に潜入した、例のカードキーを保有していた会社ですね」
ドゥーエの背後からクアットロが言った。
「そう。そのスカイライン社だよ。残念な事に、以前に潜入した記録が、今頃になって漏洩しようとしている。ウーノの侵入した時の姿が、監視カメラに残っていたそうだ」
「侵入した時、監視カメラは博士が外部からの干渉によって、起動させなくしていたのでは?」
散髪を終えたウーノが、意外そうな表情をして博士に言った。
「ああ。その通りだ。だが、あの時、君は手間取っただろう?謎の女の干渉があったからな。そのおかげで、警備員が監視カメラを再起動させていた。お陰で、君の姿がばっちりと撮影されていた」
それはウーノの失態だ。そうドゥーエ達は直感したが、博士はとかく彼女を責める気は無いようだった。
ウーノ姉様は姉妹達の中でも最も早く誕生させられたタイプで、直接戦闘には向いていないし、その当時は潜入経験も浅かった。だから失態をしてしまったのだなとドゥーエは思った。
だが、彼女がスカイライン社に潜入した時は、姉妹達の中で彼女しか博士の元にいなかったのだから仕方が無い。ドゥーエは姉を責めるつもりはなかった。
「とにかくだ。我々の一人の顔は、スカイライン社のデータの中に残っているわけだ。しかし、奴らは、会社に泥棒があったという事は、当局に伝えていないのだよ。
何故かと言えば、例のカードの存在も同時に当局に知られる事になるからだ」
博士はそう言いつつ、自分の研究室に設置した大画面に、大きくカードを表示した。そのカードは一見、何の変哲もないカードだった。カードキーのようにも見える。
「だが、先日、当局に対して密告があった。このカードの存在と、それを狙う我々の情報を横流しするとな…」
「それは、あってはならない事ですね」
すかさず、クアットロが答えた。彼女はまるで子供のような喋り方をしていて、時々間をわきまえない。
「対策は色々と考えられます。密告者を始末か拉致するか…。もしくは…」
ドゥーエが言った。彼女達は度重なるアップデートのお陰もあり、博士に対して対等の意見を出す事もできるようになっている。クアットロのような、あえて作られた子供じみた感情を持つ事も可能だ。
「そのデータごと抹消してしまうかだ。しかし、私達は監視カメラの映像も、カードの記録もどこに保管されているか分からない。密告者が誰であるかも分からない」
「手っ取り早いのは、サイバー攻撃を仕掛ける事ですね。それも、ウイルスなんて、チャチなものじゃありません。物理的な攻撃を仕掛けるのが、最もベストです」
博士の言葉を遮って、またしてもクアットロが言った。
クアットロは場の空気をわきまえない所があったが、彼女の言う事は確かに間違いではない。
「もしや?EMP(電磁パルス爆弾)を使われるのですか?」
その兵器の情報については、ドゥーエのデータベースにも、博士の頭にも、姉妹達の頭の中にもあるはずだった。
「このような時の為に、用意しておいた。それも、どこかの軍が持っているものよりも、ずっと精巧で完璧なものを作る事ができたぞ」
と博士が言うと、ウーノは黙って何かを持ち出して来て、それを、ドゥーエとクアットロの目の前にある台に乗せた。
それは、黒い箱で、片手に抱えられるほどの大きさのものだった。ロゴマークも、何もつけられていない。ただ、ダイヤルとスイッチが幾つか付いている。
「最近のEMPは非常に精巧に、小型にできていてね。これを使えば、半径1kmの電子機器は丸ごとパーになる。しかもよほど爆発時に近づいていない限り、人には全く危害を加える事も無い。もちろん、二次的な被害はあるがね」
博士の言う、小型化されたEMPを見ながら、ドゥーエはその情報を頭から引き出した。すでにアップロードは済んでいる。EMPについての情報はきちんと頭の中にあり、起爆方法やそれがもたらす効力までの情報がある。
「しかしながら、スカイライン社の中央サーバは、対兵器用に設計されている。まずは侵入して攻撃しなければならんな。もしくは、社員個人のデータの中に、肝心のものが保存されている可能性もある。会社のサーバに保存すると、密告がばれるからとな」
「という事は、ドゥーエお姉様の特殊能力を使う必要があるわけですね」
再びクアットロは博士の言葉を遮りながら答えるのだった。
翌日、スカイライン社にやって来たドゥーエは、堂々と正面玄関から内部へと入り込んでいた。
手にはハンドバックを持ち、清潔そうなスーツとスカートに身を包んでいるその姿は、スカイライン社の他の社員と見比べても、何も違和感が無かった。
ドゥーエはスカイライン社の厳重な正面ゲートをくぐる。ゲートは、列車駅の改札口のように社員パスが無いと通過する事ができなかったが、ドゥーエはまんまとその社員パスを通過した。
正面ゲートの警備係には、その情報は、情報管理部門部長、アリッサ・シモンズと表示されていた。
茶色いロングヘアーと、緑色の瞳が特徴的なその姿は、毎日社員パスを使って出社してくる、本物の情報管理部門部長と瓜二つの容姿だった。
正面ゲートを通過したドゥーエの頭の中に、直接通信が入る。
(ドゥーエお姉様。本物のアリッサは、お眠り中です。アリッサに変装している事も、誰にもバレませんよ)
それは、スカイライン社の外、それも1km以上離れた市街地に停車させた車の中で、情報端末を作動させているクアットロの声だった。
彼女の声は、まるで何かを遊ぶかのようにリズミカルな口調だ。
本物のアリッサは、クアットロが乗っている車の後部座席に、睡眠薬を注入されて眠っている。
「ええ…、順調ね…」
ドゥーエはあっという間に正面ゲートを抜けて、スカイライン社の中に混じり、素早く中央のエレベーターにまでやってきた。中央のエレベーターで地下行きを押す。他の社員は乗って来ていない。
ここでは全てが順調だ。計画のタイムテーブルと比べても、数秒程度の誤差しか無い。ここで、ドゥーエはアリッサの変装を解いてしまっても誰にもバレないかもと思ったが、それは計画には無い事だ。
事前のスカイライン社の調査では、これからドゥーエが向かおうとしている、地下の中央サーバルームにも、多くの警備員がいるはずだったからだ。
エレベーター内の無機質な箱の中でも、ドゥーエはその微細な笑みを絶やさなかった。誰が見ていると言う訳ではないけれども、ドゥーエは元々、異性や、時には同性に対してさえも魅力を見せるように設定されていた。
彼女自身、その笑みを絶やさない事に対しては苦も感じない。それが当然の事であると認識している。
(ドゥーエお姉さま。地下の警備体制はいつもと変わりません)
頭に直接響いてくるクアットロの声があった。彼女と、ドゥーエだけだ。それだけでこの厳戒態勢のビルの中で、最も厳しい警備を抜けようとしている。
しかし、博士の作りだした彼女達なら、二人でもできる事だ。
現に、彼女達の姉に当たるウーノは、たった一人でこのビルに潜入したのだ。それも、アップロードの回数も少ない、ドゥーエ達よりもずっと以前のプログラムとシステムで侵入できたのだ。
スカイライン社の警備システムはその侵入事件よりも、さらに一層強化されたようだが、問題は無い。博士の計画に狂いは無い。
エレベーターはドゥーエだけを乗せ、地下の中央サーバ室のあるフロアまでやって来た。
(再びゲートを通過する事になりますわ。ドゥーエお姉さま)
クアットロが言ってくる。彼女はドゥーエと視界を共有しているから、ドゥーエが見ているものが、そのままクアットロも見ている。
ただ、彼女は都市の中ののどかな公園にいるはずだったが。
「分かっているわよ。あなたは見ていなさい」
ドゥーエはそのように言い、中央サーバ室のゲートへと近づいた。
そして、男の警備員に向けて、その美しい笑みを見せて、パスを差し出した。
サーバ室のゲートにいる警備員はその笑みをどう思っただろうか。多分、朝から良いものを見れたな。そう思った事だろう。
しかし、ドゥーエの見せたパスを見ると、少し不審げな表情になった。
「アリッサ・シモンズさん?おかしいな。今朝の地下鉄はかなり遅れている…。彼女はまだ来れないはずですよ?」
「あら?私がアリッサじゃないなら、一体誰だっていうんですの?」
ドゥーエは予想外の事態に遭遇しても、自分がアリッサであると言う事を振る舞う事に務めた。
「すまん。サーバ警備の者だが、アリッサ・シモンズにもう一度連絡を取ってくれないか?そう。情報部門の部長のシモンズ氏だ」
警備員用の無線を使って、警備員はそう言った。
ドゥーエは思う。やれやれ、不可抗力だ。地下鉄の遅れまでは博士にも、自分達にもどうする事ができない。地下鉄を意図的に遅れさせることはできるが、遅れている地下鉄のダイヤを元に戻す事は出来ない。
地下鉄の遅れは、不可抗力だからだ。
しかし、ドゥーエは自分がどうしようもないこの事態に直面しても、表情を変える事は無かった。
だが、代わりに彼女は警備員から見えない自分の背後に右手を持っていった。
音も立てずに、右手の親指、人差し指、中指からは、爪が現れた。その爪は非常に長く伸び、まるで鷹の爪であるかのような姿となった。
爪は鋭く尖った金属で、それは一本一本がナイフのような形状となった。
ドゥーエは警備員の背後から近づいた。音も立てない。警備員はドゥーエが背後から近づいた事も知らない。
音は一切無かった。立った音と言えば、それは警備員が呻き、そして地面へと崩れ落ちる音だった。
崩れ落ちたドゥーエの姿は、だんだんと変貌していった。
茶色いロングヘアーはだんだんと金色の髪へと変色していき、緑色の瞳も、博士によって作られた人造生命体特有の金色の瞳に。そして、身にまとっているスーツとスカートも、戦闘スーツへと変化していく。
ドゥーエは、完璧な変装をしていた。それは、指紋でも、瞳の光彩でも見破る事の出来ない、完璧な変装だ。遺伝子レベルでの変身ができるから、血液検査でも変装がばれる事は無い。
今回の場合、ドゥーエが変装したのは、スカイライン社の情報管理部門部長、アリッサ・シモンズだった。
ドゥーエは元の自分自身の姿に戻ると、博士によって与えられた武器である爪についた、警備員の血を舐めとった。鉄の味をドゥーエは感じ取った。
何故か、血の味を感じるのが、ドゥーエは好きだった。
それも、無闇な殺戮をして浴びる血では無い。
潜入し、相手を完全に騙し、そしてぎりぎりまで得られない、だが、最後の段階で手に入る、一滴の水滴であるかのような血の味、それが好きだった。
その嗜好は、博士によって与えられたものだと知っていたが、ドゥーエはやはりそれが好きだった。
ドゥーエは再びパスを取り出すと、爪のついていない方の左手でゲートのスロットにそれを通し、自分でゲートを通過した。
(さすがですわ。ドゥーエお姉さま)
頭の中に響き渡るクアットロの声があった。彼女は同じ視覚を共有しているから、今の光景もまじまじと見ていただろう。
ドゥーエが殺害した男の血を舐める仕草も、しっかりと目に入ったはずだ。
だが、ドゥーエはそれでも構わなかった。
「おい、お前、そこで何をやっている。止まれ!」
サーバルームに入って行くドゥーエの前に立ち塞がる、二人の男。警備員だ。彼らは銃を抜き取ろうとしていた。
だが、ドゥーエの方が早かった。彼女は自分の指三本に付けられた爪を振るい、その警備員達を切り裂いた。
ドゥーエは的確に致命傷になるように彼らを切り裂いたものだから、彼らから飛び出した血の量も相当なものだった。だが、その赤い色のシャワーを浴びても、ドゥーエは恍惚たる笑みを見せていた。
(うらやましいですわ。ドゥーエお姉さま。笑顔でいながら、そんなに冷酷になれるなんて)
再びクアットロが言って来た。彼女も今のあり様を見ている。
恐らく普通の人間が見れば、今のドゥーエの行いは、あまりに残酷たるものに見えただろう。だが、クアットロは、まるで感心と好奇を持っているかのように言って来た。
「そう…。あなたも、できるようになるわよ…。誰に対しても冷酷に、そして、一瞬の内に始末するの…」
ドゥーエはまるで快感である事を教えるかのように、妖しげな声でクアットロにそう言った。
クアットロが自分に良く懐いて来ている事を、ドゥーエは知っていた。クアットロより先に誕生した、彼女にとって姉と言える存在は、1番ウーノと、3番トーレ、そして、ドゥーエだったが、彼女が最も懐いているのはドゥーエだ。
ドゥーエは妹達の教育係としての役割もあったから、妹達には良く懐かれるように作られていたのだ。
ズラリと並んだ、サーバ達。それは、サーバルームのラックに揃えて置かれていた。等間隔に、まるで直方体の箱を、芸術的に配置したかのようなサーバルーム。
ここにはスカイライン社の全ての情報が詰まっている。言わばこの会社の脳だ。
まずドゥーエは、サーバルームの入り口にあった、ある装置を操作した。柱に備え付けられた端末になっており、操作パネルがある。
これはサーバを保護するための物理的保護を操作するためのものだ。会社の、それもこのサーバ管理を行っている重役でしか操作する事はできなかったが、ドゥーエはアリッサのパスを使い、まるで、指を躍らせるかのようにして、操作パネルを操作し、物理的保護を解いた。
見た目では何も分からないが、このサーバルームは、外部からの物理的攻撃に対し、脆弱になった。言わば電子的に密閉された空間だったのだが、それを解いてやったのだ。
これで、外部からも、また内部からも攻撃する事ができる。
ドゥーエはそのサーバルームの中心に立つと、持ってきたハンドバッグを床の中央に置いた。ハンドバッグの中身は仕事用の書類でも、化粧品などでも無い。
アリッサの持っていたハンドバッグの中身は取り除かれており、中には、黒い箱が入っていた。
その黒い箱を、ドゥーエはサーバルームの中央に配置し、すでに何度も訓練によって操作方法をマスターしたかのような手つきで起動させた。
黒い箱の幾つかのランプが点灯し、機械音が起動し始める。そして、ドゥーエはダイヤルを幾つか回し、最後にスイッチをオンに入れた。
すると黒い箱のデジタル表示の一つが、1:00と表示された。残り1分という意味だ。
(EMPが起動するのは、1分後ですわ。幾ら、非殺傷兵器と言っても、近くにいすぎれば黒焦げになります。また、二次的被害によって、お姉さまがトラブルに巻き込まれる可能性もありますので、できるだけ遠くに離れてください)
「ええ、分かっているわよ。わざわざ気にかけてくれてありがとね」
そう言うなり、ドゥーエは何事も無かったかのように、アリッサのハンドバッグと黒い箱、電磁パルス爆弾を置いたままサーバルームを後にした。
ドゥーエは焦ってはいなかったが、素早く行動した。電磁パルス爆弾は、電子機器だけを破壊する。ドゥーエの肉体は、骨格から、脳の一部まで電子機器で出来ている。博士の大分前のアップロードで、電磁波による攻撃に対しての耐性はドゥーエにはできていたが、万全を期して、なるべく爆弾の影響が及ばない場所に逃げろとの博士の命令だ。
1分でどこまで逃げられるのか。事前のシミュレーションでは、スカイライン社のビルの外に逃げる事ができれば上出来だ。
(電磁波が織りなす、電子機器だけを狙った、見事な攻撃…。それも、ハンドバッグに入るほどの大きさの箱での攻撃…。博士の力は素晴らしいものですわ…)
「そうね…、素晴らしいわ…」
ドゥーエはそのように言うと、地下の階段の扉を開けた。エレベーターを使えば、残り30秒後に起こる電磁パルス爆弾の攻撃によって、エレベーターの電子機器が破壊され、エレベーターは停止してしまうだろう。
だから階段を使う。
博士が危惧をしていたのは、電磁パルス爆弾による直接の被害よりも、それに付随して起こる二次的な被害だ。電磁パルス爆弾による攻撃は、あまりに近づいていない限りは人体に影響を及ぼさない。
しかし、全ての電子機器、例えば携帯電話や車、コンピュータ。そして本来の目的である、あのサーバルームにあるサーバの全ての回路が焼き切られ、破壊される。
博士の作りだした爆弾は強力かつ小型だ。半径1キロ内にある全ての電子機器は、回復不能なほどに破壊されてしまう。
電子機器に依存している世界だ。例えば、車が動かなくなる事で人々は慌て、電灯も点かなくなり、何よりスカイライン社や付近にある会社は大打撃を受ける。
人々はパニックになり、暴動さえ起こる。ドゥーエはそのパニックに巻き込まれるよりも前に、この街を脱出する必要がある。
やがて、ドゥーエは1階まで階段を登り、その扉を開いた。その頃にはドゥーエは再びアリッサ・シモンズの姿に戻っていた。浴びた警備員の血も、今ではすっかり消え失せている。
まだ、爆弾は爆発していない。残り10秒。スカイライン社の社員達は、何も知らずに今日の勤務を始めようとしている。
だが、彼らが今日の勤務を始める事は出来ない。彼らは今日、大規模な都市型攻撃にさらされる事になるのだ。
ドゥーエはアリッサの顔のまま、笑みを隠せざるを得なかった。混乱に陥る人々、恐怖にさらされ、知的財産を失った事によるパニック。
それを想像するだけでも、ドゥーエは快感を感じていた。
地下のサーバルームでは、黒い箱のタイムカウントが0秒になり、その瞬間、閃光がサーバを一気に覆い尽くした。
閃光は一瞬だけで止んだが、地下室の電灯は消え、サーバルームで動いていたサーバ達も、その動作を停止させた。地下は静まり返った。
案の定、ドゥーエが仕掛けた電磁パルス爆弾の攻撃によって、スカイライン社の社員達だけではなく街中はパニックに陥っていた。
地下のサーバルームの物理的保護を解いておいたから、パルスは地下室から地上へと放出され、半径1km内の全ての電子機器は破壊された。ドゥーエ自身の肉体の中にある電子パーツは、保護されていたから彼女は活動が出来たが、スカイライン社外の車は停止し、周囲のビルの照明も消えていた。
(成功ですわ。お姉さまこれでスカイライン社のデータは、きれいさっぱりと、お掃除されてしまいましたわね)
クアットロが意気揚々と言って来る。だが、ドゥーエには、いつものように自信ある声で答える事ができないでいた。
思わず街中の歩道にある電柱に手をかける。息切れがして、周囲の視界が霞んで見える。目に映っている、電子表示のデータの調子がおかしい。
歩道に立ちつくし、何が起こったのかと周囲を見回す人々、突然機能を停止した車が、別の車に衝突している。目の前の交差点の信号機が消え、玉突き事故が起こっている。
今の電磁パルス爆弾の爆発は、体の中に電子機器を持つ自分にも影響を与えたのか。博士は、前回のアップロードで、電磁波攻撃に対しても自分の肉体は耐えられるようにしたと言っていたが、それを試したわけではない。
実際、頭は回転する。しかし、体のどこかが電磁波攻撃の影響を受けたのか、思うように体が動かない。
「クアットロ…、わたしの体を走査して、異常が無いかどうか、調べて…」
ドゥーエは通信して言った。クアットロの方は、爆弾の射程距離外にいて無事なはずだ。
数秒もしない内に、クアットロの方から返答があった。
(大変ですわ。お姉さま!運動機能と視覚機能に障害が出ています!今のままではお姉さまは走る事も、歩く事もできません!)
クアットロが驚いたかのように言って来た。参ったわね。博士の作った爆弾の威力が予想以上に大きかったと言う事だ。他の人々は、パニックには陥っているものの、平気でいられる。だが自分は、肉体の特に運動機能に関して、デリケートな電子機器が仕込まれているせいで、その一つでも大きなダメージを受けると運動機能に障害が出る。
アリッサ・シモンズの姿のままであったのは幸いだ。博士がくれた特殊能力には、爆弾の影響は無い。
だがドゥーエはやがて立っていられなくなり、地面に座り込んでしまった。
(今、アリッサの体を公園に放置しました!これから車でお姉さまを拾いに行きます!それまで頑張って!)
クアットロの声が耳元で聞こえてくる。通信機器が無事だったのは助かったが、一刻も早くこの場所を離れなければ…。
そのころ、突然のサイバー攻撃によって混乱に陥っているスカイライン社の、とあるオフィスでは、一人の女が携帯電話をかけていた。
本来ならば、社員の携帯電話は全てダメージを受け、通話をする事さえできなくなってしまったはずだが、彼女はその電話機を耳にあてがっていた。
「もしもし、私だけれども。たった今、スカイライン社にサイバー攻撃があったわ」
その女は電話に向かってそう言う。
(具体的にどのような攻撃だ?)
電話先の方の声は男で、そのように言ってくる。
「電磁パルス爆弾による攻撃で、半径1km内にある、全ての電子機器が破壊されたわ。一部を除いてね」
茶色い髪をおかっぱ型にしたその女は眼鏡をかけており、いかにも真面目そうな風貌を持っていた。
だが彼女はその眼鏡の中から、憐れみの眼を街へと向け、言葉を呟くように言った。
彼女の眼下では人々が慌てふためき、どうやら所々で、突然機能を失った車による交通事故も起こっているようだった。
(どうやら、奴らは相当に大胆な行動に出る事ができるようだな。我々にとっても脅威の存在になるようだ…)
と、電話先の男は言ってくる。
「でも、電磁パルス爆弾を仕掛けた女は、地下の監視カメラの映像をプリントしておいたわ」
オフィスにいる女は、プリンターから排紙された紙を掴んだ。そこには地下のサーバルームが写されており、そこには、長い金髪の女が一人、はっきりと映っていた。
自分の潜入工作と、顔が、何者かにばれている事など知らないドゥーエは、クアットロが運転する車の後部座席に乗せられ、一目散に退散していた。
電磁パルス爆弾が炸裂した地点から、1km以内は混乱が続き、車でも満足に脱出する事ができなくなっているが、クアットロは交通情報を先読みし、その場を脱していた。
後は、このまま街から離れるだけ。
それだけで今回の任務は済むのだ。
(ご苦労。ドゥーエ)
すでにアリッサの変装を解いたドゥーエが横たわる後部座席に、光学画面が出現し、そこには博士が顔を見せていた。
任務の完了を報告するため、ドゥーエが通信を行っているのだ。
「はい。博士。今回の任務は成功ですわ」
そのように答えたドゥーエは満足げな笑みを浮かべていたが、やはり体の不調が残っている。電磁パルス爆弾による、生体パーツに対しての影響ははっきりと体に現れており、今では満足に体を起こす事も出来ない。
(それと、一つ、君に謝らなければならない事がある)
博士はドゥーエの顔を見つめ、そのように言って来た。
(君のアップロードが完ぺきでは無かった事を謝りたい。あのEMP程度の威力ならば、君の体のパーツは耐えられると思ったのだが…、辛い思いをさせてしまったようだ)
博士のその表情は、本心から謝罪の意を示している。そう。彼は本気でドゥーエに申し訳ないと思っているようだ。
「いえいえ、任務は成功しました。ですから問題ありません。私の方こそ、博士に心配をかけてしまって申し訳ありません」
ドゥーエは疲弊しきったかのような顔で、そのように答えた。
(ふふ…、私としても、嬉しいよドゥーエ。研究室で待っている。早くその体を修復してあげねばならないからね…。それでは…)
「はい…」
そうして博士との通信は切れた。
ドゥーエは満足気な表情をしていた。確かに体の節々からは、損傷を感じられる。思うように体を動かす事が出来ないし、今では自分で歩く事さえできないのだ。
しかし、街中で広がっているパニック。混乱。人々が慌てふためくこの光景を、自らの手で作り上げたと考えると、思わず笑みを隠せざるを得なかった。
博士を満足させた事ができたから。それとも、自らの快感に酔いしれる事ができるから笑みが出てくるのだろうか。
いや、その両方だ。その両方が、このドゥーエを満足させていた。
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リリカルなのはのナンバーズが主役の小説の2編目です。本編ではあまり出て来なかったドゥーエお姉様が、クアットロと共に、ある事をやらかします。