No.1070487

【web再録】おいしい紅茶の淹れ方

薄荷芋さん

G庵真、真吾くんの紅茶を淹れる練習に八神さんが付き合う話。
昨年10月のイベント合わせで頒布したネップリSSの再録です。8/27は執事真吾実装から1周年ということで。

2021-08-27 10:17:57 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:593   閲覧ユーザー数:590

店は定休日だからお客さんはいないし、おれだって制服も着ていない。だけどやっていることはバイト中と変わらないから変な感じがする。

厨房で沸いたお湯を温めたティーポットに注いでカバーを被せる。砂時計をひっくり返して、同じように温めたティーセット一式と一緒にをティーワゴンに載せてフロアへ運ぶ。さっきも言った通りお客さんはひとりもいない。いるのは、不機嫌な態度を隠さずに足を組んでテーブルで待つ八神さんだけだ。

緊張の面持ちで、いつもお客さんにしているのと同じように給仕をする。茶漉しで茶葉を掬いながら白いカップを満たして目の前に差し出すと、彼は何も言わずにカップを手にして一口含んだ。……そして、彼の眉間に、一気に皺が寄る。

「渋い、時間が経ち過ぎている」

「でもさっきはこれで」

「先刻使った茶葉とは大きさが違うんだ、細かいものはもっと短くていい」

テーブルに置かれた紅茶の缶を示してあーでもないこーでもないと言われるその一言一句を手帳にメモしながら、今日の特訓は無事に終わるのだろうかという不安に駆られてしまう。

 

……おれがテーブルに付いたお客さんから、紅茶の味が良くないと言われたのは昨日のことだ。茶葉の種類が変わっていることに気付かなかったおれのミスでもあるし、そもそもそういう事態にも対応できるように淹れ方をもう一度練習したほうがいいんじゃないかって紅丸さんから言われて、それで休日返上でお店にやってきた。

だけど肝心の紅丸さんもマネージャーさんも撮影の仕事で練習には付き合ってもらえず、草薙さんにも断られてしまって……そんなわけで今、目の前にはおれの淹れた紅茶にダメ出しをする八神さんがいるというわけだ。

ポットとカップを片付けて戻ってきたら、八神さんはいつの間にか売り物のクッキーを開けて食べている。そんなことしていいんですか、って聞いたら、賞味期限が近くて廃棄する予定のものだから構わないんだって言われた。

「貴様も食え」

「んぐっ!」

蛮行を見てぽかんと開けていた口に急にクッキーを詰め込まれたからびっくりしてしまった。もしかしておれのことクッキー泥棒の共犯にしようとしてるんじゃないかと訝る顔をしたら、八神さんは意にも介さず鼻で笑っている。何なんだよ、もう。怒っても仕方ないし倍になって返ってきそうだから、俺は黙って隣に座った。

しかし、八神さんも最初は嫌がってたらしいけど、やらせたら何でも出来ちゃうんだなこの人。少し羨ましいなって、ぼんやりその横顔を眺めて聞く。

「八神さんは、こういうのどこで覚えたんスか」

「ここに来てから覚えさせられた、好きで覚えたわけじゃない」

「すごいですねえ」

別に揶揄うとか嫌味だとかそういうんじゃなくて、本当にそう思う。草薙さんの敵じゃなかったらもっと尊敬も出来たかもしれないし、もっと素直に、目の前の横顔を格好いいって言えたのかもしれない。

すると彼はおれの視線がうざったいのかこちらに向き直って厳しい表情を見せる。

「呑気に言うのもいいが、覚えたのか」

「あっハイ、大丈夫ッス、メモもバッチリです!」

さっきびっしりと書き込んだ手帳のページを開いて見せたら、意外にも八神さんは素直に頷いてくれた。褒められてるんだろうか、いや、褒められるのはおいしい紅茶を淹れられるようになってからだ。

一休みしたらまたやる気が湧いてくる。さっきダメ出しされたことを繰り返さないように手帳を見て、閉じてポケットに仕舞って厨房に向かう。

彼の手が、俺の腕を掴む。何事かと思って振り返ったら、八神さんはまだ手帳に書いてないアドバイスをおれにくれた。

「淹れる時は、茶を飲む相手のことを考えてみろ」

「相手……ですか」

「主人に奉仕するのが執事とやらの務めなのだろう?主人の為に淹れるのだと思えばいい、駄犬に似合いだ」

最後の一言が余計だけど、言っていることはちゃんとしている。八神さん、執事って職業にちゃんと向き合ってるんだな。それならおれも向き合わないと。とりあえずは今、紅茶を淹れる相手の正面に向き直る。

「じゃあ、今は八神さんのことをご主人様だと思えばいいんでしょうか」

「そうは言わんが、まあ、貴様の好きにしろ」

好きにしろと厨房に送り出されたおれは、お湯を沸かしながら『好きに』することについて考えて、どうしたって浮かんでくる八神さんの横顔を振り切れないままでティーポットにそれを注ぎ込む。ふわふわ浮かぶ茶葉のように、自分の足元もふわふわしているみたいだ。まさか溢しちゃいけないと、さっきよりも慎重にワゴンを運んだ。

 

さっきと同じ動作で、だけど少しだけ違う気持ちでカップに注がれた紅茶に、八神さんが口を付ける。

「どう、ですか」

「……悪くない」

やった、小さく声が出てしまう。ちゃんと出来たことも嬉しいけれど、それよりも今は彼に褒められたってことのほうが、少しだけ嬉しい。

琥珀色の水面が彼の唇に触れるたびに、おれは得も言われぬ高揚感で胸の中が満ちていくのを感じて、手帳を持った掌に汗をかいてくる。八神さんのことを考えて淹れた紅茶を八神さんが飲んでいる、それだけのことなのにどうしてこんなにもドキドキするんだろう。

俯いていたら「どうした」と聞かれて、何も言えずにいると席を立った彼の掌が頭を撫でつけてくる。

「……褒美が欲しいのか、駄犬め」

言葉とは裏腹に彼の表情は何だか楽しそうで、また口にねじ込まれたクッキーは、さっきよりも甘かった。


 
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