目の前には美しい世界が広がっていた。
果てることなくどこまでも続く地平線、そこに夕焼けが沈んでいく。
本当なら様々な色を持つそれぞれが例外なく一色に染まる。
森も、荒野も、町も、空の青さえも。赤橙に染まっていく。
生き生きとした声が聞こえてくる町も今はどこか物静かで。
昼と夜の境目はどこか寂しげな、しかし柔らかな世界へと姿を変えた。
綺麗だ、と思った。
自分が華林たちと守ろうとしたもの、守ってきたものがそこにはあって。
少し冷たくなった風が木々を揺らしながら通り抜けていく。
城壁の上、風を受けながら改めて、感じた。
もうすぐ俺はこの全てを置いて、消えていかなければならないのだと。
この風景を目にすることがもう多くはないことを思うと、少しこの光景から離れづらかった俺は、その欲求に逆らうことなくその場で夕日が沈んでいく様子を眺め続けた。
夕焼けを見ていると悲しくなるとよくいうが今の俺には逆に感じられた。
その光は優しくて、すこし穏やかになれる気がした。
「そんな所にいると風邪をひくわよ」
ふいに聞こえた声に少し驚きながら俺は振り返った。
誰もいないと思っている所にいきなり声をかけられるのは心臓に悪い。
振り返ると朱色の地面に落ちた自身の影が長く長く伸びていて、その先には夕日に照らされた華琳の姿が見えた。
少し離れたところから少しずつ歩み寄ってくるその光景に既視感を覚え、思い浮かんだのは凪だった。
ああ、そうだった。
あの時のあの子は何かを察してしまっていたのか不安そうにしていた、まるで捨てられた子供のように。
その姿を可愛いと思ったのはすこし不謹慎なのかもしれない。
そんな事を考えていたら華琳はもうすぐ隣に来ていた。
「何にやけているのよ」
……顔に出てしまっていたらしい。
個人的な事、と誤魔化しになっていない言葉で誤魔化そうとすると華琳はすこし面白くなさそうに鼻で笑った。
「大方女のことでも考えていたのでしょう」
「……なんでわかったんだ」
「あなたは四六時中そんなことばかりじゃない」
呆れたように断言する華琳にやりきれないものを感じたが、反論できる要素はなにも持っていない自分が少し哀しかった。
結局沈黙するしかない俺を見かねたのか溜息を一つついた後に言葉を続けた。
「ここ最近は特に、ね」
そうか。
華琳はその話をしに来たのだと表情をみて理解した。
それは皮肉で言っているのではないというのは分かっていた。
華琳のことだから俺の考えなんて察しはついているだろうから確認に来たのか。
華琳にだけ伝えてあるから。
これからきっと俺の身に起こること。
西からさす光は華林さえも赤く染めて、その凛とした顔がひどく綺麗にみえた。
「ああ。なんていえばいいのか分からないけど」
きっともうすぐ終わりだから。
華琳にだけは伝えた、きっと覚める夢の終焉。
他のみんなには伝えずにいると誓った。
誰かには気付かれてしまったかも知れないけど。
「少しでも、みんなと一緒にいようと思って」
忘れたくないから。どんなささいなことでも覚えておきたい。
残った時間があとどれだけあるのかは分からないけど、それをみんなと過ごすために使いたい。
まるで死んでしまうみたいだと我ながら思い、大げさに感じたがけれど俺にとってはそれほど大事なことだというのには間違いなかった。
俺の言葉を聞いた華琳は本当はそれをわかっていたようで特に表情を変えることもなかった。
「わかっているわ。あなたが考えていることなんて」
「そっか」
それは悪くないな、と冗談めかして返すと華琳は「馬鹿」と呆れたようにこぼした。
そうすると彼女はゆっくりとこちらを向き、ただまっすぐに目を見つめてきた。
前だけを見据え続ける意志を伴った瞳、その華琳らしい強い瞳が大好きだった。
しかしその華琳の意志をもった強い瞳はらしくなく、今はどこか揺れているように見えた。
「言わないつもりなの?」
なにを、とは言わなかった。
けれど、彼女の言葉が意味しているのかはすぐにわかった。
その声色に非難が込められてはいなかったのは俺の問題には口を出さないという意志の表れなのだろうか。
「ああ。だから華琳も言わないでおいてくれ」
もうすぐ最後の戦いが始まる。
戦いに勝てば俺がきっといなくなるという事を知ってしまったら戦いに影響してしまうかもしれない。
みんなは俺を好きでいてくれる。うぬぼれでも何でもなくそう思える。
だから伝えるわけにはいかなかった。
自分に言い聞かせるようにそう繰り返していた。
本当は、ただ引き止められるのが辛いだけなのに。
最後にみるのが彼女たちの泣き顔だなんて俺には耐えられそうになかったから。
自分さえ騙し切れていない言い訳が馬鹿馬鹿しいと苦笑をもらしながら目を向けると、さっきより弱まっていく西日に気がつく。
少しずつ沈んでいく夕日はその強い色を保ってはいなかった。
「ええ」
華林はそれだけしか言わなかった。
それでも顔を見られるのを避けるように西日に目を向け、静かに答えた。
逆光で見えにくくなった華琳の背中は、どこか小さく映った。
今にも折れてしまいそうなほどか弱く、こんなにも華奢で。
「言わないわよ、誰にも」
その声はいつもの覇気に満ち溢れたものとは違う、年相応な少女のそれに思えて仕方なかった。
華林は弱さを誰にも見せようとしない。
そうすることは思った以上につらいことなのだと今回の事で初めて理解した。
みんなの前では最後まで笑っていようと決めていたのに泣いてしまいそうになったことが何度もあった。
みんなには悟られるわけにはいかないのに。
華琳はずっとそれを続けてきたんだ、こんなにも華奢な体で、誰にも頼らず。
ああ、俺はこんな少女の事さえ置いていかなきゃならないんだ。
知らずに伸ばしていた手はそれでも華林を抱きしめようとしていて、華琳はそれに抵抗することなく当たり前のように腕の中におさまった。
腕の中のその温もりを確かめると同時に、宵の帳が落ちていくにつれてだんだんと空気が冷たくなっていくのを感じた。
いつのまにか全てを包んでいた赤燈は退いていて、遠くの空のみを赤く光らせながら頼りなく揺れているだけだった。
それでも、暗くなっていく世界の中でその色はより鮮やかに見えた。
華琳はそれ以上なにも聞きはしなかった。腕のなかでただじっとしている。
だんだんと寒くなっていく空気から逃れるように抱きしめた腕に力を込める。
華琳は後ろから抱き締められたまま小さく、呟いた。
「綺麗ね」
こんな時にも華琳は強がるばかりだ。
綺麗だと思っているのは確かだろうけどもっと別の事を言いたいんじゃないのか。
小さなその声が愛しくて、何かをこらえているようなその声が哀しくて
いっその事泣いてくれればいい、と無責任にも思ってしまった。
結局のところ俺には傍にいてあげることもできないのに。
俺がいなくなった後、華琳は誰の前なら弱いままでいられるのだろう。
華琳には誰よりも幸せになってほしいと、そう思った。
いろいろな感情が溢れそうになって俺の方が泣いてしまいそうになった。
「……俺も、そう思うよ」
幸せになってほしい、たくさんの苦痛に耐えてきた分だけ。
俺は、そばにいられないけど。
祈るから
「なぁ、華琳」
「なに?」
せめて、今だけはそばに居させてほしい。消えてしまう、その瞬間までは。
誰よりも近いこの場所で。
「いや、なんでもない」
そう、とうなづくと華琳はそれ以上追及しなかった。
何も言わず、ただ二人で寄り添いながら空を見ていた。遠くに見える赤色が少しずつ消えていくのを眺め続けた。
それだけでよかった。
それ以上の何も求めてはいなかった。
欲しいものはすでに揃っていて、この時間だけが全てだった。
夕日が見えなくなってしまったのにも気づかないふりをして、いつまでもこのままでいたいと、ただただ愚かにも望んでいた。
それでも、遠くに揺れる赤はそんな願い一つ顧みることもない。
当たり前のように少しずつ、けれど決して止まることなく沈みいき、
やがて、夜が訪れた。
願ってみせるよ。
例えば華林やみんながまたいつか別の誰かを愛するなんてことを今はまだ悲しいって、嫌だなんて思ってしまうけれど。
それでももし君たちがそうすることで幸せになれるというのなら。
そう願ってみせるから。
今はまだ無理だけど、きっと消えるその時までには心の底から、偽りのない気持ちで君たちがそうなることを良かったと思えるようになってみせるから。
だから幸せになってほしい。華琳にも、みんなにも。
俺にはそう願うことしかできない。
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最近ここが過疎り気味っぽいので某所に投稿したものを加筆修正で投稿。
凪に関するくだりは他のに絡めちゃってるのでスルーしてください。