No.105118

現代恋姫演義 一刀のお姉ちゃんズは 魏の三羽烏 ~炎の文化祭編~ 前編

藤林 雅さん

北郷一刀のお姉ちゃんは、なんと魏の三羽烏!
そこから織り成す現代恋姫演義の物語
藤林 雅のIQ78で構成されたとんでも外史が今、始まります

2009-11-04 00:47:52 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:18565   閲覧ユーザー数:13019

 夕暮れが朱に染まった公園で、同じ幼稚園で仲の良かった三人姉妹といっぱい遊んで少年は、別れる。

 

 少年より一つ年上の姉的存在は、公園の中で手を振っている少年に対して、笑顔で何度も振り返り、手を一生懸命に振ってくれていた。

 

 真ん中で、少年と同い年の長い黒髪が艶やかな少女が、そんな姉を窘めながらも、年に似合わない凛とした表情に少し微笑みを浮かべながらも、姉と同じように手を振ってくれている。

 

 少年より一つ年下の少女は、まだ、遊び足りないのか不満そうにしているが、真ん中の姉に注意しながらもそれを受け入れ、姉達と帰路に着く。向日葵のような笑顔を兄と慕う少年に振りまきながら。

 

 そして、ひとり公園に取り残された少年は、陽がおちるのをブランコに座りながらただ、眺め続けていた。

 

 ――環境の変化。

 

 少年は親の都合で、生まれた時から過ごした浅草から離れて、親戚の家に預けられて生活するようになり、通う幼稚園も変わった。

 

 幼なじみで仲の良かった少女達とも会えなくなり引っ越ししてまだ、日が浅く知らない同年代の子供達の中に上手くとけこめない少年は、今日が休日だという事を利用して半ば家出のように、新居から抜けだしのである。

 

 ある程度成長した十代の学生や大人なら気軽に行けるが、少年にとってそれは大冒険であった。公共の乗り物も使わず、ただ、ひたすら歩いて故郷の浅草へと向かった。

 

 二時間以上をかけて、お昼過ぎに幼なじみの実家である中華料理店に辿り着いた時、再会した三人の女の子は驚いていたが、すぐに笑顔に変わってみんなで共に楽しく遊ぶ事が出来た。

 

 だが、少年は今こうして夕陽を見ながらブランコに座って溜め息を吐く。

 

 帰り道がわからない訳ではない。

 

 家に帰るのが怖いのだ。

 

 両親ではなく、他人が住む家。

 

 幼ない少年にもそれが異質である事が判っていた。

 

 だから彼は以前のようにただ、戻りたかったのである。

 

 けれど、浅草にあった自分の家にはもう誰もいない。

 

 結局は、自分の環境を受け入れるしかないのだが、幼い少年にはそれが理解出来ず、ただ寂しかったのである。

 

「かずとっっ!」

 

 黄昏れている少年の背に怒気を含んだ声が掛けられた。

 

 『かずと』と呼ばれた少年は、ビクッと身体を振るわせ、おそるおそると状況を窺うようにゆっくりと後ろを振り向く。

 

 そこには一刀と同年代と見受けられる三人の少女が立っていた。

 

 真ん中に立っている後ろ髪をおさげにした銀髪の少女が腕を組み、褐色の頬を真っ赤にさせ、一刀を睨みつけている。

 

横に控えていた紫の髪を両方にそれぞれに分けてショートに髪を纏めている女の子が「まあ、落ち着きや」と言って、怒っている少女を笑顔で宥めていた。

 

 そして、最後の一人は、オレンジ色の髪を片側でエビの尻尾のように括っている少女で、鼻の頭にあるソバカスがとても特徴的な女の子が少年ととなりにいる少女達を交互に見ながらオロオロとしていた。つけているメガネの奥にある瞳からは今にも涙が溢れそうであった。

 

 少年の目の前にいる三人は『姉』であった。正確には、預けられた家に住んでいる子供達である。

 

 彼女達は突然、弟が増えた事に驚きはしたが、少年と仲良くなりたいとは思っていた。

 

 だが、肝心の少年が気落ちしているので、中々、機会が掴めなかったのである。

 

 そして、今日、弟となった少年が半ば家出したように外へと飛び出した。

 

 幸い、少年の幼なじみ達の母親が連絡を入れてくれたことにより、居場所は掴めた。

 

 そこで少年を迎えに行こうとした少女達の母を止め、自分達が迎えに来たのである。 

 

 銀髪の少女は制止しようとする姉妹を押しのけて、ブランコに乗っている一刀の前に仁王立ちで立つ。

 

 そして、一刀が何かを考える間も与えず、彼の頬を思い切り叩いたのである。

 

 パァンという甲高い音が夕焼けに染まる公園の中で鳴り響く。

 

「凪!」

 

「凪ちゃん!」

 

 銀髪の少女を非難する声が続いたが、彼女はそれに動じる事もなく、目の前にいる少年をキッと睨む。

 

「――どうして、こんな勝手な事をしたの」

 

 少女の声が少年の耳に痛く響く。

 

「なんで、みんなに心配をかけるの」

 

 その言葉に少年は、ブランコから降りて、顔を上げる。その瞳に反抗的な意志を含みながら。

 

「……だれもボクの事なんか心配してないもん!」

 

 拳を握りしめて、少年は心の内に秘めた言葉を吐いた。

 

 家に来てから、少女達と距離を取り、物静かだった少年からその姿は想像できずに少女達は驚きの表情を浮かべていた。

 

 が、目の前にいる少女は、それがトサカにきたようで眼差しがより、鋭くなる。

 

「……心配ならしているよ! 私も真桜も沙和も! ここにいないとーさんやかーさんも! それに海外に行ってお仕事しているおじさんもおばさんもかずとの事を心配しているよ! ――何で、それがわからないの!」

 

 銀髪の少女は激昂し、少年に自分の思いの丈をぶつける。

 

 今度は、少年が驚いていた。

 

「……かずとにとって、いらないおっせかいかもしれない。けど、少なくとも私にとってお前は大事な『弟』だ!」

 

 少女は真っ直ぐに自分の想いを少年に伝えた。

 

「まあ『私』だけじゃ、あらへんのやけどな。ウチも凪と同じでカズのお姉ちゃんさかい」

 

「沙和もそうなの! カズ君のお姉ちゃんなの! とっても心配したんだよ」

 

 少女達の真摯な言葉が頑な幼い少年に溶け込む。

 

「――ごめんなさい」

 

 身を震わせて双眸から大粒の涙をぽろぽろと流し、少年は少女達に謝罪の言葉を述べた。

 

「ごめんなさい……『お姉ちゃん』」

 

 少年の言葉に三人は顔を見合わせてそれぞれ喜びの笑顔を浮かべた。

 

「ん。かずと――もう泣かないで。わかったから」

 

 銀髪の少女は『弟』となった少年の涙を指で優しく拭ってやる。

 

「おかーさんもカズ君の帰りを晩ご飯作ってまってるのー」

 

「せやな。帰るでカズ」

 

 紫髪の少女が少年の手を取りそのまま歩き出す。

 

 突然、手を握られた事に少年は涙を目の端に浮かべたまま吃驚した表情を浮かべていた。

 

「こわーい凪お姉ちゃんより、優しい真桜姉ちゃんのほうがええやろ?」

 

 紫髪の少女はそう言って、呆気にとられている銀髪の少女に向かって意地の悪い笑顔を向ける。

 

「あー真桜ちゃんってばずるいの! 沙和もカズ君と仲良く手を繋ぎたいの!」

 

 オレンジ髪のソバカス少女が、紫髪の少女を非難しながら追いかけて、少年の空いているもう片方の手をがっちりと握った。

 

「カズ君。お家に帰ったら沙和と一緒に遊ぼうね」

 

「それこそ抜け駆けやんか沙和。ズルイで!」

 

「……」

 

 自分を挟んで騒ぐ二人の少女に戸惑う少年。

 

「――って! 二人とも! 待て! 私だってかずとと仲良くなりたいのに!」

 

 我にかえった銀髪の少女が先に行く三人の後を追いかける。

 

 少年はこの時はじめて少女を自分の『姉』だと認識した。

 

 それは、今から十年程前の出来事であった――

 

 

 

 聖(セイント)フランチェスカ学園に通う一介の少年北郷一刀。

 

 学業の成績はそこそこで、部活は剣道部に所属している普通の学生だ。

 

 そんな彼には、自慢の姉が三人いる。

 

 この物語は、そんな北郷一刀の『可能性』から出来た『外史』の一幕である――

 

 

 

 歴史を感じさせるレンガ造りの聖フランチェスカ学園の校舎の全域に、本日最後のチャイムが響き渡る。

 

「ふぅ」

 

 先程まで行われていた授業の教科書を揃え、通学鞄にしまう少年――北郷一刀は、緊張感を解いた溜め息を吐いた。

 

「む? 一刀。もしかしてお前、少し疲れているのか?」

 

 そんな、彼に声を掛けたのは、一刀と同じ聖フランチェスカ学園の制服を身に着けた赤髪の少年華佗であった。

 

 彼は腕を組みながら、一刀の顔色を覗き込む。

 

「――ほれ、舌を出してみろ」

 

「ん」

 

 華佗の言葉に一刀は素直に従い、んべっと舌を出した。

 

 二人のやりとりは、他から見ればおかしいものに見える事は間違いないが、当の本人達はそんなそぶりを見せない。

 

 要は、日常茶飯事なのである。

 

 一刀と華佗は、別にふざけているのではない。

 

 家庭の事情で今も親戚の家に預けられている一刀は、そこで華佗と親しくなり所謂、腐れ縁。要は、幼なじみの関係で、華佗の祖父が東洋医学の権威である事から、彼はその方面に詳しい。

 

 将来は、西洋医学と東洋医学を併せた医者になる事が、華佗の夢でもある。

 

 話が少しそれたが、一刀はそこらへんの医者より、華佗や彼の祖父がやってくれる診察の方に信頼を置いているので、自然に振る舞っているのだ。

 

 イケメンと言っても差し支えのない男二人のそんなやりとりは、共学化をしたとは言え、未だにお嬢様の名門と名高い聖フランチェスカ学園の女子生徒達には刺激が強すぎる。

 

 遠巻きに「きゃー」とか「――禁断の恋ですわ」あるいは「どっちが攻め?」などと言った淑女達らしからぬ言葉を含んだざわめきが起こっていた。

 

「ふむ。表立った気や血の乱れはないが……少しばかり、疲労が溜まっているな」

 

「そうなのか?」

 

 一刀の問に華佗は頷き、制服の上着の内ポケットから三角形に折った紙包みを出す。

 

「この生薬を夕食後に飲むといい。よく眠れる筈だ」

 

「わかった。ありがたく――「ふん! 気が弛んでいる証拠だな」――何かようか? 左慈」

 

 華佗から薬を受け取り、一刀が礼を述べている所を遮る声が響く。

 

 眉を顰めた一刀が声のした方を振り向くと、声に出した名前の少年が腰を手に当てながら立っていた。

 

「何かようかとはご挨拶だな北郷」

 

 そっけない一刀の言葉に左慈が噛み付く。

 

「そやでー 憎まれ口をたたいとるけど、ほんまはかずピーの事が心配なんやで」

 

「ふふふ、美しき友情ですね」

 

 一刀の悪友である及川と左慈の自称『真友』である干吉のメガネコンビが唐突に現れ、左慈を真ん中にしてガッチリ友情のスクラム。

 

 左慈と二人の距離はゼロである。

 

「離れろ生物(ナマモノ)共!」

 

 容赦なく交互に腰の入ったいい顔面ストレート放つ左慈。

 

「へぶぅ!」

 

「愛が痛いっ!」

 

 メガネを潰されながら変態眼鏡コンビは教室の床へと沈む。

 

「――ふむ。気付け薬が必要になるか?」

 

 華佗はそう言って落ち着いた様子で自分の鞄を漁りだした。

 

 マイペースな幼なじみに少し呆気にとられながらも、一刀は肩で息をしている左慈に向き直る。

 

「授業が終わってすぐに俺を訪ねて来ると言う事は、何かあったのか」

 

「フン! 大した用事では無い。同じクラスの『生徒会長様』に、お前が生徒会室へ来るようにと言伝を頼まれたからだ」

 

「そっか、悪い。ありがとな左慈」

 

 一刀は左慈に言葉と笑顔で感謝の意を示した。

 

「お、おぅ!」

 

 照れ隠しに左慈は一刀から視線を逸らす。

 

「ツンデレやなぁ」

 

「ですねぇ」

 

 そんな左慈にいつの間にか復活した変態ズがニヤニヤとした表情で語りかける。

 

「お前等は、いっぺん死んでこい!」

 

 今度は意識を刈り取らんばかりに、側頭部に蹴りを見舞う左慈。テコンドー部のエースの名は伊達じゃなく、疾風の如く二人を再び沈めるのであった。

 

「む? 止血も必要になったか?」

 

 相も変わらずマイペースな華佗。目の前で繰り広げられる喜劇に一刀は、どうしたもんだかと頭を少し悩ませる。

 

 ――己が原因の一端である事に気付いていなかった。

 

 

「さて、ここまで来たのはいいのだがどうしたもんだか……」

 

 一刀は、華佗や左慈と別れた後、言伝通りに生徒会室の前に足をむけていた。

 

 部屋の入り口上部に掲げられた生徒会室のプレートを見上げながら、少し悩む。

 

 実は、この中にいるであろう生徒会長の女性を一刀は苦手としていた。

 

 いや、別に嫌いではない。学年一優秀で、文武両道に秀でた彼女の存在は同学年の誇りでもある。だが、何故か顔を合わせる度に自分へ突っ掛かってくるのだ。

 

 しかも相手の方が一歩どころかはるかに上手なので、一刀はいつもやりこめられているのである。

 

 しかし、彼女は一刀が所属している剣道部が使用している道場の補修など何かと面倒を見て貰っているのも事実で、部活の先輩達からも『生徒会長の機嫌を損ねないように』と念押しされている。

 

 何故、自分がそのような事を言われるか、疑問に思い、剣道部の隣で練習していた薙刀部所属の華佗とは違った同い年である幼なじみに相談を持ちかけたら――綺麗な長い黒髪を靡かせながら彼女の手にしていた薙刀でしばかれたのは一刀の記憶に少しトラウマになっていた。

 

 そんな事を思いだし、身震いしながらも一刀は意を決して生徒会室の扉をノックした。

 

「入りなさいな」

 

 凛とし、耳に響く女性の声に一刀は思わず背筋を伸ばす。

 

「失礼します」

 

 一刀が部屋に入ると、視線が一斉に自分に集まるのを感じた。

 

「遅い。授業が終わって何分経っていると思っているのよ」

 

 部屋の中央奥に鎮座し、生徒会長だけが座れる革製の椅子に腰掛けた金髪の少女にいきなり非難される一刀。

 

「そんなに時間は掛かってないと思うんだが……」

 

「私が来いと言ったら、すぐ来るのが礼儀でしょ?」

 

 女性としても小柄な方であるが、見目麗しさと、堂の入った態度は、生徒会の会長と言うには小さすぎる風格を持ち合わせている少女華琳は、少し不機嫌そうな顔を浮かべながら反論する一刀の言葉を一蹴する。

 

「はいはい。俺がわるぅーございました」

 

 一刀は、両手をあげて降参の意を示す。

 

 華琳と言い合いをした所で、無駄である事を身を持って知っている一刀は、せめて投げやり気味な態度を取る事で、意を示すのであった。

 

「あなたを呼んだのは、これを手伝って欲しくて」

 

 そんな一刀の心中を察しているのか、華琳は、どこかしら可笑しそうな表情を浮かべつつ、机の上にプリントを数枚置く。

 

 一刀がプリントを手に取ると同時に華琳は話を続ける。

 

「文化祭で行う予定の生徒会主催イベントよ」

 

 プリントの内容には『聖フランチェスカ学園主催 文化祭 ~プリンセスコンテスト~』の文字がタイトルにあった。

 

「……コンテストの設営の手伝いでもすればいいのか?」

 

 一刀はプリントを見て、自分の考えついた事を口に出す。

 

 だが、一刀の言葉をヤレヤレと言った風な表情で華琳は首を横に振った。

 

「違うわよ。そんなのは手が足りなければ強制的にやらせるわ」

 

 一刀の人権を無視した発言を当たり前のように述べるS属性の会長。

 

「コンテストの応募をしたものの思ったより、『私好みの美女』が集まらなくて困っているのよ――当日はこの学園に遊びに来てくれる一般参加者からも応募を募るから、主催側がそちらに見劣りするのは良くないでしょ」

 

 華琳の言葉に一刀は、前半の部分を聞かなかった事にして、なるほど一理あるなと関心したように頷いた。

 

「そこで、あなたの知り合いにも声をかけて欲しいのよ……そうね。具体的には薙刀部にいる貴方の幼なじみの愛紗とか愛紗とか愛紗がいいわね」

 

 自分の欲望にストレートな生徒会長の言葉に一刀は頭痛を覚えた。

 

 この生徒会長は、女性でありながら女性好きである事は、生徒のみならず教員まで周知の事実である。

 

 本人曰く、「美しいものを愛でるのに性別など関係あるのかしら?」との事。

 

 浅草に住んでいた頃からの一刀の幼なじみである劉三姉妹の真ん中である愛紗に華琳はご執心であった。

 

 それ故に自分が色々と目の敵にされているのでは? と一刀は思い悩んでいるのである。

 

「……まあ、愛紗に限らず、私の目に叶う女の子達を五人くらい連れてきてくれたら――ご褒美としてこ、今度の休日に、あ、あなたに付き合ってあげてもいいわよ?」

 

 そんな彼を余所に恥ずかしそうに、華琳は上擦る声で言葉を投げかけた。

 

 実のところ生徒会長は一刀にもご執心なのである。

 

「――か、華琳さま。北郷は、もう部屋から出て行かれましたよ?」

 

 いつの間にか目の前から忽然と姿を消していた一刀。

 

 華琳の一人演技となったソレを今まで黙って二人のやり取りを見守っていた生徒会の会計役である稟がおそるおそると言った感じで声を掛けたのである。

 

「残念でしたねー華琳さま。北郷先輩をでーとにさそえなくて」

 

「何ぃ! 今の話、姐さん! ほんまか!」

 

 同じく生徒会書記である少女風がペロペロキャンディを舐めながら一言。その言葉を聞いた彼女の頭の上に乗っているオブジェ? 宝ケイも騒ぎ始めるのであった。

 

 ガン!

 

 拳で机を叩き付ける音が生徒会室の中に響く。

 

「……覚えてなさい一刀。 私に恥をかかせた事、後悔させてやるんだから」

 

 俯いた華琳の表情を確認する事は出来ない。ただ、彼女の周りに発生した負のオーラはただ事じゃなかった。

 

 そんな彼女を見ながら、稟は一刀の冥福を祈り、風は「ヤレヤレです」と呟くのであった。

 

 余談だが、一刀を生徒会室から追い出したのは、華琳と彼のやり取りを窓のカーテンに半ば体を隠し、ハンカチを千切れんばかりに噛んで悔しがっていた桂花だったりする。

 

 彼女は、追い出した一刀に「二度と華琳様に近づくんじゃないわよ! この変態犬!」と罵っていた。

 

 後日、それを知った華琳にオシオキされるのは言うまでもない。――何故か、本人は恍惚の表情を浮かべていたが。 

 

 

 

「――なるほど。話はわかった。生徒会長殿直々の命であるなら、いたしかたなかろう」

 

 所変わって、学園の敷地内にある道場。

 

 一刀はまずそこへと赴き、剣道部の先輩である不動如耶(ふゆるぎ きさや)に事の経緯を話し、本日の放課後の稽古を休む事を告げていた。

 

「ありがとうございます先輩。――ああ、よろしければ、先輩もコンテストに参加してみます?」

 

 一刀は、ふと思い付いた提案を如耶に持ちかけた。

 

 言われた本人は、少し驚いた表情を浮かべていたがフッと微笑し、首を横に振る。

 

「私では役者不足でござろう」

 

 如耶は、そう言って提案を断った。

 

 一刀はダメもとであったが、断られた事を少し残念に思いながら苦笑いを浮かべていた。

 

「だが、よいのか? 私などにそのような事を言って?」

 

「はい?」

 

 如耶の言葉に一刀は首を傾げる。そんな後輩に彼女は後ろを見ろと顎の動きで示した。

 

 一刀が後ろを振り向くと、視線の先に黒髪の幼なじみがいた。

 

 愛紗は剣道部ではなく薙刀部の部員だが、そちらの稽古に参加せず、腰に手を当てながら冷たい視線を一刀に送って来ていたのである。

 

「……先輩。どうしましょうか?」

 

「さあな。それは北郷、君が考える事だ――さて、話も終わったし、私は稽古に戻らせてもらうでござる」

 

 笑顔を浮かべながら、巻き込まれないようにその場を後にする如耶であった。

 

 一刀はガックリと首を項垂れ、しかし、ずっとそうしている訳にもいかず、不機嫌そうな表情をこちらに向け続けている幼なじみの許へと赴くのであった。

 

 まるで死刑囚のような足取りで――

 

「や、やあ愛紗」

 

 一刀は稽古着を身に着けて、刃の無い薙刀を持った幼なじみの御機嫌を伺うように声を掛けた。既に彼の背中は冷や汗を感じている。

 

 だが、肝心の幼なじみ殿は御機嫌が悪いようで何も言わずにプイッと一刀からそっぽを向く。

 

 そんな、ふて腐れている彼女を少し可愛らしいと思いつつも、一刀はどうしたもんだかと思案を巡らせていた。

 

 生徒会長である華琳の要望にコンテストの愛紗参加は必要不可欠である。

 

 彼女を説得できなかった場合、一刀は華琳に何をされるか考えるだけで恐ろしい。

 

 元華族出身の名家出身で、現在も国内にみならず海外までに名を馳せるグループのお嬢様である華琳の手にかかれば、凡人の一刀のひとりやふたり社会的に抹殺する事は容易なのだから。

 

 一刀はプリンセスコンテストのプリントを手にどう切り出せばよいかと迷い続ける。

 

 そんな一刀を愛紗は横目でチラチラと盗み見ていた。

 

 仲良く部活の先輩と話をしていた一刀に対し、自分の如耶に対する浅はかな嫉妬が原因で彼が困っている事には気付いていたが、こうしてちゃんと自分を気遣おうと構ってくれる優しい幼なじみが彼女は好きなのである。

 

 愛紗も本当は「さっきはすまない」と非を詫びようとしていたのだが、中々、機会が掴めないでいたのだ。

 

 そんな二人のやり取りを剣道部の部員も薙刀部の部員もニヤニヤと生暖かい視線で見守っていた。

 

「あれー? 一刀君どうしたの制服姿のままで」

 

 だが、その場の雰囲気を一刀両断する薄紅色の髪を靡かせた少女が割って入ってきた。

 

 一刀と同じく聖フランチェスカ学園の制服に身を包んだ少女こと桃香が両手にスポーツドリンクが入った袋を手に道場に現れたのである。

 

 彼女もまた一刀の幼なじみで、そして彼と同い年の愛紗の姉にあたる一学年年上の上級生で名を桃香という。

 

 天真爛漫でおおらかな彼女は、幼なじみや妹の応援をするべく剣道部や薙刀部を始めとした道場で稽古を行う部活を全体をサポートするマネージャーのような手伝いをしているのである。

 

「道場の中で、愛紗ちゃんと見つめ合ってどーしたの?」

 

 笑顔のまま、一刀達の許に移動する桃香。

 

「ん? 一刀くんの手にしているのは何かな?」

 

 まるで当たり前のように一刀の腕に自分の腕を絡ませる桃香。

 

「「!」」

 

 一刀と愛紗は桃香の自然な行動に共に絶句する。

 

「と、桃香さん! ちょ、ちょっとマズイですって」

 

「あ、姉上! このような衆目の集まる所でそのような事をしないでください!」

 

 だが、当の本人は「どうしたの二人とも?」と言わんばかりに首を傾げている。

 

 姉的存在とはいえ突然、腕を抱かれ、彼女の女性的な柔らかさ――ぶっちゃけ胸の感触に一刀は顔を真っ赤にさせていた。 

 

 そんな姉と鼻の下を伸ばしている(あくまで彼女の主観)幼なじみに愛紗は眉を引きつらせる。

 

「あー文化祭の催し物だね。ふむふむプリンセスコンテストかぁ。あっウチの生徒が優勝した場合、学園で使える十万円分の購買カードが貰えるんだねー。鈴々ちゃんなら食券に全部変えそうだね。副賞は――」

 

 だが、桃香はそんなの何処吹く風ばかりに一刀に密着しながら彼の手にしていたプリントの内容を見ていた。 

 

「最後に行われるキャンプファイヤーのパートナーの指名権利かぁ。お姉ちゃん、一刀君を指名したいから参加しちゃおうかなぁー?」

 

 一刀の表情を下から見上げるように視線を合わす桃香。

 

 そんな彼女の姿を見た一刀は、恥ずかしがっていたのを止め、笑みを漏らす。

 

「俺なんかに指名権なんて使わなくてもいいよ。桃香さんが誘ってくれるなら喜んで」

 

 だが、一刀の言葉は、桃香には不満のようで、彼女はシマリスのように頬をぷぅっと膨らませた。

 

「わかってないなぁ一刀くんは」

 

「?」

 

 桃香の言わんとする所は、生徒達の前で指名された相手を独占出来、催し物とは言え、あの生徒会長が考えた副賞である。指名された相手は、断る事などあり得ない。

 

 要は、優勝者と指名されたパートナーは『学園公認のカップル』に認定されるに等しいのだ。

 

 普段ちょっと抜けている桃香も恋する少女。好意を寄せている男の子が鈍感な為、色々と彼女なりに考えているのである。

 

「い……いい加減に――」

 

 空気が冷め、肌にビリッとくる独特の感覚。次いで、横で呟かれ始めた愛紗の言葉。長年の付き合いでそれが非常にマズイ状態である事を感じ取ってしまう一刀。

 

 これから始まるであろう地獄絵図を回避するべく、そして、桃香の身の安全を守るため。

 

「きゃっ!?」

 

 本人の確認をも取らず。桃香をお姫様抱っこして脱兎の如くその場から離脱する一刀。

 

「しろ――! 一刀そこに直れ! 今日こそ、その邪な性根を我が偃月刀【注;愛紗命名の稽古用の薙刀】で叩き斬ってくれる!」

 

 嫉妬に狂った夜叉。通称――アイシャゴン覚醒。

 

「か、勘弁してくれ――!」

 

 逃げた一刀を薙刀を振りかざし追いかける愛紗。

 

 一刀に唐突にお姫様抱っこをされた桃香は少し驚いていたが状況を把握すると楽しそうに笑顔を浮かべ、あまつでさえ、「愛紗ちゃんこっちだよー」と火に油を注ぐ発言をかまし、妹を煽る。

 

 ドタバタと道場の中を駆け回り、道場の外へ飛び出す三人であった。

 

 そして、道場内に取り残された部員達。

 

「……愛紗は、外で走り込みの基礎鍛錬に変更と」

 

 薙刀部の部長である女性がそう呟くと、剣道部の部員も含めて皆、何事も無かったように稽古を再開し始めた。

 

 一刀達のこのようなやり取りは、結構日常的な事であったようだ。

 

 

 

 結局、鬼神となった愛紗に追い付かれ、容赦なくシバかれた一刀は、桃香の仲裁により事の経緯を話し、何とか生還する事が出来た。

 

 その際、愛紗にコンテスト参加の打診をしたら、彼女は困った表情を浮かべていたが、姉に耳元で何かを吹き込まれ、頬を朱に染めながら一刀の顔をチラチラと覗いながら、結局参加すると頷いてくれた。

 

 何故、心変わりをしたのか疑問に思った一刀が桃香にその訳を聞くと、彼女は笑顔のまま「なんでもないよー」と言うだけで、朴念仁である幼なじみの問いに答える事はなかった――

 

 

 ツンと刺激のある消毒液の匂いと共に心を落ち着かせる穏やかな香りが一刀の鼻腔をくすぐった。

 

「はい。これでだいじょうぶ」

 

 一刀の目の前には、紫色の長い髪を纏った見目麗しい年上の女性が目の前に居た。

 

 彼女の名前は紫苑。――この聖フランチェスカ学園で校医を務めている女性である。

 

 愛紗にしばかれて負った怪我が原因で校庭をフラフラとした足取りで歩いていた一刀を見かけた彼女は、彼を保護し、保健室へ連れ、こうして治療を施してくれたのだ。

 

「ありがとうございました。紫苑先生」

 

 一刀は治療を施してくれた紫苑へ己の情けない姿を見られた事に恥ずかしそうにしながらも礼を言う。

 

 そんな一刀の様子に紫苑は指を口元に添えクスクスと微笑んだ。

 

「校医として当然の事ですし、貴方に何かあったら、娘の璃々に怒られちゃうもの」

 

 紫苑は引き合いに自分の娘の名前を出して、一刀の心を落ち着かせる。

 

 対する一刀は思わず苦笑を浮かべるのであった。

 

 この二人実のところただの生徒と校医という関係ではなく、紫苑の娘である璃々が間に入ることで不思議な縁を得ている間柄であった。

 

 二人の関係の始まりは以前、一刀が末の姉とショッピングモールで買い物をしている最中、いつものように洋服選びに時間を掛ける姉から離れて、テナント外にあるベンチで休憩していたそんな時、視界で泣きじゃくる少女を見つけたのだ。周りの人々はそれが目に映っていないようで少女の存在を気にも掛けていなかった。

 

 そんな光景を目の当たりにした一刀は、頭の中で姉達に助けてもらった昔の情景を思い出し、少女の傍へと駆け寄った。

 

 少女は、大きな瞳から涙をポロポロととめどなく流し、嗚咽しながらも自分の名前を璃々と名乗り、母の名を紫苑と一刀に教えてくれたのである。

 

 本来なら迷子センターへ連れて行くのが一番の近道だと思ったが、彼女を捜しているであろう親御さんには悪いとは思いつつも今、情緒不安定な璃々を他の人に預ける事が正しいかどうか迷った一刀は辺りを見渡して、売店を見つけ、ジュースを購入し、璃々へと差し出した。

 

 だが、彼女はそれを受取らず首を横に振った。

 

「――しらないひとからモノをもらっちゃいけませんっておかあさんにいわれてるの」

 

 一刀は、その璃々の言葉に彼女が幼いながらも利発である事に非常に感心した。

 

「俺の名前は北郷一刀」

 

「かずとおにいちゃん?」

 

 一刀の名乗りに璃々は可愛らしく首を傾けながらも問い返してくれた。

 

 そんな彼女の言葉に一刀は自分を本当の兄の様に慕ってくれている天真爛漫で笑顔がとても明るい赤髪の少女、桃香と愛紗の妹である鈴々を頭の中に思い浮かべながら、思わず苦笑する。

 

「まあ、それでもいいか……これで璃々ちゃんと俺は知り合いになった訳だ」

 

 一刀の言葉に璃々は頷く。

 

「さて、俺の手には一緒に買い物に来たお姉ちゃんの為に買ったオレンジジュースがある訳だが……実は、お姉ちゃんがオレンジジュースが嫌いだった事を今、思い出してしまったんだ……俺も甘いものが苦手だし、けど捨てるのも勿体無いから、知り合いの俺を助けると思って代わりに飲んでくれないかなぁ」

 

 一刀は笑顔でそう告げながらも心の中で、これではまるで誘拐犯の手口では? と、ひとり苦悶していたりする。もちろんそんな気はないのだが――現代社会では善意が悪意に取られることもある世知辛い世の中であったりして。

 

 まあ、それは兎も角として、璃々はおずおずと手を伸ばしてオレンジジュースを受取ってくれた。

 

 そして、きちんと「ありがとうおにいちゃん」と笑顔で返してくれたのである。

 

 一刀はそんな璃々を微笑ましく思いながら一緒のベンチに座り、末の姉である沙和を待った。

 

 彼女に合流し、落ち着いた璃々を迷子センターに連れて行けばいいかと思ったのである。

 

 緊張の糸と悲しみが解け、一刀の事を気に入ってくれたのか、璃々はたくさんの事を話してくれた。幼稚園での出来事、友達の事、そして大好きな母の事に至るまで。

 

 そして、璃々の母が大きな学校で校医の仕事をしている事を聞き、一刀は「?」と首を傾げる。璃々の母の名前である『紫苑』そして『校医』という単語に引っ掛かりを覚えたのだ。

 

(……及川と干吉がしきりに今年赴任してきた、学園の保健室の先生がグラビアアイドルも裸足で逃げ出すほどのスタイルで、お色気フェロモン全開の未亡人とか、なんとか言っていたような?)

 

 一刀がそんな事を考えていると「璃々!」という言葉が届いてきた。

 

「おかあさん!」

 

 その声にいち早く反応した璃々は、オレンジジュースをベンチに置いて自分の名を呼ぶ母の許へと駆け出す。

 

 一刀の視線の先には、璃々と同じ髪の色をした女性が走って寄ってきた彼女を抱きしめた。

 

 それを目にした一刀は微笑み「よかった」と呟いた。そして、璃々が置いたオレンジジュースの容器を手に二人の許へと向かう。

 

 傍に来た一刀に気付いた女性は、璃々を抱き上げたまま立ち上がり、一刀に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。娘がお世話になりました」

 

「いいえ。璃々ちゃんのような可愛い女の子を放って置けなかっただけですよ」

 

「まあ」

 

 一刀の冗談に女性は微笑みを浮かべる。

 

 美人の落ち着いた艶やかな表情に一刀は頬を少し朱に染め、視線を横にずらす。

 

「……はい。忘れ物」

 

 一刀は璃々にオレンジジュースの容器を渡すことで、自分の心中を何とか落ち着かせるのであった。

 

「ありがとうお兄ちゃん」

 

「この子にそんなお気遣いまでして頂いたなんて……」

 

 女性が申し訳なさそうに謝罪をする。

 

「いいえ。これは璃々ちゃんをナンパした料金ですよ」

 

 一刀は苦笑いを浮かべながら手を横に振り、気にしなくて良いと伝える。

 

「それではこちらの気が済みません――そうね。私があなたをナンパしたと言うことでお昼を一緒にどうかしら?」

 

 そんな女性の冗談めいた提案に一刀は少し驚いた。だが、

 

「璃々ちゃんのお母さんからの提案は非常に魅力的ですが、俺はあちらの店にいる姉の荷物持ちとして待っている身分なので、申し訳ありません」

 

「えーお兄ちゃんいっしょにいてくれないの?」

 

 一刀の言葉に璃々が不満そうな声を上げる。

 

「ごめんね。でも、また機会があればその時に」

 

 璃々を宥めるように一刀は微笑みを彼女に向ける。

 

「――むぅ」

 

「あらあら? 璃々は、お兄ちゃんの事を気に入ったみたいね」

 

 フグのように頬をぷくっと膨らませた璃々に女性は宥めるように彼女の頭を撫でた。

 

「――では」

 

 一刀が頭を下げてその場を後にしようと踵を返す。

 

「少し待って」

 

 女性に呼び止められて一刀は首だけを振り向かせる。

 

「ごめんなさいね。良かったら貴方の名前を教えてくれないかしら?」

 

「俺は北郷一刀です」

 

 一刀の言葉に女性は笑みを浮かべて頷いた。

 

「そう。ありがとう。私は――

 

 

 

 それが、北郷一刀と紫苑の出会いの始まりであった。

 

 まあ後日、愛紗の嫉妬が発動して、保健室に担ぎ込まれた一刀と紫苑が再会するのはそう遠くなかったのであるが。

 

 何だかんだで璃々に非常に気に入られ懐かれた一刀は、「良かったらいっそのこと璃々のお兄ちゃんじゃなくて、お父さんにならない」と紫苑に言われる程に気に入られていた。

 

 一刀自身は、「紫苑先生にそんな事を言われたら冗談だと分かったとしても本気になっちゃいますよ」――と、また朴念仁な事を言っていたり。

 

 彼を慕う女性陣の想いをことごとく壊す聖フランチェスカ一の『フラグ・クラッシャー』の名は伊達じゃない。(命名:聖フランチェスカ新聞部) 

 

 こうして不思議な縁で結ばれた二人は、一介の学生と保健医ではなく、普段は少し歳の離れた弟と姉という関係を構築していたのであった。

 

 

 

 一刀が思い出に耽っていると突如、甘い香りが一刀の鼻をくすぐる。

 

「あら? よく見たらここにタンコブが出来ているわね」

 

 突然、抱き寄せられ紫苑が一刀の後頭部を抱き込む姿勢になった為、一刀の目の前に彼女のたわわに実った乳房が映る。

 

「ちょっ! 紫苑せんせ!」

 

 一番上の姉よりも発育した二つの大きな水蜜桃に一刀は理性のエマージェンシーを感じ、慌てて退く。

 

「あ――」 

 

 お約束のようにドンガラガッシャンとコミカルな音を立てながら倒れる一刀と彼に倒れ込むように覆い被さる紫苑。

 

「紫苑せんせーお邪魔しまーす!」

 

「だからぁ、こんなかすりキズなめときゃ治るって」

 

 そして、計ったようにタイミング良く保健室の扉がスライドしガラガラッと開く。

 

 現れたのは、元気よく手を上げながらハイテンションに声を上げる小柄なサイドポニーの少女と、どこかしら不満げな表情を浮かべているポニーテイルの髪型に凛としている雰囲気を携えた少女の二人は共にバスケット部のユニホームを着ていた。

 

 バスケット部に所属しているの蒲公英と翠の従姉妹組である。

 

 そんな彼女達が保健室に入ってすぐに目にした光景は――

 

 くんずほぐれつになっている生徒と魅惑の保健医。

 

 しかも、男の方は、顔を女性の乳房に塞がれて行き場のない手をバタバタとさせていた。

 

「ほんとにお邪魔だった?」

 

「って! 一刀じゃないか!」

 

「ええ! あ~本当に一刀先輩じゃん!」

 

 蒲公英と翠の二人は生徒が一刀だと気付くと、揃って愛らしい太い眉を逆立てる。

 

「な、なにヤッてんだよいやらしい!」

 

「も~一刀先輩ってば! そんなに大きいおっぱいがいいの!」

 

「あらあら」

 

 翠と蒲公英によって一刀から引き離される紫苑。

 

「おい! いつまで呆けてるんだこのエロエロ魔神!」

 

「……? おおっ! 翠!」

 

 お花畑から帰還した一刀は、目の前に居る翠の姿にハッとなり我を取り戻す。

 

「ぶーそりゃあ、紫苑先生の胸には勝てないけど、たんぽぽだって鈴々よりかなり発育がいいのに~」

 

「たんぽぽ?」

 

 何故かぶーたれている蒲公英に一刀は首を傾げるのであった。

 

 取りあえず場が落ち着いた事もあり、紫苑の手ほどきにより翠の怪我の治療が行われる。

 

「なぁたんぽぽ。どうしてまた翠はケガしたの?」

 

「お姉様は、ボールをラインぎりぎりまで追いかけて、すってんころりんと転けちゃったの」

 

 この二人翠と一刀がクラスメイトである事も接点の一つだが、蒲公英は一刀が妹分としてとても可愛がっている劉三姉妹の末っ子鈴々と同い年で親友である事も縁になって仲良くしているのである。

 

 ちなみに翠と一刀のはじまりは、入学間もない学園の廊下の曲がり角で衝突事故。

 

 翠が一刀の顔に騎乗位にて覆い被さるというお約束コンボで、その時彼が見た翠のライトグリーンの下着姿は記憶として焼き付いているのは本人のみの内緒である。

 

 一刀にとって『ラッキースケベ』な翠にとっては恥ずかしさにまみれた衝撃的な出逢いではあったが、その後の仲は親友といっても差し支えない程、良好で共に学園生活を謳歌していた。

 

 ここまで三人が仲が良いのは、鈴々がと蒲公英が二人して一刀を振り回し、翠がその仲裁に入るという図式が度々繰り返され、今の関係に至るのである。

 

「まあ、翠らしいと言えばらしいか」

 

「どーゆー意味だよ」

 

 一刀の呟きに瞳を鋭くして振り向く翠。

 

「ん? 何事にも一生懸命だなって」

 

「なっ!」

 

 思いもしなかった一刀のスマイルと褒め言葉に翠は頬を朱に染める。

 

「にしし。良かったねお姉様」

 

 そんな従姉の表情を見て、蒲公英は悪戯っ子のように笑みを浮かべるのであった。

 

「……ふん! ところで一刀。お前の鞄からのぞいているあのチラシみたいなものはなんだ?」

 

 自分の感情を誤魔化すかのように翠は一刀の鞄からのぞいているプリントを指さした。

 

「おおっ! そう言えば」

 

 一刀は何かを思い付いたようで、自分の鞄から『プリンセスコンテスト』の内容が描かれたプリントを翠に差し出した。

 

「ふーん。今度の文化祭で生徒会主催の美人コンテストをやるんだ。あっ、優勝者には学園の購買チケット十万円分かぁ……黎明館でも使えるのかなぁ」

 

 翠の背中から、プリントをのぞき見ていた蒲公英が声をあげる。

 

「まぁ、こんな催し物あたしには関係ない――「翠もよかったら参加してみないか?」――え?」

 

「一刀先輩さっすがぁ! お目が高い――「たんぽぽもどうかな?」――へっ?」

 

 馬従姉妹を一言で撃墜する一刀。

 

 そんな彼を見ながら「罪作りね」と紫苑は苦笑を浮かべていた。

 

「ばばばっバッカヤロウ! あたしがこんなのに出でも笑われるだけだぞ!」

 

 何とか再起動をした翠は、一刀に顔を近づけて突っ掛かてきた。

 

「そんな事無いって。翠は可愛い上に格好いい所もあるから大丈夫だって」

 

 一刀の悪意の無いだが、翠にとっては容赦のない追撃が繰り出される。

 

「――ッ ○△@□¥◇!!」

 

 意味不明な叫び声と共に翠は保健室から飛び出て行ってしまった。一刀に渡されたプリントを握りしめながら。

 

「何であんなに慌てているんだ翠は?」

 

 天然ジゴロの一刀は翠の行動が不可解だと首を傾げるのであった。

 

「……ね、ねぇ一刀先輩」

 

 そんな彼に妙にモジモジとした蒲公英が声をかける。

 

「さっき、先輩が言ってくれたこと冗談じゃないよね?」

 

 両手の人差し指同士を指先でツンツンとくっつけながら、一刀を下から見上げるようにして蒲公英は質問をした。

 

「ああ。たんぽぽも物凄く可愛いんだから自信持っていいと思うよ。まあ、無理強いはしない――「参加するっ! たんぽぽコンテストに参加するよっ!」――? そうか」

 

 蒲公英は一刀から離れ、両手を頬に添え、はにゃーんととろけきった表情を浮かべていた。

 

 彼女の脳内ではコンテストに参加し、頑張っておめかしした自分を褒め、頭を撫でてくれる一刀という図式が浮かんでいたのである。

 

「よーし! がんばちゃうぞー!」

 

 やる気満々の蒲公英はダァーと元気よく右手を突き上げて気合いを入れる。

 

 そんな彼女を一刀と紫苑は微笑ましく見守るのであった。

 

 

 所変わって黎明館。

 

 聖フランチェスカ学園の在校生にとって憩いの場として良く活用されている敷地内に建てられた喫茶店である。

 

 店員のウエイトレスさんが全てメイドさんという都会の電気街にあるお店もびっくりの仕様である黎明館は、生徒達からの人気も高い。中には、メイド服が着たいという理由でアルバイトをしている生徒も居るくらいだ。

 

 そんな黎明館の一席に一刀は居た。

 

 目の前のカウンターにはメイド服姿の女性の姿がある。

 

「ふーんそれで、生徒会長さんの言い付けで、知り合いの女の子達に声を掛けているんだね」

 

 一刀と向き合って話しているのは、那岐沢千砂という名の女性だ。

 

 彼女はこの黎明館で後輩達の面倒を見ながらウエイトレスをしている一刀より少し年上の女性である。

 

 一刀は及川に連れられて左慈達とこの黎明館に来て以来、何かと足を向けこうして千砂と世間話をするぐらいには仲良しになった常連なのである。

 

 それは一刀が隠れメイドスキーでもあるのだが、これは完全に余談である。

 

 話が逸れたが、一刀はとりあえず知り合いの何人かには声を掛けたが、華琳が少しでも満足するようにとこの黎明館にコンテストの概要が描かれたプリントを掲示してほしいと千砂に頼んでいたのだ。

 

「他ならぬ一刀君の頼みだからOKよ。それに、これを見た女の子達が一人でもコンテストに参加すれば文化祭も盛り上がるしね」

 

 千砂の快諾に一刀はほっと胸を撫で下ろす。

 

 一刀の様子を見ていた千砂はニンマリと少し意地が悪そうに微笑んだ。

 

「でぇ――この見返りに一刀君はお姉さんに何をしてくれるのかな?」

 

「ええっ!」

 

 千砂の言葉に一刀が驚きの声をあげるのであった。

 

 

 

 そんな二人のやり取りをウエイトレスの仕事をしながら視線を向けてくる少女がいた。

 

 彼女の瞳には千砂にやりこめられて、慌てている一刀の姿が映っていた。

 

「月ー。三番テーブルのお客様に注文聞いてきてー」

 

「あっ、詠ちゃん。 うん、わかったよ――いらっしゃいませー」

 

 同僚に声を掛けられて少女は慌ててパタパタと仕事に戻っていくのであった。

 

 時折、仲良く話す二人をどこか羨ましそうに見ながら――

 

 

 とりあえず知り合いの何人かにコンテスト参加の打診を終え、もう今日は終わりにしようと考えていた一刀は胸元から感じる振動音に気付く。

 

 ポケットから携帯電話を取り出した一刀は、メールの着信を確認し、その相手が末の姉である沙和からのものである事を知った。

 

 デコレーションが施され、絵文字もふんだんに使用された沙和のメールをご年輩の方達が見たら、一体何を書いているかわからない類の暗号のように感じるだろうが、彼女の弟である一刀はそれを理解出来た。

 

 メールの内容を翻訳すると『友達とカラオケで遊んだ帰りにカズ君のいる学園によってみたの~ 剣道部のお稽古もう終わりそうなの? もし、良かったらお姉ちゃんと一緒にかえろ~』である。

 

 一刀は、少し苦笑しながらも携帯電話を閉じて足早に校門へと向かうのであった。

 

 

 

「あっ! カズ君こっちなの~」

 

 一刀が校門を出ると髪の毛をまるで海老の尻尾のように片側で結んだ独特のヘアスタイルに愛らしい顔立ちをより感じさせる丸ぶち眼鏡を着け、鼻の頭にソバカスがとても印象的な顔立ちの女の子がいた。彼女が、一刀の姉のひとりである沙和その人であった。

 

 沙和は、聖フランチェスカから二駅ほど離れた場所にある女子高の制服を着こなしており、嫌味の無い薄化粧にルーズソックスやマニキュアで彩られた指などの見た目から共学化した今も世間ではお嬢様学園として名を馳せている在校生の目を惹くには充分な存在だった。それは、偏見などではなく純粋な憧れ。お嬢様である彼女達にとって沙和のいかにも今を謳歌している姿に何かを感じるのであろう。

 

 そんな視線を少し感じながらも一刀は沙和の許へとたどり着いた。

 

「沙和お姉ちゃん」

 

「じゃあ、いっこかぁ」

 

 一刀が一息つく間も無く、沙和は当然のように一刀の腕に満面の笑みで抱きつき、そのまま腕を組んだ状態で歩き出した。

 

「ちょっ! ど、どこか寄り道でもするの?」

 

「うん! さっきのカラオケの時に駅前でおいしいスイーツが食べられる喫茶店を友達から教えてもらったの~」

 

「あまり間食したら、家でご飯作ってくれている凪姉さんに悪いし、沙和お姉ちゃんもふ――「なぁ~に?」――イエ、ナンデモナイデス」

 

 一刀が女性に言ってはならないキーワードを言おうとしたが、目が笑っていない沙和のある意味凄みの効いた笑顔に自己防衛を行い何とか窮地を脱する。

 

 そのまま半ば強引に沙和に喫茶店へと連行される一刀であった。

 

 

「へぇ、こんな所に喫茶店があったんだ」

 

「えへへ。地元のスイーツ通にしか知らないレアなお店なの~」

 

 沙和に連れられて来たお店は駅周辺の表通りから少し路地に入った所に建てられた年期の入った赤レンガの建物であった。

 

 店に入ると少し暗めの照明が、赤レンガの壁と合わさって少しだけノスタルジックな雰囲気を強調させていた。

 

 二人は二十代前半ぐらいの若いウェイトレスに案内されカウンター席へと並んで座る。

 

「ご注文は何になさいますか?」

 

 渡されたメニューを二人で眺め、どれにするか決まった沙和が、メニューを指差す。

 

「う~んと、沙和は、季節の果物タルトとミルクティーをセットで」

 

「はい。畏まりました」

 

「カズ君は何にするの」

 

「ホットミルク。あっ、砂糖は少しだけ多めにお願いします」

 

 一刀の言葉に沙和はキョトンとし、ウェイトレスも少しだけ驚いた表情を浮かべていた。

 

「――ホットミルク砂糖は少し多めでよろしいですか?」

 

「はい」

 

「それでは少しお待ちくださいませ」

 

「……」

 

 ウェイトレスが去った後、沙和が一刀にジト目を向けていた。

 

「え、えっとなにかな?」

 

 何か姉の前で粗相をしたのかと考えた一刀は、沙和にそれを問う。

 

「べつにぃ~ただ、女の子とのデートでそれはないかと沙和はおもうの。でも、寛大なお姉ちゃんだから許してあげるの」

 

「?」

 

 沙和の言う事がイマイチ理解出来ない一刀は首を傾げる事しか出来なかった。

 

 そんな折、店のドアを開くカウベルが鳴る。

 

 続いて、女の子達のおしゃべりする声が店内へと届いてきた。

 

「明日のコンサートに備えていっぱいたべるわよー」

 

「わたしもー」

 

「天和姉さん、ちぃ姉さん。ほどほどにしないとダメ」

 

「なによー人和のいけずー。スイーツぐらいでケチケチしないでよ」

 

「まあまあ、ちーちゃん落ち着いて。怒っていたらせっかくのスイーツもおいしくなくなるよ?」

 

「それについては同感ね」

 

 なにやら騒がしい集団だなと一刀は感じていた。だが、そちらに視線を向ける間も無く、

 

「ねぇねぇカズ君。今日は剣道部のお稽古してないみたいだったけど――もしかしてサボり?」

 

 沙和の機嫌は、これから食べれるスイーツを目の前にしてすぐに回復していたようで上機嫌で一刀に会話を持ちかけてきた。

 

 そんな現金な姉にホッとしながら一刀は、今日の放課後の出来事をかいつまんで説明した。

 

 無論、桃香に抱きつかれただの愛紗に追い掛け回されただの紫苑のお色気看護や馬姉妹とのやり取りにはかなりフィルターをかけた状態ではあったが。

 

「ふーん。もうすぐ聖フランチェスカ学園では文化祭なんだねー」

 

 沙和の何気ない発言に店内で一人顔をこちらに向けた人物がいた。

 

 それは、先程店に入ってきた三人組の一人で、一刀達姉弟の隣に座っていた為に聞こえたのであろうか、じっと一刀達に視線を向けている。

 

「それじゃあ、来週の週末に開催されるって事は、入場チケットはもう配布されたの?」

 

 嬉々として訊ねる沙和に一刀は頷いた。

 

 聖フランチェスカ学園の文化祭は今までの校風からかなり閉鎖的な所があり(お嬢様が現在も多数いる為、親に経済界や政界に関る者達が多く、護衛の観点からも)生徒の家族か生徒一人につき3枚発行する入場チケットが必要なのである。

 

 一刀は、一番上の姉からそのチケットがオークションに出たら万円の単位で取引が行われていると聞いた事があった。

 

 それほどまでに希少価値があるプラチナ・チケットなのである。

 

「じゃあ、じゃあ。お姉ちゃんに一枚ちょーだい?」

 

 沙和は一刀を見上げるような視線からおねだりをする。

 

「いいよ。はい」

 

 一刀はそんな姉の態度に少しばかり苦笑しながらも鞄からチケットを取り出して彼女に渡した。

 

「ありがとなのー」

 

 満面の笑みを浮かべる沙和。

 

「家族や親戚はチケットが無くても入れるのに……」

 

 そんな一刀の発言に沙和はやれやれといった感じで首を振る。

 

「カズ君は何もわかってないの」 

 

 沙和のこの発言に一刀は「むぅ」と呻いた。放課後、桃香に言われた事と全く同じ指摘だったからである。

 

 さすがに身内にこれだけ指摘されるとその悪い部分を直そうと素直な一刀は心の中で決意するが――ニブチンなのでそれは無理かと。言い換えれば主人公の宿命であろうか?

 

 運ばれてきたスイーツに舌鼓を打つ沙和の笑顔を見ながら一刀は、

 

(今日は色々あったけど、最後にお姉ちゃんの笑顔が見れて良かったかな?)

 

 と思いつつ、ホットミルクの入ったカップを持ち上げたその十数秒後――

 

 

 

「――ねぇってば! 聞いてるのお姉ちゃん!」

 

「? 何かなちーちゃん」

 

「もう! 聞いてないじゃない! 私達、数え役萬☆しすたぁずがもっと多くのファンの人達に認められてメジャーになるには――」

 

 興奮しているのか、沙和とは逆の位置で髪をおさげにした大きく可愛らしい目元が印象的な少女が、眉を逆立て、ダンダンと力強くカウンターを叩いた。

 

 横に座っているおでこがチャームポイントのショートヘアに眼鏡姿の少女の目が驚きで開く。彼女が見た光景は、

 

「あっ」

 

 衝撃で一刀の横にいた顔立ちの整った桃髪色のロングヘアの少女が椅子からよろめき、彼女から背を向け沙和に身体を向けていた一刀の背にぶつかる場面であった。

 

 そして、一刀の手にしていたホットミルクの入ったカップが彼の手から離れ、放物線を描き――

 

 

 

 

 

「あっちゃぁー!!」

 

 おいしそうにタルトを食べていた沙和の顔面にカップの中身をぶちまけたのである。

 

「あついの~! カズ君の熱くて、白くて、ドロっとしたものが沙和のお顔にかかったの~!」 【注:カップの中身のホットミルクの事】

 

「沙和お姉ちゃん!」

 

 姉の言葉にいち早く我を取り戻した一刀は、彼女の鞄からウェットティッシュを取り出して彼女の顔にかかったミルクをふき取る。

 

「う~もっと、やさしくしてほしーの。お姉ちゃんの制服もベトベトになっちゃったよー」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「申し訳ありません。うちの姉がご迷惑を」

 

 三人の中で一番落ち着いていた眼鏡をかけた女の子が、一刀と沙和に頭を下げ謝罪をする。

 

「ごめんなさーい」

 

「ふんっ!」

 

 それに倣いロングヘアの女性も謝罪をしたのだが、最後の女の子は腕を組みそっぽを向く。

 

「あ、あーそんなに謝らなくていいの。大丈夫なの」

 

 沙和は気にしなくていいといやいやと手を振る。

 

「いえ――こちらに非があったのは確かです。お召し物を汚したのも事実ですし、ここのお支払いとクリーニング代は謝罪として払わせて頂きます」

 

 そう言うと眼鏡をかけた女の子は一刀達の席に置いてある伝票を取り、財布からクリーニング代として二万円の現金を差し出してきたのである。

 

「い、いやそこまでしてもらわなくても」

 

 クリーニング代として差し出された現金の額に一刀は思わず腰が引けて遠慮してしまう。

 

「是非、お受け取り下さい」

 

「……」

 

「……」

 

 姉弟は視線を交わし互いに困った表情を浮かべていたが、相手が頑として譲らないのでそれを受け入れるのであった。

 

 その後、眼鏡をかけた女の子は、テキパキと喫茶店のウェイトレスに割ったカップの代金を払い、未だにしょぼんとしている女の子と不遜な態度を取っている女の子を引きつれ店を後にする。

 

 興が醒めた一刀と沙和も喫茶店を後にし、帰宅するのであった。

 

 

「おかえり二人とも」

 

「ただいま姉さん」

 

「ただいまなの凪ちゃん」

 

 一刀と沙和の二人が帰宅すると玄関先で、長袖のシャツに紺色のジーンズという組み合わせの上にエプロンを身に着けた凪が後ろ髪を括った銀色のおさげを振りながら迎えてくれた。

 

「今日は二人とも一緒だったんだ」

 

「うん。カズ君誘って、喫茶店でお茶してたの。ねぇねぇ凪ちゃん。沙和の制服をクリーニングしたいんだけど、どこに置いとけばいいかなぁ」

 

「? それならリビングに置いてくれれば、明日学校へ行く途中に私が出しておくよ」

 

「ありがとなのー」

 

 沙和は凪に感謝の言葉を述べるとトテトテと小走りにリビングへと向かっていた。

 

「――何かあったの?」

 

 凪が左頬に貼ってある傷テープを人差し指で掻きながら、そう一刀に尋ねた。

 

「ああ、喫茶店で俺と他のお客さんとちょっとぶつかって、飲み物を沙和お姉ちゃんの制服にこぼしちゃってさ」

 

 そう言って一刀は、その喫茶店で会った眼鏡を掛けた少女からお詫びに渡されたお金を凪に渡しながら、事の経緯を説明した。

 

「そう。事情はわかったよ。御礼はちゃんと言った?」

 

「うん。別れる際にきちんと二人で言ったよ」

 

「そうか」

 

 凪は、一刀の答えに満足した表情を浮かべ、自分より背の高い一刀を引き寄せて笑顔でイイコイイコと頭を撫でてくれた。

 

 正直、この年にもなってそれは気恥ずかしいものであったが、生真面目で凛としている姉にこのように褒められる事を一刀は内心嬉しがっていたのである。

 

 そんな心情を悟られまいと一刀は、話を切り換える為に鞄の中から文化祭のチケットを出し、凪へと渡す。

 

「沙和お姉ちゃんには渡したんだけど、凪姉さんもどうかな」

 

 一刀が差し出したチケットに凪は少しキョトンとした表情を浮かべていたが、それが、弟が通っている文化祭の入場チケットだと知ると、褐色の肌を朱に染めて喜色を表した。

 

「ありがとう。嬉しいよ……さ、ご飯の支度がもうちょっとしたら出来るから、着替えておいで。ああ、ついでに真桜姉さんも呼んでくれるかい?」

 

「わかった」

 

 凪は、一刀にそう告げると、本当に嬉しかったのだろうか。ハミングで何かの歌を口ずさんで軽やかな足取りでキッチンへと戻っていったのである。

 

 そんな上機嫌な姉の態度を見送った一刀は少し驚いていた。

 

 家に帰る途中に沙和に「凪ちゃんにカズ君から話を切り出してチケットを渡しておくの!」と念押しされていたのである。それがこのような結果になると思っていなかった一刀は姉の洞察力に感嘆するのであった。と言っても、ここまで驚くのは女心に鈍感な彼ぐらいだろうが。

 

 ちなみに余談ではあるが一刀は「真桜姉にはそうしなくていいの?」という問いに沙和は「真桜ちゃんは別にいいの。欲しかったら欲しいって言うと思うし、凪ちゃんは奥手だからカズ君が優しくフォローしなくちゃいけないの」と会話を交わしていたり。

 

 一刀は二階へ戻ると着替えをすませ、真桜の部屋の前へとやってきた。

 

「真桜姉さん。ごはんの時間だよ」

 

 部屋のドアをノックしながら、一刀は真桜に呼びかけた。

 

 ややあって、部屋のドアがギギギと不気味な軋みを立て開く。

 

 電灯も付けずにカーテンを閉め切った暗闇の室内から人影が現れる。

 

「う~もうアカン。パワー切れや……」

 

 そう言って部屋の中から、作業ゴーグルに白衣纏った格好で一刀の一番上の姉である真桜がやや、蒼白な顔色を携えて出てきた。 

 

 一刀はドアにもたれかかる真桜に呆れの入った溜息を吐いた。

 

「ほら、立てる真桜姉さん?」

 

「……あかん、カズ。ウチをリビングまで運んでってぇな」

 

 一応、問いかけてはいるが、伸ばした手を一刀の肩を掴んでいる事から選択肢の余地は彼になかった。

 

 一刀は二階からリビングに降りるため、軽く真桜を『お姫様抱っこ』で丁重に運ぶ。真桜は体調が本当にすぐれていないようで、意識半ばに弟に身を任せた為、現在の状況は把握できていない。

 

 そのままリビングに着くと、先に居座っていた沙和が目を見開いてぽかーんと口を開いていた。

 

「沙和お姉ちゃん。アヒルみたいに口を開いてどーしたの?」

 

 ソファーに真桜を寝かせ、間抜けな表情をしている沙和に一刀は声を掛けた。

 

「どーしたの? じゃないの! 何でカズ君が真桜ちゃんをお姫様抱っこで運んでくるの!」

 

「だって、真桜姉辛そうだったし、連れて行ってくれって頼まれたから」

 

 「うーん」と呻きながら調子悪そうにしている真桜の様子を見ながら一刀はそう答えた。

 

「ずるいの! 真桜ちゃんばっかりそうやって甘やかして!」

 

 沙和は、可愛らしい顔立ちに怒りの形相を携えてガォーと吼えながら抗議する。

 

「ほら、三人とも用意が出来たから食器を用意するの手伝ってよ」

 

 ダイニングキッチンから凪の声が掛り、沙和は不承不承ながら凪を手伝うのであった。

 

 沙和が怒っている理由が、例え姉弟であっても年頃の女性に気安く触れる事を注意されたと考えた一刀は反省をするのであった――尤も彼女が怒っている理由はそうではないのだが。

 

 

 

 本日の北郷家の夕飯は凪お手製のカレーであった。

 

「そう言えば、父さんと母さんは?」

 

「お父さんは、会社帰りに同僚と飲みに行くって言っていたし、母さんは婦人会の会合で、近所の人達とお食事会だって」

 

 一刀の問いに凪が盛り付けをしながらそう答えた。

 

「じゃあ、先に食べよっか」

 

「そうだね」

 

「うー」

 

「ほら、真桜姉さんスプーンちゃんと持って」

 

 沙和の言葉に一刀が同意し、テーブルでたれパ○ダのようにうなだれている真桜に苦笑しながら凪が面倒を見る。

 

「「「「いただきます(なの)(や)」」」」

 

 そして、凪を除いた三人がカレーを一口食べる。

 

「……ど、どうかな」

 

 凪がカレーの味について皆の評価を聞こうと少し緊張気味に問いかけた。

 

「「「辛い(の)(わ)」」」

 

 三者一斉にユニゾンで答える。

 

「そ、そっか、まだこれでも辛いんだ……」

 

 申し訳なさそうに凪はうなだれた。

 

「凪ちゃんの味覚に合わせていたら普通の人は火を吐いちゃうの~」

 

 涙をうるうると流しながらカレーを食べる沙和。

 

「まあ、ウチはおかげで一気にめぇ覚めたさかい。えぇんやけどな」

 

 半ばダウンしていた真桜が目覚め、ゆっくりとだがカレーを胃の中に放り込む。

 

「……」

 

 一刀は何も言わずにせっせとカレーを食べ続けていた。

 

 要は辛いが、凪の作ったカレーは美味しいという事である。

 

 そして、一刀は男の子らしくあっという間にカレーを平らげた。皿が空になったのを凪の視線が捉える。

 

「一刀。お代わりは?」

 

 凪の嬉しそうな表情が一刀を直撃。

 

 どうやら凪は、一刀が自分の作ったカレーを早食いするほど気に入ってくれたと勘違いしているらしい。

 

 一刀は、辛さ地獄から一秒でも早く抜け出したかったから、早食いを決行したのである。

 

(凪ちゃん鬼なの……)

 

(カズも災難やな)

 

 他の姉二人は一刀の取った行動の真意を理解していた為、思わぬ凪の追撃に弟を哀れむ。

 

「……うん。お願い」

 

 一刀は微笑みながら皿を凪に渡すのであった。

 

(カズ君! 勇者なの! 漢なの!)

 

(まあ、凪にあんな表情されたら仕方ないねんな)

 

 凪を悲しませないように自ら死地に赴く一刀に二人は心の中で称賛するのであった。

 

 

 

 そんなこんなで暫くたった後、夕食を終えた北郷家のリビングには、一刀と真桜がソファーでまったりと食休みを行っていた。

 

 ダイニングキッチンからは凪が食器を洗う音がかすかに聞こえてくる。

 

 ここにいない沙和は、一番風呂を堪能している最中であった。

 

「なぁ、カズ」

 

 テレビから流れる本日のニュースを何気なしに一刀に真桜が声を掛けた。

 

「ん? どうかしたの」

 

「いや、大した事ないんやけど、今日、カズの通っている学園の生徒会長からウチに直接依頼があってぇな」

 

「華琳から?」

 

「そうや。でな、催し物で使う照明器具の制御とか頼まれとんねん。で、それを受けたとき思い出したんやけど、カズん所の学園祭チケット制やったろ? ウチにも一枚くれへんか?」

 

「それは、別にいいけど当日、俺が迎えに行けば入れるよ」

 

「カズから貰うから意味があるんやんかぁ」

 

「沙和お姉ちゃんからも言われたけど、そうゆうもんなの?」

 

「せや。てなわけで姉ちゃんにも一枚プリーズや」

 

 真桜のまっすぐなお願いを一刀が断れるはずもないというか、そもそも断る気は無かった。

 

「そや。ただっちゅうのはカズにも悪いから。チケットくれたら今日は風呂でウチが背中流したろか?」

 

「遠慮します」

 

 一刀はスパッと断わった。

 

「それはざんねんやなぁ。タオルじゃなくて、ウチのこれでお背中流したろかと思ったんやけど」

 

 真桜が自分の大きく育ったマシュマロのように柔らかそうな胸を持ち上げながら、ニヤニヤとした表情で一刀にそう告げた。

 

「俺、まだ父さんに殺されたくはないんで本当に勘弁して下さい」

 

 一刀は身の危険を感じ、ソファから降りて正座で土下座し深々と頭を下げる。

 

「ちぇーつまらんなぁ。でも母さんは喜んでくれると思うで?『一刀が本当の息子になった』って」

 

「真桜姉さん」

 

 食器を洗い終えた凪が、眉間を少し逆立て真桜を嗜める。

 

「一刀の世話は私がするので、お風呂での背中流しもご心配なく」

 

 凪の言葉に「そっちかよ」と心の中でつっこむ一刀と真桜であった。

 

 しかも相手は生真面目で融通が利かないという事は、言っている事が『本気』なのである。

 

 どうやら、今日は文化祭のチケットを貰ったり、カレーの出来を褒めて貰ったり(※あくまで凪主観)とかなりご機嫌のようで嬉しさの余り恥ずかしさを通り越して久方ぶりに弟とスキンシップを楽しむ気満々のようであった。

 

 

 

 

 その後、何とか凪を宥め、炊きつける真桜から無事に逃亡する事が出来た一刀は、学園で出された課題を終え、風呂に入り(もちろん一人で)、就寝の床につく。

 

 電気を消して布団に入った時、一刀の口から思わず安堵の溜息が出た。

 

 今日も色々あったと一刀は思い出す。

 

(――来週は文化祭かぁ……明日は平穏無事にすごせるかな?)

 

 そう考えつつ、意識を手放す一刀であった。

 

 

 

 聖フランチェスカ学園 文化祭 開催まで 後、一週間――

 

 

 

 後編へ続く

 

 


 
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