式姫の召喚の儀。
大いなる神霊達の本質の欠片を憑代とし、世界の諸力を結集し、この世界に実体化させる。
その儀式が完成した。
もう、あの恐るべき相手は動き出してしまったようだが、何とか、ぎりぎりに間に合った。
この地に残る庭の力が、俺を介して白まんじゅうに流れ込んでいく。
そして、俺の残る力も。
式姫という大いなる存在を実体化させるには余りに貧弱なそれ……だが、何とか、何とかこれで、あいつに力を。
その気の流れが、ふっと唐突に、彼女の側から断たれた。
まさか、どういう事だ?
(わたしもー、あなたをー、しなせるきはー、ないからねー)
その時、ふと、最前彼女が俺に宣言した言葉を思い出す。
本気……だったのか。
「止めろ!」
そんな程度じゃ、君の力を支える役には。
(もういいのー、だいじょうぶー)
貴方の式姫を、信じて。
俺の心に直接響く声。
「駄目だ!それじゃ」
勝てない……。
私が採れる手段は最初から殆どない。
あのメダルの力を行使し、再び彼女の身を縛るだけの余力も時間も無い。
であれば、彼女を止める方法は一つだけ。
不死者を滅ぼす、ほぼ唯一の方法、その永劫不滅の血を宿した心臓に力ある何かを打ちこみ、完全に破壊する。
私達の刺突に特化した剣技はその為に生まれた。
同族を滅ぼす儀礼を兼ねる葬送の剣、それこそが本質。
その剣と剣の勝負、一瞬の交錯で、彼女の胸を貫く。
彼女が実戦で磨き上げて来た闘技の冴えは、かなりの域に達している。
今の私に、出来るか。
そして、困難はもう一つある。
それだけの難事をこなす力を得つつ、彼の命は奪わない。
その二つの命題を解決する、ギリギリの線を見極める、さながら麻糸一筋の上での綱渡り。
あの子が、凄まじい速度でこちらに走り寄る。
躊躇いの無い、その剣の狙いが、今の……白まんじゅうの我が心臓の位置にひたりと据えられている。
付け入る隙は、そこにしかない。
「真祖様、お覚悟」
彼女の一息の踏み込みで、間合いが零となり、彼女の剣が私へと伸びる。
その機を狙い、得た力を、この仮初の体に満たす。
白まんじゅうの姿から、本来の姿へ。
私の左足が、彼女の剣に刺し通される。
否、刺し通させる事で、彼女の剣を封じる。
同時に刃のような爪を右手に伸ばし、最小の動きであの子の心臓に向け、繰り出す。
鋭い爪が肉を引き裂き、血が飛沫いた。
「……やるね」
読んでいたの?
「真祖様も、あの男も、座して死を待つなどと、甘く見てはおりませぬ」
彼女が翳した左腕を、真祖の爪が完全に貫き、その胸に僅かに食い込んでいた。
心臓に……彼女の命に届かなかった一撃。
「ですが、そのお力も、もって一撃!」
彼女は刺し貫かれたままの左腕を伸ばし、真祖の胸を打った。
踏みとどまろうとする真祖の力も相まって、貫かれていた左手が、無理な動きに耐えかねてそこから千切れる。
だが、同時に真祖の左足を貫いていた剣を引き抜きざまに、彼女の足を切り飛ばす。
普通なら、そこで勝負が付いてもおかしくない一撃、だが互いに悲鳴どころか、声一つ上げない。
痛みを感じないわけでは無いが、致命の一撃以外は、全て相手の行動を、多少阻害する程度の意味しか持たぬ、不死者の戦い。
突き除けられた事で僅かに二人の距離が離れる。
足一本で、それでもゆるぎなく立ち、こちらを静かに見据える真祖と向き合う。
その目の中に、生へと続く意思が見える。
倦怠に微睡む、生に飽いた闇の王の瞳では無い……私の知らない、貴女様の瞳。
ずっと見て居たい……そう思ってしまう綺麗な瞳。
そして、その煌めきが語る意味が、彼女には判った。
……そうなのですね、真祖様。
私にも……いえ、私には、今の貴女様のお気持ちが、痛い程判ります。
ですが、だからこそ、私も退けないのです。
千切れた左腕が瞬時に再生する。
真祖様の左足は、私が斬り飛ばしたそのまま。
……もう、そのお力もございませんか。
「お別れです」
右手にした剣を構える。
我が永遠の王よ。
駄目だ。
俺の命を持って行け、白まんじゅう。
お前だけでも生きろ。
だが、式姫召喚の陣は、既に彼女の側から導線を断たれ、その役割を失い消失した。
そして、主と式姫の絆を通し、彼女に力を送ろうとしても何故か意識が繋げない
魔術の達者たる彼女のした事か……器用に彼からの力の干渉が断たれている。
あいつは判っていた。
こうなった時、俺があいつに命を差し出すだろうと。
そしてそれを、先んじて封じた。
あの馬鹿……寝てばかりのぐーたらまんじゅうの癖に恰好を付けやがって。
こうなれば、方法は一つ。
こちらの襟を締めあげ続ける旦那の態勢を、頭の中に思い描く。
(人体というのは、どれだけ鍛えても覆えない弱点が存在する、武術とは先ずその急所を知り、それを戦場の様々な状況下で相手に仕掛ける技術)
偉大なる軍師にして、彼の武術の師の一人、鞍馬山の大天狗の言葉。
その辺りの理方(りかた)や、修練の方法を教えることは出来る、だが、その身に一撃必倒の正確さと威を養えるか否かは、結局その技を伝授された人に依るしかないんだよ。
(だから、毎日修行しろ、って話しになる訳か)
(そうだ、相手がその急所を戦場で晒してくれる隙など、ほんの一瞬。その一瞬の時に、正確に、威力を乗せた一撃を放てるか否かは、体がその動作を覚えているか居ないか、そこに尽きる)
戦場での生き死には、煎じ詰めれば運かもしれないが……。
(君は、最後まで生きていなくてはいけない存在だ、主君)
私達が守り切れれば良い。だが、戦場にあっては、自分の手で自身を護らねばならぬ時というのは必ず来る。
(使わずに済めばそれで良い、それに余りに武に淫すれば粗暴に堕し、身を亡ぼす事もあろう……だが、それでも武を修める事は、必ずどこかで君を救ってくれるはずだ)
強くなってくれ、主君。君が目指す、はるか遠い場所まで、自身の足で歩いて行く、その為に。
(ありがとよ、鞍馬)
お前さんのお蔭で、俺は最後の悪あがきが出来そうだ。
腰を僅かに右に捻るようにして跳ね上げる、脇を締め体に寄せていた左腕が同時に上がる、力が乗った所で、畳んでいた肘を鋭く伸ばす。
手刀が、無防備な肝臓を強かに抉った。
「ぎゃぁっ!」
完全に抑え込んだと思い込んでいた相手からの不意打ちの痛撃に、俺の襟首を締めあげていた手が離れ、腹を押さえた旦那が激痛に転がる。
それを突き除けるように俺は身を起こし、こちらに背を向けて、足一本で立つ真祖を見た。
真祖に向かい、同じ顔をした彼女が剣を構える。
間に合え……。
真祖の背に俺の右手を……まだ溢れ出す血にまみれたそれを添えた。
「え……」
同じ身から出た物は強い縁を有す、呪詛の対象の髪の毛や爪を人型に入れるのはその表れ。
そして、お前の中には、既に俺の血が入っている。
ならば、この手から溢れる我が血を縁として。
「受け取れ」
添えた手が、彼女に繋がる縁の糸を掴んだ。
受け取ってくれ、俺の残る力、命の最後の一滴まで。
「駄目!」
彼の居室があった場所を中心に、綺麗にすり鉢形に切り取られた場所の中心に建御雷は立って、周囲をぐるりと見渡した。
広範囲に、異質な力で綺麗にえぐり取られて持ち去られた、ボクの守護する領域と、主と認めた男。
「……ボクの鼻先で、随分と好き放題やってくれた物だな」
正直、あの庭の欠片を引っ張り戻した後に、あの異国の妖をぶちのめしてやりたい所だが、時間的にもそんな余裕は無かろう。
さっさと始めるか、だがその前に。
建御雷は上空を見上げ、声を上げた。
「それ以上は近寄るな、荒っぽくやるから、何が起きるか保証はしないぞ!」
「荒っぽく……出来るような術では無い筈じゃが」
大丈夫かのう。
こうめを抱え、建御雷の後を追って飛来した吸血姫が、その場で高度を下げる。
「こんなに……広かったのじゃな」
彼が起居に使っていた離れを中心にかなりの部分がえぐり取られている、上空からその様を目の当たりにしたこうめが、覚えず呻く。
「……いや、この広さは希望でもあるぞ、こうめ殿」
訝し気にこちらを見上げるこうめに、吸血姫は淡い笑みを返した。
「この庭は主殿の力の源泉じゃ、それがある程度の広さで存在するという事は、抵抗する力を彼に与える事でもある」
そして、どういう訳か、あの地に一緒にいるだろう真祖の存在……もし二人が上手く共闘していてくれたら、まだ間に合うかもしれない。
その時、背後に鋭い翼の音が聞こえた。
吸血姫は、反射的にそちらに向けた顔を、安堵に緩めた。
「軍師殿、お戻りか」
「おお、良い所に戻ってくれた……な?!」
吸血姫と同じ方向を向いて、鞍馬の姿を見たこうめが絶句した。
常にはきっちりした服装を崩す事の無い彼女の袖は千切れ、あちこちに負った小さな傷から流れた血が白い肌に細い筋を描く、その凄惨な姿が激戦の痕をまざまざと見せる。
一体何があったと聞きたい所ではあったが、それ以上に喫緊の話がある事を思い出し、こうめは口を閉ざした。
二人に近付いて来た鞍馬が、吸血姫を見て喜色を面に表す。
「やはり吸血姫か、良かった、無事だったか」
「忝い、あまり良い経緯では無いんじゃが、無事ではある」
無様な話じゃがな。
小さくそう呟いた彼女の表情が冴えないのを見て、鞍馬はそれ以上は話をするのを止めて、吸血姫に合わせて降下しながら、庭の惨状に目を向けた。
「主君の気配が消えたのはこれが原因か、吸血姫に聞いてはいたが、庭の一部さら異界に拉し去るとは敵ながら凄まじい手並みだな……所であそこにいる御仁は誰だね?」
すり鉢の中央に立つ、何やらを始めた青い衣の式姫を指さしながら、鞍馬は吸血姫とこうめに目を向けた。
気配に覚えはあるんだが……。
地に降り立った吸血姫が、こうめを下ろしながら鞍馬に向けて肩を竦めた。
「お主も見た事は無かったか、この庭の守護神殿の顕現したお姿だそうじゃ」
「守護神……そうか、建御雷殿の式姫としてのお姿はあれか」
空に閃く雷霆を思わせる金色の髪は、確かに言われてみれば彼女に相応しい、その彼女が何やらを天に向かって翳すと同時に、周囲に衝撃が走った。
「っと、まさか、荒っぽくというのは、力づくで門を開くつもりか?!」
吸血姫が咄嗟に翼と化した外套をこうめの前に翳して、彼女を衝撃と叩き付けるように吹き付ける砂埃から守る。
恐らく、何とか把握しているあの円盤の理方を元に、後は無理やり、力づくで従えてどうにかしようというんだろう、あの衝撃波は、そのせめぎ合いの余波か。
「本来なら、君が使っていたような陣を張って、ようやく安定する代物だろうに……凄まじいな」
確かに、建御雷は、こういう面倒な術をむにゃむにゃと扱う方面に長けた神では無いが、それでも力づくとはいえ何とかしてしまう辺り、流石に天津神最強の軍神の名に恥じぬ力というべきか。
上空に幾筋も雷光が走ると同時に、周囲の景色が歪んだ。
「この歪んだ風景……あの時と、同じじゃ」
彼が、あの異国の美しき妖と共に消え去った、あの時と。
こうめが覚えず呟いた言葉に、吸血姫が頷いた。
「あれは時の果てに至る道が開いた証よ、本当に力づくで神器を従え、門を開きよった……無茶苦茶じゃ」
魔術の達人たる彼女としては、あのメダルはもう少し優雅に使って欲しい所だが、この差し迫った状況下で、実際にあれを従え、門を開いてみせられては文句も言えない。
確かに、その力量は凄まじい。
「じゃが……」
吸血姫が低く呟きながら眉間にしわを寄せる。
「どうした、吸血姫?」
「門を開くだけなら、妾も最前行った」
「む」
鞍馬が小さく唸る……確かにそうだ、吸血姫はさらにその先で、恐らく真祖という存在を見つけ出す事に失敗したのだろう。
「そう、建御雷殿は広漠たる時の果ての中から、主殿を見出さねばならん」
そしてそれは、門を開いた術師しか行えぬ事、外部から吸血姫なりが手助けをする事は出来ない。
庭の主と守護神としての縁を辿るか、対を為すメダルの力を借りるかは知らぬが。
「ここからが、本当の難題じゃ」
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。