嫌なことは数えても減らない。それが寝しなの布団の中ならなおさら。布団の中ってのは、嫌な考えがループする絶好の場なのだ。
しかも、初めての一人暮らしの夜である。
まだ開ききれていない引っ越しの段ボールと、揃っていない家具。電源を入れたばかりの冷蔵庫の音が妙に耳障りで、馴染みのない天井が視界に迫ってきて。
心がほぐれない。眠れない。
そもそも、喧嘩をして独り暮らしを決めたのだ。
母と喧嘩をした。じゃあ一人で暮らせばいいじゃないと言われ、怒りに任せて部屋を借りたのだ。
あれからまともに口をきいていない。
喧嘩の理由はあまり覚えていない。たぶん、日常のつまらない何かだ。
明日の出勤用の服はどの段ボールだったかわからない。自分だけで朝起きられるかもわからない。
料理なんか半端にしかできない。
嫌なことは数えても減らない。
今まで何とも思わず、当然のようにしてもらったことの全部が、嫌なことになってしまう。
一人じゃできないくせに、できている振りして独りよがりで。アレが出来ない、嫌だ。これもしたことない、嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
なによりも。なによりも、寂しかった。
一人が寂しい。
なにが、一人で大丈夫、なんだ。
なんで、一人の方が気楽でいい、なんだ。
自信満々に大声で宣言して。嫌だ。
明日から一人でしなくちゃいけないことを数えると、どんどん増えていって。数えても減らない。
涙が出てきた。
時間を見ると、もう十二時を回っている。
寂しい。眠れない。
寂しいのも嫌だ。眠れないのも嫌だ。
震えるように、携帯電話を取る。
少し迷って。きっと寝ているからいいよねと、母にかけた。
母は起きていた。
「どうしたの」
聞いてくる。
「別になんでもないけど」
「あっそ。何でもないなら、よかったね」
つんけんしてしまう。お互いに、だ。
「母さん、寝てた?」
「まあ、ね」
ぐすりと、鼻をすする音がした。
「風邪?」
「違う。寒いんだよね、家の中が」
そんな季節だろうか。
「あんたがいないと、室温上がらないじゃない。だから寒いのよ」
一人暮らしの部屋の中を見回す。薄暗い部屋。
「そうだね、確かに一人だと、なんか寒いね」
「でしょ。あんたも鼻声じゃない、あったかくして寝なさい」
「うん」
「最初は慣れないだろうけど、そんなもんだから。母さんも昔、色々やらかしたから。困ったら電話でききなさい」
「うん……」
「明日も早いんでしょ。お休み」
お休みなさいと、返して。通話は切れる。
布団にもぐり直した。
嫌なことは数えても減らない。だから、数えながら全部をひっくり返してみた。
嫌なことはひっくり返せばいい。今まで当然のようにしてもらって、自分ではできなかったことが沢山ある。
当然のようにしてもらえていた、優しさを数えて。きっとできるようになる、自分を数えて。
寂しいのは、今まで寂しくなかったから。寂しいのは、私が母さんを好きだから。
眠れないのが嫌なのは、家ではぐっすり眠れていたから。眠れないのは今夜から、ついに一人で頑張る決心をしたから。
嫌なことはひっくり返すと二倍になって、全然減らない。
もっと嫌なことを探そう。全部、丁寧にひっくりかえしてやろう。
楽しくてやめられなくて。
嫌なことを沢山数えて、満足して。
とうとう嫌な事が思いつかないくらいに、疲れて。
そしてゆっくりと。
眠りにつく。
おわり
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