<丑の刻参りについて>(日本を代表する呪術)
塩呪いのレスを見て本文を読んだ方から、
この黒いものは何ですかと質問がありました。
これは某神社にあった藁人形(本物)です。
黒いものは呪う相手の『髪の毛』で、その下には『呪う相手の名前・年齢・干支等』
が書かれておりました。
個人情報がありますので多くは語りませんが、
どうやら旦那(?)と浮気相手(?)の女の名前がかかれ、本格的に五寸釘で打ち込んでいました。
丑の刻参りの作法としては、丑三つ時(午前2時~午前2時30分)に白装束を着て、
1反の白帯、白粉を顔に塗って口紅をさし、1本歯の長下駄を履き、頭に五徳を乗
せて蝋燭を灯します。
時代の変化により作法も変化して、首元には魔除けの鏡、懐には守り刀、口元には櫛、
歯をお歯黒にして唇を赤く塗る(ここで『自分の血を塗る』というローカル作法があります)
藁人形をもって五寸釘を口にくわえ、かなづちを持ちます。
そのまま人に見られないよう某神社(宇治の橋姫)へと行き、某神社についたらご神木に藁
人形を釘で打ち付けます。 この丑の刻参りを7日連続で続けると、呪いの効果があるそうです
丑の刻参りのファッション
丑の刻とは、この時間帯は『鬼門が開く時間帯』でもあります。
常世より悪鬼羅刹を呼びだし呪いをかけてもらうためにその時間に行うといわれています。
丑の刻参りを目撃した場合の対処方法としては『全速力でその場を離れ、見なかったことする』
が一般的な対処法だそうです。
間違っても再確認する為に朝になったら現場に戻るということはしないようにするそうです。
丑の刻参りは必ず毎日同じ時間に行って藁人形に釘を打ち込むこと7日間続けますと成就する
と言われています。 相手の身体の釘を打った場所が悪くなるか死ぬと言うことです。 帰る時
に黒い牛が見えたら成就した証と言われています。
もし自分の敷地の中で藁人形が見つかったら家の中に生えている樹や所有する山林、
別荘などで釘で打たれた藁人形が見つかったら、気分が悪くなり、恐怖を感じる場
合があります。見つけた 藁人形と釘には塩を振って取り外し、お焚き上げでお祓い
をしてもらったらよいとされています。
藁人形に釘を打つという行為は8世紀の木製人形代があり、胸に鉄釘が打ちこまれた状態の
物も出土しています。
木簡を人形に切り取り、墨で顔が描かれている。丑の刻参りと共通する呪殺を目的とした形
代だったと考えられています。
人形に釘を打ち込み、人を呪うといった呪術体系自体は古代(奈良時代)からあったと推測
されます。
研究者によっては、鉄釘自体が渡来文化であり、こうした呪術体系自体が大陸渡来のもので
はないかと言われています。
この他にも類例として、島根県松江市タテチョウ遺跡から出土した木札には、女性が描かれ
ており、服装から貴人女性と見られるが、3本の木釘が打ちこまれていた。
その位置は、両乳房と心臓に当たり、明らかに呪殺目的であった。
橋姫(はしひめ)伝説は、日本の伝承にある、橋にまつわるに鬼女伝説です。
今では水神信仰の一つとされ、古くからある大きな橋では、橋姫が外敵(疫病神等)
の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られています。
嫉妬深い神ともいわれ、橋姫の祀られた橋の上で他の橋を褒めたり、女の嫉
妬をテーマとした謡曲を歌うと、必ず恐ろしい目に遭うといわれています。
橋姫は、橋の女神として京都府宇治川に祀られています。
元は貴族の子女でしたが、嫉妬から貴船神社に詣でて呪術に邁進し、
その果てに生きたまま鬼になったとされています。
その後、頼光四天王・渡辺綱に腕を斬られて鎮まり、宇治橋の袂の神社に御霊奉神されました。
宇治の橋姫の呪術は「丑の刻参り」の原型と言われています。(諸説あり)
橋姫伝説で最も有名な橋は、京都府宇治川の宇治橋に祀られる宇治の橋姫で、
他に大阪市淀川の長柄橋、滋賀県瀬田川の瀬田の唐橋などに祀られています。
京都府宇治川の宇治橋
大阪市淀川の長柄橋
滋賀県瀬田川の瀬田の唐橋
嵯峨天皇の時代(809年-825年頃)、
ある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って
「貴船大明神よ、
私を生きながら鬼神に変えて下さい。
妬ましい女を取り殺したいのです」
と祈った。
貴船大明神はこれを哀れに思い
「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」
と告げた。
丑の刻参りをして鬼女となった女
女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、
鉄輪(かなわ、鉄の輪に三本脚が付いた台)を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さ
らに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。
夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて
死んでしまった。そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きなが
ら鬼になった。
また、橋姫伝説のある逸話よれば
橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男の方の親類、しまいには誰彼構わず、次々と殺した。
男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していった。
京中の者が、申の時(15~17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも外出することもなくなった。
そこで勅命を受けた源頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)の1人渡辺綱が一
条大宮に遣わされた。
夜は危険なので、帝から名刀「鬚切(ひげきり)」を拝借した。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。
見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅色の打衣を着て
お経を持って、一人で南へ向かっていた。
渡辺綱は
「夜は危ないので、五条まで送りましょう」
と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。
正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」
と頼んだので、渡辺綱は
「分かりました。お送りします」
と答えた。
すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」
と言って渡辺綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。
渡辺綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。
渡辺綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕山へ飛んでいった。
渡辺綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、
雪のように白かったはずの女腕は真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を源頼光に見せると源頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んだ。
安倍晴明が
「渡辺綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」
と言ったので、その通りにさせた。
橋姫の腕を斬った「鬚切」はこの事件により「鬼丸(おにまる)」
と呼ばれるようになったとされる。
羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)
などで振るわれた鬼切(おにきり)と同一視されることが多い、鬼と縁が深い名刀である。
能や謡曲の影響か話のストーリーは結構改変されており、
橋姫が浸った川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋
だが、渡辺綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋とされています。
歳月の経過は特に描写されていないが、
源頼光・源綱・安倍晴明の時代は「嵯峨天皇の御世」の200年近く後です。
また、「渡辺」綱が「源」綱であったりします。
宇治の橋姫神社は、宇治川に架かる宇治橋の近くにあります。
正式には、上流から遷祀されたとされる瀬織津媛(せおりつひめ)を祭っていますが、
『平家物語』などでの橋姫と同一視されています。
嫉妬から鬼神とかした橋姫が、渡辺綱に討たれた後に橋の神になったという伝説も残っています。
この祭神である橋姫は、橋を守る女神として祭られていますが、
縁切りの神でもあり、悪縁を切るご利益があります。
また、逆に、恋人同士や婚礼の儀で、神社の前を通ったり宇治橋を渡ったりすると橋姫に妬ま
れて縁を切られるとされ、避けて通るようにする迷信も存在します。
ここで本題に戻ります
「草木も眠る丑三つ時」という出だしから丑の刻とは、この時間帯は
『鬼門が開く時間帯』でもあります。
常世より悪鬼羅刹を呼びだし呪いをかけてもらうためにその時間に行
うといわれています。
丑の刻参りを目撃した場合の対処方法としては『全速力でその場を離れ
見なかったことする』が一般的な対処法だそうです。
間違っても再確認する為に朝になったら現場に戻るということはしない
ようにするそうです。
丑の刻参りは必ず毎日同じ時間に行って藁人形に釘を打ち込むこと7日
間続けますと成就すると言われています。
相手の身体の釘を打った場所が悪くなるか死ぬと言うことです。
帰る時に黒い牛が見えたら成就した証と言われています。また版画等では橋姫と黒牛はセット
で描かれており、石燕や北斎の版画を見ても、呪術する女性のかたわらに黒牛が描かれるが、
七日目の参詣が終わると、黒牛が寝そべっているのに遭遇するはずなのでそれをまたぐと呪い
が成就するという説明があります。
この黒牛に恐れをなしたりすると、呪詛の効力が失われるとされています。
もし自分の敷地の中で藁人形が見つかったら家の中に生えている樹や所有する山林、
別荘などで釘で打たれた藁人形が見つかったら、気分が悪くなり、恐怖を感じる場合
があります。
見つけた 藁人形と釘には塩を振って取り外し、お焚き上げでお祓いをしてもらったら
よいとされています。
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塩呪いのレスにあった黒いものは何ですかという質問がありましたので今回は「丑の刻参り」について書かせて頂きました。
探究者としては面白いテーマですが、実際には絶対しないようにお願い致します。
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