死の天使であるミカエル、ガブリエル、アズラエル、サマエル、マラク・ターウースすなわちサタンは、モーセの死の床でモーセが死ぬのを待っていた。モーセが体得した呼吸法により、もう随分とモーセの死は後(おく)らされていた。
今か今かとミカエル、ガブリエル、アズラエル、サマエル、サタン等が見ている中で、モーセは生き永(なが)らえていた。今にも死にそうだったが、そういう幻想があったにも関わらず、モーセの神の教えた呼吸法によりモーセが諦めない限り、モーセが神に取られる事はなかった。
神はモーセにそろそろ諦める様に、言っていたが、その声は穏やかで、臨終のその時まで、じっくり待つつもりでいたのだ。
つまり、モーセが諦めるまでじっくり待つつもりでいたのである。
神は信者に対して、寛容(かんよう)な方であるからだ。つまり、呼吸法を終えるまで、死の天使達に待つ様に、指示していたのだった。
書録天使達はその詳細を書き取り、せわしなく、出入りを繰り返していた。
独特の緊張感のある場であったのである。
しかしながら、モーセはまだまだ諦める気はなかった。神に教わった呼吸法により、神にもらった命は果てなく、恩赦は限りなくあった。
神は寛容な方で、死ぬ様には指示されなかった。
モーセはそれに応えるべく、一生を神に捧(ささ)げた事に誇(ほこ)りすら覚えていた。
つまり、その誇りが朽ち果てるまで、生き続けるつもりだった。
臨終の時、天使達、「偽善者の天使」でさえも泣き喚(わめ)いて、嘆(なげ)いたのである。
それだけ、「偽善者の天使」も含めて、天使達の愛がモーセを包んでいたのである。
神は臨終の時、「もう頑張る必要はない。私はあなたをたたえさえしよう。」と言ったそうだ。
神はその言葉通り、「我がしもべモーセはまことに人間として、義人として生を謳歌した。彼ぐらい神に忠実なしもべは千年は現れる事はないだろう。」とたたえ、イエス・キリストを次の主権者に選んだ。私が今は選ばれており、私は主権者でありながら、神に付き従うのである。
今は「主のバーレット」である私こそがその呼吸法を習い、余命を伸ばすのである。主権者である自覚があるから、私はこの文章を書き切るのである。
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寿命を伸ばす呼吸法がある。そんな夢みたいなモーセの臨終なのである。