古語原文
はじめにせかひにはてんちがなかつた。
かみなりがととろくせかひで、てんちがないばかりか、みつうんがたちこめ、せかひをしのあめ=1000どものこうねつでねつせられてできたてつによつてせひめひがあらふとなからふとかんけひなく、しをみたしてゐた。
そこで、たちあらわれたのか、こかわでこひみ、きふやくのかみである。
かのじよはけいやくをもつて、てんのかみとけひやくをむすび、てんちかひびやくをやくそくされた。かのじよがてんといふものをこころのなかにつくりたしたので、かふしててんができた。
きふやくのかみがおはすところがてんである。
かのじよはけひやくをむすぶためにてんにのぼつたからである。
すなわち、かみがふくすふのしふだんとして、てんのはふがくが(すなわち、きふてんでいふきんてんなるちふあふのてんのことである。)しんかひとされたのである。
ちもまた、こひみがみとめて、できたのである。こひみはきふやくのかみであり、じぶんじしんのこ〃ろとけひやくをむすんだので、こ〃ろのちからによつて、てんちはできあがつたのである。
てんのかみがいふに、「あなたのこ〃ろのままになつたまでである。わたしはこのことをみこして、あなたのこ〃ろとけひやくをむすんだので、あなたじしんとわたしとで、それそれじぶんのてんちをあなたのなかにつくつたのである。」といふことで、すなわち、きふやくのかみがさふせひしやとなつたはなしであつた。
現代語訳
初めに世界には天地が無かった。
雷が轟(とどろ)く世界で、天地が無いばかりか、密雲が立ち込め、世界を死の雨=1000度もの高熱で熱せられて出来た鉄によって生命があろうと無かろうと関係無く、死を満たしていた。
そこで、立ち現れたのが、古河出 個秘(こかわでこひみ)、旧約の神である。
彼女は契約をもって、天の神と契約を結び、天地開闢を約束された。
彼女が天というものを心の中に創り出したので、こうして天が出来た。
旧約の神がおわす所が天である。
彼女は契約を結ぶ為に天に昇ったからである。
すなわち、神が複数の集団として、天の方角が(すなわち、九天で言う鈞天なる中央の天の事である。)神界とされたのである。
地も又、個秘が認めて、出来たのである。個秘は旧約の神であり、自分自身の心と契約を結んだので、心の力によって、天地は出来上がったのである。
天の神が言うに、「あなたの心のままに成ったまでである。私はこの事を見越して、あなたの心と契約を結んだので、あなた自身と私とで、それぞれ自分の天地をあなたの中に創ったのである。」という事で、すなわち、旧約の神が創世者と成った話であった。
古語原文
かみはしふだんとなつて、りやうしんゆえにうごくものである。それがよしこ〃ろのかみのげんてんである。
りやうしんゆえに、かみはこころもみたすこともある。たとえば、ゥジチーク・フェイシーニー・ロンドロンドなどはいまでいふてん・くふ・ちをつくったじんかいのさふししやである。
むかしでいふところのとん・こ・じのみつつのくにをかのじよはつくつたのである。
ひとをつくり、くにをつくり、そのみつつのくにがやがては、こんじつみくにとよはれるかみになるのだが、それはさきのはなしである。
ともかく、ひとはふへ、しふだんでなにかをするじぶんになるや、せんさふをはしめたのである。
てんのかみはげんじつのかみであるのて、ひとのこ〃ろにはとくにりやうしんにはノータツチなのである。たから、よしこ〃ろのかみはかみで、とりきめをしなくてはいけなかつた。
そこで、じぶんのむすめである、はらからふためにいろいろなことをおしえこんだ。りやうしんゆへのかふだふであつたといえる。
じしんはじこくのゥジチークにたひざひして、そこにすみつゐたのであるから、むよくなかみだつたのである。
やがて、ゥジチークがせんさふにさんかするやいなや、こころみたしておのれのつくつたにんげんをばつしたのである。こうして、てんちかひびやくからひとのあらそひのはじまりまで、れきしをきさんだのである。
・かみにとつて、れきしはいつしゆんのことで、あっというまのことなのであるから、かみをきてんとしてゐるこのしよのいつぺんではかみのかんかくをゆうせんしてゐる。
現代語訳
神は集団と成って、良心ゆえに動くものである。それが良し心の神の原点である。
良心ゆえに、神は心も乱す事もある。例えば、ゥジチーク・フェイシーニー・ロンドロンド等は今で言う天・空・地を創った人界の創始者である。
昔で言う所の沌(とん)・此(こ)・地(じ)の三つの国を彼女は創ったのである。
人を創り、国を創り、その三つの国がやがては、混秩 三國(こんぢつみくに)と呼ばれる神に成るのだが、それは先の話である。
ともかく、人は増え、集団で何かをする時分に成るや、戦争を始めたのである。
天の神は現実の神であるので、人の心には特に良心にはノータッチなのである。だから、良し心の神は神で、取り決めをし無くてはいけなかった。
そこで、自分の娘である、同胞 双女(はらからふため)に色々な事を教え込んだ。良心ゆえの行動であったと言える。
自身は地国(じこく)のゥジチークに滞在して、そこに住みついたのであるから、無欲な神だったのである。
やがて、ゥジチークが戦争に参加するやいなや、心乱して己の創った人間を罰したのである。こうして、天地開闢から人の争いの始まりまで、歴史を刻んだのである。
・神にとって、歴史は一瞬の事で、アッと言う間の事なのであるから、神を基点としているこの書の一篇では神の感覚を優先している。
解釈:人間は常に変化するものだが、良心というものは変化し無いものである。つまり、鉄の雨の中に良心は潜んでいて、いまだに、雲と雷との戦いを続けているので、今の戦争が出来たのである。
良心というものは、波乱を望んでいて、それでいて、常識的である。良心が波乱を望むのは、ひとえに喜劇を望むからであり、悲劇や惨劇が起こるとその人の心はズタズタに成る。良心の世界ではいまだに、死をこうむる悲劇が続いており、良心が生きるのに、環境が酷い所に良心がいるのである。罪障感を感じる人は、何か罪を犯していて、それは良心にとって、引き裂かれた方がましな感覚なのである。常に、死と隣り合わせにいる良心というのは、察知能力に長けていて、それでも、危険を避けるには間に合わない。そういう環境にいるのである。良心にとって、始原の密雲と雷は神をもってしても拭(ぬぐ)い難い現実である。ゆえに、その霊的現実に立ち向かう者程、良心を酷使しているので、執念深く、罪を払う念が無ければ務まらないのが良し心の神の神髄(しんずい)である。ゆえに、その現実に対して、抗う力を良し心の神が与えてくれるのである。胸を深々く刺される様な罪障感というのは、「聖書」においての死である。人は罪を犯す度に聖的に死んでいるのである。
そこを何とか、神に贖(あがな)って貰(もら)っているのである。「聖書」の神というのは、それだけの力は持っており、第一に崇めるべき神であるから、天の神として、本書では登場させている。その次に幻想の神、自由の神、渾沌の神、相対神コノエ、ヤクタ、そして、良し心の神七十二柱である。神界は実際、神の神遊びによって、あるいは、「聖書」の神を始めとした六神によって、形作られている。つまり、「聖書」の神は神界を形作る神なのだ。古河出個秘という神を出したが、この神こそ原初の神、生存本能に長けた、旧約を結ばせるモーセの心神である。モーセはこの神に従って、神と契約を結んだ。つまり、人間だけでは、全くもって、何も出来無かったのである。だからこそ、七番目に崇めるべき神として、良し心の神七十二柱を出したのである。
解釈にて、良心の環境を長々と話して来たが、要するに、良心というのが、自立して行動する事は無く、信仰者の承認によって、シナリオライターにとっての筆の様に、動かすのはあくまでも、人なのである。人に動かされる神、可能性有る神として、良し心の神七十二柱が登場するのである。
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良心神の内的世界の神話。