No.1075532

君のいる日々 6

つばなさん

 前回やっとさいさんが恋を自覚したので、こっから怒涛のアタックがはじまります(ちょっと嘘)。
pixivにも同じものを投稿しています。

2021-10-25 21:05:57 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:244   閲覧ユーザー数:244

「今回の彼の作品はあまりに文章が荒すぎるね。着想は面白いと思うけれど」

「しかし、勢いある筆致が彼の持ち味だろう。俺はこれはこれでいいと思うが」

 談話室のあちこちから、喧々諤々の議論が聞こえてくる。

 

 今日は、帝国図書館館内誌の発行日であった。小説、童話、随筆から詩、短歌、俳句まで、錚々たる顔ぶれの新作が読める館内誌は、図書館中の文豪たちの楽しみであり、また論争の種でもある。

 織田作之助は談話室の片隅で、一人館内誌のページをめくっていた。盟友坂口安吾の手による志賀直哉をこき下ろす随筆(これは太宰が志賀と喧嘩して、三日間行方不明になっていた時に書かれたものだ)、三か月前に起こった鏡花との絶交騒動について書いた秋声の小説、新美南吉のかっぱわに童話シリーズ最新作などを読んで、たどり着いたのは詩歌のページであった。

「また犀星先生の詩が載っとるな……」

 ここのところ、室生犀星は怒涛の勢いで詩を書きあげているのだった。館内誌はもちろん、帝国図書館新聞や図書館内の詩人たちで作った有志の同人誌にいたるまで、犀星の詩が載らない媒体がないくらいだった。そしてその詩のテーマはほぼ一貫して、激しく燃え上がる恋心だった。

「先生、恋してはるんやな」

 詩の中で、その恋の相手は紅梅にたとえられていた。匂いたつように美しく、楚々とした花。それでいて、風雪を冒してでも咲くような苛烈な強い意志をも持っている人。

「どんな人なんやろ」

 ちょっと気ぃキツそうやけど、とんでもない美人なんやろな。と思うと、なぜか織田の心は塞いだ。

 

 「おっ、織田がいたぞ!!」

 談話室に入ってきた国木田と島崎が、織田を見つけるなり走り寄ってきて、織田の思考は途切れた。

「こんにちは。帝国図書館新聞取材班です」

 すました顔で、ペンを片手に島崎が名乗った。

「はぁ。どうも。え、何? ワシに取材ですか?」

 ちょっと警戒しながら織田は聞いた。太宰と志賀の喧嘩についての取材なら、出来れば何も答えたくなかった。

「そうそう。ちょっとアンタに聞きたいことがあってな」

「今、室生犀星と親しい人たちに色々話を聞いているんだ」

「へ? 犀星先生?」

 思いがけない名前を言われて、織田は戸惑った。

「そうだ。あんたも知ってるだろ? 最近、室生は情熱的な恋の詩ばかり書いている。しかも、詩に書かれる恋人はどう考えても創作の人物じゃない、明らかに実在の、特定の誰かなんだ。気になるだろ? この情熱的な詩を捧げられている相手がどんな人間なのか。というわけで、今度の新聞では室生犀星の恋人について、特集を組もうと思ってな。あんた、知らないか。室生の恋人」

「ええ? なんでワシに聞くんですか」

「だって、君は室生犀星の弟子でしょう」

 島崎がそう言ったので、織田は心底驚いた。

「ワシ、室生犀星の弟子なんですか?」

「違うの? そうとしか見えないけど」

 そう言われて織田はびっくりした。確かに犀星にはずいぶん目をかけてもらっているとは思う。しかし、師弟といえるほど特別な関係だろうか? そもそも師弟関係というのはどういうものなのか、織田にはよくわからなかった。

 ワシ、犀星先生の弟子なんやろうか。

「で、どうなんだよ。室生犀星の恋人、知らないか?」

 考えにふけっていた織田は、国木田の質問にはっと我に返った。

「すんません。そういうお人に心当たりはないですわ」

「ん~。そうか。なかなか情報が集まらないな」

「まだ諦めるには早いよ。今、花袋が室生本人に話を聞きに行ってるし」

「そっちの成果を待つか。織田、ありがとうな!」

「いえ。お役に立てんで」

「それで、織田。ここからは館内誌の編集長・国木田独歩としてアンタに用事があるんだが」

「げっ」

 国木田がそう言いながら迫ってきたので、織田はおもわず逃げようとした。

「げっとはなんだ! アンタ、今回原稿落としたんだから、次号には絶対書いてもらうからな? 本当の締切りは二週間も前に過ぎてるんだから、もう原稿は上がってるはずだよな? 明日取りに行くから用意しておけよ」

「いやいや、先生。原稿が用意できてへんから落としてるわけで、明日は早すぎますよ、無理です」

「じゃあ明後日が締切な。ちゃんと用意しとけよ~」

「いや、無理ですって! ちょっと待って!」

 織田の言葉には耳も貸さず、国木田はさっさと行ってしまった。どないしよう。織田は途方に暮れた。

 

 一方その頃、田山花袋は室生犀星の部屋にいた。

「次号に穴が開いたとき用の原稿?」

 室生に聞き返されて、田山はちょっと申し訳なさそうに答えた。

「そうなんだよ~。いや、万が一、次号に空きが出なかった時は、室生の作品はその次の号に載せるからさ。ただ、絶対! 次号に間に合うように書いておいてほしいんだ。最近原稿落とすヤツが増えてきて、困ってるんだ。その点アンタは信用できるからな」

「まあ、少なくとも次々号までには載るんだったら、書くのは構わないが」

「ほんとか? いやあ、助かった。さすが室生犀星だな。この図書館に文士はいくらでもいるが、確実に締切を守る奴となると、皆無に近いからな」

 室生は苦笑した。

「俺の他にも筆の早いやつはいくらかいるだろう。たとえば、ほら織田君とか」

 彼、今回書いていなかっただろう、と室生が言うと、田山は変な顔をした。

「織田は駄目だよ。今号の原稿も落としたんだぞ? あんたに頼んだのだって、彼が次号も落とした時のための原稿でもあるのさ」

 それを聞いて、犀星は驚いた。

「織田君が?」

「そうだよ。今までは落としたことなかったんだがな。急に平気で穴を開けるようになってさ。まあ、どうしても書けないときっていうのはあるから、分からないではないが、編集としては困るよ」

「そうだったのか」

 言われてみれば、あんなに数多く掲載されていた織田の作品を最近見ない気がする。それに「夫婦善哉」に潜書した時に、新しく書いた小説を一番に見せてもらう約束をしたのだが、結局彼は一度も犀星に小説を見せにきてはいないのだった。

 なにか問題があって、小説を書けなくなっているのだろうか。

 そう思うと心配になって、犀星は織田に会わなければ、と思った。

「あー、それとさ、室生。ちょっと聞きたいことがあって……、あー、プライベートなことだから、答えにくければ答えなくていいんだが」

 頭を掻きながら、花袋が言いにくそうに切り出したが、犀星は「すまない、田山さん」と遮るように言った。

「ちょっと用事が出来たから、その話はまた今度でいいか」

 そわそわと、すでに半分腰を浮かして、犀星は言った。

「え?」

「原稿はちゃんと用意しておくから、安心してくれ」

 犀星に追い立てられるように部屋を出された田山は、「聞く前に追い出されるなんて、独歩に何を言われるか分からんな」とひとりごちた。

 

 織田は部屋に戻って、机の前でぼうっと煙草を吸っていた。原稿を書かなければ、と思ったが、思っただけで万年筆を手に持ちさえしなかった。頭の中を占めているのは、さっきの新聞取材のことだった。室生犀星の恋人……。

 今度の帝國図書館新聞には、犀星先生の恋人の記事が出るんか。見たくないな。織田は思った。しかし、見たくなくても目に入るだろうし、たちまち図書館中の話題になるだろう。逃げ場はない。

 嫌やな……。

 今なら三日間とは言え失踪した太宰の気持ちが分かった。この場所は狭すぎる。逃げるには、物理的にこの場所を離れるしかないのだ。

 ほんまにちょっと、抜け出したろうかな。織田はふと考えた。

 少しの間この図書館を離れて、どこかへ行くのも悪くないかもしれない。なんだったら太宰を連れて行ってやってもいい。

 そうだ。しばらくの間、図書館を出よう。太宰と一緒に旅に出よう。

 思いついたらこれ以上良い案はないように思えた。

 織田は立ち上がった。旅支度をしなければ。鞄はどこにしまったかな。いや、その前に太宰に言いに行こう。織田が部屋を出ようとしたその時、思いがけなく部屋の扉がノックされた。織田はハッと立ち尽くし、しばらく扉を眺めていた。

「織田君、いないのかい?」

 扉の向こうから、聞きなれた室生犀星の声がした。織田は激しく動揺した。

「うーん。後で出直してくるか」

 犀星がそうつぶやくのが聞こえた。しかし、彼が後で出直して来た時、織田はもうこの図書館にはいないだろう。しばらく犀星に会うことはできないのだ。

 そう思ったら、織田は考える前に扉を開けていた。

「おや、織田君。いたんだね」

 犀星はにっこりと笑って言った。

「はい。すみません、出るの遅うなって」

 どうぞ、と織田は犀星を部屋の中に通した。慌ててさっきまで自分が座っていた椅子を犀星の前に据えて――それがこの部屋にある唯一の椅子だった――、自分はベッドの端っこに腰を下ろした。

「すまないな。急に押しかけて」

「いえ」

 犀星は部屋の中を見回した。床には平置きにされた本が山を作っている。机の上にはひもで綴じて束ねられた原稿が二束、その上にはまだ綴じられていない原稿の束が、きれいに積み上げられていた。

「おや、ずいぶん書いているんだな」

「え、ええ……」

 織田は気まずい思いがした。新しいのを書いたら、一番に犀星に見せる約束をしたのを、忘れてはいなかったからだ。むしろ、そのことが常に織田の頭を占めていたからこそ、今月号の館内誌用の原稿を落としたと言ってもいい。 

 

 織田は今月号用の原稿を割合さらさらと書いた。どちらかというと、筆が進んだと言ってよい。織田は締切よりも大分前に小説を書き上げて、そしてはたと気づいた。この原稿はまず、犀星先生に見せなあかんのやった。

 そう思うと、急にこれでいいのか迷いが出た。もっとええモンも書けるのに。もう一個考えてある、あっちのネタの方がええのとちゃうやろか。そう思ってもう一本書きはじめて、それも割合早く書き上げた。しかし書き上げてしまうと、また迷いが出た。もっと犀星先生をアッと驚かせるような、文学的に価値の高いものを書きたい。そう思って今、またもう一本新しいのを書いている途中なのだった。

 

「さっき、田山さんにちらっと聞いたんだが……、織田君が最近どうも書けなくなっているんじゃないかって言っていたんだ。しかし書いてはいるんだな。でも、なかなか納得のいくものにならないのか?」

「……ええ、まあ……、そんな感じですわ」

「そうか。まあ、今は絶対に作品を発表しなきゃいけないってわけではないし、納得いくまで練るのは悪いことじゃないからな。だが編集の先生方はちょっと困っているようだったよ」

「すみません」

 織田は小さくなって謝った。

「まあ、誰にだって不調はあるさ。ゆっくり書けばいい」

 犀星は優しく微笑んだ。

「先生は、最近めっちゃ好調ですね」

「え? まあ、そうだな。最近よく書いてはいるかな」

「先生。……恋、してはるんですか」

 織田は、思い切って聞いてみた。しばらくこの図書館を離れるのだから、これを聞いてしまっても、気持ちを整理する時間はある。この話でもちきりになる図書館にいるのは嫌だが、この話を全く知らないままで遠くに行くのも、思えば心残りではあった。

「ああ。そうだね。……なんだかあらたまって聞かれると恥ずかしいが」

「どんな人なんですか?」

 織田がそう聞くと、犀星はしばらく織田の顔を黙って眺めていた。

「俺の詩を読んでくれたんだよな?」

「え? はい」

「読んで気づいたことはなかったか?」

 気づいたこと? 織田は首を傾げた。

「俺の愛する人は、美しく高貴な梅の花のような人だ」

「はぁ」

「一緒に早咲きの椿を見たり、隣町の本屋に行ったり。映画を見に行った時には、気分が悪くなった俺を労わってくれた。詩に書いていただろう?」

「そうそう、あの詩を読んで、わしびっくりしましたわ。先生、また映画見て気分悪くなったんですね。あんまりアクション物の映画見に行ったらあきませんよ。穏やかそうなのにせんと」

「そうじゃないよ」

「へ? なにが?」

「そうじゃない。俺はまだ、転生してから映画を一度しか見てない。君と見に行った時だけだ」

 織田は黙った。意味が分からなかった。

「まだ分からないかい? 俺の愛する人は君だよ」

 言われて、織田はなるほど、と思った。言われてみれば思い当たった。椿を見せてもらったし、隣町の大きな本屋に連れて行ってもらった。一緒に映画を見て、確かに帰りに犀星の気分が悪くなって、喫茶店で休憩した。なるほど、と思ったが、それで腑に落ちたというわけではなかった。そんなことがあるなんて、夢にも思っていなかったのだ。自分が犀星にこんなに情熱的な詩を捧げられていたなんて、まさに青天の霹靂だった。

「混乱させてしまったかな。てっきり、もう伝わっているものと思っていたから。困らせたなら、本当にすまない。別に応えて欲しいと思っているわけではないんだ。だからこそ、今日まで直接君には何も言いはしなかった。もちろん、この思いが通じたらどんなにかうれしいだろうとは思うけれど、君が俺の思いに応えられないというのなら、それでいいんだ。気に病まないでくれ。本当にすまなかったね」

 犀星はいくぶん早口で、まくし立てた。

「突然邪魔して悪かったね。返事はくれなくていいから。……もちろん、もらえたらうれしいのはうれしいが、ともかく君が気に病む必要はないからね。忘れたかったら忘れてくれて構わない。それじゃあ、失礼するよ」

 犀星は立ち上がると、そそくさと織田の部屋を出て行った。

 

 織田はぼうっと、犀星が座っていた椅子を眺めていた。きわめて混乱していた。どうしたらいいのか分からなかった。たっぷりニ十分ほどそうやっていたが、やがて最初の目的を思い出した。

 そうや、わしはこの図書館を離れるんやった。

 それが一番いいことに思えた。しばらく、ここを物理的に離れるのだ。ここを離れれば、色々なことを落ち着いて考えられるはずだ。織田は財布を引っつかむと、太宰の部屋に向かった。もう、荷物なんて財布だけでいい。早く、一刻も早く、ここを離れなければ。


 
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