No.1082840

雲の平原

カカオ99さん

ツイッターに投稿していた暗殺姉弟の小話を加筆修正してまとめたものです。ZEROのPJの子供(捏造)と7の暗殺姉弟が出会っていたらという話。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。PJの子供と名付け親との出会い→http://www.tinami.com/view/928680  鬼神と妖精の再会→http://www.tinami.com/view/987078

2022-01-21 18:24:24 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:504   閲覧ユーザー数:504

 

   1

 

 自分たちは姉弟(きょうだい)。他人。同じ名字。別の名字。同じ両親。別々の両親。

 一緒に暮らした記憶。別々の家庭で暮らした記憶。

 

 自分たちは同じ夫婦に引き取られた養子。片方は実子で、もう片方は引き取られた養子。

 両親に愛されて祝福された子。両親に虐待されて呪われた子。連れ子として忌み嫌われ、奴隷のような扱いを受けた子。

 

 幸せな記憶。不幸な記憶。楽しい思い出。悲しい思い出。

 生まれた国。生まれた年。父親という造形。母親という陰影。

 暖かい家。冷たい家。笑い声が響く居間。怒鳴り声が響く寝室。

 

 嘘と真実。夢と現実。そのどれもが自分たちであり、自分たちではなかった。他人のものであり、他人のものではなかった。

 

 暴力と薬物で、強い大人に従順であるように躾けられた。

 ここは英雄でも見捨てるドブの底。英雄が見捨てたから生まれた場所。弱い人間は奪われるだけ。だからどんな手段でも奪って尽くせと。

 昼は銃とナイフを持ち、突撃させられる。夜は薄くて汚いベッドで、大人の相手をさせられる。

 

 大人という生き物たちの好みに合わせて、姉弟は幾通りもの話をした。

 特に強い男の機嫌を損ねないように、少しでもつらい目に()わないように、姉弟は自分たちの、あるいは誰かの、その時の真実である物語を紡いだ。

 

 自分たちは本当に姉弟なのか。実際は違うのか。嘘なのか。

 誰かに植え付けられた設定。自分たちが考えた設定。

 彼女が先にいたのか。彼があとから来たのか。その判別すら、二人にはつかない。

 

 ただ一つ分かるのは、自分たちはいつも手を取り合って生きてきたこと。

 隣にいた彼女の、彼の、けして健康的とはいえない手を握り、寄り添うように生きてきた。この手の温もりが、肉の薄さが、皮膚を通して感じる骨の硬さが、確かな真実。

 

 その日、二人は一緒に罪を背負った。姉がとうとうこの生活に悲鳴を上げた。

 彼女がここ最近相手にしていたのは、子が泣き叫ぶのを見るのが好きな人間で、姉は一度耐え切れず、商売をしている部屋から逃げようとしたが、逆に苛烈な目に遭った。

 ドブの底を仕切る大人たちが、「よく潰す客だけど、金払いが良くて」と愚痴をこぼしていたのを聞いた弟は、ここから逃げようと考えた。

 まだ痛々しい傷跡が残る姉に説明し、まずは二人で懸命に奉仕した。油断させてから殺し、それから金目の物を盗んで逃げようとした。

 

 そしてタイミング良く、姉弟はドブの底から引きずり出された。

 正しくは、大陸戦争終了後も抵抗を続ける反政府軍が爆撃を受け、ドブの底が壊され、姉弟は奇跡的に生き延びた。

 掃討戦に入っていた政府軍に子供兵だと思われた弟は、自分たちが搾取された存在であることを必死に伝えた。引き剥がされまいと姉を抱き締め、自分たちは姉弟だと訴えた。

 そのお陰か、二人は引き離されずに医療施設へと送られた。

 

 以来、姉は生きるのも死ぬのも、すべての判断を弟に委ねた。この賢さが、冷静さが、自分を導いてくれた救済の天使。

 事あるごとに姉は口にする。あんたが私を地獄から助けてくれた。あんたがいる場所が天国なんだよと。

 弟は「そんな…大げさだよ」と口では返すが、内心嬉しかった。

 

 姉には気まぐれにお菓子を恵んでくれる客がいて、彼女は時折、弟にこっそりお菓子を分けていた。二人は姉弟として客を相手にすることがあったので、元から距離が近かった。

 分けてもらった小さなお菓子は甘い宝石のようで、唯一の楽しみで、こんな場所でそんな物を分けてくれる姉こそが、弟にとっては光そのものだった。

 

 だがこれも本当の記憶なのか。本当にあったことなのか。作り話なのか。なにかの映画かドラマの話なのか。それすらも二人は分からなくて——。

 

「その話は全部嘘かもしれない……ってことですか?」

 

 姉弟の担当医から話を聞き終えたフェニックスは、率直に聞いた。

 二人は名前を聞かれたとき、少女はエルケ、少年はオットーと名乗った。そう呼ばれていたと。名字はない。

 

「相手に合わせて、話の内容を変えます。一緒に保護されたほかの子たちと比べると、身なりも肉体もまともなほう。爆撃で両親が亡くなったそうですが、本当に両親かどうか……」

 

 医師は軽く溜息をついた。姉弟は親と呼ばれた存在の、いわゆるお気に入りだった可能性があることをフェニックスは悟った。

 

「両親は、商品になっていた子たちの面倒を見ていたそうです。二人はその子たちと交流して、心を壊したのかもしれません。もし二人が商品であったとしても、丁重に扱われたのかもしれません」

 

 フェニックスが運営する民間軍事会社(PMC)は福祉の一環で、病院や施設の子たちを航空ショーの練習日に招いて、見学させることがあった。

 もちろん対象は、飛行機を見ても怖がらない子たち。その中に姉弟がいた。

 戦争と災害に翻弄された子らしい、というのは担当医の話。確かな個の記録も、記憶もないためだった。

 

 小惑星ユリシーズの破片落下で、難民となった者たちの運命は多岐にわたる。国を乱す異分子として追われると同時に、商品として狩られることもあった。

 特に兵士や奴隷、慰み者として使い捨てと需要が高い子供は、各地に転売された。そこに正確な記録はなく、大勢が亡くなったと推察されている。

 

 大陸戦争が終わったことでようやく手入れがおこなわれ、ほかの子供とともに、姉弟は運良く救助された。

 姉弟は飛行機を見ると、目を輝かせたという。あれのお陰で自分たちは助かった。いつか自分たちもああいうのに乗ってみたいと。

 

「その姉弟は飛行機に興味を持ったから、うちの施設で引き取ってほしいと」

「あの子たちは飛行機の近くにいたら、生き延びられる可能性が高いと思うんです」

 

 フェニックスは子供がいる部屋に連れて行かれると、姉弟と対面する。

 挨拶をしても反応は薄かったが、フェニックスの頬にある傷に興味があるらしく、じっと見つめた。

 

「さて。君たちの名前だが……名前だけというのもなんだから、君たちをここに連れて来てくれた人の名字を借りようか」

 

 フェニックスは「ファン・ダルセン」と言った。

 

「これから君たちの名前は、エルケ・ファン・ダルセンと、オットー・ファン・ダルセンだ。いいかな?」

 

 二人は素直にこくりと頷く。さらにフェニックスは自分の名前を伝えると、「そうだなあ」と言う。

 

「みんなは俺のことを社長や先代と言うし、あとフェニックスって言うな。好きなので呼ぶといい」

 

 オットーが「フェニックス」とつぶやく。

 

「伝説の死なない鳥だ。灰の中から復活する炎の鳥」

 

 エルケも「フェニックス」とつぶやき、オットーと視線で無言のやり取りをする。どうやら気に入ったようだった。

 

「じゃあ、新しい家に行こうか」

 

 二人が新たに連れて行かれた場所は子供の保護施設で、小さいながらも充実していた。さまざまな立場や年齢の子たちがいて、新入りを推し量るように見た。

 

 そんな周囲の目などお構いなしに、寝るときは二人で寄り添うように寝て、さすがにトイレと風呂はスタッフが分けさせたが、それ以外は常に二人一緒。

 勉強で引き離されるのすら嫌がったので、学校には事情を説明し、別のクラスで受けさせることにした。

 過去に学校へ通ったかどうか定かではないが、読み書きと簡単な計算はできた。

 食事の仕方は独特で、自分の皿から食べるときもあれば、相手の皿から食べるときもあった。あるいは食べさせる。分け合う。二人で一人。境界線があいまいだった。

 

 フェニックスが施設に来ると、二人は親鳥について歩く雛のように、うしろをついて回った。

 

「ここの生活にも大分慣れたみたいだし、一度外で遊んでみるか」

 

 姉弟は顔を見合わせる。彼らは二人きりの世界が強過ぎて周囲と打ち解けない、あなただけにはよく懐いているとスタッフに相談されたフェニックスは、一計を案じていた。

 

「飛行機、近くで見る気はある?」

 

 その言葉に姉弟は顔を輝かせると、まず互いの顔を見てから頷き、そしてフェニックスの顔を見てうなずいた。

 

「よし。じゃあ行こう」

 

   2

 

 エルケとオットーはフェニックスに連れられ、車に乗った。街の郊外からさらに外へ。景色が単調になっていく。

 とある会社の敷地内に着くと、そこは小さな飛行場のような所で、複数の子の楽し気な声が聞こえた。

 

「お、今日は来る日だったか。君たちにも紹介しておこう。これから何度か会うかもしれないし」

 

 おいでと言われ、ファン・ダルセン姉弟(きょうだい)は手を握り合いながら、頬に傷跡がある男のうしろを歩いていく。

 駐機場(エプロン)には小型の軽飛行機が一機。その周りを二人の子が小鳥のように、くるくる回りながらはしゃいでいた。

 

「よお、PJたち。久しぶり」

「お久しぶりです。先代」

「元気そうですね。先代」

 

 PJたちと呼ばれた男女の子供は、フェニックスに向かって敬礼する。

 

「あとで鬼神のおじさんに乗せてもらえよ」

 

 フェニックスを先代と呼んだPJたちは、「もちろん!」と同時に言った。

 元々テンションが高めの子供だが、今日乗せてもらう予定の軽飛行機の塗装が、以前見たときと変わっていた。そのため、余計にテンションが上がっていた。

 

「おじさんは?」

 

 PJたちは「あっち」と格納庫(ハンガー)を指差すと、ちょうどおじさんと呼ばれた男性が近寄って来るところだった。

 

「来てたんですか」

「会わせたい子たちがいてね」

 

 その子たちはフェニックスのうしろに隠れて、なかなか出てこない。

 

「ああ、その子たちが新入り?」

「女の子が姉のエルケで、男の子が弟のオットー」

 

 おじさんと呼ばれた灰色の目の男性は、「初めまして」と挨拶をした。姉弟の反応の薄さは気にせず、自分の名前を教える。

 

「あとは、あだ名みたいなフェニックス。番号みたいなスカーフェイス1。隊長。好きなのを呼ぶといい」

 

 オットーが「フェニックス?」と、大人二人を戸惑ったように見た。フェニックスだと被る。

 

「ああ、こっちの社長やってるのが先代。俺が今の代。だから君たちの好きなほうでどうぞ」

「名前はよく変わるから、そこは注意してね」

「大人の事情ってやつなんだって」

 

 PJたちが注釈をつけると、姉弟は「名前が……変わる?」とうろたえた。

 

「そういうのはもう少ししてから説明するからねー」

 

 灰色の目の男はPJたちの口をふさぐ。

 

「とりあえず、隊長って呼んでおけば問題ないと思うよ」

TAC(タック)ネームもコールサインも、仕事の都合で変わるときあるし」

 

 口を塞ぐ手を無理やりはずすと、PJたちは姉弟に向かって流れるように喋った。

 

「はいはい! よくうちの業務をご存じで。偉いよー」

「だっていつかここで働くし」

「英才教育だから任せといて」

 

 二人は隊長と呼ばれた灰色の目の男に向かって、得意げにピースサインをする。

 PJたちにいいように振り回されている今代を見て、先代は忍び笑いをもらした。

 

「はいはいよーく分かったから、その前に自己紹介しようか!」

「僕はパトリック・ジェームズ!」

「私はパトリシア・ジャクリーン!」

 

 双子は当たり前のように一緒に言うので、姉弟は呆然とする。隊長は「あ、すまん」と言うと、右側にいた男の子の頭に手を置いた。

 

「こっちがパトリック・ジェームズで」

 

 次に左側にいた女の子の頭に手を置き、「こっちがパトリシア・ジャクリーン。双子だ」と続ける。

 姉弟よりも年下に見える双子は、また同時に「よろしくね!」と言う。光が次々とあふれるような雰囲気は、保護施設の子たちとは違ったもの。

 

 弟が「俺はオットー」と先に名乗ると、続いて姉が「エルケ」とぶっきらぼうに言った。双子は一歩前に出て手を差し出すと、同時に「握手」と言う。当たり前のように、相手からの反応を求めた。

 二組の子供はしばしの間、互いを見つめる。姉弟はおずおずと手を伸ばし、握手する。その反応に双子は満足そうに笑うと、「おじさん」と同時に言った。

 

「この二人も飛行機に乗せて?」

「いいでしょ? 先代!」

 

 パトリックは隊長にねだり、パトリシアはフェニックスにおうかがいを立てる。

 

「いいけど……君たちはどうする?」

 

 フェニックスが聞くと、姉弟の顔が輝いた。

 

「乗りたいってさ」

「二人とも、こういう飛行機に乗るのは初めて?」

 

 姉弟は互いの顔を見ると、こくりと頷いた。姉弟について、隊長はフェニックスから大まかなことは聞いていた。

 二人で地獄を生き延びたから、離れて生きるのはおそらく無理。できるだけ犯罪に走らない方向で、二人一緒に生きていける手段を与えなくてはいけないと。

 空を飛びたいと言ったら教えてほしいと頼まれたが、怪物になったときはどうするのかと聞けば、それはその時と大雑把な答えが返ってきた。

 鬼神のお前さんならどんな怪物でも倒せるだろと。あるいは大陸戦争の英雄になったお前さんの弟子ならば、と。

 

「なら、まずは遊覧飛行だな」

「僕らはあとでいいよ」

「こっちはジェットコースターでよろしく」

 

 すかさず双子が要望を出すと、隊長は「はいはい」と二度返事する。

 

「じゃあ、さっそく行きますか」

 

 弟にうながされてエルケは機体に近づくと、隊長は乗るための補助として手を差し出した。

 エルケはその手を取り、ふと、隊長の顔を見る。この人の目は銀。人にあらざる色の目。人ではないなにかが、いる。

 手を取ったあとに、エルケは小さく肩を震わせた。なにも考えることなく手を取ってしまったが、この手の持ち主は一体なんなのか。

 

「どうした。双子のあとにするか?」

 

 まだ手を取っただけ。離そうと思えば離せる。姉の戸惑いに気づいたオットーは、エルケの()いているほうの手を握った。

 

「そうだ。ちょっと待ってな」

 

 隊長はするりと手を離す。エルケの中から先程までの恐れは消えたが、急に寂しさが湧いた。複雑な感情を持て余すように、エルケはオットーの手を握り返す。

 

「ほら」

 

 エルケのささやかな葛藤を知ってか知らずか、隊長は双子が着ていたフライトジャケットを借り、姉弟に渡した。

 

「こっちがパトリックで、こっちがパトリシアのフライトジャケット。今日は君たちの初飛行だ。仮だけど着ておくといい」

 

 さらに「あとで社長に頼んで、君たちのも作ろう」と提案する。

 オットーが「社長?」と聞くと、隊長は「君たちを連れてきたおじさんのこと」と返した。

 

「あの人、この会社や君たちがいる施設を運営してる社長だから」

 

 フェニックスは小さな民間軍事会社(PMC)を経営するとともに、子供の保護施設も経営していた。傭兵稼業によって、否応なしに生み出される作戦のマイナス面。孤児たちの救済。

 自己満足とはフェニックスの(げん)だが、彼の下にいる人間たちが、それをからかうことはない。

 

「よし! サイズは一応合うみたいだね」

 

 隊長と姉弟が会話をしている間に、双子はフライトジャケットを姉弟にすばやく着せていた。

 

「うん! あとで新しいのもらってね」

 

 双子に「さあ飛ぼう!」と勢いよく送り出され、姉弟は軽飛行機に乗った。

 みるみる小さくなっていく地上の建物と、境目がない広大な青空。このへん一帯を見物しながら一周する飛行は天気の良さも相まって、感動が次々とこみ上げた。

 初めて空というものを近くに感じた。かつて自分たちがいた場所は、小さくて狭い大地の底だと悟った。

 圧倒的な解放感と爽快感は、(ここ)で生きたいという思いを生み出すほどに劇的なものだった。

 

 姉弟は興奮し、軽飛行機から降りるや否や、フェニックスに空のすごさを熱く語った。自分たちのあとに乗った双子にも、すごいすごいと連呼した。

 一息ついてミネラルウォーターを飲む隊長を遠目に見ながら、オットーは「あのさ」と小声で双子に話しかける。彼らは気軽に「どうしたの?」と聞き返した。

 

「あの人の目、銀色なのか?」

 

 即座にエルケが「神様みたいな色」と言い添える。

 双子は「そうなんだよ!」と言うと、口元に人差し指を当てて「秘密!」と小声で付け加えた。

 

「これはママと僕たちだけの秘密」

「でもこれからは君たちも一緒の秘密」

 

 秘め事は人間関係を脅かすこともあれば、強化に繋がることもある。

 姉弟にとって、同世代の子供は友人ではなかった。見えざる厚い壁があった。それに二人の関係が強固なので、友人になろうという者はいなかった。

 双子はその壁を軽やかに越えてくる。

 

 彼らとのささやかな秘密の共有。それは姉弟にとって友人という存在との、初めての思い出になった。

 

   幕間

 

 ピアスホールを開けたと言って、スクリームは「ほら」と弟のレイジに左耳を見せる。穴を安定させるための、医療用のファーストピアスがつけられていた。

 

「穴が安定するまで時間かかるみたいだから、それまでこの地味なピアスで我慢だってさ」

 

 姉の突発的な行動にレイジは少々面食らったが、褒めもせず、否定もせず、「つけたいピアスは決めているのか」と聞く。

 

「お前に決めてほしいんだ」

「どんなのがいいんだ」

「お前が決めるのならなんでもいい」

 

 文句言うなよ、言わないよとやり取りをして、スクリームのピアスホールが安定して、セカンドピアスに変えるころにレイジが買ったのは、純チタン製の太目のフープピアス。

 

「こういうのがいいかなと思ってさ」

 

 銀色に輝くシンプルなピアスを見て、スクリームは嬉しそうな顔をする。

 

「いいじゃん」

 

 さっそくスクリームはフープピアスをつける。耳たぶにしっくりきた。

 

「前にアクセサリー見てたとき、こういうのいいなって言ったろ? 覚えてる?」

「言ったか?」

「言ったよ」

 

 姉にそう言われても、当のレイジは覚えていない。

 だとすれば、世間話程度のつもりで言ったに違いなかった。特に深い意味はない。

 だがスクリームにとっては絶対に覚えておくべきことで、大事な宝物だった。

 

「それで、穴を開けたのか」

 

 レイジはスクリームの耳のふちをそっと撫でる。

 

「お前がいいって言ったものは、持っていたいんだ。なんだか、お前がすぐそばにいるみたいでさ」

 

 きょとんとした顔で、レイジは「いつもそばにいるだろ?」と言う。

 

「うん。でも、いつもこうやって触れる距離にいるわけじゃないから」

 

 姉は弟の額に、自身の額を合わせた。相手の体温が移り、自分の体温も相手に移り、一つに混ざったような感覚になる。

 

「健やかなるときも病めるときも、ともに歩みますって、約束しただろ?」

 

 優しい声音でレイジは語る。

 

「結婚式の誓い?」

「そう。昔、遊びでやった。覚えてる?」

「覚えてる」

 

 スクリームは優しく笑い返した。

 

「良きときも、悪きときも、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、ともに歩み、他の者に依らず、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」

 

 二人は一言一句、ずれることなく言葉を紡ぐ。

 

「はい。あなたに誓います」

 

 これも二人同時に言うと、くすくすと笑い合った。

 

 世の中に誓いの言葉というものがあることを知った二人は、いろいろなバリエーションを調べ、独自にどんどん加えていった。あるいは微妙に言葉を変え、文章を長くしていった。

 泣くときも、憎むときも、笑うときも、食べるときも、空を飛ぶときも、すべて一緒。すべてを分かち合う。

 同じ家族でも、姉と弟、女と男、異なるものとして、それらも分かち合う。

 

 この世にたった二人。二人で初めて一つになる。同じ魂を持つ二人が、奇跡的に離れずにここまで一緒に来られた。

 

「死に二人を分けさせません。死ぬならともに死にます」

 

 生まれてくるのは、レイジが遅かった。

 でも死ぬ日だけは一緒。それだけは誰にも邪魔されない。周囲に翻弄され続けた二人が決めたこと。なにが起ころうとも貫く意志。

 

「あなただけに誓います」

 

 ずっと。差し出された小さな弟の手を姉が握ったときから、ずっと続く約束。けして破られず、絶対に叶えるもの。

 二人は互いの手を重ねて強く握ることで、再びの誓いとした。

 

   3

 

 ファン・ダルセン姉弟(きょうだい)は空を飛びたいという目標が決まると、学校で習うことを次々と吸収していった。

 空の飛び方は、社長や社長の部下たちに教えてもらった。空は感情表現ができる場所だと学んだ。

 双子とは競うように空のことを学び合ったが、彼らの前で隊長から積極的に学ぶことはしなかった。彼はあの双子のものという感覚があり、気後れしたからだった。

 

「あの双子は生まれる前に、戦争で父親を亡くしてね。あいつがちょっとした父親代わりなのさ」

 

 フェニックスは双子の事情をこっそり教えてくれた。姉弟は双子が小鳥のように隊長のそばを飛び回るのを、なんとなく理解した。

 彼らがいないときに、隙を縫うようにして隊長に教えを請うた。

 

「君たちは一人になって飛んだり、君たち以外のパイロットを入れて組むよりも、二人だけで、二人一緒で飛んだほうがいい」

 

 隊長は二人一組を強調した。それで能力が最大限に引き出されると。

 

「エルケ。君は感情が高ぶると、飛び方が揺らぐ。それは奇襲攻撃にもなるけど、見破られたら的になる。オットーの指示に集中して飛ぶんだ。君の飛び方はそのへんのエースよりも強い」

 

 褒められたエルケははにかんだ笑顔を見せる。

 

「オットー。君は怒りに任せると、すぐにミサイルを見境なく撃つ。だからエルケをコントロールすることに集中して、それで自分の感情も一緒にコントロールするんだ。君が墜ちればエルケも墜ちる。分かるな」

 

 先代も今代も化け物と言っていいほど強いパイロットで、その部下たちもエース級に強い。

 その純粋な強さゆえに二人は素直に言うことを聞き、エルケは彼らの乱暴な言葉遣いを真似した。オットーは彼らの強さに憧れた。

 

 このままフェニックスが社長をしている民間軍事会社(PMC)に就職する道もあったが、姉弟(きょうだい)はほかの空も知りたいと言って、旅立つことを決めた。

 本当は居心地が良すぎて、微妙な居心地の悪さや焦りのようなものが生まれていた。自分たちだけが享受する幸せへの不安。

 フェニックスたちはそんな姉弟の意思を尊重し、無理に止めなかった。

 

 TAC(タック)ネームはお互いへの贈り物として、自分たちで決めた。

 フェニックスたちのTACネームは、本質を表すのが多いと本人たちが言っていたので、姉弟もそれに習おうと思った。

 模擬戦で弟が先に撃墜判定を受けて一人きりになると、姉は狂ったように叫び、その逆だと弟は怒り狂うことが多かった。

 叫び(スクリーム)怒り(レイジ)。そういうのが自分たちにはお似合いだと。

 

 あとは、自分たちを利用して搾り取る人間が二度と近づかないようにという、ささやかな願いを込めて。

 ある地域では、子供にわざとマイナスイメージがある名前をつけて、悪霊や魔物が来ないようにと願う風習がある。そんなことをフェニックスから聞いていたから。

 それに、嫌な人間に名前を呼ばれたくなかった。汚されたくなかった。

 

 そしてまた、二人きりになった。二人きりになると、自分たちで生活をしなければならない。食事、洗濯、掃除、仕事。

 特に食事は、姉は肉類なら進んで食べるが、それ以外の食べ物はあまり食べない。弟はいつも姉の食事バランスに気を使っていた。

 

「野菜も食べろ」

 

 いつもどおりの二人きりの朝食。

 

 弟に注意されると、姉は当たり前のように弟の皿にフォークを突き刺し、奪う。それに対し、弟は文句を言わない。

 しかし姉が食べたのは少量なので、弟は「ジャガイモ好きだろ」と、自身が持っているフォークで自分の皿にあるジャガイモを刺し、姉に向かって突き出した。

 姉は当たり前のように弟のフォークから、弟が食べるはずのジャガイモを口に入れ、咀嚼すると飲み込む。

 

 弟は次に「ほら」と、艶のある黄赤のニンジンのグラッセにフォークを刺し、姉の口元に差し出す。餌を与えられる動物のように、姉は素直に食べた。

 その次はコーンをフォークでよそい、次はゆでられたブロッコリー、ドレッシングのかかったレタス、キュウリ、またジャガイモと、皿の上から一つずつ野菜類を減らしていく。

 その間、姉は嫌そうな顔をせず、弟の手から、弟のフォークから、抵抗せず一口ずつ食べる。

 

 自分の皿からはあまり食べないが、姉は弟の領分である弟の皿の物だと食べた。それは弟の皿がカラになるまで続く。

 弟は自分の分の副食を姉に与え終えると、姉の皿から、姉が手を付けない根菜や葉物を食べ始める。それに姉は文句を言わない。

 

 姉弟独特の食事の仕方は、どの施設でも特に矯正されることがなかった。

 ただ、そういう食べ方は二人の間だけのものにして、他人にしてはいけないよと言われ、姉弟はそれを守っていた。

 

 自分の副食を弟が食べている間、姉は手を伸ばして弟のスープボウルを取り、口をつけて飲むと、「次の仕事は?」と聞く。

 

「オーシアの三本線の始末をする」

 

 楽しそうに「あいつか」と姉は口角を上げると、スープがカラになったので、器を元の場所に戻した。

 弟はカラになった自分の容器を見て、「スープ」と手を出してアピールすると、姉はまだ中身のある自分のスープボウルを渡した。弟はそれを飲む。

 

「楽しみだよ。な?」

 

 弟は意思を再確認するように聞く。姉は、自分の皿に残っていた最後の肉のかけらをフォークで刺すと、弟に差し出した。

 自分にとって最後の大事な一口を弟が口の中に入れ、飲み込んだのを見ると、姉は満足そうに微笑む。

 

「ああ。楽しみだ」

 

 晴れやかな姉の笑顔を見て、弟は頬をゆるめた。

 

 オーシアで急激に名を上げている三本線は、英雄と見なされつつあった。

 巨大組織が祭り上げた英雄とそのあとの世界は、すでに大陸戦争で見た。多大な戦果を挙げたメビウス(ワン)というパイロットの偶像化。

 独立国家連合軍(ISAF)の正義の象徴で、大陸戦争直後の兵士募集では、必ずその名前が宣伝文句としてあった。

 

 その英雄が救わなかった場所では、自分たちのように救われなかった人々がいる。

 

 ここには英雄が来ない、見捨てたからここが生まれたと言われ続けたドブの底に、名もなき英雄は来た。あの爆撃がなかったら自分たちの運命は変わっていた。

 フェニックスや隊長たちのように。いつか自分たちも彼らのように。

 どんな仕事でも、誰かを、なにかを、救える英雄に——。

 

 朝食を食べ終えると、姉弟は依頼主のもとへ行く。

 二人は今、GRガーディアン・マーセナリーズというPMCにいた。ユージア大陸北東のポートエドワーズが本拠地の多国籍企業、ゼネラルリソースのグループ会社だった。

 会社経由とはいえ、あくまで個人的という部分を強調されたオーシア国防空軍准将の依頼は、政治的なものを臭わせた。姉弟はこれが、いつもどおりの汚れ仕事だと理解する。

 

 二人は最初のうちは従順に、依頼主から高慢さがにじむ命令口調の説明を聞いていた。

 が、途中で姉は机を力任せに蹴った。ドアを勢いよく開け、そのまま出て行く。

 弟は「失礼します」と言い添えてから、姉のあとを追うように部屋を出た。背後からは准将のあからさまな舌打ちが聞こえたが、これを無視する。

 

「おいスクリーム!」

 

 姉は汚い単語を使った文句を言いながら、大股で歩く。足が長いので歩幅が大きい。どんどん先に行くが、弟も足が長いのですぐに追いついた。

 隣に並ぶと「スクリーム!」と鋭く呼ぶが、歩みは止めさせない。無理に止めれば、余計に感情が爆発する。

 

「なんだあいつ! 金払いがいいからって調子こきやがって!」

「だからって、あそこを切るって言ったら駄目だ」

 

 姉は相手の股間にあるものを切ってやると、大声で罵倒した。上官や取引相手には多少なりとも礼儀をわきまえて接しているが、時々こういうことが起きる。

 

「殺すって言ってない」

「だからセーフってわけじゃない」

「弟を馬鹿にされたら、姉として怒るのは当然だろ!」

 

 自身のことは多少我慢できても、弟を嘲笑されるのは一秒たりとも我慢できなかった。

 どんな時もずっと一緒だった。嬉しいときも、楽しいときも、悲しいときも、憎むときも、二人ですべてを共有し、分かち合い、乗り越えてきた。

 姉弟は互いがこの世に生まれ落ち、初めて対面したときから、ずっと手を離さずにいた。

 互いを守り、共に在り、手を離さずに歩き続け、走り続け、飛び続けた。それは死ぬまで変わらないもの。

 

 弟はTACネームではなく、「エルケ」と姉の本名を呼ぶ。

 

「俺は大丈夫だから」

「私は悔しい。あいつ殺す。いつか殺す」

「仕事が終わって、金をもらうまでの辛抱だ」

「絶対殺す」

 

 姉の怒りはまだ収まらない。レイジは小さく息を吐き出した。

 

「アーデルハイト」

 

 優しく柔らかい声で語りかける。エルケの正式名はアーデルハイト。エルケは短縮形や愛称でもあった。今この名を呼ぶのは、ごく限られた人だけ。

 弟は「大丈夫」と姉の手を握る。子供時代と同じように、変わらず、変わることなく。

 

「……だってあんた、『レイジ』なのに怒らないから」 

「そっちが先に怒るからだろ?」

 

 弟の楽しさがにじむ声を聞いて、姉は少しだけ口をとがらせると、きゅっと手を握り返した。

 

   4

 

「ああーもう!」

 

 いきなり叫び声が響いて、驚いたピクシーは横を見る。

 

「オットーは!?」

 

 長身でロックな外見の女性が騒いでいた。金色の髪は刈り上げかと思ったら、右側の前髪は顔をおおうくらい長い。顔がはっきり見える左側は、左耳と左の下唇にピアスをしている。アシンメトリー。

 

「やっぱりここにもいないか。そうだよね。天国だよね!」

 

 ピクシーはあたりを見回す。二人より離れた所にいる人間たちは、こちらを気にすることなく、普通に会話をしていた。女性の存在に気づいている様子はない。

 昼間で空には太陽がある。それなのに、女性には影がなかった。ピクシーには影がある。その違いが意味するものはなにか。

 さて、自分はその手のものが見える体質だったろうかと、ピクシーは内心首をひねった。

 

「地獄に行く前に強制的にお礼参りだなんて、恥ずかしいったらありゃしない」

「お礼参りの意味、多分違う」

 

 ようやくピクシーは反応する。

 

「そうなの? 世話になった人にお礼しに行くんじゃなくて?」

「まあな」

 

 だが、ピクシーは特に訂正することはなかった。死んだ人間に今更なにかを教えるというのも、反応次第では怒られて恨まれそうなので、やめておく。

 

「ところで、誰」

「覚えてないの?」

 

 女性は一気に距離を詰め、顔を近づける。ピクシーはわずかに引いた。

 

「人とよく出会って別れるからな」

「私が小さいころ会ったじゃん。ほら、大陸戦争のあとに、ISAF(アイサフ)がいろいろ残党狩りしてただろ? 私と弟を助けてくれたじゃないか」

「助けた……?」

 

 二〇〇五年に終結した大陸戦争のあとの残党狩りで、独立国家連合軍(ISAF)に所属している国の義勇兵が駆り出されることがあった。

 その中には、凶悪な犯罪集団に落ちぶれた部隊を潰す任務もあった。治安部隊とは名ばかりの、子供兵もいる野盗のような集団。闇市場で人間や武器、盗品、違法薬物の売買をする組織。

 おそらくその中に彼女と弟がいたのだろうが、ピクシーにはまったく記憶がなかった。

 

「私たちのことは絶対二人一緒にしてくれって、あんたが弟と私を一緒にしてくれたんだ。だから別れずに済んだ」

 

 ピクシーは眉をしかめた。

 

「そんなこと言ったのか?」

「言ったよ」

 

 第三者の何気ない一言が、行動が、誰かのその後の人生を決定的なものにする。

 自分はどうやら、記憶にない小さな姉弟(きょうだい)の人生に深く関わり、死後にお礼に来られるような存在だったらしい。

 紛争で孤児になった自分が、過去のどこかで、孤児の姉弟の人生を救っていた。その不思議な巡り合わせに、なんとも言えない感情が生まれる。

 

「あーあ。できれば雲の平原に行きたかったな」

「雲の平原?」

「飛行機乗りが死んだら行く場所で、そこには敵も味方も関係なくいるんだってさ」

 

「お前、飛行機乗りなのか」

「そうだよ。弟もそう」

 

「弟は雲の平原にいるんじゃないか?」

「いないよ。あの子はすごく賢くていい子だから、神様のお気に入りになる。行くなら天国のほうだよ」

「……そうか」

 

「エルケ!」

 

 突然響いた声に、女性は「…? なに? ……え? …え!?」と慌てる。あたりを見回していると、「エルケ! こっち!」と、また大きな声が響いた。

 声のしたほうを向くと、エルケという名の女性は「オットー!! 隊長!」と喜びいっぱいの声を上げる。

 「待ってて!」とピクシーに言うと、呼んだ人間のほうに駆け寄った。エルケは身振り手振りを加え、全身で嬉しさを表現しながら会話をしていた。

 数分して、彼女と同じくらい長身の男性を引っ張ってピクシーの所に戻って来ると、「ほら! あの人だよ!」と男性に向かって言う。

 

「この子がオットー。私の弟」

 

 弟と呼ばれた男性も髪を刈り上げているが、前髪を姉とは逆サイドの左側に寄せ、斜め切りにしている。姉よりはひかえ目なアシンメトリーの髪型をしているという印象を受けたが、そこから引き出される記憶はなにもない。

 だが、オットーはピクシーの顔を覚えていた。嬉しそうな顔をする。

 

「あの時はありがとう。あなたのお陰で、エルケと離されることはなかった」

「どういたしまして」

 

 とりあえず無難な反応を返す。

 

「隊長が、あなたのことは相棒って言ってたんだけど……」

「まあな。元飛行機乗り」

「ほんと!?」

 

 ピクシーの答えにエルケが食いついたが、オットーが「まずい。時間がない」と言う。どうやら幽霊にしか分からない感覚で、時間制限があるらしかった。

 

「ほら、まだ行く所あるんだから」

 

 不服そうに「ええー」とエルケは駄々をこねるが、オットーが「社長のとこ!」と言う。「分かった」とエルケは渋々オーケーすると、姉弟は自然と手を繋いだ。

 あっ、とピクシーはなにかを思い出した。二人の子供。

 

 ——離さないで。

 ——姉弟なんだ。

 ——一人にしないで。

 ——二人一緒ならどこでもいい。

 

 交互に喋って、離されまいと強く抱き合っていた。

 あの二人だろうか。分からない。ほかの兄弟かもしれない。

 

「じゃあね」

「それじゃ」

 

 ピクシーは軽く手を挙げて別れの挨拶とする。その後、普通に何度かまばたきをした。

 すると、二人の人間が目の前にいたはずだが、いなかった。いなくなっていた。

 

「…………」

 

 まあ幽霊だしなと早々に結論づけ、新たな疑問が生まれる。格納庫にいた人間の元まで行くと、「サイファー」と呼びかけた。

 

「お前、幽霊が見えるのか?」

 

 姉弟に隊長と呼ばれたサイファーは、「いいやー」とのんびり答えた。

 

「なぜか今回は見えた。驚きだ」

 

 ピクシーはサンサルバシオンのベルカ人移住者が経営するホテルでサイファーと偶然再会し、リクルートを受け入れた。

 残党狩りが一段落したころに義勇軍を辞めると、そのあとはサイファーの先代隊長が経営している民間軍事会社(PMC)に入った。

 サイファーの今のTAC(タック)ネームは、先代からの引き継ぎでフェニックスとなっているが、今でもピクシーはサイファーと呼んでいる。

 

「あの姉弟、知ってる奴らか」

「まあね。社長が経営してる施設にいた子たち。社長はいずれ、PMCのほうで世話するって言ってたけど、来られなかったか。腕はいい子たちだったんだけどなぁ」

 

 まだ雲が残る遠い空を見ながら語り、「まあ、仕方ないか。戦闘機乗りだし」と続けた。

 

「……TACネーム、なんていったんだ」

「姉がスクリームで、弟がレイジ」

 

 二人きりの姉弟で、孤児で、戦闘機乗りで、TACネームは叫び(スクリーム)怒り(レイジ)。彼らの人生が垣間見えた。

 

「そういやあの子たち、お前のことを知ってたらしいけど、どこかで会ったのか?」

 

 サイファーが聞くと、ピクシーンはうーんとうなった。

 

「どうも義勇兵のころに参加した作戦で助けたっぽいんだが……記憶にない。多分、二人一緒に扱ってくれって、うしろにいた兵士に渡したんだろうな」

「それで、施設には二人一緒に来たのか。あの子たち、ずっと二人だったよ」

 

 ふと、自分も兄弟がいればああなったのだろうかとピクシーは思ったが、自分には兄弟がいなかった。それだけのこと。

 

「姉のほうは、自分は地獄行きで弟は天国行き。できれば雲の平原に行きたかったって言ってた」

「弟は、自分は地獄に行くって言ってた」

「……本当に地獄に行くのか?」

「行かないだろ」

 

 あっさりとサイファーは断言する。

 

「二人一緒なら、行きたい所に行けるさ。幽霊になっても再会できるだなんて、ぎりぎりのところで運がいい子たちだな」

 

 悲しいという単語は一言も使わずに、彼らの死はすべて不幸ではなく、幸いな部分もあると見なす。

 その死を嘆かずに送り出す神の祝福を受けて、あの姉弟は行きたい場所、雲の平原にたどり着けるのだろう。ピクシーはそう思った。

 生きているときの人生が過酷だったのであれば、死後にささやかな幸せが分け与えられるのは、けして悪いことではないはずだと。

 

 その時、サイファーが持っていた携帯電話が震えた。確かめると電話の着信だった。

 

「噂をすれば社長からだ」

「あいつら、本当に社長のとこに行ったんだな」

 

 二人は笑ったあと、サイファーは電話に出た。

 

   5

 

「ほんと、よく引き取れましたね」

「裏でいろいろと手を回したんだよ」

 

 葬儀社の安置室に置かれた二人分の棺を見て、隊長は「どこの伝手(つて)使ったんですか」と社長のフェニックスに問う。

 

「ゼネラルはあくまで身元不明として拒否したから、墜ちた場所のエルジアだね。亡命した旧王家の人脈は、今でも御威光が半端ない」

「さすが社長。人脈が広い」

 

「あとは気前よくお金を積めば、物事はいろいろとスムーズに運ぶ」

「だったら、使ったぶんは稼がないといけませんね」

「まあ、ゼネラルには目をつけられただろうし、旧王家側もなにか依頼してくると思うがね。よろしく隊長」

 

「それなら彼らの望みどおり、だけど最大限以上の結果を出すってやつをやりますか」

「結果を出し過ぎて逆に困らせるやつ、お前得意だしな」

 

 隊長はわざとらしく笑ってごまかす。

 

「ユリシーズに巻き込まれた子供たちが、こんな形で死ぬとはね」

 

 棺の中を見れば、正直遺体の状態は良いと言えなかった。遺体の防腐や修復処理をして、なんとかそれなりの形にしている。

 

「うちの認識票、用意していたんだけどねえ」

 

 フェニックスはそう言って、遺体のそれぞれの胸元に認識票を置いた。

 

 ファン・ダルセン姉弟(きょうだい)はいろいろな組織を渡り歩き、ユージア大陸北東のポートエドワーズが本拠地の多国籍企業ゼネラルリソースのグループ会社、GRガーディアン・マーセナリーズという民間軍事会社(PMC)にヘッドハンティングされた。

 ユージアでは今一番勢いがあるPMCだが、急成長した裏では暗い話題も尽きない。グループ企業の護衛だけでなく、各国政府の表には出せない案件をこなしている噂もあった。

 

 姉弟の最後の仕事は、オーシア国防空軍上層部からの依頼だったようだが、ゼネラルが引き取りを拒否したということは、表に出せない案件。

 彼らはおそらく、そういう暗部の仕事を請け負っていた。二人はそう察していた。

 

「もうちょっと早く、うちで引き取るべきだったか」

 

 フェニックスの独り言のような問いかけに、隊長はなにも答えない。

 沈黙が場を支配する前に、足音と喋り声が近づく。出入り口からパトリック・ジェームズとパトリシア・ジャクリーン、双子のPJたちが顔をのぞかせた。

 

「入ってもいい?」

「お別れしてもいい?」

「入っていいよ。お別れしておいで」

 

 優しい声音でフェニックスは答えると、一人で先に出て行った。少し()を置いてから、PJたちは年には念を入れ、隊長に小声でささやく。

 

「先代、大丈夫?」

「ご飯食べられそう?」

「そこは心配ない」

 

 続けて「ゆっくりお別れしな」と言うと、隊長も出て行く。

 残されたPJたちは、遺体を初めて見るわけではないが、不思議なものを見るような目で、姉弟の遺体を見た。

 

「実際はこうだけど、幽霊は普通の姿だったの、不思議だよね」

「先代のところには一緒に会いに行ったって話だよね」

 

 姉弟の幽霊は、PJたちにも別々に会いに来ていた。

 

 ——地獄に行く前に、会える人には全員会いに行ってるんだ。お前たちは雲の平原、行ってくれよな。

 ——また遊べなくてごめんね。でもこの前の電子戦、すごく役に立ったんだから。

 

 彼らにとって遊ぶとは模擬戦のこと。技量を競って高め合い、空の楽しさを語る。かけがえのない、年の近い仲間だった。

 

「雲の平原に行けたかな」

「多分、地獄行きだって思ってるよ」

「地獄にしか行けないって言ってたもんね」

「英雄しか行けない場所じゃないのにね」

 

 雲の平原は飛行機乗りの間でそれとなくささやかれる、いつ誰が語り始めたかも分からないおとぎ話だった。

 あの世には、勇ましい戦士だけが行くことができる館があるように、飛行機乗りだけが行ける空がある。

 

 自分たちは死んだらそこへ行くんだと、フェニックスから教えられた。そこには空を愛する大馬鹿野郎たちが集まるのさと。

 雲の平原の上では、伝説のエースパイロットたちが愛機と一緒に飛んでいる。彼らは心ゆくまで戦い、空を駆け抜けるのだという。

 

「たどり着いても、雲の平原だって当分気づかなさそう」

「意外に大事なものを気づかないところ、あるよね」

 

 二人は笑い合う。

 

「なんであんなに地獄へ行くって思っていたんだろう」

「育った場所が悪かったからって言ってたけど、ちょっと寂しいよね」

 

 君たちは地獄に行かないよと、二人は姉弟に対してストレートに言ったことがある。

 姉弟はくすぐったいような、嬉しいような、困ったような、複雑に入り混じった表情をしたあと、自分たちは地獄みたいな場所で育ったから、そっちに引きずり込もうとする奴らがいると言った。そういう夢を見るんだと。

 

 ——だから、俺たちを搾取した奴らをどんどん倒さないと。

 

 学校やニュースで学習することで、姉弟はなぜ自分たちが酷い環境に置かれたか、その遠因となるものを知っていった。

 小惑星ユリシーズの破片落下から世界は大きく変わり、難民問題、エネルギー問題、南北格差、海を越えた大国との格差、その大国の思惑、あらゆるものが繋がっていると直感した。

 そして復興政策からこぼれ落ち、救われない人々がいることも知った。国の英雄が自分たちを救わなかったことも。

 

 ——あんたたちみたいに、戦争で親を亡くす子を出さないようにしなきゃ。

 

 PJたちは、姉弟が施設に引き取られる前の環境をそれとなく教えられていたので、家庭環境は聞かないように心掛けていた。

 それでも姉弟が家族について問うときがあったので、その時は家族の話をした。

 

 環境は姉弟のほうが悲惨だったが、姉弟は姉弟で、実際の父を知らないのに、父はこういう人だったと明るく語るPJたちを哀れだと思っていた。

 友に離れないでほしいと粘っていた二人はその瞬間、気持ち的に友をつかんでいた手をゆるめてしまった。

 

「本物の英雄になるって出て行って、あの世へ行っちゃうなんて、うちのお父さんと似てるよね」

 

 フェニックスたちのように本物の英雄になりたいんだと言って、姉弟は楽園のような場所から旅立った。

 ここでもなれるよとPJたちが言ったら、英雄になったら戻ってくるよと姉弟は答えた。

 そうして姉弟は、幽霊と遺体となって戻ってきた。

 

「ベケットのうちも、こんな感じでお父さんの遺体と話したのかな」

 

 バイクの一人旅の途中で、とある国で空の英雄と出会ったことがきっかけで傭兵パイロットとなり、ベルカ戦争で活躍し、その後起きたクーデター事件で亡くなったパトリック・ジェームズ・ベケット。

 二人は姉弟の顔に静かに触れる。

 

「君たちが生きてる間に、謝っておくことがあったんだよね」

「おじさんのこと、隊長って呼ばせたままにしちゃってごめんね」

 

 姉弟から哀れまれたのは、確かにそうだったのだろうとPJたちは思う。

 

 母は妊娠を伝える前に、恋人だった父に死なれた。そんな母は、父のことを子供たちに知ってもらおうと、生前のことをよく教えた。

 ベルカ空軍のエースたちを破った円卓の鬼神の二番機だった父は、明るくて、落ち込んでも立ち直りが早くて、空ではハヤブサのように飛んでいたという。

 

 家族旅行でウスティオに行くと、父が所属した部隊のAWACS(エーワックス)管制官だったイーグルアイという人が、父のことを話してくれた。ムードメーカーで腕が良かったと。

 鬼神も父のことをよく話してくれた。陽気で、真っすぐで、空でもはしゃぐ人だったと。

 

 二人は雛が親鳥を追いかけるように、今も父と同じ職業を続けている鬼神のあとをついて回った。

 もし父が今も生きていたら、傭兵パイロットを続けていたら、多分こんなふうになっていたという想像。父という残像。

 自分たちのものを姉弟に取られまいとして、二人は無意識で主張した。とっさに今代のフェニックスを隊長と呼ばせた。それは誰もが使う、ありふれた呼び方。

 その件は小さな棘となり、PJたちの心にずっと刺さっていた。

 

「だからさ。また遊ぼうって言ったのに、先にあの世へ行ったのは許すよ」

「今回は特別に、君たちの勝ちにしてあげる」

 

 パトリシア・ジャクリーンが「Everyday I wake up unsure」と歌い始めると、パトリック・ジェームズが「of the tasks the day will bring」と続けた。二人で『Blue Skies』の合唱を始める。

 彼らの師、メビウス(ワン)の恋人である歌姫の曲だった。彼がよく聞いているので、自然と彼らも歌詞を覚えた。

 歌声は死者に降りそそぐように、静かに響き渡る。

 「Blue skies given me so much hope」と最後の繰り返し部分まで歌い終えると、二人は遺体に向かって微笑みかけた。

 

「じゃあね。アーデルハイト」

「じゃあね。オトフリート」

 

 二人は同時に「今度は雲の平原で遊ぼうね」と言う。

 遺体の胸元の認識票が蛍光灯の光を反射して、きらりと輝く。まるで、姉弟の最後の返事の代わりのように。

 それを見た二人はたがいの顔を見合わせると、満足そうに微笑む。

 

「まあいいや。さあ行くか!」

 

 いつもの口癖を言うと、PJたちは棺から離れた。

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラの解説です。

 

フェニックス1:エースコンバット第1作の主人公。会社経営をしているのはオリジナル設定。

 

サイファー:ZEROの主人公。円卓の鬼神。フェニックス1の座を引き継いだのはオリジナル設定。

 

ピクシー:ZEROで登場。片羽の妖精。

 

パトリック・ジェームズ・ベケット:ZEROで登場。TAC(タック)ネームはPJ。

 

PJの恋人:ZERO攻略本「巻末付録:エースパイロットプロフィール」で存在のみ判明。PJとの間に子供がいるのはオリジナル設定。

 

イーグルアイ:ZEROで登場。AWACS(エーワックス)管制官。

 

元ネタの解説です。

 

Blue Skies:04のエンディング曲。

 

   後書き

 

開発段階では姉の幽霊ボイスがあった(『週刊ファミ通』2020年7月16日号のエスコン特集の座談会)、ピクシーは大陸戦争時にユージアにいたというのを組み合わせました。エルケはアーデルハイトの、オットーはオトフリートの短縮形や愛称だそうです。

 

 
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