No.1068039

愛しい人へ。-写真-

炎華さん

実際に体験したり、聞かせていただいた話を、物語風に書きました。
元はノンフィクションではありますが、全体的にはフィクションです。

2021-07-31 20:01:07 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:580   閲覧ユーザー数:580

つい最近拾ったばかりの黒猫が、

棚に置いてあった革の鞄を、床に落としてしまった。

飛び降りるときに、足にあたったのだろう。

その鞄は、滅多に使うことはなかったし、

無造作に乗せてあったので、

猫の足がちょっとあたっただけで、

落下してもしょうがない状態だった。

鞄の蓋がちゃんと閉まってなかったせいか、

真っ逆さまに落下して、

中身を盛大にばらまいてくれていた。

「あーあ。やってくれたなぁ。」

言ってはみたものの、別に腹がたったわけではない。

中身は、ちょっとした書類と、

入れっぱなしのボールペンやティッシュが出てきたくらいだった。

落とした本猫は、俺の顔色を伺いながら、

足下に近づいてきて、

「にゃーん。」

と、掠れた声で鳴いた。

 

 

黒猫は、街中でみつけた。

暗い路地の片隅に、闇に溶け込むように座っていた。

建物と建物の隙間から見える、切り取ったような狭くて真っ暗な夜空を、

ぼんやり見上げていた。

 

 

「怒ってないよ。大丈夫。」

そう言って、黒猫の頭を撫でてやると、

安心したようにその手に額と頬を擦りつけてくる。

しばらく撫でてやった後、中身を鞄に戻す作業に移った。

「何だ?これ。いつの書類だ?

・・・去年の冬のじゃん。」

今は、9月だから、半年前のやつだ。

入れっぱなしだった。

まぁ、いいか。

書類といっても、新しい商品の説明で。

もう、とっくに売り出されている物だ。

「捨てるか。」

ざっと目を通した結果、

「紙類は全部捨ててよし。」

破いて、丸めてゴミ箱へ放り投げる。

リサイクルって言うけど、

これだけをリサイクルにまわしたってなぁ。

ぶつぶつとエコではない言い訳を呟く。

「ティッシュとボールペンは、鞄の内ポケットへ・・」

鞄を拾い上げたとき、蓋に引っかかっていたのだろう、

少し厚めの白い紙がひらりと落ちた。

「あ。」

プリクラだった。

『彼女』と初めて撮った写真。

 

 

アルバイトの彼女は、明るくて、可愛くて、

職場の誰からも好かれた。

俺も彼女が好きだった。

彼女と過ごすうち、好きが大好きに変わった。

そのうち、彼女が誰かと仲良くしていると、

いらいらするようになった。

あっという間に、彼女のことが本当に好きになっていた。

だが、彼女には、もう決まった人がいて、

毎週末に、彼女の元に通ってくる。

それでもいいと思った。

彼女の傍にいられるなら。

彼女に触れられるなら。

彼女と二人きりで、いられるなら。

俺は、彼女に好きだと言った。

二番目でもいい、と、言った。

彼女は、少し迷ったが、俺を受け入れてくれた。

 

 

このプリクラは、その頃撮ったものだった。

俺は嬉しくて、有頂天で、

プリクラの数だけ、表情を変えた。

でも、彼女の表情は、全部同じだった。

口をきゅっと結んで、口角が少し上がってるかな、くらいで、

目は全然笑っていない。

ポーズは少しずつ違うが、表情は全部同じ。

その横で、俺だけがはしゃいで写っている。

これを全部もらっていいかと訊くと、

「いいよ。」

と彼女は応えた。

それはそうだろう。

こんなものを、自分の部屋に置いておくわけにはいかなかっただろう。

そのときは、そんなことは考えもしなかった。

ただただ、嬉しかった。

幸せだとさえ思った。

今になって改めて見ると、

「馬鹿だったな、俺は。」

ため息混じりに、その言葉を口にしたとき、

いつの間にか肩に乗っていた黒猫が、

俺の手からプリクラを叩き落とした。

「なにす」

なにするんだ!と言うつもりだった。

でも、言えなかった。

猫が見ていた。

悲しそうな目をして、俺を見ていた。

 

 

「いくとこ、ないのか?」

俺は黒猫に話しかけた。

野良猫に、人間の言葉が通じるとは思わなかったが、

黒猫が暗くて狭い空を、身じろぎもせずにみているので、

その様子が、あまりにも切なかったので、

俺は、黒猫に話しかけた。

黒猫は、ちらっと俺を見たが、また空に視線を戻した。

「誰か、待ってるのか?」

その言葉に、黒猫は、

ゆっくり目を閉じて、再び開けると、視線を落とした。

「にゃぁ。」

小さく鳴くと、ゆっくり立ち上がり、

俺の横をすり抜けて、ネオン輝く大通りへ出て行った。

 

 

あのときの目と同じだった。

消え入りそうに、「にゃぁ」と鳴いたときと。

「同情してくれるのか。」

黒猫はまだ同じ目で俺を見ている。

「俺は、勘違いしてたんだ。

いつか、俺が彼女の一番になれるって。」

 

 

俺は彼女とできる限り一緒にいた。

彼女の学校が終わる時間に、車で迎えに行ったり、

二人きりで遠くにドライブに行ったり、

彼女の実家や俺の実家に行ったりもした。

俺は彼女の写真を沢山撮った。

彼女は、笑ったり、いたずらっ子のように舌を出して見せたり、

うっとりとした目線をカメラに送ったりした。

あのプリクラのときのような無表情ではなくなっていた。

だから、俺は思い込んだんだ。

「彼女は、彼氏じゃなく、俺を選んでくれるって。」

でも、週末には必ず彼氏が来る。

職場に、彼女を迎えに来る。

今日こそは、俺と一緒に週末を過ごしてくれるに違いない。

今日こそは、俺を待っててくれるに違いない。

そんな希望は毎週木っ端微塵に打ち砕かれた。

彼が来て、彼女は帰る。

彼を迎える彼女の嬉しそうな顔。

蕩けるようだ。

二人で手を繋いで、笑い合いながら出て行って、

彼の車に乗り込むときの笑顔。

あの目つき。

俺は嫉妬した。

嫉妬したなんて、簡単なもんじゃない。

腹の底から湧き出てくる、煮えくり返るような怒り。

「なんで俺じゃないんだ!」

声の限り叫んで、あらゆるものをぶち壊したい衝動。

つらい!苦しい!

あのときは、二番目でもいいと思った。

でも、今は!

なんで、俺を選んでくれないんだ!

 

「もう、俺の前に二度と現れるな!」

俺は、怒鳴るように言った。

憎しみの全てをぶつけるように、彼女に言った。

彼女は何も言わなかった。

ただ、俺を見ただけだった。

 

 

否定も肯定もされない。

いても、いなくても、かまわない。

俺は、彼女にとって、それだけの存在だった。

「あのときの表情は、

プリクラと同じだったな。

やっぱり、馬鹿だ、俺は。」

黒猫が頬に額を寄せてきた。

いつの間にか、頬を涙が伝っていた。

こんこんと、俺の頬にそっと額をぶつける。

「なぐさめてくれるのか。」

掠れた声で言いながら黒猫の頭を撫でる。

「にゃぁ。」

黒猫も掠れた声で鳴く。

「大丈夫。今はお前がいるから。」

俺は、黒猫を肩から下ろし、腕に抱き直した。

プリクラは、裏返しに落ちて、

絨毯のグレーを、そこだけ白く切り取ったようになっていた。

 

 

 


 
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